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  • オヤジのあくび545

    近藤勝重「昭和歌謡は終わらない」を読む2 コロナ禍以来、電車やバスの窓が少し開いている。けれど元々は下から上に大きく開いて、旅行中は車内から駅弁を買っていたものだ。駅のプラットホームは今も昔もわかれの場だけれど、汽車なら間に合うのに電車は無情に走り去ってしまう。伊勢正三の「なごり雪」をはじめ、多くの曲が汽車と書いているのは別れの時間の感じ方が、汽車と電車で変わってしまったからだろう。 昭和の話題で避けて通れないのが、安保闘争・学生運動。西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、加藤登紀子「一人寝の子守唄」かぐや姫「神田川」、荒井由実「いちご白書をもう一度」をネタに、ラブ&ピースと題した章であの時代…

  • オヤジのあくび544

    近藤勝重「昭和歌謡は終わらない」を読む1 話は、石川さゆりの「天城越え」からスタートする。改めて歌詞を読むと何ともおどろおどろしい言葉が並んでいる。心の底に渦舞く情念を歌い上げる演歌は、やはり個人芸だと思う。せいぜいデュエットか? 日本の歌は、個人芸か民謡のような集団芸か、いずれかの流れを汲んでいる。演歌にはアカペラハーモニーでは、表現しきれない世界が広がっているのだ。 箱崎晋一郎の名前が登場する。すぐ思い出せなくても、動画サイトに「熱海の夜」や「抱擁」のファルセットを交えた甘い歌声が残っている。続いて「あなたのブルース」パスキーボイスの矢吹健。著者は女心を歌った歌詞に言及しているが、その歌詞…

  • オヤジのあくび543

    洞口和夫「京急沿線謎解き散歩」を読む 謎解き散歩の難しさは、それが京急の謎なのか? その土地にまつわる謎なのか? 境界線が難しくその土地の話をするほど京急から話題が離れてしまう。 それでも現在に通じる話として感心したのは、関東大震災の十日後に京急は運転を再開していたという話で、現在の災害復旧の速さに通じている。それにしてもよく電気が通ったと思う。 東京以南へ向かう私鉄は「○○急」を称する会社が多い。小田急、東急、伊豆急、そして京急。これらの中で文字通り急いでいることを実感できる鉄道が京急線で、名前そのままの走りっぷりなのだ。その秘密の一つが新幹線と同じ標準軌の線路を走っていることだろう。トンネ…

  • オヤジのあくび542

    岡田直 監修「地図で読み解く京急沿線」を読みながら、思い出すこと3 横須賀の叔父さんの家に行く楽しみに、大楠山ハイキングがあった。三浦半島最高峰の山に行くのだ。最高峰と言っても241mなのだが、まだ小さかったせいか、すごく楽しみにしていたことを思い出す。 小学校5年生を受け持つと、社会科は産業学習で、工業単元は自動車製造を取り上げていた。追浜の日産工場も何度も見学伺い、お世話になりました。追浜駅を降りてひたすらまっすぐに歩くと、やがて日産工場が見えてくる。工場内の見学はバス利用なので、歩くのは京急を降りてからの長い一本道。車を輸出する船の大きさに、子どもと一緒に驚いていました。 その後正規職員…

  • オヤジのあくび541

    岡田直 監修「地図で読み解く京急沿線」を読みながら、思い出すこと2 上大岡には仕事を終えてから、よく飲みに行きました。WING開業で飲み屋街が無くなった後は、中央商店街に出かけていたものです。相鉄ジョイナスの地下にもありますが、ボクはカレーの「リオ」が好きで、今も時折WINGの地下で食べています。 大学グリークラブの思い出を書いていますが、お世話になったお二人の先生のご自宅が京急沿線でした。京急冨岡には指揮者の山根先生がPOLAの看板が出ているアパートの一階にお住まいで、マグロのお刺身パックを持って、指揮法を教わりに言っていました。今も記憶に残っているのは、ボクに「鵠沼の女声合唱団を指揮に行か…

  • オヤジのあくび540

    岡田直 監修「地図で読み解く京急沿線」を読みながら、思い出すこと1 まえがきより。阪神ファン、西武ファンと言えば、野球チームのファン。補足すれば一昔前の阪急ファン、南海ファンも同じ。けれど京急ファンと言えば、それは純粋に電車を愛する人々のことなのだ! と。 ところで横浜市内で暮らしているので、いくつかの駅には、それなりの思い出があります。そんな思い出話をしてみたいと思います。 まず現在は京急東神奈川駅と改称された仲木戸駅。名前からして宿場町を連想させるが、横浜紅葉丘合唱団が神奈川地区センターの音楽室で練習する際によく乗り降りしていました。1993〜2002年まで当合唱団の指揮者をやらせていただ…

  • オヤジのあくび539

    残る作品、残る演奏 小船先生が横浜国大で講義されていた頃と、私の学生時代は被っていそうなのだが、残念ながら受講した経験がない。教員として初めて着任した横浜市立深谷小学校の校歌が小船先生の作曲であり、当時音楽室の黒板には小船先生の自筆譜が消されずに残されていた。 出来不出来を問わなければ作曲と言う営為は、誰にでもできるので、今現在もすごい数の作品が生まれている。そのうちの何割かが実際に音になる。自作自演であればそこまでは容易に進める。 問題はその後で、聴き手の心に響き、記憶に残るか? 忘れ去られてしまうか? バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン、エルビスやビートルズなどの超大物は、遺産の当選確定…

  • オヤジのあくび538

    和田美代子「声のなんでも小事典」を読む 小事典となっているが、声に関するQ&Aを71項目列挙して、声に関する疑問や悩みについて解説しいく仕組み。ボク的にはつまみ食い的に、気になった項目について手を伸ばしてみたい。 NHKに「おかあさんといっしょ」と言う長寿番組があり、ボクが小さかった頃から放映されている。歌のおにいさん、おねえさんが登場するが、概して高めの声で子どもたちに話しかけている。声の高さを子どもたちに合わせているのだろう。歌のお爺さん(←ちょっとキモい)のボクも子どもたちと歌うときは原則ファルセットにして高さを合わせていた。高めの声で歌うと子どもたちも明るく澄んだ声で歌ってくれるような…

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