どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です戦いには大義名分が必要であるのだ。大義名分がなければ、日本軍の士気も上がらなければ、現地の被支配民からの協力も得られないのだ。その大義名分が「大東亜共栄圏の建設」であ...
どうも村田です一方のビルマには、強力な英軍(航空基地を含む)が配備されており、日本軍がマレー 作戦さらには蘭印作戦を行う際、常に「マレー半島の側背から迫る英米の脅威」を受けることになるのだ。タイとビルマはとも作戦正面となる...
どうも村田です陸軍中野学校創設以前の、主に日露戦争で活躍した諜報関係者とその活動を紹介してきたのだ。これらの偉大な先駆者たちがいたからこそ、陸軍中野学校の目指すべき目標・モデルが確立できたのだと思うのだ。中野学校の教育...
どうも村田です中には、「よくもそんなあやふやな全般戦略で国運を賭けた戦いをやったものだな」と言われる向きもあるだろう。だが、日露戦争では一縷の望みとはいえ、参謀本部は戦争 の出口戦略をしっかりと考えていたのだ。翻って...
どうも村田です祖父の兄(伯祖父)は潜水夫で、子どもの私に「俺は生きている間にナヒモフ号を引き上げる。お前にも財宝を分けてやるよ」とよく言っていたのだ。また、父方の祖父は「宇久島(五島列島最北の島)...
どうも村田です米軍は戦史研究者、哲学者、論理学者などの衆知を結集して、素人将校の誰にでも手軽に活用できる「状況判断」のノウハウを研究・確立し、それをマニュアル化したのであるのだ。現代の自衛隊や米軍も活用している「状況判断」は...
どうも村田です雪中行軍では、生憎の記録的な寒波(北海道で史上最低気温を記録)に襲われ、参加部隊の第5連隊の訓練参加部隊は視界を遮る猛吹雪に遭遇して道を失い、二一〇名中一九九名が死亡するとい...
どうも村田です広瀬はサンクトペテルブルクからスレチェンスクまでの六〇〇〇キロメートルは鉄道を利用し、スレチェンスク(バイカル湖東北方)からは購入した橇車(そり)でハバロフスクまでの...
どうも村田ですこうして培われた日本とポーランドの関係は、後の大東亜戦争で情報将校のエースとして活躍した小野寺信【まこと】(最終階級は陸軍少将)の諜報活動に便宜がもたらされたのだ。スウェーデン駐在武官の小野寺は、ポーラ...
どうも村田です福島は夏の間に一気にシベリアの半分ほどを横断し、九月二四日には日本人として初めて外蒙古に入ったのだ。かつて草原を支配した蒙古民族も、今は清国の支配下にあったが、眠るが如き清国...
どうも村田です福島は、シベリア鉄道建設について、実地調査をする必要性を痛感したのだ。一八九一年、自らが志願して、騎馬によるユーラシア大陸横断の計画を参謀本部に申請したのだ。同年同月、アレクサンドル...
どうも村田ですその信頼関係構築の根底には、石光が兄のように慕っていた橘周太の教え「信用は求むるものに非ず、得るものなり」があったのだ。橘中佐は、日露戦争の遼陽会戦で首山堡【しゅざんぽ】を攻...
どうも村田です石光真清【まきよ】(陸士旧一一期))は、明治から大正にかけてシベリアや満州でのスパイ活動に従事した日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)であるのだ。熊本市に生まれた石光は、少年時代を神風連【しんぷうれん】の乱...
どうも村田です一九〇五年九月五日、日露戦争は終り、二九歳の天風は、無事に帰還したのだ。参謀本部が満州に投入した一一三名のうち、終戦後に生きて帰還できたのは、天風も含めてわずか九名のみだったのだ。終戦直前の、四月一六日、天風に...
どうも村田です日清戦争での成功体験を踏まえ、天風は日露戦争にも軍事密偵として参加することになったのだ。参謀本部は三〇〇〇名の応募者の中から二〇〇名を選抜して訓練を実施したが、最終的に残ったのは一一三名しかいなかったのだ。勿論...
どうも村田です連隊への体験入隊の成果として、最精鋭とみられる皇帝歩兵連隊の練度や将校と兵士の関係を見るとともに、ロシア軍の重要書類(戦時輸送計画書など)を手に入れることもできたのだ。田中は上流社会だけでなく、下層社会とも交流...
どうも村田です諜報・謀略面で傑出した働きをして、陸軍中野学校教育のモデルとなった人物(先達)たちを紹介したいのだ。まずは、川上操六【そうろく】。川上は薩摩藩出身で、優秀な頭脳を持った男だったのだ。...
どうも村田です創設直後の後方勤務要員養成所(後の陸軍中野学校)では、教育を開始するにあたり、 諜報要員のモデルを模索していたのだ。その経緯について畠山清行氏は「秘録陸軍中野学校」で次のように述べているのだ。〈『これだ、これ...
どうも村田です光機関F機関を引き継いだ岩畔機関は、五〇〇名を超える大組織となり一九四三年に光機関と改称されたのだ。光機関長にはインド独立運動の大物チャンドラ・ボースと親交の深い山本敏大佐が補されたのだ。なお、ナチス・ト...
どうも村田です岩畔機関岩畔機関とは陸軍中野学校創設の主導者である岩畔豪雄大佐が率いた特務機関のことであるのだ。インド国民軍を創設した藤原岩一少佐のF機関は、同軍が五万人規模にまで膨れ上 がったため、一九四二年四月、...
どうも村田です昭和通商昭和通商の前身は泰平組合であるのだ。泰平組合は一九〇八年六月に三井物産、大倉商事、 高田商会の三社が共同出資して設立したもので、主に余剰となった軍の旧式小銃・火砲の払い下げを受けて中国・タイ等に輸出する...
どうも村田です興亜院興亜院は、一九三八年一二月一五日に第一次近衛内閣で設置された国家機関であるのだ。表向きの設置理由は「日中戦争によって中国大陸での戦線拡大に伴い占領地域が増えたため、 占領地に対する政務・開発事業を統一...
どうも村田です茂川機関茂川秀和少佐(陸士三〇期)が設立した特務機関で、天津陸軍機関に所属。主に中国国内での阿片の密売を行った他、盧溝橋事件での工作を行ったとも言われているのだ。茂川は関東軍の幹部と...
どうも村田です梅機関とは影佐禎昭【さだあき】大佐(陸士二六期)によって日中戦争時に設立された特務機関で 影佐機関とも呼ばれるのだ。影佐大佐は情報のエキスパートで、最終階級は中将なのだ。影佐機関を中心として、日中戦争での戦...
どうも村田です山縣有朋は一八九〇年の第一回帝国議会で「主権線」と「利益線」という用語を使って 当時の日本帝国における国防の考え方を説明したのだ。その考えを現代語に訳すれば、次のようになるのだ。〈そもそも国家の独立・自立の道...
どうも村田です抵抗運動は、ロシア軍の満州への動員阻止の効果をもたらした。「血の日曜日事件」以 降、ロシアでは抗議ストライキやデモが続き、東部・中央・西部ロシア、ポーランド、コ ーカサス地方では、抵抗勢力によって、満州に動...
どうも村田です明石機関とは明石元二郎大佐が日露戦争中に対ロシア工作のために創設した特務機関のことであるのだ。特務機関とはいえ、メンバーは駐ロシア公使館付駐在武官の明石ただ一人だったのだ。一九〇四年、日露戦争が開戦すると公...
どうも村田です中野学校では、大別すれば、主に講義による学科と実技による術科の二つがあり、その内容は多岐に渡ったのだ。ここでは、中野学校ならではの特殊な講義についていくつか紹介するのだ。まずは、本物の忍者である甲賀流忍術...
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どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です清水は、古代の祭りや神話が農耕儀礼と結びついていたと考えていたのだ。神話は、豊かな想像力をもつ人びとが書いたものではなく、当時の農業や人びとの生活儀礼、とくに米作りや...
どうも村田です9月23日には女子挺身隊が始まり、女性もふくめて勤労動員されるという時代になったのだ。そして日本にとって大きな局面は続くのだ。1943年10月に学徒出陣が始まり、11月には...
どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうっ村田です今日からは新選組局長だった近藤勇(いさみ)について書いてみるのだ。承知の通り、近藤勇(いさみ)は新撰組の局長として幕末に京都で活躍をした人で、幕末の日本史を語るうえで...
どうも村田です松陰は武士道でいう死に花を見事に咲かせたわけなのだ。数え年では30歳だったが、満年齢では29歳だったのだ。その後、高杉晋作は「幕府という先生の敵を討たずにおくものか」と誓って...
どうも村田ですこの世界では快楽のために行ういわゆる日本人が言うとフリーセックスで英語で言うとフリーラブなのだ好きな者同士がいつでも性的関係を結んで面白おかしく楽しくやって複数の人間...
どうも村田です今日からはオーウェルの『1984年』と一対で論じられることが多いオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』というタイトルで翻訳されてる『Brave New World』という...
どうも村田です人間の理想社会そういう社会がソ連で生まれようとしてるんだとイギリスの知識人たちはそれに熱狂しバートランド・ラッセルもその考え方の持ち主だったのだしかし、実際に行ってみ...
どうも村田です同じ社会主義を言って異議を唱えているトロツキーの子分とか反スターリン主義者そういう連中が一番彼らからすると敵であるということなのだそして、それは国内の粛清、ソ連で行われた粛清...
どうも村田ですジョージ・オーウェルはスターリン主義のような全体主義を支持する気は全くなかったのだで、1936年に結婚しそのほぼ同じ週にスペイン内戦が勃発したのだ妻と私はどちらもスペインに出...
どうも村田ですウクライナ語版は2000部を頒布したところで、残部1500部すべてを米軍が押収、何とソ連に引き渡したというのだ渡したというので、うわさ話でどこまで本当か確かめられないが、本国...
どうも村田ですナショナリズムというものは全体主義、独裁になりようがないのだアメリカでもトランプ運動、トランプ政権というのは、国民の草の根運動が盛り上がってトランプを大統領にまで押し上げた運...
どうも村田ですイギリス知識人の相当部分が1941年以来、ロシアのプロパガンダをうのみにして広めてしまったのだ一つだけ例を挙げると、BBCは赤軍25周年を祝うとき、トロツキーに全くふれなかった...
どうも村田です『動物農場』というのは比較的短くて、1937年に彼は思いついて、1943年末になってから書き始めて、1945年にようやく出たのだで、早川書房の『動物農場』の新訳版、これを読むと参考...
どうも村田ですロシア革命をやったレーニンに当たるのがメイジャーというブタなのだこれはマルクス、エンゲルスと例えてもいいかもしれないが動物主義の理論的な創始者で革命以前に死んだのだ...
どうも村田です今日からはジョージ・オーウェルの、これまた代表作である『動物農場』、『Animal Farm』という面白い寓話小説というか、風刺小説について書きたいと思うのだこれは原著は19...
どうも村田です画面とかカメラでわれわれを監視することもできるのだだんだん技術的にも、『1984年』の書いたような、トータルな、全体主義的なコントロールができる社会が生まれつつあり今、シナで...
どうも村田です政治的に言葉遣いが非常に制限されてきているのだいろんな宗教の人がいるから、お店のディスプレイのところに、昔はメリークリスマスと書いてあったりしたが、メリークリスマスもいけない...
どうも村田ですウインストン・スミスは悲惨な最期だったのだイギリス人ならスコッチウイスキーを飲むかといったらそうじゃなくて、イングランドの飲み物というのは元来ジンなのだそして、プロレ...
どうも村田です考えること自体が、思考犯罪この犯罪を中止しなきゃいけない、犯罪中止、クライムストップというのだ思考犯罪はソートクライム、あるいはシンククライム、なのだから、考...
どうも村田ですイギリス人だから紅茶を手に入れて喜ぶとかいうとこが、すごくリアルに描かれているのだそれで、リンゴとかバナナというのはもう、名前だけ聞いてるけど見たことはないそういう社会なのだ...
どうも村田ですアメリカで今、バイデン大統領は、警察予算を大幅削減ブラックライブズマターが言ってるのは賛成だと言っちゃってるのだそして、ミネソタ州のミネアポリス市というところがそれを...
どうも村田ですウィンストン・スミスさんの仕事はタイムズという有名な新聞があるが、その書き換えをやっているのだ毎日書き換えると、直ちにその号が再発行され、元の号が廃棄処分になるのだそしてその...
どうも村田ですウィンストンという名前は、ウィンストン・チャーチルを皮肉ってんじゃないかと、思うのだウィンストン・スミスは、すごい高級役人だから、本来いいアパート、庶民に比べればいいところ...
どうも村田です息苦しい社会は嫌だと思うのだしかし、1944年か45年に生まれたであろうというウィンストン・スミスは、子どもの頃の記憶が曖昧で、革命前の自由だったイギリスについての記憶がない...