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どうも、通りすがりです。 今週は今年最初のG1フェブラリーステークスが行われます。そこで久しぶりに思い出語りをしたいと思います。 今では中央競馬にもダートのG1は二つ存在しますが、過去には一つもダートG1がないという時代が長く続きました。元々イギリスの競馬を規範とした日本の競馬では芝こそが本流という考えがあり、ダートに重きが置かれることはありませんでした。ダートの重賞はいくつかありはしましたが、そのほとんどがハンデ戦であり、ダートの強豪馬は勝てば勝つほど斤量との戦いとなっていくような状態でした。ですが、その後は指定交流競走としてダートの番組の整備が進み、そして1997年にはフェブラリーステーク…
どうも、通りすがりです。 ついに今週は有馬記念です。過去、数々のドラマチックなレースが多数あり、思い出を語ろうと思えばいくらでも語れてしまいますが、今回私が選んだレースはトウカイテイオーが奇跡の復活を遂げた1993年の有馬記念になります。 1993年 有馬記念 (優勝馬:トウカイテイオー) トウカイテイオーはG1を4勝した名馬でしたが、ただ単純に強いだけの馬ではなく、栄光と挫折そして復活と紆余曲折なドラマチックな馬生を歩んだ馬でした。それまで競馬のギャンブルという側面しか知らなかった初心者の私の競馬観を変えてくれた馬でもあります。もしトウカイテイオーと出会っていなかったら、ここまで競馬にドはま…
どうも、通りすがりです。 ジャパンカップが創設された当初、日本のトップクラスの馬たちが海外から来た馬たちに苦杯を舐め続けさせられ、日本馬はこのままずっと勝てないのではないかと言われていました。 ただそれもすでに遠い昔のこと、今では逆に海外馬はジャパンカップに勝てないという状況になっています。2019年のジャパンカップではついに海外からの出走は0という状況になり、海外馬のジャパンカップの勝利はますます遠ざかりつつあります。ここ数年は毎年海外からの出走馬はあるものの、掲示板が精一杯といった結果が続いています。ただ今年は海外からは3頭の出走ながらも、オーギュストロダンをはじめ骨っぽいメンバーが来日し…
どうも、通りすがりです。 競馬では「負けてなお強し」と言われるレースが間々見られますが、どういったレースを思い浮かべますでしょうか。私は様々なレースが思い浮かびますが、その中でも一番インパクトがあり記憶に残っているレースがあります。それが今回の記事のタイトルとなっている2009年のエリザベス女王杯です。 2009年 エリザベス女王杯 www.youtube.com レースは逃げた11番人気のクィーンスプマンテとその番手でレースを進めた12番人気のテイエムプリキュアの2頭が大逃げという形となり、結局そのまま2頭が逃げ粘り1,2着となって3連単は154万円もつく大波乱となりました。 人気薄の逃げ馬…
どうも、通りすがりです。 今回の思い出語りは2008年の天皇賞(秋)についてになります。先日行われた秋華賞の際に思い出語りとして書いた記事の続きとなります。よければ併せてご覧ください。 tourisugari.jp 2007年、有馬記念を11着と大敗したウオッカは翌年もハードなスケジュールでレースを重ねていきます。ドバリデューティーフリーに出走したウオッカ(結果は4着)はここから主戦騎手を武豊騎手に変えてG1レースに臨み続けます。安田記念(このレースは岩田騎手)で1年ぶりにG1を制覇したウオッカは、秋になると前哨戦となる毎日王冠を使って天皇賞(秋)へと駒を進めます。対してダイワスカーレットは、…
どうも、通りすがりです。 今週は牝馬3冠目となる秋華賞が行われますので、秋華賞の思い出を語らせていただこうかと思います。実は以前に思い出の馬を語るということでブゼンキャンドルを記事に書いた際に、秋華賞のことを書いています。正直なところ秋華賞の一番の思い出と言えば、このブゼンキャンドルが勝った1999年のレースなのですが、また同じことを書くのもアレなので、今回は別のレースということで、2007年の秋華賞について書かせていただこうと思います。※ちなみにブゼンキャンドルの記事は以下から見れます。ほぼ私の馬券自慢のような内容ですが良ければご覧ください。 tourisugari.jp 2007年 秋華賞…
【通りすがりの思い出語り】2020年 スプリンターズステークス(GI)
どうも、通りすがりです。 秋のG1シーズン開幕戦ということで、思い出語りも今週より完全復活していきたいと思います。ほぼ自己満足な内容ですがお付き合いいただけますと嬉しいです。 ということで、今回は今週末に行われるスプリンターズステークスの思い出となります。対象のレースは今から4年前の2020年のスプリンターズステークスです。 スプリンターズステークスを追い込みで勝った馬といえば、私の世代では真っ先にデュランダルの名前が出てきます。デュランダルはサンデーサイレンス産駒の中では数少ない短距離で活躍した名馬ですが、2003年のスプリンターズステークスで見せた絶望的と言える位置からの追い込み勝ちには衝…
【通りすがりの思い出語り】1999年 産経賞オールカマー(GII)
どうも、通りすがりです。 判官贔屓という言葉をご存じでしょうか。ほうがんびいきと読みますが、意味は次のようになります。「不遇の英雄、弱者や敗者、また実力や才能はあるのにしかるべく待遇のえられない者たちに同情心や贔屓心をもつこと。また、そのような気持ち。」(goo辞書より引用)日本人の気質として判官贔屓の人が多いと言われますが、私が指定交流競走でやたら地方馬に肩入れするのもこの判官贔屓のせいもあると思います。なぜ冒頭から判官贔屓の話をしたかと言うと、私の場合に競走馬を好きになる理由としてこの判官贔屓が関連してくるからです。力はあるのに主役にはなれない、つまり何度もチャレンジするもG1レースを勝て…
どうも、通りすがりです。 昭和の時代、テレビ馬という言葉がありました。それはレースの勝敗は度外視でテレビに映るためだけに逃げる馬のことを指す言葉です。レースでは勝負にならないと思われる馬、ならばせめて逃げればテレビに映るし名前も呼んでもらえる。且つて大レースでの出走頭数が多い時代には、テレビを見ていてもどこに自分の馬が走っているのかよくわからないということもあり、もしかしたらそういう中でこのような発想が生まれたのかもしれません。しかし、近代の競馬では作戦としての大逃げや、気性的な問題で馬を御しきれず暴走気味に逃げるなどということはあっても、あまり極端で強引な逃げになることは少ないと思います。そ…
どうも、通りすがりです。久しぶりの思い出語りになりますが、今回は少し趣向を変えてお送りしたいと思います。 「熊出没注意」、この言葉をご存知でしょうか。言葉の通り、熊が出るから注意しろ!ということなのですが、ここでいう熊は動物の熊ではありません。且つてこの 「熊出没注意」が一面に躍っていたのは、スポーツ新聞の競馬欄でした。この熊とは、現在は引退されましたが元騎手である熊沢騎手のことを指しています。熊沢騎手が騎乗する馬が来るかもしれない、来たことによって穴馬券となるかもしれない、そのような時によく使われていました。そもそもこの言葉が生まれたのは、おそらくですが熊沢騎手が騎乗した馬、ダイユウサクが大…
どうも、通りすがりです。 競馬をしていると、馬名からその馬のファンになることもあるかと思います。 私も競馬を始めたころはお気に入りの馬名の馬がいました。 ワンモアラブウエイ (One More Love Way)ホゲットミーノット(Forget Me Not) 上記2頭は、何となく洒落た感じがして好きな馬名でした。 名は体を表すではないですが、強い馬=カッコいい、お洒落な名前というイメージでした。ですが、そんな中で少し変わった馬名の馬を見かけることがありました。 ヒコーキグモ 重賞のきさらぎ賞を勝った馬ですが、この馬の馬主はユニークな名前を付けることで有名となる小田切有一氏でした。 小田切氏の…
どうも、通りすがりです。 今回、思い出を語る馬はサンセットクインです。 と言っても、おそらくほとんどの人が知らないと思います。 私も記憶の中にこの馬の名前だけはしっかりと残っているのですが、どのような馬だったか詳細までは覚えておらず、先ほどネットで検索してみたのですが、わかったことは以下のことのみです。 ・1990年生まれ・牝馬・父:ハワイアンイメージ このような馬をどうして今回の記事に取り上げたのかというと、個人的に強く記憶に残っている出来事があったからです。 曖昧な記述が多くなるかもしれません今回の記事ですが、そのような理由がありますのでご容赦いただければと思います。 サンセットクインとの…
どうも、通りすがりです。 先日行われた大沼ステークスに出走していたタガノクリステルの血統表を見ていたら母母の欄にブゼンキャンドルの名前を見つけました。ブゼンキャンドルには個人的にかなりの思い出がありますので、今回はそれを書かせていただきたいと思います。 ブゼンキャンドルと言えば1999年の秋華賞馬ですが、その秋華賞が行われる当日の朝、私は体が異様に怠く、熱を測ってみると38度近くあったと思います。私はある理由から後楽園に馬券を買いに朝から行く予定だったのですが、とりあえず薬を飲んで昼まで様子を見ることにしました。ですが昼になっても一向に熱は下がらず、さすがに外出は無理でした。当時はネット投票も…
どうも、通りすがりです。 私は競馬を大井競馬から始めたせいか、どちらかというと中央競馬より地方競馬に思い入れがあり、指定交流競走では地方馬にどうしても肩入れをしてしまいがちです。(馬券に関しては別ですが) 近年では帝王賞は長らく中央競馬の馬からしか勝ち馬が出ておらず、最後に地方馬が勝利したのは14年前、2010年のフリオーソです。 ただ、それより過去を見てみると中央・地方の馬が勝ったり負けたりと互角の争いをしているだけに、近年の状況がもどかしく悔しい思いです。 私が初めて生で観戦した1993年の帝王賞で、その時の勝ち馬はハシルショウグンでした。のちに中央の芝レースに挑戦し、オールカマーではツイ…
どうも、通りすがりです。 宝塚記念というと、一昔前には善戦はするけどなかなかG1を勝てなかった馬が、ついにG1制覇をするというレースというイメージでした。メジロライアン、マーベラスサンデー、メイショウドトウ、ダンツフレームなどが代表例でしょうか。 そんな中、2005年の宝塚記念に初G1制覇が期待されている馬がいました。それはハーツクライです。ハーツクライと言えばあのディープインパクトに国内で唯一先着した馬で、ドバイシーマクラシックを制覇するなど名馬の一頭ですが、若かりし頃はG1でなかなか結果を出せない馬でした。3歳時にダービーで2着し秋での飛躍が期待されたものの菊花賞では1番人気で7着、次走の…
どうも、通りすがりです。 春のG1も残すところ宝塚記念だけとなりましたので、今週より思い出語りはレースではなく競走馬について取り上げていきたいと思います。誰もが知っているスターホースからあまり知られていないマイナーな馬まで様々語りたい馬がおりますので、お付き合いいただければ幸いです。 今週語りたい思い出馬はメジロパーマーです。メジロパーマーと言えばどんなイメージをお持ちでしょうか。まずはこの馬の代名詞とも言える大逃げ、そして春秋グランプリ制覇でしょう。そしてもう一つ、主戦であったの山田泰誠騎手を忘れることはできません。失礼を承知で言えば、山田騎手と言えば他にはエルカーサリバーくらいしか思いつか…
どうも、通りすがりです。 突然ですが、日本ダービーの父子制覇はどのくらい達成されていると思いますか。下のリンクのサイト情報では、今まで7組があるようです。 【2024年最新】日本ダービー(東京優駿)父子制覇一覧 ジャスティンミラノ、史上初の「父子三代制覇」なるか - WIN!競馬 では東京ダービーではどのくらいの父子制覇が達成されていると思いますか。地方競馬に詳しい人であれば知っていると思いますが、実はたったの1組だけです。 その父子制覇したのは父は1985年の第31回東京ダービーを勝ったミルコウジ、そして子は1996年の第42回日本ダービーを勝ったセントリックです。 なぜ東京ダービーの父子制…
どうも、通りすがりです。 ざっくりとした記事のタイトルですが、先週から新馬戦が始まりましたので、そんな中で思い出に残る新馬戦について少し書かせていただきたいと思います。 競馬ファンであれば知っている人も多いと思われる新馬戦に「伝説の新馬戦」と呼ばれるレースがあります。それは2008年10月26日 京都5レースで行われた新馬戦です。 2歳新馬|2008年10月26日 競馬データベース - netkeiba この新馬戦を勝ったのはアンライバルドで2着にリーチザクラウン、3着はブエナビスタで4着はスリーロールスと翌年のクラシックで活躍する馬ばかりが上位独占したレースです。これだけの馬が同じ新馬戦…