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  • 現代語訳 徳川実紀 36 桶狭間の戦い〜義元殿、前夜の宴

    義元殿、前夜の宴 大軍を擁して尾張を、織田信長を討つべく進発した今川義元殿。 その軍勢は沓掛城に納めきれず、戦から遠ざかって久しい義元殿は軍勢の喧騒を嫌い、寺か社の寝所を望まれた。 そこで三河と尾張の国境となる境川沿いの名刹、祐福寺に本陣を置いた今川義元殿。 香を焚かせ、小姓に団扇で風を送らせていると、松平元康君の使者が到着したと知らされ、庭園に使者を通した。 〜来るしゅうない、元康が使者よ、口上を申してみよ〜 義元殿は襖を開けさせ、義元殿は小姓に風を送らせたまま、口上を述べさせた。 使者は、松平元康の軍勢、無事 大高城に兵糧をお届けしたとの知らせであった。 義元殿は、使者に松平元康に城を守り…

  • 現代語訳 徳川実紀 35 桶狭間の戦い〜今川義元、尾張へ

    桶狭間の戦い〜今川義元、尾張へ 尾張 沓掛城 桶狭間の戦い〜今川義元、尾張へ 永禄三年五月十二日、今川義元殿は駿府から物見遊山の如く、輿に揺られながら尾張の東外れの沓掛城に入った。 元康君が三河の衆を率いて大高城へ兵糧を入れるべく、出立した後を追う様に大軍で沓掛城に入ったものの、軍勢の喧騒を嫌った義元殿は城を出て、勅使門が見事と噂の佑福寺を目指した。 今は亡き雪斎禅師が甲斐の武田、相模の北条と三国同盟を結んで以降、戦に出ていない義元殿は、梅雨入りになろうとしているこの時季、戦場の帯陣に不快さを露わにしていた。 信長の治める尾張とはいえ、領国の隅にあたる寺社、人心はすでに大国、今川氏が戦に勝って…

  • 現代語訳 徳川実紀 34 桶狭間の戦い〜大高城兵糧入れ

    桶狭間の戦い〜大高城兵糧入れ 母上との対面の感動の余韻も内に秘め、元康君は軍勢を二つに分けた。 家中で戦上手で知られる酒井正親、石川数正らを別動隊に八百の軍勢を指揮させて寺部城を攻めさせた。 元康君自らは、大高城へ運び入れる兵糧を積んだ小荷駄隊を、大高城から半里(約2キロ)あまり離れたところに控えなさった。 正親、数正らは寺部城を力推しで押し寄せ、城門を打ち破り、火をかけた後で引き上げ、すぐ様、支城である梅坪城を襲って二の丸、三の丸まで攻めかかった。 大軍が攻め寄せたと思い込んだ両城の城兵らは、元康君に攻められた前回の轍は踏むまいと本丸に籠もり、鉄砲を撃ちかけ、鬨の声を張り上げて、必死に防御し…

  • 現代語訳 徳川実紀 33 桶狭間の戦い〜再会、母よ

    33 桶狭間の戦い〜再会、母よ 松平竹千代 像愛知県岡崎市康生町 岡崎公園 父祖代々の地、岡崎で軍勢をまとめた元康君は、早々に出立なされた。 出立間もなく、元康君の使いを終えた早馬とうち合った。 〜元康様、上々にございました。〜 〜そうか…〜 〜不幸にも、敵対と相成り申したが、母子の情は別儀、女房も心待ちに致しておる故、遠慮なく立ち寄られよ。とお返事を賜わりました。〜 元康君は、出立に先立ち、母〜於大の再嫁先。今は織田方に味方している阿久比(あぐい)城主の久松佐渡守俊勝へ、もはや今生の別れかも知れぬ御役目の前に、ひと目 母上にご対面したき候〜と丁重に文を出され、久松佐渡は快諾してくれた。 阿久…

  • 現代語訳 徳川実紀 32 桶狭間の戦い 2 鍋之助、元服

    桶狭間の戦い 2鍋之助、元服 お館殿が尾張攻めを決め、元康君が先発隊として出陣なさることとなった。 屋敷に戻った元康君は、北の方(瀬名姫)へ出陣の命が下されたこと、何かあらば、父上の指図を仰ぐようにと告げ、一刻ほどして北の方を下がらせた。 〜鍋、これへ。〜 控えていた鍋之助が太刀を手に入る。 〜忠次から訊いたとは思うが、尾張へ出陣いたす〜 〜存じておりまする、殿はわしが御守りいたすので心配なさらずに〜 鍋之助は六つも若輩ながら、不思議と鍋之助に守ると言われると安堵できる元康君。 〜鍋、今宵をその方の元服といたす〜 〜えっ!〜 普段から爛々としている鍋之助の眼つきが一瞬変わった。 そして元康君の…

  • 現代語訳 徳川実紀 31 桶狭間の戦い 1 元康、運命の戦場へ

    松平元康 騎馬像愛知県岡崎市康生町 岡崎公園 桶狭間の戦い 1 元康、運命の戦場へ 永禄三年(1560年)、このころ 織田信長は、父信秀の箕裘(ききゅう〜父祖の業)を継いで、尾張をほぼ統一し、兵を鍛えて国を富ます計略をめぐらせて、美濃、伊勢を切り取り従わせ、駿府、遠江、三河をも実力で奪おうと、手始めに鳴海の近辺のあちこちに砦を設けて兵を配置したという。 これに今川のお館殿は大変怒り、〜ならば自分から機先を制して尾張を攻め取り、ただちに国の中央に旗を立てるべし〜 とおっしゃり、国境のあちこちに新しい要害を設けて兵を配備した。 なかでも、大高城へは、信頼のおける一族にあたる鵜殿長照を留めておいたが…

  • 現代語訳 徳川実紀 30 初陣、松平元康 2

    現代語訳 徳川実紀 30 初陣、松平元康 2寺部城跡愛知県豊田市寺部町 初陣の陣中で三河の老臣すら唸らせる采配をみせた元康君、支城を落として後詰めの恐れを無くし、本城である寺部城を攻め落とした。 凱旋した元康君の様子に今川のお館殿も気を良くし、もとの所領のうち、山中の地、三百貫を返し、腰刀を差し上げた。 元康君は休む間もなく出陣を命じられ、織田方に味方している広瀬、伊保などの城を攻め、伯父にあたる水野下野守信元と戦われた。 戦における指揮や機を捉えた駆け引きも、これは生まれながらの勇略であると三河の老臣たちは感服した。 このころ、岡崎の老臣たちは、しきりに駿府に赴き、以前の領地を返してほしいと…

  • 現代語訳 徳川実紀 29 初陣、松平元康 1

    松平元康 騎馬像 愛知県岡崎市康生町 岡崎公園 弘治三年の暮れ、元信君は今川のお館殿に目通りし、改名を願い出られた。 元信の信の字が尾張の織田信長に通じておるのではないか。と御曹司の氏真ら、今川親族衆から度々嗜められることから、踏み切られた。 新たな名は、〜松平蔵人元康〜。 勇名を馳せた祖父、清康にあやかった名である。 翌、弘治四年に改元、新元号が永禄となった。 今川のお館殿は、織田方に寝返った東三河 寺部城の鈴木重辰を討伐せよと、元康殿に出陣を命じられた。 御年十七歳での初陣である。 元康君は古参の三河衆を率いて岡崎を出陣し、矢作川沿いの寺部城を見定めた。 〜支城があるであろう。〜 陣中に戻…

  • 歴史紀行 特別編 11 長嶋茂雄ランニングロード記念碑

    読売巨人軍 長嶋茂雄ランニングロード記念碑 静岡県伊豆の国市吉田 今朝、悲しい訃報が届きました。 巨人軍のプロ野球選手として素晴らしい成績と、いつまでも記憶に残る名プレーヤーとして活躍され、巨人の監督としても高成績を残してきた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが亡くなりました。 89歳でした。 心よりご冥福をお祈りいたします。 機会をみて、 いずれ掲載させていただく予定だったこの記事を急ではありますが、ここに掲載いたします。 1974年 (昭和49年)10月14日 プロ野球で巨人軍V9時代の四番打者として大活躍した長嶋茂雄 選手がこの日 引退しました。 【 我が巨人軍は永久に不滅です 】 この言…

  • 現代語訳 徳川実紀 28 暗愚な後継者

    松平竹千代、今川義元公像 静岡市葵区 静岡駅前 暗愚な後継者 元信君と瀬名姫の祝言は、元信君がどこまでも〜某如きが身に余る栄誉にございますと、簡素、質素に。 という願いもあり、比較的 少ない人数での祝言の後の酒宴ということになった。 雪斎禅師の遺言のような戒めもあり、元信君は一層 今川家中の者には腰を低く接した。 そこへ 〜三河の小倅!竹千代はいるか!〜 ささやかな酒宴が開かれていると聞きつけた義元殿の嫡子、氏真殿が喚き散らしながらやって来た。 顔は赤らめ、足元はおぼつかなく、相当に酔っていた。 〜これは氏真様、わざわざお出で下さるとは。申して下されば、こちらから出向きましたものを〜 酒宴の主…

  • 現代語訳 徳川実紀 27 元信君、瀬名姫を娶る  

    元信君、瀬名姫を娶る 弘治三年(1557年)正月十五日、元信君は今川治部大輔義元の勧めで一門衆の関口親永の娘、瀬名姫を娶った。 肌は透き通る如く白い見目麗しき姫君である。 瀬名姫の父、親永の妻は義元の妹で、義元とは姪にあたる姫君を妻に迎えになられたことからも、義元が三河国を傘下に収める腹積もりもありながら、元信君にはいかに期待を寄せていることかを物語っている。 瀬名姫の出自 瀬名姫の父は、今川家一門である瀬名家の関口親永(または瀬名義広)で、母は遠江国衆の井伊直平の娘とされ、言わば井伊家からの人質でした。 瀬名姫の母は井伊直平が今川氏に臣従したとき、今川義元に人質として差し出されました。彼女は…

  • 現代語訳 徳川実紀 26 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず

    現代語訳 徳川実紀 26 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 神馬 像 愛知県岡崎市 康生町 岡崎公園内 龍城神社 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 弘治二年 (一五五六年)、元信君が良馬を献上した。 並ぶ者がない俊足であり、名を嵐鹿毛という。 この馬を元信君が誓願寺の元信君住僧 泰翁を通じて室町将軍家に献上された。 足利義輝 様の喜びはひとしおであり、元信君に書状と短刀を返礼に贈られた。 これこそ 徳川家から幕府へ贈答をした始まりである。 考えるに、その頃 京都の室町将軍家は足の速い馬をお求めになっており、織田家へもお命じになった。 しかし、織田家では しかるべき馬を差し上げることは出来な…

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