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  • 古い基礎なく杭打機高く立ち(新河岸川・弁天橋)

    2月の中旬、弁天橋の工事現場は、敷き詰められた鉄板の上に、重機や車両などが広がっていた。右岸にあった古い橋の土台は、すでに解体されていた。その上の道のマンホールは、その全体がむき出しになっている。左岸の新しい土台の下には、岸に沿って細い溝が掘られ、その中に何か細長いものが作られ始めていた。仮設のフェンスから覗くと、あのマンホールとその先の現場が見えた。大きな水槽には、いっぱいの水が入っていた。青い重機の側には、鉄筋の固まりが置かれている。古い土台を壊した残骸のようだ。その後方には、水槽と同じような箱が複数ある。右岸の河川敷には土が積まれ、その上に重機があった。それから1週間後、歩行者用の橋の手前から、高く伸びた重機が見えた。作業場の右岸に寄った所に、杭打機が立っていた。右岸の古い土台があった所は、あまり変...古い基礎なく杭打機高く立ち(新河岸川・弁天橋)

  • 寒波でも桜満開メジロ2羽(長徳寺)

    寒波が来ているのでどうかなと思ったが、長徳寺の早咲きの桜は、遠目にも咲いているのが分かった。近づいてみると、1週間前とはまるで様子が違う。また長い寒波が来たので、さらに遅れると思っていたが、順調に開花が進んでいた。どの枝も花でいっぱいである。横に伸びた枝にも良く咲いている。その枝に、2羽のメジロが来ていた。2羽は小さな声で鳴きかわしながら、忙しく動いている。こちらに背をむけ、ぶら下がっ姿勢で花の密を吸っている。しばらくそうしていたが、やがて急にいなくなった。新しい本堂は、工事車両が少なく、その全体が良く見えた。それにしても、メジロはどうやって、桜の密が吸えることを知るのだろう。寒波でも桜満開メジロ2羽(長徳寺)

  • 滝下の取付道路いつできる/さらに渡れるいつの日なのか(新河岸川・滝下橋)

    仙波河岸史跡公園を出て、新河岸川の土手道を上流へ歩く。滝下橋の手前は通行止めで、なにやら工事をしているようだ。対岸にはダンプと重機があり、こちらは実際に工事中だった。住宅地を抜けて迂回すると、滝下橋の断面が見えていた。以前見たときは、ここに黒い土嚢が積まれていた。なにか次の工事が始まるようだ。橋のすぐ上流側には、新しい護岸がはっきり見えていた。その先の柵の看板があるが、枚数が増えていた。上流側の看板には、「滝下橋の取付道路工事をしています」とあり、工期は「令和7年3月28日まで」となっている。歩行者用の橋から下流を見る。橋の側の護岸と、上流側の護岸の間は、まだかなり距離がある。橋のすぐ先の水面に鳥の群れが見えた。数が多いので、ヒドリガモのようだ。滝下橋の工事現場入口に警備員さんがいたので、「3月末には渡れ...滝下の取付道路いつできる/さらに渡れるいつの日なのか(新河岸川・滝下橋)

  • 早咲きの桜足踏みまだ3分(長徳寺)

    仙波河岸史跡公園のまだ咲いていない河津桜を見た翌日、長徳寺の早咲きの桜を見に立ち寄った。山門の手前からは、あまり咲いているようには見えなかった。近づいて見ても、やはり花は少ない。前回見たときから2週間が過ぎ、普通なら見ごろになっていてもおかしくはない。下から見上げても、蕾が目立つ。全体にはまだ2、3分だろうか。所々にまとまって咲いているが、ごく少ない。毎年、この桜でメジロを見るが、それはまだ少し先のようだ。本堂もまだ工事中だった。今週はまた強い寒波が南下しているので、見ごろになるのはさらに遅れるかも知れない。早咲きの桜足踏みまだ3分(長徳寺)

  • 紅梅も梅もバトンをつなぎ咲き(菅原神社)

    仙波河岸史跡公園の帰り道、菅原神社に寄ってみた。石碑の側の梅は、白梅は以前と同じようだったが、紅梅は少し衰えて見えた。道路を渡り、石碑の前から見ると、梅はほぼ満開だった。近づいて見ても、やはり多くの花でいっぱいだった。一方、紅梅の方は、やや見ごろを過ぎているように見えた。それでも、場所によってはまだ良く咲いている。参道脇の梅は、大分咲き始めていた。特に上の方の枝に花が多かった。そこから、社殿前の紅梅が咲いているように見えた。行ってみると、やはり咲いていて、2週間前とはかなり違う。まだ満開ではないが、見ごろになっていた。しかし、社殿の右側の梅は、まだ咲いていなかった。枝を見てもまだ蕾だけで、その蕾もまだ堅そうだった。2週間が過ぎたが、その間に強い寒波がやって来たので、河津桜も梅も咲くのが遅くなったようだ。紅梅も梅もバトンをつなぎ咲き(菅原神社)

  • 河津まだ梅は咲けども古木なし/切り株まわり子供が走る(仙波河岸史跡公園)

    愛宕神社から階段を降りると河津桜があるが、まだ咲いていなかった。2週間前、咲き始めたという情報があったので、もうかなり咲いていると思ったので意外だった。前日夜の気象情報では、都内では河津桜が咲いたと言っていた。下に下りて枝を見回しても、咲いていなかった。その時、1疋のネコがゆっくりと歩いてきて、神社の方へ階段を上っていった。近くの木に、一か所だけ咲いていた。おそらくこれが、2週間前に咲いたという花のようだ。あちこち探してみると、すぐにも咲きそうな蕾が見つかった。しかし、全体が咲くには、まだ時間がかかり双だった。河津桜を見ている間も、公園の中からは子供たちの声が聞こえていた。東屋のある方へ行ってみると、園児たちがやみくもに走り回っている。奥に梅があるが、通路側はまだほとんど咲いておらず、柵に近い梅は良く咲い...河津まだ梅は咲けども古木なし/切り株まわり子供が走る(仙波河岸史跡公園)

  • 城絵図の裏の碑文は遠目なり/代り銘板柵にはあれど(本丸御殿)

    川越城址に残る本丸御殿。その左手に木の門がある。その更に左手前に、大きな石燈籠とともに石碑が建てられている。石碑は川越城の図で、下につぎのように書いてある。本図は、「日本城郭史資料」の川越城図をもとに作成したものです。この一角は木の柵で囲んであり、大きく「立入禁止」と書いてある。柵に沿って迂回すると、石碑の裏面が見え、そこに碑文が彫られているのが分かる。カメラで拡大すれば見えるが、直接ではよく読めない。石碑の前の柵には、金属製の銘板があり、そこに碑文が刻まれている。寄贈埼玉県立川越中学校・川越高等学校創立百十周年記念此処に城ありき。城は四百年余の歳月、川越の地を治理し、明治の世、微睡(まどろみ)に入れり。明治三十二年春この城址に県内三番目の公立中学校設置さる。是れ則ち埼玉県立川越中学校なり。城の本丸御殿曽...城絵図の裏の碑文は遠目なり/代り銘板柵にはあれど(本丸御殿)

  • 鷺カワウ鴨のんびりと冬の川(新河岸川・貝塚橋近く)

    貝塚橋の手前で、川の中に1羽のシラサギがいた。すぐ近くには黒い鳥も見える。シラサギの側にいたのはカワウで、ちょうど翼を広げ始めた。近くにはカモもいて、カモは河川敷の上に多くいた。近づくと、カワウは翼を陽に当て、羽繕いを始めた。シラサギも、長い首を向こう側に曲げると、真っ白の羽が風に靡いた。シラサギは、古タイヤの中に詰まった土砂の上に乗っている。河川敷では、カモたちが黙々と餌を食べてる。脇を通り過ぎても、鳥たちはこちらを気にしていない。カワウはずっと翼を広げた状態を続けていた。カワウは水中から突き出た木の枝のような所に乗っている。安定した古タイヤはシラサギに譲って、やや不安定な所で我慢している。冬になると、ヒドリガモは別として、種類の違う鳥たちが集まっているのをよく見かける。この日は、近くにネコの姿はなかっ...鷺カワウ鴨のんびりと冬の川(新河岸川・貝塚橋近く)

  • 蝋梅も梅も咲かずに消え去りぬ(近所の畑)

    国道の歩道沿いの建物の脇は、その様子が一変していた。ここには、色々な植物が植えられていたが、それが全くなくなっていた。その先には工事車両や重機が並んでいる。この辺りには、ロウバイと白梅が並んでいた。どちらも遅咲きで、ロウバイもまだ咲いていなかった。工事は少し前から始まっていたが、この一角だけはそのままだったので、ロウバイと梅の花は見られると思っていた。ところが突然、植物は一切なくなってしまった。この塀際には、塀に沿って新しい塀を作っていた。ここには、夏にはホテイアオイが咲いていた。複雑な形の土地だが、新しい塀は全体を囲んで作られている。奥の方にも作られているが、これからの季節は毎年菜の花が咲いていた。畑の痕跡はないと思っていたが、歩道のすぐ下に、その一部が残っていた。また別のところには、水仙のようなものも...蝋梅も梅も咲かずに消え去りぬ(近所の畑)

  • 円管は両岸つなぎ作業場に(新河岸川・弁天橋)

    1月の下旬、弁天橋の手前から見ると、銀色の円管は両岸の河川敷をつないでいた。歩行者用の橋から見下ろすと、下流側は両岸がつながり、上流側はまだ途中だった。橋を渡るとその下に看板があり、今度の工事は3月28日までとなっている。上流側には銀色の円管と、その上に敷く土砂置かれていた。それから1週間後の2月初め、円管の上には鉄板が敷き詰められていた。右岸の古い土台には、足場のようなもの組まれている。以前はその上を重機が掘っていたが、その跡にはマンホールがむき出しになっていた。そのすぐ先の赤い箱は、大きな水槽だった。円管を敷いた作業場は、対岸の八重桜の辺りまで広がっていた。看板には「(弁天橋下部工)その2」と書いてあるが、どんな工事になるのだろう。円管は両岸つなぎ作業場に(新河岸川・弁天橋)

  • 節分に早咲き桜ほころんで(長徳寺)

    節分の前日、長徳寺の本堂の様子を見ようと山門の方へ行った。手前の塀の上に早咲きの桜が枝を伸ばしている。もしやと思って枝を見上げると、やはり花が咲き始めていた。数は少ないが、間違いなく咲いていた。まだ少し丸まった感じで、ひっそりと咲いていた。新しい本堂の前には、まだ多くの車両が並んでいた。節分以降、大きな寒波がやってきて、桜の花も少し足踏みしたかもしれない。節分に早咲き桜ほころんで(長徳寺)

  • 節分の前日晴れて豆舞台/当日の朝冷たい雨が(喜多院)

    節分の前日の土曜日、喜多院の山門の両脇には看板が立てられていた。境内はわりと人が多く、山門側のだんご屋さんも盛況のようだった。境内には、食べ物の露店出ている。その先には、破魔矢とおみくじの店もある。手水舎の側にも、破魔矢とだるまの店が残っていた。その左側には、節分の豆まきの舞台が出来ていた。舞台は本堂の階段の上につながっている。階段の上から見ると、かなり狭く長い。先へ行ってみたが、通行止めになっている。階段の途中の大きな香炉は人気で、多くの人が立ち止まって煙を体にまとわせている。本堂の右手にも山門と同じ2つの看板があり、中央には多くの人がいた。今年の節分は、ちょうど日曜日になり、多くの人が豆まきに来ることが予想された。しかし、当日は朝から冷たい雨が降っていた。豆まきはどうなるか心配していたが、午後は雨が止...節分の前日晴れて豆舞台/当日の朝冷たい雨が(喜多院)

  • 節分に梅満開の天神社(菅原神社)

    節分の前日、菅原神社の石碑のそばにある梅が良く咲いていた。隣の紅梅も咲いているように見えた。ロウバイも咲いていたが、花の付き方は良くない。白梅はほぼ満開に見えた。横に伸びた枝にも多くの花が咲いている。しかし、近くで見るとまだ蕾が多く残っている。紅梅も白梅ほどではないが咲いていた。こちらもまだま蕾が多い。参道の途中の白梅は、まったく咲いていなかった。社殿に向かって左の紅梅は、まだ蕾だけだった。反対側に白梅があるが、これもまだ蕾が小さい。この神社の梅は咲く時期にずれがあるので、長い期間梅を楽しむことができる。このまま順調に開花が進むかたと思ったが、節分当日は朝から冷たい雨が降った。節分に梅満開の天神社(菅原神社)

  • 年明けて変化見られず休工か/上流護岸着々進む(新河岸川・新琵琶橋)

    1月の中旬、新琵琶の工事現場を小仙波跨道橋の反対側から見た。手前の重機を中心に、いろいろな物が置かれている。古い橋はまだ残っていて、その上にも何か置かれている。跨線橋を渡って上流を見る。川の上に広がった作業台の上には、以前と同じようなものが置かれている。その上流の護岸工事は、新しい護岸の手前(下流)の工事が始まっていた。それから1週間後、跨線橋の上から見ると、前回と変化がないように見えた。上流の護岸工事は、川をせき止めるような物が出来、そこから下流に溝が伸びている。さらにその1週間後、やはり新琵琶橋の状態は同じように見えた。その先の護岸工事は、以前は溝に見えたところに、木枠などが見える。こちらは、工事がどんどん進んでいるようだ。新琵琶橋の工事は、見る限り進んでいないようだが、この先どうなるのか?年明けて変化見られず休工か/上流護岸着々進む(新河岸川・新琵琶橋)

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