1、さわやか易・講座(上)68話
「初六、鳴豫(めいよ)す。凶。」初六は、身分低く、才能もない。ただ、身分の高い九四の陽爻と正しく応じている。「鳴豫(めいよ)」とは、評判になるほど喜ぶこと。つまり、初六は応じている九四が名声を得ていることを鼻にかけ、はしゃいでいる。これでは凶である。「六二、石に介(かい)す。日を終へず。貞にして吉。」六二は、中徳を備えた陰爻であるが、正しく応じる爻もなく、正しく比する爻もない。そこで、独立独歩、我が道を行くが如く、しっかりと自分の守るべき道を守っている。「石に介(かい)す。」とは、石のように堅く守ること。「日を終へず。」とは、その日のうちに済ます。つまり、為すべきことを、ぐずぐずしないで、しっかりと、行う。心がけ正しく、吉である。楽しみの卦である「雷地豫」での爻は殆どが正しくない中で六二だけは「貞にして吉...「雷地豫」(爻辞)
「豫(よ)は候(きみ)を建て師(いくさ)を行(や)るに利し。」周易が作られた時代は、殷の末期であり、戦争は常に起こり、平和な時代ではなかった。六十四卦の中にも戦争や国を建てるという話は多い。ここでもそんな時代を表している。豫(よ)とは、本来は喜び、楽しむという意味ではあるが、ここでは、じっと時を待っていた国造りの時期が来たことを喜ぶ背景になっている。序卦伝に、「大有にして能く謙すれば必ず豫(たの)しむ。故に之を受くるに豫を以てす。」とある。「雷地豫」(卦辞)
「初六、謙謙す。君子用(も)って大川を渉る。吉。」初六は身分は低くく、能力もないが謙虚に徹している。「謙謙す」とは、腰の低いこと、並々ではない程、ヘリ下っている。そういう君子であれば、冒険しても良い結果になるり、吉だろう。「六二、鳴謙(めいけん)す。貞にして吉。」六二は中徳を備えた陰爻。「鳴謙(めいけん)」とは、腰の低いことが世間に鳴り渡っている。「貞にして吉。」正しいことであり、吉である。「九三、勞謙(ろうけん)す。君子、終有り。吉。」ここでの主爻。「勞謙(ろうけん)」とは、大いに勤労し、大いに功績がありながらも深く謙遜している。二爻、三爻、四爻を八卦にするのを互卦というが、「水」の卦となるが、「水」には、「労卦」という意味がある。これは流れる川を想定して、水ほど昼も夜も間断なく休むことなく、辛労難儀す...「地山謙」(爻辞)
「謙は亨る。君子、終(おわり)有り。」序卦伝に、「大有なる者は、以て盈(み)つ可からず、故に之を受くるに謙を以てす。」とある。富めば富むほど、大きくなれば大きくなるほど、心から我が身を小さくして、よく謙遜して人にへり下らなければならない。謙遜は大有をよく保って失わないようにする道である。「謙は亨る。」自分の身を処するに謙遜であるときは、いかなるところにおっても、いかなる場合においても、必ず亨り、大いに伸び盛んになるべきである。「君子、終(おわり)有り。」君子はよく終わりを全うすることが出来る。君子と小人の違いは、「小人は欲有れば必ず競い、徳有れば必ず誇り、勉めて謙を慕わしむと雖も、亦、安んじて行いて固く守る能わず、終有ること能わざればなり。」「地山謙」は主爻である九三の一陽五陰であり、孔子の解説によれば、...「地山謙」(卦辞)
「火天大有」という理想的な社会を実現するには、全階級が一丸となって努力する必要がある。その前提で読んで行くと、良く理解出来るだろう。「初九、害に交はる无し。咎あるに匪(あら)ず。艱(なや)めば則ち咎无し。」初九は身分は低いが陽爻として正しい位置にある。しかし、「火天大有」の時代は景気が良く、身の周りは誘惑が一杯である。そんな状況の中で、害毒になるような誘惑に交わらない。艱難を忘れず、常に戒慎恐懼するならば、咎められることはない。「九二、大車以て載(の)す。往く攸有り。咎无し。」九二は天子の六五と正しく応じており、六五が最も信頼する賢人である。六五の頼み事や相談事を全て引き受けている。あたかも、重い荷物を載せられる大車のようである。次々と課せられる仕事をこなして、前に進んでいる。勿論、咎めはないだろう。「九...「火天大有」(爻辞)
「大有は、元(おおい)に亨る。」大有とは、陽なるものが盛大にある。誠に景気がよく盛んであること。序卦伝に「人と同じくする者は、物必ずこれに帰す。故に之を受くるに大有を以てす。」太陽が高く天上に輝いており、地上の万物はことごとく照らされている象である。卦の特徴は、五爻が陰爻であり、他は全て陽爻である。この主爻である六五が全ての陽爻を従えている。六五は陰であり、中庸の徳はあるが、自分の能力はない。しかし、能力のある陽爻たちが能力を発揮して盛大になっている。「水地比」と比べて見ると、面白い。「水地比」は五爻が陽爻で、他は全て陰爻になっている。「火天大有」とは反対である。これも五爻の陽爻に全てが従うのであるが、従う爻は全て陰爻であり、能力はない。自分の能力が全てに優っている。卦辞には、「比は吉。原筮(げんぜい)し...「火天大有」(卦辞)
この爻辞を読んでいくと、九三から「何だこれ!」と思わせ、繋がりが解らなくなってくる。そこで、予めそのあらすじを説明しておきます。ここでは、六二が中心の優れた人物になっています。九三も九四も争ってでも自分の味方につけようとする。しかし、最後は正しく応じている九五が味方に付けることに成功するというストーリーになります。「初九、人に同じくするに門に于(おい)てす。咎无し。」この言葉は卦辞の言葉とほぼ同じである。野(や)が門になってるが、意味はそれほど変わらず、同志を集めるのに外の者に呼びかけている。勿論、咎はないだろう。「六二、人に同じくするに宗(そう)に于(おい)てす。吝。」一陰五陽の一陰。「天火同人」の主爻である。しかし、吝となっている。「人に同じくするに宗(そう)に于(おい)てす」本来なら、卦辞にそって宗...「天火同人」(爻辞)
「人に同じくするに野(や)に于(おい)てす。亨る。大川を渉るに利し。君子の貞に利し。」序卦伝には、「物は以て否に終る可からず、故に之を受くるに同人を以てす。」とある。乱世の時代が終われば、意思疎通が活発になる時代がやってくる。同人とは、人と協同一致することである。「人に同じくするに野(や)に于(おい)てす。」とは、同志のものと協同一致する時は広く天下のものと共に行いなさい。つまり、自分の身内だけの集まりではいけないという意味である。因みに、城の外を郭(かく)といい、郭の外を郊(こう)といい、郊の外を野(や)という。野は遠い所であり、広い天下を意味する。「亨る。大川を渉るに利し。君子の貞に利し。」大いに発展するだろう。いかなる難問題も解決出来るだろう。君子の正しさと賢明さがものをいうだろう。「大川を渉るに利...「天火同人」(卦辞)
「初六、茅(ちがや)を抜くに茹(じょ)たり。其の彙(たぐい)を以てす。貞なれば吉にして亨る。」この言葉は「地天泰」の初九とほぼ同じである。ただし、初九と初六の違いがある。初六は能力のない低い身分であるから、連れてくる仲間も同じく能力のない者たちである。ただし、正しい態度であれば、吉であろう。「六二、包承(ほうしょう)す。小人は吉。大人は否(ふさ)がりて亨る。」六二は、能力はないが、中徳を備えており、九五とは正しく応じている。「包承(ほうしょう)す。」とは人の命令に従順に従うこと。九五からの指示に素直に従っている。「小人は吉。大人は否(ふさ)がりて亨る。」能力のない者はそれで良いのだが、能力のある者にとっては閉じ塞がることに我慢出来ないこともあろうが、仕方ない。「六三、包羞(ほうしゅう)す。」六三は、位も不...「天地否」(爻辞)
「之を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず。君子の貞に利しからず。大往き小来(きた)る。」前回の「地天泰」の正反対であり、「通じる」の反対で「閉塞」を表している。序卦伝に、「泰とは通ずるなり。物は以て通ずるに終る可からず、故に之を受くるに否を以てす。」とある。「之を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず。」君臣上下の意思疎通を閉ざす者は人間ではない。昔、中国の朝廷には宦官(かんがん)制度があった。時に人間味のない姦佞邪智なる宦官が君と臣の間にいて、上下の意思疎通を完全に塞いでいた。そんな情景を想像すると「天地否」が解るだろう。「君子の貞に利しからず。」どんな正しい考えを持った君子といえども、どうすることもできないのである。「大往き小来(きた)る。」これも「地天泰」の反対である。君子が全て外に去って行き、小人が内に蔓延る...「天地否」(卦辞)
「地天泰」の特徴は「泰は通ずるなり」で上下の意思疎通が良いことでもある。各爻について言えば、初九と六四、九二と六五、九三と上六が全て正しく応じている。その意思疎通がより解るように、今回は初九と六四、九二と六五、九三と上六の順に説明することにする。「初九、茅(ちがや)を抜くに茹(じょ)たり。其の彙(たぐい)を以てす。征きて吉。」茅(ちがや)は草の一種。茹(じょ)は根が繋がっている様子。彙(たぐい)は同類。初九は下位にいる若く、有能な人材である。六四と意思疎通があり、何でも意見を聞いて貰える関係にあるので、有能な人材があたかも茅(ちがや)を抜いた時に、後から後から続く様に集まって来る。「征きて吉。」どんどん前に進んで吉である。「六四、翩翩(へんぺん)たり。富めりとせずして其の隣(となり)を以てす。戒めずして以...「地天泰」(爻辞)
「泰は、小往き大来(きた)る。吉にして亨る。」序卦伝に、「履ありて然る後に安し、故に之を受くるに泰を以てす。泰は通ずるなり。」とある。人々が礼儀をわきまえるようになると、世の中の秩序が定まり、安泰になる。という意味であるが、泰とは泰平であり、安定である。「小往き大来(きた)る。」とは、小は陰、大は陽のこと。すなわち、陰爻は外に行き、陽爻は内に来る。ここでは上と下を外と内としている。「吉にして亨る。」吉よりもさらに良いとして、亨がついている。言うことなしである。序卦伝の「通ずるなり。」であるが、上にある坤(地)は下に向かう性質がり、下にある乾(天)は上に向かう性質がありので、相交わり、意思の疎通が通い合う。それで通ずるなりである。これは、応用して考えると、色んな場面を想像出来る。例えば、上は国で言えば、政府...「地天泰」(卦辞)
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1、さわやか易・講座(上)68話
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(感動する)1,「沢山咸」(卦辞)2、「沢山咸」(爻辞)(夫婦の道)3、「雷風恒」(卦辞)4、「雷風恒」(爻辞)(遁れる道)5、「天山遯」(卦辞)6、「天山遯」(爻辞)(陽のエネルギーが盛んなこと)7、「雷天大壮」(卦辞)8、「雷天大壮」(爻辞)(日が昇る)9、「火地晋」(卦辞)10、「火地晋」(爻辞)(暗黒の世界)11、「地火明夷」(爻辞)12、「地火明夷」(爻辞)(家庭生活)13、「風火家人」(卦辞)14、「風火家人」(爻辞)(そむきあう)15、「火沢睽」(卦辞)16、「火沢睽」(爻辞)(困難を前にする)17、「水山蹇」(卦辞)18、「水山蹇」(爻辞)(困難が解消する)19、「雷水解」(卦辞)20、「雷水解」(爻辞)(奉仕する)21、「山沢損」(卦辞)22、「山沢損」(爻辞)(報われる)23、「風雷益...さわやか易・講座(下)目次
「火水未済」の各爻は、前半は乱れ、後半は治まる。「初六、其の尾を濡らす。吝。」初六は、身分の低い陽位にいる陰爻。能力才能はない。「火水未済」(爻辞)
「火水未済」の卦は、事がまだ未完成である。「未済(びせい)は亨る。小狐「火水未済」(卦時)
「水火既済」の各爻は、泰平を壊さぬように、注意している。「初九、その輪を曳く。其の尾を濡らす。咎无し。」初九は、身分は低いが、陽位にいる陽爻で、分別はしっかりしている。泰平の時代が壊れないように、慎重に処することを忘れない。車で川を渡ろうとしているが、勢いよく進まないように、「その輪を曳く」車輪にブレーキをかけている。「其の尾を濡らす」狐が川を渡る時に、尾が濡れると渡れないので、わざと尾を濡らした。咎はないだろう。「六二、婦(ふ)、其の茀(ふつ)を喪ふ。逐(お)ふ勿れ。七日にして得ん。」六二は、中徳を備えた陰位にいる陰爻。ここでは慎重さを失わない夫人である。「茀(ふつ)」とは、婦人用車の覆いで雉の羽で飾ってある。ある日、その覆いがなくなってしまった。「逐(お)ふ勿れ。七日にして得ん」しかし、大騒ぎしてはい...「水火既済」(爻辞)
「水火既済」は事が成就した。ものごとが完成した。「既済は、亨ること小なり。貞しきに利し。初めは吉、終りは乱る。」良いことではあるが、大きな発展はない。正しい考え方を守ることが大事である。初めのうちは良いのだが、次第に問題が生じてくるだろう。この卦の特徴は、初爻から上爻まで、全ての爻の陰陽正しい位置にある。適材適所にある。序卦伝に、「物に過ぐるあるものは必ず済(な)る。故に之を受くるに既済を以てす。」とある。人に過ぎたる能力才能があり、人に過ぎたる努力をするものは必ず成就するのである。卦の形は、上に水、下に火であるので、料理をするには、下から火が燃えて、上の具材が煮られていく。そうして、美味しい料理が完成する。天下泰平の極致とも言えるが、物事は盛んなれば必ず衰える。月も満月になれば、今度は少しずつ欠けていく...「水火既済」(卦辞)
「雷山小過」の各爻は、小人の蔓延る時代に処する道を示している。「初六、飛鳥、以て凶。」初六は、身分の低い陽位にいる陰爻。能力も才能もない。「飛鳥」は飛ぶ鳥。本来は陽位置であるので、元気に働かなくてはいけない。身分の低い初六は、何とか飛躍しようと試みたが、たちまち失敗した。大人しくしていなければいけなかった。凶である。「六二、其の祖を過ぎ、其の妣(ひ)に遇ふ。其の君に及ばず、其の臣に遇ふ。咎无し。」六二は、中徳を備えた陰位にいる陰爻。ここでは宮中の親族である。「其の祖」と「其の君」は君主と見る。「其の妣(ひ)」は亡き母であるが、ここでは祖母又は曾祖母と見る。しかし、小過の時代であるので、出過ぎた行動は厳に慎まねばならない。そこで、六二は、「其の妣(ひ)」に遇って相談する。そして、「其の臣」にも遇って相談する...「雷山小過」(爻辞)
「雷山小過」の卦は、小(陰)なるものが過ぎている。「小過は亨る。貞しきに利し。小事に可なり。大事に可ならず。飛鳥(ひちょう)、之が音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。」小過は良いことである。正しい道を行けばそれで良い。小さいことに長けているが、大きいことは向いていない。「飛鳥(ひちょう)、之が音を遺す」例えば飛ぶ鳥に例えれば、鳴き声が聞こえてきたが、これ以上長子に乗って高く飛ぼうとせず、降りてくる方が良いだろう。それで上等である。小(陰)に過ぎるのが、「雷山小過」で、大(陽)に過ぎるのが、「沢風大過」である。因みに、「沢風大過」の卦時は、「大過は、棟(むなぎ)撓(たわ)む。往く攸有るに利し。亨る。」である。双方とも悪い卦ではなく、「亨る」、「大吉」があり、良い卦である。双方バランスを欠いているが...雷山小過」(卦辞)
「風沢中孚」の各爻は、応じる爻によって吉凶が決まることを示している。「初九、虞(おもんばか)れば吉。他有れば燕(やす)からず。」初九は、身分の低い陽位にいる陽爻。新入社員と見ても良い。応じる爻は六四の陰爻である。「虞(おもんばか)れば吉」初九は応じている六四を信じて心を寄せている時は吉である。「他有れば燕(やす)からず」そうではなく、他のことを考えている時は安心しておれない。「九二、鳴鶴(めいかく)、陰に在り。其の子、之に和す。我、好爵有り。吾、爾(なんじ)と之を靡(とも)にせん。」九二は、中徳を備えた陰位にいる陽爻。九五とは陽どうしで正しく応じてはいないが、中徳を備えた者どうしは、例外的に真心と真心が感応することがある。この卦では、九二が親鳥で、九五がその子であり、感応するのである。すなわち、九二の親鳥...「風沢中孚」(爻辞)
「風沢中孚」の卦は、真実な誠の心に感動する。「中孚は、豚魚(とんぎょ)吉。大川を渉るに利し。貞しきに利し。」「豚魚(とんぎょ)」とは、豚や魚。すなわち、中孚の誠の心は、例えれば、豚や魚にも通じるものである。吉である。大きなことを成し遂げるのにも良いだろう。正しい道を守ることである。誠の心に感動するである。中孚は、中は心の中、孚は、自然に人が感動すること。孚の字は、爪の下に子であり、親鳥が卵を温めている姿である。また、中孚の形は卵であり、真ん中の陰爻を黄味とし、外の陽爻を白味と殻であるとする。この卦の象は、沢の上に風であり、沢の水が風によって時に大きく、時にさざ波となって反応している。また、沢は喜ぶであり、風は順うであるから、下の人民は上の徳を喜んでいる。上の君主大臣は人民の感情意思を尊重して順うのである。...「風沢中孚」(卦辞)
「水沢節」の各爻は、節の時に対処する道を述べている。「初九、戸庭(こてい)を出(い)でず。咎无し。」初九は、身分の低い、陽位にいる陽爻。「戸庭(こてい)」「水沢節」(爻辞)
「水沢節」は、節度、規律の道である。「節は亨る。苦節は貞にす可からず。」節度を大事にすることは良いことである。しかし、あまりに厳し過ぎるのは、良いとは言えない。節とは、竹の節(ふし)である。物事にはすべて一定の規律がある。それを堅く守ることが節である。節度、節制、節義、礼節、節操、貞節、調節である。個人にとっても、国家にとっても、節はなくてはならない。序卦伝に、「渙とは離るるなり。物は以て離るるに終る可からず、故に之を受くるに節を以てす。」とある。何か良いことがあり、大いに喜んで、有頂天になると気が緩んでしまう。気が緩むと物事は離れ散じ紛乱する。それではいけないと人は気を引き締める。気を引き締めるのが節である。節の卦は、上が水、下が沢である。水は艱難を表し、沢は喜ぶである。この卦は、喜んで険に進むである。...「水沢節」(卦時)
「風水渙」の各爻は、離散の危機に処する道を説いたもの。「初六、用つて拯(すく)ふに馬壮んなり。吉。」初六は、身分の低い庶民である。離散の危機にも、自らは何も出来ない。しかし、幸いに上の九二が有能な賢者なので、頼ることにする。ここでの「馬」は九二のことである。つまり、初六は、離散の危機に、有能な九二によって救われる。吉である。「九二、渙のとき其の机(き)に奔る。悔亡ぶ。」九二は中徳を備えた陰位にいる陽爻。ここでは、能力才能のある官僚である。「机(き)」とは机やテーブルのことで、ここでは初六のことである。自分を頼る初六の庶民がいるので、自分もがんばれるのである。つまり、九二の官僚は、離散の危機に、自分を頼って来る庶民のために、力を得てがんばることが出来る。悔いはないだろう。「六三、其の躬(み)を渙(ちら)す。...「風水渙」(爻辞)
「風水渙」は悩みを一掃する「渙は亨る。王、有廟(ゆうびょう)に「風水換」(卦辞)
「兌為沢」の各爻は、素直に悦ぶ者、誘惑される者、誘惑する者。「初九、和(やわら)ぎて悦ぶ。吉。」初九は身分の低い陽位にいる陽爻。元気な若者である。「和(やわら)ぎて悦ぶ」とは、周囲に調和し、人と和合する。つまり、初九は、はなはだしき流れず、程よく悦び楽しんでいる。それゆえに吉である。「九二、孚(まこと)ありて悦ぶ。吉。悔亡ぶ。」九二は中徳を備えた陰位にいる陽爻。剛強なる能力と才能がある。しかし本来陰位置であるので、六三から誘惑を受ける。その誘惑に流されない誠の志を持っているので、吉であり、悔いも亡ぶのである。「六三、来(きた)りて悦ぶ。凶。」六三は、中徳を備えていない陽位にいる陰爻。軽挙妄動の爻である。ここでは、最大の厄介者である。「来(きた)りて悦ぶ」は、上卦に正しく応じる爻がないので、下の九二に向かう...「兌為沢」(爻辞)
「兌為沢」の卦は、悦ぶであり、悦ばせるである。「兌は亨る。貞(ただ)しきに利し。」「兌は亨る」我も悦び、人も悦び、万物は生長発育する。「貞(ただ)しきに利し」大いに悦ぶときは、つい油断し、正しくない道に陥り易いので、それを戒めて正しい道を堅く守っておるのがよろしい。序卦伝に、「巽は入るなり。入りて後に之を説(よろこ)ぶ、故に之を受くるに兌を以てす。兌とは説ぶなり。」とある。巽の卦は、受け入れてもらうために、巽順であることであった。それが、受け入れられたのであるから、素直に喜んでいる。沢は山に振った雨が集まり、下へ下へと流れる。沢あればこそ、山を潤し、野を潤し、草木は繁茂する。鳥や動物たちも水を求めて集まる。魚たちも生活することが出来る。人の農業も沢の恩沢を受けている。沢の効用は計り知れない。人間に配当すれ...「兌為沢」(卦辞)
「巽為風」の各爻は、それぞれの立場での巽順を表している。「初六、進退す。武人の貞に利し。」初六は、身分の低い陽位にいる陰爻。引っ込み思案である。そこで、行動する時は、武人のように自信を持って振舞えばよろしい。「九二、巽して牀下(しょうか)に在り。史巫(しふ)を用ふること紛若(ふんじゃく)たり。吉にして咎无し。」九二は中徳を備えた陰位にいる陽爻。巽順の徳を得た働き者である。「牀下(しょうか)」とは、祭壇の下で身分の低い者のこと。。「史巫(しふ)」とは、史は神様に人の意思を伝達する者、巫は神様のご託宣を人に伝達する者。「紛若(ふんじゃく)」とは、身を粉にして働く。つまり、九二は祭壇の前で、上下誰にでも巽順の態度で、史巫たちにてきぱきと指示して、仕事をしている。吉であり、咎はないだろう。「九三、頻(しきり)に巽...「巽為風」(爻辞)
「巽為風」の卦は、一つの世界に入ることである。「巽は少しく亨る。往く攸有るに利し。大人を見るに利し。」巽は風である。風はどこにでも入っていく。また、へりくだるという意味もある。巽順といい、頭を低くし、謙遜な態度で接することである。ですから、「少しく亨る」のである。その態度で進んで行くなら良い事がある。「大人を見るに利し」大切なことは、徳のある人物に出会うことである。序卦伝に、「旅にして容れらるる所無し、故に之を受くるに巽を以てす。巽とは入るなり。」とある。国を失い、旅をする者は、自分を小さくして、へりくだり従順にして相手に受け入れてもらうことである。「旅」の次に「巽」があるのは、誠に道理を得ている。巽順であることは、人に諂うことではない。それは行き過ぎであり、剛強にして守るべき道を持ち、中の徳を持っている...「巽為風」(卦辞)
「山火賁」は飾るである。飾るは行き過ぎると中身のないものになってしまう。中身がなく、うわべだけを取りつくすようになっては、もう頼りにならない。「飾りを致して然る後に亨(とお)れば則ち盡(つ)く、故に之を受くるに剝を以てす。剝とは剝(つ)くるなり。」人にしても企業にしても、外観ばかりにエネルギーを注ぐようになれば、実力は益々低下してしまう。人はうわべの礼儀だけになり、心の誠実は失われていく。企業も実績を隠し通すようになり、粉飾決算するようなる。それが、「山地剝」である。剝は剝ぎ取られて尽きてしまうこと。剝は剝製の剝であるから、外側だけ立派に見えるが中身はない。卦の形は、一番上にある陽爻が最後の砦で頑張っている形である。下からの陰の力が強く、ついに陽は追いつめられている。時代の終わりを意味することもある。「物...序卦伝(12)山地剝と地雷復
「風地観」は人々が見上げるだった。企業でも業界で見上げるように大きくなると、必ず外からの合併話が起きて来るものだ。「観る可くして而して後に合ふ所有り、故に之を受くるに噬嗑(ぜいこう)を以てす。嗑とは合ふなり。」噬(ぜい)は噛む、嗑(こう)は合う。嚙合わせることである。事業や人も大きく立派になると、さらに大きくなるために合同しようとする動きが出てくる。そうすると、必ず反対するもの、障害物が出てくるものだ。その障害物を嚙み砕いて進まなくてはいけない。それが「火雷噬嗑」の卦である。人の場合それは結婚話かも知れない。結婚話もそうそう簡単には済まない。やはり反対する者が出てくる。それはどちらかの親である場合もあるだろう。その反対を粘り強く、説得し、噛み砕いて先に進むことである。「物は以て苟くも合うて已む可からず、故...序卦伝(11)火雷噬嗑(ぜいこう)と山火賁
「山風蠱」は事故、事変だった。人の成長も社会の発展も、大きく前進するためには、難問題を解決した時ではないだろうか。人はしばしば挫折の後に飛躍するものである。「事有りて而して後に大なる可し、故に之を受くるに臨を以てす。臨とは大なるなり。」「山風蠱」の次に「地沢臨」があるのは、「天地否」の次に「天火同人」があるようなものだ。人間にしても、社会にしても、大きく飛躍するのは難問題を抱えた時なのかも知れない。スランプの後に好記録が出るようなものだ。人間も尺取虫のように、伸びたり縮んだりしながら前に進むようなものなのか。明治を迎えた日本を象徴する出来事として、勝海舟を艦長とする「咸臨丸」が始めてアメリカに渡った。この咸臨とはこの卦から名付けられたものである。「物大にして然る後に観る可し、故に之を受くるに観を以てす。」...序卦伝(10)地沢臨と風地観
「雷地予」は楽しむだった。自分が楽しめば、必ず人が集まって来る。「予(たのし)めば必ず随う有り、故に之を受くるに隋を以てす。」「笑う門には福来る」楽しい人には友達が随ってくる。上に楽しむを表す兌(沢)があり、その下に行動を表す震(雷)が来ている。人間に配当すると、沢は少女、雷は長男にあたる。ちょうど、舞台で華やかな歌やダンスを披露する少女に大の男が追っかけをしているようなものか。追っかけも度が過ぎるとストーカーになってしまうので気を付けてもらいたい。隋には活動後の一休みという意味もある。雷は活動、沢は喜ぶだから、活動した後にゆっくりと寛ぎ、喜び楽しむのである。そんな時に親しい友人がやって来て、さらに喜びは増す。「笑う門には福来る」そうなれば、最も望ましい光景となる。「喜びを以て人に隋ふ者は、必ず事有り、故...序卦伝(9)沢雷隋と山風蠱
「火天大有」という富裕の卦に続くものは、おごり高ぶるかと思いきや、意外に謙虚だった。この辺が、孔子を喜ばせ易に夢中にさせた由縁だろうか。易の配列には実に頭が下がる。「有(たも)つこと大なる者は、以て盈(み)つ可からず、故に之を受くるに謙を以てす。」財産もあり、人材も多く、国が豊かになっても、得意になってはいけない。富めば富むほど、大きくなれば大きくなるほど、謙虚でなければいけない。豊かな人がヘリ下り、謙虚であると、その豊かさは帰って輝きを放つものである。この卦の形は、高い山が地の下にあるというのだが、ここに意味がある。そもそも山と言っても、大地の一部である。高い高いと言っても偉大な大地には敵わない。そこで、自分がいくら高い山になったとしても、市民の一人、国民の一人と考えれば威張ることは出来なくなる。そう教...序卦伝(8)地山謙と雷地豫
泰平が長引いて、ついに乱世になった。乱世を終わらせ、新しい時代を切り開こうとする動きは始まる。志あるものの結束である。「物は以て否(ふさ)がるに終る可からず、故に之を受くるに同人を以てす。」乱世を終わらせ、新時代を開くには、一人や二人の力ではどうにもならない。多くの人が心を一つにして協同する必要がある。同人とは、同人誌などに使われるが、同じ趣味や志を持つ人同士が集まることである。この卦の形は、天は上を目指す。火もまた上を目指すものであることから、同じ志を持つものと表している。序卦伝(6)天火同人と火天大有
「天沢履」は礼を守る卦であった。親子、兄弟、友人、職場でも、皆が礼儀を守れば、世界は安泰である。そこで、次にくるのは、「地天泰」である。「履ありて然る後に安し、故に之を受くるに泰を以てす。泰とは通ずるなり。」泰とは通ずる。上下の意思が通ずることである。卦の形をみると、地が上にあり、天が下にある。一見すると、逆さまのようであるが、ここに意味がある。すなわち、地はあくまで下を目指し、天はあくまで上を目指すものである。上にあるものが、下を目指し、下にあるものが上を目指すということは、上下の意思が通じ合うということになる。この卦は安泰を表し、易の卦の中でも最も安定した理想的な卦であるとする。易者の店ではこの卦が看板になっている。家庭内では親が子の意見に耳を傾け、職場内では経営者が社員の意見に耳を傾ける。意思の疎通...序卦伝(6)地天泰と天地否
「水地比」は相親しむの卦であった。争いを止めて、人々が親しみあえば良いことが起こる。すなわち、蓄えが出来るようになる。次は畜えをを意味する「風天小畜」の卦となる。「比すれば必ず畜ふる所有り、故に之を受くるに小畜を以てす。」畜の意味は留める、貯える、養うである。一家よく和合し、一国よく和合するときは、貯蓄ができ、財政が豊かになるものである。それ故に、「水地比」の次に「風天小畜」が置いてある。「風天」といっても「フーテンの寅さん」とは関係ありません。「フーテン」は瘋癲と書いて、少し頭がおかしくなった人のことをいいます。易の「風天」は風(長女)が天(陽の男たち)を相手に慕われている様子を表しています。相撲部屋の女将さんと言ったところでしょうか。「物畜へられて然る後に禮(れい)有り。故に之を受くるに履(り)を以て...序卦伝(5)風天小畜と天沢履
「天水訟」は争いの卦であった。争いを起こすには、味方同士が団結する必要がある。そこで、次にくる卦は「地水師」である。「訟には必ず衆の起こること有り。故に之を受くるに師を以てす。師とは衆なり。」軍隊では独立して作戦を立てる戦略単位を師団という。師は衆であり、戦争である。訴訟、争いがエスカレートすると次第に規模が大きくなる。人と人の争いがが村と村との争いになり、団体と団体の争いが国と国、民族と民族の争いにまで発展する。それが戦争である。それゆえに、「天水訟」の次に「地水師」が置いてある。卦の形は目に見えないところ(地)に問題(水)が潜んでいる象である。「衆は必ず比する所有り。之を受くるに比を以てす。比とは比するなり。」比するということは親しむということである。大勢の人が集まる時には、必ずその中にリーダーがいる...序卦伝(4)地水師と水地比
序卦伝の配列は、人間の成長過程を示すものでもあります。産みの苦しみを経て生まれ、蒙昧である赤ちゃんとなり、今度は養わなくてはなりません。そこで、次に来る卦は「水天需」となります。「物の穉(おさな)きは養はざる可(べ)からざるなり、故に之を受くるに需を以てす。需とは飲食の道なり。」需には「待つ」とか「求める」という意味もある。需は需要でもあり、人間の需要とするものは全てこの中に含まれている。肉体を養うばかりではなく、心を養うことも含まれている。心を養うには愛情をそそぐことである。卦の形は天の上に水があることから、人々が天からの雨を待っている象とみる。「飲食には必ず訟(うったえ)有り、故に之を受くるに訟(しょう)を以てす。」人間ばかりでなく生き物に共通するのは食べ物を求めての争いである。争いは生まれて、成長す...序卦伝(3)水天需と天水訟
☰(乾)と☷(坤)は万物の父と母ですので、易の配列は実質的には「水雷屯」から始まります。「天智有り、然る後に萬物生ず。天地の間に盈つる者は唯だ萬物なり。之を受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」屯という文字は、草が始めて地上に出ようとして苦しんでいる様を表しています。地上に芽を出した植物が全て成長することはありません。朝顔を種から育ててみると解りますが、いっせいに芽をだした朝顔の殆どは育ちません。何分の一しか育たないのです。それ程、生まれたものが順調に成長することは大変なことなのです。易の配列の始めに屯があることは、意味があることなのです。人間を含めて、動物や植物が生を得て、成長することは困難が伴うことを表しています。生命の成長と同じく、物事は全てがそうです。何か事業を始めよ...序卦伝(2)
八卦を理解出来ましたら、次に六十四卦に進みます。八卦をそれぞれ上下に重ねると、8×8=64ですから、六十四卦となります。六十四卦の本文には、その卦の卦辞(かじ・卦の言葉)と6個の爻(こう)に対して爻辞(こうじ)が述べられています。爻辞は占いに使うために作られた言葉もあるので、ピンとこない言葉も多いのです。そうすると、いつの間にか意味不明で解らないということになりがちなのです。そこで、私がお勧めするのが、その前に、「序卦伝」を学ぶことです。「序卦伝」は孔子が作った易の参考書・十翼の一つで六十四卦の配列を説いてあるものです。安岡正篤先生も絶賛していますが、この配列が頭が下がるほど良く出来ているものなのです。配列を知ると同時に、易全体の輪郭のようなものが解ってきます。この配列と輪郭が解って、次に本文に進みますと...序卦伝(1)
最後は☶艮(ごん・山)と☱兌(だ・沢)になります。☰(乾)と☷(坤)の少男と少女です。☶艮(山)と☱兌(沢)も対をなすもので、二つの卦の相性は良く、互いに助け合う関係です。山のイメージは動かない、固い、山登りには努力、頑張りが必要です。一方の沢は楽しく、開放的です。川下りを想像すると、ワーワー、キャーキャーの歓声が聞こえそうです。☶☱艮(ごん・山)と兌(だ・沢)「艮は止(とど)まるなり。」(説卦伝)、自然では山、家族では少男、身体では手、動物では犬です。卦の形を見ると、陽爻が上でふさいでいるようにも見えます。そこから止める、抑える、守るというイメージになります。謹厳実直、頑固な人のイメージも湧いてきます。一方の兌(沢)は「説(よろこ)ぶなり。」(説卦伝)、自然では沢、家族では少女、身体では口、動物では羊で...八卦の解説(4)艮(山)と兌(沢)
今回は坎(かん・水)と離(り・火)について説明いたします。乾(天)と坤(地)の中男と中女です。☵(坎・水)はが上下のの間にあり、☲(離・火)は反対にが上下のの間にあります。☵(坎・水)の特徴は上下の陰に中に陥っていると考えます。ちょうど水の中に陥ったと想像して下さい。そこから、困難に陥るという意味になり、坎は水の卦、困難の卦となります。☲(離・火)は上下が陽で発散していると考えます。発散するものは火です。そこから離の卦は火の卦となります。火は明るいものなので、文化、文明を表します。離婚や離別の離が何故火なのかと疑問に思う方もあるでしょう。(始め私も思いました。)この離は辞書を調べると解りますが、付くという意味があります。「離は麗(つ)くなり。」火は何かに付いて燃えるものから、そう呼ぶようになったようです。...八卦の解説(3)坎(かん)と離(り)
今回は☳(震しん・雷)と☴(巽そん・風)について説明いたします。乾が父、母が坤であれば、☳(震しん・雷)は長男、☴(巽そん・風)は長女にあたります。三つの陽と陰は陽爻、陰爻と呼びますが、震(しん・雷)は下に陽爻が、巽(そん・風)は下に陰爻があるのが特徴で、その意味を表しています。☳☴震(しん・雷)と巽(そん・風)「震は動くなり」、下にある陽爻が上に昇ろうとして活動しているのです。自然では雷で、陽の気を盛んに発動するのです。家族では長男、動物では竜、身体では足にあたります。「極まりては健と為す。」ともあります。時には「乾」にも勝る勢いを表します。新しい世界を開く、始める、そのエネルギーを感ずるのは震(しん・雷)でしょう。「巽は入るなり」、一方の巽(そん・風)は自然では風で、風の如くどこにでも入ってきます。家...八卦の解説(2)震(雷)と巽(風)
易の基本は八卦(はっか)です。一般的に「はっけ」と呼ばれますが、正しい呼び方「はっか」です。この八卦をしっかり覚え、イメージすることが肝心です。ここを曖昧なままに先に進むと、いつの間にか何が何だか解らなくなってしまうので、「易は難しい」ということになります。八卦は、☰(乾)、☱(兌)、☲(離)、☳(震)、☴(巽)、☵(坎)、☶(艮)、☷(坤)ですが、この順番は陽に近い順になっています。しかし、八卦をより理解するために、私は始めに☰(乾)と☷(坤)、次に☳(震)と☴(巽)、そして次に☵(坎)と☲(離)、最後に☶(艮)と☱(兌)の順に覚えることをお勧めいたします。何故かと申しますと、孔子の作りました解説書(説卦伝)に述べていますが、☰(乾)と☷(坤)は人に配当すると父と母、☳(震)と☴(巽)は長男と長女、☵(...八卦の解説(1)
易は陽と陰の組み合わせだと言われます。では陽とは何か?陰とは何か?考えてみたい。陽気のイメージは明るく元気に溢れている。陰気のイメージは暗い、元気がないイメージである。又、男性的、女性的という分け方もある。しかし、陽が男性的で、陰が女性的かというとそうでもない。女性が陰というと、怒られるかも知れない。事実、女性の方が、明るく、陽気な人が多いようにも思われる。考えてみると、我々は物事を二つに分けて考える習慣があるようだ。左右に分けるという考えもある。大きいと小さい、高いと低い、固いと柔らかい、富めると貧しい、明るいと暗い、積極的と消極的、強いと弱い、表と裏、動物的と植物的、良いと悪い、酸性とアルカリ性、プラスとマイナスといった具合だ。二つに分けることによって、ある者がどちらに属するか、あるいはその中間にある...陽と陰
挫折の連続だった私の易の体験をお話します。私は42歳の時に安岡正篤先生の存在を知りました。安岡先生は「歴代総理の指南役」「政、財界のリーダー達の先生」とも評される人物でした。でも、私がその存在を知った時は既に他界されて2年程経っていました。あるきっかけがあり、私は東京にある「安岡学研究会」の門をたたきました。安岡正篤先生(1898~1983)儒教、仏教、老荘思想など東洋思想を中心とする安岡学はかなり難解でしたが、私は先生への魅力に惹かれて主だった書籍は読破しました。その中にあったのが「易学入門」でした。私はその序文に魅せられました。その始めの部分にはこうあります。「多少とも東洋の思想学問に志ある人々ならば、「易経」を読みたいと思わぬ者は無いであろう。儒教・仏教・道教・神道等、いずれの道を進んでも、必ず易に...安岡正篤先生の「易学入門」
儒教の聖典は五経と言われる。すなわち「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」である。五経は孔子及びその弟子たちによって選ばれたものと考えられるが、その1番目にくるのが「易経」である。それ程、儒教では易は欠かせないものである。孔子(BC552~BC479)孔子は「五十以て易を学べば、以て大過なかるべし」と言っている。つまり50歳を過ぎたなら、易を学べ、そうすれば大きな過ちは犯さないだろう。又、孔子の易に対する勉強ぶりは韋編三絶(いへんさんぜつ)という。紙が無かった時代、書物は竹で出来た竹簡をなめした革で綴ったものを韋編だった。その韋編がばらばらになる程夢中になったということだ。孔子は易で占いをしたのだろうか?論語には「怪力乱神を語らず」ともある。孔子は神秘的な現象や、霊界については語らなかったというから、易...孔子と易
六十四卦の易を作った文王はどんな時代に生きた人だったろうか。「文王」というのは死後に付けられたおくり名であり、性は姫(き)、名は昌(しょう)である。在世時の爵位から「西伯昌」とも呼ばれています。時代は殷の末期に当たるが、特筆すべきことは、その最後の殷王が暴君の代名詞として知られる紂王(ちゅうおう)だったことである。紂王(~BC1046)ある時、姫昌と同じ地位にあった者たちが、紂王の不興を買って獄刑に処される。「あぁ、なんということだ。」と嘆息したことが、讒言にあい姫昌も牢獄に幽閉されてしまう。幽閉中に一説によれば、人質だった長男の伯邑考が煮殺され、その死肉を入れたスープを食事に出されたという。優秀な側近たちが、財宝と領地を献上することによって姫昌は何とか釈放されました。紂王は美貌に恵まれ、弁舌に優れ、力は...文王の生きた時代