※今日まで、毎日ブログを更新してきました。 今回の150回目の投稿を一つの区切りとして、しばらくの間お休みをしようと思います。 これまで、ありがとうございました。また再開するのを楽しみに待っていただけると、私も嬉しいです。 では、また!
※今日まで、毎日ブログを更新してきました。 今回の150回目の投稿を一つの区切りとして、しばらくの間お休みをしようと思います。 これまで、ありがとうございました。また再開するのを楽しみに待っていただけると、私も嬉しいです。 では、また!
結局私は、その会社には29歳まで勤めました。 会社も社員も若く、エネルギッシュでパワーのある職場が、私はとても好きでした。楽しい期間を過ごさせてもらったと今でも思っています。
クラスの状態を総点検するつもりで、改めて「子供一人一人をよく見る」「クラス全体の空気を感じ取る」ことを伝えました。 また、失敗や経験を多く積み重ね、そこから学んだ「失敗や経験を今後に生かす」ことも書きました。 「失敗や経験を今後に生かす」ということで、今回は私個人をより知っていただこうと思い、自身の若い時の失敗や経験について書きたいと思います。
早いもので、新年度が始まり、もう半分が過ぎようとしています。 子供たちに毎日の生活スタイルがしっかりと根付き、落ち着いた状態で学級経営が行われていることと思います。 ただ一つの傾向としてよく言われるのですが、2学期のこの時期に入って突然クラスが崩れ出したり、様々な問題が湧出したりすることがあります。
学校を子供たちにとってもっと楽しく学習ができる、楽しい場所にするためには、どうしたらよいでしょう…? ICT機器を活用したり、子供同士が関わりながら対話を通して考えたりすることが、重要になるでしょう。 また、学習内容の部分で見直しをすることも必要ではないでしょうか。
今、学校では特別支援学級の在籍児童がすごく増えています。 通常級では、その子供の個性や特性を十分生かした効果的な教育活動を行うことができにくいからです。 学級種別にもよりますが、特別支援学級ではその子供に応じた学習内容を用意(内容を精選)し、その子供に合った学習スピードで授業を進めています。
「この学校ではこんなことが学べますよ」といった独自の特色を大切にした学校を増やすとともに、学校を親や子供たちが自由に選べる…そんな学校制度をつくっていけばよい、と私は思っています。 様々な特色を打ち出している私立の幼稚園や保育所などと同じで、それが子供一人一人に合った教育のあり方ではないかと思うからです。
不登校問題の解決に向けた方策として、私は教育課程を見直すべきだと思っています。 いきなり大きなことを主張するようですが、子供の気持ちを考え、学校の未来に思いを馳せてのことです。 子供たちが学校に行けない(行きたくない・行かない)理由の一つは、根本的に学校での授業(学習)が楽しくないからではないでしょうか。
子供たちの姿や様子を見ていて最近特に感じることは、学校に適応できない子供が多くなったなあということです。いわゆる不登校の問題です。 これまでにも、このことについては何度か取り上げてきましたが、やはり大きな問題として、また何とかして解決していかなければならない課題として多くの人が把握・理解し、考えていくべきだと思っています。
家庭で子供たちが毎日読書に親しむようにするには、どうしたらよいでしょう? 本好きな子供であればよいのですが、そうではない子供もいると思います。むしろ多いかもしれません。 そこで、やはりできるだけ好きな本から始めていくことがポイントだと思っています。
「朝読書」のメリットの一つに、豊かな心の醸成や、一日の最初に心を落ち着け、自身を見つめる思索や想像の時間をもつこと、1限の授業にスムーズに入っていけるということがあります。 実はこれは、学校における子供たちだけの話ではなく、私たち大人も同じだと思っています。 朝、心を落ち着けてじっくりと本に親しむことは、とても良いことです。
読書を日常化すると言うと、「教科学習(よく言われる「勉強」)の時間が少なくなる」「学力が落ちてしまうのではないか」といったデメリットや不安を主張する人がいるかもしれません。 世間一般でいう学力は、もしかすると落ちてしまうかもしれません。 しかし、「読書」こそ大事な勉強であり、違う意味で学力を上げるものであると私は言いたいです。
読書を「日常」にすることの大切さは分かっていても、それを本当に実行するのは結構大変なことです。 それまで読書が生活パターンの中になかった人にとっては、なおさらでしょう。 しかし、読書を日常化することには、たくさんのメリット(良さ)があります。
あなたは、日頃読書をしていますか…。 人がよく言う「趣味」の一つに、「読書」があります。 また、人として取り組むべき大事なこととしても、古今東西昔からよく言われているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 では、読書の良さとは、いったい何でしょう…?
母親(妻)を笑顔にする「父親(夫)の役割」について、考えてみます。 私は、家庭の中で母親がいつも笑顔で幸せそうにしていることが大切であると思っています。なぜなら、それが子供たちの幸せを感じることができる家庭につながると思っているからです。
家庭における中心人物というと、やはり父親と母親になるのかなと思います。祖父や祖母という家庭もあるかもしれませんが、最も小さな単位で考えると、やはり「親子」関係だと思うからです。特に、子供にとっての父親と母親が家庭において果たす役割はとても重要だからです。
「家庭教育を見直すこと」の第4弾です。 第2弾では「家庭内での挨拶」、第3弾では「母親の笑顔と父親の役割」について書いてきました。 今回は、「対話をすること」について書きます。
「家庭教育を見直すこと」第3弾です。 子供のよりよい成長のためには、家庭全体が落ち着いていることが大切なのは、誰もが分かっていると思います。 その中で、朝という時間だけは家庭全体が慌ただしい空気に包まれ、何となく落ち着かない雰囲気になってしまうのは、ある程度仕方のないことだと思います。
「家庭教育を見直すこと」について、もう少し考えてみたいと思います。 子供のよりよい成長のためには、家庭全体が落ち着いていて、明るく幸せな雰囲気の中で穏やかに暮らすという基本的な生活基盤が最も大切だと言いました。
子供の教育にとって、国全体として貧困家庭を少なくしていくことが大切だと思っていますが、それと同時に私が思うことは「家庭教育を見直す」ことです。 今回は「学校教育」とももちろん関連しますが、しばらくの間「家庭教育」という切り口から考えてみたいと思います。
「朝読書」のメリットの一つに、豊かな心の醸成や、一日の最初に心を落ち着け、自身を見つめる思索や想像の時間をもつこと、1限の授業にスムーズに入っていけるということがあります。 実はこれは、学校における子供たちだけの話ではなく、私たち大人も同じだと思っています。 朝、心を落ち着けてじっくりと本に親しむことは、とても良いことです。
読書を日常化すると言うと、「教科学習(よく言われる「勉強」)の時間が少なくなる」「学力が落ちてしまうのではないか」といったデメリットや不安を主張する人がいるかもしれません。 世間一般でいう学力は、もしかすると落ちてしまうかもしれません。 しかし、「読書」こそ大事な勉強であり、違う意味で学力を上げるものであると私は言いたいです。
読書を「日常」にすることの大切さは分かっていても、それを本当に実行するのは結構大変なことです。 それまで読書が生活パターンの中になかった人にとっては、なおさらでしょう。 しかし、読書を日常化することには、たくさんのメリット(良さ)があります。
あなたは、日頃読書をしていますか…。 人がよく言う「趣味」の一つに、「読書」があります。 また、人として取り組むべき大事なこととしても、古今東西昔からよく言われているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 では、読書の良さとは、いったい何でしょう…?
母親(妻)を笑顔にする「父親(夫)の役割」について、考えてみます。 私は、家庭の中で母親がいつも笑顔で幸せそうにしていることが大切であると思っています。なぜなら、それが子供たちの幸せを感じることができる家庭につながると思っているからです。
家庭における中心人物というと、やはり父親と母親になるのかなと思います。祖父や祖母という家庭もあるかもしれませんが、最も小さな単位で考えると、やはり「親子」関係だと思うからです。特に、子供にとっての父親と母親が家庭において果たす役割はとても重要だからです。
「家庭教育を見直すこと」の第4弾です。 第2弾では「家庭内での挨拶」、第3弾では「母親の笑顔と父親の役割」について書いてきました。 今回は、「対話をすること」について書きます。
「家庭教育を見直すこと」第3弾です。 子供のよりよい成長のためには、家庭全体が落ち着いていることが大切なのは、誰もが分かっていると思います。 その中で、朝という時間だけは家庭全体が慌ただしい空気に包まれ、何となく落ち着かない雰囲気になってしまうのは、ある程度仕方のないことだと思います。
「家庭教育を見直すこと」について、もう少し考えてみたいと思います。 子供のよりよい成長のためには、家庭全体が落ち着いていて、明るく幸せな雰囲気の中で穏やかに暮らすという基本的な生活基盤が最も大切だと言いました。
子供の教育にとって、国全体として貧困家庭を少なくしていくことが大切だと思っていますが、それと同時に私が思うことは「家庭教育を見直す」ことです。 今回は「学校教育」とももちろん関連しますが、しばらくの間「家庭教育」という切り口から考えてみたいと思います。
前回、子供の自殺を防ぐために、タブレット端末を活用してSOSを早期に把握しようという話をしました。また、子供たちが心の余裕を取り戻すよりも先に、私たち大人が余裕をもって、周囲に心と目を配りながら暮らすことが必要であるということも伝えました。 ただ、タブレット端末の活用はすぐにでもできそうなことですが、大人が余裕をもつことはなかなか難しいことのように思います。
文部科学省は、7月上旬、夏休み明けに増える傾向がある子供の自殺を防ぐために、全国の教育委員会に通知を出し、タブレット端末を活用してSOSを早期に把握するように求めたとのことです。 同省によると、2022年の全国の児童生徒の自殺者数は過去最多の514人で、2023年は1~5月に164人(暫定値)が自ら命を絶ったということです。
前回は、親権を争っている母親が学校に来て、子供を無理矢理連れて帰ろうとする話をしました。 実はその学校ではこうしたケースが結構見られるなど、そんな恵まれない子供たちがたくさんいました。
私がなぜこの「カスハラ」問題を取り上げたか…実はこれらは、店(企業)と消費者間の問題だけではなく、学校という職場においても同様の問題だと思うからです。 例えば、最近はあまり話題にはならなくなりましたが、クレーマーと言われる保護者がいます。
あなたは、「カスハラ」を知っていますか?実は、私は今日まで知りませんでした。 「○○ハラスメント」という言葉と意味は聞いて知っていましたが、今回の「カスタマーハラスメント」は初めて聞きました。 「レジで店員に暴言を吐く客」や「電話で長時間苦情を繰り返すクレーマー」など、顧客から従業員への理不尽な要求をする行為がそれに当たるそうです。
バスケットボール男子の日本代表が、9月2日沖縄で行われたワールドカップ(W杯)大会でアジア最上位を確定させ、悲願のパリ五輪出場権を獲得しました。 最終戦となったカーボベルデ戦は、1976年モントリオール大会以来、48年ぶりとなる五輪出場をまさに自力で決めた試合でした。 たいへん素晴らしい偉業であり、祝福すべきことです。各種マスコミも連日に渡って取り上げ、大きな話題となっています。
朝刊の紙面には、現場の代表として岐阜県の県立高校教師への取材時の言葉が掲載されていました。 その教師は、東京都内の記者会見で「希望が持てる内容ではない」と話し、「2019年に中教審が示した内容とおおむね同じ」とも言っていたとのことです。 そのとおりだと思います。教員の過酷な勤務状況は、随分前からほとんど変わっていません。
【中教審の緊急提言のポイント(まとめ)】 ①年間の授業時数が国の基準を大きく上回る学校に改善を促す ②運動会や入学・卒業式などの行事で「前例にとらわれた部分」をやめ、時間を削減するよう促す ③教員の「勤務間インターバル」導入を検討する ④保護者の過剰な要求に対応し、教育委員会も支援体制を構築するように要請する ⑤授業以外の業務を支えるスタッフを拡充する(予算計上の検討) 私が「根本的な解決につながらない」と考える理由を、上記の①~⑤に対応した形で述べます。
今回の中教審の緊急提言で1つだけ前進したと思えるのは、「教職調整額の制度見直し」が(ようやく)されようとしている点です。 この制度も70年以上置き去りにされたまま施行されてきた、現代に全くそぐわない古い制度です。 それを改訂していこうという国の動きが見られるようになったことは、大きな前進だと思います。
先日の朝刊に「教員確保策を話し合う中教審の特別部会は、長時間労働の是正に向けた緊急提言をまとめた」との記事が載っていました。 教員の長時間労働解消へ向けた動きとして、本当に良いことだと感じました。 しかし、一言正直に言わせていただくならば、「遅い!」「根本的な教育改革にはならないだろう…」との思いです。