小説のように書くとは、私の場合はただ事実と異なていますという意味です。即 時と所もあいまいで公人以外は名前も違っているかもしれません。 私には、先生は雲上の月のような存在でした。真理を求める先生の存在論の授業は熱がありました。『ハイデッガーの存在論』『プロチノス』『アビセンナ』『アヴェロエス』『アリストテレスの存在論』『ニコマコス倫理学』などが大学院の第Ⅱ期生の四名の授業でした。後日談ですが、私は哲学概論は受講しませんでした。『存在の解明』行路社刊の書籍になって始めて読みました。山田先生が事故で京都日赤に入院と重なる出版でした。この前書『存在の忘却』は山田先生が校閲し序文も寄せられたものです。…