1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、米国東インド艦隊のペリー総司令官が蒸気外輪艦2隻を含む4隻の艦隊を率いて浦賀に来航。幕府に米国大統領の国書を渡して開国…
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、米国東インド艦隊のペリー総司令官が蒸気外輪艦2隻を含む4隻の艦隊を率いて浦賀に来航。幕府に米国大統領の国書を渡して開国…
毎年のことですが、自宅近くの荒れ地と公園の2カ所に、ハス(蓮)の蕾のように先の尖った黄色い「苞」を付けた「地湧金蓮」(チユウキンレン)が姿を見せる季節となりま…
「百合の花」が見頃を迎える時期となりました。 今までの僕は、"ユリの花は全てユリ科"と思っていたのですが、「ユリ科」としているのは「クロンキスト体系」だけで、…
我が家のドイツ・アヤメ(German Iris)の行く末は?
我が家の敷地の片隅に、今年も「ドイツ・アヤメ」(英名:German Iris)が咲いています。 欧米地域では、花色が白・黄・紫・青・茶・橙・桃と多彩である事と…
東京都東部多摩地区の我が家の狭隘な敷地に置いている鉢植えの英国薔薇「Gertrude Jekyll」(ガートルード・ジェキル)が今年も元気に咲き始めました。 …
前回までの粗筋60年以上前の青年時代に南氷洋での捕鯨業に従事していた友人とコーヒー店の「スターバックス」で雑談していた時、店名の「スターバックス」の謂れは、米…
2月中旬頃から3月中旬にかけて、ギックリ腰ならぬ「ギックリ背中」(下図)を患って着座での作業が困難となりブログ投稿から遠ざかっていましたが、3月中旬頃に快癒し…
去年12月の拙ブログで掲載した19世紀の米国式捕鯨帆船の記事と絵図(下掲)を見た85歳の先輩氏から、米国式捕鯨船の絵図の黒煙から判断すると、当該捕鯨船は帆船で…
3/3:米国捕鯨船が鯨油を採取するために抹香鯨だけを捕獲していたのは何故?
前回ブログでは、米国の捕鯨船が機械用の高級潤滑油として高利益を得られる抹香鯨の鯨油(一頭当たり4~6トン)を専ら捕獲していたことを書きました。 一方食用油や高…
2/3:米国捕鯨船が鯨油を採取するために抹香鯨だけを捕獲していたのは何故?
前回の拙ブログを読んだ飲み友達から「米国の捕鯨船は、如何して鯨油を採取するのに抹香鯨だけを捕獲していたの?」と訊ねられました。 前回ブログでは、江戸末期に蝦夷…
1/2:米国捕鯨船が抹香鯨の鯨油だけを捕獲していたのは何故?
19世紀の米国捕鯨船は、ベーリング海、オホーツク海、蝦夷近海(現:北海道)、ハワイ西方沖、小笠原近海、そして日本近海に生息する抹香鯨(マッコウクジラ)の鯨油…
前回ブログでは、米国海軍東インド艦隊のペリー司令官が幕府全権の林大学頭復斎に対して、蝦夷海域で操業する米国捕鯨船に薪・水・石炭・食材・飲料水を供給する拠点とし…
前回ブログでは、米国海軍東インド艦隊(United States East India Squadron)のペリー司令官(Matthew Calbraith …
前回ブログでは、1854年3月8日(嘉永7年2月10日)午後から、幕府側の特別全権大使の林大学守復斎と米国側特命全権代表の東インド艦隊ペリー司令官による日米和…
1853年7月14日に浦賀に隣接する久里浜に上陸した米国東インド艦隊のペリー司令官は、米国大統領の開国と通商を求める国書を幕府に手渡し、その返答を受け取るため…
米国合衆国海軍東インド艦隊(USA East India Squadron)の第五代司令官のジェームズ・ビドル最先任大佐が徳川幕府との通商交渉を断念して帰国し…
5/5:ペリーの黒船来航の七年前、幕府との通商を求めて浦賀に来た米国東インド艦隊
副題:浦賀に上陸することなく出帆した米国東インド艦隊のジェームズ・ビドル司令官 前回のブログで、米国海軍東インド艦隊のジェームズ・ビドル司令官が、奉行所御用船…
4/5:ペリーの黒船来航の七年前、幕府との通商を求めて浦賀に来た米国東インド艦隊
副題:川越藩士による米国海軍東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルへの殴打事件 1845年5月22日、第11代米国大統領(J.K.Polk)配下の第17代海軍長…
3/4:ペリーの黒船来航の七年前、幕府との通商を求めて浦賀に来た米国東インド艦隊
副題:海なし藩の川越藩が三浦半島の海岸警固を担っていた背景と経緯 前回ブログで、海に接していない武蔵国入間郡(現在の埼玉県川越市)に居城を置いていた譜代大名の…
2/4:ペリーの黒船来航の七年前、幕府との通商を求めて浦賀に来た米国東インド艦隊
副題:米国艦船に強引に乗り込んだ川越藩士の内池 武者右衛門の話 1846年7月15日(弘化3年閏5月14日)、相州(相模国)沿岸の幕府直轄領(御料所)の海岸防…
1/4:ペリーの黒船来航の七年前、幕府に通商交渉を求めていた米国東インド艦隊
序章1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、米国合衆国海軍東インド艦隊の第10代司令官:マシュー C. ペリー艦隊司令官が率いる蒸気外輪船2隻と帆走艦2隻が浦…
現役時代の仲間と食した「豆腐擬き」の「胡麻豆腐」は絶品でした!
雨天のために花の撮影散歩も難しくてネタ切れとなり、本日の題材は、滅多に書かない苦手の食事のブログとなりました。 来週からも天候不良が続いて花の撮影散歩も出来な…
東京都多摩東部の自宅から少し離れた小さな雑木林に踏み入ると、陽の射し込む草叢に緑葉の「ヤブラン」(藪蘭)が群生していました。(下写真) 草叢に咲いていた緑葉の…
僕が「ノウゼンカズラ」を初めて見知ったのは、1989年に赴任したタイ国のバンコクでした。 タイ人富裕者の屋敷を囲繞する白壁の内側から道路側に垂れ出た蔓に濃橙色…
東京都多摩東部の散歩道に、中国原産の蔓性植物の「ノウゼンカズラ」(凌霄花)がアルミ柵に絡みついて濃橙色の花を咲かせていました。猛暑の時期に相応しい逞しい花に見…
1921年に近所の道端で枯れていた「百日草」の種子をハンカチで回収し、自宅駐車場の壁際に適当に蒔き散らしていたのですが、いつのまにか垂直に伸びた茎頂に橙色、桃…
急用で外出中の連れ合いから頼まれていた品物を購入した帰りに、日陰を求めて休憩した緑陰の近くに白花の「テンジクボタン」(天竺牡丹)が数本だけ咲いていました。(下…
僕が個人的に収集していた歴史資料を保存していた記憶装置の外付きDISK(1TB)が回復不能となり、「節穴から覗いた歴史の一齣」のブログを書く気力がすっかり萎え…
7号台風が北北東の洋上へ離れていった今日の東京都多摩東部は、雲一つない青空と猛暑が戻ってきました。 直射日光を避けながら、日頃はあまり足を踏み入れない道筋を歩…
今日からブログテーマ「節穴から覗いた歴史の一齣」の再開に備えて、外付きDISKの破壊で消失した歴史データの作成を再開しました。先ずは江戸末期の資料から順次手掛…
今年の年初、拙ブログの主題を「花ブログ」から「節穴から覗いた歴史の一齣」に変更して再出発したのですが、その後パソコンのキーボ-ドが破損して別売りの単体キーボー…
今まで「スイレン」(睡蓮)について複数回投稿しましたが、熱帯睡蓮と温帯睡蓮の違いについては、一度も触れていないことに気付きました。 国際植物分類学上の「スイレ…
東京都下多摩東部の散歩道にアオイ科(Malvaceae)フヨウ属(Hibiscus)の白花の「ムクゲ 」(木槿)が咲いていました。 「ムクゲ」(木槿)の花が咲…
市役所の健康検診に向かう道端に、ヒガンバナ科・タマスダレ属の桃色の「サフランモドキ」が咲いていました。当地に転居して来た約3年前に散歩中に出合った花です。 約…
東京都下多摩東部の西武鉄道国分寺沿線に、アオイ科フヨウ属の「モミジアオイ」(紅葉葵)が咲き始めました。去年も7月から9月にかけて咲いていたように思います。 「…
公園を囲繞する垣根沿いに柔らかい繊毛の葉を持つキク科の「シロタエギク」(白妙菊)が地植えされていました。(下写真) 二カ月前にチラッと見た時は、まだ薄緑色の羽…
近現代史の資料を保存している外付DISKの修復が未だに出来ていないので、本日も「歴史の一齣」の投稿を断念して花ブログを投稿します。 自宅前の畑の隅に、雑草扱い…
今日こそは「歴史の一齣」のブログを書こうと思ったのですが、近現代史の材料を記憶させている外付きDISKの不具合を修復することが出来ませんでした。 僕にとって多…
今日は「歴史の一齣」のブログを書く予定だったのですが、歴史材料を収めている外付きDISKをセットすると、「ディスク0パーテーション」と表示されて起動することが…
英名:Smoke tree、和名:煙の木 or 白熊木(ハグマノ木)
前回のブログでも軽く触れましたが、パソコンのキーボードが壊れたのでワイヤレス・キーボードを購入して試しにブログを書いてみたところ、故障前よりも短時間で打ち終え…
熱射病警告アラートが発令されていた先月末、2年7ヶ月前に受けた膀胱癌摘出手術後の定期的経過検査の為に、自宅から電動自転車で15分程度の病院に出掛けました。(下…
自動車免許証の自発的返納に合せて自家用車を孫に譲渡してガラ空きとなった駐車場に、連れ合いが挿し木した「マツバギク」(英名:Fig marigold)がグランド…
東京都多摩東部の自宅近くの仏教寺院の崩れかけた土塁に、「アカンサス」(Acanthus)が2m前後の茎を垂直に伸ばしていました。(下写真) 成長途上の「アカン…
数カ月前頃から、パソコンのキーボ-ドの一部が破損して文章を打つのが難しくなってしまったので、渋々修理に出そうと思っていたのですが・・・今日訪れて来た息子の提案…
先月から今月にかけて、東京都多摩東部の我家の狭庭にバラバラに地植えしているアヤメ科アヤメ属のジャーマンアイリスが次々と咲き始めました。 僕の記憶では、1980…
久しぶりに線路沿いの小道に足を踏み入れると、フェンスに絡みつく蔓の枝にジャスミンと思しき香りを辺り一面に漂わせいる無数の白花が咲いていました。 僕の連れ合いに…
今日のブログは、「節穴から覗いた歴史の一齣」を一休みして、約半年ぶりの「花」の話題です。 先ずは我家で5年前から鉢植えしている英国薔薇の「ガートルート・ジェキ…
ポツダム宣言執行のために日本国を間接統治していたGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の幕僚部の一つである民間情報調査局(略称:CIE Civil I…
6/7:漢字と仮名を廃してローマ字のみとするGHQの幻の国字変更計画
明治初期から昭和期にかけて、日本の漢字と仮名を廃してローマ字を導入する際に、ヘボン式ローマ字にするか、日本語式ローマ字にするかの論争も、大東亜戦争(太平洋戦争…
日本のローマ字表記の歴史は、江戸幕府開府期のポルトガル語式ローマ字から始まり、その後はオランダ語式、ドイツ語式、フランス語式、英語式ローマ字(ヘボン式)、日…
4/5:日本語の漢字と仮名を廃してローマ字に専用化する運動の始まり
これまでのブログで中国の漢字廃止論➡ベトナムの漢字廃止論➡朝鮮半島の漢字廃止論について書きましたが、本日と次回のブログでは、視点を転じて「日本の国字のローマ字…
前々回の"中国の漢字廃止論"、前回の"ベトナムの漢字廃止論"に続いて、本日は「朝鮮半島の漢字廃止」について整理してみたいと思います。近くて遠い存在なので資料不…
前回の拙ブログでは、漢字の本家本元の中国で「魯迅」や「銭玄同」が主張して受け入れられなかった「漢字廃止運動」について書きましたが、本日のブログは、「ベトナム国…
最近の僕の関心事項は、江戸中期から先の大戦直後までの間に、日本国内で何度も起こって消えていった「漢字廃止論」です。 例を挙げると、江戸中期に新井白石や本居宣長…
LINEの友人から次のような話題を提起されました。 「重複する船名を持つ海上自衛隊の艦船と海上保安庁の巡視船が13隻も存在している事を知りました。驚きです!こ…
四回に分けて投稿した「原子爆弾」に纏わる拙ブログの中で、「先の大戦」の呼称として、「大東亜戦争」(Pacific war)と書いたところ、知人から「"大東亜戦…
2月13日の拙ブログで、長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾(通称:ファットマン)と同一の形状と質量を持たせた模擬原子爆弾(通称:パンプキン爆弾)が日本の1…
米軍が日本の18都道府県30個所に投下した49発の模擬原子爆弾
先週7日の拙ブログで、米軍のB29戦略爆撃機が投下した焼夷弾に焼け出され、原子爆弾による爆風を被った僕の幼児体験について少しばかり書きました。 =僕の幼児体験…
原子爆弾をテニアン島に運んだ重巡洋艦インディアナポリスの悲劇
本日のブログは、広島と長崎に投下された原子爆弾を北マリアナ諸島テニアン島の米軍基地まで輸送した重巡洋艦インディアナポリスのその後の悲劇について書いてみたいと思…
昨年末のCNNのニュースだったと思いますが、大東亜戦争(太平洋戦争)の末期、日本の市街地への度重なる空襲、そして広島と長崎に原爆を投下した米陸軍航空隊のB29…
明けましておめでとう御座います。本年もどうぞ宜しくお願い致します。玄関前の正月飾りの材料を再利用 昨年末の29日にタイ在住時代の仲間と忘年会をして盛り上がった…
東京都多摩東部の近隣のお宅のシンボルツリーが赤い実を撓わに付けて垂れ下がっていました。(下写真) お隣の中国では、赤い果実が灯火の如く見えるので「南天燭」とか…
東京都多摩東部の自宅から少し離れた場所を散歩していると、赤い実を付けたバラ科サンザシ属と思しき花木に白花が咲いていました。(下写真) バラ科サンザシ属の種の中…
昨日の散歩中に、平凡そうに見える地植えの草花ですが、僕にとっては「初見の花」との出合いがありました。(下写真) スマホの花名アプリを起動すると、日本では「バコ…
昨日の散歩中に、「和名:紫紺野牡丹」と思しき花を見掛けました。(下写真2枚) とは言ても、Melastoma属の「野牡丹」なのか? Tibouchina属の「…
今朝七時の東京都多摩東部の気温は1.8℃でしたが、正午過ぎには7℃以上に上昇して寒さも少し和らぎました。 自宅から少し離れた西武鉄道国分寺線の線路と個人菜園を…
最近のTV放送は、バラエティ番組と薬品や化粧品等の特価販売CMがあまりにも多くて、視聴する気力が減衰しているのですが・・・ 報道番組を視聴した後に何となくYO…
タイ国の首都「クルンテープ กรุงเทพ」(英名:Bangkok)にある河川の商港「クルンテープ港 ท่าเรือกรุงเทพ」(英名:Bangkok P…
僕が居住している東京都多摩東部市内の新興住宅地内には、住宅用に区画整理済の土地に依然としてサトイモ畑として活用されている圃場が点在しています。(下写真)住宅地…
「蓮と睡蓮の違い」の再編版を投稿するに当たって、先ずは「和名:ハス」の花名の由来について整理して置きたいと思います。 日本漢字の「蓮」(ハス)の由来は、中国の…
今日のブログで「3/3:蓮と睡蓮の違い」を書くつもりでしたが、早朝に急用の電話が入って外出となってしまい、予定稿を書き上げることが出来ませんでした 明日の午後…
昨日投稿した拙ブログでは、2008年に投稿した「睡蓮と蓮の違い」(三部作)の中の「スイレン」(睡蓮)の記述の間違いを訂正して「①スイレンの花」として再編集しま…
アメブロ事務局から届くアクセス解析を見ると、僕が書いたブログ記事の中でよく読まれている「ベスト5」の中に、2008年に投稿した「睡蓮と蓮の違い」(三部作)が入…
イチョウの英語名「Ginkgo」の由来は、「銀杏」(ギンキョウ)でした!
東京都多摩東部の我家の近辺の「イチョウ」(銀杏)の葉は、12月10日になっても冴えない色をしていますが、昨日出掛けた東京都心の霞ヶ関界隈で見掛けた銀杏は、悉く…
我家で育てている「多肉植物」には、僕の連れ合いの好みの"鉢植え"と僕の好みの"地植え"の二形態があります。 上写真 連れ合いの鉢植えの多肉植物 撮影:202…
今年の5月に初めて観た「錦魚椿葉」(キンギョツバキバ)を7ヵ月ぶりに観ることが出来ました。(下写真) 錦魚椿葉 撮影:2023年12月6日 東京都多摩東…
先月の11月23日、僕の連れ合いが近所の農園で「葉牡丹」と「ビオラ」のポットを幾つか購入。その内の1/3を地植えにし、2/3を寄せ植えにしました。 近所の農園…
「ススキ」(薄)と言えば、秋季の風物詩の一つですが、今年の秋は瞬く間に通り過ぎてしまったこともあって、我家の近くの公園の「ススキ」(薄)の存在感は、例年と比べ…
去年の今頃に滅多に足を向ける事の無い場所で見掛けた「イソギク」(磯菊)の健気な姿が思い浮かんだので、久しぶりに同じ場所に出向いてみたところ、今年も元気に咲いて…
今朝の七時に目覚めてから玄関外に出てみると、なんと外気温が2℃になっていました。僕の気付いている限りでは11月以降の最低気温だと思います。今年の秋季は瞬く間に…
12月ともなると、自室の窓の目隠しとして植えている庭木の新葉が一段と濃さを増して紅くなりました。(下写真) 自室の目隠し木 撮影:2023年12月1日 東京都…
我家の近くの大地主さんの敷地に濃緑色の革質の葉をもつ生け垣があるのは前々から知っていたのですが、あまりにも地味な様相の小低木だったので気にもかけていませんでし…
二日前の快晴の正午、2年前に膀胱癌摘出手術を受けてから今日に至るまで継続して経過検査を受けている病院に出掛けました。 診断結果は、膀胱内壁の傷痕の回復も順調な…
我家の近くのお屋敷の庭に聳える高木の「サザンカ」(山茶花)に、薄桃色の花が幾つも咲いていました。(下写真) 約300の品種がある「サザンカ」(山茶花)は、大別…
11月が深まるにつれて我家の庭の彩りも少なくなってしまいました。 数日前、連れ合いが近くの農園で冬の花を買って寄植えと露地植をしたいと言うので、 運び役(古語…
「椿」(ツバキ)と「山茶花」(サザンカ)が咲く季節となりました。 去年の今頃、我家から少し離れた場所で見掛けた「椿の太神楽 ダイカグラ」(下写真)をも…
11月も下旬に入って気温も下がり、「モミジ」とか「カエデ」と呼ばれる落葉樹が色づく季節となりました。(下写真) カエデ属・冬モミジ 撮影:東京都多摩東部 但…
今日の東京都多摩東部の上空には青空が広がっています。朝方の気温は6℃でしたが、正午過ぎには18℃まで上昇しました。 近所の邸宅内の樹高10m前後の常緑樹の「ク…
外出中の僕の連れ合いから僕のスマホに「皇帝ダリア」の写真が着信。 数日間続いていた冬日でしたが、束の間の青空に他人様の「皇帝ダリア」が空高く咲いていました。(…
本日の東京都多摩東部は、最低気温8℃、最高気温13℃。早朝から続く風雨のために正午過ぎなのに寒気を覚える天候です。 本日は、外出予定を全て取り止めて自室に閉…
木枯らし第一号が吹いた11月13日、東京都多摩東部のアスファルト道路とブロック塀の継ぎ目から赤い花穂を突き出しているド根性の「鶏頭」を見付けました。(下写真)…
昨日の拙ブログで「瑠璃茉莉」(ルリマツリ)を投稿した折に、自分の植物写真を保存しているCDの中で「茉莉花」の中分類名を「マツリ」としたのが間違いだった事に気付…
11月の残暑が続いていた頃、外出から戻って来た連れ合いが「瑠璃茉莉(ルリマツリ)が咲き残っていた」と言いながら2枚のスマホ写真を見せてくれました。(下写真) …
今日の拙ブログの花木写真は、東京都多摩東部の他人様のお宅の垣根で見掛けた壷型の小さな白花を付けた「イチゴノキ」(苺の木)です。(下写真) 下掲のスマホ写真の撮…
東京都多摩東部の上空には、今にも雨が降りそうな鉛色の雲が広がっています。早朝の外気温は「9℃」、今日の最高気温の予報は「13℃」、まさに「秋」をすっ飛ばして一…
東京都多摩東部の市役所の二階壁から地上に向けて、今年もまた蔓性の「宿根朝顔」が垂れ下がっていました。(下写真) 宿根朝顔 撮影:今年の11月初旬 東京都多摩東…
昨日(9日)の朝のTV天気ニュースが、「夏日は9日(木曜日)で終わり、10日(金曜日)から冬日に突入する」と告げていたので、昨日は朝方から夜遅くまで東京都国分…
11月に入って八日目、東京都多摩東部の公園内の「イチョウ」(銀杏)の葉色の進捗状況を観たくて立ち寄ったところ、依然と真夏日のぶり返しが続いているからでしょうか…
東京都多摩東部の住宅地の植え込みに、「ムラサキシキブ」(紫式部)が紫色の丸い実を付けていました。(下写真) 江戸時代初期には、「紫敷き実」(ムラサキシキミ)、…
「縷紅草」の江戸初期の呼称は「柬埔寨朝顔」(カボチャアサガオ)!?
買い物に出掛けていた連れ合いから僕のスマホに、「ルコウソウ」(縷紅草)の写真が送られて来ました。(下写真) ヒルガオ科サツマイモ属の「縷紅草」(学名:Ipom…
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1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、米国東インド艦隊のペリー総司令官が蒸気外輪艦2隻を含む4隻の艦隊を率いて浦賀に来航。幕府に米国大統領の国書を渡して開国…
毎年のことですが、自宅近くの荒れ地と公園の2カ所に、ハス(蓮)の蕾のように先の尖った黄色い「苞」を付けた「地湧金蓮」(チユウキンレン)が姿を見せる季節となりま…
「百合の花」が見頃を迎える時期となりました。 今までの僕は、"ユリの花は全てユリ科"と思っていたのですが、「ユリ科」としているのは「クロンキスト体系」だけで、…
我が家の敷地の片隅に、今年も「ドイツ・アヤメ」(英名:German Iris)が咲いています。 欧米地域では、花色が白・黄・紫・青・茶・橙・桃と多彩である事と…
東京都東部多摩地区の我が家の狭隘な敷地に置いている鉢植えの英国薔薇「Gertrude Jekyll」(ガートルード・ジェキル)が今年も元気に咲き始めました。 …
前回までの粗筋60年以上前の青年時代に南氷洋での捕鯨業に従事していた友人とコーヒー店の「スターバックス」で雑談していた時、店名の「スターバックス」の謂れは、米…
2月中旬頃から3月中旬にかけて、ギックリ腰ならぬ「ギックリ背中」(下図)を患って着座での作業が困難となりブログ投稿から遠ざかっていましたが、3月中旬頃に快癒し…
去年12月の拙ブログで掲載した19世紀の米国式捕鯨帆船の記事と絵図(下掲)を見た85歳の先輩氏から、米国式捕鯨船の絵図の黒煙から判断すると、当該捕鯨船は帆船で…
前回ブログでは、米国の捕鯨船が機械用の高級潤滑油として高利益を得られる抹香鯨の鯨油(一頭当たり4~6トン)を専ら捕獲していたことを書きました。 一方食用油や高…
前回の拙ブログを読んだ飲み友達から「米国の捕鯨船は、如何して鯨油を採取するのに抹香鯨だけを捕獲していたの?」と訊ねられました。 前回ブログでは、江戸末期に蝦夷…
19世紀の米国捕鯨船は、ベーリング海、オホーツク海、蝦夷近海(現:北海道)、ハワイ西方沖、小笠原近海、そして日本近海に生息する抹香鯨(マッコウクジラ)の鯨油…
前回ブログでは、米国海軍東インド艦隊のペリー司令官が幕府全権の林大学頭復斎に対して、蝦夷海域で操業する米国捕鯨船に薪・水・石炭・食材・飲料水を供給する拠点とし…
前回ブログでは、米国海軍東インド艦隊(United States East India Squadron)のペリー司令官(Matthew Calbraith …
前回ブログでは、1854年3月8日(嘉永7年2月10日)午後から、幕府側の特別全権大使の林大学守復斎と米国側特命全権代表の東インド艦隊ペリー司令官による日米和…
1853年7月14日に浦賀に隣接する久里浜に上陸した米国東インド艦隊のペリー司令官は、米国大統領の開国と通商を求める国書を幕府に手渡し、その返答を受け取るため…
米国合衆国海軍東インド艦隊(USA East India Squadron)の第五代司令官のジェームズ・ビドル最先任大佐が徳川幕府との通商交渉を断念して帰国し…
副題:浦賀に上陸することなく出帆した米国東インド艦隊のジェームズ・ビドル司令官 前回のブログで、米国海軍東インド艦隊のジェームズ・ビドル司令官が、奉行所御用船…
副題:川越藩士による米国海軍東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルへの殴打事件 1845年5月22日、第11代米国大統領(J.K.Polk)配下の第17代海軍長…
副題:海なし藩の川越藩が三浦半島の海岸警固を担っていた背景と経緯 前回ブログで、海に接していない武蔵国入間郡(現在の埼玉県川越市)に居城を置いていた譜代大名の…
副題:米国艦船に強引に乗り込んだ川越藩士の内池 武者右衛門の話 1846年7月15日(弘化3年閏5月14日)、相州(相模国)沿岸の幕府直轄領(御料所)の海岸防…
前回のブログでも軽く触れましたが、パソコンのキーボードが壊れたのでワイヤレス・キーボードを購入して試しにブログを書いてみたところ、故障前よりも短時間で打ち終え…
熱射病警告アラートが発令されていた先月末、2年7ヶ月前に受けた膀胱癌摘出手術後の定期的経過検査の為に、自宅から電動自転車で15分程度の病院に出掛けました。(下…
自動車免許証の自発的返納に合せて自家用車を孫に譲渡してガラ空きとなった駐車場に、連れ合いが挿し木した「マツバギク」(英名:Fig marigold)がグランド…
東京都多摩東部の自宅近くの仏教寺院の崩れかけた土塁に、「アカンサス」(Acanthus)が2m前後の茎を垂直に伸ばしていました。(下写真) 成長途上の「アカン…
数カ月前頃から、パソコンのキーボ-ドの一部が破損して文章を打つのが難しくなってしまったので、渋々修理に出そうと思っていたのですが・・・今日訪れて来た息子の提案…
先月から今月にかけて、東京都多摩東部の我家の狭庭にバラバラに地植えしているアヤメ科アヤメ属のジャーマンアイリスが次々と咲き始めました。 僕の記憶では、1980…
久しぶりに線路沿いの小道に足を踏み入れると、フェンスに絡みつく蔓の枝にジャスミンと思しき香りを辺り一面に漂わせいる無数の白花が咲いていました。 僕の連れ合いに…
今日のブログは、「節穴から覗いた歴史の一齣」を一休みして、約半年ぶりの「花」の話題です。 先ずは我家で5年前から鉢植えしている英国薔薇の「ガートルート・ジェキ…
ポツダム宣言執行のために日本国を間接統治していたGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の幕僚部の一つである民間情報調査局(略称:CIE Civil I…
明治初期から昭和期にかけて、日本の漢字と仮名を廃してローマ字を導入する際に、ヘボン式ローマ字にするか、日本語式ローマ字にするかの論争も、大東亜戦争(太平洋戦争…
日本のローマ字表記の歴史は、江戸幕府開府期のポルトガル語式ローマ字から始まり、その後はオランダ語式、ドイツ語式、フランス語式、英語式ローマ字(ヘボン式)、日…
これまでのブログで中国の漢字廃止論➡ベトナムの漢字廃止論➡朝鮮半島の漢字廃止論について書きましたが、本日と次回のブログでは、視点を転じて「日本の国字のローマ字…
前々回の"中国の漢字廃止論"、前回の"ベトナムの漢字廃止論"に続いて、本日は「朝鮮半島の漢字廃止」について整理してみたいと思います。近くて遠い存在なので資料不…
前回の拙ブログでは、漢字の本家本元の中国で「魯迅」や「銭玄同」が主張して受け入れられなかった「漢字廃止運動」について書きましたが、本日のブログは、「ベトナム国…
最近の僕の関心事項は、江戸中期から先の大戦直後までの間に、日本国内で何度も起こって消えていった「漢字廃止論」です。 例を挙げると、江戸中期に新井白石や本居宣長…
LINEの友人から次のような話題を提起されました。 「重複する船名を持つ海上自衛隊の艦船と海上保安庁の巡視船が13隻も存在している事を知りました。驚きです!こ…
四回に分けて投稿した「原子爆弾」に纏わる拙ブログの中で、「先の大戦」の呼称として、「大東亜戦争」(Pacific war)と書いたところ、知人から「"大東亜戦…
2月13日の拙ブログで、長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾(通称:ファットマン)と同一の形状と質量を持たせた模擬原子爆弾(通称:パンプキン爆弾)が日本の1…
先週7日の拙ブログで、米軍のB29戦略爆撃機が投下した焼夷弾に焼け出され、原子爆弾による爆風を被った僕の幼児体験について少しばかり書きました。 =僕の幼児体験…
本日のブログは、広島と長崎に投下された原子爆弾を北マリアナ諸島テニアン島の米軍基地まで輸送した重巡洋艦インディアナポリスのその後の悲劇について書いてみたいと思…