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  • オヤジのあくび266

    教職員の多忙化について考えてみた3 何でも教えておかなきゃ!からの脱却。 私が教員になったのは、1979年の4月でした。その頃は教えていなかった科目や内容が、今はあります。 小学校低学年の生活科。1・2年生から社会科と理科がなくなりました。 総合的な学習の時間、例の物議を醸したゆとり教育の時代に登場しました。もっと趣旨をあまねく伝えるとよかったのですが。 外国語活動の時間。まさか小学校の先生になったのに、英語を教える日が来るとは思わなかったです。アシスタントイングリッシュティーチャーの先生がいらっしゃるおかげで、子どもらの発音は本当に素晴らしい! 道徳は、昔からありましたがまさか教科になるとは…

  • オヤジのあくび265

    教職員の多忙化について考えてみた2 なぜ会議に追われているのか? 子どもが下校すると、一息つくまもなく即座に会議が始まる。サポートが必要な子の学習を見ている余裕はない。そちらの方が大事なのに。 なぜ、こうなったのか? 長いこと勤務している小学校に限って言えば、土曜日の授業が無くなったことと関連している。その分が月曜日から金曜日の時間割に上乗せされて、ほとんど毎日6時間授業になってしまったのだ。子どもたちも1980年代の前半までは14:30頃には下校できたのに、今は15:30過ぎです。当然放課後友だちと遊ぶ時間なんてない。よく稽古事が遊ぶ時間を奪っているという意見がありますが、少し違います。下校…

  • オヤジのあくび264

    教職員の多忙化について考えてみた1 教え甲斐がある部活から、担当だからやらされている部活へ 部活動は、教育課程の外にある活動で、少しだけ手当ては出ますが、本来は給料の対象外であります。「部活を通して健全な子どもたちを育てる」この目的に異を唱える人は少ないでしょう。教員がそれぞれの得意な分野を活かして、部活動の指導にあたることは、好ましいことだったはずです。 私も初任の頃、大学で合唱団の指揮をしていたことが、なぜか? バレていて合唱部の指導にあたったことがあります。もちろん勤務時間外でしたが、もともと音楽が好きだったこともあり、それほどにストレスを感じることなくやらせていただきました。 その部活…

  • オヤジのあくび263

    本郷和人、中野信子「戦国武将の精神分析」を読む はじめの方に登場するのが、斎藤義龍と伊達政宗。二人とも父親を殺している。一介のしがないオヤジとしては、息子に殺されたらたまらないけど、時代は戦国時代の話。伊達政宗は、眼をえぐり取られて独眼だと思っていたら、そんなことはなくて眼が出ていてそれを隠したかったらしい。何かと目立ちたがりで派手なパフォーマンスという印象だけど、本書ではそれは自己肯定感の低さの裏返しだと語られる。 続いて、徳川家康。忍耐を重ねた一生だが、まぁ、晩年は暴走老人。人質生活の影響で身内であって人を信じることがなく、身内でも長男殺しが平気だった。もちろんそれを命じた信長は酷い男だが…

  • オヤジのあくび262

    昭和を語ろう3 舗装されていない道には、水たまりができてアメンボが泳いでいた。ドラえもんによく出てくるけれど、子どもたちは公園ではなくて土管が置いてある空き地で遊んでいた。なぜ、あのような広場があちこちにあり、子どもが自由に出入りすることができたのか? 今考えると不思議だが、ジャイアンが土管の上でコンサートをやっているようにみんな平気で土管に登って遊んでいたのだ。もう一つは路地。クルマが入っていくには狭い、ほとんど歩行者専用のような道幅は、キャッチボールにうってつけだった。 それらが無くなっていくと同時に、子どもたちも何かを見失ってしまったようだ。 あの時代の温もり感を「三丁目の夕日」では伝え…

  • オヤジのあくび261

    昭和を語ろう2 高度経済成長の影の部分は、儲かるためなら、生産を上げるためなら・・による倫理観の崩壊。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病を始めとする公害問題が次々に起きた。本来自然を畏怖し神格化して来た民族の為した仕業とは思えない。そこで環境庁が創設されて、それなりの公害対策を打ち出したのだ。どうも「誰でもそんなことは知ってるさ!」的なことを書いている気がする・・。 皆様は、発ガン性が指摘されたチクロのことを覚えていらっしゃるだろうか? 現在も日本では使われていないが、1956年に許可されて使用禁止になったのが1969年のことだから、私の子ども時代も完全に被っており、おそらくジ…

  • オヤジのあくび260

    昭和を語ろう1 景気がいい時代があったのよ 子どもの頃、明治100年で「明治は遠くになりにけり」などという呟きが聞かれた。 さて昭和。平成〜令和と移り変わりを感じることができるのは、元号制度のありがたみなのだろう。 昭和31年生まれの私が、周りのことがわかり始めてから中学生の頃まで、日本は結構景気がよく、しかも身の回りにさまざまな製品が電化自動化された。社会科の復習のようだけど、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビの時代に続いて、すぐカラーテレビ、車、クーラーが、アポロ宇宙船が月に着陸した頃に、一般家庭にも着陸した。それらを賄えるだけの電力が確保できることに何の疑いも抱いていないし、二酸化炭素排出の問題…

  • オヤジのあくび259

    鶴岡真弓・松村一男「ケルトの歴史」を読む 本書のわかりやすさは、豊富な図解と共に地域別にケルト文化の特徴を紹介しているところです。例えば、シーザーのガリア戦記に登場する大陸のケルト文化とグレートブリテン島およびアイルランドに見られるケルト文化をそれぞれ章を分けて解説している。 とりわけ興味を引くのは、ケルトの文様についてで、この辺りが日本の縄文の特徴との類推で語られる所以なのでしょう。宗教も大陸からやってきたキリスト教をどのように受け入れ融合していったのかが語られる。後からやって来た別の文化に主役の座を明け渡しているところも、縄文と弥生文化の関係に似ている。 ここから突然話は、漠とした妄想に飛…

  • オヤジのあくび258

    金森修「ベルクソン」を読む3 解説者は最終章で習慣についてふれる。習慣を獲得するのは生物だけだが、機械的に習慣を繰り返しているのは、予期できない偶発的な事件に備えるための準備だという。少なくともそれに対応できる部分を余白? としてキープしておく。 この余白は、自由という言葉に置き換えられる。私たちは過去の奴隷ではない。本当の時間とは瞬間瞬間にとてつもない産出能力を秘めているのであり、本来的には私たちは存在の奥底から自由な存在なのだ! この希望や可能性を仄めかすベルクソンの言葉が、後世ドゥルーズに影響しているのは、ほぼ疑いないと思う。同じところをグルグル回っている時間から抜け出すヒントが隠されて…

  • オヤジのあくび257

    金森修「ベルクソン」を読む2 解説者は知覚について語り始める。ぼくは今スマホに「?」何か思いついた文字を打ち込んでいる。けれどその文字がその文字でなければならない理由は、さほどない。あえて言えば、たくさんある可能性の中から多くの可能性を捨て去って、その文字を選んでいるのだ。今スマホやパソコンでこの文を読んでくださっている方も、何もこんなことをしていなくてもいいはずなのに、他の行動を捨てて、私の拙いブログを読んでくださっている。この捨て去る行為こそが知覚であるならば、知覚とは省略であり無視である。 そして言語。「読む」とか「書く」ということばに行為を言語にすることで、生の流れは固定し、決定される…

  • オヤジのあくび256

    金森修「ベルクソン」を読む1 最近、今頃になってドゥルーズやデリダの解説本を読んでみた。ドゥルーズの前にはベルクソンが居たわけで、金森さんの平易にほぐそうとしている解説にもかかわらず、なかなかに難しい。 例えば「純粋持続」。今のこの原稿を読んでくださっている方、そうあなた様は、読み始めてからすでに数秒が経過しているでしょう。その数秒とは空間の流れを定量化したものです。けれどその「空間的なかさぶた」の下に生の流れである純粋持続が隠れているという。例えば、漫画を見て笑うのは、描かれた絵やセリフの中に、機械のように本来の生とは違う不自然さ=齟齬を感じてしまうからだと言います。そんなはずないよね、おか…

  • オヤジのあくび255

    和田秀樹「感情的にならない本」 この本は金太郎飴のような本で、切り口に見える金太郎さんの顔はいつも笑っている。「感情的にならない本」とタイトルされているけれど、ポジティブに生きるためのテクニックというタイトルでもいい。一応は順に読んでいく方がいいのだろうけど、時間がなければ、どこかパッと開いた頁から読み始めたって構わない。例えばキーワードを抜書きしながら読んでいたのだけど、以下のキーワードから気になった言葉があれば、そこだけ読んでもいいかもしれません。 不機嫌になりそうなメール→黙殺 森田療法=感情は放っておけばだんだん収まってくる=気にしない。 思い込みが強いから、まともにイヤな態度や反論を…

  • オヤジのあくび254

    新島襄「わが若き日ー決死の日本脱出記」 新島襄自身の筆による部分は、「わが若き日」と函館を違法出国しボストンに到着するまでの航海記、それにあちこちから家族に宛てた手紙で構成されている。「わが若き日」では、安中藩の武士の家に生まれた新島襄=本名は七五三太(しめた)が、殿様の命に従うよりも広く世界に出て学びたいという気持ちを募らせていく様子が書かれている。 結果として、ボストンで学び、日本人初のアメリカで学士となった他、アマースト大学で学んでいた縁からクラーク博士が日本にやって来る。さらには岩倉使節団の木戸孝允付きの通訳となり、ヨーロッパの教育制度を視察することになる。 日本に帰るのは、アメリカ=…

  • オヤジのあくび253

    林好雄、廣瀬浩司「デリダ」を読む。 息子が我が家に帰ってきた時に、哲学談義になることがある。デリダの言う差延とは? のような話になると当方はほとんどお手上げなのだが、そのまま白旗を掲げ続けているのも悲しいので、オヤジのあくび250のドゥルーズに続いて、デリダも読んでみた。 フランスの植民地であった頃のアルジェリアにユダヤ人として生まれたデリダの出自、彼が受けた教育、さらには教職の履歴が紹介される。気づくのは、フランスという国の教育課程で哲学に大きなウエイトが置かれているということだ。 翻って現在、日本の青少年が、哲学に触れる機会が何と少ないことか! 何も西洋哲学でなくともよい。東洋の思想宗教も…

  • オヤジのあくび252

    船山隆先生の「武満徹の音楽と自然」を聴く 明治学院大学の日本近代音楽館からご案内をいただき、船山隆さんの「武満徹の音楽と自然」をYouTubeにて拝聴しました。 武満徹の生涯を、鎌倉に住んでいた当時から追いかける形で、最晩年までを語って下さった。その中で、どのような環境の中で武満徹の音楽が生まれたのか? を強調して話されていた。多摩湖の湖畔に住んでいた時代、軽井沢近くの御代田の別荘にいた時代など。 とりわけ水面に描く模様や音について。1960年作曲の「水の曲」を聴いてみました。具体音楽なので音の素材は水の音そのものなのだけど、独特の間の取り方や水の響き(音の高さも含めて)の構成は、やはり武満徹…

  • オヤジのあくび251

    佐藤伸行「世界最強の女帝 メルケルの謎」を読む ドイツという国は、中世の頃、神聖ローマ帝国として君臨した奇妙な自意識をまだどこかで引き摺っているのだろうか? ヴィルヘルムⅡ世の頃の3B=ベルリン→ビザンティン→バグダッド計画、そしてヒトラーの第三帝国に象徴的なように、ゲルマン民族としてのプライドが高く、どうも危なっかしい。 けれど現在、イギリスがEUからの孤立を勝手に選択した結果、実質ヨーロッパの盟主はフランスであるよりもドイツである。そしてそのリーダーがメルケルその人である。 プロテスタント牧師の父を持ち、メルケルは何と生後数ヶ月で西ドイツから東ドイツに移住するという逆コースを辿っている。東…

  • オヤジのあくび250

    檜垣立哉「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」 「なんでもあり」の時代がやって来た!と感じたのは、1990年代だろうか? その頃も小学校の先生をしていたわけですが、学校とか教師が既成の価値観や虚しい権威に寄りかかれば寄りかかるほどに、砂上の楼閣のようにボロボロに崩れていってしまう過程を自分なりに感じていました。近代はもはやおしまいでポストモダン。丸山真男や鶴見俊輔らの言動からイメージされる市民像は過去のもの・・らしかった。 もうそれから20年以上の時が流れてしまった。 ドゥルーズの立ち位置を理解するために、デリダの差延という造語が有効な気がする。二人とも現時点における不在を語っているのだけれど、…

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