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2022/11/07

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  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その3。藤沢大和自転車道。東名高速道。

    いよいよ東京地方も梅雨入りか?ぐずついた天気が続いています。さて、「藤沢大和自転車道」案内板。「神奈川県道451号」となっています。神奈川県藤沢市鵠沼海岸から神奈川県大和市下鶴間に至る一般県道として認定された自転車道である。大規模自転車道の一路線。通称境川自転車道。一般に境川サイクリングロードとも呼ばれる。整備済み区間の大部分が境川の右岸(西岸)に沿っている。総延長24.5km(整備済み区間:20.1km)起点:藤沢市鵠沼海岸-国道134号松波交差点の地下に設けられた地下横断歩道「湘南海のちか道」終点:大和市下鶴間-国道246号大和橋西詰(この項、「Wikipedia」より)境川沿いに設置された「境川ゆっくりロード」を歩きましたが、今回からはこの自転車道を歩くことになります。※1「境川ゆっくりロード」終点...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その3。藤沢大和自転車道。東名高速道。

  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その2。都県境から離れて。九つ井 大和店。

    左岸を進みます。この先で都県境が境川からと離れていきます。左岸(町田市)側の標識。右岸(大和市)側の標識。ここから都県境は、境川から離れ、北東に進みます。この先は右岸(神奈川県大和市)側を歩くことにします。左岸は、横浜市瀬谷区。「大和市」。左手に「九つ井(ここのついど)大和店」。鶴間橋から、当店では、吟味された素材を使い、炭焼きステーキ、しゃぶしゃぶ、いろり焼き、懐石料理,自慢の古式手打ちそばなどをご用意しております。九つ井の由来東国における有力な戦国大名、小田原の北條氏が相模の国を平定し、武蔵まで進出するようになりますと、鎌倉山に連なる戸塚一帯の山並みは、戦略要地としての重要な拠点となり、戦略要害として玉縄城を築城いたしました。丁度その頃、この玉縄城に相対して、ここ田谷の山上に平戸御前という豪族が居を構...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その2。都県境から離れて。九つ井大和店。

  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その1。南町田グランベリーパーク。(「境川」を下る。)

    東急田園都市線「南町田グランベリーパーク駅」下車し、「境川」に出ます。駅と周辺の変容ぶりにビックリしました。以前、「八王子絹の道」歩きでここを通ったときは、一帯が大工事中で、道路も建物も未完成といった印象でしたが。南町田グランベリーパーク駅。ギャザリングマーケット案内図。この付近の今昔。2010年代のようす。左の流れが「境川」。1970年代のようす。まだ未整備中。1880年代のようす。畑と山林。左が都県境となっている境川。昔の南町田南町田(鶴間)は、周辺エリアと合わせて、南多摩郡南村という小さな村でした。1954年(昭和29年)、同郡町田町と合併。1958年(昭和33年)には、町田、鶴川、忠生、堺の4町村が合併して町田市が誕生します。現在の南町田グランベリーパーク駅周辺は、山林と田畑がほとんどを占め、緑い...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その1。南町田グランベリーパーク。(「境川」を下る。)

  • 川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その4。浮島・重工業地帯。川崎宿。(「都県境を探る」番外編)

    川崎駅に向かう車窓からの景色。日本の基幹産業が広がる大工業地帯。左手一帯。ロケットの噴射口のような設備。千鳥運河、大師運河・・・。運河の周辺には、(株)JERA川崎火力発電所やENEOS川崎製油所などが広がっています。都県境歩きで川崎市との境界線を何度か通りました。中でも、麻生区の田園風景(森も多く、坂の上り下りがけっこうありました。そのせいか、長寿日本一だそうです。)、一方で、多摩川歩きで対岸の、タワーマンションが連なる中原区。そして、この京浜工業地帯と様々な風景に接してきました。「川崎」というと、川崎駅周辺の競輪場や競馬場、歓楽街・・・、さらに、首都高の車窓から見る大工業地帯というイメージが強かった(偏見?)のですが、川崎市のイメージが大きく変わりました。川崎駅に戻り、旧東海道沿いにある「津之国屋三惚...川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その4。浮島・重工業地帯。川崎宿。(「都県境を探る」番外編)

  • 川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その3。羽田空港。浮島・京浜工業地帯。(「都県境を探る」番外編)

    前方が開けてきます。「東京湾アクアライン浮島換気所」方向。。「東京湾アクアライン」木更津側から。羽田空港に着陸する飛行機が次々と。再びバスに乗って川崎駅まで戻ります。周囲は、大工場・物流施設が連なります。マキタ運輸、JFE物流。東京湾アクアラインにつながる「首都高川崎線」。木更津方向へ向かうICへ。川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その3。羽田空港。浮島・京浜工業地帯。(「都県境を探る」番外編)

  • 川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その2。浮島町公園。(「都県境を探る」番外編)

    来た道を戻ります。葦原の向こうには、多摩川スカイブリッジ。振り返る。羽田側とは趣を異にする。川中に釣り人2人。スカイブリッジ下から上流を望む。「川堺」標。多摩川に流入していた流れの跡?「国」の標示。「海から2K」標示。「ねずみ島」の姿が見えません。出発点へ戻ってきます。先進医療機関の施設の一覧。「浮島町公園」へ向かうためにバスを待っていると、通りの向こうを貨物列車が通過します。歩くと小一時間かかるところをバスで移動。沿道には「花王」「東芝」「ENEOS」「東亜合成」など、浮島町地区にはたくさんの大工場が立ち並んでいます。「浮島町公園」。森が広がっています。森を抜けると、目の前に海が広がっていきます。目の前の海越しに「羽田空港」に飛行機が次々と下りてきます。川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その2。浮島町公園。(「都県境を探る」番外編)

  • 川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その1。多摩川河口標柱。(「都県境を探る」番外編)

    東京都(大田区)側の多摩川河口までは歩きましたが、神奈川県(川崎市)側にも「多摩川河口」碑があるので、訪ねます。川崎駅前から臨港バスに乗り、「キングスカイフロント入口」バス停で下車。そこから多摩川河口の標識まで歩きます。多摩川の土手に出る手前、左手に、「theWAREHOUSE」。TheWAREHOUSEとは遊び方も、働き方も、すべてが変わる。次世代の体験型商業施設、それが「TheWAREHOUSE」です。TheWAREHOUSEは、羽田空港の対岸・多摩川河川敷に誕生した、全く新しいスタイルの商業施設です。ここでは「遊び」「働き」「泊まる」ことができて、しかもそのすべてで、今までにない体験をもたらします。多摩川河川敷という自然豊かな環境と、川崎の地が育んできた歴史がリンクして生まれたTheWAREHOUS...川崎駅~臨港バス「浮島町公園入口」(往復)。その1。多摩川河口標柱。(「都県境を探る」番外編)

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    東京都(大田区)側の多摩川河口までは歩きましたが、神奈川県(川崎市)側にも「多摩川河口」碑があるので、訪ねます。川崎駅前から臨港バスに乗り、「キングスカイフロント入口」バス停で下車。そこから多摩川河口の標識まで歩きます。多摩川の土手に出る手前、左手に、「theWAREHOUSE」。TheWAREHOUSEとは遊び方も、働き方も、すべてが変わる。次世代の体験型商業施設、それが「TheWAREHOUSE」です。TheWAREHOUSEは、羽田空港の対岸・多摩川河川敷に誕生した、全く新しいスタイルの商業施設です。ここでは「遊び」「働き」「泊まる」ことができて、しかもそのすべてで、今までにない体験をもたらします。多摩川河川敷という自然豊かな環境と、川崎の地が育んできた歴史がリンクして生まれたTheWAREHOUS...a

  • 5・21。晴れ間の。向島百花園。バショウ。ヤマアジサイ。ユスラウメ・赤い小さな実。京鹿子・京鹿子娘道成寺。。

    寒暖の差が激しい、今日この頃の東京地方。バショウもいよいよ色濃く。他の木々も。ヤマアジサイ。小ぶりですが、それぞれ鮮やかな色合い。地植えのガクアジサイ。ヤマアジサイ。ユスラウメ。赤く小さな実がいっぱい。ユスラウメは、サクラの花が咲きだすころ、ウメに似た5弁の白~淡紅色の花を枝いっぱいに咲かせ、梅雨の初めごろ直径1cmほどの真っ赤な小さい果実がつきます。熟果は生食でき、小果樹としても扱われています。中国原産ですが、江戸時代の初期にはすでに栽培されていました。当時は「桜桃」と呼ばれていましたが、明治時代になってサクランボとの混同を防ぐため「朱桜」(ユスラウメ)と呼ばれるようになりました。(「みんなの趣味の園芸NHK」より)和名ユスラウメの由来について、植物学者の牧野富太郎の説によれば、食用できる果実を収穫する...5・21。晴れ間の。向島百花園。バショウ。ヤマアジサイ。ユスラウメ・赤い小さな実。京鹿子・京鹿子娘道成寺。。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その7。多摩川スカイブリッジ。都県境。東京国際空港。小島新田駅。鈴木町・「味の素」。

    遊歩道から階段を上がり、橋の上に出ます。車道と歩道、自転車道と区分され歩きやすい。上流方向。途中にこうした標識があります。河口側。ほぼ都県境の上で。振り返る。バス、自家用車、自転車、歩行者とけっこう行き来があります。羽田空港方面。川崎市側。右手奥に「多摩川河口」碑があるはずです。まもなく川崎市側橋詰。「多摩川スカイブリッジ」。案内板。都県境が川の中央に。「多摩川スカイブリッジ」を振り返る。京急大師線の終点「小島新田駅」に向かいます。この先、もう少し歩きそうです。久々に川崎市のマンホール。この地域には、こうした医薬関連の施設が建っています。幹線道路脇に貨物の引込線。貨物線沿いに駅へ向かいます。跨線橋から。小島新田駅。「京急川崎駅」まで。途中、「鈴木町」駅。周囲には、「味の素」の工場が集中しています。(「今昔...京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その7。多摩川スカイブリッジ。都県境。東京国際空港。小島新田駅。鈴木町・「味の素」。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その6。環八通り。正面に飛行機。河口を望む。

    空港横を走る「環八通り」。「東京モノレール」。悠々と旋回する。砂地に影が(↓)河口を望む。正面に飛行機。振り返る。整備中の遊歩道。自転車で空港方面に向かう人の姿が。遊歩道最先端。戻ります。対岸(川崎市)の河口先端近くには「浮島町公園」があります。振り返ると、飛行機が。対岸の正面付近に川崎市(神奈川県)設置した「多摩川河口」の標識があるはずです。「多摩川スカイブリッジ」を渡って川崎市側に向かうことにします。京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その6。環八通り。正面に飛行機。河口を望む。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その5。海老取川。羽田鈴木町。

    羽田空港側が大きく開けてきます。海老取川。多摩川から分流して東京湾に注ぐ。東京都大田区を流れる多摩川の分流で東京国際空港(羽田空港)を隔てている一級河川である。長さ約2km。うち1kmは河川法上の指定区間となっている。河口付近で新呑川と合流する。東岸に空港関連の施設があり、西岸の北の方に工場が多く立地する。西岸の南は住宅地である。河岸には漁業用船舶やプレジャーボートが係留されている。氏神・鈴木弥五右衛門の碑。「江戸近郊八景之内羽根田落雁」。羽田鈴木町地図。かつて存在した町。羽田空港建設のために強制的に町ごと移転させられた。(「今昔マップ」より)かつての羽田、鈴木、猟師町お台場(河口の微高地)に空港を造ることに。※戦前には「羽田競馬場」というのがあったのですね。五十間鼻。右に「無縁仏堂」。羽田空港方面。遊歩...京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その5。海老取川。羽田鈴木町。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その4。海から2K。ねずみ島。羽田第一水門。五十間鼻・無縁仏堂。海老取川。

    ますます川幅が広くなって、対岸は、川崎市川崎区殿町付近。遠く河口付近に見える橋は、「多摩川スカイブリッジ」。「多摩川羽田地区自然環境保護指定区域」の標示。「海から2K」。川面にほんの少し見えるのは、「ねずみ島」?右奥に見えるようですが。(「今昔マップ」より。昭和の初期まではこの島まで河川敷で畑があったそうです。河川改修で川幅を広げる際、畑の持ち主が買収に応じなかったため、とり残されたと言われています。今も標高3mで、川崎市に属しています。※都県境は、かつては川崎市寄りになっていたようです。1970年代のようす。顕著な島の姿。2010年代のようす。小さく、中洲のよう。大田区側の羽田第一水門。水門に通じる舟だまり。今も漁船や船宿があります。案内板。海老取川と多摩川の合流点付近。「五十間鼻無縁仏堂の由来」。創建...京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その4。海から2K。ねずみ島。羽田第一水門。五十間鼻・無縁仏堂。海老取川。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その3。大師橋。高速大師橋リニューアル工事。羽田レンガ堤(レンガ胸壁)の沿革。羽田の渡し。

    「大師橋」。橋の下の干潟で貝採り?大師橋東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)を通す。名称の由来である川崎大師は大師橋の南西約1キロメートルのところにある。同橋は川崎市が管理している。中央の両側に建てた二つの塔から左右に7本ずつ、計28本で橋桁を吊る斜張橋。※「斜張橋」と「吊り橋」の相違。(「Wikipedia」より)左奥は、「首都高横羽線」橋脚。右が「大師橋」、左が「高速大師橋」。上流を望む。羽田第二水門。「高速大師橋」。大規模なリニューアル工事中。1968年の開通から50年以上が経過し劣化が著しいため、橋梁の架け替え工事が2018年1月から行われている。「多摩川八景・多摩川の河口」。旧大師橋の親柱。昭和14(1939)年に開通した当時の遺構。「羽田レンガ堤(レンガ胸壁)の沿革」解説板。1度...京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その3。大師橋。高速大師橋リニューアル工事。羽田レンガ堤(レンガ胸壁)の沿革。羽田の渡し。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その2。海から3K。たまリバー50キロ。多摩川起点標。(東京都大田区)。

    次第に川幅が広く。「海から4.0K」。六郷ポンプ所排水樋管。土手下は、桜並木。振り返る。ここまで、のんびりと歩いてきました。河川敷がなくなり、コンクリート護岸壁に。「海から3K」。「たまリバー50キロ」案内図。気づくと、「羽田」という地名が。起点に着きました。「たまリバー50キロ」実は「羽村取水堰」から53.0km。「羽田水辺の楽校自然体験教室」。ここが大田区(東京都)側の多摩川起点のようです。来た道を振り返る。起点を示す柱が色あせているのが残念。この先、まだまだ河口は先に伸び続けているので、ちょっと中途半端なのかも。「老舗の佃煮大谷政吉商店」直売所。京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その2。海から3K。たまリバー50キロ。多摩川起点標。(東京都大田区)。

  • 京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その1。六郷橋。六郷水門。

    左岸を羽田空港まで。京急線。「六郷橋」。振り返る。京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その1。六郷橋。六郷水門。

  • 元気な猫たち。久々の投稿。急な暑さにも負けず(て)。寝心地のよいところを。マイペース。(Days with Cats)

    ドスンと乗っかってくる5.3㎏。ウっとなってしまう。何か文句ある?こちらは3㎏。静かに。すばしっこいので、なかなか被写体にはなりません。孫とはそれぞれ寛ぐ。暑くなってくると、涼しいところを求めて窓際に。ところが・・・。狭いところで身をよじりながら体勢を変えつつ、飽きてきたようで、上の食事支度のようすを。そして、お気に入りの場所。元気な猫たち。久々の投稿。急な暑さにも負けず(て)。寝心地のよいところを。マイペース。(DayswithCats)

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その7。

    正面に川崎駅付近の高層ビル。「多摩リバー50㌔(実際は、53㌔)残り4.5㎞た」。対岸には、「ラジオ日本」の電波塔。運動広場。ランナーが練習中。四阿で小休止。隣の木が気になる。「ブラシの木」というらしい。「海から7K」。道路上に大書。「7.0→」。東海道線と京急線が並行。「海から6K」。ゴルフ練習場。金属音が響きます。右が東海道線。左が京急線。六郷橋。橋のたもとにある「旧六郷橋」。「六郷土手駅」前の通り。20年以上昔、この近くに知人が住んでいたので、何度か下車した駅。あまり変わらない印象。「六郷土手駅」。東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その7。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その6。散策路案内板。矢口の渡し。多摩川大橋。電波塔。

    散策路の案内図。川べりにあります。朽ちたような標柱。草むらにポツンと。「矢口橋」。「矢口ポンプ所排水樋管」。「多摩川大橋」が下流に。橋のたもとの川べりに、「矢口の渡し跡」解説板。新田義興(1331~1358)が、矢口の渡しで討死したといわれるころの渡し場は、現在の新田神社付近であったと思われ、当時の多摩川は今より東へ大きく湾曲していたと考えられる。江戸時代に、平賀源内により浄瑠璃「神霊矢口渡」が作られ、歌舞伎でも上演されるようになると、この渡しは有名になった。渡し場は、流路の変遷と共にその位置をいくたびか変え,この付近になったのは江戸中期からであると考えられる。多摩川に数ケ所あった渡しのうち、ここは区内最後の渡船場として、多摩川大橋が完成する昭和24年(1949)まで利用された。対岸を望む。橋の中ほどに「...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その6。散策路案内板。矢口の渡し。多摩川大橋。電波塔。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その5。ハマダイコン。桜並木。ガス橋。下丸子・キヤノン本社。

    ゴルフ練習場。「たまリバー残り9.8K」。ハマダイコンが咲き乱れる土手。ハマダイコン(浜大根)は日本全国の海や川沿いの砂地に自生する多年草。野菜の大根と同じアブラナ科の植物ですが、ハマダイコン(浜大根)の根は細くて野菜のダイコンとは全く異なります。ハマダイコン(浜大根)は食用や漢方に用いられます。花色は薄紫色から白色で、大根の花に似ています。花径は2㎝ほどです。草丈は30~70cmくらいで、群生して咲きます。咲く前の花芽はお浸しに、葉は塩漬けや炒め物に使えるそうです。ハマダイコン(浜大根)の根は細くて繊維質が多く、野菜の大根のように美味しいものではありませんが、おろすと大根おろしよりさらに辛い大根おろしになると言われています。ぷっくりしたエンドウ豆のような実(種)ができています。「海から12K」。「たまリ...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その5。ハマダイコン。桜並木。ガス橋。下丸子・キヤノン本社。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その4。田園調布。東京都水道局調布取水所・調布取水堰。多摩川駅。丸子橋。

    森が多摩川に迫ってきます。釣り人。上流を望む。東急線の橋梁。手前には、「東京都水道局調布取水所」。調布取水堰は、多摩川から取水した原水を調布浄水場および玉川浄水場に送る施設で、大田区田園調布に玉川水道株式会社によって昭和11年(1936)に完成した。取水堰。東急線。左に「多摩川駅」。多摩川園(たまがわえん)は、東京都大田区田園調布にかつて存在した遊園地である。現在の東急電鉄多摩川駅の駅前に正面入口があり、面積は約5ヘクタールであった。1925年(大正14年)12月23日に「温泉遊園地多摩川園」としてオープン。同年には丸子多摩川花火大会も開始されている。園内には、飛行塔、お化け屋敷、メリーゴーランドの遊戯施設があり、菊人形展でも多くの客で賑わった。また多摩川駅の反対側の台地にも、付属施設として展望塔や「松の...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その4。田園調布。東京都水道局調布取水所・調布取水堰。多摩川駅。丸子橋。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その3。満開のツツジ。両岸にある「等々力」。世田谷区から大田区に。多摩川台公園。

    沿道に満開のツツジ。「等々力排水樋管」。「等々力」という地名は、対岸の川崎市にもあります。当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている。江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された。・・・江戸時代に「等々力」の字が当てられた。この付近の今昔。2010年代の...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その3。満開のツツジ。両岸にある「等々力」。世田谷区から大田区に。多摩川台公園。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その2。「孤独なライオン」。等々力大橋(仮称)。等々力渓谷。

    「孤独なライオン」。どういうわけで、一頭だけ?この疑問を追求したブログ「デイリーポータルZ」には、その疑問が解決されていく記事が掲載されています。それによると、40年近く前、ライオンの近くには・パンダの遊具があった・「前後に揺れる遊具」や砂場もあった・ライオンは台風のたびに埋まる当時の写真などを発見、ついに、区役所による周囲の発掘作業に立ち会うことになります。そこでの発見は?事の次第・興味深い話は、下記の記事をご覧下さい。(写真・図を借用しました。)多摩川に埋まる遊具「孤独なライオン」の発掘調査に立ち会った【完結編】::デイリーポータルZ(dailyportalz.jp)2010年代のようす。1970年代のようす。ライオンなど遊具があった?こんな経緯があったのです。ライオンだけ撤去されずに残されて、今に至...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その2。「孤独なライオン」。等々力大橋(仮称)。等々力渓谷。

  • 東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その1。玉川西陸閘。岸辺の散策路。二子玉川公園。

    4月28日(金)快晴。多くの乗降客でにぎわう駅の改札口から。多摩川土手に向かいます。駅構内のようす。「二子玉川駅」。ホームの一部は多摩川に。多摩川の旧土手。「玉川西陸閘」。レンガ造りが印象的。結構な高さと幅。南東に延びています。かつてこの上を歩いたことがあります。現在の堤防に上がります。土手の松がすくっと高く。駅のホームを振り返る。河口に向けて出発。対岸遠くは、武蔵小杉付近の高層マンション群。河川敷を歩きます。直線に伸びる道。松並木。水辺の散策路。左手に緑豊かな大きな公園。「二子玉川公園」。多摩川を見下ろす。平成25年4月14日(日曜日)にオープンし、多くの皆さまにご利用いただいている二子玉川公園。二子玉川駅より徒歩9分と、国分寺崖線のみどりと多摩川の水辺に囲まれた場所に位置している自然豊かな公園です。世...東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その1。玉川西陸閘。岸辺の散策路。二子玉川公園。

  • 向島百花園。4月29日(土)。すっかり初夏の模様。なにわいばら。しゃくやく(芍薬)。むさしのきすげ。たにうつぎ。ひつじぐさ。ゆきもちそう。・・・

    久々の「向島百花園」。緑もめっきり濃くなって、初夏の雰囲気。ばしょう(芭蕉)。なにわいばら。孟宗竹。筍もあっという間に生長しています。しゃくやく(芍薬)。むさしのきすげ。たにうつぎ。ひめうつぎ。たむけやま。梅もしっかりと実をつけています。こうとうじ(紅冬至)。しろかが(白加賀)。ぼだいじゅ(菩提樹)。四阿から。つがいのカルガモ。そのうち、ひな鳥が泳ぎ回る?あやめ。ひし。ひつじぐさ。ゆきもちそう。しらいとそう。ちょうじそう。次回来るときには、もっと夏らしくなっていることでしょう。向島百花園。4月29日(土)。すっかり初夏の模様。なにわいばら。しゃくやく(芍薬)。むさしのきすげ。たにうつぎ。ひつじぐさ。ゆきもちそう。・・・

  • 京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その8。水道局砧下浄水所。陸閘(りっこう)。野川。二子玉川駅。

    上流を望む。二子玉川駅に近づいてきます。東京都水道局砧下浄水所。上流にあった同じような給水塔があります。広場やグランドが河川敷に広がります。この先、土手の道に「自転車通行できません」との表示。それを無視し、走る自転車が戻ってきます、「陸閘」。陸閘(りっこう)は、多摩川の水害から暮らしを守る目的で大正時代に作られた堤防の一部を削り、堤防内外への通路としたものです。この通路は、増水などにより川の水位が上昇した際に、手動で門扉のように締め切り、水が堤防の外(多摩川河川敷外)へ流れ出るのを防ぐ仕組みとなっていました。陸閘は玉川1丁目に2か所あり、それぞれ「西陸閘」「東陸閘」と呼ばれ現存しています。レンガ造りの壁が印象的です。・・・さて、こうして古くから地域の人々の生活に寄り添ってきた堤防と陸閘ですが、現在でもその...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その8。水道局砧下浄水所。陸閘(りっこう)。野川。二子玉川駅。

  • 京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その7。狛江水辺の楽校。東京都水道局砧浄水場。宇奈根の渡し。

    先に進みます。自動車教習所。ここも水害の被害を受けたところなのでしょうか?「狛江水辺の楽校」。狛江水辺の楽校は、わき水や小川、池、雑木林、オギ原、化石島など多摩川らしい自然と景観を残す私たち市民の共有財産といえる貴重な水辺の空間です。多摩川流域でもこれほど恵まれた自然環境を保持しているところは数多くありません。私たちは、こうした環境を大切にして次代の子どもたちに引き継ぎたいと考え、この水辺の価値を考え、この水辺の価値を共有する市民や団体、そして狛江市との協働で運営協議会を設け、環境保全の管理・運用に当たっています。(この項、「狛江水辺の楽校」HPより)※都内でほぼ確実に化石が見つかる場所のようです。「東京都水道局砧浄水場」。世田谷区喜多見。「警視庁白バイ訓練所」。「東名高速道路」橋脚が見えてきます。「警視...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その7。狛江水辺の楽校。東京都水道局砧浄水場。宇奈根の渡し。

  • 京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その6。万葉歌碑。絵手紙発祥の地 狛江。多摩水道橋。「多摩川決壊の碑」。岸辺のアルバム。

    万葉歌碑。多麻河伯爾左良須テ豆久利佐良左良爾奈仁曽許能児乃己許太可奈之伎『万葉集』巻14の東歌の一首「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき」が刻まれた歌碑で、松平定信の揮毫になります。文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方4丁目辺り)に建てられましたが、洪水によって流失しました。大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると、松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して、大正13年(1924)、旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。解説文。玉川碑「万葉歌碑」。「万葉通り」。水神。さて、多摩川歩きを再開。足もとを見ると、「絵手紙発祥の地狛江」と。この先もいくつか発見。下流に「多摩水道橋」。狛江市立西河原公園。「海から24K」。「多摩水道橋」。初代「多摩水道橋」の碑。初代の多摩...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その6。万葉歌碑。絵手紙発祥の地狛江。多摩水道橋。「多摩川決壊の碑」。岸辺のアルバム。

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