歴史好きの作者が、世界史(東ローマ等)、日本史(戦国・織豊)等について語っていくブログです。
歴史好きの作者が、世界史(東ローマ等)、 日本史(戦国・織豊)等について 語っていくブログです。 世界史の授業でも軽ーくスルーされがちな東ローマ。 見直してみましょう! (時々歴史ネタ以外に脱線も・・・)
歴史の中には語られることの少ない人物、物事が 存在しますね。 時間的、空間的様々な制約があるためなのでしょうが。 その語られることの少なさのために逆に人々の興味を 引くということがあります。 例えば豊臣秀吉の実弟豊臣秀長は、堺屋太一氏が、 ・秀吉の弟であることから想定される歴史像の大きさ ・とりあげられること、語られることの少なさ に興味を持って小説を書きました。
ギボンのローマ帝国衰亡史についてです。 基本的に、東ローマ帝国への点は辛いんです。 7世紀のヘラクレイオス帝の治世の叙述が終わったところで 「帝国の衰亡の五世紀間はすでに経過したが(中…
ギボンのローマ帝国衰亡史を知っていますか? 2世紀のローマ帝国全盛の頃(マルクスアウレリウス帝の頃)から 筆を起こし1453年のコンスタンティノープルの陥落までを 記述した一大歴史書で…
ローマ皇帝としての責務を自覚するユスティニアヌス。 遂に彼は、ローマ法大全の編纂を越える大事業に 乗り出します。 すなわち、地中海世界の東西に渡るローマ帝国の復活です。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)
伯父の死により東ローマ皇帝となったユスティニアヌス。 彼の目の前にあった東ローマ帝国はどのような 国であったでしょうか。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)
東ローマ帝国史上、有能な皇帝は数多く存在しましたが 「大帝」という称号を与えられているのは、 彼一人です。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 あなたのクリックが励みになります。(>_<)
シリア、エジプトをササン朝ペルシアに 奪われたヘラクレイオス1世。 9年間の傍観の後に、両地方を回復するために 雄々しく立ち上がります。 時に622年。 9年間の傍観の後に立ち上がったのは、 姪のマルティナとの近親結婚を国家に認めさせようと 考えたため・・・とも考えられています。 ヘラクレイオスは、国境地帯を数年間転戦した後・・・ ペルシアの首都クテシフォンを一気について決着を つけようと…
東ローマ皇帝となったヘラクレイオス1世。 しかし彼の時代から帝国の領土は決定的に縮小に向かいます。 まず、ササン朝ペルシアとの戦争により、シリアとエジプトを 奪われます。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 励みになります。
7世紀に皇帝となったヘラクレイオス1世。 彼の時代から、東ローマ帝国は重大な歴史の転換点に 本格的に突入します。 ヘラクレイオス朝の項目でも少し触れましたが、 彼の時代から東ローマ帝国は、 地中海を湖とする大国から
7世紀のヘラクレイオス王朝がいわゆるローマ帝国の古代から中世への 重要な転換点であった事は、間違いないでしょう。 途中ですが、ぽちっとクリックをば、お願い致します。 励みになりますので。 まず領土ですが・…
東ローマ帝国が中世に存在していた頃、 西欧にもローマ帝国がありました。 8世紀に有名なカール大帝が建設したローマ帝国(=フランク帝国) 10世紀に始まるオットー大帝の神聖ローマ帝国です。 両者ともローマ教皇より皇帝の位を授かり、ローマ帝国を 称しました。 特に
皇帝の責務に目覚めてからのバシレイオス2世は、戦に 明け暮れます。 内乱の鎮定、外征の再開・・・年代記はこう伝えています。 「彼にとって(戦からの)帰還の時期は、作戦が成功した ときであった。彼は平然と夏の暑さ、冬の寒さに耐えた。 あらゆる欲望を厳しく抑えた鋼のような男であった。」 (「ビザンツとスラブ」中央公論社より引用)
えー閑話休題。 仕事で疲れていますので、肩の凝らない話を。 高校時代の世界史の先生で、とてもローマ帝国好きの 先生がいました。 イタリアに旅行に行き、ローマ市のコロッセウムを見た時は 泣いた・・という熱血の世界史先生でした。 当然ローマ帝国に関する授業も白熱。 「ローマが西欧文明の源なんです!」 と熱く語っておりました。 当然東ローマについても熱く語ってくれるかと 楽しみにしていました…
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