どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうっ村田です今日からは新選組局長だった近藤勇(いさみ)について書いてみるのだ。承知の通り、近藤勇(いさみ)は新撰組の局長として幕末に京都で活躍をした人で、幕末の日本史を語るうえで...
どうも村田です松陰は武士道でいう死に花を見事に咲かせたわけなのだ。数え年では30歳だったが、満年齢では29歳だったのだ。その後、高杉晋作は「幕府という先生の敵を討たずにおくものか」と誓って...
どうも村田です呼びだしの声を待つこの和歌と、人間の真の自由はどう関係しているのかということを、小林秀雄は説明せずに「考えてください。関係しているんですよ」と言ってるのだ。ともあれ、松陰はこうして『留魂録』の筆...
どうも村田です名言の続きなんじゃ「人というのは、10歳で死んでいく人には、その10歳の中に春夏秋冬の四季があります。20歳で死んでいく人には、その20歳の中に春夏秋冬の四季がありま...
どうも村田です「いつの世も今を生きる者が、今は亡き人々に対してどういう姿勢で臨むべきか」ということを教えてくれる名言なのだ同じころ、松陰が書いた「諸友に語ぐる書」にもこういう一文があるのだ...
どうも村田です松陰はすこぶる元気に江戸への旅を続けるのだ。多分、湊川での合戦に向かう時の楠木正成のような、高揚した心境だったかもしれないのだ。江戸への護送の途中、驚くべきことに松陰は61首...
どうも村田です松陰は、はっきりと自分の命を1つの賭けに差し出そうとしていたのだ。しかし、その賭けは、どちらに転んだとしても生きてその結果を見届けることはできないという賭けなのだ。松陰はある...
どうも村田です「今こそ誰かが立ち上がらなくてはならない、そう思った時には、その行動によって何かが変わる可能性が高かろうが低かろうが、また自分たちが生きようが死のうが、そんな結果など...
どうも村田です幕府を批判する人々を権力と暴力で黙らせる政治、いわゆる恐怖政治を始めるわけなのだ。まずは井伊直弼を批判していた大名たちが、隠居、謹慎などの処分を受けるのだ。そして9月になると...
どうも村田です杉家の実家の宅地の中にある小屋が改装され、1部屋の小さな塾が開かれ松陰が主宰する松下村塾はこの時始まったと言っていいのだ。松陰の塾は盛況で若者たちが集まりすぎて手狭になったた...
どうも村田です岩倉獄には、生涯、松陰を裏切ることなく付いて行った2人の門人、入江杉蔵と野村和作兄弟も後に入れられることになるのだ。野山獄というのは、大体こういう造りであったということで...
どうも村田です自首して入れられた下田の獄というか、それはおそらく檻(おり)のような所であったと思われるのだ。そこから始まるのだ。檻(おり)に入れられた松陰にとって、学問の相手は金子重之輔だけではなかったのだ。下...
どうも村田ですわが国を取り巻く圧倒的で絶望的な白人諸国の包囲網を前にしても、そこに自分の体一つをぶつけ、そのため自分の身は滅んだが、閉塞(へいそく)した時代の突破口を開いたのだ。...
どうも村田です今回から「吉田松陰の挑戦と生涯」と題し、改めて話を書くわけだが、どうしてもすでに書いたり語ったりしていることと話が重複してしまうのだ。だから、今回の話はこれまでたくさん書いてきたこと、たくさん語ってきたこ...
どうも村田です例えばパリ・ダカール・ラリーで車が故障する、人間が故障する、いろいろなことでもう断念しようというような局面や、会計検査員や、いろいろなリゾートの管理など、本当に難問中...
どうも村田です先生は若い隊員、難物の上司、さまざまな方を非常にうまい人間関係で、別におべっかを使うというようなことではなく、不思議、不思議に先生のペースにはめてしまうという特技というのか分...
どうも村田です次は、2つ目で、三島先生が市ヶ谷の総監部でああいうふうな非業の死を遂げられて、自衛隊側としてはその反動として、三島先生の自衛隊における足跡というものを消去しようという向きがあ...
どうも村田です「何かお返しをしたい」という気持ちがあったのだ。それだけあの人は心優しい人なので、一生懸命時間外の時間をつぶして、助教官の言いなりに書いていたのだ。こういうことをどんどん書いていくということは、要するにあの自決の場...
どうも村田です三島先生が、何で「平岡公威」という名前なのかというと、文学者の名前としては三島由紀夫だが、本名は平岡公威というのだ。私がもらった色紙にも、「平岡公威」と書いてあるのだ...
どうも村田です赤穂浪士の大石内蔵助は48名の隊員を指揮したわけで、そうすると大体2個小隊を指揮できるような統率力を身に付けていたということで、彼は赤穂藩の家老であって相当ご苦労されていて、自分たちの父親もそこの家老職をやって...
どうも村田です冨澤さんの話の中に出てくる統率について考えてみると、冨澤さんは統率について「才に優れ、人徳があり、とてもいい人は、統率力に優れている」という、彼のそういったことをじっくりと考...
どうも村田ですこれはコンバットマンの話なのだ。「五月とはいへ、冷雨瀟々( しょうしょう ) たる或る午後のこと、私はその日に見学することになってゐた無反動砲標定銃射撃が、雨天で中止になったときいて、ひとり宿舎にゐた。富士の裾...
どうも村田です三島由紀夫原作の作品の中に『太陽と鉄』という本があるのだ。このタイトルで「太陽と鉄と私」というタイトルを付けたのだが、実はこの中の 99~102 ページにわたって私と三島先生が射撃訓練視察をした時のことが書いて...
どうも村田です本当にスタートは非常に楽しくできたのだ。これがミシマンスキーで、ヤマンスキーの彼が副官なのだが、2人で当時 APCという装甲輸送車が滝ヶ原自衛隊に入ったばかりだったのだが、その新車を使って訓練をするということで...
どうも村田です2つ目は、幹部を17年間やって、45歳で自衛隊を退職して第2の人生を歩んだことなのだ三島先生は45歳で人生を切り上げて、天上界の仕事に赴いたわけだが、やはり私も先生の影響を受...
どうも村田です昔、ものすごく厳しい評論家の小汀利得(おばまりとく)さんとの対談の中で述べているのだ。もっと驚いたのは、このころから「自衛隊のトイレにトイレットペーパーがない」ということまで書いているのだ。「それは予算がないからだ...
どうも村田です三島由紀夫は、自衛隊のマイナス面も含めて「すべてを知り尽くした」「気の毒でしょうがない」と、新聞の中に書いてるのだ。それを紹介するのだ「滝ヶ原分屯地は第2の我が家」「...
どうも村田です「楯の会」の会員諸官の隊内生活についてなのだ朝6時の起床ラッパで1日が始まるのだ点呼を受けた後は駐屯地1周の駆け足なのだ上半身裸体で、七生報国(しちしょうほうこく)の日の丸の入った鉢巻きをキリッと頭に巻...
どうも村田です自衛官の仲間の中では、三島由紀夫大先生のお傍に時間的に一番長くいた人物として自分もそれを認め、そして20歳~21歳の青春時代の真っただ中に、三島由紀夫先生のどこを見て、どこに...
どうも村田です聖書にあるように、「靴ひもを解く値打ちもない人間」と神様に対して言うわけだが、先生の靴ひもを結んだり、解いたり、そういう人間でもないのだ。先生の紹介をさせていただくと、先生は...
どうも村田です『嵐を呼ぶ男』という映画があったけれど、まさに嵐を呼ぶ赤ん坊、この子にお父さまは名を付けらたのだ。この名前の字画数は、45になりこの字画数とは、われわれはスピリチュア...
どうも村田です今日からは三島由紀夫について良く知る人の対談を書いていくのだ少し、文章が対談の為おかしいところも出て来ると思うがご容赦下さいなのだでは行くのだヒーリング、すな...
どうも村田です食べるものがなくなってしまい、自分のかわいい娘を遊郭に身売りさせる、そんな悲劇が 起こった時代なのだ。 社会事業家の代表が渋沢さんに助けを求めてやってきたのだ救ってもらいたいと思って、「何とかしてください」、...
どうも村田です「児玉は極めて熱烈に、そして赤心、真心を開いて開戦のやむを得ぬ所以を説いた。勝者たるは、必ずしも補償しえぬが、このまま推移すれば、誠に遺憾ながら、2年後には東亜のロシア側の兵...
どうも村田です渋沢のこの道徳と経済の一致という指導理念は、実は渋沢栄一が最初に考えたものではないのだ実はこれこそ日本の伝統的な経済経営の心だったのだ。 この心が特に立派だった時代が江戸時代なのだ。江戸は2百数十年...
どうも村田です渋沢の指導精神について、本人の文章を紹介するのだ渋沢栄一の本は、今、ちょっとした本屋、出版社が競って出してるのだ一番読まれているのは『論語と算盤』なのだ角川ソフィア文...
どうも村田です自分さえもうければ社員の首を切ってもいい、あるいは社会が、国がどうなってもいい、世界がどうなってもいい、要するに経営者と、それから株主の利益を最優先するやり方、これが...
どうも村田です「自分は渋沢家を富ませようと思ったら、日本一の富裕者にすることができた。しかし、自分はそうしなかった。自分の利益を第一としないで、国家社会の利益を第一とする公益主義に自分が...
どうも村田ですあるいは大きな企業、いわゆる株式会社を起こすことができない、「いかに多くの人たちの資金を結集するか、それには近代的な金融業でないとダメだ」と言って、この三井や小野組の責任者、一番偉い人を説得するのだそ...
どうも村田です明治維新は徳川幕府をなくすだけではできないのだ2百数十の藩も全部なくして県にしないと近代的国家にはならないのだ。 廃藩置県が実現して初めて日本は近代国家として新しく出発できたわけなのだ。 その廃藩置県の事...
どうも村田ですフランスに着いたのだ。このフランス生活は結局1年半で終わり、訪仏、フランスへの留学というのが人生の第3の転機になるのだ最初に書いたようにに、尊王攘夷の志士であったのだ日本を狙...
どうも村田です渋沢栄一の父親は文武両道の教育を一生懸命やったのだ。当時、裕福な豪農、豪商の子弟は、当時の侍と同じような教育を受けているのだ。 つまり、四書五経を中心とした儒教、漢学なのだ。 それを10代後半まで徹底して学...
どうも村田です歴史に興味があり、近代日本の代表的な経済人、渋沢栄一について話をさせていただくのださて、今、渋沢栄一が大きく見直されているのはご承知の通りなのだ新札に登場したのだなぜ...
どうも村田です神代の物語のクライマックスとも言える、天孫降臨の話なのだ。スサノヲの命とアマテラス大神との間に、アメノオシホミミの命という神さまがお生まれになったのだ。その子どもがニ...
どうも村田ですイザナギの神は穢れを清めるために禊をしようと考え、「筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)のアハギハラ」というところで、禊をされるのだ。すると、また次々とさまざまな神々が...
どうも村田です「神話」ではなく「神代の物語」としてお話をしていきたいのだ。平成 (2005)年の話だが、ある二人の勉強熱心な女子学生が研究室を訪ね、「神話って何ですか?」と質問したのだ。「今はつくり話のように言われてい...
どうも村田です一九八二年四月一日、在任二八年間で公安調査庁を退職し、その後も二〇一二年三月迄 の約三十二年間、国家情報活動に従事し、延べ六十年間も国家情報活動に関わった。二度目の国家情報活動はOSINT(合法的に入手できる公開...
どうも村田です副島隆彦は、佐藤優との対談記録である『暴走する国家』という本の中で「末次は国士と言われるが、北方領土問題では四島一括返還を主張。これは米国国務長官ダレスの恐喝ダレスは「四島一括返還の要求を日本がしない...
どうも村田です1.中野は「スパイ学校」ではなく「秘密戦士養成所」である。秘密戦とは武力戦以外の全ての戦争を指す。「知恵の戦い」、「見えざる戦い」であり、中野では「諜報・宣伝・謀略・防諜」と...
どうも村田です5.卒業前の国体学演習旅行で、まず神戸の湊川神社で水戸光圀の「嗚呼忠臣楠氏之墓」にお参りした後、後醍醐天皇の皇子護良親王 の秘密戦の拠点であった吉野蔵王堂において、私が「護良親王と秘密戦」と題して講話した。...
どうも村田です3.隣りに『陸軍憲兵学校』があり、通称「中野憲兵学校」と呼ばれていた。同校卒業生の中に自分らが世間でいう「中野卒業生」と勘違いしていた者がいたことを公安調査庁に入ってから知った。一九...
どうも村田です一九四五年皇軍が解体してから八〇年を経た今日なお、陸軍中野学校に関心が持たれるのは不思議なのだ。一九四〇年八月、正式に陸軍中野学校が陸軍省直轄で開設されてから五年間しか存在せ...
どうも村田ですいきなりスパイ制度を創設するよりも、企業の海外勤務者、海外旅行者、留学生、航空機・船舶の乗務員など海外に赴く数多くの日本人の目と耳を活用して情報を収集する態勢の構築をしたらいかがであろうか。メディアの記者や...
どうも村田です「居候三杯目にはそっと出し」という諺があるが、防衛駐在官は「外様」であるため、 経費の要求はし辛い立場にあるのだ。経費を外務省から支給するのは良いが、あらかじめ「防衛駐在官枠」を防衛省・外務省の合意のもと防衛駐在官に
どうも村田です防衛駐在官をフルに活用して、ヒューミント能力を強化するための改善策を述べたいのだ。第一は、防衛駐在官の指揮命令系統(資金・通信手段を含む)の見直しであるのだ。大東亜戦争敗戦で軍部が解体されたのに伴い、戦後、...
どうも村田です情報音痴と言われる我が国における国民的な課題は情報教育なのだ。アメリカの大学ではMark M. Lowenthal の著書『インテリジェンス―機密から政策へ』が広く授業で用いられてい...
どうも村田です列国と比べ、日本の情報体制の「不備」の一つは中央情報機関(JCIA:JapanCentralIntelligence Agency)がないことであるのだ。これを克服する道は以下の二つ...
どうも村田です戦後、台湾軍の軍事顧問団として軍の強化に寄与した白団【パイダン】について触れたいのだ。事の起こりは、一九四五年一月、陸軍広東憲兵隊が中国国民党の大物軍人を捕らえ処刑するという情報が入ったことによるのだ。この情報...
どうも村田ですクーデター計画よれば、翌年一〇月二一日の国際反戦デーに「新宿でデモ隊が騒乱状態を起こし、治安出動が必至となったとき、まず三島と「楯の会」会員が身を挺してデモ隊を排除し、私(注...
どうも村田です藤原は陸上自衛隊調査学校の教育方針に「知・魂・技」を掲げたのだ。それについて藤原の女婿で元陸上幕僚長の冨澤暉元陸将は『F機関』(basilico)で次のように述べているのだ。〈旧陸軍時代に「魂」だけで務めた...
どうも村田です米ソ冷戦の兆しをいち早く予見した抜け目のないゲーレンは、対ソ諜報網とソ連情報を渇望するアメリカに、それを提供する見返りとして、ナチス党政権下のドイツ軍諜報機関(アプヴェーア)のほか、...
どうも村田です注目すべきは、実は、山崎機関には中野出身者が存在したことなのだ。産経新聞の記事では次のように報じているのだ。〈資料の持ち主だった元情報将校とは別に、「山崎機関」に参加した元情報将校、武田一郎氏(二〇...
どうも村田ですウイロビーがマッカーサーを説得し、マッカーサーが吉田を捻じ伏せて「正規の国防軍」 を創設し、初代の国防軍司令官に服部卓四郎を就任させるというシナリオが実現していれば、国防を蔑ろにし、自国民の安全をアメリ...
どうも村田です警察予備隊の構想が具体化するにつれ、次の焦点はトップと主要幹部の人事だったのだ。ウイロビーは服部を警察予備隊のトップに据え、公職追放中の軍人の採用を考えたのだ。服部は、三〇〇...
どうも村田です服部機関は服部を中心に「陸士三四期の三羽烏」と呼ばれた西浦進、堀場一雄のほか、井本熊男(陸士三七期)、水町勝城(陸士四一期)、稲葉正夫(陸士四二期)、田中兼五郎(陸士四五期)、原四郎...
どうも村田です参謀本部第二部長(情報)だった有末精三陸軍中将(陸士二九期)が設立した機関で、GHQの参謀部第二部長・ウイロビー陸軍少将と連携して、ソ連や中国などへのスパイ活動などを行ったといわれる...
どうも村田です一九五一年、キャノン機関は作家の鹿地亘にソ連スパイの嫌疑をかけて長期間にわたり拉致監禁し、転向してアメリカの二重スパイになることを強要した(鹿地事件)のだ。翌一九 五二年一二月、鹿地は神宮外苑において解放され、事件...
どうも村田ですキャノン機関は本郷の旧岩崎邸に置かれたのだ。畠山清行氏の「秘録陸軍中野学校」(新潮文庫)によれば、キャノンは、本郷ハウスの中にホームバーを作って度々宴会を開き、...
どうも村田です中野出身者たちの戦後における身の振り方の一例としてキャノン機関への協力を紹介したいのだ。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥は、一九四五年末の時点で、日本に進駐したアメリカ軍四三万余の軍事力をバックに、天皇並ひ...
どうも村田です「皇統護持」を考えていた人物が陸軍大臣秘書官の廣瀬榮一中佐(陸士四三期、後に陸自北部方面総監・陸将)であったのだ。廣瀬はたまたま北白川宮永久王殿下(駐蒙軍参謀の時、不...
どうも村田です八月十五日、陸軍省 軍務局の、元気のいい中野出身の見習士官(少尉任官の前段階として見習士官に任じられる)三名(八丙)を引き連れて内幸町のNHK放送会館に乗り込んだのだ。見習士官はそれぞれ強力な爆弾入りの鞄を持って...
どうも村田です第一護郷隊は、名護岳、多野岳、久志岳、乙羽岳を拠点として、遊撃戦に備えたのだ。第一護郷隊は六月二五日に沖縄本島における組織的な戦闘の終了後には解散するが、村上隊長らは数度の下山勧告も拒否し、名護岳付近に潜伏したの...
どうも村田ですいよいよ、五月二三日一七時熊本の健軍飛行場から飛び立ち、沖縄本島の北飛行場と中飛行場を攻撃する「義号作戦」が決行されることに決まったのだ。当日、熊本は好天隊員たちはいよいよ決死の覚悟を決め、死出の儀式を行ったのだ。...
どうも村田ですそれが義烈空挺隊の「義号作戦」であるのだ。この空挺部隊には、奥山道郎【みちろう】大尉を隊長とする第一挺進団第一連隊第四中隊(以下、奥山隊)が選ばれ、中野学校出身者一〇名(石山俊雄少尉(6丙)、辻岡創少尉(6丙)...
どうも村田ですジャングルの中での遊撃戦を命じられた高砂族の兵士たちは「靴を脱がしてくれ」と訴えたのだ。「靴がないと足をヒルに食われ、棘が刺さるじゃないか」と言うと、「いや、裸足で大丈夫だ」...
どうも村田です終戦後、吉田茂は総理大臣になったのだ。吉田に対する諜報を行っていた東はトラウマを抱え苦悩していたが、ある時、すべてを告白することを決意し、吉田に会いに行ったのだ。そのとき、吉田は「お互い、お国のためと思...
どうも村田です中野卒業生は諜報のみならず防諜においても活躍したのだ。陸軍大臣直轄の防諜組織として、ヤマ機関という特務機関があったのだ。日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名で、...
どうも村田です第一五軍隷下の四個師団は、当初は快進撃を続けたのだ。インド国民軍も参戦して大きな戦果を上げたが、次第に戦況は悪化したのだ。七月初頭までの約四ヶ月間で、七万人以上の死傷者を出す「史上最...
どうも村田です一方、インド国民軍からすれば、「独立運動の主体は軍事力を持つ自分たちだ」という 思いがあったのだ。そのため、インド独立連盟の押し付けがましい態度が癪に障ったのだ。参謀本部はラース・ビハリー・ボ...
どうも村田ですその後、日本からビルマに潜入したアウンサンの協力のもと、次々とビルマ独立の志士たちを日本に脱出させることに成功したのだ。アウンサンも含め、総勢30名の志士たちは海南島三亜【さんあ】で軍事訓練を受けたのだ。三亜の環...
どうも村田ですそんな事情から、二人の面倒は、参謀本部ではなく、鈴木個人が見ることになったが、衣・食・住すべてにわたるケアは大変だったのだ。住居も二転三転する始末でそんな鈴木に追い風が吹いたのだ。実は、海軍軍令部も参謀...
どうも村田です開戦と同時に、第三三師団および第五五師団を基幹とする日本軍第一五軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手したのだ。ビルマ進攻作戦の緒戦は以下のような展開だったのだ。タイ・ビルマ国境は十分な道路もない...
どうも村田です三月一日、第一六軍がジャワ島西部のメラク海岸に上陸するのを機に、第一六軍を支援する陸軍航空部隊にバンドン放送局の爆撃命令が下されたのだ。電波乗っ取りを目論む太郎良中尉らは、今...
どうも村田です参謀本部別班から唯一人だけ第一次降下部隊に参加を許された中野卒業生の星野中尉は一度も降下訓練を受けていなかったものの、無事に着地に成功したのだ。直ちに精油所に侵入して防空壕に避難していた原地住民に宣撫用のビラを...
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どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうっ村田です今日からは新選組局長だった近藤勇(いさみ)について書いてみるのだ。承知の通り、近藤勇(いさみ)は新撰組の局長として幕末に京都で活躍をした人で、幕末の日本史を語るうえで...
どうも村田です松陰は武士道でいう死に花を見事に咲かせたわけなのだ。数え年では30歳だったが、満年齢では29歳だったのだ。その後、高杉晋作は「幕府という先生の敵を討たずにおくものか」と誓って...
どうも村田です呼びだしの声を待つこの和歌と、人間の真の自由はどう関係しているのかということを、小林秀雄は説明せずに「考えてください。関係しているんですよ」と言ってるのだ。ともあれ、松陰はこうして『留魂録』の筆...
どうも村田です名言の続きなんじゃ「人というのは、10歳で死んでいく人には、その10歳の中に春夏秋冬の四季があります。20歳で死んでいく人には、その20歳の中に春夏秋冬の四季がありま...
どうも村田です「いつの世も今を生きる者が、今は亡き人々に対してどういう姿勢で臨むべきか」ということを教えてくれる名言なのだ同じころ、松陰が書いた「諸友に語ぐる書」にもこういう一文があるのだ...
どうも村田です人間の理想社会そういう社会がソ連で生まれようとしてるんだとイギリスの知識人たちはそれに熱狂しバートランド・ラッセルもその考え方の持ち主だったのだしかし、実際に行ってみ...
どうも村田です同じ社会主義を言って異議を唱えているトロツキーの子分とか反スターリン主義者そういう連中が一番彼らからすると敵であるということなのだそして、それは国内の粛清、ソ連で行われた粛清...
どうも村田ですジョージ・オーウェルはスターリン主義のような全体主義を支持する気は全くなかったのだで、1936年に結婚しそのほぼ同じ週にスペイン内戦が勃発したのだ妻と私はどちらもスペインに出...
どうも村田ですウクライナ語版は2000部を頒布したところで、残部1500部すべてを米軍が押収、何とソ連に引き渡したというのだ渡したというので、うわさ話でどこまで本当か確かめられないが、本国...
どうも村田ですナショナリズムというものは全体主義、独裁になりようがないのだアメリカでもトランプ運動、トランプ政権というのは、国民の草の根運動が盛り上がってトランプを大統領にまで押し上げた運...
どうも村田ですイギリス知識人の相当部分が1941年以来、ロシアのプロパガンダをうのみにして広めてしまったのだ一つだけ例を挙げると、BBCは赤軍25周年を祝うとき、トロツキーに全くふれなかった...
どうも村田です『動物農場』というのは比較的短くて、1937年に彼は思いついて、1943年末になってから書き始めて、1945年にようやく出たのだで、早川書房の『動物農場』の新訳版、これを読むと参考...
どうも村田ですロシア革命をやったレーニンに当たるのがメイジャーというブタなのだこれはマルクス、エンゲルスと例えてもいいかもしれないが動物主義の理論的な創始者で革命以前に死んだのだ...
どうも村田です今日からはジョージ・オーウェルの、これまた代表作である『動物農場』、『Animal Farm』という面白い寓話小説というか、風刺小説について書きたいと思うのだこれは原著は19...
どうも村田です画面とかカメラでわれわれを監視することもできるのだだんだん技術的にも、『1984年』の書いたような、トータルな、全体主義的なコントロールができる社会が生まれつつあり今、シナで...
どうも村田です政治的に言葉遣いが非常に制限されてきているのだいろんな宗教の人がいるから、お店のディスプレイのところに、昔はメリークリスマスと書いてあったりしたが、メリークリスマスもいけない...
どうも村田ですウインストン・スミスは悲惨な最期だったのだイギリス人ならスコッチウイスキーを飲むかといったらそうじゃなくて、イングランドの飲み物というのは元来ジンなのだそして、プロレ...
どうも村田です考えること自体が、思考犯罪この犯罪を中止しなきゃいけない、犯罪中止、クライムストップというのだ思考犯罪はソートクライム、あるいはシンククライム、なのだから、考...
どうも村田ですイギリス人だから紅茶を手に入れて喜ぶとかいうとこが、すごくリアルに描かれているのだそれで、リンゴとかバナナというのはもう、名前だけ聞いてるけど見たことはないそういう社会なのだ...
どうも村田ですアメリカで今、バイデン大統領は、警察予算を大幅削減ブラックライブズマターが言ってるのは賛成だと言っちゃってるのだそして、ミネソタ州のミネアポリス市というところがそれを...
どうも村田ですウィンストン・スミスさんの仕事はタイムズという有名な新聞があるが、その書き換えをやっているのだ毎日書き換えると、直ちにその号が再発行され、元の号が廃棄処分になるのだそしてその...
どうも村田ですウィンストンという名前は、ウィンストン・チャーチルを皮肉ってんじゃないかと、思うのだウィンストン・スミスは、すごい高級役人だから、本来いいアパート、庶民に比べればいいところ...
どうも村田です息苦しい社会は嫌だと思うのだしかし、1944年か45年に生まれたであろうというウィンストン・スミスは、子どもの頃の記憶が曖昧で、革命前の自由だったイギリスについての記憶がない...
どうも村田です【1984年】はソ連のパロディであるのだだから、左翼全体主義を、攻撃してる本だということは最も大事であり、決してファシズムやナチズムを攻撃した本ではないのだ最...
どうも村田です【1984年】の小説を勉強するのだユーラシアというのは、この小説ではどういう想定をされているかだがユーラシア大陸の北半分をほぼ完全に支配している国、ソ連が元になって、...