2025年6月
先週紹介の歴史経緯で細字を一つだけ。☆日本内乱戦争に勝利し明治維新を成し遂げた維新三傑西郷隆盛(1827~1877)明治10年満49歳自刃木戸孝允(1833~1877)明治10年満43歳病死大久保利通(1830~1878)明治11年満47歳暗殺★日本内乱戦争の敗者側も徳川家を守り抜いた幕臣三舟高橋泥舟(1835~1903)明治36年満67歳死去 慶喜の護衛警護山岡鉄舟(1836~1888)明治21年満53歳病死 泥舟義弟 西郷会談敵中突破 明治帝侍従勝海舟(1823~1899)明治32年満75歳死去 咸臨丸で太平洋横断 江戸無血開城維新三傑の方々は「人生五十年」でしたが、清王朝に戦いを挑み、思…
「日朝修好条規」1876年から「日清講和条約(下関条約)」1895年の間には日本・朝鮮・清朝・世界で云わずと知れた、色んな事が起きていました。 1876/02 日朝修好条規締結 全権大使黒田清隆 副井上馨1876/03 3月廃刀令5月上野公園開園8月秩禄処分 札幌農学校設立 高橋お伝事件1876/10 神風連の乱 秋月の乱 萩の乱1877/01 英国統治の印帝国成立1877/01 政府鹿児島県内保管兵器など大坂へ移動1877/02西郷暗殺計画発覚 清駐英公使館設立1877/02 2/15西郷と13000人士族ら挙兵、明治政府尋問の為鹿児島を出発1877/02 2/19政府は征討令を発出 賊軍西…
日本政府は「日朝修好条規」作成の際、福沢諭吉の翻訳漢語を当然使用せず、万国公法のIndependenceの漢訳、「自主」を採用、(李氏)朝鮮国を「独立国」として規定していたのです。この日本国と朝鮮国の条約締結に対し、清朝政府官僚の「李鴻章」(1823~1901)が締結推進で支援していました。(当初、朝鮮国は締結に前向きでありませんでした。)(李鴻章は日清修好条規(1871年)の草案作成を担当しています、更に、彼は後の 天津条約(1885)日清戦争(1894~95)の講和交渉を全権委任された担当者です。)依って、李鴻章は朝鮮国を清王朝への朝貢国であり「属国」と認識していますので、この「自主」は日…
2025年6月
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