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古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

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2023/01/24

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  • 更級日記東京の道⑧ 明治大西側遺跡 、江戸城

    ここで、少しお茶の水界隈に戻る。 東京医科歯科大には貝塚遺跡があり、前回述べたように一ツ橋2丁目には複合遺跡がある。 現明大通りより西に古代の道があったとするなら、そのあたりに何らかの痕跡があってもおかしくない。ないのだろうか。 そう思っていたところ次の書籍で明治大西側遺跡なる文言を見つけた(遺跡地図3)。 日本の古代遺跡 32 東京23区 坂詰秀一 昭和62年 保育社 しかし、他に書いている書物は見当たらない。なぜだろう。 そうだ、せっかく御茶水を歩くのだから本家本元、明大博物館に行って聞いてみようと立ち寄ることにした。 昼だったので担当の古代史学芸員を待つことに。 戻ったので早速聞いてみる…

  • 更級日記東京の道⑦ 皇居 — 平川門から東御苑 —

    高台の平坦地、それでいて水辺からほど近いところには遺跡が多い。 土地について人が求めるところは昔も今も変わらないようだ。 一ツ橋2丁目遺跡から見てかつての日比谷入江の対岸にあたる台地上(北の丸)には国立近 代美術館遺跡があり(下の写真)、皇居内には旧本丸西貝塚遺跡ほかがある。 京へ向かう過程で平川の微高地から麹町台地(まだお城はない)を上がり、現東御苑相当 箇所に入るのは地形的に自然の流れだろう。 平川門を入って直ぐ書陵部に進む手前に梅林坂がありその説明板になんと「この地に最 初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたことか ら梅林坂の名がついた」とあった。 太田…

  • 更級日記東京の道⑥ 発掘調査報告書「(東京都千代田区)一ツ橋二丁目遺跡」について

    この報告書は論述内容、図版、写真、まとめの表のほか、紙質・印刷等も含め大変に充実したものであり、一部の人にしか知られていないのはもったいない。 幸い、古書店から原本を取得できたのでごく一部であるが紹介させていただく。 <例言> 旧一ツ橋講堂跡地(千代田区一ツ橋二丁目1番地)に建設される学術総合情報センター建設に伴う事前調査に関する報告書である。 発掘調査についての費用は文部省、整理調査から報告書刊行までの費用負担は学術総合情報センターが負担。 発掘調査は文部省、学術総合情報センター、千代田区教育委員会の三者協定に基づき設立した「遺跡調査会」が、調査実務は「遺跡調査団」が行っている。 発掘調査は…

  • 更級日記東京の道⑤ 神田小川町→神保町→錦町→一ツ橋2丁目遺跡へ

    錦華公園・お茶の水小と明大図書館の間の細い錦華坂Eをまっすぐ南下すると(建物を度外視)、三井住友銀行Cにぶつかる(神田小川町3丁目)。 ここら辺、昔々はどんな道路付だったのか不思議な三角形のゾーンだ。靖国通り甲に向かって立つ銀行Cの東側丙は富士見坂、西側乙は錦華通り。三叉路あるいは4叉差路ということになる。 銀行Cから南の靖国通りを見るとこうなる。 銀行の正面は三省堂(現在工事中)とその前に立つ低層の古書店であり、狭い道を挟んで右(西)に書泉グランデのある一角が続く(神田神保町)。 皇居方面への方角からすると玉英堂書店脇の細い道が直線性に富む。 しかしこの先、行く手はまもなく巨大な神保町三井ビ…

  • 東京の道④ 神田駿河台2丁目から駿河台下へ

    もういちど、神田山の裾野、駿河台下までを見てみよう。 神田山の尾根=標高の高いところをイメージしながら歩くとすると、今現在では254号(春日通)以南のルートはこうなるだろう。 文京区立本郷台中(東側の一方通行)→本郷給水所公苑・水道歴史館(東側の一方通行)→順天堂大と病院としての順天堂医院の間の道路をまたぐ連絡廊下→外堀通り(順天堂大前という信号名が付されている交差点の一つ西側)。 教育施設箇所まで足を延ばすことはないのが一般だろうけど途中の道を含めて落ち着いた静かないい道だ。 神田川を越えるとJR総武・中央線。 その先は日新火災の大きなビル(両脇は東がお茶の水美術学院、西が東京医科歯科大の研…

  • 東京の道③ 本郷通り3丁目から神田方面に

    本郷通に入って皇居方面に向かうとしても順天堂大の先で神田川が掘削されていて、橋もないから直進できない。 川に沿って左折し、東京医科歯科大(お茶の水貝塚の遺跡あり)前の御茶の水橋を渡るしかない。 しかしその道(駿河台下交差点に至る明大通り)は最早尾根道とは言えない。神田山が掘削される前は当然ながら尾根道をまっすぐ南下したはずだ。 神田川の南側には千年前の神田山の連続した地形の残存がみられるはずだ。 御茶ノ水駅交番脇の「かえで通り」に入ればわかりやすい。これは交番前の地図。 かえで通りは昔から美術、音楽関係の店舗・施設があり雰囲気のよい道だ。 後で出てくる公立学校共済組合本部は東京芸大付属高校跡地…

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