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南国土佐へ来てみいや http://nangokutosa.blog47.fc2.com/

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡

オンチャン
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2008/03/12

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  • 中島興市郎生誕地 - 遠祖は長宗我部元親重臣・中島与市兵衛重勝

    [ 高知県土佐市新居 ]中島興市郎の墓所は以前に御紹介しちょりますが、今回は生誕地ながです。中島興市郎 - 国境まで脱藩するも足を痛め追っ手に囲まれ自 2016-12-15生誕地碑の建っちょります場所は、現在、畑になっちょります。贈従五位中島與一郎中島與一郎は土佐国高岡郡新居村の人にて、郷士格より進められて藩士と成る文久年間、尊攘の説盛んなるに常り、武市半平太に従ひ時事に奔走せしが、武市等獄に下りて、志士の勢大...

  • 穴地蔵 - 岩屋で弘法大師や性空上人も修行をしたとの伝説が残る

    [ 高知県土佐市谷地 ]以前御紹介しちょります、土佐市谷地にある法華寺跡の仁王門から道なりに800m程南の山の方に上った場所に、この穴地蔵さんが祀られちょります。谷地の木造金剛力士像と影向の杉 - どちらも県と市の指定文化財 2016-12-13 正式名称は「岩屋地蔵」という。岩窟の中に三体が鎮座し、中央が本尊である。藩政のころ、岩淵某という郷士が、法華寺へ石地蔵を奉納しようと持参したところ、「出来が悪い」と、住僧が...

  • 大法寺観音堂 - 奈良時代に比江国分寺の北東の鬼門封じとして建立

    [ 高知県香美市土佐山田町大法寺 ]大法寺集落の北、標高約360mの山腹にある大法寺観音堂と、右側には白山神社が鎮座しちょります。この大法寺観音堂の下の方に、以前ご紹介しちょります「伝・武田勝頼」と伝わる墓があるがです。 伝・武田勝頼墓 1 - 天目山の一戦に敗れ土佐に逃れて来たと伝承あり 2016-10-31 三間四面方形造の観音堂と、堂内の人物代の観音像を安置する厨子が建造物として指定されている。文化文政時代の特色...

  • 金岡城址 - 安芸氏滅亡後は夜須城主・吉田備後守重俊が支配

    [ 高知県安芸郡芸西村和食 ]金岡城址は、和食の 標高約40mの台地にあるがです。金岡城址金岡城は、南北朝が対立したとき、南朝方の大高坂松王丸らと共に北朝方と戦った、和食孫三郎の城であった。戦国時代まで和食郷一帯を和食氏が治めていたが、境を接する安芸氏との争いが繰り返されたのち、天文年間(1532-1555)のころには安芸氏の領地となった。永禄十二年(1569)に長宗我部の二千騎が金岡城に押し寄せ、城を守っていた安芸方...

  • 遍路石 - 第34番種間寺境内入口の中務茂兵衛 「弐百五十二度目」の遍路石

    [ 高知県高知市春野町・種間寺 ]四国霊場第34番札所・種間寺境内入口脇に、この遍路石は建てられちょります。右指差し(西) 種間寺へ三丁 左指差し(東) 雪渓寺へ一里余施主 福井県敦賀港 青池弥輔大正三年三月吉日立弐百五十二度目為供養敬立周防国大島郡椋野村住 願主 中務茂兵衛義教中務茂兵衛さん、四国巡礼252度目の時の遍路石ながです。MapFan地図へ...

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