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花は紅だなどと
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
2024/04/23 08:34
偏寄った道ではない
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
2024/04/22 08:48
一字を詳しく知ることによって
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
2024/04/21 06:11
何人も近よりがたき威容
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
2024/04/20 07:48
當に知るべし
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
2024/04/19 08:33
そのままの心を大切にすべし
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
2024/04/18 07:21
高みを目指しましょう
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
2024/04/17 07:48
自分の自然に催す
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
2024/04/16 07:40
そこで趙州和尚は
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
2024/04/15 08:19
「問答無用」
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
2024/04/15 08:02
総括名詞で問ひかけた
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
2024/04/14 08:18
しっかりした求道精神
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
2024/04/13 08:21
絶對生活になったとき
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
2024/04/12 07:48
そのまま受ける心
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
2024/04/11 07:31
「唯嫌揀擇」
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
2024/04/10 08:53
すべてを受ける心境
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
2024/04/08 19:55
心が動くなり
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
2024/04/08 07:30
2024/04/06 12:17
心機が一轉したのであった。
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
2024/04/04 20:09
『出家とその弟子』
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
2024/04/03 23:05
それが至道であり
【本則】擧す。僧、趙州に問ふ。至道無難、揀擇(けんじゃく)、如何なるか是れ(揀擇)。州曰く。天上天下唯我独尊。僧曰く此れ猶ほ是れ(揀擇)州曰く、田(しゃ)奴、什麼(なん)の處か、是れ(揀擇)。僧無語。【解
2024/04/02 23:11
「然らずんば」
そして生命の實相わが内にありとの境地はこんなものだと自得するのが「一境を看得する」である。そのやうな悟境に達したならば、「自己元來、是れ鐡壁銀山」であって、如何なる邪靈と雖も、病菌といへども自分を冒す
2024/04/02 06:59
一機を露得し
そんな人に向って答へるには次のやうに答へて言ふといふのである。「若し箇の裏に向って一機を露得し、一境を看得せば、要津を坐断して、凡聖を通ぜざるも未だ分外となさず……」と。「箇の裏」といふのは、ウラと言ふ
2024/04/01 06:49
全国大会が始まる!
光明思想『生命の實相哲学』を学ぶ機会です宗教法人 生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会の全国大会が始まる!ゲスト講師:石 平(せき へい)氏評論家お申込みは学ぶ会本部のサイト(お問い合わせ)まで電話03
2024/03/31 18:35
われ今五官の世界を去って
しかし物質界の法則を透過して別の次元に住む「靈的自己」を悟得したとき、その人はこの垂示の示すところの「透得し了った人」となるのである。自己の實相が“肉體”といふ物質でないといふ眞理を、物質世界を透過して
2024/03/31 07:46
「靈的自己」を悟得
それは譬へば檻の中に棲んでいる動物園の熊みたやうな存在である。動物園に飼はれている熊にとってはその容れられている檻が「偏に銀山鐡壁に似たり」であって、それから透得することはできない。この世界を“物質的
2024/03/29 19:24
知覺對象の“物的世界”
第五十七則 趙州至道無難【垂示】垂示に云く。未だ透得せざる巳前一へに銀山鐡壁に似たり。透得し了るに及んで、自己元來、是れ鐡壁銀山。或は人有りて、且く作麼生と問はば、但、他に向って道はん。若し箇の裏に
2024/03/28 23:21
先ず放たれた箭の描く路線を
敵将を斃すには、その箭がどっち向いて行くか、先ず放たれた箭の描く路線をハッキリ見なければならないのである。玄沙の岑和尚が言った言葉に「大丈夫、天に先立って心の祖となる」といふのがあるが、「祖師曾て西來
2024/03/28 07:39
霊的人間の存在觀
この唯物論将軍が出生したそもそもの根因は、眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)の感覺であるから、唯物論を退治するために、眼耳鼻舌身の錯覺的認識を否定しなければならない。即ち『般若心経』がいみじくも説いているや
2024/03/26 19:44
貴重な音声データ
過去長い人生の歩みの中で、幸福にも尊師のご講話(音声データ)を数多く入手する事になりました。昨今の情報によりますと、地球には古代より太陽光が降り注ぎ、その中にはネット社会に多くの障害を与える恐れがあり
2024/03/26 07:08
何よりも先ず
すなはち「觸れる」といふことを通して自分の存在が「肉體」といふ物質であると錯覚し、外界に存在するものも、母親の乳房をはじめとして物質であると錯覺する。つまり“觸れ合ふ”といふ偶然の出來事を通して忽然ヒョ
2024/03/25 22:00
直感的に錯覺
貪瞋癡の三關は人間に無限の税を課し、人間からすべての幸福を奪い去る税關の官吏であるが、その司令たる「根本無明」は何處から生じたものであらうか。『大乗起信論』には「忽然念起」と示されているが、“忽然”とは
2024/03/25 07:33
まだ足らぬ
【頌】頌に云く。君が與に放出す關の主。放箭の徒、芥鹵(ぼうろ)なること莫れ。箇の眼を取れば耳必ず聾す。箇の耳を捨つれば、目雙(めふたつ)ながら瞽(こ)す。憐れむべし一箭破三關。的々分明なり箭後の路。君見ずや
2024/03/25 07:32
歎息したといふのである
良禪客は『傳燈録』にもその名の出ている相當立派な僧で巨良和尚といふ名の人ださうだが、貪瞋癡の根元になっている“根本無明”を今直ぐ考へ出さうとしたが、どうしても思ひ出せないので、「三關を一鏃で見事に破った
2024/03/23 07:53
“根本無明”とは何者であるか
良禪客は、一本の悟の箭をもって貪瞋癡の三關を打ち破ることが出來るとは言って見たものの、その三つの關所を支配している司令官たる“根本無明”が何者であるかを知らず、それを射殺すことが出來ていなかったら、三つ
2024/03/21 22:29
三つの關所を打ち破った
【本則】擧す、良禪客、欽山に問ふ。一鏃破三關の時如何。山曰く、關中の主を放出せよ看ん。良曰く、恁麼ならば則ち過を知りて必ず改めん。山曰く、更に何の時をか待たん。良曰く、好箭放ちて所在を著けずと云ひて便
2024/03/21 07:58
近頃の人間は
それだから、吾々が外に眞理お求める對象となる諸佛や祖師を抹殺するために、この垂示は、「諸佛曾てこの世に出でず」だから、そんな諸佛からから眞理を授からうと思っても、外にそれを求めたのでは「一法の人に與ふ
2024/03/20 08:26
自己のうちにある佛性
眞理といふものは釋尊や達磨大師のやうな特殊な宗教的天才にのみ與へられているのではなく、各人の脚跟下に、各自の“生命の實相”そのものの中に、今現にあるのである。それを外に向かって諸佛にもとめたり、達磨に求
2024/03/19 08:04
自己劣等感をもってはならない
「一段の大事因縁」といふ語は法華経に「吾れ一大事因縁を以っての故に世に出興せり」とあるのを引用したのであって、何も釋迦だけが一大事因縁を以っての故にこの世に生まれて來られたのではないのである。すべての
2024/03/18 06:46
第五十六則 欽山一鏃破三關【垂示】垂示に云く。諸佛曽て出世せず、亦一法の人に與ふるなし。祖師曽て 西來せず、未だ曽て“心”を以て傳授せず。自ら是れ時人了ぜず、外に向って馳求す。殊に知らず、自己脚跟下(き
2024/03/16 21:24
久遠を貫く一なる生命の善と福
今、尊師谷口雅春先生に、凡ての宗教を完成し日本の實相を顕現するものとして天降られ、また嘗て道元禪師をして『正法眼蔵』を道得せしめた光耀と歡喜滿ち溢れる神の生命が、今私たちをも等しく貫いていると見得され
2024/03/15 22:29
眞實のご教示
即ち、無常變轉の現象界における一時的顕現としての生死の中に佛があって、“生死”と“佛”とが重なり合っているといふのではない。現象生死即佛涅槃即實在であるといふのではない。道元禪師にあっても無常不定の現象生
2024/03/15 07:31
「汝自らを知れ」
久遠生き通しの佛のいのち、實相の生のみ獨在するが故に、人間をさして不生といひ、不滅といふ。人間は未だ嘗て女の子宮から生れたことはないのである。死もないのである。肉體なし。肉體などないから掴みやうがない
2024/03/14 08:20
如来藏なる我
獨在するは宇宙いっぱいの佛のいのちそのものである。佛の生命の中には、のちもさきも既に含まれていて久遠である。時間・空間がただ一點に巻きをさめられている“未發の中(みはつのちゅう)”が佛の生命であり、實相の
2024/03/13 07:54
ご供養を大切に
先日、縁がありまして、あの有名な拉致被害者に視点を集めたドキュメンタリー映画の試写会にお招き頂きました。とても辛く、胸を打つ作品でした。一つ思う事は、被害者様の親ごさんは、熱心なご信仰をお持ちのご様子
2024/03/12 10:23
「ひとときの位」
四、「ひとときのくらい」の解釋次の「生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり、生はひとときの位にて、すでに先あり後あり。かるがゆえに佛法のなかには、生すなはち不生といふ、滅もひとときの位にてま
2024/03/12 09:10
御手から出ることはないのであります
『神 真理を告げ給う』四四頁には次の如きお言葉がございます。「あなたは仏教の『煩悩即菩提』という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い”がそのまま“菩提”の道程であるということで
2024/03/11 06:42
實相眞理の名刀
そして次に続く「ただ生死すなはち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり」との道元禪師のお言葉は、日常生死の巖頭に立って大宇宙いっぱいの
2024/03/10 07:44
神の摂理の御手
そのとき、今此處の久遠の一點に於いて佛のいのちがいっぱいに生きるのである。蓮華は泥中にあって既に華咲く。悉く善に向かふひとすぢの道ひとつひとつの踏石としてのかかる生死から、たとへ苦しくとも逃げださうと
2024/03/09 08:17
恐れず、憂へず
三、「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば……」との道元禪師の言葉實相の見地から觀て、道元禪師が夾山・定山兩和尚の句の何れにも獨在する實相を當觀し、その夫々に勝ち點を與へていると解釋すると、「もし人生
2024/03/08 08:15
まさにこのむねをあきらむべし
そしてこの一節を中心にして、かかる實相獨在の見地から、「生死の巻」全體を當觀すると、冒頭の「生死のなかに佛あれば、生死なし」との夾山和尚のおことばは、先生ご教示の如く「生死未だ發せざる根元の“中”に於い
2024/03/07 08:23
苦悩ははなれ
二、夾山・定山両和尚のことばさて、「漸源弔慰」文中での先生のご引用は、そこまで及んでをりませんが、『正法眼蔵』“生死の巻”の中心となる道元禪師のお言葉は「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへに
2024/03/06 08:06
光満ちみつる祥福の
「盡十方世界一顆明珠なり、兩顆三顆といはず。全身これ一隻の正法眼なり、全身これ眞實體なり、全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。全身のとき全身の罣ぎなし、圓陀陀陀地なり、轉轆轆なり、明
2024/03/05 07:46
そのまま久遠を語り
かかる世界を相即相入、一即多即一の華嚴の時々無碍法界と觀るも自在であります。「佛性海といひ、毗盧蔵海(びるざうかい)といふ、ただこれ萬有なり。海面みえざれども、游泳の行履に疑著することなし」(海印三昧の
2024/03/04 07:40
三界は因縁生にあらず
道元禪師が道得するところは、如上のやうに實相そのままであります。 龍宮海を底打つ濤、その光波萬波の久遠のきらめきが『正法眼蔵』の一字一句であります。 觀るままの事實、證驗するままの事實を直截に語るので
2024/03/02 23:00
すでに成就ずみであります
道元禪師はまた、「夢中説夢の巻」に於いて、「いはゆる拈華瞬目、すなはち夢中説夢なり、體拝得隨、すなはち夢中説夢なり。……解脱の夢中説夢にあらずといふことなし。夢これ盡大地なり、盡大地は平なり、このゆえに
2024/03/02 07:42
盡十方界に滿ちみつる實相
ただ、『神 真理を告げ給う』に於いてお示しの如く、道元禪師が肉の眼によらず正法眼で、はっきりと實在の光耀を當觀し、その實相を禪師獨自の賦彩をもって『正法眼蔵』に開示されたのも眞實であります。道元禪師は
2024/03/01 09:02
眞理の一大棒喝
一、道元禪師の實相自覚まことに眞實の相に於いては、光明遍照する久遠不滅・金剛不壊なる實相世界のみが今ここに獨在しているのであります。「生命は生を知って死を知らず」(『甘露の法雨』)といふ「實相の生」の
2024/02/29 08:15
先生の膝下にあって
現在、同志の読書会で道元研鑽中でございます。メンバーの一人に、駒澤大學大學院で専門に『正法眼蔵』を研鑽され、生長の家でのすぐれた道元禪の理解者であられる方からその蔵書の多くをお借りしてこれを渉猟(沢山
2024/02/28 08:29
即ち、先生の道元批判のお言葉の内にひそむ實相獨在の眼で當觀する時、悉く有るものみな佛性なるが故に、衆生は渾て凡夫にあらず巧まずしてただそのままに如来であります。凡ての衆生は常此處の世界にあって、ただあ
2024/02/27 08:06
百花が一度に爛漫と華咲く
率直に申し上げて、一切の前提を外し實相獨在の見地から觀れば、道元禪師の生死に關する道得は、實相まる出し、生は實相全機現死は實相全機現(全機の巻)、現象流轉の生死なしの眞實の表白であり、先生のご本心も當
2024/02/26 07:39
深淵なる眞理を
さて、『神 真理を告げ給う』で、先生ご啓示の道元禪師の眞實の世界を、上述の如く「實相の生」獨在、現象生死なしと見得させていただきますと、「漸源弔慰」文中“生死の巻”に關する、前述「……生死の分析、人間の分
2024/02/25 08:05
悉く有るものみな佛性
すなはち道元禪師は、ここで、現象の世界なし、物質の世界なし、無常の現象世界に於ける一時的顕現としての肉體の我とその生死なし、獨在するは、全虚空を越えて悉く皆久遠佛性なる實相實有の光明遍照世界のみとの、
2024/02/24 07:43
佛性の悉有なり
ここで、「一切衆生悉有佛性」とは「一切衆生、悉有佛性(しつうぶっしょう)、如来常住、無有變易(むうへんやく)」なる涅槃経に於ける釋迦の説法であり、同時に「山川草木國土悉皆成仏、有情非情同時成道」なる釋迦初
2024/02/23 08:44
佛性の顕現
先生の「漸源弔慰」御解釋全文は、もとよりこれ悉く佛言であり、神の言葉であり、圓満完全であり、金剛不壊であり、實相の悟の威力に満ちみちて、下化衆生、衆生濟度に於いて十全であり、ただ感謝合掌し拝受禮拝させ
2024/02/22 07:51
『ひとときの位』
先生は同誌七四頁に於いて「實相の生」のお立場から、「凡夫が“生死”と言ふ場合には」とのご前提の続きの上で「(前略)しかし、道元禪師は夾山和尚の『生死のなかに佛あれば生死なし』の方に勝ち點を與へて、『もし人
2024/02/21 08:41
ご教導賜りたく
まことに言々句々“如来の説法”であります。題は假に私がつけたのであります。“實相獨在”を禮拝して合掌 ありがたうございます。風薫る初夏の候、尊師谷口雅春先生、輝子御奥様には益々ご健勝にて私供をお導き賜りま
2024/02/20 10:46
實相獨在の悟と道元禪師のお悟とが全く同一
「漸源弔慰」餘滴「生長の家」誌に連載中の本稿のうち、その本年四月號の第五十五則「漸源弔慰」の解釋の中に、わたしが『正法眼蔵』“生死の巻”に於いて道元禪師の説かれたる語句の表現について、多少批判めいた事を
2024/02/19 07:46
本當にあるものは
現象世界がいくら變轉きはまり無く白浪天に滔る如き大怒濤で存在の船着き場が無いやうにあれていようとも、實は金輪際そんな世界はないのである。そして實相常在の浄土は「わが浄土は安穏にして天人常に充満す」(『
2024/02/18 07:30
顚倒夢想である
【頌】頌に云く、兎馬(とめ)に角あり、牛羊に角無し。毫(がう)を絶し、氂(り)を絶す、山の如く嶽の如し。黄金の靈骨今猶ほ在り。白浪滔天何の處にか著けん、著くるに處なし。隻履西に歸って曾て失却す。【解釋】兎に
2024/02/17 07:23
常に神を振り返る
生死相對の世界の此の土に於いて、現象の生死を超えた、常在無限壽命の如来の靈骨を鍬で掘り起さうなどと求めても駄目である。吾々は「常此處(つねここ)の世界」(われ常に此處にあって滅せずの實相世界)に心の眼を轉
2024/02/16 08:17
何處にか求めんや
石霜和尚はこの時、鍬で掘り出せるやうな現象の世界に先師の靈骨を探しもとめても駄目だといふ意味を次のやうに言はれたのである。「洪波浩渺(こうはかうべう)、白浪滔天(はくろうたうてん)、什麼(なん)の先師の靈骨
2024/02/15 08:50
無常不定のものに
道吾禪師や石霜禪師が「道はじ、道はじ」と繰返して言はれたのは、“生死即涅槃”とか「生死の中に佛あり」とか軽々しい言句を發しても却って相手を惑はす事になると知っていられたからであろうと思ふ。ところが、ある
2024/02/14 08:27
“涅槃の堕落”
生死は無常の姿であり、變化の相であり、“一時のくらい”であり、變化するものは本来無いのである。生死もとより無く、佛のみ常住であるがゆえに、到る處、今此處が極楽にして涼風吹き來るのである。無常變轉の世界に
2024/02/13 06:17
金剛不壊であって
わたしは青年時代「生死のなかに佛あれば生死なし」といふ『正法眼蔵』生死の巻の句がたいへん好きであって、それを心の中で唱へると気分がスッキリして爽快になったものである。わたしは「生死のなかに佛あれば」と
2024/02/12 07:38
“死”を見ないのである
しかし道元禪師は、夾山和尚の「生死のなかに佛あれば、生死なし」の方に“勝ち點”を與へて、「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえを北にして越に向ひ、おもてを南にして北斗を見んとするが如し……ただ生
2024/02/11 08:34
生死なし
禪の未熟な修行者の中には、生きている面のみを強く觀ることが少なく、“抜け殻”“眞物(ほんもの)”とを分析せず、“生死”を一緒につないで「有耶無耶」にしてしまふ。有耶無耶佛教といふものを私は好まないし、悟の邪魔
2024/02/10 07:41
分析が足らぬのである
しかし當時の漸源はまだ勉強中の修行僧だったから、棺中の遺體に面してその遺體を「人間」そのものと思ひ間違へ、「生か死か」と両極の間を行きつ戻りつして迷ふのも無理からぬことだったのかも知れない。遺體などは
2024/02/09 08:11
また詰めよるのである
石霜和尚も道吾禪師のやうに、「生とも道はじ、死とも道はじ」と答へる。「什麼としてか道はざるか」と漸源はまた詰めよるのである。その時石霜和尚、再び聲を勤まして、「道はじ、道はじ」と言ふ。その時、漸源「言
2024/02/08 07:54
何という執着心
しばらく二人は黙っていたが、路の途中で漸源は、また、「和尚、はやく私の悟のために話して下さい」と迫る、そして「若し、話して下さらなかったら、わたしはあなたを打って往ってしまひまするぞ」と言ふ。「打ちた
2024/02/07 07:47
生きているのか死んでしまったのか
【解釈】道吾和尚は潭州、道吾山の圓智禪師のことである。逹磨大師第十世の法孫に當たり、後に修一大師と諡号を賜ったほどの傑僧である。漸源は道吾禪師の法を嗣いで、後に同じく潭州にある漸源山に住せられた仲興禪
2024/02/06 08:47
“什麼をか作す”
【本則】擧す。道吾、漸源と與に、一家に至りて弔慰す。源、棺を拍って曰く“生か死か”。吾曰く“生とも也た道はじ、死とも也た道はじ”。源曰く什麼としてか道はざる。吾曰く“道はじ、道はじ”。かへって中路に至って、
2024/02/06 08:46
「上求菩提」の心
ここでは猛烈な業障を猛虎にたとへてそれを鎮静せしめることを「虎頭に據り」(虎の頭に乗って急所を押へ)「虎尾を収め」(虎が尾を揮って人間をたたき落して反撃して来ないやうに、虎の尻尾の根元を掴んで)業障の
2024/02/04 08:29
正念をもって實相を觀ずれば
『觀普賢菩薩行法経』には「無量の勝方便は實相を思ふより得、一切の業障は妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば端坐して實相を念へ。衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。」と示されているのである。“懺悔”といふのは
2024/02/03 08:26
軽々と切断し
「撃石火閃電光中に向かって(こうか)を坐断し、」といふのは燧石(ひうちいし)を火打鐡をもって撃てば發止と火花を發して周囲が明るくなるやうに、また暗中に稲妻が走れば、その閃電光中に事物を見ればどんな佶屈聱
2024/02/02 08:47
實相そのままの實現である
第五十五則 (斬)源弔慰【垂示】垂示に曰く。穩密全眞。當頭に取證し、渉流轉物(しょうるてんもつ)直下に承當す。撃石火閃電光中に向かって(こうか)を坐断し、虎頭に據って虎尾を収むる處に於て、壁立千尋なる
2024/02/01 08:06
必ずや咬みつかれて
【頌】 頌に去く、虎頭虎尾一時に収む。凛々たる威風四百州。却って問ふ、知らず、何ぞ太だ嶮なる。師曰く、一著を放過す。 【解釈】 この頌は、訪問僧を尊敬して、隙があれば咬みつかれて、こちらが傷つくほど
2024/01/31 08:30
私は遺憾に思ふのである
ところで、この訪問僧は雲門和尚にピシャリと掌で打たれたのを、怨みにも思はず、憤慨もせず、禪宗の儀式であるとでも思って、これから眞の問答の開幕ですといふ譯で、「某甲(それがし)話あり」(これから話させて頂
2024/01/30 07:58
“愛”による接得を
私はさう思ふが雲門和尚は、さうは思わなかったらしい。“こいつ返答に行き詰まった”と見たのか、“知った事は、言葉で表現できない事はあるまい”と反撃に出たのか、どちらか知らぬが、ぴしゃりと、訪問僧を一つ打った
2024/01/29 07:15
蓋天蓋地の眞理
それだから、そんな入試問題に對して、構へた哲学的又は宗教的な返答をするよりも、素直に正直に當り前のことを答へる方がよい譯だ。だからこの訪問僧は「西禪で修行していました」と答へたのであると思ふ。西禪とは
2024/01/27 08:50
眞理の片鱗もあらはされていない
【本則】擧す。雲門、僧に問ふ。近離甚の處ぞ。僧曰く、西禪。門曰く、西禪近日何の言句か有りし。僧、両手を展ぶ。門、打つこと一掌す。僧曰く、某甲話在り。門、却って両手を展ぶ。僧無語、門、便ち打つ。【解釈】
2024/01/26 08:38
まことに垂示は素晴らしいが
今ここに歴史年表をもっていないので楠木正成公が楚俊禪師から「両頭を截断すれば一劍天に倚って寒し」の偈を授かったのは何年のことか不明であるが、「生死」の両頭を截ち切ってしまったならば、勝敗の両頭も夢幻で
2024/01/24 21:20
生死を超脱
兎も角、生死を超脱しているため自由自在の無礙の行動がとれ、それがみづからを救けることになるのである。この事をこの垂示では「機關を撥轉す」と書いているのである。その後、日本にも祖元の名聲が聞こえ、時の執
2024/01/24 08:38
懺謝して立ち去った
この眞理を近世の大哲学者ベルグソンは柱に懸けたる服は、釘が抜けたら落ちて視界から見えなくなるが、無くなったのではないといったそれと同じ眞理である。祖元禪師はのち、臺州眞如の住持となる。あたかも徳祐元年
2024/01/23 08:37
無尽蔵に湧いて出る
ところで元寇の立役者北條時宗を育てた祖元禪師のことに移るが、禪師は諸方の禪寺にて修行し刻思参究するといへども大悟するに至らなかった。 後、郷里に帰り大慈寺の物初大觀和尚の門に入ったが、ある日、井楼にの
2024/01/22 16:01
『浄』にして不浄ではない
「それは無明の投影の世を觀て無常としたのである。眞の人間は無常の中にあらず、肉體の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、實相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄』にして不浄ではない。人間を指
2024/01/21 09:25
『眞の人間』
「物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた減すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言ふ事もない。人間は本来『生』である。『滅』に對する『生』ではなく、本来『生』であるか
2024/01/20 08:23
超えつつ有る
生れた者は滅しなければならない時が来る。しかし人間は母親の胎内から生れて来た時に“生”を得たやうなそんな相對的消滅の中にウロチョロしている儚い存在ではないのである。母親の胎内から生れる前からの久遠の存在
2024/01/19 08:21
アルと思ふからなのである
楠木正成公が湊川に足利尊氏の大軍を邀へ撃つにあたり、正成公は明極楚俊禪師(みんきそしゅん)を訪ひ、最後の覚悟について問ひ給うた。そのとき、楚俊禪師は偈を説いて申されるには「両頭を截断すれば一劍天に倚って
2024/01/18 07:12
恐怖することが無くなるのである
「わが内に神はあり給い、神の内にわれは在り、われは“初め”であり“終わり”であり、すべてである。われは“生”であり、“死”であり、生きることも自由であり、死すことも自由である。死するといっても無くなるのではな
2024/01/17 09:09
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