地方国立大学教員として勤めていた時の教育、研究、教員生活の記録です。専門はニューラルネットワーク。リタイア後に趣味で勉強している数学についても書いています。
一意分解でない整域の例としては \( \mathbb{Z} \) がよく取り上げられるが、これは \( \mathbb{Q} (\sqrt{-5} ) \) が類数1でないことから得られる。よりシンプルな例として \( \mathbb{Z}
私は数学科出身だが、工学部のIT系に採用された。そして、研究分野もIT系に転向することも求められた。受け入れ先の教授が母校の教授に求人して、私が紹介された。選ばれた理由は、自覚はないが下の者をよく面倒見ているということだった。数学では業績を
最近では監視が厳しくなってあまり見られなくなったようだが、着任した頃には大学教員のカラ出張が容易だった。独法化以降に激減した気がする。カラ出張の最大の要因は予算に融通が利かなかったことだ。予算の費目が物品費、旅費などに分けられ、出張費が余っ
「手を動かしてまなぶ 曲線と曲面 (藤岡 敦) §18 ガウスーワインガルデンの公式」の学習記録。 ガウスの公式 ガウスの公式とは言うものの中身はなくて、ほとんど定義に近い印象。まずは記号を確認。 \( p: D\rightarrow {\
「手を動かしてまなぶ 曲線と曲面 (藤岡 敦) §17 正規直交標構による方法」の学習記録。 正規直交標構 パラメータ \( u,v \) で表された曲面 \( p(u,v) \) を考える。パラメータ \( u, v \) はしばしば省略
「手を動かしてまなぶ 曲線と曲面 (藤岡 敦) §16 主曲率とガウス曲率および平均曲率」の学習記録。 主曲率 10.1 で記録しておきたいことは \( EG-F^2 > 0 \) が成り立つことである。テキストは線形代数の知識をあま
母国語と言っても日本語とか英語とかの話ではなく、初めにどの言語でプログラミングを学ぶかということである。上司の響教授曰く、「初めに学んだプログラミング言語がマザーランゲージとなる。プログラミングの発想を決めるマザーランゲージは変えることはで
すでに教員を辞めているが、教え子達と年1,2回程度飲み会をしている。ほとんどは私の研究室出身ではなく、学生の時からIT技術に関しては私より遥かにレベルが高かった。彼らの年齢は40前後であるが、いまだに付き合いがあるという奇妙な関係である。そ
数論で Minkowski の定理を調べていた時、予備知識として Dirichlet 積分が必要になった。微積分の教科書を探しても2変数までしか扱っていないことが多くて、意外と見つけられなかったので書き留めておく。 ベータ関数とガンマ関数
局所化の定義は零因子を意識しているとしか思えないが、私が読むレベルのテキストではその辺りは触れていない。少し検討したことを記録しておく。 局所化の定義 可換環 \(A\) とその積閉集合 \(S\) に対して、局所化 \(S^{-1}A\)
1990年代前半に、大学を中退して助教として響教授に採用していただいた。この時点で、社会人としての常識は乏しいものと当然考えられ、これから身に着けていかなければならない。響教授は大手企業の研究所出身である。民間の出身として本人が言うには、多
複素平面上の円および直線の方程式についてまとめた。主に 複素関数論講義(野村) 1.4章を参考にした。 直線の方程式 2つの複素数 \(u,v\) を2次元ベクトルと見た時の内積は \( \mathrm{Re}\left( \overlin
私は響教授に採用していただいて地方国立大学IT系の助教となった。響教授は私を連れて母校に私を紹介してくれた教授に挨拶に行った。響教授は学部だけは私と同じ数学科の出身で面識はなかったものの先輩にあたる。挨拶先の研究室には数学を専攻する学生が出
1990年代後半になると、学位無しでは職に就けない時代に移行し、採用される助教は当たり前のように学位をもっていた。前半なら採用されて間もなく昇進できただろう。情報系での助教は3名、いずれも学位を持っていなかった。電気系でも同様だった。このよ
私が就職した頃の話。1990年代前半に私は数学科の博士課程をD2で中退してある地方国立大に助教(当時は助手と呼んでいた)として採用された。学位(博士号)は当然ない。これは旧帝大級に限ったことかもしれないが、当時の数学の世界では、課程博士が取
前回は学内のイベントで医学部の脳外科医と接する機会(医学部の脳外科医)があったことを書いた。今回は私が医学部の教員に診察を受けた話である。 一過性黒内障という視野の半分が突然欠損するという病気に悩まされていた。当然ながら初めて症状がでたとき
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