曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
七十路を控え 人生で触れられたこと 祖師の魂を継ぐhttp://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/龍樹庵の鐘(雅春先生講話)https://ryujuan.sakura.ne.jp/徳久克己講師http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/大
この「頌」だけを読んだだけの人には「流れを入す」といふのは、何の流れをかへすのか、何故「入る」といふ字を「かへす」と読むのか判らないので色々憶測を逞しうしてみる人も多いと思うのであるが、“流れ”といふの
「爾の時に觀世音菩薩は、即ち座より起ちて佛足を頂禮して佛に對へて言く、世尊、我れ昔、無數恒河沙劫を憶念するに、その時に佛ましまして世に出現したまふ。觀世音と名づく。我れ彼の佛に於て菩提心を發す。彼の佛
【頌】頌に云く。虚堂の雨滴聲。作者酬對し難し。若し曾て流れを入すと謂はば、依然として還って不會。南山北山轉たばうはい。◁【解釈】虚堂といふのは、空っぽのお堂である。そこに雨の滴る音がするといふのである
生長の家の聖経『眞理の吟唱』には、「觀世音とは世の中の一切衆生の心の音を觀じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまふ『觀自在の原理』であり、『大慈悲』である。三十三身に身を変じてわ
かうして鏡清禪師が僧に對して“顚倒の人間”について説法すると、その僧は、「和尚作麼生」(和尚さん、あんた偉さうにいふが、あんた自身はどうなんですか)と問ひかけて来た。そこで鏡清は、「△ど己に迷はず」(ま
「己に迷ふ」といふのは自己の心性が如何なるものであるかといふ“實相”の正しい自覚が確立していないことをいふのである。人間の心性は、宇宙大生命の心性が假に「個心」としてあらはれているので、自分の心に描くも
それなのに、衆生は、自分の心が迷ふて、ものを逆まに考へる。自分の心を“鬼”にして他の人をいぢめたり、もっと金を出さないと國民の足をもっと停めて苦しめて國家にも大損害を與へてやるぞと恐喝して交通ゼネストを
ところで、鏡清禪師が、「何か門外でかすかな音がするが……」といはれた時に、「あれは雨滴の音です」と答へた僧は、雨煙る山腹にある古刹に瀟々として降る雨の幽寂を心に浮かべながら答へたのかも知れないが、さうで
鏡清禪師が座下の一僧に向って「門の外で何やら静かな聲がするが、あれは何の聲だらう」と訊かれたのは、その僧の内に眠っていて将に目醒めようとしている佛性を外に引き出すつもりで、外から聖胎の卵殻を啄かれた譯
【解釋】鏡清といふのは人名で、雪峰義存お法嗣で、雲門禪師とは兄弟弟子である。常に「啐啄同時に機」を大切にせよと教へられたといふことである。ちゃうど其の時、戸外に雨が降っていたので、その音が誰にも聞こえ
やがて彼は完全に健康を回復した。当時、日本の関東軍が満州に駐屯して勢力を揮っていた時代で、健康回復と共に軍に招集されて、関東軍の一兵卒として現地に駐屯し、満州のきびしい気候の変化にも耐へ、三年間の軍務
「ああ、切除しないでよかった!」とわたしは言った。「あなたは神に癒されつつあるのです」「だって先生、腎臓のところが始終痛むのです。今もキリキリ、チクチク痛んでいるのです」と星軍治君は言った。「それは良
さて、この片言隻の指導で相手が悟をひらいて救はれるといふ實例は随分生長の家ではある事である。戦前、まだ樺太が日本の領土であった時に、その敷香町に星軍治といふ人があった。腎臓が悪くて血尿が出るのである。
「聲色推裏(しょうしきたいり)に坐し」といふのは、色聲香味觸(しきしゃうこうみそく)の五官の對象となる現象界の事物が堆(うづたか)く積もっている裡(うち)に坐っていながらといふことである。しかも、その色聲香味
“縛”といふのは煩悩のことでもあり、悪とか病とかが實在すると考へる“迷”のことでもある。“粘”といふのは、本来ない“肉體”や“物質”を在りと思って官能の樂しみに幸福ありと思ひ惑ひ、あるいは物質を多く持てば幸福に
だから、叩いてくれるほど親しみの感情が湧いて来て相手に愛情を感ずる。それだから大衆を指導する師家ともなれば、「一槌にして便ち成る」一つ槌をカチンと叩くだけで「成る」即ち相手を成佛せしめるほどの“悟の力
集っている大衆一同に“偈(げ)”をもって宣言するときや、重要な儀式の時にその小槌で臺の小口をカチリと叩く音が契機となって大衆のうちの誰かが悟る。それは香嚴和尚が無我になって境内を箒で掃除していたときに、一
第四十六則 鏡清雨滴聲 390頁【垂示】垂示に云く。一槌に便ち成ず、凡を超え聖を越ゆ。片言にして折む可し、縛を去り、粘を解く。泳凌上に行き、劔刃上に走るが如し。聲色堆裏に坐し、聲色頭上に行く。縦横妙
この老古錐・趙州和尚はさすがにさすがである。問いに答へられないで、卑怯にも「敢て他を言ふ」如く見えたけれども、趙州が答へた“布衫の重さ”の本當の意味をさとる者が幾人あるだらうかと“頌”は言ふのである。「如
歴史の闇に光を…旧い心の友をご紹介https://miko.org/.../furu/text/dainihonsi/dainihon.htm...あの若かりし頃知らず、共に幕末期の大著復刻作業に勤しんだもの。軈て小生は膨大な情報量故に、恥ずかしながら筆を置
これは本當は“敢えて他を言った”のではなく、萬象生成の本源は、青州なる州名を以て象徴する蒼空の“空”であって、“空”の中に“創造の原點”がある、その“創造の原點”は各人の“我”であって、“一切萬事我より出でて我に
【頌】頌に云く。編辟曾て挨す、老古錐。七斤衫重し幾人か知る。如今抛擲(ほうてき)す西湖の裏。下載の清風誰にか附興せん。【解釈】“編辟”の編は“編物”の“あむ”といふことである。その頃は毛絲の編物などはないので
知性のある人間は、なんでも、「これは何處から生じたのか」とその原因を遡って探ねたがるのである。そしてその原因がわかると、「その原因になっているものは何處から生じたのか」と、原因のそのまた因を探ねたくな
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの