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私がFPになった理由について、経験してきた出来事を通して感じ、考え、行動したことを書きました。また、おひとり様ゆえの悩みや問題もあります。 このブログが皆様のより良い日々を過ごすための”きっかけ”となれば幸いです。

おひとりさまFPたかちゃん
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2023/03/21

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  • {41}第5章 被害者同盟 (5-1.無心)

    私は父との二人暮らしを【被害者同盟】と呼んで、協力し合いながら頑張っていこうと考えていました。 父に負担をかけないよう家計は当然のことながら、弁当を含めた食事作りが新たに私の役目となりました。 家庭科は得意でしたし、皮肉なことに母の面倒がない分、家事は変えって楽になりました。 勤務時間が短いことも幸いして、仕事と家事の両立だけでなく趣味の時間も確保できていました。さすがに、同僚とのお茶の時間は減りましたが、小遣いの倹約と思い我慢していました。 父に至っては、生活面と雑事を私に任せることができたおかけで、仕事だけに専念して居ればよく、かなり楽になっていたと思います。 但し、母について、新たな頭痛…

  • {40}第5章 被害者同盟 (4-2.後始末)

    母の借金返済も忘れてはなりません。 私はまず、現状把握から始めました。 母からの話と、手元にある請求書を掻き集めました。銀行口座引き落としのクレジットもありましたが、ほとんどが地元の商店への支払いでした。 また、母のつまらないプライドの高さが幸いしてサラ金(消費者金融)には手を出していませんでした。 私は請求書を手に、商店を一件一件訪ねては事情を説明して『返済を待ってくれるよう』お願いすることと、『今後は母に売らないで欲しい』と頼んで回りました。 複数の洋品店、呉服店、化粧品店、雑貨店と、ほとんど全ての店が好意的な対応をしてくれたことが有り難かったです。 家賃の支払いも遅れていました。 大家さ…

  • {39}第5章 被害者同盟 (4-1.後始末)

    離婚したと言っても、世間体を気にする母の要望で、母の姓はそのままとし、母方の叔父(弟K)と祖母以外の親戚には離婚を知らせないというものでした。 また、別居できるお金も無かったので、借りているアパートの大家さんに頼んで、空いている隣の部屋に母は住むことになりました。 中途半端な状況でしたが、 (こんな奇跡があるんだ)(人生何があってもおかしくないんだ)と実感しました。 私と父の生活再建のために、私はまず、市役所へ行きました。 父が年金を払ってないことが、常々気になっていたからでした。 役所の担当者には、『今から払っても年金は貰えない』ということを言われました。 この時、父は既に五十二歳でした。 …

  • {38}第5章 被害者同盟 (3-2.離婚)

    離婚届を突き付けられて母は心底驚いていました。 『嫌や』 『片親では、いつこが結婚できへん』と言ったものの、 『あんたみたいな親がいる方がよっぽど結婚できへんし、 そんなこと言う相手なら、結婚せえへん方が増しや』と私が言い、 父から『いつでも、わしと別れて一人でやっていけると言ってたやろ』と言われ、 叔父からも『もう、勝手は出来へん』と諭され、 母は渋々署名、捺印したのでした。 その後、父も署名、捺印を終え、私と叔父が証人欄に署名、捺印して離婚届は完成しました。 それは呆気ないほど、簡単に終わりました。 帰り際に叔父が 『こんなことになっていたとは知らんかった。二人で働いているのに、いつ家を建…

  • {37}第5章 被害者同盟 (3-1.離婚)

    翌日、私は大忙しでした。 職場に近い役所で離婚届の用紙を貰い、簡単な説明を受けたのは良いのですが、その手続きの煩雑さに私は絶句しました。 ドラマでは離婚届を一枚書いたら終わりですが、 実際は本籍地以外の提出の場合、離婚届は二部必要で、戸籍謄本を添付しなければならないとのこと。 また戸籍謄本は本籍地の役所から取り寄せなければならず、手数料に郵便小為替も必要。 取り敢えず、本籍地の役所の住所を教えて貰い、離婚届の用紙二枚を持ち帰ったのでした。 スナックに借金約九万円を支払った私は、 『今後は料理を頼みに来ることは二度とないので、今まで世話になった』というようなことを言って、慌てる主人を後目に店を出…

  • {36}第5章 被害者同盟 (2.父娘会議)

    家に帰った母に対して、父の怒りは収まらず、『出て行け』と言ったので、私は近くに住む母の異母弟である叔父に電話で、事情を簡単に説明し、母を泊めてくれるよう頼みました。 叔父の家に、母を預けて帰って来た私を、父が寝ずに待っていました。 『お父ちゃん、お母ちゃんと別れたほうがええかな』 (この期に及んで、今更何言っているんだ)と思いながらも、私は、 『お父さんの好きにしたらええ』 (この夫婦がどうなろうと、自業自得、好きにすればいい)と考えていた私に、 父は信じられない提案をしてきました。 『お母ちゃんと別れたら、いっっちゃん、お父ちゃんと一緒に暮らしてくれるか』『お母さん、どうするの』『あれのこと…

  • {35}第5章 被害者同盟 (1.スナック)

    その夜も、9時を過ぎて帰宅した私を両親が待ち構えていました。 嫌な予感がしました。 父が不機嫌極まりないといった感じで、『今から、これ(母)と一緒に給料を返して貰って来てくれ』と言いました。 父の余りに突然の言い様に私は、『どういうことか』と聞くと、 夕飯のおかずを作って貰っているスナックで、支払いが溜まっていることから母の給料日である今日、給料袋を差し押さえられたというのです。 私は(とうとう、ここまで来たか)と思うと同時に、(どうして、私が行かなきゃならないの)と心の中で呟いていました。 父はなおも言い続けました。『これ(母)が一カ月、一生懸命働いて貰ったばかりの給料。必ず払うから、今日の…

  • {34}コーヒーブレイク(第4章 転機)

    80年代はエンタメにハマっていた! MTVの影響もあって、 マイケルジャクソン ホイットニーヒューストン スティビーワンダー ビリージョエル TOTO デュランデュラン カルチャークラブ etc・・・ 月1回はコンサートに行き、音楽に酔いしれる日々、 同時に英語が”さっぱり”なのが、本当に残念でもあった。 MCがわからないもの(涙) 映画館にもよく行った! 今ほど多くはなかったが、割引デーは会社帰りでも2~3本は観ていて 週末はレンタルビデオを漬けだった(カウチポテトしていた) 芝居も好きで、ミュージカル・小劇場etc. 面白そうな内容のものはジャンルを問わず観た。 ホール巡りをすることで行動…

  • {33}第4章 転機 (4-3.第一の決心)

    私は行動を起こしました。 母が病院で貰ってきたばかりの二週間分の精神安定剤を全て飲み眠りに着きました。 この時の私は、これで死ねると本気で思っていたのでしょうか。 そんなことも考えられなくなっていました。 翌朝、目覚めたことに酷く失望したことと、頭がボーとして何かをする気力もなかった私は会社を休みました。 そして、その夜に手首を切ろうと決めたのです。 真夜中、洗濯用の小さな蛍光灯の下、カミソリを左手首に当てると、うっすらと血が滲んできました。 痛みはありませんでした。 同時に、私の目から涙が一滴零れ落ちました。 (ああ、私はまだ泣ける) (このまま死んだら、自分が余りにも可哀想過ぎる) (自分…

  • {32}第4章 転機 (4-2.第一の決心)

    普段、何も言わない父の豹変振りに、私も母も震え上がったことをはっきり覚えています。 その頃、夜遅くに私が帰って来ると、食べっぱなしのままの食卓が待っていました。 それらを片付けることが私の役目でしたが、茶碗に付いた食べ残しのご飯は固まっていて、お湯で洗ってもなかなか綺麗にはなりませんでした。 父には気の毒ですが、疲れている私には、それ以上のことをする気力も余裕もありませんでした。 父は長年勤めていた工務店をある事情から辞めて、請負仕事を始めていました。 それは父にとって、不慣れで初めての事ばかりだったと思います。 それでも、日銭を稼がなければならない父は家族のために頑張って働いていたのでした。…

  • {31}第4章 転機 (4-1.第一の決心)

    私は、できる限り家にいる時間を短くすることに努めていました。 仕事帰りは、毎日のように同僚とお茶をして愚痴を言い合う。 カルチャーセンターで生け花や太極拳を習う。パソコン教室にも通っていました。 他には一人で映画を観て、外国人アーティストのコンサートにも頻繁に行っていました。 私には、それらの空間に身を置くことで、少しでも日常を忘れストレスを発散させることができる最高の時間であり救いでした。 母の体たらく振りは酷いもので、馴染みの定食屋の味に飽きてしまったのか、昼間はスパゲティ専門店で夜はスナックをしている店で、夕飯のおかずを作って貰うようになっていました。 母は仕事帰りにそこへ立ち寄っては、…

  • {30}第4章 転機 (3-2.娘であり母)

    次に就職した大手書店の営業所では、6・5時間勤務の嘱託社員でした。 母が脳梗塞になったことで、家を出ることを諦めた私には、書店の月々の給料は少ないものの年二回のボーナスがあり、アフター5もといアフター3・5では自由な時間を心ゆくまで満喫することが何よりも嬉しかったのでした。 母からは、家にお金を入れるよう再三言われましたが、要求額がとんでもないこともあって断固拒否していました。 私の結婚資金として貯めてくれるならまだしも、それは天地がひっくり返ってもあり得ませんから、自分で生命保険に入り、積み立て預金をするなどコツコツとお金を貯めていました。 我が家の経済状態は相変わらずでしたが、私は何があっ…

  • {29}第4章 転機 (3-1.娘であり母)

    母は退院後、定期的に診察を受け、職場にも復帰していました。 ただ、現実を受け入れられない性格ゆえに、文字を書くことを拒否していました。 また以前にも増して、浪費を繰り返していました。 母は、『あんたが、何も欲しがらないから自分の物を買っている』と私の責任であるかのように言っていました。 外出も頻繁になり、新しく買った服を次々と着て出かけていました。イヤリングを自分で付けられない母は、私に頼むほかなく、私は面倒くさくてもその度にイヤリングを付けてやっていました。 私は新設で入院設備のある個人の外科病院に就職し、受付事務兼薬局補助をしていました。 事務員は他に女性が三名いて私が一番年下でした。 外…

  • {28}第4章 転機 (2.同情)

    思いがけず早々に、母が入院できたことに私は心から感謝しました。 入院してすぐに持続点滴がされ、その後一週間ほどで退院できました。 母の入院中には、親戚が見舞いにきてくれましたが、 父は『仕事もせず、病院にいることが恥ずかしい』と言って、 見舞い客に会おうとはしませんでした。 こんな時でも、世間体を気にする父の態度に私はうんざりしたのでした。 医師の勧めもあって、私は生まれて初めて血液検査を受けました。 理由は、私も念のためコレステロールを調べておいた方が良いというものでした。 結果は、母の体質を私も受け継いでいるということでした。 よく母が『血は水よりも濃い』と言っては、 私を絶望的な気持ちに…

  • 第4章 転機 (1-2.挫折)

    専門学校は、私に新たな友人との出会い、様々な資格試験の合格を目指しチャレンジする日々を与えてくれました。 私は学費や通学費、小遣いの足しにと歯科医院でアルバイトも始めていました。 ただ残念なことに、母が私のアルバイト代を当てにして給料日に催促するようになり、勉強との両立が難しくなったことも重なって、半年で辞めてしまいました。 そして、突然それは起こりました。 私が成人式を迎える年の元日のことでした。 朝、雑煮の準備をする母の様子が明らかにおかしいことに、私はすぐに気づきました。言葉は呂律が回っておらず、歩き方も変、右手で包丁を使うこともままならない様子でした。 『お母さん、どないしたん。どっか…

  • 第4章 転機 (1-1.挫折)

    2回目のカウンセリングは、最初のカウンセリングから約一カ月後だった。 前回と同じ位置に座った私に、梅木先生は 「あれから何か変ったことがありましたか?」と質問した。 私は「体重が3キロほど減りました。」と答え、 カウンセリングが始まった。 --------------------------------------- 「私は子供の頃、母から【芸は身を助ける】という言葉をよく聞かされてきました。 大工である父を見て育っていることもあり、資格や技術に関心が高かったです。 また、いつの頃からか医学に興味を持ち、得意科目の生物が大好きという理由で、高校卒業後は医療関係の学校へ行って資格を取りたいと思っ…

  • コーヒーブレイク (第3章 両親)

    「子供にお金の話はしない」 「子供にお金の心配または苦労はさせたくない」 と世の多くの親は言う。 そして、仮に親が 「お金が無い」と言っても (いざとなったら、親が何とかしてくれる) と子供はどこかで思っている。 だが、どちらも我が家には当てはまらなかった。 鍵っ子だったこともあり、私は早くからお小遣いを貰っていた。 それは年の割には多かったと思う。 リカちゃん人形・リカちゃんハウス・マンガ・文房具・おやつetc・・・ 欲しいもの、必要なものはすべて小遣いで買い、親にその都度頼む必要がなくなっていた。 このようにしてお金を貯める、計画的に使うことを自然に覚えられた。 買ったものに愛着を持ち、大…

  • 第3章 両親 (4-2.土下座)

    祖父の葬儀が終わった日の夜、自宅で私と母は向き合って座っていました。 すると、おもむろに母が正座をしたかと思うと両手を着いて、『今日はありがとうございました。これからは、お金で迷惑をかけません。』 と言って、土下座をしたのです。 母の予期せぬ言動に、私はびっくりしましたが、(ああ、漸くわかってくれた)と思い、 とても嬉しかったです。 何度も何度も、本当に数え切れないほど繰り返し聞かされてきた母からの反省の言葉。でも、今回は初めて土下座までしている。 祖父の死が、母に浪費を止めることをこれまでになく真剣に決意させたと、心から思ったのでした。 母という人間は、人には厳しいくせに、自分に対しては『超…

  • 第3章 両親 (4-1.土下座)

    私が十九歳の時、母の父親、つまり私の祖父が亡くなりました。 母一人が実家に帰っていて、家には私と父が残っていました。 祖父の葬儀にあたり、香典を用意しなければなりませんが、当然のことながら手元にお金はありません。どうしたものかと相談ばかりしていて、私は祖父の死を悲しむどころではなかったです。 父は弟(叔父)に借金を頼んだのですが、あっさり断られてしまいました。 叔父には今まで、電化製品を月賦で買う時によく保証人になってもらっていたのですが、借金を頼んだことはありませんでした。 当てにしていた叔父に断られて途方に暮れる父に、私は『自分が何とかする』と言っていました。 翌日、いつも通り父を仕事に送…

  • 第3章 両親 (3-2.ペット)

    私は弟のこともあり、(自分は元気でいられるだけ、恵まれている)と無意識に心のどこかで思っていただけでなく、頼りない親を持つことで自分が惨めにならないよう、他人から後ろ指をさされないよう頑張っていました。 その一つが、悩みがあっても、誰かに相談することなく本を読み、自ら考えて答を見つけだすことでした。 高校生の私は、元々勝気で口達者なこともあって、いつの間にか親に頼られるようになっていました。 中学に入学してからずっと制服のカッターシャツにアイロン掛けをしていたのが、『ついでだから』と言われて、母の作業服の上下と三角巾まで毎週末毎にアイロンを掛けさせられていました。 試験前であろうと関係なく、夜…

  • 第3章 両親 (3-1.ペット)

    どうしようもない母でしたが、子供である私はそれでもまだ、母を心底嫌いにはなれませんでした。 機嫌の良い時の母とは、友達のように喫茶店でお茶をしたり、浪費予防のためとはいえ、買い物に付き合ったりと楽しい時間を過ごすこともありました。テレビのドラマも一緒に見ては、感想を言うなど会話もよくしていました。 私が高校一年生の時、いつものように母とドラマを見ていて、中学生が警察に連行されるシーンがあり、『お母さん、もし私がこの子のように、警察にお世話になることがあったらどうする?』と何気なく聞いたことがありました。 空かさず母は『そんなことになったら、あんたとは親子の縁を切る。世間に対して恥ずかしい思いを…

  • 第3章 両親 (2-2.父という人)

    そんな私の唯一の楽しみと言えば、家族で月に一度、給料日に近くの洋食店で外食することでした。 給料が入ったことで、しばらくはお金の心配をしなくても良いという思いと、ハンバーグが食べられるという嬉しさでその時はウキウキでした。 また、その日に限って両親も仲が良く、私にも優しかったことを覚えています。 当然のことながら、両親はお金のことでよく喧嘩をしていました。 母の浪費は本当にどうしようもなく、父にも打つ手がないといった状況でした。 父が生活費を母に渡して残りを自分の小遣いと貯蓄にしていたのですが、当時はATMなど無く、昼間は現場での仕事があるため銀行にも行けない。家にお金を隠すという、いわゆるタ…

  • 第3章 両親 (2-1.父という人)

    大工である父は、仕事熱心で真面目な人でした。 夜は八時には布団に入り、朝は目覚まし無しで、三時頃には必ず起きて、家族全員の洗濯を始めます。作業服の汚れ落ちもあってか、湯沸かし器からお湯を汲んで洗っていました。 分別洗濯などは論外で、何もかも一緒くたでした。洗濯物の仕上がりは、取りあえず汚れは落ちていて一見綺麗なのですが、色物の色が下着に移ってピンク色になっていたり、タオルにおが屑が付いていたりと、後で畳む私は大変でした。 そんな中、私を毎度惨めにしたことは体育用のブルマでした。 ブルマの素材からいって、タオルと一緒に洗うとどうなるか。 白くて細かいプチプチがブルマ全体に付いてしまって、ちょっと…

  • 第3章 両親 (1-2.母という人)

    他にも、母には人の好意を金額の多寡で判断するところがあり嫌いでした。 私に『安物を貰うくらいなら貰わないほうがましだ』と良く言っていたものです。 母の日か何かで『プレゼントをくれるなら指輪がいい』と言われた私は、母が欲しがっていた七宝焼きの指輪を千円に負けて貰ってプレゼントしたことがありました。 このように、自分の欲しい物であれば小学生の子供にでも平気で要求することができる人でした。 何よりも私を悩ませた最大の問題は、欲しいものをどうしても我慢することができないという母の浪費癖でした。 祖母からよく聞かされていた話に、母が若い頃、働いていた洋品店で服を買い過ぎて、給料では足りず家からお金を持っ…

  • 第3章 両親(1-1.母という人)

    子供の頃の母は体が弱かったそうです。鳥、蝶々など飛ぶものを極端に怖がり、私の背後に隠れてはやり過ごしていました。 たぶんそれは、兼業農家だった生家の土間での食事中に、燕のひなが飛んでいたのがトラウマとなっていたと思われます。 また、喜怒哀楽が激しくて、俗に言う【ゲラ】であり【イッーとなる】と言ってヒスを起こし、ドラマを見てはもらい泣きをし、レコードを聴きながら調子外れに歌うといった感じです。 私に対しても、一緒に手を繋いで歌を歌いながら銭湯へ行き、寝付くまで昔話を聞かせてくれることもあれば、ヒステリーを起こしては八つ当たりされて、些細なことで酷く叱られました。 このように、ころころ変わる母の感…

  • コーヒーブレイク (第2章)

    不快に思ったり、傷ついた人がいたならごめんなさい。 「ネグレクト」 「パワハラ(パワーハラスメント)」 「セクハラ(セクシャルハラスメント)」 この頃の私は聞いたことがなかった。 「ワンオペ育児」 「親ガチャ」 「毒親」 まだ、無い言葉。 母からよく言われた言葉 『あんたは、お父さんが橋の下から拾ってきた子なんだよ!』 子供は親(大人)からの何気ない言葉でも真面に受け止め一生懸命に対応している。 大人のように適当にやり過ごしたり、ごまかしたりする方法がわからないから・・・。 そして傷ついている。 その傷は深く、生涯癒されることがないかもしれない。 【あなたは愛され大切にされる人であり、 あなた…

  • 第2章 いっちゃん(4-1.期待)

    学校では良い友達に出会うことができ、現在でも交流が続いています。しかし、弟のこともあり、友達と楽しく過ごしていても、心のどこかで私は(皆に嘘を付いているんだ)という思いが常にありました。 また、できることは何でも自分でさっさと解決するといった態度が、協調性のない子供と評価されるようになっていました。自分でも集団の中で行動することに違和感を覚え、一人でいる方が気楽でした。 そうして気が付けば、読書、少女マンガ、テレビ映画、ラジオの深夜放送に自分の居場所を見つけていました。そこでは、誰に気兼ねすることなく、思う存分に素直な感情を出し、登場人物に共感することで自分自身を勇気付けていたのです。 中学生…

  • 第2章 いっちゃん(4-3.期待)

    中学二年の時、念願のテニススクールに一年間通わせて貰えました。 その日は、レッスンに間に合わず、後で母が来てくれると言うので、初めての場所にひとり不慣れな電車で行くことになり、その途中で痴漢行為をされたのです。 テニスのレッスンが終わり着替えをしていた時のことです。それまで、ジャケットとスカートが汚れていることに、焦っていた私は全く気付いていませんでした。汚れが何なのか直ぐにはわかりませんでしたが、直感でそれが精液だとわかりました。 傍にいた母にもわかっていたと思いますが、見て見ぬ振りをして助けてくれませんでしたから、仕方なく自分で始末しました。 正直、当時の私がどれほどショックを受けていたか…

  • 第2章 いっちゃん(4-2.期待)

    小学校六年生になったばかりの私は、大好きな少女マンガの影響もあって、テニスをやってみたくて仕方がありませんでした。母が某有名私立女子中学校に行けばテニスができるというので、すでに決められていた進学塾に通うことになりました。 ただ一人特進クラスに選ばれた私は国語、算数、理科、社会の四科目をほとんどマンツーマンで勉強していましたが、たまに他の生徒と一緒に勉強することもあり、唯一それが楽しかった。 秋のあるお祭りの日、近くに夜店が並んでいるのを塾から何気なく見ていると、一緒に塾で勉強していて今日休んでいる同級生が、浴衣を着て楽しそうに歩いている姿が目に入ったのです。 その時、(こんなに勉強してまで中…

  • 第2章 いっちゃん(4-1.期待)

    母は世間体を気にする人でした。 俗に言う”見栄っ張り”です。 他人から詮索されるのが嫌ということもあったと思いますが、私は他人から兄弟について訊かれたら『自分は一人っ子だ』と答えるように言い聞かされて育ちました。そして、弟のことは(何も恥ずかしいことではないのに)と、とても悲しい思いをずっと抱き続けて来ました。 母は弟の分も私に期待していたと思います。 そのため、6歳からピアノを習わされました。ある日、家にエレクトーンが現れたかと思いきや、ピアノに突然替わり、個人レッスンに通うことになりました。友達のユカリちゃんのピアノの稽古を見学させられ、『いっちゃんも習わないか』と、絶対に嫌だとは言えない…

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