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「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。

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2022/11/21

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  • 七十路を控え

    七十路を控え 人生で触れられたこと 祖師の魂を継ぐhttp://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/龍樹庵の鐘(雅春先生講話)https://ryujuan.sakura.ne.jp/徳久克己講師http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/大

  • ヨガの教え

    この「頌」だけを読んだだけの人には「流れを入す」といふのは、何の流れをかへすのか、何故「入る」といふ字を「かへす」と読むのか判らないので色々憶測を逞しうしてみる人も多いと思うのであるが、“流れ”といふの

  • 此のような例もございます

    「爾の時に觀世音菩薩は、即ち座より起ちて佛足を頂禮して佛に對へて言く、世尊、我れ昔、無數恒河沙劫を憶念するに、その時に佛ましまして世に出現したまふ。觀世音と名づく。我れ彼の佛に於て菩提心を發す。彼の佛

  • 法身如来の説法である

    【頌】頌に云く。虚堂の雨滴聲。作者酬對し難し。若し曾て流れを入すと謂はば、依然として還って不會。南山北山轉たばうはい。◁【解釈】虚堂といふのは、空っぽのお堂である。そこに雨の滴る音がするといふのである

  • 三十三身に身を変じ

    生長の家の聖経『眞理の吟唱』には、「觀世音とは世の中の一切衆生の心の音を觀じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまふ『觀自在の原理』であり、『大慈悲』である。三十三身に身を変じてわ

  • 心に耳あらば

    かうして鏡清禪師が僧に對して“顚倒の人間”について説法すると、その僧は、「和尚作麼生」(和尚さん、あんた偉さうにいふが、あんた自身はどうなんですか)と問ひかけて来た。そこで鏡清は、「△ど己に迷はず」(ま

  • 今後も再び三たび

    「己に迷ふ」といふのは自己の心性が如何なるものであるかといふ“實相”の正しい自覚が確立していないことをいふのである。人間の心性は、宇宙大生命の心性が假に「個心」としてあらはれているので、自分の心に描くも

  • 押し付け憲法

    それなのに、衆生は、自分の心が迷ふて、ものを逆まに考へる。自分の心を“鬼”にして他の人をいぢめたり、もっと金を出さないと國民の足をもっと停めて苦しめて國家にも大損害を與へてやるぞと恐喝して交通ゼネストを

  • 靈的理念の具象化

    ところで、鏡清禪師が、「何か門外でかすかな音がするが……」といはれた時に、「あれは雨滴の音です」と答へた僧は、雨煙る山腹にある古刹に瀟々として降る雨の幽寂を心に浮かべながら答へたのかも知れないが、さうで

  • 古池や…

    鏡清禪師が座下の一僧に向って「門の外で何やら静かな聲がするが、あれは何の聲だらう」と訊かれたのは、その僧の内に眠っていて将に目醒めようとしている佛性を外に引き出すつもりで、外から聖胎の卵殻を啄かれた譯

  • 「内からなる催し」

    【解釋】鏡清といふのは人名で、雪峰義存お法嗣で、雲門禪師とは兄弟弟子である。常に「啐啄同時に機」を大切にせよと教へられたといふことである。ちゃうど其の時、戸外に雨が降っていたので、その音が誰にも聞こえ

  • 人の生き方は大切です。

    やがて彼は完全に健康を回復した。当時、日本の関東軍が満州に駐屯して勢力を揮っていた時代で、健康回復と共に軍に招集されて、関東軍の一兵卒として現地に駐屯し、満州のきびしい気候の変化にも耐へ、三年間の軍務

  • あなたに宿る“神の生命”が、

    「ああ、切除しないでよかった!」とわたしは言った。「あなたは神に癒されつつあるのです」「だって先生、腎臓のところが始終痛むのです。今もキリキリ、チクチク痛んでいるのです」と星軍治君は言った。「それは良

  • 進退両難

    さて、この片言隻の指導で相手が悟をひらいて救はれるといふ實例は随分生長の家ではある事である。戦前、まだ樺太が日本の領土であった時に、その敷香町に星軍治といふ人があった。腎臓が悪くて血尿が出るのである。

  • 一般常識では

    「聲色推裏(しょうしきたいり)に坐し」といふのは、色聲香味觸(しきしゃうこうみそく)の五官の對象となる現象界の事物が堆(うづたか)く積もっている裡(うち)に坐っていながらといふことである。しかも、その色聲香味

  • ネットのトラブル解決した様です

    “縛”といふのは煩悩のことでもあり、悪とか病とかが實在すると考へる“迷”のことでもある。“粘”といふのは、本来ない“肉體”や“物質”を在りと思って官能の樂しみに幸福ありと思ひ惑ひ、あるいは物質を多く持てば幸福に

  • 耳が痛い

    だから、叩いてくれるほど親しみの感情が湧いて来て相手に愛情を感ずる。それだから大衆を指導する師家ともなれば、「一槌にして便ち成る」一つ槌をカチンと叩くだけで「成る」即ち相手を成佛せしめるほどの“悟の力

  • そんな感じがいたしました。

    集っている大衆一同に“偈(げ)”をもって宣言するときや、重要な儀式の時にその小槌で臺の小口をカチリと叩く音が契機となって大衆のうちの誰かが悟る。それは香嚴和尚が無我になって境内を箒で掃除していたときに、一

  • 我々の想像しうる

    第四十六則 鏡清雨滴聲 390頁【垂示】垂示に云く。一槌に便ち成ず、凡を超え聖を越ゆ。片言にして折む可し、縛を去り、粘を解く。泳凌上に行き、劔刃上に走るが如し。聲色堆裏に坐し、聲色頭上に行く。縦横妙

  • 視点を変えれば

    この老古錐・趙州和尚はさすがにさすがである。問いに答へられないで、卑怯にも「敢て他を言ふ」如く見えたけれども、趙州が答へた“布衫の重さ”の本當の意味をさとる者が幾人あるだらうかと“頌”は言ふのである。「如

  • 敬服頻り

    歴史の闇に光を…旧い心の友をご紹介https://miko.org/.../furu/text/dainihonsi/dainihon.htm...あの若かりし頃知らず、共に幕末期の大著復刻作業に勤しんだもの。軈て小生は膨大な情報量故に、恥ずかしながら筆を置

  • “運命が重い”

    これは本當は“敢えて他を言った”のではなく、萬象生成の本源は、青州なる州名を以て象徴する蒼空の“空”であって、“空”の中に“創造の原點”がある、その“創造の原點”は各人の“我”であって、“一切萬事我より出でて我に

  • その重いこと、

    【頌】頌に云く。編辟曾て挨す、老古錐。七斤衫重し幾人か知る。如今抛擲(ほうてき)す西湖の裏。下載の清風誰にか附興せん。【解釈】“編辟”の編は“編物”の“あむ”といふことである。その頃は毛絲の編物などはないので

  • それみづから在るものである

    知性のある人間は、なんでも、「これは何處から生じたのか」とその原因を遡って探ねたがるのである。そしてその原因がわかると、「その原因になっているものは何處から生じたのか」と、原因のそのまた因を探ねたくな

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