若い格闘通が知らないひと昔前の最強格闘技論をも紹介しながら、最強の格闘技は何なのかを探っていく。
結局は実現しなかったが、昭和27,8年頃に故・大山氏は空手の諸流派を統一するため「多摩川べりの決闘」といういわゆる御前試合?を企画していたようで、その事が当時の雑誌の記事にも載ったそうである。空手に直接関係無い柔道界の長老を審判長としてマスコ
人気絶頂だった第2次UWFは、東京ドームでU-cosmosと銘打った興行を行い、広いドームを満員にした。この時の興行は、ほとんど全ての試合(6試合)が異種格闘技戦という当時はまだ珍しい形態だった。この時行われた格闘技戦は、レベルの高低は別にして従来
前田UWFと佐山シューティング(嫌われ前田日明のトラブル人生 其の六)
第1次UWFに比べずっと「プロレス的」な第2次UWFを、社会への影響力が大きい文化人やマスコミがこぞってUWFは真剣勝負だとか、究極の格闘技だなどと囃し立て第2次UWFは大ブームとなった。確かに前田流?プロレスは、既存のプロレスに比べてスタイルに論理
前田は長州顔面蹴撃事件によって新日本プロレスを去ることとなる。去るといっても実際は無期限出場停止処分の後の解雇(クビ)であり、蹴撃事件と言っても実際はタッグマッチの単なるカットプレーでの思わぬ事故?であった。試合はタイトルマッチでも何
「反則の認識は無かった」と言い訳付きではあるが、秋山があっさりと不正を認め謝罪したのには正直驚いた。恐らく何か塗っていただろうとは私も思ってはいたが、秋山は試合直後「多汗症」などと疑惑を否定するコメントを出していたし、過去のこういったケー
K-1オフィシャルサイトにあった2006年ダイナマイトMVP&ベストバウト投票を見て驚いた。途中経過ではあったが、58%以上の投票率で桜庭が断トツの1位、1%以下の投票率で秋山が断トツのビリなのである。説明するまでもないが、この両者はダイナマイトのメ
正直、今の桜庭では秋山に勝つのは難しいだろうと思ってはいたが、私は間違いなく桜庭が勝つ事を願っていた一人で、大晦日の後味の悪い負け方は悲しかったし、あの試合のお陰で、正月を何となくモヤモヤした気持ちで過ごした。だから、他のブログで秋山の不
昨年末のダイナマイト(TV)は本当にひどかった。長時間(5時間半)で、ある程度は仕方ないのかもしれないが、過去に行われた試合を流している時間があまりにも多過ぎた。肝心のカードも、ハッキリ言ってはじめから勝敗がわかっているものが殆んどで、ただ
第1次UWFのファイトぶりを、マスコミはシューティングと書いた。シュートとはプロレス界の隠語でガチンコ、セメントといった意味=真剣勝負という意味だ。経営危機を乗り切る為、試合数の増加をめぐって実質的にエースだった佐山(増加に反対)と他のレス
1年余りのイギリス遠征から帰国した前田には、ポスト猪木としての輝かしい未来がそこにあった。マッチメイクや扱われ方を見れば、その期待度は一目瞭然だった。しかし、前田はその期待に応えることはできなかった。帰国第1戦こそポール・オンドーフに何
前田が最初に習い始めたのは少林寺拳法で、北陽高校時代には無想館拳心道という聞き慣れない道場に通い始める。無想館拳心道という流派は、少林寺拳法5段を取得した岩崎孝二という人が独自の流派を興したもので、そこで支部長を任されていた田中正悟氏と出
一時期、格闘王と呼ばれていた前田日明は非常に魅力的なレスラーで、短期間ではあったが間違いなく彼は、プロレス界のみならず格闘技界のカリスマであり中心的存在であった。彼がいたからこそ、今よりもずっとマイナーだった格闘技は、少しだけメジャーにな
K-1,PRIDE,UFC,HERO’Sというのは概念であり試合方法であり、空手や柔道等の武道、レスリングやボクシング、キック等の格闘スポーツのように、それ自体に伝承されていく技術体系がある訳ではなく、それらのものすべてを含んだもの、団体
高専柔道とは、昔行われていた学校柔道の一部で、寝技の柔道なのである。高専柔道の選手であった作家の井上靖氏は、高専柔道を「練習量がすべてを決定する柔道」と表現している。柔道において投げ技が上手いかどうかは、生まれついての才能がかなりのウ
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