曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
すると王太傅が、「既に是れ俸爐神、什麼としてか茶銚を飜却す」といったのは「人體にそれを支へている内在の“佛性”といふものがあるなら、何故人間は迷ったりするのか。それからまた、何故病気に罹ったりするのであ
“引っくり返った土瓶”といふのは“人間の壊れやすい肉體”のことなのである。既に王太傅が「茶爐下是れ什麼ぞ」と問うた時、「この人體といふ物質の奥に肉體の底に一體何があるのか」と問うたのである。その問の眞意を
朗上座はそれに答へて、「はい俸爐神でございます」といった。支那では真鍮か青銅でつくった湯沸かしの火鉢の構造の底に、それを支える脚がついていて、その脚が鬼神の形をして鬼神が火鉢を捧げているやうな格好に鋳
ところが朗上座が明招にお茶を進めようとして、「茶銚を飜却した」すなはち茶を注がうと土瓶を持ち上げようとする途端に土瓶をひっくり返したわけである。恐らく茶をわかしていた茶爐が灰カグラをあげたことだらう。
“五燈會元”第七の長慶章には、王知事が長慶禪師を泉州招慶寺に招請したことを、「天祐三年泉州の刺史王延彬、請じて招慶に住せしむ」とある。この茶の湯の宴には、明招山の徳謙禪師も来ていられた。そして、後に福州
第四十八則 王太傅煎茶 416頁【本則】虛す。王太傅招慶に入って煎茶す。時に、朗上座、明招の興めに銚を把る。朗、茶銚を飜却す。太傅見て上座に問ふ、茶爐下是れ什麼ぞ。朗云く、捧爐神。既に是れ捧爐神、什
風が吹いて居た草原の緑の海は音をたたて波打って居た地平線まで続く細い道をあてどもなく歩く小川が流れてせせらぎが聞こえた。何を考えているのだろう黙然としていると足音が近づて来る。なんとも言えない爽やかな
『神 眞理を告げ給う』の本には神御自身が天地萬物の宇宙神による創造を次の如く説き給うている。「“わたし”は創造者である。すべてのものをアイディアによって創造したのである。アイディアは現象界の一切の形に先
達磨大師は「衣を巻いて天竺に歸る」といったさうだが、自分の生命の本元がこの宇宙の創造者・毘盧遮那如来であることをさとらないで、「法身に主體性なし」などと悟っているやうなことで、故郷に歸るなどといっても
毘盧遮那仏とは、梵語でヴァイローチャナの發音を漢字に嵌めて譯したものであるが、“遍一切所”といふ意味であり、遍く一切の所に満ち給ふ本源神が、同時に中心座にましまして“正法”即ち“正しい眞理”の説法をなしてい
眞の佛教といふものは決して、法身はそんな無力な受動性しかないものだとは説かないのだ。法身は“天地萬物の創造者”であり、一切衆生の救済主であり、一切衆生の歸依するところの全能の主體者と説くのが、これが本當
結局一二三四五六……と数字をならべたのは、神の一元より發して陰陽の両儀となり、陰陽相結ばれて……地上に天國が現成するに至る“創造の数靈的秩序”を表現したものであるから、日本では古来、一二三四五六七八九十百千
【頌】頌に云く。一二三四五六。碧眼の胡僧も数えつくさず。少林謾に道ふ、神光に附すと。衣を巻いて又説く天竺に歸ると天竺茫々として尋ぬるに處なし。夜来却って乳峰に對して宿す。【解釋】これは雪竇がつけた“頌”
また『大般涅槃経』の冒頭の“純陀品”には、純陀が病床の釋尊に食事を供養すべく持ち来ったときに、釋尊は次の如く法身を説いていられるのである。 「善男子、如来すでに無量無邊阿僧祇劫に於いて、食身、煩悩身ある
法身が無我であり、自由意志がないならば、法身の如来が假に法蔵菩薩とあらはれ給いて、衆生救済の四十八願を建てられたといふことも不可能であって、佛教には救ひは無いといふことになるのである。『大般涅槃経』の
つまり“因縁”といふものが人間の主體性をもっていて、法身は原料である。人間の中には、無論原料は含まれているから法身(即ち佛性といふもの)はあるにはある。しかしそれは主體性をもたないトコロテンの原料みたい
そしてその法身が、そんな物質元素や心識の集合體にあらはれたのは「要するに法身は無相であり、太虚の如くにして形もなく従って影もないが、その法身が“因縁の力”に依って種々の形の集合體になってあらはれた。それ
秋野孝道禪師の“法身”に關するこの講説はまことに佛教学者が“法身”に關して言はんとする諸々の説明の仕方が、すべて包容されていて餘すところがないやうに思へるのである。それだけに何も彼も佛教学説をそのまま取り
「要するに法身は無相である。太虚の如くにして形もなく従って影もない、その法身が因縁の力によって種種の形に顕れて来る。或いは山となり、河となり、梅となり、櫻となり、或いは皆同じ法身であるが、夫々の因縁に
小生 愚弟そのものでして、つまらぬもので右往左往し、尊い祖師の引用文を纏めた『あずさわたより』を途中で投げ出してしまい、多くの皆様にご迷惑をお掛け致しました。心よりお詫び申し上げます。当『あずさわたよ
長い間当ブログ『あずさわたより』閲覧くださいましてありがとうございました。最近、当ブログ環境(特に広告)が かなり劣悪になって参りましたので、光明思想の発信は フェイスブックに集中させ、https://www.fa
その實相の片鱗を自分の心識に収め取って、「私は實相法身を悟った」などと傲慢なことをいふ人があるが、「實相といふ大魚は片鱗に非ず」である。片鱗を擦って見て、大魚を自分の心識の腹中に収めたやうに錯覚するの
これは傳説であって、その實相の中味をどのやうに悟られたかは、どの本にも書いていないのである。書いたのを読んで解るほどの浅いものなら、何もむつかしい事はないのであるが、さうでないから、釋尊さへ六年間ウル
するとその禪僧は、「座主は唯、法身のひろがりがどうだとか、時間・空間あらゆるところに満ちみちているとか、法身の寸法や分量や、法身を外から見て堂々巡りをしていられるだけで、少しも法身の中身のことは仰言ら
「そもそも法身といふものは、太虚の如く、縦に三際を極め、横に十方に亙り、八極に儞綸し、二義を包容し、縁に従ひ、感に赴いて普ねからざるなし」といったのである。現代語でいふならば、法身といふものは、縦には
【本則】擧す。僧雲門に問ふ、如何なるか是れ法身。門云く、六不收。【解釋】雲門和尚のことは第六則にも第十四則にも出ている。睦州の陳尊宿のところで修行をしている時に棒喝をくらって脚を折られ、その瞬間、自分
“天”に對して“地”は何を意味するかといふと、“天”の説法すなはち“神の無限のアイディア”を受けて、そのアイディアを化育して萬物を生成するのである。“天”は種を播き、地はそれを發芽させて育てるのである。“天”はア
この垂示の「天何をか言ふ哉、四時行はる」といふ句を、一層精細に具體的に宣示されているのが、この『真理の吟唱』の一節である。圜悟は儒教的影響を受けていると見えて、孔子の語を引用したり、儒教で“神”又は“大
「この世界は觀世音菩薩の妙智力を示現せる世界であるのである。觀世音菩薩とは單なる一人の菩薩の固有名詞ではないのである。それは宇宙に滿つる大慈悲であり妙智力であり、“心の法則”であるのである。觀世音とは世
第四十七則 雲門六不収 402頁【垂示】垂示に云く。天何をか言ふ哉、四時行はる。地何をか言ふや、萬物生ず。四時の行はるる處に向って、以て體を見る可し。萬物の生ずる處に於いて用を見るべし。且く道へ、什
かくの如くにして一點の曇りも淀みも心から消え去って透明無我になった境地が『首楞嚴経』の「所入既に寂にして動静の二相了然として生ぜず」である。といって、その耳根圓通法をその説明書にしたがって實修してみた
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの