どうも村田です聖徳太子の時代に日本固有の精神と大陸からの制度や仏教が融合し、日本が文化的な頂点を迎えたと述べているのだ。共同体同士が恒久的な対立関係に入った場合、そのもっとも重要な事業...
どうも村田です列国と比べ、日本の情報体制の「不備」の一つは中央情報機関(JCIA:JapanCentralIntelligence Agency)がないことであるのだ。これを克服する道は以下の二つ...
どうも村田です戦後、台湾軍の軍事顧問団として軍の強化に寄与した白団【パイダン】について触れたいのだ。事の起こりは、一九四五年一月、陸軍広東憲兵隊が中国国民党の大物軍人を捕らえ処刑するという情報が入ったことによるのだ。この情報...
どうも村田ですクーデター計画よれば、翌年一〇月二一日の国際反戦デーに「新宿でデモ隊が騒乱状態を起こし、治安出動が必至となったとき、まず三島と「楯の会」会員が身を挺してデモ隊を排除し、私(注...
どうも村田です藤原は陸上自衛隊調査学校の教育方針に「知・魂・技」を掲げたのだ。それについて藤原の女婿で元陸上幕僚長の冨澤暉元陸将は『F機関』(basilico)で次のように述べているのだ。〈旧陸軍時代に「魂」だけで務めた...
どうも村田です米ソ冷戦の兆しをいち早く予見した抜け目のないゲーレンは、対ソ諜報網とソ連情報を渇望するアメリカに、それを提供する見返りとして、ナチス党政権下のドイツ軍諜報機関(アプヴェーア)のほか、...
どうも村田です注目すべきは、実は、山崎機関には中野出身者が存在したことなのだ。産経新聞の記事では次のように報じているのだ。〈資料の持ち主だった元情報将校とは別に、「山崎機関」に参加した元情報将校、武田一郎氏(二〇...
どうも村田ですウイロビーがマッカーサーを説得し、マッカーサーが吉田を捻じ伏せて「正規の国防軍」 を創設し、初代の国防軍司令官に服部卓四郎を就任させるというシナリオが実現していれば、国防を蔑ろにし、自国民の安全をアメリ...
どうも村田です警察予備隊の構想が具体化するにつれ、次の焦点はトップと主要幹部の人事だったのだ。ウイロビーは服部を警察予備隊のトップに据え、公職追放中の軍人の採用を考えたのだ。服部は、三〇〇...
どうも村田です服部機関は服部を中心に「陸士三四期の三羽烏」と呼ばれた西浦進、堀場一雄のほか、井本熊男(陸士三七期)、水町勝城(陸士四一期)、稲葉正夫(陸士四二期)、田中兼五郎(陸士四五期)、原四郎...
どうも村田です参謀本部第二部長(情報)だった有末精三陸軍中将(陸士二九期)が設立した機関で、GHQの参謀部第二部長・ウイロビー陸軍少将と連携して、ソ連や中国などへのスパイ活動などを行ったといわれる...
どうも村田です一九五一年、キャノン機関は作家の鹿地亘にソ連スパイの嫌疑をかけて長期間にわたり拉致監禁し、転向してアメリカの二重スパイになることを強要した(鹿地事件)のだ。翌一九 五二年一二月、鹿地は神宮外苑において解放され、事件...
どうも村田ですキャノン機関は本郷の旧岩崎邸に置かれたのだ。畠山清行氏の「秘録陸軍中野学校」(新潮文庫)によれば、キャノンは、本郷ハウスの中にホームバーを作って度々宴会を開き、...
どうも村田です中野出身者たちの戦後における身の振り方の一例としてキャノン機関への協力を紹介したいのだ。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥は、一九四五年末の時点で、日本に進駐したアメリカ軍四三万余の軍事力をバックに、天皇並ひ...
どうも村田です「皇統護持」を考えていた人物が陸軍大臣秘書官の廣瀬榮一中佐(陸士四三期、後に陸自北部方面総監・陸将)であったのだ。廣瀬はたまたま北白川宮永久王殿下(駐蒙軍参謀の時、不...
どうも村田です八月十五日、陸軍省 軍務局の、元気のいい中野出身の見習士官(少尉任官の前段階として見習士官に任じられる)三名(八丙)を引き連れて内幸町のNHK放送会館に乗り込んだのだ。見習士官はそれぞれ強力な爆弾入りの鞄を持って...
どうも村田です第一護郷隊は、名護岳、多野岳、久志岳、乙羽岳を拠点として、遊撃戦に備えたのだ。第一護郷隊は六月二五日に沖縄本島における組織的な戦闘の終了後には解散するが、村上隊長らは数度の下山勧告も拒否し、名護岳付近に潜伏したの...
どうも村田ですいよいよ、五月二三日一七時熊本の健軍飛行場から飛び立ち、沖縄本島の北飛行場と中飛行場を攻撃する「義号作戦」が決行されることに決まったのだ。当日、熊本は好天隊員たちはいよいよ決死の覚悟を決め、死出の儀式を行ったのだ。...
どうも村田ですそれが義烈空挺隊の「義号作戦」であるのだ。この空挺部隊には、奥山道郎【みちろう】大尉を隊長とする第一挺進団第一連隊第四中隊(以下、奥山隊)が選ばれ、中野学校出身者一〇名(石山俊雄少尉(6丙)、辻岡創少尉(6丙)...
どうも村田ですジャングルの中での遊撃戦を命じられた高砂族の兵士たちは「靴を脱がしてくれ」と訴えたのだ。「靴がないと足をヒルに食われ、棘が刺さるじゃないか」と言うと、「いや、裸足で大丈夫だ」...
どうも村田です終戦後、吉田茂は総理大臣になったのだ。吉田に対する諜報を行っていた東はトラウマを抱え苦悩していたが、ある時、すべてを告白することを決意し、吉田に会いに行ったのだ。そのとき、吉田は「お互い、お国のためと思...
どうも村田です中野卒業生は諜報のみならず防諜においても活躍したのだ。陸軍大臣直轄の防諜組織として、ヤマ機関という特務機関があったのだ。日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名で、...
どうも村田です第一五軍隷下の四個師団は、当初は快進撃を続けたのだ。インド国民軍も参戦して大きな戦果を上げたが、次第に戦況は悪化したのだ。七月初頭までの約四ヶ月間で、七万人以上の死傷者を出す「史上最...
どうも村田です一方、インド国民軍からすれば、「独立運動の主体は軍事力を持つ自分たちだ」という 思いがあったのだ。そのため、インド独立連盟の押し付けがましい態度が癪に障ったのだ。参謀本部はラース・ビハリー・ボ...
どうも村田ですその後、日本からビルマに潜入したアウンサンの協力のもと、次々とビルマ独立の志士たちを日本に脱出させることに成功したのだ。アウンサンも含め、総勢30名の志士たちは海南島三亜【さんあ】で軍事訓練を受けたのだ。三亜の環...
どうも村田ですそんな事情から、二人の面倒は、参謀本部ではなく、鈴木個人が見ることになったが、衣・食・住すべてにわたるケアは大変だったのだ。住居も二転三転する始末でそんな鈴木に追い風が吹いたのだ。実は、海軍軍令部も参謀...
どうも村田です開戦と同時に、第三三師団および第五五師団を基幹とする日本軍第一五軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手したのだ。ビルマ進攻作戦の緒戦は以下のような展開だったのだ。タイ・ビルマ国境は十分な道路もない...
どうも村田です三月一日、第一六軍がジャワ島西部のメラク海岸に上陸するのを機に、第一六軍を支援する陸軍航空部隊にバンドン放送局の爆撃命令が下されたのだ。電波乗っ取りを目論む太郎良中尉らは、今...
どうも村田です参謀本部別班から唯一人だけ第一次降下部隊に参加を許された中野卒業生の星野中尉は一度も降下訓練を受けていなかったものの、無事に着地に成功したのだ。直ちに精油所に侵入して防空壕に避難していた原地住民に宣撫用のビラを...
どうも村田ですスマトラ島のパレンバンには蘭印最大かつ東南アジア有数の大油田地帯があり、ロイヤル・ダッチ/シェルグループの製油所が操業していたが、これを「無傷で確保する」ことが南方軍・第二五...
どうも村田です参謀本部第八課(謀略担当)は、神本に目を付け、満州で諜報を担う甘粕正彦のと連携を取り、一九三九年七月からは諜報担当として甘粕機関ハルビン分室で勤務させ、ソ連から亡命してきたトルコ系イスラム難民の保護と動向調査を任せた..
どうも村田です日本敗戦の後、英国は、「英国に逆らって日本軍に与したインド兵は裁判で厳しく断罪する」方針を固めたのだ。それに対し、インド国民は猛然と反発・抗議したのだ。「あいつら(インド国民軍兵士)...
どうも村田です南方作戦の一つマレー作戦は、大東亜戦争開戦(一九四一年一二月八日)と同時に発動されたのだ。第二五軍は、開戦と同時にタイ王国とイギリス領マラヤに奇襲上陸し、英国軍の縦深にわたる防御陣地を連続的に攻撃しつつマレー半島を...
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どうも村田です聖徳太子の時代に日本固有の精神と大陸からの制度や仏教が融合し、日本が文化的な頂点を迎えたと述べているのだ。共同体同士が恒久的な対立関係に入った場合、そのもっとも重要な事業...
どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です清水は、古代の祭りや神話が農耕儀礼と結びついていたと考えていたのだ。神話は、豊かな想像力をもつ人びとが書いたものではなく、当時の農業や人びとの生活儀礼、とくに米作りや...
どうも村田です9月23日には女子挺身隊が始まり、女性もふくめて勤労動員されるという時代になったのだ。そして日本にとって大きな局面は続くのだ。1943年10月に学徒出陣が始まり、11月には...
どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうっ村田です今日からは新選組局長だった近藤勇(いさみ)について書いてみるのだ。承知の通り、近藤勇(いさみ)は新撰組の局長として幕末に京都で活躍をした人で、幕末の日本史を語るうえで...
どうも村田です安定が与えられたいと思ったら、社会主義の方向に行くのだ自由人の道がいいのか、奴隷の道がいいのか最終的にはそういうことになるのだでも、それは奴隷に見えないのだ、そうじゃ...
どうも村田ですこの世界では快楽のために行ういわゆる日本人が言うとフリーセックスで英語で言うとフリーラブなのだ好きな者同士がいつでも性的関係を結んで面白おかしく楽しくやって複数の人間...
どうも村田です今日からはオーウェルの『1984年』と一対で論じられることが多いオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』というタイトルで翻訳されてる『Brave New World』という...
どうも村田です人間の理想社会そういう社会がソ連で生まれようとしてるんだとイギリスの知識人たちはそれに熱狂しバートランド・ラッセルもその考え方の持ち主だったのだしかし、実際に行ってみ...
どうも村田です同じ社会主義を言って異議を唱えているトロツキーの子分とか反スターリン主義者そういう連中が一番彼らからすると敵であるということなのだそして、それは国内の粛清、ソ連で行われた粛清...
どうも村田ですジョージ・オーウェルはスターリン主義のような全体主義を支持する気は全くなかったのだで、1936年に結婚しそのほぼ同じ週にスペイン内戦が勃発したのだ妻と私はどちらもスペインに出...
どうも村田ですウクライナ語版は2000部を頒布したところで、残部1500部すべてを米軍が押収、何とソ連に引き渡したというのだ渡したというので、うわさ話でどこまで本当か確かめられないが、本国...
どうも村田ですナショナリズムというものは全体主義、独裁になりようがないのだアメリカでもトランプ運動、トランプ政権というのは、国民の草の根運動が盛り上がってトランプを大統領にまで押し上げた運...
どうも村田ですイギリス知識人の相当部分が1941年以来、ロシアのプロパガンダをうのみにして広めてしまったのだ一つだけ例を挙げると、BBCは赤軍25周年を祝うとき、トロツキーに全くふれなかった...
どうも村田です『動物農場』というのは比較的短くて、1937年に彼は思いついて、1943年末になってから書き始めて、1945年にようやく出たのだで、早川書房の『動物農場』の新訳版、これを読むと参考...
どうも村田ですロシア革命をやったレーニンに当たるのがメイジャーというブタなのだこれはマルクス、エンゲルスと例えてもいいかもしれないが動物主義の理論的な創始者で革命以前に死んだのだ...
どうも村田です今日からはジョージ・オーウェルの、これまた代表作である『動物農場』、『Animal Farm』という面白い寓話小説というか、風刺小説について書きたいと思うのだこれは原著は19...
どうも村田です画面とかカメラでわれわれを監視することもできるのだだんだん技術的にも、『1984年』の書いたような、トータルな、全体主義的なコントロールができる社会が生まれつつあり今、シナで...
どうも村田です政治的に言葉遣いが非常に制限されてきているのだいろんな宗教の人がいるから、お店のディスプレイのところに、昔はメリークリスマスと書いてあったりしたが、メリークリスマスもいけない...
どうも村田ですウインストン・スミスは悲惨な最期だったのだイギリス人ならスコッチウイスキーを飲むかといったらそうじゃなくて、イングランドの飲み物というのは元来ジンなのだそして、プロレ...
どうも村田です考えること自体が、思考犯罪この犯罪を中止しなきゃいけない、犯罪中止、クライムストップというのだ思考犯罪はソートクライム、あるいはシンククライム、なのだから、考...
どうも村田ですイギリス人だから紅茶を手に入れて喜ぶとかいうとこが、すごくリアルに描かれているのだそれで、リンゴとかバナナというのはもう、名前だけ聞いてるけど見たことはないそういう社会なのだ...
どうも村田ですアメリカで今、バイデン大統領は、警察予算を大幅削減ブラックライブズマターが言ってるのは賛成だと言っちゃってるのだそして、ミネソタ州のミネアポリス市というところがそれを...
どうも村田ですウィンストン・スミスさんの仕事はタイムズという有名な新聞があるが、その書き換えをやっているのだ毎日書き換えると、直ちにその号が再発行され、元の号が廃棄処分になるのだそしてその...
どうも村田ですウィンストンという名前は、ウィンストン・チャーチルを皮肉ってんじゃないかと、思うのだウィンストン・スミスは、すごい高級役人だから、本来いいアパート、庶民に比べればいいところ...