「目指せ足助七城!・・・その1」岡崎市千万町の風景・・・丸形ポスト
昨年7月、香嵐渓のある豊田市足助町を目指して車を走らせました。豊橋市の国道23号バイパスから、豊川市に入って国道1号線へ出て岡崎方面を目指しました。今回はそのまま国道1号線を走り、岡崎市街方面から豊田市へ入る道のりを選ばず、豊川市の赤坂町で右折し、名電赤坂駅の脇を走る県道332号を利用する山あいの道を走るコースで向かいました。岡崎市に入って県道332号から334号へ移り北上。途中岡崎市宮崎町を経由してさらに北上。実際遠回りでしょうが、交通量が少ないので楽に走れます。岡崎市千万町に入り県道333号を北東へ向かう途中、雰囲気が良い場所があったので、休憩がてら景色を眺めました。石垣があるとすぐに目が行ってしまいます。その先に懐かしいものが見えました。丸形ポストと茅葺き屋根の家。町中では今は見ない景色です。長閑な...「目指せ足助七城!・・・その1」岡崎市千万町の風景・・・丸形ポスト
今日は桜を見に出かけました。風が強くて少し寒かったですね。訪れたのは、田原城です。まずは崋山神社の駐車場から撮影しました。駐車場から。桜の向こうは崋山会館です。崋山神社。田原市博物館側の駐車場へ移動しました。城跡へ。北側の巴江神社。ここが本丸跡です。石垣も撮ってみました。田原城と桜でした。来週もどこかで見られないかなあ・・・。今日の桜と城・・・田原城
今日、仕事の用事で掛川へ行きました。通りすがりに桜が見れました。毎年、桜とお城のコラボで写真を撮ろうと思っていますが、出掛けられなかったり休みが合わないと、満開の桜とお城を撮るのは難しいですね。過去にもチャレンジしましたが、なかなか良い画像が残っていません。毎年、同じ日が満開でもないし、休みでもなかったりするしね。昨日今日の過去画を載せます。2009年3月28日岡崎公園。早かったのか?遅かったのか?桜祭りではありましたが、桜は満開じゃなかったかな。2015年3月29日の豊田市の桜城と桜。ボケてます。撮る人がボケていたのかな?同じく2015年3が29日の西尾城と桜。天気が悪かったかな?夕方だと思います。今日は掛川城付近で、桜とお城を撮りました。まだ整理していませんが、どんなふうに撮れているでしょうか・・・。...過去の今日この頃のお城と桜
ソメイヨシノが開花したとか情報が聞こえてきますが、これからいろいろな花を見に行くことが多くなるのかな。ちょっと先の話ですが、6月になるとこんな花です。蓮の花。昨年6月末、安城市の本證寺へ行ったら開いていました。ここは歴史的にも好きお寺なので、近くを通ったら季節に関係なく寄ります。今度はいつ頃行けるかな・・・。花の季節がやって来た。
豊川方面から岡崎方面へ行く時、または帰る時、国道1号線を走るか、旧東海道を走るか、交通量うんぬん関係なく、余裕があれば旧東海道を走ることがあります。宿場の紹介をしたこともありますが、ちょっとだけ町並みを見るだけだったり、史跡を見たりするだけで通り過ぎて行くのが好きです。御油の松並木を通るのもいいですね。国府方面側の入り口にあります。けっこう車とすれ違います。国府にある三河屋製菓さんです。前にも寄りました。和菓子もケーキもあります。この時はショコラボックスを買いました。豊橋方面へ・・・。ここが伊奈城址公園ではありません。目の前に新幹線の高架があり、その向こうです。ここは初めて来ました。花ヶ池公園。「葵の紋」発祥ゆかりの地と言うことです。新幹線を越えて行きます。伊奈城址公園です。23号バイパスを走っていても見...国道1号線か⁉旧東海道か⁉御油方面
時々車を走らせて、海を見に行くことがあります。そのついでに何かあれば寄ってみます。ここで言う海は、太平洋です。掛川から伊良湖岬までが通常日帰りで寄れる範囲です。今回は、豊橋から田原へ走る国道42号の両市の境目付近を散策しました。伊古部海岸です。朝ドラ「エール」のロケ地で、記念に造られたのかな。絵になるじゃない。西へ移動。伊古部海岸から上がって、次の下り口付近にある、ささゆりの里の遊歩道です。ささゆりの時期ではありません。いつなのか?上から見た太平洋。さらに少し西へ行くと・・・。大塚遊園の廃墟です。こんな所があったなんて、まったく知りませんでした。夜は来れないです・・・。田原市との境目にある畔田城跡入口(正面)へやって来ました。二回目です。奥へ奥へと歩きます。畔田氏の畔田城です。空堀や土塁が分かりやすくてい...太平洋を見よう!!
刀剣ワールドから南へ下って行くと大須です。仕事で事務用品を注文しているお店の大須店がありました。通りを一本中へ入ると、こんな所がありました。富士浅間神社。参拝すると富士山に参詣するのと同じ効果があるとされています。あちこちにりますよね。大須へやって来ました。仁王門通です。田舎者ですから、この人の多さは苦手です。大須観音の方へ退散します。ここも多いです。とにかく休憩したい。大須観音の南側の道で回れ右したら、表参道の角にカフェがあり入りました。大須観音が見えます。イルフィオレと言うカフェです。アイスコーヒーとシフォンケーキだったかな。ゆっくり休みました。地下鉄で名古屋駅へ行き、再び名鉄電車で帰りました。歩き疲れました。刀剣ワールド、また行ってみたいな。「名古屋地下鉄移動歴史歩き」終了です。ご訪問ありがとうござ...「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑧」富士浅間神社から大須とカフェ
若宮八幡社前から隣のビルへ向かいました。名古屋刀剣ワールドへやって来ました。このビルの本町通側へ回ってみると・・・。三英傑がいました。さっそく中へ入りました。2024年5月1日に開館したばかりです。刀剣とは?片側に刃が付いた片刃の刀と、左右両方に刃が付いた両刃の剣の総称です。知っていたような、知らなかったような・・・。再び三英傑。刀剣ワールドへ来たのに、刀剣を撮影出来ませんでした。およそ200振の刀剣があったというのに・・・。売店へも行きました。外へ出ました・・・。刀剣・・・東建?実際、刀剣もしっかり見ています。ただ、ここまで歩き続けてきたので、二人とも疲れています。どこかで休憩したい・・・。大須へ向かいました・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑦」名古屋刀剣ワールド
第二の目的地を目指して歩いていたら、提灯や幟が並んだ場所の前を通りました。そのまま通り過ぎようと思いましたが、説明版があったので立ち止まりました。若宮八幡社なんだ・・・。この通りの名前もここからきているんだろうなあ・・・。若宮八幡社。名古屋総鎮守。主祭神は、仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命。ただ通り過ぎた若宮八幡社でした。奥方様に置いて行かれそうなので、早歩きしました。でも、もう目的地の隣まで来ています・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑥」若宮八幡社
小林城の清浄寺を西側から出ると、大津通を挟んだ向こう側に名古屋ではお馴染みの店がありました。マクドナルドではなく、矢場とんです。そして昼食は・・・?矢場とんではなく、清浄寺の出口から2軒目のココイチにしました。どれにしようかな・・・?カレーライスが好きです。外食の場合はココイチが多いかな。昼食を済ませて北へ向かい、すぐの大津通と若宮大通りが交差する矢場町の交差点を渡って名古屋高速の下へ行きました。これは何か?三英傑からくり時計。どんなからくりか分かりませんが、とにかくからくり時計です。で、三英傑は、分かりますか?愛知県民ならあたりまえ?だと思いますが・・・。後にまた三英傑とは出会います。そこまでの道のり、ここから若宮大通りを北へ渡り切って、西へしばらく歩きが続きます。「名古屋地下鉄移動歴史歩き⑤」昼食~三英傑からくり時計
覚王山から地下鉄に乗り、栄で乗り換えて矢場町で降りました。地下鉄矢場町駅から出て南へ歩き、久屋大通りと若宮大通りが交差する大きな交差点にやって来ました。ここをそのまま進んで行くと城跡です。四つ目のビルの隣にお寺があり、この辺り一帯が城跡だったようです。清浄寺の山門の横に城址碑がありました。小林城。牧氏の築城。牧長清は、織田信長の妹(おとく)を正室として迎えたそうです。徳川とも関係が?小林城が廃城後、跡地は尾張徳川家2代光友の時、剣術指南役となった柳生兵庫の屋敷となり、1701年清浄寺が建立されたそうです。細長い奥へと入って行きます。矢場地蔵堂。大津通側にも城址碑がありました。小林城(清浄寺)でした。お腹が空いたので、昼食にしましょうか・・・。「名古屋地下鉄移動歴史歩き④」城№523・・・小林城
「名古屋地下鉄移動歴史歩き③」末森城と御城印&武将印・・・後編
社務所で少し時間がかかりましたが、御城印と武将印を無事購入したので、再び奥方様と合流して散策です。奥方様は、本殿横にいました。恋占いはいいかな・・・。これは?家にもなんじゃもんじゃがありますが、まだ咲いたことがありません。遺構を見ながら東側から下りて行きました。ここが八幡宮の入り口でした。南側です。橋の下は堀跡のようです。城山八幡宮とお別れです。公園に戻って来ました。左側から上がって城山八幡宮へ行き、右側から帰って来た感じなので、半分以上は見てこれたかな。最後に城山公園の花を見て、末森城とはお別れ。ここから地下鉄の覚王山駅へ戻って、矢場町を目指します。末森城御城印。収集第九十七号の御城印です。織田信秀の武将印。信長の父です。織田信長の武将印。説明不要の武将ですね。織田信之の武将印。信秀の次男で信長の弟。信...「名古屋地下鉄移動歴史歩き③」末森城と御城印&武将印・・・後編
「名古屋地下鉄移動歴史歩き②」城№522・・・末森城と御城印&武将印・・・前編
名古屋駅から地下鉄東山線で移動。覚王山で降りて本山方面へ向かって歩きました。少し坂道を下る感じでした。都会ですね。ビルばかりです。信号交差点を二つ越えました。近づくと都会の中にある森が見えてきました。歩道のすぐ脇が公園になっています。城山公園。私にはとてもいい名前の公園です。さあ、城山へ行きましょう。西側から回って行きました。階段があったので上がってみました。戻って奥方様と合流しました。旧昭和塾堂。城山の途中にありました。お城の二の丸部分にあるようです。旧昭和塾堂の向かい側には道場があるみたいです。脇の道を上がって行きます。山の上は神社です。城山八幡宮です。ここが城跡であります。末森城。織田信秀の築城。織田家本城だそうです。城山八幡宮。社務所が目的地?です。ここで御城印と武将印を購入しました。他の方も買っ...「名古屋地下鉄移動歴史歩き②」城№522・・・末森城と御城印&武将印・・・前編
昨年5月3日、名古屋へ行きました。目的の場所が二つあり、ついでに歴史散策する計画で、奥方様と出かけました。名古屋へは、JRか名鉄を利用しますが、最近は名鉄で出かけるようになり、この日も名鉄電車に乗り込みました。途中の景色を見ながら、目的地は名古屋です。子供のように窓側へ座って沿線の景色を見ます。名古屋中心部へは、車の利用はほとんどしなくなりました。駐車場がね・・・。近づいて来ました。名古屋駅からは地下鉄を利用して、目指す場所へ向かいます。「名古屋地下鉄移動歴史歩き①」名古屋へ
せっかく歩いたのに、元も子もない。そうだと思います。お腹は引っ込みません。でも好きなんです。浜名湖方面に出かけた帰りは、いくつかケーキ屋に寄りましたが、回数的に多いのはここですかね。そこそこ知られている、ボンとらやです。ピレーネは種類も増えたみたい。ゆる歩きではダメかな?また歩きます。「自然とゆる山歩き」でした。「自然とゆる山歩き・・・その5」ボンとらや二川本店
「自然とゆる山歩き・・・その4」摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣
普門寺から隣の湖西市へ入り、県道334号線で山裾を回るように進んで行くと、下りになった途中の左手にお寺の入り口が見えます。何度もこの前の道路を走っていますが、ここへ寄るのは二度目です。家康さんの名前があります。東雲寺。摩利支天。この脇を通って山へ入ります。摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣でした。息が切れずに歩ける範囲の山歩きなら、いい運動かなと思えます。山城もこの程度ばかりだったらいいのに・・・。「自然とゆる山歩き・・・その4」摩利支天(東雲寺)と神座古墳群と岩巣
葦毛湿原から一山越えた東側に普門寺があります。普門寺は何度目かなあ?馴染みのお寺になっちゃったかな。また来ました。風車の飾り付けは初めてだな。今回普門寺にやって来たのは、ここで御城印が手に入ると分かったからです。さっそく購入して散策へ。本堂へ向かいました。頑張って山の上の城跡へ行きたかったのですが、自然歩道が廃止されて立入禁止になっていたので断念です。残念。紅葉もいいけど、新緑もいいなあ。仁王門に戻って来ました。いろいろ見れた普門寺でした。山頂の鉄塔辺りが城跡か?その城跡は、紹介したことのある船形山城です。船形山城御城印。収集第九十六号の御城印です。ここから少し静岡県湖西市側へ移動です。「自然とゆる山歩き・・・その3」普門寺と船形山城と御城印
赤岩寺からほぼ南へ下って岩崎町の山の麓の方へ行くと湿原があります。もう一歩、足を延ばしてやって来たのは、葦毛湿原です。駐車場に車が多くありました。こういった所を見て回る人も多いんだね。駐車場から湿原に向かう途中にため池があります。親亀の背中に子亀を乗せて・・・。意外と湿原まで距離があります。でも山道でないだけ我々二人には負担が少ないです。もうすぐです。湿原入り口です。葦毛湿原。弓張山地に三方を囲まれた標高70m前後の緩やかな傾斜地に広がる国内最大級の湧水湿地と、ネットでの説明ありました。湿原へ。湿原の草花に詳しくないので、とりあえず写真だけは撮って行きます。小魚がいたかな?葦毛湿原でした。「自然とゆる山歩き・・・その2」葦毛湿原
時々は奥方様に出掛けさせるために、自分が行った所で見て歩けそうな場所を選びました。豊橋市多米町にある赤岩寺です。私は二度くらい来たお寺で、山の上の赤岩城跡が目当てで来ていました。私もじっくり見ていないので、二人で散策です。時々見ますが、手水舎の龍が格好よくて好きですね。伐採した木だと思います。何にするのかな?お寺の裏へ上がって行きます。ここにもありました。砂防ダムや赤岩城は急なので、こうした階段や山道を避けて、緩やかな道で、お寺の南西側にある展望台へ向かいました。左下の丸い所にある展望台です。←あっち・・・。撮影に夢中になっていると、奥方様に置いて行かれそうです。展望台です。展望台だから、もちろん上がって景色を見ます。豊橋市街地が見えます。景色を見たので戻ります。お寺が見えました。所々で花も見れました。仁...「自然とゆる山歩き・・・その1」赤岩寺
浜松市は広い。だからまだ行けていない所は多いはず。2024年4月下旬、出掛けたついでに少しだけ寄ってきました。浜松市中央区鹿谷町にある犀ヶ崖古戦場。何度か来ています。ただ史跡を見たくなったら、浜松城からも近いので、すぐに寄れます。三方ヶ原の戦いにおける犀ヶ崖の戦いのエピソードがどこまで事実なのか分かりませんが、今残っているこの崖の一部もけっこう深いです。一度下へ行ってみようかな。資料館です。こんなに新しくない時に入って説明を受けたことがあります。今回はスルー。本多肥後守忠真は、本多平八郎忠勝の叔父で、三方ケ原の戦いで討死した武将のひとりです。ここから次の目的地へ行く途中、浜松城ではないお城を見つけました。こじんまりとしたお城ですが・・・。堅牢な建物なので、そう簡単に落城しないと思います。浜松城公園前交番で...「浜松市史跡だけ巡り・・・②」
河津桜は終わったみたいだけど、掛川へ行ったら桜らしき姿が見られました。先日の土曜日、仕事で行った掛川市で、ついでに掛川城下の史跡を回ろうと思い、掛川城へ行ったら、濃いピンクの桜らしき花が咲いておりました。種類は何だろうと思い、帰って調べたら、掛川桜らしいです。知らなかったなあ。ばらつきはあるものの、綺麗に咲いている木もあり、掛川城と一緒に撮ろうと思いましたが、上手く撮れませんでした。次はどこへ行ったら、桜とお城が撮れるかなあ・・・?桜の開花に合わせて行くのも難しい。ちょうど休みの日に当たればいいなあ・・・。調べてみよう。桜の季節かな?
浜松市は、仕事も含めてよく出掛ける自分にとって身近な街です。だから史跡、城跡巡りでもネットでいろいろ探して出掛けています。そんな中、2024年4月中旬に出掛けたのが、今回の「浜松市史跡だけ巡り」のその①です。浜松市中央区頭陀寺町の南北に走る中郡福塚線と、斜めに走る国道150号線が交差する頭陀寺町北交差点のすぐ東側を、南北に走っていた旧掛塚街道の名残りの道を入ると、右手奥に小さな神社があります。この画像の左下を見てください。豊臣秀吉鎌研池跡とあります。こんなところに?と思ってしまいました。豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3月(1533年)より永禄元年4月(1558年)の間、下僕として奉公していたそうです。藤吉郎が馬草を刈るのに、池のはた...「浜松市史跡だけ巡り・・・①」
黒田城から南へ下りながら国道22号へ移り道なりに南下。途中で高速の下道をさらに進むと一宮市から北名古屋市へ。そして車は北名古屋市から清須市へ入りました。そう目指していたのは清州城。御城印目当てで向かっていました。向かっていました・・・。ところが、ナビ通りに清州東ICの下で右折して、さらにその先で側道へ入りましたが、目の前には車の渋滞。ピタッと止まってしまいました。進むには進むけれど、国会の牛歩戦術のように、先の信号の左折を一台ずつくらいしか進めない状態。渋滞が進む先が左手の方の道路にあり、反対向きに進んで行くが、数メートルですぐ停車するありさま。このままでは夜になってしまう。多分清州城も桜祭りなんだろう。私たちは夜桜を見る余裕もないので、ここで渋滞から離脱、結局ICまで戻り、高速に乗りました。ああ、残念。...「桜と城2024&御城印・・・その10」上郷SA(帰り)
「桜と城2024&御城印・・・その9」城№521・・・黒田城
岐阜市の川手城から南へ一気に下り、笠松町を経由して木曽川橋を渡り、愛知県一宮市に入りました。市街地方面である南東へ下って行きながら途中で左折し、名鉄名古屋本線を越えるとJRとの間に小学校があり、城跡を調べた限りではここが城跡の住所でした。ナビが案内した小学校の位置が校舎の東側の名鉄寄りで、城跡らしき物が見えず、戻って東へ移動してやっと見つけました。山内氏の紋です。仕事で着物を扱っているので、紋には馴染みがあります。校舎、グランドの北側の水路(野府川)脇を進んで行くと、その先にJRの踏切があり、その手前の道を右折すると、グランドの北東角に城跡がありました。黒田城。天文年間に城代として居城した山内盛豊の二男が、関ヶ原の後土佐藩主となった山内一豊です。お子ちゃまの一豊です。桜がありました。一応「桜と城」かな?戻...「桜と城2024&御城印・・・その9」城№521・・・黒田城
「桜と城2024&御城印・・・その8」城№520・・・川手城
加納城から西へ進むとすぐに川があり、橋を渡って信号を右折して南へ、三本目の路地を左折すると高校があります。その高校の校舎とグランドの間(グランド側)に城跡がありました。川手城。革手城ともありました。土岐氏の築城。遺構はないので、画像もこれだけです。加納城からおよそ300mの所にある川手城でした。次は、愛知県に入ります。「桜と城2024&御城印・・・その8」城№520・・・川手城
スシローから南へ進んで、高山本線と名鉄各務原線を越えてから右折して市街地方面へ戻り、加納公園の駐車場へ入りました。多少記憶にある景色です。城主がいるんだ。誰だろう?あの女の子か?公園(本丸跡)の中は、家族連れで賑わっていました。こちらは、城址見学です。石垣の上からの景色です。桜もあります。加納城。1445年に斎藤氏が築いたのが始まりのようですが、一時廃城となり、関ヶ原の戦いの後、家康が岐阜城の替わりの築かせ、奥平氏を城主にしたそうです。その後城主は、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏がなったようです。本丸を出て、外を見て回りました。外側からの方が、立派な石垣が見れるからです。城跡の東側には、テニスコートやグランドがありました。お城と桜がコラボした加納城でした。次は、初訪問の城跡へ向かいます。「桜と城2024&御城印・・・その7」加納城
岐阜公園からナビで選んだ昼食は・・・?スシロー岐阜石長店。次の目的地から遠くなかったのでここにしました。さほど待つことなく席につけました。回転ずしへ行っても、最近は10皿も食べられないんですよね。二人とも60代だからお寿司を食べられるだけで満足。好きなものを頼んで、最後はデザートを頼みます。それでも10皿には至りません。食事を済ませて駐車場へ。駐車場から見えるのは・・・?岐阜城が見えました。桜は見えないけれど、お城が見れたスシローでした。ええやん、スシロー。次は、加納城。ここも2007年11月訪問以来です。「桜と城2024&御城印・・・その6」昼食はスシロー
「桜と城2024&御城印・・・その5」岐阜城と御城印・・・後編
振り出しに戻るような感じで、岐阜公園の後編をお送りします。この辺りの歴史については、ほぼ知識がないです。名前は分かりますけどね。織田信長居館跡。信長のことだから、金華山の麓に立派な居館があったんだろうなあ・・・。発掘調査とか一緒にしてみたいなあ・・・。どこかであったら誘ってほしいです。本木君の斎藤道三、良かったよね。(個人の見解です)・・・いつの話ですか?けっこう広かったですね。段差もあるし、いい運動でした。今回は、見るだけのロープウェイでした。このエピソードは、功名が辻の時に知りました。・・・またまたいつの話じゃ。岐阜城と桜と居館跡とロープウェイが見れた岐阜公園でした。岐阜城御城印。収集第九十五号の御城印です。歴史博物館の前の噴水を挟んだ向かい側にある金華茶屋でお団子を買って食べましたが、それだけでは足...「桜と城2024&御城印・・・その5」岐阜城と御城印・・・後編
先週、本屋さんへ行ったら御城印が載ってる雑誌があったので買いました。そしたらカレンダーとオリジナル御城印が付録になっていました。ちょっと得した気分になりました。そして昨日(3月1日)、名古屋吹上で今年もにっぽん城まつりが開催されていたので行ってきました。御城印も購入して来ました。賑やかでしたが、何周もして展示やブースを見て回りました。次は、松江なんだけど、行けたらいいなあ・・・。無理かも・・・。ちょっと情報を・・・。
「桜と城2024&御城印・・・その4」岐阜城と御城印・・・前編
国道21号を走って岐阜市街地へ入り、途中で北上して金華山を目指しました。そのまま長良川の堤防沿いまで出て、北側から岐阜公園近くの駐車場を探しました。こちらも2007年11月以来の訪問となります。岐阜市歴史博物館の道路を挟んだ反対側(西側)の駐車場に入れたので、こちら側(南側)から岐阜公園へ入りました。岐阜城。二階堂氏の築城から始まり、斎藤氏、織田氏、池田氏など城主が変わっています。今は織田信長の時代の遺構が注目されているのかな。ロープウェイが見えました。前回乗りました。前回、こちらには来ていません。と言うより、発掘調査もまだだったような・・・。桜もありました。金華山ロープウェイの売店に行き、岐阜城の御城印を購入しました。ササッとはしょって来ましたので、前編はここで終了します。「桜と城2024&御城印・・・その4」岐阜城と御城印・・・前編
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