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東ローマ帝国その他歴史を語るブログ http://higashiroma.seesaa.net/

歴史好きの作者が、世界史(東ローマ等)、日本史(戦国・織豊)等について語っていくブログです。

歴史好きの作者が、世界史(東ローマ等)、 日本史(戦国・織豊)等について 語っていくブログです。 世界史の授業でも軽ーくスルーされがちな東ローマ。 見直してみましょう! (時々歴史ネタ以外に脱線も・・・)

佐吉
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2008/11/24

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  • 始めに:東ローマの印象

    歴史の中には語られることの少ない人物、物事が 存在しますね。 時間的、空間的様々な制約があるためなのでしょうが。 その語られることの少なさのために逆に人々の興味を 引くということがあります。 例えば豊臣秀吉の実弟豊臣秀長は、堺屋太一氏が、 ・秀吉の弟であることから想定される歴史像の大きさ ・とりあげられること、語られることの少なさ に興味を持って小説を書きました。

  • ギボンの東ローマ皇帝評価 その2

    ギボンのローマ帝国衰亡史についてです。 基本的に、東ローマ帝国への点は辛いんです。 7世紀のヘラクレイオス帝の治世の叙述が終わったところで 「帝国の衰亡の五世紀間はすでに経過したが(中…

  • ギボンの東ローマ皇帝評価 その1

    ギボンのローマ帝国衰亡史を知っていますか? 2世紀のローマ帝国全盛の頃(マルクスアウレリウス帝の頃)から 筆を起こし1453年のコンスタンティノープルの陥落までを 記述した一大歴史書で…

  • 最後のローマ皇帝:大帝ユスティニアヌス その3

    ローマ皇帝としての責務を自覚するユスティニアヌス。 遂に彼は、ローマ法大全の編纂を越える大事業に 乗り出します。 すなわち、地中海世界の東西に渡るローマ帝国の復活です。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)

  • 最後のローマ皇帝:大帝ユスティニアヌス その2

    伯父の死により東ローマ皇帝となったユスティニアヌス。 彼の目の前にあった東ローマ帝国はどのような 国であったでしょうか。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)

  • 最後のローマ皇帝:大帝ユスティニアヌス その1

    東ローマ帝国史上、有能な皇帝は数多く存在しましたが 「大帝」という称号を与えられているのは、 彼一人です。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)

  • 激動の人生:ヘラクレイオス1世 その3

    シリア、エジプトをササン朝ペルシアに 奪われたヘラクレイオス1世。 9年間の傍観の後に、両地方を回復するために 雄々しく立ち上がります。 時に622年。 9年間の傍観の後に立ち上がったのは、 姪のマルティナとの近親結婚を国家に認めさせようと 考えたため・・・とも考えられています。 ヘラクレイオスは、国境地帯を数年間転戦した後・・・ ペルシアの首都クテシフォンを一気について決着を つけようと…

  • 激動の人生:ヘラクレイオス1世その2

    東ローマ皇帝となったヘラクレイオス1世。 しかし彼の時代から帝国の領土は決定的に縮小に向かいます。 まず、ササン朝ペルシアとの戦争により、シリアとエジプトを 奪われます。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 励みになります。

  • 激動の人生:ヘラクレイオス1世 その1

    7世紀に皇帝となったヘラクレイオス1世。 彼の時代から、東ローマ帝国は重大な歴史の転換点に 本格的に突入します。 ヘラクレイオス朝の項目でも少し触れましたが、 彼の時代から東ローマ帝国は、 地中海を湖とする大国から

  • ヘラクレイオス朝の時代

    7世紀のヘラクレイオス王朝がいわゆるローマ帝国の古代から中世への 重要な転換点であった事は、間違いないでしょう。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 励みになりますので。 まず領土ですが・…

  • カール大帝のローマ帝国との関係

    東ローマ帝国が中世に存在していた頃、 西欧にもローマ帝国がありました。 8世紀に有名なカール大帝が建設したローマ帝国(=フランク帝国) 10世紀に始まるオットー大帝の神聖ローマ帝国です。 両者ともローマ教皇より皇帝の位を授かり、ローマ帝国を 称しました。 特に

  • 鉄人皇帝 バシレイオス2世その2

    皇帝の責務に目覚めてからのバシレイオス2世は、戦に 明け暮れます。 内乱の鎮定、外征の再開・・・年代記はこう伝えています。 「彼にとって(戦からの)帰還の時期は、作戦が成功した ときであった。彼は平然と夏の暑さ、冬の寒さに耐えた。 あらゆる欲望を厳しく抑えた鋼のような男であった。」 (「ビザンツとスラブ」中央公論社より引用)

  • 高校の時の東ローマの授業

    えー閑話休題。 仕事で疲れていますので、肩の凝らない話を。 高校時代の世界史の先生で、とてもローマ帝国好きの 先生がいました。 イタリアに旅行に行き、ローマ市のコロッセウムを見た時は 泣いた・・という熱血の世界史先生でした。 当然ローマ帝国に関する授業も白熱。 「ローマが西欧文明の源なんです!」 と熱く語っておりました。 当然東ローマについても熱く語ってくれるかと 楽しみにしていました…

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