■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
管理職になって善い仕事ができるならいいが、つまらない折衝や管理ばかりでは、善い仕事(技術を行使できる仕事、建設性のある仕事)は難しい。地位があがっても、それは会社から与えられた借り物であって、承認欲求を満たすものにすぎず、地位に依存しても、欲望は満たさ
自分に流れ込むものではなく自分から流れ出るものを意識せよ。自分から流れ出るものを増やすのがよい。自分から流れ出るものについては、①人のために、役に立つ、よい仕事を実行することだ。②そのための知識、ディティール、技術を蓄積することだ。③人のた
自分には価値があると思えるように、パートナーのために役に立つことをする、貢献する、これを愛という。愛は理性から生まれるものだ。欲望から生まれる愛欲(性欲)とは違う。愛欲(性欲)とは、パートナーから快楽、承認欲求、権力欲、支配欲を満たせるもの(評価、
《作品作りのフローチャート》ある対象に興味の種※が出たら↓その対象の、素晴らしいところ、美しさ、面白さ、有益さを見つけて、列挙していく【熱意の源】↓表現したい、具体化したい、概念にとどめておかず形にしたいと思えるものか(せっかく見つけた良い概念
【人間の束縛と自由】欲望の節制・ひとひとりの存在はちっぽけである。承認欲求のために自分を過大評価するものではない。理性の偉大さ・理性がよきもののために、技術を行使して、建設したものは偉大である。【思考の切り替え】思考の切り替えとは、・
仕事をおもしろくする主な要素は、二つある。一つは、技術を行使することもう一つは建設である。技術は、無限に向上させうるものでなければならない。ディティールへの熟練や工夫を発揮でき、相当の技術を必要とする仕事は(新しく技術を向上させたから、貢献して役に
【熱意】熱意とは、ありのまま現状の肯定である。現状の美しさや多様な変化に気づき、その特別なありがたさや恩恵に興味という形で気づくことだ。そして、もっと対象を知りたい、対象のために時間を費やしたいという理性の働き(無知の知)でもある。今しかない特別な
年収500万の44歳マスコミ勤務が“うつ”で退職して悟った孤独「驚くほどスマホが鳴らない」https://nikkan-spa.jp/1912135この記事の人は、他人に注目してほしい、かまってほしいという承認欲求が強すぎる。多くの人が承認欲求の呪いに陥っているが、それでは不幸な
■欲求、快楽だけを貪って、ただ新しいだけのものを、ただ見るだけでは、見たあとに何も残らず、欲求不満しか生まれず、むなしくなるだけだ。『手順:いろいろ考える前にまずは体を動かせ、思考は雑に行動は慎重に』血流量をあげ、心拍数をあげ、血液の有酸素濃度をあ
退屈だなと面倒だと感じたら、■欲求 新しいこと、日常と違うこと、特別なもの 変わったこと、場面 ありえない組み合わせ (新しい、特別なものでないと欲求は満たせない)想像力にはおのずと限界がある。意識で考える想像は、過去に与えられた経験や場
人へ示すこと。・特別である(新しい、興奮する、快楽的)・ディティール・役に立つ自分が行うこと。・役に立つ・ディティール・特別でない(静かな、当たり前の、単調な、快楽的でない)・特別である(真理を知る、新しい知識)自分への大事な思い出す
叱られたり、褒められたりしなければ(人から何かしら、かまってもらわなければ)やらない人間になってしまう。これでは、社会に出たら、ほめてくれる人はほとんどいないので、うまくいかない。叱る人は多くいるが、叱られ慣れていないので、叱られたらすぐ自己肯定感
一つのテストがある。そのテストはこうだ。あなたがものを書くのは、ある思想や感情を表現したいというやむにやまれぬ衝動を感じるためなのか、それとも、拍手かっさいを浴びたいという欲望に駆られたためなのか。本物の芸術家にあっては、拍手かっさいへの欲求は、普通強烈
自分が役に立つことを行ったから、自分には価値あると思い、ついでに生産性もある(市場価値がある)、と思うならいいが、生産性があるから(市場価値があるから)、自分には価値あると思うのでは、不幸になる。生産性があることは不安定だから、生産性がなくなると不安
ラッセル幸福論の第5章《疲れ》より。ー理性的な確信を無意識の領域で働くようにするー意識の無意識への働きかけは、精神衛生の分野で実に大きな重要性を持っている。意識的な思考を、無意識の中に植えつけることは可能である。むずかしいトピックについてか
ラッセル幸福論の第3章《競争》にて先進国になる↓経済的に成功することが主要目的になる(人生観の主軸になる)↓成功のための競争が烈しくなる↓競争にとらわれすぎ人生をエンジョイできず子供を作る余裕がなくなる↓人口が減少する↓衰退↓
人間生きてたら、評価されることもあるし、評価されないこともある。評価されたから、評価された分だけ自分には価値があると思う必要もないし評価されないから、評価されない分だけ自分には価値がないと思う必要もない。そんなことをしていたら心の平穏は得られないし
面白いとは、新しく(欲求に訴える)、役に立つ(理性に訴える)こと。見つからなければ、ディティールに降りていくと、面白いと思う情報の要素が見えてくる。だから、神はディティールに宿る、と言うし、継続することで、物事のディティールが分かれば分かるほど(新しく、
役に立つことをするから、自分には価値があると思う。自分には価値があると思うから、幸せであり、楽しいと思う。《理性とは、自分でどうにかできることである。》①善のために、すすんで行う、自分は役に立つと思える仕事、創造を行うことだ。②役に立つことを
休日の過ごし方とは、過去の欲求を満たせなかった不満を考えることではなく、将来の欲求を満たせない不安を考えることでもない。そして、現在の欲求を満たすことでもない。過去は変えられず、未来はまだなく、そして現在の欲求ですら満たされない【蓋然性が高い】
《作り方の骨子》①問題:攻撃的な人への欲求の不満②希望:欲求不満は解消できる③方法:可哀想と思うことで欲求を諦める、肯定する、同じ土俵に立たない(→理性的な行動へ移り、自分の命じたように、すすんで支配権をもって創り、自分には価値があると思う)
①問題をあげる【自分には価値がないと思う事案】②希望を示す【善のイデア】③解決する方法のフローを示す【自分の行動のみで自分には価値があると思うこと】①誰にでも起こる問題を出す【欲求を満たせず、自分には価値がないと思い、不満や不安がある】②問
【欲求について】①他人に期待せず、他人の評価や注目と、自分の価値を結びつけない(承認欲求への諦め)②他人から既に与えられていることに気づく(現状の肯定)③肉体面で、運動して体操して体液を循環させ洗い出す(心拍数をあげ、血液量、血球、有酸素濃度を高め
自分の意志で行動することの幸福(自らの意志で知覚し行動することの幸せについての考察)自分が支配しているかぎりは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快だ。人は、もらった楽しみに退屈し、自力で獲得した楽しみをはるかに好むものだ。行動を伴わ
戦争は、人よりも特別に恵まれていたいという、承認欲求がある以上はなくならない。承認欲求とは、人間に課された不幸の元凶であり消えない呪い(本能)である。人のリソース(機会、時間、労力)を奪って、自分のものにして(自分のために利用して)、人よりも優位
勝ったとか負けたとか言っている人は、負けたら人には価値がないという救いのない概念を自らに作っているから、本質的に不幸である。今の自分を肯定していないから、承認欲求を満たせていないから(この時点で既に不幸せと言えるのだが)、人と比べて、ある限られた狭い
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■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
どのみち、今無いものを手に入れる・認識する・積むという、本能から逃れられないならば(神経的刺激の生理システム)、・自分の内に知識善を積むこと(知識的徳)・自分の外に貢献善を積むこと(貢献的徳)で、その今に無い「善=価値あるもの」を積めば/認識すれば
否定する(失敗や批判)↓自己否定=苦しさ↓自己防衛=承認欲を満たそうとする(①自責か②他責又は両方)↓①自責:注目の承認欲を満たす・自分を下げて注目されたい =過度な自己卑下、自虐・他人を上げて注目されたい =過度な自己犠牲、ゴマす
■本質(探究という目的)と形(記録という手段)の関係本質は形(言葉など)にすると、形への執着となり、本質(形ではとらえきれなかった概念を含む全体)から離れてしまう。本質は(探究の)目的であり、形は(記録の)手段であって、形にすると、形(記録の手段)
■徳を積むについて自分の時間を差し出して自分の内や外に善を作る(善を作る=徳を積む)与えられることは諦めて(与えられることは無いから・なお、"一方的に"与えることでもない)徳を積む=善を作ること積む徳、作る善を、自己が認めれば、些細な肯
全ては、無を「否定する」ことから始まり(一切皆苦であり)、継続するものなので、意識し、無を「否定せず」、受け入れることだ(無を否定する苦しみを打ち消す方法)自動的に、無を否定するとしても、意識し、無を否定しない→まずは無意識の否定の対消滅無い
無の荒野・与えてくれる(都合のいい)他者は居無い・与えられる(都合のいい)自己の特別性も無い例えば、全くの見返りなしで、新規性もなく、誰かに1万円を渡す/寄付する行為があって(それは行動の善であるが)それに善さ、価値、善い神経的刺激、
自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
本来的に与えられない(与えられるものが無い)のに、①幸運により与えられるものが有る快感(リターン・ベネフィット)を享受する②与えられるものが無い不快(リスク・ロス)を回避する③与える快感がある①の与えられる快感が多く(ハイ・リターン)②の与え
①空即是色無いはずなのに、有ることに感謝しよう今において有ることが幸運である②色即是空無いものを欲するな今において無いものを欲するのは苦痛となるーーーーー①本来は、外部には何も無く空なのだ。それが時代の幸運、他者課題の幸運、生まれ
欲しても、自分の力では制御できない幸運がなければ得られず、苦しむということ。多くの(生きづらい)人が勘違いしているのは、小説や漫画やメディアなどの娯楽の影響で、さも現実もそのように多少は苦労したとしても(言い換えると努力すれば)、結局は都合良く進みいつか
外部から入ってくる/与えられる物(有形の物)や事(無形の概念)は多種多様であって、その快感も不快感も多種多様にあることから、①外から自分が受け取って快感なときは、外は無なのに、 奇跡的に物や事が有るとして、欲望の幸運を感謝して、 快感を享受できる②外か
ある事件や事故を起こした人の問題行動の理由を説明するのに・優秀な人だから・真面目な人だから・金持ちだからという、特定の目を引く性質を理由に問題行動を起こした、と言うのは間違っている。これらの不快な記事は、ライター側が読者の関心を引くために仕掛け
①外から与えられたものはすべて喜ぶ、感謝する・空即是色(自分の外には何も無く空であるなら、すべてのものは奇跡的な幸運の産物であり、よって、すべての物欲はすでに満たされている)・欲望の幸福(外から与えられる幸福)の『幸運に』感謝する・幸運とはなかな
この世の全てが「 」(無や空)であるならば、この世の全ての物が有ることは全て奇跡(幸運)の産物であり、愛情の対象となる。有ることが難しい奇跡的な物への(有り難うという言葉のとおりの)感謝や慈しみとなる。物欲(客体への欲望)も、無や空がベース(本来の、根
①色即是空:物(色)への欲(物欲)は苦痛しか生まないため、物欲が生まれたら、これを、自分より外から与えられるものは無く、すべてが空であるとして捨て去る。すべての物(色)が無いとすれば、(理想や願望も空であり、現実(もまた空であるから)とのギャップも生
□欲望を捨て去るために欲望を完全に捨て去るなら、自分の外から入ってくるものは、全くないものと思い(外には何も無い)、自分の内から外へ出ていくものしかない(自分のみが確実に有る)、と思うほかない。ゲームだって、無から考えれば、ゲームがあって、
■承認欲の強い人は必ず苦痛を感じ不幸になる人から認めてもらいたい欲求(承認欲求)を持ってしまうと、自分の力で自分のことを認めることができなくなって、自分だけでは、自分に価値があると思えること(自己肯定感を得ること)ができなくなってしまう。代わりに、
真面目な人が、ストレスのせいで問題行動を起こして転落するのではなくて、(承認欲求が強いせいで、外面が良くて)真面目な(ように見える)人が、承認欲求の苦痛のせいで問題行動を起こして転落していくのだ。しかし、本当に真面目に会社のために頑張って貢献しようと
承認欲求とは、子供が生き延びるための本能であるから(自活できない子供が、親や周りの他者から、可愛い子供であると認知されて、食べる物などを与えられて生き残るための欲望であるから)、自活できる(ようになる代わりに子供の持つ可愛さを失う)大人がいつまでも持つよ
気分の浮き沈みがあるとしたら、それは、・欲望が満たされたから一時的に気分が良くなっているか(自己肯定感がある・高い)、・欲望が満たされなかったから気分が悪くなっているか(自己肯定感がない・低い)、のどちらかの心理状態を、日常生活の中で揺れ動いている
点を取りたいから勉強をするのではなくて(点を取って他者よりも上に立ちたいという欲望ではなくて)、この世の中の仕組みを理解し(てあげ)たいから勉強をする(理解をしてあげる、知識を身につけて役に立てるという理性である)ことだ。点数がとれるかどうかは、そ
日本を含む先進国で精神疾患が多い理由は、欲望(承認欲、金銭欲、名誉欲など)を満たすことが人生の幸福である、という価値観が推奨され広く浸透しているからです。しかし、幸運に恵まれ(続け)ない限りは、欲望を満たし続けることはできないので、欲望の幸福の屋台骨
○行為だって、自分の欲望を満たすからではなく、□の役に立つという理性を満たす気持ちでやることだ。□を理解する・□に優しくする・□に興味を持つ・□に愛を感じてもらう・□にひとりではないと感じてもらう。○欲は、欲望なので苦痛と不幸にしかならない。
欲望は苦痛しか生まないから捨て続けること。この世の全て(外界から自分に入ってくるものは)利己的・欲望的なものだ。よって幸運や他者課題に恵まれなければ、欲望の不満の苦痛により不幸(欲望を満たせない自分には価値がないと思う状態)となる。利他的・理性的
欲望とは、欲望の苦痛を自分に与えて、欲望の理想へ向かう行動を強制させ続ける仕組みである。そして、欲望の理想を獲得するには、幸運や他者の評価・人脈などの他者課題が必要となる。よって、人間は、生きている限り、欲望の苦痛に苛まれ続ける。生まれながらに
!欲望は苦痛になるので、勝ち負けは考えない。負け続けることもあるのが当たり前の事実だと現実を受け入れる。苦しみたくなくば欲望を捨てよ。!自分の技量を実行すること、技量を確認することだけを快感とする。技量が行えれば(行えなければ)、その結果で勝とうが
この世の全て(外界から自分に入ってくるもの)は利己的なもので溢れている。よって幸運がなければ、欲望の不満の苦痛により不幸となる。利他的なものとは、自分から外界に対して出していくものだけだ。自分の意志と善の活動により、役に立てる、理解してあげる、優