曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
かういふ問に對して、このやうな途方もない別の答をすることを、世間一般では、「敢えて他を言ふ」と言って、問者の問に正面から答へることが出来ないので、體をかはして問には何の関係もない事を話し出して、相手の
これを解釋して秋野孝道師は次のやうに言っている。「一向理窟を透脱した言ひ分である。何にも向うの理窟に就かぬ。一領とは萬法一に歸する其の一を言ひ、七斤とは萬法の方を言うたのだなどと理窟に渉ってここを説明
【本則】擧す。僧、趙州に問ふ。萬法一に歸す、一何の處にか歸す。州曰く。我青州に在って一領の布衫を作る、重きこと七斤。【解釋】趙州和尚といふのは、幾度も禪宗の経典には出て来る高僧でわたしも幾度か紹介した
それは兎に角、燧石を撃てば瞬刻も待たずに發する火花のやうに、應答の言葉が出て来るのを、ここでは「撃石火の如く」と謂ひ、また空中電気の陰陽の気が合した瞬間、稲妻が閃き發する如くといふ意味で「閃電光に似た
またその教へを行動によって示す必要があるならば、そのまま自分の行動によってそれが示される。一擧手一投足と雖も、無駄の動きがなく、そこには全生命のはたらきがあらはれているといふのが「全機譲らず」である。
第四十五則 趙州萬法歸一 383頁【垂示】垂示に云く。道はんと要すれば便ち道ふ、世を擧げて雙び無し。行ずべきに當っては即ち行ず、全機譲らず。撃石火の如く、閃電光に似たり。疾焔過風、奔流度刄、向上の鉗
これでは確固として護るべき祖國はないし理想とする規範もないのである。だから、そんな偏った佛教に引っかかっている國は、釋尊の生れた國も滅びてしまったし、その佛教が通過して来た東南アジア諸國が興ったり、ま
“空”とは“變化無常”のことであるなどといふ曖昧模糊の佛教者の迷説に迷はされて、“實在”、常恆金剛不壊の世界の存在を看のがしてはならないのである。毘盧遮那仏・大日如来・天照大御神が中心座にましまして一切の天
「月の裏側」という比喩は、西欧に居ては見えることのなかった、日本の優れた文化形態のことを指している。そして、極東という地勢から、この国を様々な東西文化の集積地と捉え、その表われとしての芸術、民芸、神話
球技をもって僧の力量をためす義存禪師もまことに素晴らしいと言はねばならぬが、禾山和尚は「解打鼓」の三字をもって宇宙の眞理を悟らしめようとする。この「頌」を書いた雪竇は、やっぱり球盤上の球技によるよりも
初心者ではなかなかすべての球に命中することはむつかしいのである。最初突かれた球は、次の球を意識的に狙って走って行くのではないから、どの方向に転んで行って次の球に命中するかは不確定である。たとひそれが次
象骨老師といふのは雪峰山の義存禪師である。雪峰山を、その山の形でなづけて、一名象骨山と称したので、そこに住山した義存禪師なので象骨老師と言ったのである。その象骨老師は、いつも向上を求めて来る僧の力量を
『あ~君か』『……。』『今、どうしてる。』『……。』『あんなにおしゃべりが大好きだったのに。』『……。』『いつも、見守ってくれて有難う』『……。』『僕がいつも幸せなのは 君のおかげだよ』『……。』てね!先日近所
合掌ありがとうございます自己の研鑽と光明思想発展の為、毎日ネットにて情報の発信を行っています。そして、 ○毎週月曜日(祝日:今月は7/17 を除き)谷口雅春先生を学ぶ会本部にて研鑽の場を設けさせて頂いてます
これには故事があるのであって、支那のある時代に天子の敕によって宮殿の造営が行われることになり多くの僧侶が奉仕作業をしていた。それらの僧侶はみな歸宗の智常禪師門下の弟子たちである。智常禪師が、その造営の
【頌】頌に云く。一拽石。二般土。機を發することは須く是れ千鈞の弩なるべし。象骨老師嘗て毬をこんず。争でか禾山の解打鼓(げたく)に似かん。君に報じて知らしむ、莽鹵(ぼうろ)なること莫かれ。甜き者は甜く、苦き
太鼓のひびきは打ち方によって千變萬化のコトバを出すのである。強く打てば、強く鳴りひびく、弱く打てば弱く鳴りひびく、打つ人の心のひびきが自分に撥ね返って来るのである。太鼓は“心の法則”の象徴でもあり、“三
さて「向上の人来る時、如何が接せん」といふ僧の第四の問は、前掲の「此の二種(“聞” “隣”)の二種」を除いて、それ以上の境地すなはち“實相”を見んとて修行に来た人があったら、その人に接して如何にして導くかと
合掌ありがとうございます私 渡邉憲三(中仙堂)は自己の研鑽と光明思想発展の為、毎日ネットにて情報の発信を行っています。そして、 ○毎週月曜日(祝日:今月は7/17 を除き)谷口雅春先生を学ぶ会本部にて研鑽の
この問に關しては、ある書には次の如く書かれている。「僧、馬祖に問ふ、甚麼としてか即心即佛と説く。祖曰く小児の啼くを止めんが為なり。僧云く啼き止む時如何ん。祖曰く非心悲佛。僧云く、此の二種を除いて、人来
元来、この「即心即佛」「非心非佛」の問は、嘗て大梅の法常禪師が、馬祖大師に「如何なるか是れ佛」と問うた時の答が前者で、次に某僧の同じ問に答へられた語が後者である。某僧はその馬祖の答をそのまま禾山和尚を
「如何なるか是れ眞諦?」といふ問について言へば、“聞”“隣”の心境にある者の悟る眞理は世俗現象界に属する法則で、“心の法則”又は“現象顕現の法則”の如きものであるから、これを俗諦と稱するのであるが、諸行無常の
ここまで禾山和尚が垂示し来たったとき、一人の僧が“質問”といって手を擧げたわけである。そして、「如何なるか是れ眞過」(眞過といったらどんなものですか)と言ったのである。禾山和尚は「解打鼓」と答へられた。
また相手の病気の心因を知り、これを治すこともできる。けれども彼はまだ佛陀の證悟の妙境に達していないから、人間の自心の展開である“唯心所現”の現象界が、本来“空”であって、“如何なる心”が“如何なる運命”として
だから“獨覚”とも稱せられるのであるが、“心の法則”をきはめることによって因縁因果を知ることができる。因縁を知ることができるから“緣覚”とも謂ふ。その證悟いよいよ高く“十地の菩薩”の境地に達すると、その人は如
だいたい小乗佛教では“四果”といふことを説いたものである。この場合の“果”は学習した結果として得たる悟の境地を四つの階級に分類して、三果までを“有学”と謂ひ、最後の最高の境地たる四果を“無学”と呼ぶことになっ
釋尊折角の“實相説法”も、聴聞の大衆ーーー普賢菩薩以外にはーー誰も、その深い意味を領解することができなかったので、釋尊は『華厳経』を龍宮海の秘密蔵に世界に秘め置かれて、人間生活の修養経ともいふべき『阿含
しかしこの段階では“眞理”が本當に“自分のもの”になっていないのである。阿難が釋尊の十代弟子の一人として“多聞第一”と稱せられたけれども、釋尊が“金波羅華”を示して宇宙の實相を如實に示されたとき、それを悟った
さて、ある時この禾山禪師が垂語して「習學これを“聞”と謂ひ、絶學之を“隣”と謂ふ。この二を過ぐる者、これを眞過と為す」と言はれた。これは僧肇の著『寶蔵論』の著“廣照空有品”にある語を引用して問題を提起せられ
第四十四則 禾山解打鼓【本則】擧す。禾山垂語して云く、習學之を聞と謂ひ、絶學之を隣と謂ふ。此の二を過ぐる者、是れを眞過と為す。僧出でて問ふ、「如何なるか是れ眞過。」山曰く、「解打鼓。」又問ふ、「如何な
健康を“正”とし、病気を“偏”とするならば、つまり病気は、生理状態又は精神状態の“偏り”から來たストレスである。そこでその偏りから生じたストレスから逃げ出さうと思って姿勢を正し、食物を正して、ストレスの根元
ある人が航海に弱くて、船に乗れば必ず船酔を感じて嘔吐のである。船酔いをしない秘訣を教へてくれといはれるので、「それは船が揺れるので困る」といふ潜入観念を棄てて、「船の揺れるのに同ずる」のである。船の動
【頌】頌に云く垂手還って萬仭の崖に同じ。正偏何ぞ必ずしも安排(料理の味加減)に在らん。瑠璃古殿名月照す。忍俊(しゅん:才知が優れている)たる韓盧空しく階に上る。【解釈】“垂手”といふのは慈悲の手を垂れて差し
すべての苦痛や争闘は、自分に自我があって、その自我が先入観念をもっていて、相手と對立関係にある時に起こるのである。自我が無くなり、先入観念が無くなり、相手の中に没入して一圓融の状態になるとき、その時、
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの