一昨日は旧暦の6月17日で厳島神社の最大の神事である管弦祭が行われたようであるが、絵図から古い時代の管弦祭をみていこう。画像1と画像2の絵柄はよく似…
昨日は旧暦の6月17日で厳島神社の最大の神事である管弦祭が行われたようであるが、この暑さで訪れるような元気はない。絵葉書画像は明治後期から昭和…
以前にも何度か紹介したが吉和地区の無住の民家軒下にレトロな自販機3台がまだ置かれたままになっていた。レトロな自販機の左側はブルボンのポテトチップの自販機…
吉和地区の中津谷にある寺で、永禄3年(1560)に禅宗妙福寺を真宗に改宗して専立寺となったようである。江戸期の地誌によると当時の与左衛門、玄了時代に…
昨日紹介した湯之元の湯釜近くに鎮座している湯之元神社で、江戸期の地誌には湯牛王大明神とある。当社には神像のほかに十二神将像、如来立像、十一面観音坐像な…
以前にも紹介したが上画像は湯之元の湯釜の名残りで、江戸期の地誌に湯釜の記述がみられる。近くに湯の川温泉1号井(熊崎温泉)の自噴井があり、広島県の…
吉和村内では江戸末期から酒造りが行われていたようで、早田酒造場では「速の井」「泉華」銘柄の酒を醸造されていたようである。昭和18年(19…
先日来紹介している教龍寺の境内に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとニーレンベルギアによく似ており、銀杯草とも…
教龍寺の鐘楼に架けられている梵鐘で、刻銘によると寛政11年(1799)8月に海田鋳物師(船越住)の植木源兵衛直昌により広島の妙慶院の鐘として鋳造され…
教龍寺本堂の内廊下に安置されている梵鐘で、明徳5年(1394)に福岡県遠賀郡岡垣町黒山千手寺(廃寺)の鐘として鋳造されたようである。後に京都西本願寺…
吉和石原地区にある教龍寺を久しぶりに参詣した。若い頃に訪れた時には本堂や庫裡が茅葺屋根であったのを記憶しているが当時の画像は見当たらない。向…
吉和地区にある市域では最高の傑作のひとつである雲文に飛び鶴の蔵飾りのある土蔵を訪ねてみた。以前にも紹介したが母屋は一部崩壊が始まっており土蔵は画像の…
本年の半年最終日の昨日、速谷神社において夏越大祓式が斎行された。猛暑のため儀式殿で、半年の間犯した罪や穢れを祓い清め心身を浄化すること…
田植えした稲もだいぶ育っているが、現在は除草剤を使用するので草取りに田んぼに入ることは少なくなった。親の時代の草取り民具で上画像はハッタンドリで…
文化5年(1808)絵図 大正3年(1914)絵図 芸備銀行廿日市支店 広島市信用組合廿日市支店 江戸期、現在の旧国道(西国街道)と駅通りの四辻付近は廿日市の…
早朝ウォーキングを兼て井手の様子を見に行くと井手脇に小さな唐傘のようなクソナバが生えていた。何というキノコかGoogleレンズで検索してみるとクズヒ…
宮島サービスエリアの芝生広場を早朝ウォーキングしていると各所に白いマシュマロのようなクソナバが生えていた。何というキノコかGoogleレンズで検…
画像a 画像b 画像c 極楽寺山にある極楽寺鐘楼に架けられている梵鐘は平成14年(2002)9月に新しく鋳造されたものである。(画像a)それ以前の梵鐘は覆屋の…
若い頃には萩を何度も訪れておりその都度萩焼の窯元を訪れていた。湯本温泉近くの深川三之瀬にある深川萩四家の一つである坂田泥華窯を訪れて13代…
極楽寺山に向かっていると道路(国道433号)脇の至る所に白い花が咲いているのかと思わすようなマタタビの葉が白化しているのがみられる。秋にはマタ…
早朝、田んぼの水廻りを兼て速谷神社に参詣しており、社殿前には茅の輪が設けられている。この度地方事情御視察のため広島市を行幸啓された天皇皇后両陛下より速…
極楽寺山登山道で出会った方にセッコク(石斛)がみられると案内して頂き、樹木の上に着生植物のセッコクがかすかにみられた。セッコクとは初めて聞くよう…
蛇の池 極楽寺下池 先日紹介した蛇の池廻りを一周していると池畔で1塊のモリアオガエルの卵塊がみられた。また極楽寺下の登山道脇にある小さな池の廻り…
画像A 画像B 画像C 極楽寺に久しぶりに参詣した。当日は仏事があったようで本堂の外でも参詣者がお参りされていた。画像Aは明治末期頃の絵葉書で裳階部分に腰…
極楽寺山にある蛇の池のスイレンを見に行った。池全面に色とりどりのスイレンが咲いておりローズアレー、アトラクション、プリシマ、サルフェ…
ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色の…
ウォーキング途中で見掛ける可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、橋桁がすべて架けられていた。これから床版のコンクリート打ちが行われるのであろうか。
先日の中国新聞に岩国基地内にある掩体壕の記事が掲載されていた。掩体壕は戦前に旧海軍航空隊の航空機を格納し攻撃から守るために設けられていたもので、現…
原地区にあるかつての国立療養所原病院は現在社会福祉法人三篠会「ふれあいライフ原」の施設として使用されている。現在老朽化した建物が取り壊されており、何ら…
梅雨の時期なので以前に訪れた岩国市六呂師大藤地区にある梅雨左衛門を紹介しよう。田んぼの脇に巨岩があり岩の隙間に蛇がいるというが、現在農地は荒れており…
梅雨の合間に二重原地区石か小屋にある巨岩の割れ目に栖んでいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが姿を見せてくれなかった。江戸期の地誌に「異石-・・・石…
廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根(下画像)の現状で、切葉松本地大根は苗の時に虫被害でもうこれまでかと思っていたが何とか…
峠地区の最禅寺境内に安置されている浅浮彫合掌仏立像(線刻仏像?)を久しぶりにお参りした。板状の石に浅浮彫りされたもので、衣文線が特徴的である。この合掌仏…
玖島地区の大町と平谷集落の中ほどの県道沿いに大きな背石のある石仏が安置されており、刻銘に「安永九年(1780)子十月日」とある。現在は県道沿いであるが…
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