母の49日忌、納骨の法事も、無事終わった。母の他界は、自分の暮らしの大きな区切りである。中国天津から帰国して、10年以上、このブログを続けてきたが色々と考えた結果、このブログは閉じて、以下のブログに移行することにした。できれば、またどうぞご愛顧を祥風庵
先週水曜日は大炉の茶事だった。関西稽古から戻った次の日で、稽古後の下半身の疲れがとても不安だった。足がつるのではと思ったのである。大炉での点前は逆勝手と教則本にある。炉縁は生地、炉壇は鼠色が約束との記述があった。大炉は約束通りであった。今回、皆さんの会話
先週前半は関西で春節稽古だった。自分の前には香港から生徒さんが来日し、稽古をしていったとの事だった。久しぶりの稽古だったのだが、コロナ前とははっきりと感じが変わった。先生の茶室で稽古する人、したいという人が、急に増えたのだ。これらの人達は口伝の点前を教え
大炉の茶事が終わったら、今度は茶飯釜の茶事の案内状が届いた。昨日は大炉の茶事の後礼(状)、茶飯釜の茶事の受け状を書いた。一日に毛筆で二つの手紙を書いたのは初めての経験である。大炉の茶事の受け状を書く時は、筆が震えて全く駄目で書けなかったのだが、その後練習
大炉の茶事の連客から、皐月の茶会のお誘いを頂いた。4年前に初めて茶事に誘って頂いた席のご亭主でもある。その後、色々とお付合いをさせて頂き、自分は得難い経験を、本当に沢山させて頂いた。最近は、茶事、茶会に同席した方から、お誘いを受けることが多くなった。友が友
茶の湯セミナー、学会例会、大阪稽古、大炉の茶事が連続することになった。一週間毎日、茶の湯のイベントが続いたことになる。茶事が終わって帰宅したら、くたびれ果ててしまった。現役のサラリーマン時代なら、全く楽々の一週間だったのだが、退職10年以上経過した今は、
3月弥生の茶事のお誘いを頂いた。昨年同席した連客の方からのお誘いである。茶事のご亭主から再度のお誘いを頂くこと、ご連客から新たなお誘いを頂くことは、自分にとって最大の喜びである。茶事の客として、及第点を頂いたように感じるからである。特に、ご連客からお誘い
まだ、おへその下あたりに痛みを感じるが、動くことが苦にならなくなった。散らかしっぱなしだったゴミを集めたり、少し部屋の片づけをした。朝は今日も白湯だけにしたが、動き出すと、今まで感じなかった空腹感がでてきた。痛みは感じるのだが食べたいという気持ちがでてき
今朝、起きても痛みはなくならなかった。月曜日は母の施設に面会に行く日なのだが、妹に連絡して替わってもらった。今週末からイベントが続き、来週初めからは関西に出向くので、何とか、体調を整えておきたかったのである。今日も朝、昼は固形物は一切食べず白湯。夕方、お
暴飲暴食のためだろう、腹痛になった。おへその下やや左に痛みがある。最近、また書道に関心が戻ってきていて、朝、目が覚めたら、すぐに筆ペンで、いろは47文字を、数回書いて練習していた。しかし今朝、目が覚めたらお腹がひどく痛く、全くそんな気になれない。ここまで
お誘いを頂いた茶事の受け状を、昨日やっと送付した。仮の受け状をだしてから、約一週間なので、案内状を頂いてから、約二週間もかかってしまったことになる。一時期は筆ペンで練習をしていたのだが、いつの間にか、さっぱりやらなくなってしまった。久しぶりに筆を持つとひ
中国は春節のシーズンになった。中国の正月休みは日本の旧正月の時期で、2月頃になる。春節休みになったので香港の生徒さんが来日し、先生の茶室で稽古をすることになった。ついでではないが、自分も稽古をとの事だ。2月は既に色々と予定があり、日程が立て込んでいたが、何
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母の49日忌、納骨の法事も、無事終わった。母の他界は、自分の暮らしの大きな区切りである。中国天津から帰国して、10年以上、このブログを続けてきたが色々と考えた結果、このブログは閉じて、以下のブログに移行することにした。できれば、またどうぞご愛顧を祥風庵
色々あって、広島旅行で取った画像を貼り付けるのを忘れていた。1日目は知人と和食とワインバーで、2日目は、新幹線新山口からの観光バスツアーに参加した。弁天池、センザキッチン、萩城下町、秋吉台を巡って新山口駅に戻るツアーだったのだが、何と秋吉台についたらカメ
今朝、施設にいる母が亡くなった。先々週から不調だったのだが、こんなに早くとは思っていなかった。なので広島にも旅行に行き、昨日深夜、帰京したのだっだ。今日はお昼に妹弟と集まって、今後の動き方を話し合う予定だった。全ては詮無いものとなった。さびしいという気持
今日から1泊2日で広島に出掛ける。家の中に居るばかりでは駄目だとチケットを購入したのだが、その後に色々なお誘いなどもあり、結果的に、結構タイトな日程になってしまった。広島には中国天津時代の同級生がいる。最近の自分の茶の湯のことなどについて話がしてみたくな
昨日、今日と落雁作りをやってみた。以前受講した落雁教室のテキストを参考にしながら、色々な味の落雁を試作してみた。なかなかに難しい。落雁は、米粉、砂糖、ほんの少しの水分が基本材料で、これに個別材料が加わる。個別材料とは例えば抹茶などである。落雁の主成分は砂
練り切り作りの講座に参加したのは3年位前のコロナの頃だった。コロナで大寄せの茶会などは行われなくなり、点前の稽古も中断となってしまった。時間を持て余し気味だった時に、毎月一回一年間の練り切り教室が開催されることを知り参加したのだった。最近は、練り切りをお
実家に一泊し、今朝、薬剤散布をした。昨年の夏以来になる。薬剤はオルトランという、椿やさざんかの害虫であるチャドクガ対策の薬である。これにダインという展着剤(薬剤が葉や枝にくっつきやすくする補助剤)を加えて散布した。一昨年は散布をさぼってしまい、雨や猛暑で
済美庵 濃茶席 席主 潮田洋一郎花の間 薄茶席 席主 隨縁斎 千 宗屋雪の間 薄茶席 席主 日本陶磁協会点心席 三友居調製最近は、少し高額な会費の茶会でも、どんどん参加することにしている。参加してみると、会費なりの内容の茶会であることが
ご縁があって、茶事にお誘いを頂くことが多くなった。今月5月は既に2回、来月6月も1回お誘いを頂いている。茶事に重ねてのお誘いを頂けるような客になることが、当初の茶事での自分の目標だったのだが、ある程度、これは出来てきているのかもしれない。最初は、教則本に
最近、気持ちが全く低調で何もする気にならなかった。全てが億劫なのだ。5月初めは地元の会、さらには少し遠出をして茶事に2回参加したのに、全然、ブログの更新をする気にならなかった。向上心がないのだ。茶の湯に対する気持ちが薄れてきたと言っても良い。加齢に伴う体
将棋の十四世名人は木村義雄だった。十五世名人は大山康晴である。二人の名人に『棋は如何に?』と問うと、木村義雄は『棋は心なり』と答え、大山康晴は『棋は人なり』と答えたという話が残っている。まあ、誰かの作り話なのだろうが、二人の将棋感を示して面白い。最近、自
最近、茶道そのものに興味がわかない。ある意味、今の茶道の事を、それなりに経験したからだとも思われる。点前とはどういうものか?流派とか社中とかいうものがどんなものか?を体験したからかもしれない。茶会、茶事に出向いても、ことさら、緊張することはなくなった。今
4月7日の日曜日は、利休古流、利休流の茶会に参加した。初めて体験する流派である。場所は何と、上野東京国立博物館の敷地内にある2つの茶室であった。利休古流の茶室は3畳台目、利休流の茶室は四畳半だったと思う。自分は博物館の裏手に、こんな茶室があることを全く知
久しぶりに、茶会のお手伝いをした。⒈席が大体35名で8席の茶会だった。主として運びをやったのだが、自分は6席目が終わった時点で左足くるぶしの上あたりが吊り始めた。どうしようかと思ったのだが、自己判断で、残り2席は運びは止めることにして、待合へのお客様の誘
献立を教えてもらい、向付けと一緒に、初めて『つぼつぼ』と呼ばれる器で、なますを頂いたことを思い出した。席では、初めて迎える客に供すると話されたような気がする。良く知らなかったので調べてみた。結果をブログアップしておきます。+++++以下、(財)京都埋蔵文化財研
ブログをアップをしてから、ご亭主に、自分のブログに今回の茶事の事を書いた旨を申し上げた。不都合な記述があれば、即、削除しますと申し添えた。備忘録と思ってブログは続けているので、読者を増やすつもりは全くない。しかし面白いと思う方には読んで欲しいとも思うので
折敷の次は、煮物椀そして焼物である。ところが情けないことに、何だったか、どちらもさっぱり記憶にないのだ。ご飯と汁の前に、向付け、強肴でお酒を頂いて良い気持ちになり、緊張感や勉強する気持ちが失われてしまったのだと思われる。最近は、茶事の席に少し慣れてきて、
茶室に入ったらすぐに花入れが見えた。茶室は一畳台目だったので、床は壁床というのだろうか、壁に釘が打ってあるだけである。当然に掛け花入れで、花は、山?野?フジ、椿、貝母だった。花入れは南蛮ちまきとの事だった。初座では軸が普通なので、おかしいなあと思ったが、
席主は女性で米寿とのことだ。茶事の席には全く姿を見せず、最後の最後、お宅を辞す直前に、待合の部屋に来られた。以前は点前をして茶事を楽しんだが、今は茶室を、友人、知人に開放し、色々と指導?することで茶事を楽しまれているようだった。亭主の方のお話では、茶道の
昨日は茶飯釜の茶事に参加させて頂いた。小間とは伺っていたのだが、茶室は何と『一畳台目』だった。炉は向切に切られていて、帰宅して調べたら、向切本勝手と呼ばれる茶室だった。点前中、道具を置く位置が、普通と変わってくる。向切の点前を、自分は初めて拝見することに
今朝、施設にいる母が亡くなった。先々週から不調だったのだが、こんなに早くとは思っていなかった。なので広島にも旅行に行き、昨日深夜、帰京したのだっだ。今日はお昼に妹弟と集まって、今後の動き方を話し合う予定だった。全ては詮無いものとなった。さびしいという気持
今日から1泊2日で広島に出掛ける。家の中に居るばかりでは駄目だとチケットを購入したのだが、その後に色々なお誘いなどもあり、結果的に、結構タイトな日程になってしまった。広島には中国天津時代の同級生がいる。最近の自分の茶の湯のことなどについて話がしてみたくな
昨日、今日と落雁作りをやってみた。以前受講した落雁教室のテキストを参考にしながら、色々な味の落雁を試作してみた。なかなかに難しい。落雁は、米粉、砂糖、ほんの少しの水分が基本材料で、これに個別材料が加わる。個別材料とは例えば抹茶などである。落雁の主成分は砂
練り切り作りの講座に参加したのは3年位前のコロナの頃だった。コロナで大寄せの茶会などは行われなくなり、点前の稽古も中断となってしまった。時間を持て余し気味だった時に、毎月一回一年間の練り切り教室が開催されることを知り参加したのだった。最近は、練り切りをお
実家に一泊し、今朝、薬剤散布をした。昨年の夏以来になる。薬剤はオルトランという、椿やさざんかの害虫であるチャドクガ対策の薬である。これにダインという展着剤(薬剤が葉や枝にくっつきやすくする補助剤)を加えて散布した。一昨年は散布をさぼってしまい、雨や猛暑で
済美庵 濃茶席 席主 潮田洋一郎花の間 薄茶席 席主 隨縁斎 千 宗屋雪の間 薄茶席 席主 日本陶磁協会点心席 三友居調製最近は、少し高額な会費の茶会でも、どんどん参加することにしている。参加してみると、会費なりの内容の茶会であることが
ご縁があって、茶事にお誘いを頂くことが多くなった。今月5月は既に2回、来月6月も1回お誘いを頂いている。茶事に重ねてのお誘いを頂けるような客になることが、当初の茶事での自分の目標だったのだが、ある程度、これは出来てきているのかもしれない。最初は、教則本に
最近、気持ちが全く低調で何もする気にならなかった。全てが億劫なのだ。5月初めは地元の会、さらには少し遠出をして茶事に2回参加したのに、全然、ブログの更新をする気にならなかった。向上心がないのだ。茶の湯に対する気持ちが薄れてきたと言っても良い。加齢に伴う体
将棋の十四世名人は木村義雄だった。十五世名人は大山康晴である。二人の名人に『棋は如何に?』と問うと、木村義雄は『棋は心なり』と答え、大山康晴は『棋は人なり』と答えたという話が残っている。まあ、誰かの作り話なのだろうが、二人の将棋感を示して面白い。最近、自
最近、茶道そのものに興味がわかない。ある意味、今の茶道の事を、それなりに経験したからだとも思われる。点前とはどういうものか?流派とか社中とかいうものがどんなものか?を体験したからかもしれない。茶会、茶事に出向いても、ことさら、緊張することはなくなった。今
4月7日の日曜日は、利休古流、利休流の茶会に参加した。初めて体験する流派である。場所は何と、上野東京国立博物館の敷地内にある2つの茶室であった。利休古流の茶室は3畳台目、利休流の茶室は四畳半だったと思う。自分は博物館の裏手に、こんな茶室があることを全く知
久しぶりに、茶会のお手伝いをした。⒈席が大体35名で8席の茶会だった。主として運びをやったのだが、自分は6席目が終わった時点で左足くるぶしの上あたりが吊り始めた。どうしようかと思ったのだが、自己判断で、残り2席は運びは止めることにして、待合へのお客様の誘
献立を教えてもらい、向付けと一緒に、初めて『つぼつぼ』と呼ばれる器で、なますを頂いたことを思い出した。席では、初めて迎える客に供すると話されたような気がする。良く知らなかったので調べてみた。結果をブログアップしておきます。+++++以下、(財)京都埋蔵文化財研
ブログをアップをしてから、ご亭主に、自分のブログに今回の茶事の事を書いた旨を申し上げた。不都合な記述があれば、即、削除しますと申し添えた。備忘録と思ってブログは続けているので、読者を増やすつもりは全くない。しかし面白いと思う方には読んで欲しいとも思うので
折敷の次は、煮物椀そして焼物である。ところが情けないことに、何だったか、どちらもさっぱり記憶にないのだ。ご飯と汁の前に、向付け、強肴でお酒を頂いて良い気持ちになり、緊張感や勉強する気持ちが失われてしまったのだと思われる。最近は、茶事の席に少し慣れてきて、
茶室に入ったらすぐに花入れが見えた。茶室は一畳台目だったので、床は壁床というのだろうか、壁に釘が打ってあるだけである。当然に掛け花入れで、花は、山?野?フジ、椿、貝母だった。花入れは南蛮ちまきとの事だった。初座では軸が普通なので、おかしいなあと思ったが、
席主は女性で米寿とのことだ。茶事の席には全く姿を見せず、最後の最後、お宅を辞す直前に、待合の部屋に来られた。以前は点前をして茶事を楽しんだが、今は茶室を、友人、知人に開放し、色々と指導?することで茶事を楽しまれているようだった。亭主の方のお話では、茶道の
昨日は茶飯釜の茶事に参加させて頂いた。小間とは伺っていたのだが、茶室は何と『一畳台目』だった。炉は向切に切られていて、帰宅して調べたら、向切本勝手と呼ばれる茶室だった。点前中、道具を置く位置が、普通と変わってくる。向切の点前を、自分は初めて拝見することに
新宿の道場で席を持つから手伝いをと連絡があった。以前から話はあったのだが、本当にお手伝いをすることになるとは思っていなかった。男手の必要な、道具の運び込み運び出しと水屋と思っていたら、運びもせよとのことである。天津時代に、特別講師で日本から来られて、自分
やっと確定申告書の作成が終わり郵送した。念のため特定記録で送る事にしている。毎年、施設にいる母の分も作成している。医療費の領収書を整理し総額をエクセルで計算して、医療費控除額を算出するのだが、手間の割には、控除額は微々たるものである。出来上ってしまえば、