異常に眠いと感じる時は、魂が成長するとき、と言われています。 今日は午前中から、どうも魂の成長が著しいようです。 魂ばっかり成長して、肉体がとけてしまいそうで心配です。 グリーグ作曲「ゆりかご」という名曲があります。 今日はその曲のイメージトレーニングをすることにしましょう。 ああ、揺れてる揺れてる z z z…。
幕末の世に剣士として咲き誇り、日本の未来と共に魂を散らした土方歳三。 趣味は俳句でした。 「梅の花壱輪咲ても梅はうめ」 どうにも、微笑ましい、優しい句ですね。 司馬遼太郎は下手だと言いました。 でも、心を掴んだもの勝ち、と思います。 理屈に囚われると句が痩せてしまう、と芭蕉も言ってます。 きっと、光を見たのだと感じます。
重たい弓を選びます。 軽い弓は扱いやすく、表情豊かです。 しかし扱いやすいが故に、こじんまりとしてしまいます。 或いは、わざとらしくなりがちです。 重い弓は、できることの先を教えてくれます。 奥底の想いを引き出してくれるような気がします。 蝶のように華麗な刀捌きと言われた土方歳三の愛刀「和泉守兼定」はずっしりと重かったそうです。
超絶技巧を、ハイフェッツは神様のように弾いていました。 それを真似する人は、時速100キロで走る馬車のように、埃まみれでした。 やめた方が良いですよね。 できることを丁寧にやりましょう。 まずは、でんぐり返りからです。 たかがでんぐり返り、されどでんぐり返りです。
人のせいにしてはいけませんと、教わりましたか。 素敵な人のせいをふたつ。 モーツァルトは曲を褒められた時、言いました。 「うちのムクドリがそういうふうに鳴いたから。」 名バイオリニスト、ジャック・ティボーは演奏を褒められた時、言いました。 「夢で。モーツァルトがそう弾けと言ったから。」 おかげとも言えますね。
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」クラーク バイオリンの技術は常々魔法のようだと思っています。 なるほど科学技術も進みすぎると魔法になってしまうのですね。 よく先生が「気持ちを込めて」なんて叫んでいることがあります。 そう言われても、南無阿弥陀仏とか唱えるくらいしか、思いつきませんよね。 そうじゃなくて、魔法を使えってことなのですね。 ちちんぷいぷいとかでしょうか。 アブダカタブラも良いかな。 それは呪文ですけど。
あんこが好きです。 あずきは体の熱を冷まします。 むくみや体のだるさ、吹き出物などを抑えます。 疲労回復や肩こり、筋肉痛改善に効きます。 解毒作用もあります。 大福になると、あんこもいっそう喜びます。 小豆の旬は終わってしまいましたが、あんこの旬は一年中です。 たくさん食べたいです。
練習は楽しくやってください。 クラシックは真剣に取り組まないといけない、なんて言っているから世界的にクラシックが流行らなくなっているのです。 悲しいことです。 バイオリンは歩き回って弾けます。 窓の近くに行って外の景色を眺めながら練習したら、いつにもなくファンタスティックな音色が出せますよ。 上手に弾けたら、にっこり笑ってください。 あんまり上手に弾けなかった時は、うっすら笑ってください。 めっちゃ弾けなかった時は、大爆笑しましょう。
4月の晴れた日はわた雲です。 春うららの空です。 絵に描いたような雲はいろんなものに見えますね。 気象予報士によると、やる気のない雲なのだそうです。 やる気を出して発達すると雨雲になるわけですね。 やる気のない雲は、お菓子の形になったり動物の形になったりしてふざけているのかもしれません。 のどかですね。
春分を過ぎて吹く風を清明風と言います。 清々しく明るい風。 暖かな春の風のことです。 程よく湿気を含んだ過ごしやすい空気と思っていると、雨が降り、また気温が下がってびっくりします。 でも、程なくまた、清明風が吹きます。 繰り返しながら、春は過ぎていきます。 儚いですね。
昔の言葉をもうひとつ。 レッスンのことは、お稽古と言いました。 もともと「稽古照今」という言葉で、「いにしえを考え、向かうべき方向を見つける」ってことです。 かっこいいでしょ。 先生の言ってることは古臭いって意味じゃないですよ。
昔は練習することを、さらうって言ったんですよ、知ってますか。 さらうっていうのは、井戸の底の汚れを取り除いて水の流れを良くすることなんです。 だから、繰り返し繰り返しさらって、すっと流れるように上手に弾けるようにするってことなんですね。 底の汚れ、たまっていませんか。
都心の桜の名所、千鳥ヶ淵、今年はずいぶん遅れてまだ五分咲きです。 今週末が見頃です。 夜はライトアップされ、ボートも乗れます。 ライトアップは蕾の頃から初めて、まだ咲いていない蕾たちが、ライトアップの暖かさであわてて咲きだすのだそうです。 「えっ起きなきゃ」みたいな感じでしょうか。 桜も大変ですね。
男性脳は微妙な色彩を感じにくい。 女性脳は空間把握がしにくい。 という人がいます。 感覚感性において男女の区別は意味がないと思うのです。 もし身近でそのように感じる人がいたなら、それはその人の思い込みによる後天的なもの、あるいは感じる人の思い込みだと思います。 男女の色分けなどしている暇があったら、自身の色合いをもっと豊かにすることを考えたほうが良いのではと思ってしまいます。 そもそも感覚感性は脳だけが行なっているものでは無いので。 この世はわからないものだらけです。 わかった気にならないことが大切なのかなとも思います。
「心は複雑で、本来完全に言葉で表現することができないものです。その反面、音楽は真の心の中を直接的に表現することができる。」脳科学者 思い切ったこと言いますね。 でも、その通りだと思います。 真の心の中なんて、大抵もやもやです。 自分でもよくわからないんじゃないでしょうか。 ただ何か、確かに思える響きや、匂いや色合いがあるのかも知れませんよね。
コーヒーが好きです。 豆を挽く時の香りは、もうすでにクライマックスかと思われる程の気持ちの高まりを感じます。 ドリップはゆっくり丁寧に、豆と会話します。 上手にはいった時は、2度目のクライマックスです。 余韻が長く続くのも魅力です。 もう少し飲みたいなと思うくらいのところでやめておくのが、美味しくいただく秘訣です。 演奏のご褒美に美味しいコーヒー豆をください。
バイオリン演奏時に行われる動作は、作業記憶と呼ばれる能力を発達させ、脳全体の活性化に繋がると言われています。 また、楽譜を読むことで、右脳と左脳を交互に使うことになり、脳の衰えを防止するのだそうです。 脳にいい効果のある楽器ランキングは、1位ピアノ 2位バイオリン 3位ウクレレだそうですよ。 ピアノに負けましたね。 ウクレレも良いですね。
モーツァルトは神さまの言葉を預かったと言われています。 楽しくふざけた雰囲気の時もあります。 でもその奥に滋味が隠れています。 静かに心に沁みて、周りの空気も和ませます。 それは野菜も美味しくなるし、お酒も味わい深くなることでしょう。 ただ、神さまは気まぐれですから、調子に乗っているとハシゴを外されることもあります。 騒がしい心には染みてこないのかも知れません。 いつも柔軟に素直でいることは本当に難しいです。 そんなことができたら、その人はもう神さまかも知れませんね。
演奏を録音しても良いですかと聞かれることがあります。 もちろんどうぞと言いますが、本心ではあまりお勧めしません。 今ここでしか聞けない音があります。 持ち帰っても、一番大切なものはもう失われていますよ。 「桜が刹那的に美しいと思うのは、もうすぐ散ってしまうという未来を想像できるから」ニーチェ
バイオリンは全ての工程を手作りされたものが良いです。 ただ、続かないかも知れないけどちょっと触ってみたい、という人には少し高価になってしまいます。 工場で大量生産されたものは安いですが、きちんと選ばないと、品質に問題があって、あまり楽しくない結果になることが多いです。 工場製品でもいくつかおすすめはあります。 いちばんのおすすめは、恵那バイオリンです。 日本の木材、日本の工場で作られ、職人の手作業で仕上げられています。 いちばん安いものでも、とても良い作りで、一生使える楽器です。 音色が柔らかで愛着を持てる感じがします。 Amazonでも買えますよ。 飽きちゃったら、お部屋のインテリアになりま…
音楽はイメージが歌だったり踊りだったりすることが多いです。 そんな場合はやっぱり、歌ってみたり踊ってみたりするのが、良い演奏のためのいちばんの近道です。 でも、恥ずかしいですよね。 なので、ほんの少しだけやってみて欲しいのです。 周りに誰もいないことを確かめて、そっと声を出してみてください。 そっとステップを踏んでみてください。 きっとその時から音に魂がこもりますよ。 「恥ずかしがりを治療できるものだと思わないでほしい、誰より話がうまい人と誰より発想力が優れている人の間には、なんの相関性もないので」心理学者スーザン・ケイン
バイオリンを弾くことで、感受性を育み、創造的で個性的な心の働きを豊かにすると言われますが、程度の問題はあると思います。 感受性が強すぎると生きにくくなります。 気にしすぎないことや、気分転換することも一緒に育みたいですね。 また、創造的で個性的すぎると人間関係が難しくなります。 みんなと違っているということは全く悪いことではありませんが、みんなと同じが良いという感性も悪いものではありませんよね。 違ってることと同じこと、両方ほどほどにあるのが心地よいのではないでしょうか。 ブラームスは良い人付き合いをしようと懸命に生きた人だと思うのですが、如何せん強い感受性と強い個性創造性が邪魔をしてたくさん…
猫がいた頃、バイオリンを弾くと大興奮して遠くから突進してきて腕にしがみついて「ちょっと、その弓貸して貸して、あたしが弾くから貸して貸して」と猫パンチを繰り出してきました。 しばらくすると疲れたのか飽きたのか離れたかと思うと、開けっぱなしのバイオリンケースに入って香箱座りを決め込んで「まだ練習やめたらダメだからね」と意地悪を始めたりしてました。 今は練習を邪魔されることは無いし、練習やめるのを引き留められることも無いので、ほっとするような寂しいような。
まずは、朝起きたらしばらくぼーっとして見た夢などを思い出してみましょうか。 コーヒーを飲みながら、庭に来た野良猫に話しかけてみます。 流れる雲などを眺めていると、午前中が終わります。 午後はバイオリンの練習しようかなあと思ってケースを開けたけれど、明日にすることにして、また閉めました。 ある本を読んで、実践してみた時間の無駄遣い。 悪くないけれど、これは続けられませんね。 意味を取り違えているのかもしれません。 「時間を節約すればするほど、生活は痩せ細っていくんだよ」ミヒャエル・エンデ
音楽は魂を揺さぶらなきゃダメ、と世界的バイオリニスト葉加瀬太郎さんが言ってます。 魂を揺さぶられると、ドーパミンとかアドレナリンとかが出て精神的自己成長につながるのだそうです。 すごい感動じゃなくても良いみたいですよ。 例えば、料理が美味しくできたとか、珍しい小鳥を見かけたとか、魂の小揺れみたいな感じですね。 ただドーパミンが出過ぎると、逆に不安が募るのだそうです。 めんどくさいですね。 そんな時は、全力で走るのが良いそうです。 朝のゴミ出し、全力疾走で行ってみてください。 ご近所さんがびっくりします、きっと。
『「楽しくじゃなくて正しく弾くんだね」子に見抜かれる私のピアノ』俵万智 俵さんは自分の弱みのように書いているけれど、子どもは、正しく弾く俵さんのピアノに感銘を受けたのではないでしょうか。 正しく弾くことできちんと伝わる。 それは大切なことで、とても難しいことです。 俵さんほどの人ならきっと、本当は、自分はそれで良いと思っているような気がします。 楽しそうで微笑ましい演奏。 華やかで惹かれる演奏。 正しく真面目な演奏。 色々あって面白いのだと思います。
流行りのなろう系小説。 内容は人類が滅亡した後の世界が多いのだそうです。 人々の行き詰まり感の表れと言う人もいます。 やりきってしまった、やりすぎてしまった、あとはリセットしかない、といったことのようです。 でも、やりすぎたのは昔の人ですよね。 これから持続可能な世界をつくれば良いんです。 今日一つゴミを減らして今日一つ緑を植えたら、明日は少しだけ明るくなります。 今日一つ音程を直して今日一つ音を綺麗にしたら、明日の目覚めはすこぶる爽やかになるかもしれませんよ。 こじつけました。
冬はいつもビオラを植えているのですが、この冬は植えませんでした。 去年植えたマリーゴールドがずっと元気だったからです。 100歳の花といった感じです。 でも、とうとう最後の一輪が枯れてしまいました。 マリーゴールドは黄金のマリア、大層な名前ですね。 パンジーの小さいのをビオラと言います。 ビオラの小さいのをバイオリンと言います。
みやびやかで、おくゆかしいこと。 いかにも日本の美意識ですね。 ブラームスの曲にもこの美意識が感じられます。 彼は晩年、日本人のお琴の演奏を聞いて、おそらくその想いが共鳴し、雅やかさ奥ゆかしさをさらに深めたように思います。 ブラームスはお好きですか。
便利になっても幸せにはならないと人々は気付きはじめましたよね。 わざわざ不便な生活に戻ろうとする人さえいます。 そこへいくと、バイオリンは究極の不便グッズです。 練習始めたは良いけれど、全然弾けるようにならないし、何日も何日もかけてやっとひとつ、気に入った音が出せるようになったかも、というくらいの感じです。 ただ、その日眠りにつく時、少しだけ、今日は楽しかったと思うのかもしれません。
外側はサクサク、中身はしっとりとした甘みのあるジューシーな豚肉。 そう、大好きなとんかつです。 疲労回復の効果があり、睡眠の質を高めてくれます。 でも、かなりカロリーが高く、疲れすぎている時は無理なこともあります。 あ、これってベートーヴェンかもしれません。 ぐっとくるアクセント、主張してくる旋律。 聴いていると元気が出てきます。 でも、終わるとほっとします。 なにしろ演奏するの疲れますから。 ベートーヴェンを野菜に聞かせて育てたりすると、巨大なのができるかもしれませんね。
「雪は天から送られた手紙である。」と言ったのは、科学者の中谷宇吉郎。 ロマンチックな言葉かと思いきや、地上で観測した雪結晶を見ると、どのような環境条件で雪結晶ができたかわかるという意味なのだそうです。 科学者ですからね。 雪がきれいと思うのは、きっと花びらを想像するからだと思います。 春に舞い散る桜のことを、空に知られぬ雪、と言うそうです。 今降る雪は、桜に知られぬ花びら、ですね。
甘い音を出してみませんか。 音楽用語で「ドルチェ」と言います。 とても甘い感じでしょ。 まず、数え方から。 1234とは数えずに、「ウィティ ヌイ スァン スィー」と数えてください。 左手の指は、チョコクリームのように、ゆっくりトローリおさえます。 右手の弓は、ホイップクリームのように、ふわっと柔らかく弦にあてます。 音と音の間は滑らかにスライドさせて、境目を溶かすようにします。 どうですか。 とろける音色に、聴いている人はうっとり、かも、しれません。
練習が嫌で、つい部屋の掃除を始めてしまうという人がいます。 悪いことではない気がします。 きれいに整った空間は、自然と良い響きがするものです。 バイオリンの練習もお掃除と似たところがあります。 汚い音は磨きをかけて綺麗にします。 うるさい音は余計なものを取り除いてさっぱり片付けます。 小さいゴミを見ないふりせず、一つ一つ丁寧に拾います。 案外、無意識で見ないふりしてしまっているのですよ。 綺麗に整った演奏には、自ずと心地よい香りが生まれるものです。
「ヘタウマな人」とは、イラストの世界で生まれた言葉ですが、バイオリンでもよく使われます。 大概は、ゆっくり演奏されることが多いです。 決してきれいとは言えない音色で、一音一音慈しむように弾かれるけれど、何か全体のバランスがおかしいかったり、時々つまずいてしまったりします。 だけど味わいがあり、心に沁みる演奏なのです。 大変な褒め言葉です。 昔々、「ロバの歌」というのがありました。 「下手な歌声、夜空に響き、全ての人を優しく包む、you are ロバさん。」
演奏には気持ちがこもることが大切です。 気持ちをこめると自然と体が動きます。 ただ、変な動きになって悶絶してるみたいになって、音程とリズムがぐちゃぐちゃになってしまうのは、見ていて楽しいけれど、演奏としては問題ありです。 どうしたら良いでしょう。 まず、作曲家の気持ちと自分の気持ちを共鳴させます。 これで、こめる気持ちができあがります。 そしたら、50年経ってみましょう。 昔のことになります。 苦しかったこと悲しかったことも少し美しく思い出せます。 楽しかったこと嬉しかったことは少し穏やかに思い出します。 そのように演奏してみてはいかがでしょう。
自由と孤独と音楽を愛し、世界中を旅する放浪者、スナフキン。 「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」 「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ」 彼の言葉には、夢と希望と含蓄がありますね。 お散歩だって旅です。 毎日の通勤だって旅です。 好きな歌を口ずさんで、歩いてみてはどうでしょう。
人前で演奏した時、やっぱりたくさん失敗します。 でも上手にできたところも少しだけれどありますよね。 その上手にできたところをたくさん思い出してください。 そして次回は上手にできるところが少し増えるように練習してください。 やってはいけないのは、失敗をたくさん思い出すことです。 そうすると次回、その失敗したところに絆創膏を貼った演奏になってしまいまい、せっかく上手にできたところも色褪せてしまいます。 失敗は無くなりません。 ただ、失敗が味わいになっていくことはあります。 言い間違えてるのか、味なのかよくわからない俳優さんっているでしょ。 そんな感じです。
音楽家には高潔な人格と品性が必要です。 ベートーヴェンのように。 ベートーヴェンは人生で数十回引っ越しをしました。 理由はインスピレーションを得るため。 夜中にわめいたりしたため。 ドシャドシャピアノ弾いたりしたため。 家賃払わなかったため。 えーと、前言撤回します。 音楽家にはそこそこの人格と品性があれば大丈夫です。
一生懸命、正しく演奏しようと努力してませんか。 そうすると体がカチコチになってますよ。 自然の営みのように動いてみるのが良いです。 例えば、枯れ葉が散るように、指を置いてみるとか。 風に吹かれたように手を持ち上げてみるとか。 そうすると自然と、体が柔らかくなります。 心も柔らかくなります。 頭も柔らかくなります。 その先は、 なるようになる、です。
お掃除する時は、モーツァルトを聴きながらなんて人、多いみたいですね。 とても優雅で羨ましいです。 でも、今日は旦那がたまの休みで家でゴロゴロ。 手伝う気配は一切なし。 なんて時は、優雅な気持ちにはなれませんよね。 そんな時おすすめの曲があります。 この曲を聴きながら「こら、邪魔だ、少しは手伝え!」 と心で叫んで、お掃除してみてください。 モーツァルト「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
演奏会で眠ってしまったことありますか。 ブラームスが大事な先輩ピアニスト、フランツリストの演奏会で大いびきをかいてしまったことは伝説になっています。 生理現象は止められませんね。 天使や妖精が枕元でバイオリンを弾く時は、だいたいよく眠れるようにです。 一番幸せな時間です。 でも、自分が演奏していて、お客さんが全員眠ってしまったら、動揺しますよね。 まごうことなき天使のような演奏だったと、思うしかありません。
子供の頃「1日練習をサボると、取り返すのに3日かかる」と叩き込まれました。 呪いの言葉です。 でもまあ、経験によりますと「3日サボると、取り返すのに3日かかる」くらいが本当のところかなと思います。 体調や精神状態の悪い時に、無理に練習するのは逆効果ですし、休んだ方が良い時もあります。 ただ、あらかんの年齢になった今でも、その呪いの言葉は解けず、1日練習をサボるとなんだか不安になります。 余談ですが、「あらかん」って、仏教においては「最高の悟りを得た聖者」のことらしいです。 いつまでも呪われてちゃダメですね。
棋士曰く、 「本質的な真理を心でつかみ取る。 その道筋が描く軌跡の美しさを感じる。 動きに隠された暗号から、バイオリンの音色を聴き取り、虹の配色を見出し、どんな天才も言葉にできなかった哲学を読み取る。」 何を言っているのかわかりますか。 チェスにおける棋譜の美しさ、一手一手をつなぐ軌道の奥深さを言っているのです。 虹の配色、天才を超える哲学、それにバイオリンの音色を聴き取るあたり、エモいですね。
risolutoは「毅然と」と訳されますが「心がほどける」というニュアンスもあるそうです。 『ちょっとくよくよしているとき、水をぐびっと元気に飲んで、「はい、流しました」と思ってみてください。 それだけで、ささいな負の出来事は、自然に流せるようになってくるんです。』 エッセイの引用ですが、どなただったか忘れてしまいました。 なんだかスーッと心がほどける感じがしますね。 楽譜でAllegro risolutoを見つけたら、この言葉、思い出してください。
「音の調和が数学的に説明できるのであれば、この宇宙の調和をも数学で説明できるはずだ。」 とピタゴラスは叫びました。 すごい説得力ですが、少し力みすぎかもしれません。 突き詰めすぎたり極端すぎると、歪みが出やすいと言われます。 頭で考える事には限界があります。 どうしてこんな音が出たのだろうと、本人にもわからない時にこそ、真の感銘があるなんて事もあるかもしれませんよね。 たいがいは、そこはかとないことなのでは、と思います。
日本の鎖国が解けて、自然と西洋音楽が入ってきたと思っていませんか。 違うんですよ。 明治時代に音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)というのがあって、小學唱歌集を作ったり、雅楽の人にオーケストラの楽器を練習させたりして、一生懸命日本人に西洋音楽を染み渡らせたのだそうです。 ただ、音楽取調掛のある偉い人は、ドレミファの「ファ」の音がどうしても歌えなくて泣いたそうです。 日本は五音階だったので、「ファ」ってなかったんです。 「ドレミソ」ってなっちゃうんです。 だから「ファ」って歌えなかったんですね。 面白くて、可哀想で、切ないですね。
即興演奏とは、楽譜の無い演奏のことを言います。 その場で咄嗟に思いついて演奏します。 素敵な即興は、行き当たりばったりの音を弾いているように見えて、聞いている人の心に、星座のように見事な模様となって、広い夜空に約束されたかように、美しく描かれ、心を奪われます。 一番大切なのは音楽的センス、と言いたいところですが、実は一番大切なのは訓練です。 演奏する楽器が自分の心と一体となるまで、繰り返し音を紬ぐことが訓練です。 大好きな即興演奏
次の3つのうち音楽用語じゃないのが1つあります。 さあどれでしょう。 Allegro 陽気に Allegretto 少し陽気に alleregretto 本当にごめんなさい 3つ目はデンマーク語だそうです。 アマゾンでTシャツが売ってます。 欲しいです。
クラシックの演奏家たるもの、自己表現に偏ってはいけないと思うことがあります。 作曲家の思いを汲みとるという役割がありますから。 世界ーのバリトン歌手フィッシャー=ディースカウは、演奏家は楽譜を音に翻訳する以外のことをしてはいけないと言っています。 翻訳家の言葉があります。 「作者の心の動きを、息をひそめてただじっと追う。」 また、日本庭園の仕事を表現した言葉です。 「隅々に心を配り、丁寧に手を施しながらも自らの気配は消し去る。」 みんな忍者みたいですね。
曲の速さを示すために、メトロノームの数字が書かれることがあります。 これが困ったことに、度々混乱をきたしています。 特にベートーヴェンとシューマンが演奏に適さない数字を多く書き残しています。 シューマンが亡くなった後、残された妻クララは旦那の書いたメトロノーム記号をせっせと書き換えて出版し直してました。 しかし、全て直すことはできませんでした。 ベートーヴェンは晩年、自分の書いた数字に納得がいかず、癇癪を起こして「メトロノームなんて悪魔にくれてやる」と叫んで暖炉へメトロノームを投げ込みました。 散々ですね。 あっ、メトロノーム捨てないでくださいね。 ゆっくりから少しずつメモリを上げながら練習す…
フラット(♭)は半音低くです。 でもフラットって平らじゃないの?って思いますよね。 そうなんです。 英語の表現が少しおかしいんです。 イタリア語フランス語では「柔らかい」という単語を使います。 ♯は鋭い、♭は柔らかい、自然ですよね。 ダブルフラットはふにゃふにゃです。 トリプルフラットってのもあります。 ぐにゃぐにゃですね。 今日の勉強を終わります。
エチュードは練習曲と訳されます。 練習をステージで聴かせるの?と思いますよね。 違うんです。 ある技巧に特化した曲をエチュードって呼ぶんです。 ケーキの食べ放題みたいなものです。 どうですか、ちょっと楽しくなってきたでしょう。 大事なことは、軽やかに演奏することです。 そうしないと、大好きなケーキをもう見たくもない、なんてことになってしまいますから。 ショパン エチュード「エオリアンハープ」
憂鬱な気持ちで歩く夜道、ひとすじの月明かりに救われることがあります。 パレチェクの絵本では、妖精がバイオリンを弾いてお化けを退治してくれます。 たった一粒の美しい音を出そうとしたことはありますか。 何かを語ろうとせず、小さな光を一粒、月明かりのように。 プーランクという作曲家はこんな風に言っています。 「私の曲を分析しないでください。意味を考えないでください。ちょっとした光の戯れです。」
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、音楽について深い考えを持っていました。 音楽は詩作であり哲学であり、神の言葉を伝えるものであると考えました。 奏でることで,勇気、そして節度を備えて、魂を調和した状態へと導くのだそうです。 ソクラテスは、午後のひとときアテナイの広場をぶらぶらしながらそんな思いに耽っていると、世界3大悪妻と名高きクサンティッペが、「弁論なんかしてる暇があったら家事を手伝いなさいよ!」と叫ぶや、後ろからバケツの水をぶっかけました。 ソクラテスは平常心で答えました。 「雷が落ちた後には、大雨が来るものです。」
チェコの絵本作家 ヨゼフ・パレチェク 「ちいさなよるのおんがくかい」 楽しい色彩と微妙なアンバランスが心に沁みます。 バイオリンが何度か出てくるのも良いです。 ドヴォルザークを演奏する時、イメージをお借りすることがあります。 読み聞かせ この本の最後のお話「サーカスの前の夜」 盛大にシンバルを鳴らして宣伝するためにやって来た犬でしたが、もうみんな眠っている時間なので、鳴らすのはやめて、帰って寝ることにします。 美しく優しい諦めです。
スケールとは長さ重さ角度などをはかる目盛りですが、音楽では音の階段のことを言います。 スケールの練習はとても大事です。 良い音程を心がけて、丁寧に登ります。 スケールは人間の器を表します。 スケールの大きい人は、あくせくしておらず、いつも心にゆとりをもっています。 一歩一歩を大きくしっかり踏み締めて、階段を登ります。 今年は龍神様が守護神です。 天に昇る龍神は成功と発展の象徴です。 夢や希望をしっかり持って、日々スケールに励みます。
バイオリンを弾く時、右手も左手も柔らかくすることがとても大事です。 でもどんな状態が柔らかいのか分かりにくいですよね。 例えば、オペラ歌手が、良い声が出ている時はあくびをしている感じ、と言います。 心と体が柔らかくなっている状態です。 それでは、雲の上で空を泳いでいる感じ、なんてどうでしょう。 さらに、楽しい夢を見ている感じも加えます。 たまに少し気だるくうっとりしてみます。 調子が乗ってきたら魔法の杖を一振りしてみます。 分かりにくさに拍車がかかりましたね。
ぼんやりしている時、脳もぼんやりしているのではなくて、脳はハードディスクの最適化のような作業をしているのだそうです。 大事な時間なんですね。 たくさんぼんやりしましょう。 第二の脳は消化器、第三の脳は皮膚なのだそうです。 頭だけじゃなく、お腹で考えて、手のひらも考えてるってことです。 どうして良いかわからなくなった時、手のひらをお腹に当ててみます。 すぐに結論は出ませんが、少し楽になるような気がします。
モーツァルトは注意欠陥多動性障害と診断されています。 自身が抱える脳の病を和らげるために、無意識のうちに「心地良い音」を求め続けた結果、多くの名曲を残したと言われています。 ひいては、多くの人の心の滋養となり、妙薬となった訳ですね。 確かに、やたら元気な人はあまりモーツァルトを好まない気がします。 健康な人には薬はいらないということなのでしょうか。 だとするなら、病というのはとても辛いことですが、もしかすると悪いばかりではないのかも知れませんね。
大変です。 満月です。 月の引力が最強になっています。 願い事をしましょう。 「満月」は、達成・完了のパワーが強いそうです。 まだ叶っていない願い事も、叶っている世界を想像して感謝を伝えるのが良いらしいですよ。 何かそれだけで、少し前向きになりますね。 ただし、寒空で風邪をひかないように。
バイオリンの弓使いの話です。 ぴょんぴょん跳ねる弾き方をスピッカートと言います。 イタリア語で弾むという意味です。 弓を弦に置いてから弾くのはバイオリンの基本ですが、この時ばかりは思い切ってぶつけちゃいます。 楽しくやってください。 多少リズムが乱れてもご愛嬌です。 弓が弾む。 心が弾む。 会話が弾む。 スピッカートは良いことずくめです。 ついでにボーナスも弾むと良いですね。
泰然自若とありたいものです。 現実は、重苦しい気分、不安な気持ちに翻弄されています。 できないことへの執着はやめて現状の中で力を尽くして精励する。 足るを知る、という心ですね。 京都寺町三条のホームズさんによると 「今の環境、状況を自分の武器とし、有利になるように持っていくと良い」 とのことですが、これはちょっと前向きすぎて気後れします。 そういえば、泰然自若を英語で言うと 「as cool as a cucumber」 「キュウリのように冷たい」 と言うそうですよ。美味しそうですね。 あとこんなのもあります。 この上もなく幸せなことは 「as happy as a clam」 「はまぐりのよ…
2人以上で一緒に演奏することをアンサンブルと言います。 仲間とお食事をするのに似ています。 あまり人数が多いと、誰かの作る空気に誰かが我慢しなければならないことが増えます。 3人くらいが一番平和ですね。 仲間に空気を合わせますが、自分も合わせてもらいます。 時々わがままも言いますが、時々わがままも聞いてあげます。 お互いの音色を聞き合っていると、楽しくなりますし、競争心も湧きます。 音色が混ざり合った時、誰も知らなかった空気が生まれます。 ただ、あまり長く関わってはいけません。 お食事が終わるくらいで、またね、とお別れするのが良いです。
彩り豊かに演奏したいと、常々思っています。 なので、灰色をイメージした音色は考えたことがありませんでした。 しかし、灰色をこのように表現する人がいます。 「あたりの色を自分の中に抱きこんで自分は透きとおってしまう無類の優しい色」染織家 志村ふくみ 江戸時代には100種類を超す灰色があったそうですね。 実はバッハもモーツァルトもベートーヴェンもショパンも、みんな江戸時代なんです。 今は感覚的に失われてしまった色合いがあるのかも知れません。
毎日毎日練習してると、力の入らない日もあります。 そんな日は、ふにゃふにゃ弾きます。 音になるような、ならないような。 弾かないよりは少しマシ。 雑に弾くより少しマシです。 弾き飛ばすと音が荒むと言いますが、音だけじゃなく心も荒むのです。 なので、音を出そうとする刹那、ほんの一瞬待ってから弾いてみてください。 それだけでも、思いがけなく、素敵な音色に出会えることがあります。 今日はモーツァルトを聴かせて育てた小松菜「コマツーナ」を食べて、充電日とします。
アリストテレスの主張、 「音楽は魂の状態を如実に反映する、堕落した音楽を聴いていれば、堕落した精神となる」 堕天使が、人間を誘惑し堕落させる音楽を奏でるのだそうです。 これに抗うには、大変な精神力が必要です。 そこで、あんこを食べましょう。 小豆は悪魔祓いの意味があり、あんこは厄除けのお菓子なのです。 低脂質、高タンパクでもあり、食物繊維の豊富な健康食品です。 まずは、大福3個から始めてみます。 堕落は癒しにも似ています。 程よい堕落であれば、きっと癒しになるのかも知れません。 そうすると、うまい具合に癒された精神となるわけです。 結論としては、 何事もほどほどが大事なので、大福は3個までにし…
物理学者ニュートンが虹は7色と決めました。 理由はドレミファソラシの7音と同じと考えたからです。 正確には 紫、藍、青、緑、黄、橙、赤 レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド ドリア旋法です。 ちゃんと色が狭いところと、音が狭いところが一致しています。 多少、こじつけ感は否めませんが、そういうことを素直に信じてみるのは楽しいことです。 虹を見たら、指ではじく真似をして、レミファソラシドって歌ってみてください。 きっと良いことがあります。
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