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  • 「安藤先生と学生紛争直後の大学」哲学こぼれ話㉟

    小説のように書くとは、私の場合はただ事実と異なていますという意味です。即 時と所もあいまいで公人以外は名前も違っているかもしれません。 私には、先生は雲上の月のような存在でした。真理を求める先生の存在論の授業は熱がありました。『ハイデッガーの存在論』『プロチノス』『アビセンナ』『アヴェロエス』『アリストテレスの存在論』『ニコマコス倫理学』などが大学院の第Ⅱ期生の四名の授業でした。後日談ですが、私は哲学概論は受講しませんでした。『存在の解明』行路社刊の書籍になって始めて読みました。山田先生が事故で京都日赤に入院と重なる出版でした。この前書『存在の忘却』は山田先生が校閲し序文も寄せられたものです。…

  • 「安藤先生とイスラエル報道の背景」哲学こぼれ話㉞

    講義ノートの結論を出すには、哲学史的視点が不可欠で、若い研究者に委ね、私は私の人生の出会いのエピソードのこぼれ話に進みたいと思います。 人はそれぞれ物語を書いて生きるしかないと思います。先生を理解したい思いに急ぐあまり、私の結論は違っていたようです。先生の「信」の立場はわからないわけです。先生はキリストの救いを受け入れていたのかといえばそれは分らないと言わねばなりません。 乙女から生まれた赤ちゃんを救い主として祝うクリスマス。Believe whom?が先生の言葉にあります。『エピクロスの園』P74 私は自分の人生に意味(価値)を見つける焦りからか、これは神様の「受肉」と信じて疑わないでいまし…

  • Anyhow Pilate said,"What is truth?" 哲学こぼれ話㉝

    学生運動が収まった後、何にもまして、安藤先生は真理の追究を学生に示したかったのかもしれません。私は1972(昭和47)年5月4日に田井のご自宅でこの本をいただきました。 ともあれ、ピラトは言った「真理とは何か」と。A mayor annoyed by a student political demonstration might say:学生の政治デモにうんざりした市長も時々こんなふうに言う。「わしは君らの真理なんか知らん。そんなものは何も知りとうない。ただ知っとるのは、市民は法にしたがって行動せんならんということだ。君らの言うのはただの意見とちがか。君らは法に背いて行動しとる。わしの知っとる…

  • 創造主(The Creator)としての「存在」㉜

    安藤先生の前掲書を調べていくうちにそのエピローグで私の疑問は氷解しました。 「神は存在するかという問に早まった答えを与えないということは保身家の狡猾な遁辞ではなくて哲学者の知恵ではなかろうか」(『神の存在証明』公論社 P162)に出合ったからです。 他にもエピローグの数ページで具体的に学んだことがあります。 「・・・・賢人たちは神があると言い、神の存在が人間その他の存在者を存在させると言った。」 「つまり神の存在が人間その他の存在の根拠であり理由であるから、神は存在しなければならぬ、即ち神は存在すると言った。」これは創造神(Creator造物主)のことでしょう。 「・・・・もちろん神という名が…

  • REFLECTIONS on GOD,SEL& HUMANITY by TAKATURA ANDO から ㉛

    安藤存在論ノートの結語部分をもう一度ご覧ください。 皆さんはどう考えられますか。私は、哲学者安藤先生の、別書のキリストの十字架の「エリ エリ レマ サバクタニ」に対して「感動てき」と云うことばを発見して先生の哲学的営為もここに終り、真理を追究する生涯の努力は聖書の福音と同じものになったととらえました。 無神論者又は懐疑論者の先生の信仰が分かったと思い、そしてブログも少し休めば、その間の消息や後付けも山田晶先生の『中世哲学講義』知泉書館全5巻で簡単にできるように考えていました。 ちょうど私の友人が、西田幾多郎の哲学は我が家の宗教と同じことを言っていると聞いたように、ピラトが真理とは何かとイエスに…

  • 「安藤先生のソクラテス・ブッダ・イエス評」哲学こぼれ話㉚

    哲学は批判学であることを体現して見せた先生は、晩年アリストテレスとはある面において違う立場をとると言われていた。 もう少し、入院中に書かれた対話編から世界の聖人評を覗いてみます。 ソクラテスに対しても、 ‟The only wisdom we can afford is knowledge of our foolishness. But we never cease to be foolish through knowing our foolishness. The evidence is the life of Socrates. It was the utmost folly.” (われわ…

  • 「安藤先生と要請としての神」哲学こぼれ話㉙

    私自身の出会いについても安藤先生に関してても、存命中の方については触れないことを心がけていましたが、今回からそれを破りそうです。安藤先生が当時どれだけ真剣に「現在を意識」していたかを考えさせられたからです。 コロナ自粛以前に西宮で哲学講座を開いてくださった先生がおられます。今道友信門下の方です。ニーチェがその死を宣言した神を「もう一度現在に呼び戻さなければならないか」と云うことばをその先生からお聞きしました。 今道先生については安藤先生から「若いがよくできる」「ペダンティックな」と聞いた記憶があります。ちなみにこの今道先生と同じペダンティック評が、服部知文(晩年のロックの一番の関心事「キリスト…

  • 「安藤先生とニーチェ」 哲学こぼれ話㉘

    安藤先生とニーチェです 哲学は批判学であることを貫かれた先生です。この本ではニーチェ批判も散見されます。旧制第八高等学校時代には「校友会誌にニーチェ論なんてものばかりかいて」いて友人間ではニーチェの信奉者と思われていたふしがあります。『当世畸人伝』白崎秀雄 新潮社版P69(城野 宏)他 しかし、ニーチェを無批判に受け入れていたわけではなくこの時には超えていたと思われるものも見られます。そのニーチェ批判を挙げます。 “WHAT IS TRUTH” 56 Well,then,is there no need of making God nowadays? I very much doubt it.…

  • 「安藤孝行先生の英文著作について」哲学こぼれ話㉗

    私としては前述の驚きの結論とそこに至る過程を探っています。 このノートの講義をさかのぼること12年前の昭和40年に、安藤先生は京都第二日赤に入院中に英語で対話編Hamlet,“TO BE OR NOT TO BE”(「ハムレット あるか あらぬか」)を書かれました。(前掲の「るばいやあと」の短歌訳も入院中の著作でした。) これを翌年6月に北海道大学の日本哲学会で発表。9月にはこれに「ピラト 真理とは何か」を含む『エピクロスの園』が理想社から刊行されます。この書のハムレットに関していえば英文が先で日本語が後になります。但し出版は前後逆です。 前回の写真reflections on God, Se…

  • 「安藤孝行先生の英文著作について」哲学こぼれ話㉖

    哲学こぼれ話ですから、中略した存在論の部分をまず挙げておきます。 さてのこされた存在者は神である。神は果して存在者であろうか トーマス(Thomas)に於て神は存在esse ipsumであって ensではなかった。しかしThomas の後従者をも含めて人間は神を単なる esse ipsumに止まらず ens perfectissimumとしてとらえようとした。そしてたえず神の実在を問題とした。その際esse とexistentiaの区別は無視された。しかし existentiaはげんみつに云えば被造物、即ち有限的存在者に付加わる accidensとしての実在性であった。そのいみでは resのみ…

  • 「安藤孝行先生の岡山大学での最後の講義ノート」哲学こぼれ話について

    少しずつ記事が増えてきたので、ここでもう一度私の「哲学こぼれ話」の説明をさせていただきます。 まず、小生が岡山大学で安藤孝行先生のもとで哲学を学んでいた際に その「存在論」の最後の講義を受けました。50年以上も前のことです。 安藤先生の略歴については以下を参照。 Wikipediaより略歴 安藤先生がご退官されてからも、親交があり、のちに、安藤先生の奥様から私が受け取ったのがこちらのブログの背景となっている、写真の岡山大学での最後の講義ノートです。 こちらのノートを転記しながら(哲学ノート) 当時の私の体験を回想しながら、この「哲学こぼれ話」を綴っています。 「哲学ノート」をお読みいただければ…

  • 「哲学も唯物論から入れば、それはそれで簡単には否定できないものだ」哲学こぼれ話㉔

    学生時代にさかのぼり受けた教えを少し披露いたします。 先に名前を挙げた新カント派の授業を受けた杉村暢一先生からは 「哲学も唯物論から入れば、それはそれで簡単には否定できないものだ」 と言われました。 「論理的判断は捨象であるが取り上げた判断そのものは否定できない」という服部先生の言われたことにつながります。 最も学恩ある金森利一郎先生からは「一人の人物アリストテレスならアリストテレスについて徹底して来る日も来る日も読み続ければ、それが20年~30年続ければ公にできる何かが生まれる」ものだとお聞きしました。 先生自身は、その社会思想史の授業の中で、『形而上学』をも毎年新たに鉄筆で原紙に書き換え謄…

  • 「誰も一生かかっても、否何度生まれなおしても卒業できるようなものではない」哲学こぼれ話㉓

    挿話の余話。 話を先取りしますが、先生の遺稿の中に、田辺元先生とのやり取りやソ連(ロシア)が交渉もできない相手であるなど短いエピソードがあったのですが、私は割愛しました。 そのことを今深く反省しています。 田辺先生については、先生とのやり取りの手紙もたくさんあったのに、田辺元全集の編集者から何の連絡もないままだと聞いていました。そして先生はご自分の全集を出すことを強く願っておられました。蔵書全部を寄付するから、全集を出してくれる大学はないだろうかと言ってもおられました。 私の口語訳とは別にやがて先生が望んでいたような形の本が『アリストテレスの倫理思想』として岩波書店から出たので、私自身の言葉で…

  • 「人生は師を求める旅」哲学こぼれ話㉒

    金沢には西田先生を神様扱い(偶像化)しているものが多くいて批判が許されないで困った。軍国主義者以上に厄介な存在だったということも聞きました。 哲学が批判学であることを厳密に実践した安藤先生には耐えがたいことであったと思います。西田先生の名前だけに酔っている学生に、哲学を教える苦労を察します。 しかし私は先生の批判の対象であった厄介な人の代表であると自身を思います。 およそ哲学の批判学という性格を欠いた、権威主義的人間だと思っています。ただ一言弁解すれば「人生は師を求める旅」で最も信頼に足る師、全的師事に足る人、人格においても研究においても立派な人はだれかそうした出会いを求めて、それに恵まれたこ…

  • 「波多野先生については、「訳の精確さ厳密さはその右に出る者はいない」」哲学こぼれ話㉑

    私は西田幾多郎に習ったという先生にも会っていたことがあります。 今頃になって「立派な教育者とは」と思い出す現清和学園の南久一郎先生です。 目の澄み切った先生でした。生徒の「魂の平安」が教育の要諦だと考えておられました。 生徒も悪さや規則違反などをして叱られ最後に校長先生のところに回されると「ホッとする」と聞いたことがあります。私には生徒指導は気長にやってくださいと、優しく諭してくださったことがあります。私が大学院の試験問題などを話題にしても南先生は即座に答えて、「西田先生の哲学概論で習ったよ」ということでした。髙山先生の演習の『ディルタイ』で使った文庫の訳者が京都帝国大学の哲学科時代の友達だと…

  • 「京大の田辺元博士門下の『たいへんな俊才』」哲学こぼれ話⑳

    話が前後しますが、この直後に就職し先生から離れたため細々と口語訳だけ続けていた私に安藤先生は山田先生に会う機会を作ってくださいました。それが南山大学の山田ゼミにつながります。 話は変わりますが、山田先生はイタリアに留学しイタリア語もマスターされたと知りました。安藤先生は後年オックスフォードのロス教授・アクリル教授のもとに留学しました。服部先生も留学の時、同じ田辺元先生の学生ということもあり、安藤先生にオックスフォードでの経験を伺がったと、ずっとのちに聞いたことがあります。 安藤先生が翌昭和16年に就職されたのが四校、恩師西田幾多郎先生の前任校です。この時の学生である西義之氏の回想を挙げます。「…

  • 「戦時体制下一般書店 にはほとんど並ばなかった幻の本」哲学こぼれ話⑲

    この時期、安藤先生には河出書房新社から『アリストテレスの倫理學』唱和15年弘文堂刊 50銭の教養文庫の復刻再刊の依頼がありました。この本は戦時体制下一般書店にはほとんど並ばなかった幻の本と聞きました。 「弘文堂の本をよく覚えていてくれた」と先生はその求めに応じるべく書き改めに意欲をもち少し取り掛かられましたが、ご自分の研究方向は既に進展しているのとやはり時間をさけないことで私に任されました。私に先生は新しい研究書の英・独数冊を加味して古くなった文章を口語文に改めるよう望まれました。 アリストテレスの倫理思想 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド 楽天で購入 新書版205ぺーぎのそれ…

  • 「向上心ではなく向学心が大切」哲学こぼれ話⑱

    ちなみに私は2度30歳代と50歳代に南山大学の山田先生の「トマスアクィナスのゼミ」に二度参加させていただきました。二度目の時は改めて世界中のコンピューターのどこを探しても聴けない話をいま聴いているのだと感激した記憶があります。それは初めて10代で聞いた髙山先生の哲学の授業の記憶につながるものでした。 髙山先生の言葉にあった「完成した哲学者」安藤先生に続いて言われた「未知数の若い学者は旧帝大を中心に何人かは居る」をこのときに思いだしそれが山田先生だと確信し ました。 髙山先生の思い出を書きます。 髙山先生は「存在を可能な限り論理的体系的にとらえること」この哲学の定義の後、旧約聖書の「ありてあるも…

  • 「ハイデッガーの哲学は、熱烈に信奉されるか、冷淡に無視されるかのいずれかであって、その中間がない。しかし哲学とは批判的精神に徹することである」哲学こぼれ話⑰

    「よく言われる通り、ハイデッガーの哲学は、熱烈に信奉されるか、冷淡に無視されるかのいずれかであって、その中間がない。しかし哲学とは批判的精神に徹することであるなら、われわれの採るべきはこの中間の道ではなかろうか。著者にとって、ハイデッガー終始硬きクルミであった。 それは著者の余りにも悟性的な思考を頑強に拒みつづけた。ちょうどヘーゲルの弁証法がそうであったように。ヘーゲルとハイデッガー、日本の哲学者を最も魅惑したこの二人のドイツ哲学者は、率直に言って著者の精神とはあまりに異質的であった。それにもかかわらず、この二人を全く避けて通ることは私の良心と自尊心が許さなかった。たとえ最終的には理解したり同…

  • 「私はどんなに浅くとも澄んだ水を好む。深浅は人の運命である。しかし浅いものが深きをまねるほど滑稽で悲惨なことはない。」哲学こぼれ話⑯

    ちなみに昨年 「中世哲学講義」(全5巻)山田晶が完結したとの喜びの年賀状をいただきました。 安藤孝行先生の「中世哲学史」ノートも「存在論」ノートに続いて紹介したくなりました。 中世哲学講義(第一巻) 昭和41年ー44年度 [ 山田晶 ] 楽天で購入 安藤先生の哲学書は国島一則氏が公論社から先生が満足の立派な装丁の『アリストテレス研究』を発刊した後、安上がりの「わら半紙のような、しかも一部活字も異なる(立 命館大学の出版誌の抜き刷り)を使った」と嘆いた『ハイデッガーの存在論』があります。 その哲学書ではニーチェ張りの言葉がそのカバーに見られます 「濁った水は深く見えるという。・・・・私はどんなに…

  • 「中学生でもわかる論理で哲学書を、小学生にもでもわかる言葉で詩を」哲学こぼれ話⑮

    文芸書の自費出版が続くこの間、 先生は恩師である山内得立先生から『ロゴスとレンマ』の英訳も頼まれ断られて いました。 【ポイントUP中】 ロゴスとレンマ 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド 楽天で購入 時間がないというのが一番の理由でしたが、自分の存在論とは違う難しさがあるともお聞きしました。『ハイデッガーの存在論』はドイツ語で書いた方がいいだろうかと言われていた先生にして慣れた同じ英訳でも語学(言語)上の壁があったようです。 一方で山田晶先生については安藤先生の言葉「中学生でもわかる論理で哲学書を、小学生にもでもわかる言葉で詩を」を書かれている。 今にして思えば山田先生もやはり…

  • 「時代がどんなに変わっても変わらないもの 自由・夢・美 」哲学こぼれ話⑭

    安藤先生の豪華本の印章を彫ることになったのは東雲という書家です。 哲学者たちの思想、戦わせてみました くらべてわかる哲学事典 [ 畠山創 ] 楽天で購入 彼は決まりを意識し間接的にその旨忠告もしながらも注文通り丸く篆刻しました。 結果的に先生が大変気に入ったものが出来ました。 規定外は先生の遊び心でしょう。 この時期は模写として雪舟の数mの水墨画なども「お酒が少し入るとよい」 とかで1週間で書き上げられたり、一方で運転免許やモーターボートの免許も 取られるなど、先生のうちには遊び心も湧き上がっていたのでしょう。 その遊び心は北村氏の「愉快な挿画」をさらに変更したことにも表れていたように思います…

  • 「本当のモロッコ皮で作られたなら羊皮紙に次ぐ耐久性がある」哲学こぼれ話⑬

    また『ルバイヤート』は豪華本に『葦の葉笛』は特製本にされました。 この本の「仕様」も書かれていました。 挿絵は北村ひとし氏から下村良之介氏の銅版画に換わりました。 技術者を日本で選んで督励しておられました。 材料もそれぞれの最高のものにしたと聞きました。 表紙用羊皮紙は輸入Hewit & Sons Ltd から。 表紙用モロッコ皮は伊藤商店。 マーブル紙手染めは先生と小沢真奈氏。 そして京都の宮川一夫氏のもとで製本されました。 先生はヨーロッパの製本の知識にも詳しく、 羊皮紙やモロッコ皮マーブル紙の語源と歴史からひも解いています。 「しかし普通羊皮というのは、 日本で羊皮(やんぴ)と呼んでいる…

  • 「唱和訳はリズムと印象をくみ上げるのに対し、 一言半句に厳密な意味の表出を求められる哲学」哲学こぼれ話⑫

    唱和訳はリズムと印象をくみ上げるのに対し、 一言半句に厳密な意味の表出を求められる哲学とは、 おのずと一線を画すのではないでしょうか。 要は情感の表現の有無の為でしょう。 この時期、この詩想と情感がつぎつぎ唱和訳書として自費出版されます。 古今東西の自然界の言葉の響きに呼応して、 大和言葉の言霊すなわち詩がまるで泉のように湧き溢れていた様子がうかがえます。 同時に東西で恋愛の歌と酒の歌の比率の違いなども歴史の深い教養から さりげなく述べられるなど、冷静な歴史の分析と批判が、 どの本の序やあとがきにもあるのが、その特徴でしょう。 一例を挙げます。 「従来の連歌が俳諧連歌となり単に俳諧となったこと…

  • 「『RUBAIYAT』(ルバイヤート)その刮目すべき「あとがき」とは」哲学こぼれ話⑪

    天才文人の話に戻しましょう。 『RUBAIYAT』(ルバイヤート)もその刮目すべき「あとがき」があります。 それによればこれは、フィッツジェラルドのほか各国語に訳され 「わが国では蒲原有明の六首をはじめとして、 矢野峰人の三十三首、竹友藻風の百十首、堀井梁歩の百一首、 森亮の七十五首などであるが、最も広く流布したのは、 小川亮作の岩波文庫本で、これは真偽とりまぜ百四十三首全部を ペルシャ語から忠実に訳した。 ・・・・医学博士で・・・・ 金沢大学在職中の同僚久留勝氏の七十八首は英独仏訳を対照して、 七五調の第一、第二、第四句に押韻した苦心の訳であり、 ・・・・小川訳も一見散文風でありながら、 脚…

  • 「赤ちゃんは世界のどの言語にも対応できて、 どの民族もお互いコミュニケーションできる。」哲学こぼれ話⑩

    話は変わります。 『天才』という言葉から思い描くものは各人各様違いも大きいと思います。 哲学を離れて一般常識によれば、自分と他人が違うといったことは反省的に 自己意識を持つようになれば誰しも経験的に知ることです。 しかし人類の4大聖人の一人お釈迦さまは私が私と意識すること。 それさえ否定したのですから大天才です。 同様にその哲理を解き明かし、そこに竿頭一尺予定調和を述べたライプニッツも千年に一度出現の天才なのでしょう。 加えて各自は各自の偏見の窓からしか世界に触れられないといったF・ベーコンは間違いなく天才でしょう。 しかし私の天才の定義はもっと身近です。 何百億人とか何千年の単位で出現する人…

  • 「凡才の私がこれら天才といわれる方々との出会いに至った経緯」哲学こぼれ話⑨

    上の先生の教養についての証言者岩井充子さんもまた 自身天才少女詩人と言われた方です。 金子みすゞさんの詩が20歳を過ぎて書いたものであるに対して 岩井さんの詩は4歳の時に口にした言葉の詩集だと聞きました。 岩井女史と安藤先生との出会いは女史の同志社の助手時代のことで、 当時戦後の教員の免許更新(再教育)が立命館大学でもあり そこでお会いしたそうです。 前述の髙山教授が見せてくださった安藤教授の英文の著作は ARISTOTELE’S THEORY OFPRACTICAL COGNITIONであり W.D.Rossの序文付きでMARTINUS NIJHOFF社から出版されたものです。 その索引を作…

  • 哲学こぼれ話・番外編①「葦の葉余滴」レニエ・荷風・白雲~フランス文学それぞれの訳~藤村の詩「狐のわざ」は、白雲唱和訳にヒントを得ていた!?

    永井荷風をご存じだろうか。 「葦の葉余滴」レニエ・荷風・白雲 猪崎保子先生の論文 「珊瑚集」に訳されたヴェルレーヌとレニエ https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/4230 Henri 原詩 角川版 明治大正訳詩集による 永井荷風訳 白雲唱和訳 Henri 原詩 永井荷風訳 白雲唱和訳

  • 「詩は・・・・読者の心をゆさぶり、詩人と同感させるという・・・・詩は音楽に類似し、言葉による音楽と言っても過言ではない」哲学こぼれ話⑧

    哲学のブログで始めたものが、文芸の話が長くなりました。 もうしばらく続けなければなりません。 というのも哲学者Takatura Ando自身が 毎回挙げているノートの存在論の自説の完成(英語に翻訳するまで)を強く意識しながらも「自分程度の学者は世界には数人いる。しかしこの唱和〔会津八一氏が印象といった〕という業の方は独自のものかもしれない」 と言っていたからです。 先生は我が国の連歌や俳諧(連句)のもつ「世界でも稀有な社会的な文藝形式」で世界中の人と交歓できることを示したかったと思います。 「詩は・・・・読者の心をゆさぶり、詩人と同感させるという・・・・詩は音楽に類似し、言葉による音楽と言って…

  • 「今まで知る限り安藤先生以上に教養のある人を私は知らない」哲学こぼれ話⑦

    この出版のおかげで、先生は俳諧の現代随一の巨匠に出会うことになります。瓢左という蕉門下の十哲北枝八代の直系の人物です。 安藤先生は続いて原詩付きで『葦の葉笛』というボードレーヌ・ヴェルレーヌ・ゲーテ・ハイネ・キーツなど31名の仏・独・英の詩人の詩77編をいとも簡単に(私にはそう見えました)和歌訳され白雲山房刊として自費出版されました。 いまはその まえがき に驚きます。歴史を踏まえた国文学の文学史の講義のようです。数年前にお会いした96歳の岩井充子氏の「今まで知る限り安藤先生以上に教養のある人を私は知らない」を思い出します。 まえがきを少し見ると、万葉集の長歌、旋頭歌に始まり連歌、俳諧と歴史を…

  • 「完成した哲学者が日本には二人いる 滝沢克己と安藤孝行だ」哲学こぼれ話⑥

    英・独・仏・そしてギリシャ語でそれが出来たのが白雲山人でした。 加えて漢詩の知識や感興それを和歌訳で示し自費出版したのが 前述の書『唐詩唱和』です。 私はそれに対して「難しい」と感想したために、 先生は私にもわかるようにと、唱和と和歌・俳句を含む啓蒙的な 『唱和の遊び』桜風社を自費出版されました。 先生の貴重な時間も奪ってしまいました。 当時私は先生には哲学に専念してほしいと思っていました。 この結果に負い目も感じていました。 「完成した哲学者が日本には二人いる滝沢克己と安藤孝行だ」 と、後者の英文の著書も見せられ高名を聞かされていたからです。 それが髙山要一先生です。 先生のことは少しあとで…

  • 「我々人間に真理など到底知ることはできない、ただ自然界の現象からそこにある法則を見つけるのがせいぜいのところだ。」哲学こぼれ話⑤

    ある時の服部先生の質問に、ある学生が「真理を学ぶ」ためにと答えたところ、先生からは「我々人間に真理など到底知ることはできない、ただ自然界の現象からそこにある法則を見つけるのがせいぜいのところだ。」といった答えを聴いた記憶があります。 今思えば、認識論の模写説とカントの不可知論すなわち構成説の説明だったと思います。先生は何事も正直で神秘主義が一番難しい、わからないところがあると、またその関連かサンスクリット語は不勉強で読めないとも話されていました。『キリスト教の合理性』を訳された頃のことでしょうか。 これも岩波が持ち帰って〔刊行して〕くれれば良かったがと当時言われていました。(今日、岩波文庫に発…

  • 「存在者オンと存在するエイナイの区別」哲学こぼれ話④

    森先生に出会う前に私は初めての哲学書講読の授業でカントの「純粋理性批判」「実践理性批判」のドイツ語を、まるで日本語を読むように、日本語と同じスピードで訳す先生に出会いました。 服部先生と畠中先生です。私のこの時の衝撃は大きかったです。 内容的にはカントはわからないということが分かっただけでした。 畠中先生は大教室での授業の時の印象では、大海原の怒涛に対峙しても、平静そのものの釣り人の姿でしたが、数人の講読の時も同様でした。 服部知文先生は英語のロックの「人間悟性論」の演習では、 私の訳に「質問の前に君は自分の訳した日本語の意味が分かっているのか」と言われたことがあります。「寝言は寝て云え」と言…

  • 「〈文人〉という言葉をご存じですか?」哲学こぼれ話③

    季節の変わり目、黄砂か花粉か珍しく咳が出たりで、 ブログ小休止していました。 先生の紹介を続けます。 〈文人〉という言葉をご存じですか。 スポーツ万能に比べて文章(ことば)万能の人と言ったらいいでしょうか。 日本は長い歴史の中で、自然の美と自然の奏でる響きを大切に 見聞した人が多くなった国ではないでしょうか。 それを言葉にしさらに凝縮したのが 短歌であり俳句・川柳だと思います。 音楽は世界中にありますが それが言葉として、毎週新聞に歌壇・俳壇として掲載される国は 日本以外にはないと聞きました。 日本が詩人の国と言われるわけです。 教育実習(倫理)でお世話になり、その後94歳で亡くなられるまで …

  • 「日中文化交流史上空前の偉業 驚異の新古典和歌集現わる」哲学こぼれ話②

    恩師のノートを続けます。 この哲学者は白雲山人と号する詩人でもありました。 師との出会いは、ちょうど師がその最初の歌集を明治書院から刊行した頃でした。 唐詩の翻訳歌集でした。 a.r10.to これからも紹介しようと思う哲学の方では 質問さえもできず近づけなかったのですが 歌のほうは感想を言うことが出来ました。 ご自分の歌の掲載は内容を置いて賛否があったと聞かされました本の帯に名前を挙げたの方々の声だったのかと思います。 推薦:高木市之助・久松潜一・橋本楯・加藤将之・林秀一・竹内照夫・川口久雄・白川静・森岡常夫・国崎望久太郎・沢本欣一・福田襄之介 帯には他に書名の 唐詩唱和の上下に 日中文化交…

  • 「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」哲学こぼれ話①

    ひとり言はその人だけのもの。 けれどここに私の「忘れ得ぬ人々」を 紹介したいと思います。 哲学風ブログを始めるのは 私の個人的な経験が、私以外のだれかに役立つかもしれないし またはひょっとしたら一般的に役立つものがあるかもしれないと思ったからです。 主としてそれは 私の経験したこと、 私が発見したこと、 私の思い至ったことの紹介に尽きるので、 「経験に学ぶ愚者の」自分史になるかもしれません。 記憶違いなど個々の内容の確かめは皆さん自身におまかせします。 それとは別に、哲学という学問の中の恩師方のノートを紹介したいと思います。 ちなみにある哲学会での師と山田 晶氏との存在に関する真剣な質疑応答の…

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