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僕の左足大腿部の粘液型脂肪肉腫は19cm https://blog.goo.ne.jp/hassan-melon19520815

2023年12月7日、左足大腿部に粘液型脂肪肉腫があることが判明。<br>この病と向き合いながら、楽しい人生を目指します

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2023/12/09

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  • 天覧山の岩トレに声を掛けてもらえました。僕も易しいルートのリードをしました

    4月25日(木)、天覧山で岩トレしました。前の週にW科さんとM谷さんが天覧山の岩トレに誘ってくれました。今回はその時のM谷さんが僕に声を掛けてくれたのです。僕の確保に信頼と安心を抱いてくれたわけです。嬉しいですね。この信頼・安心感を裏切らないよう、努力し続けないといけませんね。前日の水曜日は一日中雨が降っていました。ですから、翌日の天覧山は岩場が濡れているはずです。中止も考えましたが、M谷さんは岩登り、沢登りの初心者です。ですから、沢登りのトレーニングをすることにしました。つまり、濡れた岩場を滝に見立てて、渓流シューズでの練習にしたのです。ザイルを用いての滝の登攀はせいぜい3~4級のグレードしか登りません。初心者のM谷さんに3級の滝を想定して練習してもらうことにしたのです。当然、それに付随したザイルワーク...天覧山の岩トレに声を掛けてもらえました。僕も易しいルートのリードをしました

  • がんが転移しているか否かを調べるCT検査を受けて来ました

    4月22日(月)、CT検査を受けて来ました。がんが転移していないかを調べる検査です。1月4日にも胴体部のCTと胸のレントゲン検査を行ないました。これもがんの転移があるかないかの検査だったはずです。1月18日の診察でがんの転移はない事が告げられました。とてもホッとしたことを覚えています。今回はおよそ4ヶ月ぶりの同じ検査でしょう。レントゲン検査はなくて、CT検査だけでした。1月は胴体部でしたが、今回は膝から胸部までです。全身と聞いていましたから、足の爪先から頭までかな、と思っていました。脹脛や頭部にもがんの転移はあるかな、と思うのですけれどね。こういう検査には、やっぱり不安感が伴うものですね。5月1日(水)に検査の結果を聞くことになっています。その日の「外来予約確認票」の説明に「腫瘍再診」と書かれています。そ...がんが転移しているか否かを調べるCT検査を受けて来ました

  • リハビリ山行第5弾 ――― 標高は1000mほど、つづら岩への急登コースを歩きました

    4月20日(土)のこと、奥多摩の山を歩いて来ました。つづら岩を南麓から登るコースです。登る山の標高を少しずつ高くしていますが、つづら岩は約950mほどだと思います。それに加えて、このコースは急登でも知られています。とりわけ最上部の綾滝からつづら岩の間は平均斜度は37度くらいになると思われます。もちろん、登山道はジグザグですから、実際はもっと緩やかになりますけれどね。急登コースを確実に登れるかどうかを確認する他にも、もうひとつ課題がありました。それは一般的なコースタイムとさほど遜色ない時間で歩けるか否かです。実際に歩いた結果を記しておきます。(コース範囲昭文社MAPのコースタイム僕の所要時間)で載せておきます。所要時間からは休憩時間が省かれています。(千足バス停~天狗滝20分32分)(天狗滝~つづら岩1時間...リハビリ山行第5弾―――標高は1000mほど、つづら岩への急登コースを歩きました

  • 天覧山での岩トレに参加させてもらいました。信頼感を取り戻さなければなりません

    W科さんとM谷さんが4月16日(火)に天覧山で岩トレをすると言います。僕にも「参加しませんか?」と、お声がかかりました。M谷さんは僕と青梅丘陵を歩きました。W科さんも僕からの山行報告でそれなりに歩けていることを知っているはずです。お見舞いにも来てくれましたしね。僕はこんな機会を待っていました。左足にメスを入れた僕は皆から心配されています。登れる登れないは別として、しっかりと確保できないんじゃないかと思われています。登っている人が落ちた際に、僕が左足で踏ん張れないのではと不安視されているのです。それは当然の心配ですよね。ですから、僕から誘う訳にはいきませんでしたし、声が掛かるのを待っていたわけです。ブログのカテゴリーは「リハビリ山行」としましたが、ちょっと違いますよね。この岩トレは僕にとってはリハビリ的意味...天覧山での岩トレに参加させてもらいました。信頼感を取り戻さなければなりません

  • リハビリ山行第4弾 ――― 4月14日(日)に高水三山を歩きました

    リハビリ山行も第4弾となり、登る山の標高も徐々に高くなって来ます。今回の高水三山は高水山759m、岩茸石山793.0m、惣岳山756mです。前回の雷電山494mよりも300mほど高くなりました。▲12:53。3つ目のピークの惣岳山の手前から、歩いて来た山を振り返りました。右に見えるのが高水山、左の平たい山頂の山が岩茸石山です。実際に歩いてみて感じることですが、手術の影響は小さいと思いました。左足の神経もさほど影響を受けていませんし、筋肉量もそれほど減っていません。創(手術痕)がチリチリと痛かったり、突っ張った感じがする程度は仕方ないでしょう。手術の影響以上に感じるのは、強い強度の山行のブランクですね。去年の9月に3度ほど沢登りをしたのを最後に、きつい山行を自粛したのです。9月下旬から左足大腿部に違和感を感...リハビリ山行第4弾―――4月14日(日)に高水三山を歩きました

  • 3度目の通院 ――― 「石鹸で綺麗に洗ってね」と言われただけです

    「世間話程度しかすることないけどね」と言うことだったこの日の診察。3時の予約でしたから、2時半前には病院に着きました。ですが、診察があったのは3時半過ぎ。最初からこの日の診察には何の懸念もありませんでしたから、気楽なものです。先生は僕の創周辺を直接手で触れます。とりわけ問題はないようですね。「石鹸で綺麗に洗ってね」と言います。創からばい菌が入って、凄く大きく腫れてしまうことがあるそうなんです。「もしそうなったら、すぐに電話して病院に来てね」と言ってくれます。そんなことになったら大変そうですね。「何か聞きたいことは?」と言うので、「運動で、何か気を付けることはありますか?」と聞いてみました。すると、「特にはありませんよ」との答え。「してはいけなことってありますか?」と聞いてみると、「特に制限はありませんよ」...3度目の通院―――「石鹸で綺麗に洗ってね」と言われただけです

  • リハビリ山行第3弾 ――― 青梅丘陵から青梅の森を歩きました

    4月6日(土)、前の週に引き続きリハビリ山行を実施しました。第1弾の大澄山192m~浅間岳235.2m、第2弾の天覧山197m~多峯主山270.7mでした。少しずつ標高を上げて、第3弾は雷電山494mです。僕が今所属している山岳会は易しい沢登りや雪山を中心に実践している会です。縦走やハイキングももちろん行なっています。しかし、短いリハビリ山行ですから、同行してくれる人はいないと覚悟していました。独りで歩いてもいいのですが、淡々と歩く詰まらないコースですし、寂しいですよね。話し相手がいてくれたら、楽しい山行になります。そう思っていたら、M谷さんが参加を表明してくれました。有難いですね。今回このコースを歩くことに決めたのには理由があります。もちろん標高差が小さくて、さっちゃんともよく歩いたコースだと言うことが...リハビリ山行第3弾―――青梅丘陵から青梅の森を歩きました

  • 入院12日目 ――― 洗濯したり、洗髪したり、階段トレーニングしたり、淡々と1日が過ぎていきます

    2月23日(金・祝)、入院してから12日目です。2時40分、トイレ。5時、トイレ。もう皆さんご承知でしょうが、随分前からトイレへは歩行器も使わずに行っています。6時5分、看護師が来て、点滴セット。149-82、36.4℃。6時50分、看護が来て、点滴を外します。7時35分、トイレで💩。朝食。ロールパン90、ハチミツ、マーガリン6g、野菜スープ、オムレツ、トマトソース、チーズ、牛乳2009時、昼担当の看護師の挨拶があり、階段トレーニングや洗髪の予定を話してくれます。ドレーンに溜まった量は昨日は75ccくらいだったそうです。「血液はほとんど出てなくて、体液中心ですね」「体液は動くと多く出ますしね」「遅くとも今週末には外せると思いますよ」と、看護師は言います。9時40分、コインランドリーとローソンへ行きました。...入院12日目―――洗濯したり、洗髪したり、階段トレーニングしたり、淡々と1日が過ぎていきます

  • リハビリ山行第2弾 ――― 天覧山から多峯主山まで歩きました

    3月30日(土)、2週間のブランク後、2度目のリハビリ山行を実行しました。山歩きが原因かどうかは不明ですが、17日の大澄山の後、体調を少し崩しました。筋肉等への影響はありませんでしたが、疲労感が大きかったのは確かです。ですから、今回の課題も山行後の疲労がどれほどかという点にありますね。前回は大澄山192mから浅間岳235.2mを歩きました。標高差は115mほどです。今回は天覧山197mから多峯主(とうのす)山270.7mを歩きました。標高差は170mくらいでしょう。水平距離はさほど変わりません。標高差は5割増しくらいですが、小さな数値ですから大差ないでしょう。翌日は東京も夏日となり、観測史上3月の最高気温28.1度を記録しました。前日のこの日も、もうちょっとで夏日という暑い日でした。寒さで縮こまっていた体...リハビリ山行第2弾―――天覧山から多峯主山まで歩きました

  • 1週間近く、体調があまり良くない日が続きました

    退院後2週間と数日で快気祝い山行が実現でき、順調に実生活復帰が進んでいました。さっちゃんは老健暮らしで、僕は独居老人です。家事全てを超いい加減ながらもこなすのは、結構体力を要することも実感しています。昼間に体を横にする時間を長くとることも必要不可欠なことも分かって来ました。買い物等で外出することが思いのほか疲労することも分かって来ました。それらのことは今後徐々に生活に慣れ体力も付いて来ると改善されていくことでしょう。そうそう全てが快調に前進していく訳ではないことはよく理解できました。でも、この1週間近くの体調の悪さは予想外でした。体調の悪さと言っても、従来ならば生活にはほとんど影響ない程度だと思います。何ら問題のない体調と比べると、6~7割程度でしょうかね。病院でよく使う尺度ならば、3とか4でしょうか?ま...1週間近く、体調があまり良くない日が続きました

  • リハビリ山行第1弾 ――― さっちゃんと同じ大澄山に大勢の山仲間と登りました

    2月21日にS上さんと哲さんがお見舞いにきてくれました。その時に早々と決まった「快気祝い山行」。その「快気祝い山行」を予定通り3月17日(日)に行ないました。福生駅に11時集合。集合場所も集合時間も登山としてはあまりにも異例です!こんなハイキングとも呼べないほどの散歩に参加して下さった山仲間に感謝ですね。▲福生駅から歩き始め、玉川上水を越えると、すぐに多摩川に出会います。永田橋からは対岸の大澄山が見えています。右足の脛骨上部粉砕骨折したさっちゃんが退院後最初に登った山が大澄山でした。大怪我でしたから2度の手術とトータル9ヶ月間の入院の末のことでした。右足に重い金具の装具を付け、両松葉杖を突いての登山でした。1999年4月28日のこと。僕も最初の山はさっちゃんの登った大澄山と決めていたのです。僕はまだ以前と...リハビリ山行第1弾―――さっちゃんと同じ大澄山に大勢の山仲間と登りました

  • 入院11日目 ――― 雨の1日は何も起こらない1日でした

    2月22日(木)、入院11日目です。夜中、看護師が来たようです。トイレにも行ったようです。小さなノートに僕は記録しているのですが、その文字が解読できません。どうやら、重ねて書いてしまっているみたいです。ベッドサイドの照明を点けるのですが、薄暗い灯りですからね。6時、看護師が来ました。僕はトイレに行かせてもらいます。142-78、36.3℃。点滴をセット。7時15分、看護師が来て、点滴を外します。7時20分、トイレで💩。8時20分、朝食。食パン90、イチゴジャム、マーガリン6g、チキンポトフ、チーズ、バナナ、ヨーグルト100g今日は雨。窓の外に並木のように植えられている小灌木が点々と光って見えた。葉を全部落とした枝がビーズのような輝くものを纏っている。僕は眼鏡をかけてよく見てみると、それは枝を濡らしている雨...入院11日目―――雨の1日は何も起こらない1日でした

  • 入院10日目2 ――― 2人が面会に来てくれました。快気祝い山行も決まっちゃいます!

    昼食。米飯200、味噌汁、炒め煮(里芋等)、目鯛幽庵焼80、香味和え1時10分、看護師がインターンのような学生(多分)とともに来ました。ドレーンのチェックのみ。1時50分、看護師が来て、点滴セット。インターンはまだ見るだけのお勉強のようですね。2時40分、看護師が来て、点滴を外します。直後、看護師同行で階段トレーニングへ行きます。看護師に時間的余裕がある時の同行ですから、いつ行なうかは前もっては分かりません。前日は5往復くらいしましたが、この日は15往復。最初の下りの際、膝のすぐ上の外側部分がピリリと来ました。でも、その後は何ともありませんでした。楽に行なえました。「真っすぐ立ててるし、不安感じませんね」と看護師が言ってくれます。3時50分、医師が来ました。「ドレーン、そろそろ抜けますね。明日にでも」と言...入院10日目2―――2人が面会に来てくれました。快気祝い山行も決まっちゃいます!

  • 2度目の通院 ――― この日は通院だけではなく、多忙な1日でした

    2月13日(水)、前の週に引き続き2度目の通院です。創(手術痕)の状態をチェックするのが主要な目的だと思います。ただ、昨日は通院だけではなくて凄く多忙な1日でした。まずは朝のゴミ出し。昨日はプラスチックとガラス瓶を出しました。前の晩に準備しておきましたから、早起きすればいいだけです。続いて、10時に保険会社の僕担当の人が来ることになっていました。書類にサインしたりする必要があったからです。それだけなら何の手間でもないはずなんですが、さにあらず。滅多に人が来ることのない我が家はほとんど掃除をしていません。さっちゃんが居る時は、しっかり掃除していました。自宅介護生活中も多くの方が来られますから、そのたびにしっかりと掃除していました。ケアマネ、介護士、看護師、医師、理学療法士、いろんな方々が入れ代わり立ち代わり...2度目の通院―――この日は通院だけではなく、多忙な1日でした

  • 入院10日目1 ――― やっと入院手続きを行ないました

    2月21日(水)、入院してから10日目になります。2時50分、トイレへ行きました。6時、看護師が来ますが、その前に念のためのトイレへ。148-82、36.3℃。点滴をセット。7時20分、看護師来て、点滴を外します。朝食。ロールパン90、マーガリン6g、グリーンピース炒り卵、ソテー、牛乳200、メロンロールパンにはドライフルーツのような粒が入っています。ソテーは野菜炒めなのでしょうが、油は使っていない感じです。メロンは大きめの3切れでしたが、1切れ以外は甘くなく、大根のような感じでした。8時50分、トイレへ行き💩。「寝たまま背筋トレーニング」を検索してみると、当り前の普通の方法が出て来ました。10回ほどやってみたかったのですが、上半身がまったく上がりません。背筋の衰えは壊滅的!鍛え直さねば・・・・床に落ちた...入院10日目1―――やっと入院手続きを行ないました

  • 入院9日目 ――― 何事もなく淡々と過ぎて行く1日でした

    2月20日(火)、入院9日目です。6時10分、トイレ。6時40分、看護師来て、点滴セット。142-81、36.1℃。7時25分、看護師来て、点滴を外します。その後、採血を行ないました。この採血では基本的健康状態と、血栓が出来易くなっていないかを調べるのだそうです。血栓予防の対応薬は処方されていませんから、概ね良好ということなのでしょうね。7時50分、トイレで💩。朝食。ロールパン90、リンゴジャム、シーフードクリーム煮、サラダ、ノンドレ減塩ゴマ、バナナ、牛乳2009時40分、昼の看護師の挨拶がありました。その時に、階段でのリハビリの件も話に出ました。10時15分、看護師と共に階段へ行きます。この階段は非常階段だそうです。その割には病院関係者がよく通る階段です。10段の階段上り下りを5回以上は繰り返しました。...入院9日目―――何事もなく淡々と過ぎて行く1日でした

  • 退院12日目 ――― 山仲間が訪ねて来てくれました。自分の創も写真を撮って初めて目にしました

    今日は3月10日(日)、退院してから12日目です。退院後の暮らしの中で、とりたてて特別なことが起きるわけではありません。それまで出来なかったことが突然出来るようになったり、そんな事件は起きません。でも、一日一日確実に変化はしていっていて、明らかに変わっていっています。日に3食の食事を作ることが疲れる作業だったのが、あまり疲れなくなりました。でも、立ち続けていたり座り続けていることが、体に負担になることは続いています。それで布団で横になることはまだよくあります。疲れているのか、横になると3時間前後寝てしまうことが多くあります。でも、どうでしょう?日に4回布団で横になっていた(就寝時を除く)のが、3回にはなったかもしれません。今日は嬉しいことがありました。山の仲間が訪ねて来てくれたのです。愛犬を散歩に連れ出す...退院12日目―――山仲間が訪ねて来てくれました。自分の創も写真を撮って初めて目にしました

  • 入院8日目3 ――― 何もないようで何かがある、そんな病室の夜が過ぎて行きます

    夕食。米飯200、野菜汁、かじき梅焼60、切昆布炒め煮、春菊ごま和え8時20分、看護師が来ましたが、会話だけでした。「気になることはありませんか?」と聞かれました。「自主的リハビリについてですけれど、どの程度ならやってもいいですか?」と僕は聞いてみます。「左足で跳んだり跳ねたりは駄目ですけれどね、普通に歩いたり階段の上り下りするくらいならいいですよ」と言います。それで「実は今日、向こうの階段でやってみたんですよ」と言うと、看護師はちょっと困った様子で、「最初は看護師に見てもらってください」と言います。まあ、看護師としては勝手にやられると心配でしょうね。ドレーンに溜まる血液の量も聞いてみました。40~70ccくらいだそうです。10ccずつくらい減っていっているようですね。消灯時刻の前から、ほぼ10秒おきにプ...入院8日目3―――何もないようで何かがある、そんな病室の夜が過ぎて行きます

  • 入院8日目2 ――― 階段を歩いてみました。「退院」の言葉が初めて使われました!

    昼食。うどん250、味噌麺つゆ、肉味噌うどん具、七味唐辛子、南瓜含め煮、お浸し、キウイフルーツ0時45分、先日退院して空きベッドになっていたところへ人が入りました。今日、入院したのかな?1時、看護師に包帯を巻き直してもらいました。隣りの新入室者との話を聞くと、別の部屋から移動して来たようですね。リハビリの話や昼食をどれくらい食べたか等の話をしていましたから。1時30分、その新入室者がリハビリへ行きました。1時50分、歯磨きをして、トイレへ。2時5分、看護師が来て点滴をセット。3時20分、看護師が来て点滴を外します。3時25分、電話室に行きました。原則的に病院内では電話は出来ません。唯一この電話室からだけは電話していいことになっています。2時16分にI老健から電話が入っていましたから、I老健に電話してみたの...入院8日目2―――階段を歩いてみました。「退院」の言葉が初めて使われました!

  • 入院8日目1 ――― 洗髪したり、さっちゃんのための買い物をしたり・・・・

    2月19日(月)、入院してから8日目です。1時40分、目が覚めてトイレに行きました。自宅でも寝る前にお茶を飲むと、夜中に1度2度目覚めて、トイレへ行っていました。入院中も意識的に水分は多く摂ることにしてますから、夜中に目覚めることは多いです。6時、看護師が来ましたから念のためにトイレへ行っておきます。6時10分、看護師が点滴セット。138-85、36.1℃。7時15分、看護師来て点滴を外します。7時25分、トイレへ行き💩。朝食。ロールパン90、マーガリン6g、イチゴジャム、ボルシチ40、茹ブロッコリー&マヨネ-ズ、オレンジ、牛乳2009時15分、看護師が来て、10時から洗髪が出来ることを教えてくれました。タオルとシャンプーを用意します。10時、シャワー室へ行きました。シャワー室の洗面台が洗髪用として使える...入院8日目1―――洗髪したり、さっちゃんのための買い物をしたり・・・・

  • 初めての通院 ――― 創に貼られていたものがすべて外れ、保険の手続きも進めています

    退院後ちょうど1週間の3月6日(水)、初めての外来通院をしました。入院中も、たびたび創を診たり、ドレーンを抜く決定をしてくださった医師です。午後2時という予約時刻のせいもあるのでしょうが、さほど待つこともなく僕の順番に。医師は挨拶もそこそこに「足を見せて」と。僕はズボンを下ろして、診てもらいます。自分で貼った防水パッドは少しめくれ上がっているので当然剥がします。入院中にこの先生が貼ってくださったフィルムのようなものも剥がします。僕は消毒液をぬって、再度新しいフィルムのようなものを貼るものと思っていました。でも、さにあらず。「もうこのままで大丈夫でしょう」と言います。僕は内心「へ~そうなんだ」と思いつつ、「お風呂も入っていいですか?」と聞きます。「いいですよ」と医師。入院中、た~くさん身体にくっ付いていた管...初めての通院―――創に貼られていたものがすべて外れ、保険の手続きも進めています

  • 退院6日目 ――― 時間をかけて夕食のおかずを作り、散歩もしました

    少しずつですが、日常の暮らしに慣れて来ている感じがします。今日は掛け布団とタオルケットをベランダで陽に当てて干しました。寝室にしている畳の部屋を凄く簡単にいい加減にですが、ちょっとだけ掃除しました。朝食は定番通り、昼食は袋麺で野菜をたっぷり入れたラーメンを作りました。夕食はご飯を炊いて、おかずも作りました。お味噌汁は前に作ったのがまだ残っています。おかずはカレーを適当に作ります。カレーライスではなくて、おかずとしてのカレーです。冷凍庫のいちばん古い肉を使いました。豚の細切れが150gくらい残っていました。タマネギ1個を薄切りにし、弱火でキツネ色になるまで炒めます。同時に唐辛子1本とクミンシードを入れて、オリーブ油に溶け込まします。タマネギの色がよくなって来たら、ニンニクとショウガを入れます。チューブのです...退院6日目―――時間をかけて夕食のおかずを作り、散歩もしました

  • 退院5日目 ――― 3週間ぶりにシャワーを浴びました。洗濯もしました

    3月3日(日)、退院後5日経って、身体も少しずつ慣れて来ています。食事作りもあまり熱心にはしないようにしています。朝食だけは定番のベーコンエッグ、トマト、レタス、コーヒー、イギリスパン。でも、夕食はスーパーで惣菜を買って済ませることを多くしています。家事労働で疲労が溜まりにくくなるまで、楽をしようと思います。今日、3週間ぶりにシャワーを浴びました。手術前日の2月12日に病院でシャワーを浴びて以来です。創(手術痕)の抜糸はしたのですが、ドレーンの針が刺さっていた箇所があるのです。そこにパッド付フィルムドレッシングが貼ってあるのですが、剥がれかけていました。で、ドラッグストアで防水ワンタッチパッドを買って来て、自分で貼ったのです。でも、太ももの後ろ側ですから、自分では見ることが出来ません。手探りで貼っても、な...退院5日目―――3週間ぶりにシャワーを浴びました。洗濯もしました

  • これまでの経緯その9 ――― 粘液型脂肪肉腫との病名が確定しました

    12月7日(木)は抜糸と生検の最終的結論の報告日でした。抜糸は予約時間からさほど遅れることなく、しかも痛くもなく終了。それから長時間、報告の場に呼ばれるのを僕は待ち続けました。正午を過ぎて呼ばれると、すぐに「脂肪肉腫です」との報告を受けました。その報告を僕はまったく動揺なく冷静に受け入れていましたね。自分でも何故だか理由は分かりません。それとも今後じわじわと心理的錯乱が訪れるのでしょうかね。その脂肪肉腫の中にも悪性度の低い順に4種類あると説明してくれます。低い順に、高分化型、粘液型、多形型、脱分化型、です。そして、僕のは2番目の粘液型脂肪肉腫なんだそうです。さらには、治療方針を話してくれます。一般的に脂肪肉腫には放射線治療はあまり使えないそうなのです。しかし、粘液型に関しては例外的に効果があり、使えるのだ...これまでの経緯その9―――粘液型脂肪肉腫との病名が確定しました

  • これまでの経緯その8 ――― この2ヶ月間の経緯をまとめました

    僕の左足大腿部に関するこれまでの経過をまとめておきます。ただし、3ヶ月前の12月4日時点での報告です。2023年10月11日(水)、H村整形外科でレントゲン検査。10月12日(木)、紹介された健診センターでMRI検査。10月17日(火)、H村整形外科でMRI検査結果の報告を受ける。K林大学病院の専門医を紹介され、予約をとる。11月16日(木)、K林大学病院でレントゲン検査をし、専門医の診断を受ける。同日、血液検査も。11月24日(金)、K林大学病院で生検手術。11月27日(月)、K林大学病院で包帯等を外す。今後ですが、12月7日(木)、生検の結果報告。11月24日の生検当日に悪性腫瘍かそうでないかの結果が判明する予定でした。しかし、明確な判定に至らず、12月7日まで判定が延ばされることになりました。取り出...これまでの経緯その8―――この2ヶ月間の経緯をまとめました

  • これまでの経緯その7 ――― 医師はがんである可能性を指摘します

    先月の10月17日にH村整形外科でMRI検査の報告を受けました。その時、K林大学病院の専門医を紹介され、予約をしてくれました。そして、11月16日(木)にその病院へ。新型コロナのパンデミック以降では最も都心へ近づきました。(とはいえ、23区ではなく多摩地域ですが)大きな病院ですから、待ち時間が長いことは覚悟しています。でも、予想よりは短く済んだかと思います。10時半予約のところ、10時前には病院に到着。2時前には病院を出ることが出来ました。この日の経過をかいつまんで書いておこうと思います。最初に、担当医師でない若いお医者さんから問診を受けます。レントゲン検査をすることになりました。12時を過ぎて、数多く待っていた患者さんも全員がいなくなってしまいます。僕のことが忘れられているのではと心配になって来ました。...これまでの経緯その7―――医師はがんである可能性を指摘します

  • 退院3日目 ――― 2日目は疲労困憊、3日目は自転車に乗りました

    自宅に戻り、独りでの暮らしは予想以上に体力が必要で、疲労しますね。昨日は退院2日目でしたが、思い切りそんな洗礼を受けました。入院生活は3食とも向こうから出て来ます。自宅では食事の食材を買って来て、調理をし、汚れた食器も全て自分で洗います。お皿が水屋の低い棚のしかも重なった皿のいちばん下にあったら、取り出すのは大変。米櫃も低い位置にありますから、そこから3合分を取るのは大変。まだ僕の左膝がよく曲がらないのと、曲げると創がピリリと痛むのです。椅子に座り続けるのも、疲労が蓄積する一因です。入院中はベッドで横になっているのが基本姿勢でした。時々、ベッド脇に座って食事をしたりPCを使ったりしていただけです。自宅では椅子に座るのが基本姿勢です。これが意外と疲れるのです。と言う訳で、退院2日目の昨日は僕は疲労感に打ちひ...退院3日目―――2日目は疲労困憊、3日目は自転車に乗りました

  • 退院当日 ――― かなり歩きましたが、大丈夫でした。一人で退院祝いをしました

    今日は青空が広がり、2月とは思えないポカポカした退院日和でした。我が家の最寄り駅に12時ころ到着。明日からの朝食用のイギリスパンを駅ビルのパン屋で買います。昼食用にはカレーパンとコロッケパン、夕食用の塩パンも買いました。病院内では躓く段差もないフロアをせいぜい10分程度歩くだけでした。最寄り駅からは自宅までしっかりと歩けば20分、のんびり歩いても25分ほどです。そこを道路の凸凹や行き交う車に注意しながら、意識的にゆっくりと歩きました。30分かかりました。玄関のカギを開け、16日ぶりの我が家は以前と同じ空気を漂わせていました。心落ち着く我が家です。▲12:44。我が家のベランダから西の空を眺めました。病室の窓からの風景よりも何倍も豊かです。早速、コーヒー豆を挽いて、コーヒーを淹れました。豆を挽くには力が要り...退院当日―――かなり歩きましたが、大丈夫でした。一人で退院祝いをしました

  • 入院7日目2 ――― 穏やかに午後の時が過ぎて行きます

    昼食。米飯200、味噌汁、サーモンフライ60+キャベツ、中濃ソース、ポテト金平、おくら和え2時20分、看護師が来ます。134-69、36.9℃。点滴をセットします。3時、看護師が来て、点滴を外します。看護師が熱いタオル5本を持って来てくれ、身体を自分で拭きました。入院3日目の夕刻から穿いていたリハパンを脱いで、普通のパンツに着替えました。尿道を通るおしっこの感覚も元に戻り、我慢も普通に出来るようになっています。5時40分、看護師が来ます。175-93、36.3℃。血圧高っ!夕食。米飯200、味噌汁、肉豆腐、胡麻酢和え、みかん朝食後と夕食後の薬は昨晩までは看護師の前で飲むことになっていました。でも、この日からは自分で飲んで空袋だけを渡せばいいことになりました。薬は2種類、セレコキシブ100mgとレバミピド1...入院7日目2―――穏やかに午後の時が過ぎて行きます

  • 入院7日目1 ――― 1週間たった日曜日、のんびりと朝の想いにひたります

    2月18日(日)、入院して1週間が経ちました。6時、看護師が来ます。来た直後、僕はトイレへ行かせてもらいます。163-95、36.2℃。血圧高い!そして、点滴のセット。7時10分、点滴外します。▲9時55分。僕のベッドからはこの景色が見えます。下記の文章の時よりは、2時間以上経った時の写真です。昨日移動して来たこの部屋は、ほぼ北向きの部屋。右手少し後方から朝陽が昇って来ます。部屋に陽が差し込まないのは残念ですが、その代わり窓からの風景には陽が当たるのです。目の前には太めの木が1本。大木とまでは言えませんがそれなりの直立木。この木は僕のいる病棟の陰になって、葉の色は黒々と、せいぜい暗緑色と言える程度です。僕のいるフロアは2階なのですが、窓から見えるこの中庭は2階フロアと同じ高さに見えます。(後日、これは僕の...入院7日目1―――1週間たった日曜日、のんびりと朝の想いにひたります

  • 入院6日目2 ――― ベッドが窓際に移動となり、入院後初の面会も行なえました

    1時30分ころ、部屋を移動しました。ベッドも冷蔵庫やテレビを置いてある家具も丸ごと移動しますから簡単です。僕は歩いて付いてくだけですけれどね。早速この部屋に看護師が来てくれます。1時45分に点滴をセットし、2時50分に外しました。3時15分、W科さんが面会に来てくれました。デイルームで小1時間過ごし、4時10分に別れました。お土産に買って来てくれたイチゴシュークリームが美味しかったな!入院して初めてのスイーツです。入院中は運動もしませんし、病院食の正しい食生活を送ろうと決めています。ローソンでスイーツやらチキンの唐揚げやら買って食べることも出来ます。でも、我慢、我慢。まあ、我慢している訳ではなくて、病院食で結構満足できています。とは言え、シュークリーム、美味しかったな~ぁ!はちみつ紅茶という珍しいティーバ...入院6日目2―――ベッドが窓際に移動となり、入院後初の面会も行なえました

  • 入院6日目1 ――― ローソンへも一人で行けるようになりました

    2月17日(土)、入院も6日目になりました。2時、歩行器を使わずにトイレへ行きました。6時、点滴前のトイレです。6時15分、看護師が来ます。168-92、36.1℃。血圧が高い!点滴をセットしてくれました。7時10分、トイレへ点滴台と共に歩行器なしで行きました。💩もしたくなったのですが、まだ我慢できそうなので後に回しました。朝食が届く前に点滴を外してもらい、トイレに行って💩をしました。朝食。ロールパン90、マーマレードジャム、コーンスープ、ツナサラダ、マヨネーズ、バナナ、牛乳2009時30分、昼担当の看護師が挨拶に来ました。2時の点滴、明日の髪の毛のシャンプー、部屋の移動について告げてくれました。部屋の移動ですが、幾日か前に窓側のベッドに移動したいと希望を伝えていたのです。今いる窓のない部屋(ベッド)は閉...入院6日目1―――ローソンへも一人で行けるようになりました

  • 入院5日目2 ――― PC作業も比較的楽に出来るようになり、ブログも書き始めました

    昼食。米飯200、味噌汁、かれいムニエルきのこソース80、ジャーマンポテト、オレンジ2時10分、看護師が来たので、念のためトイレに行きます。点滴をセットしました。「点滴は夕方じゃなかったんですか?」と聞くと、看護師は「夕方です」とバッサリ。女性看護師は優しくもありますが、気も強いですよね。2時50分には点滴を外してくれました。その後、看護師付き添いで、ローソンまで歩行器で歩きました。別の病棟の1階にあります(僕は2階にいます)。歩く距離は100mほどでしょうか?ちょっと分かりにくいですね。歩くこと自体はまったく問題ありません。ローソンでは宅配便について聞きました。どうやら僕のザックも送ることが可能なようです。少しは重いザックを背負って退院しようと思えば、出来ないこともないでしょう。でも、術後なので、未知の...入院5日目2―――PC作業も比較的楽に出来るようになり、ブログも書き始めました

  • 入院5日目1 ――― 昼前の時間が淡々と過ぎて行きます

    2月16日(金)、入院5日目になりました。3時前、トイレに行きました。その後、看護師が来ます。僕が気付かずに寝ている時も、時折来て何かしらのチェックをしているようです。血抜きドレーンの管に異常がないかどうかを確認しているのだと思います。5時50分、再びトイレへ。これは点滴前の念のためのトイレです。6時5分、看護師が来ます。145-85、36.3℃。抗生剤の点滴をセットしました。7時40分、トイレで💩。朝食。パン90、アンズジャム、チャウダー、グリーンサラダ、和風ノンドレ、ヨーグルト100g8時30分、看護師か医師かは分かりませんが、若めの男性が来ました。採血をしましたが、あまり上手くはなく、チクリと痛かったです。8時55分、看護師が来て、今日の予定等を話してくれます。夕方(2時です)と夜に点滴。ローソンま...入院5日目1―――昼前の時間が淡々と過ぎて行きます

  • 入院4日目2 ――― 行動が少し自由になった夜を過ごします

    5時過ぎ、夜担当の看護師が挨拶に来てくれました。もちろん、バイタルも。145-85、36.5℃。「10時に点滴に来ますね」と。5時50分、トイレへ。急いだので、歩行器を使い忘れて行ってしまいました。ベッドからはせいぜい4mほどの距離しかありません。看護師の目がどこにあるかしれませんし、看護師に叱られたくはありません。僕は微妙に決まり事を破りがちな人間なので、叱られることが多いのです。それに、左足に一抹の不安もありますから、普段は真面目に歩行器を使っています。6時5分、夕食。米飯200、味噌汁、親子煮、れんこん金平、小松菜お浸し7時40分~、トイレへ行き、歯磨きをし、目薬を差しました。行動の自由が増しましたから、ものごとをテキパキと行なえます。10時、消灯後の暗い中、看護師が来て点滴をしに来ます。僕は念のた...入院4日目2―――行動が少し自由になった夜を過ごします

  • 入院4日目1 ――― 背中の針からも解放されて、一段と自由を感じます!

    3時10分、看護師を呼んでトイレへ。何事もなく達成。6時20分、看護師が点滴をセット。36.7℃。6時50分、看護師を呼んでトイレへ。💩も出そうだったので、便座に座ると、出ました。トイレで💩が出来て、本当に良かったと思います。ベッドの上で看護師のお世話になりたくはありませんでしたからね。これも手術翌日に尿道カテーテルが外れたのが大きかったですね。リハパンを下ろす際、患部に巻いてある包帯も一緒に下がってしまいました。生検の時も同様でしたけれど、太ももに巻く包帯は実に外れやすい!看護師に巻き直してもらいましたが、また外れそうな気がします。8時、朝食。パン、マーガリン、リンゴジャム、牛乳、バナナ、チーズ、ポークソテー食パンは8枚切のようで、マーガリンもジャムも全部ぬって、2枚重ねで食べました。9時55分、歯磨き...入院4日目1―――背中の針からも解放されて、一段と自由を感じます!

  • 入院3日目3 ――― おしっこの我慢がしにくくなっています

    4時前、トイレに行きました。尿道カテーテルが入っていたせいか、おしっこがドボドボといった感じで出て来ます。カテーテルのせいで、尿道が広がったような気がします。トイレへは歩行器を使います。歯磨きのため洗面台へも行きます。「このままローソンへ行ってもいいですか?」と聞くと、やっぱり、「まだ駄目です」との答え。▲足元と肘の高さの馬蹄形の中に立ちます。前の角のような握り棒を掴み、両肘を載せて体重を支えます。看護師が来ました。「薬のトレーニングをします」と言います。この日の夕食から3日間、看護師の前でちゃんと飲めるか否かチェックするそうです。それが出来れば、その後は僕自身に管理を任せるようですね。錠剤は朝夕食後2錠ずつで、痛み止めと胃腸剤のようです。今日はほんの少しですが、頭痛気味です。5時、夜担当の看護師が来まし...入院3日目3―――おしっこの我慢がしにくくなっています

  • 入院3日目2 ――― 手術の様子が少しだけ分かりました。

    12時過ぎ、昼食。メニューが記された紙には、常食1800と書かれています。1日の摂取カロリーが1800Kcalということでしょうね。米飯200、コンソメスープ、鶏肉トマトソース焼90、いんげん炒め煮、フルーツ盛合せ(苺・オレンジ)完食(この後、これを書いている2月22日時点で完食継続中)。この昼食から、ベッドサイドで食べることにしました。この方が楽なんです。手術翌日にもう歩けたりすると、悪い方向を考えたりしてしまいます。例えば、こんな風に。切り開いたら、すでに手の施しようのない状態になっていて、そのまま何もせずに閉じてしまった。だから、足の太さも変わらないし、筋肉の状態も手術前と同じだから歩けるのだ、と。4時、若い医師が来ました。「抗生剤はまだ続きます」「パルスオキシメーターや心臓の電極は、今日明日には外...入院3日目2―――手術の様子が少しだけ分かりました。

  • 入院3日目1 ――― 手術翌日に早くも尿道カテーテルから解放されました

    6時に灯りがともると、まもなく看護師が来ます。体温と血圧を計るのです。37.2℃、145-85。血圧は聞いてても忘れてしまったり、よく聞き取れないこともあります。そんな時の数値は?にしてもいいのでしょうが、とりあえず5にしておきます。上記のデータもそうでした。看護師が言うには、今日はどれかの管が外れ、採血も行なうとのこと。7時10分、予告通り採血が行なわれました。8時10分から朝食です。食パン2枚、マーガリン、はちみつ、大根サラダ、ゴマドレ、ポテトオムレツ、パインパイナップルを大根と見間違えて、ゴマドレをかけてしまいました。形は似ているけど、色は全然違っていますけどね。目が相当悪くなっています。ベッドの頭を起こして食事をしましたが、この姿勢はけっこう苦しいですね。左足大腿部への圧も増しますし。動けない僕の...入院3日目1―――手術翌日に早くも尿道カテーテルから解放されました

  • 入院2日目2 ――― 手術当日。手術が終わると、管だらけでガンジガラメです

    理由は分かりませんが、トイレに行きたい感じが続きます。今すぐトイレに行きたい、と言うほどではありません。「もうしばらくしたら行きたいな」と言った感じです。看護師にそのことを伝えると、その解決法を医師に聞いて来てくれたみたいです。すぐに戻って来てくれました。尿道カテーテルの位置を尿が流れやすい位置に変えるんだそうです。男性看護師でしたから、僕はパンツを下ろしてフリチンに。おちんちんの位置から変え、管の位置も変えてくれました。これで良くなればいいな。尿道カテーテルももちろん初めての経験です。麻酔が効いている時に設置されますから、どおってことはありません。ただ、動きが制限されるのだけは嫌ですね。尿道カテーテルばかりではありません。動きを制限するモノがたくさん付いています。左手には点滴。左指にはパルスオキシメータ...入院2日目2―――手術当日。手術が終わると、管だらけでガンジガラメです

  • 入院2日目1 ――― 手術当日。手術自体に関しては、何も分かりません

    5時57分、目が覚めてお茶を飲みました。この日は6時以降の飲食が禁止されているのです。6時、灯りがともり、看護師が来ます。36.4℃、154-87。トイレで💩7時58分、手術着への着替えを済ましました。薄いT字パンツも穿きます。脹脛には圧迫ソックスも穿きます。看護師(多分)が来て、手術を行なう左足に黒い丸印を付けました。2箇所です。8時30分過ぎ、看護師と共に歩いて手術室へ向かいました。これから手術する人が3人ほど待機している場に来ました。念のため、トイレにもう一度行きます。手術室は4号室。柄にもなく、「縁起悪いな」と、チラッと思ったりします。手術室には5、6人のスタッフがいました。幅の狭い台に仰向けで横たわるように言われ、靴を脱いで台に上がります。左足の圧迫ソックスは不要なようでそこで脱いだと思います。...入院2日目1―――手術当日。手術自体に関しては、何も分かりません

  • 入院初日5 ――― 初日の夜が過ぎて行きます

    2月12日(月・祝)の入院初日も外が真っ暗になりました。窓際のベッドではないので、外が暗いかどうかは分からないのですけれどね。7時10分、麻酔科の医師が来て、幾つかありきたりの質問をします。それから、「顎を上げて少し上の方を見て」と言ったり、「上唇を下の歯で噛める?」と、出来るかどうか確かめたりします。どうやら手術中の挿管がし易いかし難いかを調べたらしいですね。僕の場合は挿管し難そうらしい。なので、映像を見ながら挿管した方が良さそうだとの結論みたいです。8時過ぎ、看護師にパソコンのことを聞くと、Wi-Fiがあって病室でも使えるとのこと。パスワードを教えてもらい、病室で初めてパソコンを使いました。消灯時刻の9時直前まで使っていました。9時に予告なしに突然真っ暗け。これまで家では12時とか1時に寝るのが普通で...入院初日5―――初日の夜が過ぎて行きます

  • 入院初日4 ――― だんだんと入院生活らしくなっていきます

    今、5時8分だけど、何もすることがない。スマホで○○のブログを読む。ベッドの上で横になり続けているだけ。何かしらのこの日その日の目的が欲しい。リハビリをするようになれば、それが目的になるのだけれど・・・・5時15分、夜勤(多分)の看護師2名が来て、少し問答をしました。36.4℃6時からは夕食。▲18:08。米飯200ザーサイスープエビチリソース春雨中華和え杏仁豆腐(桃・ミカン)病院食なので、当然うす味ですが、味はまずまずで美味しいと言っていいですね。完食しました。ご飯は少しべとつく感じで、最後の方はお椀に引っ付いて離れなくなってしまう。ご飯粒がたくさん残ってしまって、若干の罪悪感を感じます。古い人間ですからね。ひと粒ひと粒にお百姓さんの汗と涙が滲み込んでる、そう言われて育った世代です。エビチリは外見も味も...入院初日4―――だんだんと入院生活らしくなっていきます

  • 入院初日3 ――― 病院での生活が始まりました

    とりあえずの用事は終了し、フリーの身に。NSでコンビニの場所を聞くと、地図にピンクの線を引いてルートを示してくれました。ローソンがあるのです。外科病棟の2Fを出て、別の棟の1Fのローソンへ行くのです。それが、初めての人間にとっては迷路のように分かりづらい!ローソンの並びには理容室、介護用品ショップ、図書室などがありました。介護用品ショップではさっちゃんへのお土産が見つかればいいな、と思っています。ローソンではお茶とカルピスWater、それぞれ500ccのを1本ずつ買いました。しばらく出歩けなくなるでしょうから、もっと必要なんでしょうが、とりあえず。お昼になって、昼食が出ました。さっちゃんが入院した時、さっちゃんのを横取りして食べたことはありましたけれど、自分用に提供された病院食を食べるのは初めてです。うど...入院初日3―――病院での生活が始まりました

  • 入院初日2 ――― 病室のベッドに案内され、問答並びに必要書類の提出

    僕が入る病室の僕のベッドに案内されました。4人部屋の入ってすぐの左側。窓側のベッドが空いていたので、「あちらでは駄目なんですか?」と聞いてみました。すると、「すでに入室者が決まっています」とのこと。残念。看護師さんとの入院に当たってのいろいろな問答がありました。いろんな場所でもう何度も繰り返された問答ばかりです。そんな中、主治医の先生と交わした同意書が無いことが発覚。僕が持って来た書類を探しても見つかりません。僕の代わりに看護師さんが探しても見つかりません。看護師さんはもい一度僕に探すよう促します。「あるわけないじゃん」と内心思いながら、素直に探しますが、もちろんありません。この件に関しては後ほどすぐに解決に至りました。手術のスタッフであろう医師の一人が来て、同意書を持って来てくれました。どうやら日付が記...入院初日2―――病室のベッドに案内され、問答並びに必要書類の提出

  • 入院初日1 ――― 家を出てから病棟まで

    2月12日(月・祝)入院1日目7時に起床、朝食は食べずに9時に家を出るつもりでした。ところが、乗る電車の時刻を1時間間違えてしまっていたのです。つまり、8時には家を出なければならないことが判明。のんびりと準備すればいいと思っていましたから、7時20分まで布団の中でした。慌てて、8時5分に家を出ます。こんな有様でしたから、「必ず何か忘れているぞ!」と思ってはいました。すると、大事なものを忘れてしまったことに途中で気付きました。生命保険の書類です。まあ、この書類は退院後に必要になるわけですから大丈夫ですけれどね。この日は祝日なので正面玄関は閉まっています。正面玄関を右に進み、タクシー乗り場が出て来た先に警備室があります。そこで「今日入院することになっている○○ですが・・・・」と告げます。僕が入院する予定の病棟...入院初日1―――家を出てから病棟まで

  • 入院準備 ――― 入院前日も忙しいような、そうでもないような

    入院前日の2月11日(日)。その前の日には天覧山で岩トレをしました。▲獅子岩の左ルート5.9+を皆で試登しました。初めてのルートなので、正しいムーブどころかルートさえよく分かりません。この写真で僕が登っているところまでしか到達しませんでした。4名の女性が参加して下さいましたが、手術を控えての髭を剃った顔も大公開。皆、「若く見える」と言ってくれますが、僕自身は老けて見えると感じています。頬っぺたの肉が垂れ下がり始めて、年取った時の母親の顔にそっくりだと思いました。▲打上げの中華屋さんで。左からK藤さん、W科さん、HTさん、僕、M谷さん。僕ももはや顔を隠すほどのプライバシーもないし、老い先も短そうですから、フルオープン!この岩トレの山行記録を僕は会に報告しています。義務ではないのですが、一人くらいそんな奴がい...入院準備―――入院前日も忙しいような、そうでもないような

  • 入院準備 ――― 入院を目前に控え、諸々雑多なやるべきことが山積しています

    入院が3日後に迫って来ました。明日は入院前最後の岩トレで、天覧山に行きます。実質的には11日の日曜日だけしか準備できる日はありません。ですから、基本的には今日までに済ませておく心構えでした。昨日はK子さんがさっちゃんとの面会に来てくださいましたから、入院申込書兼誓約書の身元引受人欄に署名してもらいました。何故だかこの書類は退院までに提出すればいいらしく、僕はのんびり構えていました。僕の悪い癖ですね。K子さんの方が気にしてくださっていて、声を掛けてくれました。病院から『入院のご案内』という冊子を貰っています。それには「入院時にご用意していただくもの」が記載されています。健康保険証、診察券、入院申込書兼誓約書、お薬手帳、印鑑などは当然でしょうね。その他、市役所へ行って限度額適用認定証とかも用意しました。入院預...入院準備―――入院を目前に控え、諸々雑多なやるべきことが山積しています

  • 手術前のMRI検査 ――― 手術に活用するための検査だと思います

    またしてもブログ記載が遅れましたが、2月1日(木)にMRI検査がありました。主治医の先生が言われていましたが、この検査結果で手術方針が決まるんだそうです。腫瘍とその周辺の筋肉をどれくらい切除するのかが決まるのでしょうね。神経や主要な血管との接近具合も確認するのでしょう。まあ、そのような専門的な事柄は想像するだけで、医師に任せればいいことです。人生2回目のMRI検査になりました。前回は検査着に着替えましたが、今回は上着を1枚脱いだだけでした。ズボンのチャック部分に金属が無いか、口頭で確認しただけでした。(その日のズボンは紐で結ぶタイプでした)左脚大腿部だけの検査ですから、前回だってこんな感じで良かったのでしょうね。相変わらずMRI検査は騒音のオンパレード!数えたわけではありませんが、その騒音の種類は10種類...手術前のMRI検査―――手術に活用するための検査だと思います

  • 放射線治療№19~25 ――― 放射線治療も終了です

    25回にわたる放射線治療が1月26日(金)に終了しました。その前日は木曜日でしたから、放射線科の医師の診察もありました。特段変わったこともなく終わりましたが、ひとつの画像を見せてくれました。放射線治療を始めた時の腫瘍箇所の断面画像とその日の画像を重ねたものです。丸い形の骨で重ね合わせてあります。まあ、ほんの僅かではありますが、足が細くなっていました。僕も自分なりに計っています。小さな黒子(ほくろ)を目印に周囲の長さを計っていたのです。治療スタート時は55cmでしたが、終了時は54cmになっていました。ちなみに同じ位置の右足は49cmです。これからも少しは縮むんだろうと、思っています。もっと縮むものと放射線治療が始まる前には想像していました。今のところ、それほどではありませんね。太ももの肌が日焼けしたように...放射線治療№19~25―――放射線治療も終了です

  • 入院準備 ――― 麻酔科でいろいろと調べたり説明を受けたりしました

    1月18日(木)は朝の9時から麻酔科の予約が入っていました。オートミールで簡単に朝食を済ませましたから、8時20分には病院に到着。10時からはいつも通りの放射線治療なのに、麻酔科が終了したのは10時50分。麻酔科でのことを簡単に記録しておこうと思います。いろいろなことをしたので、正確には覚えていません。普段使用している薬やアレルギーのことの聞き取りがありました。口腔内に器具が入ることもあるので、口腔内のことも調べられました。全身麻酔と局所麻酔についての説明ビデオを視聴しました。薬剤師、歯科衛生士、麻酔科医師による診察もありました。特に僕には注意されるべき点はありませんでした。まだ詳しくは読んでいないのですが、幾つかの書類にもサインしました。よく調べる理由が分からなかった項目もあります。身長と体重は何のため...入院準備―――麻酔科でいろいろと調べたり説明を受けたりしました

  • がんの転移があるか否か? 初めての心配体験でした

    1月4日に様々な検査をしました。それぞれの検査が何のための検査なのか?それは特には教えてもらっていません。でも、素人なりに何となく想像は出来ます。CTとレントゲン検査は、がんの転移がないかどうかの検査だと思います。そして、1月18日(木)に主治医の診察が予定されました。僕にとってはちょっとした運命の分岐点です。検査の結果が報告されるはずだからです。主治医の先生が放射線治療の順調さを言います。僕の体調(体力?)的にも入院・手術は問題ないことを告げてくれます。大きな体調変化がない限り、予定通り入院・手術が出来そうだと言います。そして、この日の診察はこれで終了とばかりに「何か質問は?」と言うのです。あれ、あれ、あれ?これでお仕舞い?そんなはずは無いよね!?と言う訳で、僕は先生に「CTやレントゲン検査の結果は?」...がんの転移があるか否か?初めての心配体験でした

  • 放射線治療№12~18 ――― 折り返し点を越えて、徐々に影響も出て来たかな?

    本当ならば7回分もまとめて書く予定ではありませんでした。せめて先週4回分はまとめて記録しておこうと思っていました。でも、思いのほか肉体が疲れているようです。夜の時間にまとまった1~2時間を、ブログに費やすほどの余力がありませんでした。病院から戻り布団で少し横になると、予想以上に寝てしまうことが多くなりました。一度なんかは、朝のアラームで目を覚ませませんでした。(ギリギリ自然に目を覚まして、朝食抜きで行きました)そして、放射線治療の直接的な影響も感じられるようになってきましたね。まずひとつは、肌のヒリヒリ感です。日焼けしたような状態になるとは最初から聞いていました。僕は酷い日焼けはしたことがないので、その感覚はよく分からないのですが、熱湯がかかって軽い火傷を負った時のようなヒリヒリ感に近いですね。まだまだほ...放射線治療№12~18―――折り返し点を越えて、徐々に影響も出て来たかな?

  • 放射線治療№10~11 ――― いろいろと進展しました

    目が覚めました。時計を見ると、5時14分です。窓の外は真っ暗で、部屋はちょっと寒そうです。右足の脹脛には酷く攣った後のような痛みが感じられます。「今は夕方なんだろうか?それとも朝?」僕にはどっちだか分かりません。でも、ずいぶん長く寝たような気分です。布団から起き出して、トイレに行き、スマホで日にちを確認すると・・・・朝でした。13時間近くも寝たんですね!そう、前日の4日(木)は帰宅したのが午後4時ころでした。病院で長い時間を過ごし、疲れていたようです。家に着くと、とりあえず体を横にしたんです。普通なら1時間、長くても2時間で目覚めるのですが、13時間も寝続けたんですね。そんなに疲れた木曜日のことを箇条書きで記録しておこうと思います。①いつもの放射線治療早く病院に着いてもさほど終了時間に影響しないことが旧年...放射線治療№10~11―――いろいろと進展しました

  • これまでの経緯その6 ――― MRI検査の所見が報告されました

    2023年10月17日(火)にH村整形外科へ行きました。待合室には多くの患者さんがいて、呼ばれるまでに1時間以上かかります。午後に行きましたから、全部が終了して帰路についたのは今回も日没後でした。やっと呼ばれて診察室に入ると、左脚大腿部の画像が3枚PCに映し出されていました。その画像を指し示しながら、MRI検査報告書の内容を説明してくださいました。以下が、このMRI検査報告書の所見の文面です。大腿二頭筋と半膜様筋の筋間に長径19cm弱の腫瘤性病変を認めます。腫瘤はT1WIで筋肉より低信号、T2WIで著明な高信号を呈し内部に隔壁様構造が見られます。脂肪抑制はされません。隣接する筋肉などに異常信号は見られません。粘液腫としては周囲に浮腫性変化が見られず、脂肪肉腫など悪性腫瘍としては均一な信号で拡散低下も目立ち...これまでの経緯その6―――MRI検査の所見が報告されました

  • これまでの経緯その5 ――― MRI検査を行ないました

    H村整形外科で前日にH野市の健診センターを予約してくれました。10月12日の夕方にです。車で自宅まで迎えに来てくれるそうです。当日、15時52分に電話が入り、すでに車はアパートの前に停まっているみたいです。H野市の健診センターまで無料の車で出迎えてくれるとは、素晴らしいサービスですね。国か都の予算が使われているのでしょうか?健診センターに到着すると、紹介状と保険証を出し、問診票に記入します。その後、医師の問診を受けましたが、これは形式的なもののようですね。続いて、小部屋で検査着に着替えてから、MRIの撮影室に入りました。撮影技師の方が「腫れているのはどこですか?」と聞くので、左足の太ももを指します。技師の方が左足太ももを触ると、「大きいね」と言います。見る人、触る人、皆が「大きい」と言います。あまり気持ち...これまでの経緯その5―――MRI検査を行ないました

  • 放射線治療№5~9 ――― 放射線治療の3分の1が終了しました

    2017年からだったでしょうか、2018年からだったでしょうか?さっちゃんの介護もあって、僕は仕事をしなくなりました。12月19日からの放射線治療は、定時出勤の生活に戻ったような感覚ですね。とりわけ2週目に入った12月25日からはそんな感じを強く持ちました。放射線治療の予約は10時からですから、病院へは9時半までに着くようにしています。26日は午後から天覧山の岩トレに合流予定でしたから、さらに20分早く行きました。でも、早く到着したからと言って早く終了する訳ではないようです。例えば、9時予約の患者さんよりも僕が早く病院に着いたとしても、予約時間が早い患者さんの方を先に診療するようです。ですから、早く到着しても終了時刻はいつもと同じでしたね。放射線技師(多分そうだと思いますが)の先生に聞いてみました。「25...放射線治療№5~9―――放射線治療の3分の1が終了しました

  • 放射線治療№4 ――― 通常タイムで病院へ行きました

    放射線治療自体は淡々と進行中です。自覚できるような影響はまだ出て来ていません。脚の太さも変わりませんし、日焼けのような状態も現われていません。▲19日に追加で書かれたのですが、今日その線を太く上書きされました。薄くなってしまいましたが、最初に書かれた十字の箇所で脚の太さを僕は計ってみました。左足が55cmで、右足は49cmでした。今日もまだ55cmのままです。診療費も20日の日から0円が続いています。これは恐らく高額療養費制度に関わっているのでしょうね。月が変わって1月になると、0円ではなくなるのだろうと予想できます。初日の19日は午後の予約でした。20日は少し早めに家を出ました。21日はもっと早く家を出ました。今日は前日に比べると50分ほど遅く家を出ました。ただ、これが通常の出かける時間なんです。予約が...放射線治療№4―――通常タイムで病院へ行きました

  • 放射線治療№3 ――― 早めに病院へ行ったのですが、1時間半以上待ちました

    今日は放射線治療終了後、飯能の天覧山へ行く予定でした。HTさんと岩登りトレーニングをするためです。前日も前々日も病院到着後ほとんど待つことなく放射線治療に入りました。ですから、天覧山に正午には到着できると考えていたのです。これまでで一番早く病院へ到着しました。10時予約のところ、8時40分に病院に着いたのです。ところが、僕の名前がなかなか呼ばれません。今日は放射線治療を受ける人が多いみたいです。10数人以上の方々が次々に呼ばれて、放射線治療室へ入って行きます。前日は10時には病院を出ていたのに、今日はまだ順番待ち。10時半を過ぎて、やっと名前を呼ばれました。結果、天覧山に着いたのは1時過ぎてから。HTさんのトレーニングは予定通りのことが出来たので良かったです。想定通りではありませんでしたけれど、こんな感じ...放射線治療№3―――早めに病院へ行ったのですが、1時間半以上待ちました

  • 放射線治療№2 ――― 診療費の算定方法がさっぱり分かりませんね

    放射線治療2回目の12月20日からは朝10時の予約時間です。これまでも予約時刻の30分ほど前には病院に到着するようにしていました。でも、外来診療等では多くの人が順番待ちしているので、すごく時間がかかりました。放射線治療では受診者も少ないようですから、待ち時間もほとんどないようです。それで、かなり早く来たらどうなんだろう?と思ったわけです。今日は病院に9時に到着。それほど待つことなく放射線治療を受けることが出来ました。会計を済ませても、10時ころには病院を出ることが出来ました。と言う訳で、明日は正午から天覧山で岩トレをします。HTさんと一緒です。岩トレと言っても、僕自身はほとんどしません。HTさんの練習のお手伝いですね。役に立てることはしてあげたい気持ちが強いんです。ところで、驚いたことがありました。会計の...放射線治療№2―――診療費の算定方法がさっぱり分かりませんね

  • 放射線治療№1 ――― 診療費の高額さにビックリ!

    今日、12月19日(火)は放射線治療の初回でした。15時予約のところ、14時半過ぎに病院に到着。意外と早く、放射線治療の機械がある部屋に入ります。前回作成した僕の腰から下の型が台の上に置かれています。ズボン等を脱いで、その型に合わせて横になりました。微調整をしながら脚の位置を決め、何やらまたマジックで書いているようです。それらのことが終了すると、放射線技師2名と看護師は部屋の外へ。放射線治療のスタートです。左脚の上にあった球体のようなものが時々、僕の脚の周囲を回転します。半回転ぐらいして止まっています。しばらく止まっていたかと思うと、再び動き出して回転します。放射線を左足大腿部の深部に当てているのでしょうが、痛くも熱くもありません。10分ほどで終了。会計をすると、なんと!14,610円!1万円ちょっとしか...放射線治療№1―――診療費の高額さにビックリ!

  • これまでの経緯その4 ――― 軟部肉腫の可能性も覚悟しながら近所の整形外科病院へ

    ネットで調べた僕には軟部肉腫というがんの一種が目に止まりました。最悪がんかもしれない、と言うよりも、がんに違いないと思うようにしました。それで、テニス肘(テニスはしません)でお世話になったH村整形外科へ行ったのです。10月11日(水)のことです。看護師さんが僕の左脚を見て「凄く腫れてるわね~」と言います。その後、お医者さんが診てくれましたが、「これは大変だ~!」といった雰囲気。もちろんそんなこと言葉には出しませんが、伝わって来ます。僕が「軟部肉腫の可能性もありますよね?」と聞くと、直接は返答せず、最近の軟部肉腫だった患者さんの様子を語るのです。その方は短期間で腫瘍が数倍に大きくなったそうです。その後、レントゲン撮影をしました。その画像を見て、所見を語ってくれます。軟部肉腫とは言葉には出しませんが、それらし...これまでの経緯その4―――軟部肉腫の可能性も覚悟しながら近所の整形外科病院へ

  • これまでの経緯その3 ――― 僕の左足大腿部の膨らみに疑念を抱くようになったのは・・・・

    前にも記したように、僕は左足大腿部の膨らみを不思議に思っていませんでした。左脚筋肉だけが発達しても当然かもと感じていたからです。痛みや痺れなどの違和感はまったくありませんでしたし、今と比較すると、まだそれほど大きくはなかったからです。(客観的に考えれば、十分に異常な大きさですけれどね)つまり、何かの腫瘤といった見解にはまったく思いが至らなかったのです。100%、発達した筋肉だとしか考えていませんでした。それに最初にほんの小さな疑念の風穴を開けてくれたのはH田さんです。H田さんは僕の所属する山岳会YYDのメンバーで、鍼灸師さんです。2023年7月30日に奥多摩の小坂志川支流湯場ノ沢を遡行しました。▲11:20。湯場ノ沢は初心者にも楽しめる綺麗な沢です。下山後、H田さんに僕の左足大腿部を触ってもらいました。僕...これまでの経緯その3―――僕の左足大腿部の膨らみに疑念を抱くようになったのは・・・・

  • 手術予定日が先に延びました

    病院に行くと、何故あれほど疲れるんでしょうかね?今日も身体の芯から疲れた気分です。でも、さっちゃんに同行して病院に通ってた時よりも楽です。長い待ち時間もマイペースで過ごせますからね。この日(12月14日)は僕の主治医(なのかな?)のM井医師の診療です。この日は手術日の変更が言い渡されました。と言うのも、放射線治療が1月26日あたりで終了予定なのですが、M井医師は「終了後2週間以内にはしないんだよね」と言います。放射線治療で皮膚が焼けたり、内部も荒れてるでしょうからね。放射線の影響が落ち着いてから手術するのだそうです。まあ、納得できますね。2月1日にはMRI検査をすることになりました。放射線治療の結果、腫瘤も小さくなっているはずですからね。この日は手術日は決まりませんでしたけれど、MRIの翌週か翌々週でしょ...手術予定日が先に延びました

  • これまでの経緯その2 ――― その膨らみを不思議に思わなかった理由は

    どれくらい前のことだったかは不明瞭ですが、僕の左足大腿部に膨らみがあることには気付いていました。ただ、その膨らみは筋肉の発達によるものと思っていたのです。僕は若いころから登山を楽しんで来ました。沢登りをメインに岩登りも雪山も実践していました。初級者レベル、甘めに評価しても中級の下くらいですけどね。妻のさっちゃんとも登山が縁で出会い、ザイルパートナーとなりました。1998年2月のことだったと思います。雪の愛鷹山の縦走をしている時、さっちゃんは滑落し、右足脛骨上部(膝部分)を粉砕骨折してしまいました。土曜日に入山し、日曜日11時頃に事故発生、下山したのは月曜日の夕刻でした。その後、2度の手術、トータル9ヶ月の入院を経て、社会復帰。歩けるようになるかどうかも心配でしたから、登山は無理と思っていました。しかし、2...これまでの経緯その2―――その膨らみを不思議に思わなかった理由は

  • 放射線治療№0 ――― そのための準備をしました。CTと脚部の型取り

    2023年12月11日、朝早く9時の予約でK林大学病院に行きました。「この日から放射線治療が始まるのかな?」と思っていましたが、さにあらず。まずは今後始まる放射線治療の説明がありました。脂肪肉腫の腫瘍とその辺縁部に放射線をあて、がん細胞を弱体化させるのです。辺縁の正常細胞も同時に痛めつけます。そうすることで、辺縁も含めてのがん細胞切除を確実でやり易くするんだとか。相変わらず、明確には理解しかねますね。その回数ですが、25回行なうのだそうです。月~金で連日行ないます。暮れと正月は基本的にはお休みですが、何故だか大晦日の31日は行ないます。1月30日が切除手術予定日ですが、その数日前まで行ない続けます。放射線をあてて、がん細胞や辺縁の細胞を殺すわけですが、普通に歩くことは出来るんだそうです。ただ、放射線をあて...放射線治療№0―――そのための準備をしました。CTと脚部の型取り

  • これまでの経緯その1 ――― その膨らみに気付いたのは何時?

    僕が左足大腿部の膨らみに気付いたのは何時頃だったのでしょう?天覧山にひとりで岩トレに来ていて、その準備運動の時に左足大腿部の後ろ側中央がポコッと飛び出ていることに気付いていました。ずっと後までそれを筋肉の発達のせいだと思っていました。僕には左足の筋肉が発達する理由が思い当たったからです。遠ければ2年ほど前、近くても1年ほど前のことだと思います。数ヶ月前からは、ポコッとした感じではなく全体的に大腿部が膨らんでいました。僕のブログ『さっちゃん空を飛ぶ』を探してみると、こんな記事が見つかりました。セキレイは水上歩行し、最下部岩場のトラバース1往復に4分以上かかり、最後はブホッと音がして・・・・―――天覧山ひとり岩トレ№39-さっちゃん空を飛ぶ(goo.ne.jp)2022年2月3日の記事ですね。これは関係あるの...これまでの経緯その1―――その膨らみに気付いたのは何時?

  • 初めまして ――― 自分の粘液型脂肪肉腫でブログを開設することになるとは予期できませんでした

    初めまして。2023年12月7日に左足大腿部の膨らみが粘液型脂肪肉腫だと判明しました。登山のブログ『ザイルと焚火と焼酎と』は山日記、山行記録ですし、妻のさっちゃんの認知症ブログ『さっちゃん空を飛ぶ』は症状の変遷を忘れないための備忘録のような思いで書き始めました。登山ブログはともかくとして、認知症ブログではその時々の状況や心境を書き留めることで、僕自身の心の有り様が整えられたような気がします。ブログを書くことで、心も救われるような経験も数多くありました。まさか、僕自身の病気のブログを書くことになるとは予期していませんでした。書き表わすことで、心が整理され、心を強く保つことが出来る、そんな可能性を期待したいと思います。初めまして―――自分の粘液型脂肪肉腫でブログを開設することになるとは予期できませんでした

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僕の左足大腿部の粘液型脂肪肉腫は19cm
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