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倭の五王が日本書紀の天皇に比定できない理由 武寧王と倭の五王⑵
宋書倭国伝に記された倭の五王、すなわち、讃・珎・済・興・武を、日本書紀の天皇のことだとし、理由を付けて各天皇に当てはめるということが行われている。しかし、掲げた図にもあるように、倭の五王の在位期間と、天皇のそれは全く一致しないのである。とにかく、近畿の
2024/10/28 16:35
武寧王の加唐島での誕生譚は疑問 武寧王と倭の五王⑴
佐賀県唐津市加唐島 オビヤ浦に武寧王生誕地がある 日本書紀には、武寧王誕生の説話が雄略紀と武烈紀の二カ所に登場する。渡来した新羅王子であるアメノヒボコについては、日本書紀や古事記、そして播磨国風土記などにも描かれている。ところが武寧王は、佐賀県唐津市加唐
2024/10/24 07:44
2024.11.12 古代史講演会のご案内 武寧王と天皇
和泉史談会の古代史講演会の案内です。大阪府和泉市で開催します。 日本の加唐島で生まれたとされる百済の武寧王は、百済王に即位するまでの半生が不明です。どこでどうしていたのでしょうか?ところが、後の桓武天皇の母、高野新笠は、武寧王の子孫だというのです。ど
2024/10/20 07:25
頭に蛇を戴く土偶の役割、お産に寄り添う土偶
頭部に蛇が描かれている土偶、縄文中期藤内遺跡出土 長野県諏訪郡富士見町井戸尻考古館 たいていの土偶と同じく、下半身と左手が欠損していたのだが、発見者らが木製の土台に固定させたそうだ。 頭に蛇が表現される土偶は大変珍し
2024/10/16 07:10
臼を担ぐ天皇と安産を願って一緒に踏ん張る習俗
写真は京都府福知山市三和町大原地区、国道173号線沿いの大原神社に隣接の産屋1、日本書紀にみえる臼を背負う天皇の意味 日本書紀には、景行天皇の二年に皇后が双子を生む記事がある。大碓(おほうす)皇子と小碓(をうす)の兄弟の誕生の逸話だが、小碓が後のヤマトタケル
2024/10/13 19:31
縄文の蛇行石剣と古墳時代の蛇行剣
写真は、群馬県渋川市北橘歴史資料館 ガラスケースでの展示で、鮮明には撮れず。 縄文時代後晩期のものと考えられる小さな形の石剣です。出土地は不明のようですが、群馬県前橋市箱田の木曽三柱神社の社宝としてまつられていたとのこと。 全長30センチメートル、
2024/10/10 06:57
雄略紀の日本府も任那王が管轄する組織であった
龍鳳文環頭太刀(環頭部)6世紀前半 山清生草M13号墳 国立晋州博物館 任那日本府は、日本書紀の欽明紀のわずか10年ほどの期間に登場する、韓半島における加耶の組織であった。 だが、任那、とはされていないが、雄略紀
2024/10/05 07:32
大国主がおちた穴と宇陀の血原の本当の意味 ⑶
5.神武紀に描かれた猟の民俗―宇陀の血原の意味 神武東征の一場面に、菟田(宇陀)の兄猾(えうかし)と弟猾(おとうかし)を天皇は呼ばれたが、弟だけがやってきて、兄は歓待のふりをして襲撃の準備をしていると報告する。そこで道臣命を遣わして、兄猾を責め立てた。追い
2024/10/02 07:12
2024年10月 (1件〜100件)
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