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函館 Glass Life https://blog.goo.ne.jp/ise5678/

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主とスタッフの 仕事と趣味と日常の奮闘日記!

ise5678
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2007/07/09

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  • どうする家康、忠誠心と信仰心の狭間!!

    いよいよ家康と一向宗徒の戦いが始まりましたねお寺は、不入の権を逆手にとって富を蓄え、武具や武器を揃え、城塞化した武力を伴った自治集団と化していたようですまるで国衆見たいですね。自国領にこの様な勢力を抱えているのですから、領主としてはたまったものではありませんどうにかして、自国での一向宗の力を削ぐしかなさそうです一向宗との対立は、避けて通れなかった争いだとも言えますとわいえ、武力では中々解決しないので、家康は政治的な解決を模索したようです反乱に加わった家臣はお咎め無し。寺は元通りに戻すというものです。表面的には一向宗側の要求を全てのんだ形ですねしかし、この譲歩案には裏があります武力解除後、直ぐに寺を破却し領内での一向宗を禁じてしまいます約束を反故にされた一向宗側は当然文句をつけますが、後の祭り。元通りに戻す...どうする家康、忠誠心と信仰心の狭間!!

  • どうする家康、一向一揆の始まり!!

    地雷を踏んでしまった感のある元康ですねいよいよ三河一向一揆への突入です加賀の一向宗徒は大名並に100年も加賀を統治していたといわれています元康も一歩間違えれば加賀の二の舞になりかねません。現世での自らの命をも省みない一向宗徒は、元康最大の試練となりそうですね元々、お寺は守護不入で、税の徴収や罪人逮捕も拒否出来たと言われています自分の領国でありながら一種の治外法権状態だったのです一揆の本拠地・本證寺は堀もあり、そこそこのお城といった感じだったようですね。住職の空誓は怪力の持ち主で、甲冑を身に着け、僧侶と言うよりは武将といってもいいのかも知れません「現生の罪は現世限りだ!!」と宗徒に鼓舞し戦いに導いたのですから、宗徒にはカリスマ的な存在だったのは間違いなさそうです現世で何をしても、来世では間違いなく極楽浄土へ...どうする家康、一向一揆の始まり!!

  • どうする家康、ネゴシエーター数正!!

    本当の意味での瀬名奪還計画が始まりましたね鵜殿長照を人質に出来れば一番良かったのですが、中々うまくはいきません長照の息子、氏長と氏次を生け捕りにしただけでも大成功と言えますよね数の上でも、交換要員の格から見ても普通はあり得ない交渉ですが、後は松平家の外交官・石川数正の腕次第です元康独立を境にして三河では今川に反旗を翻した国衆達が増えていったと言われていますが、勿論、氏真が手を拱いていた訳ではありません裏切った国衆の人質を惨忍な形で処刑したと言われています当時としては当たり前の事かも知れませんが…しかし、何故か元康の子供達は直ぐに処刑される事はありませんでした何故でしょうか?もし、元康の妻と子供達を処刑してしまえば、元康を中心とした三河の武士たちが、反今川として結託してくる可能性が大きくなりますそうなると今...どうする家康、ネゴシエーター数正!!

  • どうする家康、瀬名奪還計画!!

    妻・瀬名を奪還するため、殆どの家臣の反対を押し切り藁をもすがる思いで本多正信に望みを託した元康その正信に焚きつけられたのが、すっかり落ちぶれた服部半蔵です上手くいくと思われましたが、瀬名の母・巴から鵜殿長照の妹・お田鶴を通して長照に知れてしまいましたね関口家の屋敷に忍び込んだ服部党を待ち受けていた鵜殿長照の家来に散々矢を射かけられます結局、瀬名奪還計画は土壇場で失敗瀬名達は捕らえられ、氏真から死罪を言い渡される始末。正信の計画に一縷の望みを託した元康ですが、万策が尽きた感じですね。史実としては、正信による瀬名奪還計画は考えられませんが、ドラマとしては中々面白い設定だと思うのですが落ちぶれていた本多正信と服部半蔵が、世に出ていく瞬間を見ている様な錯覚を感じてしまいますところで…岡崎城に入った元康は、最初から...どうする家康、瀬名奪還計画!!

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