母の49日忌、納骨の法事も、無事終わった。母の他界は、自分の暮らしの大きな区切りである。中国天津から帰国して、10年以上、このブログを続けてきたが色々と考えた結果、このブログは閉じて、以下のブログに移行することにした。できれば、またどうぞご愛顧を祥風庵
色々あって、広島旅行で取った画像を貼り付けるのを忘れていた。1日目は知人と和食とワインバーで、2日目は、新幹線新山口からの観光バスツアーに参加した。弁天池、センザキッチン、萩城下町、秋吉台を巡って新山口駅に戻るツアーだったのだが、何と秋吉台についたらカメ
今朝、施設にいる母が亡くなった。先々週から不調だったのだが、こんなに早くとは思っていなかった。なので広島にも旅行に行き、昨日深夜、帰京したのだっだ。今日はお昼に妹弟と集まって、今後の動き方を話し合う予定だった。全ては詮無いものとなった。さびしいという気持
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母の49日忌、納骨の法事も、無事終わった。母の他界は、自分の暮らしの大きな区切りである。中国天津から帰国して、10年以上、このブログを続けてきたが色々と考えた結果、このブログは閉じて、以下のブログに移行することにした。できれば、またどうぞご愛顧を祥風庵
色々あって、広島旅行で取った画像を貼り付けるのを忘れていた。1日目は知人と和食とワインバーで、2日目は、新幹線新山口からの観光バスツアーに参加した。弁天池、センザキッチン、萩城下町、秋吉台を巡って新山口駅に戻るツアーだったのだが、何と秋吉台についたらカメ
今朝、施設にいる母が亡くなった。先々週から不調だったのだが、こんなに早くとは思っていなかった。なので広島にも旅行に行き、昨日深夜、帰京したのだっだ。今日はお昼に妹弟と集まって、今後の動き方を話し合う予定だった。全ては詮無いものとなった。さびしいという気持
今日から1泊2日で広島に出掛ける。家の中に居るばかりでは駄目だとチケットを購入したのだが、その後に色々なお誘いなどもあり、結果的に、結構タイトな日程になってしまった。広島には中国天津時代の同級生がいる。最近の自分の茶の湯のことなどについて話がしてみたくな
昨日、今日と落雁作りをやってみた。以前受講した落雁教室のテキストを参考にしながら、色々な味の落雁を試作してみた。なかなかに難しい。落雁は、米粉、砂糖、ほんの少しの水分が基本材料で、これに個別材料が加わる。個別材料とは例えば抹茶などである。落雁の主成分は砂
練り切り作りの講座に参加したのは3年位前のコロナの頃だった。コロナで大寄せの茶会などは行われなくなり、点前の稽古も中断となってしまった。時間を持て余し気味だった時に、毎月一回一年間の練り切り教室が開催されることを知り参加したのだった。最近は、練り切りをお
実家に一泊し、今朝、薬剤散布をした。昨年の夏以来になる。薬剤はオルトランという、椿やさざんかの害虫であるチャドクガ対策の薬である。これにダインという展着剤(薬剤が葉や枝にくっつきやすくする補助剤)を加えて散布した。一昨年は散布をさぼってしまい、雨や猛暑で
済美庵 濃茶席 席主 潮田洋一郎花の間 薄茶席 席主 隨縁斎 千 宗屋雪の間 薄茶席 席主 日本陶磁協会点心席 三友居調製最近は、少し高額な会費の茶会でも、どんどん参加することにしている。参加してみると、会費なりの内容の茶会であることが
ご縁があって、茶事にお誘いを頂くことが多くなった。今月5月は既に2回、来月6月も1回お誘いを頂いている。茶事に重ねてのお誘いを頂けるような客になることが、当初の茶事での自分の目標だったのだが、ある程度、これは出来てきているのかもしれない。最初は、教則本に
最近、気持ちが全く低調で何もする気にならなかった。全てが億劫なのだ。5月初めは地元の会、さらには少し遠出をして茶事に2回参加したのに、全然、ブログの更新をする気にならなかった。向上心がないのだ。茶の湯に対する気持ちが薄れてきたと言っても良い。加齢に伴う体
将棋の十四世名人は木村義雄だった。十五世名人は大山康晴である。二人の名人に『棋は如何に?』と問うと、木村義雄は『棋は心なり』と答え、大山康晴は『棋は人なり』と答えたという話が残っている。まあ、誰かの作り話なのだろうが、二人の将棋感を示して面白い。最近、自
最近、茶道そのものに興味がわかない。ある意味、今の茶道の事を、それなりに経験したからだとも思われる。点前とはどういうものか?流派とか社中とかいうものがどんなものか?を体験したからかもしれない。茶会、茶事に出向いても、ことさら、緊張することはなくなった。今
4月7日の日曜日は、利休古流、利休流の茶会に参加した。初めて体験する流派である。場所は何と、上野東京国立博物館の敷地内にある2つの茶室であった。利休古流の茶室は3畳台目、利休流の茶室は四畳半だったと思う。自分は博物館の裏手に、こんな茶室があることを全く知
久しぶりに、茶会のお手伝いをした。⒈席が大体35名で8席の茶会だった。主として運びをやったのだが、自分は6席目が終わった時点で左足くるぶしの上あたりが吊り始めた。どうしようかと思ったのだが、自己判断で、残り2席は運びは止めることにして、待合へのお客様の誘
献立を教えてもらい、向付けと一緒に、初めて『つぼつぼ』と呼ばれる器で、なますを頂いたことを思い出した。席では、初めて迎える客に供すると話されたような気がする。良く知らなかったので調べてみた。結果をブログアップしておきます。+++++以下、(財)京都埋蔵文化財研
ブログをアップをしてから、ご亭主に、自分のブログに今回の茶事の事を書いた旨を申し上げた。不都合な記述があれば、即、削除しますと申し添えた。備忘録と思ってブログは続けているので、読者を増やすつもりは全くない。しかし面白いと思う方には読んで欲しいとも思うので
折敷の次は、煮物椀そして焼物である。ところが情けないことに、何だったか、どちらもさっぱり記憶にないのだ。ご飯と汁の前に、向付け、強肴でお酒を頂いて良い気持ちになり、緊張感や勉強する気持ちが失われてしまったのだと思われる。最近は、茶事の席に少し慣れてきて、
茶室に入ったらすぐに花入れが見えた。茶室は一畳台目だったので、床は壁床というのだろうか、壁に釘が打ってあるだけである。当然に掛け花入れで、花は、山?野?フジ、椿、貝母だった。花入れは南蛮ちまきとの事だった。初座では軸が普通なので、おかしいなあと思ったが、
席主は女性で米寿とのことだ。茶事の席には全く姿を見せず、最後の最後、お宅を辞す直前に、待合の部屋に来られた。以前は点前をして茶事を楽しんだが、今は茶室を、友人、知人に開放し、色々と指導?することで茶事を楽しまれているようだった。亭主の方のお話では、茶道の
昨日は茶飯釜の茶事に参加させて頂いた。小間とは伺っていたのだが、茶室は何と『一畳台目』だった。炉は向切に切られていて、帰宅して調べたら、向切本勝手と呼ばれる茶室だった。点前中、道具を置く位置が、普通と変わってくる。向切の点前を、自分は初めて拝見することに
今朝、施設にいる母が亡くなった。先々週から不調だったのだが、こんなに早くとは思っていなかった。なので広島にも旅行に行き、昨日深夜、帰京したのだっだ。今日はお昼に妹弟と集まって、今後の動き方を話し合う予定だった。全ては詮無いものとなった。さびしいという気持
今日から1泊2日で広島に出掛ける。家の中に居るばかりでは駄目だとチケットを購入したのだが、その後に色々なお誘いなどもあり、結果的に、結構タイトな日程になってしまった。広島には中国天津時代の同級生がいる。最近の自分の茶の湯のことなどについて話がしてみたくな
昨日、今日と落雁作りをやってみた。以前受講した落雁教室のテキストを参考にしながら、色々な味の落雁を試作してみた。なかなかに難しい。落雁は、米粉、砂糖、ほんの少しの水分が基本材料で、これに個別材料が加わる。個別材料とは例えば抹茶などである。落雁の主成分は砂
練り切り作りの講座に参加したのは3年位前のコロナの頃だった。コロナで大寄せの茶会などは行われなくなり、点前の稽古も中断となってしまった。時間を持て余し気味だった時に、毎月一回一年間の練り切り教室が開催されることを知り参加したのだった。最近は、練り切りをお
実家に一泊し、今朝、薬剤散布をした。昨年の夏以来になる。薬剤はオルトランという、椿やさざんかの害虫であるチャドクガ対策の薬である。これにダインという展着剤(薬剤が葉や枝にくっつきやすくする補助剤)を加えて散布した。一昨年は散布をさぼってしまい、雨や猛暑で
済美庵 濃茶席 席主 潮田洋一郎花の間 薄茶席 席主 隨縁斎 千 宗屋雪の間 薄茶席 席主 日本陶磁協会点心席 三友居調製最近は、少し高額な会費の茶会でも、どんどん参加することにしている。参加してみると、会費なりの内容の茶会であることが
ご縁があって、茶事にお誘いを頂くことが多くなった。今月5月は既に2回、来月6月も1回お誘いを頂いている。茶事に重ねてのお誘いを頂けるような客になることが、当初の茶事での自分の目標だったのだが、ある程度、これは出来てきているのかもしれない。最初は、教則本に
最近、気持ちが全く低調で何もする気にならなかった。全てが億劫なのだ。5月初めは地元の会、さらには少し遠出をして茶事に2回参加したのに、全然、ブログの更新をする気にならなかった。向上心がないのだ。茶の湯に対する気持ちが薄れてきたと言っても良い。加齢に伴う体
将棋の十四世名人は木村義雄だった。十五世名人は大山康晴である。二人の名人に『棋は如何に?』と問うと、木村義雄は『棋は心なり』と答え、大山康晴は『棋は人なり』と答えたという話が残っている。まあ、誰かの作り話なのだろうが、二人の将棋感を示して面白い。最近、自
最近、茶道そのものに興味がわかない。ある意味、今の茶道の事を、それなりに経験したからだとも思われる。点前とはどういうものか?流派とか社中とかいうものがどんなものか?を体験したからかもしれない。茶会、茶事に出向いても、ことさら、緊張することはなくなった。今
4月7日の日曜日は、利休古流、利休流の茶会に参加した。初めて体験する流派である。場所は何と、上野東京国立博物館の敷地内にある2つの茶室であった。利休古流の茶室は3畳台目、利休流の茶室は四畳半だったと思う。自分は博物館の裏手に、こんな茶室があることを全く知
久しぶりに、茶会のお手伝いをした。⒈席が大体35名で8席の茶会だった。主として運びをやったのだが、自分は6席目が終わった時点で左足くるぶしの上あたりが吊り始めた。どうしようかと思ったのだが、自己判断で、残り2席は運びは止めることにして、待合へのお客様の誘
献立を教えてもらい、向付けと一緒に、初めて『つぼつぼ』と呼ばれる器で、なますを頂いたことを思い出した。席では、初めて迎える客に供すると話されたような気がする。良く知らなかったので調べてみた。結果をブログアップしておきます。+++++以下、(財)京都埋蔵文化財研
ブログをアップをしてから、ご亭主に、自分のブログに今回の茶事の事を書いた旨を申し上げた。不都合な記述があれば、即、削除しますと申し添えた。備忘録と思ってブログは続けているので、読者を増やすつもりは全くない。しかし面白いと思う方には読んで欲しいとも思うので
折敷の次は、煮物椀そして焼物である。ところが情けないことに、何だったか、どちらもさっぱり記憶にないのだ。ご飯と汁の前に、向付け、強肴でお酒を頂いて良い気持ちになり、緊張感や勉強する気持ちが失われてしまったのだと思われる。最近は、茶事の席に少し慣れてきて、
茶室に入ったらすぐに花入れが見えた。茶室は一畳台目だったので、床は壁床というのだろうか、壁に釘が打ってあるだけである。当然に掛け花入れで、花は、山?野?フジ、椿、貝母だった。花入れは南蛮ちまきとの事だった。初座では軸が普通なので、おかしいなあと思ったが、
席主は女性で米寿とのことだ。茶事の席には全く姿を見せず、最後の最後、お宅を辞す直前に、待合の部屋に来られた。以前は点前をして茶事を楽しんだが、今は茶室を、友人、知人に開放し、色々と指導?することで茶事を楽しまれているようだった。亭主の方のお話では、茶道の
昨日は茶飯釜の茶事に参加させて頂いた。小間とは伺っていたのだが、茶室は何と『一畳台目』だった。炉は向切に切られていて、帰宅して調べたら、向切本勝手と呼ばれる茶室だった。点前中、道具を置く位置が、普通と変わってくる。向切の点前を、自分は初めて拝見することに
新宿の道場で席を持つから手伝いをと連絡があった。以前から話はあったのだが、本当にお手伝いをすることになるとは思っていなかった。男手の必要な、道具の運び込み運び出しと水屋と思っていたら、運びもせよとのことである。天津時代に、特別講師で日本から来られて、自分
やっと確定申告書の作成が終わり郵送した。念のため特定記録で送る事にしている。毎年、施設にいる母の分も作成している。医療費の領収書を整理し総額をエクセルで計算して、医療費控除額を算出するのだが、手間の割には、控除額は微々たるものである。出来上ってしまえば、