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2022/11/07

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  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・

    鴨志田地区。西側(白紙の地域)は、町田市。周辺は、今でも緑豊か。この一帯は、横浜市青葉区にあり、中高層住宅や一戸建ての住宅が建ち並んでいます。1970年代のようす。日体大を含め、丘陵地帯の大規模な住宅開発が進められている。2010年代のようす。住宅が建ち並び、大きな街造りになっている。「鴨志田」住宅地区は、上部。おしゃれな飲食店などが。「鴨志田公園」から下っていくと、大きな森と、田畑が。懐かしい田園風景が広がります。「寺家田んぼ」。森の中の小道。「くまの橋」。「むじな池」。この辺一帯は、「寺家ふるさとの森」と名付けられています。「寺家ふるさとの森」。森を出ると、田んぼが見えてきます。寺家ふるさと村東京都町田市と川崎市に隣接し、雑木林の丘に挟まれた「谷戸田」と呼ばれる細長く伸びた水田が幾筋もある「昔ながらの...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・

  • 浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。

    隅田川越しのスカイツリー。やはり満開の桜も入れないと、シダレザクラの向こうに。29日は久々の晴れ。気温の上昇に伴って、雲も夏雲のような・・・。墨田区側に比べると、人通りは少ない。足もとには小さな花が満開。桜橋のたもとで。「ワシントン桜」。1912年(明治45年)、東京市(当時)はアメリカ合衆国ワシントンD.Cへ桜を贈りました。これらはポトマック河畔の桜として大切に育てられ、桜の名所として親しまれています。ここに植えてある桜は、桜橋の架橋(1985年ー昭和60年ー)にあわせて、ワシントンの桜(子孫木)の里帰りをじつげんさせたものです。・・・「桜橋」の下を眺めると、いました!都鳥(ゆりかもめ)の群れが。このところ、隅田川ではまったく見かけませんでしたが。一安心しました。鳥が悠々と大空を。「墨堤通り」の桜並木。...浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。

  • 久々の晴れ間。隅田公園の桜も満開。人出もたくさん。

    スカイツリーと満開の桜。枝垂れ桜。右は首都高。ソトオリヒメ。ベニユタカ。シダレザクラ。隅田公園にて。満開の桜の下。お昼時なので、親子連れがお弁当を広げています。外国人の姿も見かけます。隅田川の土手のソメイヨシノも満開。満開の桜の下、そぞろ歩き。隅田川を行き来する観光船・大型ボート。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0b/84f25e509b2ab12bae8318e4ca363361.jpg">久々の晴れ間。隅田公園の桜も満開。人出もたくさん。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。

    かつての尾根道を進みます。この通りは、「こどもの国通り」。道の右側(川崎市側)は眼下に広がります。足もとのマンホールは、町田市。左に折れ、「三輪青葉公園」沿いに。右手では、TBSの「テレビスタジオ(緑山スタジオ)」を建設中。右下が開けてきます。遠くに丹沢山塊が見えます。この付近で、都県境は、左手にある「こどもの国」の敷地内に進みます。「こどもの国」沿いの道。「こどもの国」正門。こどもの国神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町に跨って所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設。戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、195...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。

    対岸へ回ります。アシの茂みにシラサギ。都県境は直線で南へ。この付近の今昔。2010年代のようす。東側は緑地帯。1880年代のようす。鶴見川はほぼ現状のまま。「精進場橋」から上流を望む。※この橋は、右岸、左岸とも町田市三輪町に接しています。右岸にある「鶴見川河川管理境界」標。右(下流)が東京都(町田市)、左(上流)が神奈川県(川崎市)。対岸(左岸)に見える「管理境界」標。振り返ると、右手のブロック塀が境界線のようです。この先、都県境の道はたどれそうもないので、「精進場橋」からの道に迂回します。左手に立派なお屋敷。町田市消防団のところを右折します。この辺が都県境?ちょっと都県境をかすめて進むと、左手に「ジップゴルフアリーナ」。そのまま広い道を直進すると、その先で都県境に合流しますが、ゴルフ場脇の緑地帯を歩きま...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。

    東京地方。散り始めた「ソメイヨシノ」が雨に打たれています。花冷えという感じ。散る桜を愛でる外出も出来ず、・・・。「都県境」を探る旅の続きの報告を。このところの変化の激しい時節。ちょっと季節感がずれてしまっているかもしれません。3月11日(土)。快晴。鶴川駅下車。「鶴見川」の前回地点から、再開。「睦橋」。対岸は、町田市になりますが、すぐ都県境は、鶴見川左岸から北に向かいます。東京都と明示。この道が都県境。右が川崎市、左が町田市。左は、鶴川駅のホーム。都県境は、線路を横切り、向こう側に進むので、回り道をします。○の部分が入り組んだ都県境になります。見て分かるとおり、行政区分がはっきりしていて、川崎市にはまったく関わっていない。↓が線路の向こうの都県境。交差点を右折します。「真光寺川」沿いに。小田急線のガードを...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamaki niime。大正橋。

    この付近の都県境は、鶴見川の旧流路沿いになっています。そのため、鶴見川をはさんで、町田市と横浜市が入り組んでいます。下流を望む。小田急線の手前で都県境は左に折れる。「河川管理境界鶴見川」。←横浜川崎治水事務所川崎治水センター→東京都南多摩東部建設事務所ここにも記されているように、神奈川県側は「川崎市麻生区」となります。左にある旧流路沿いの遊歩道へ。右手に見えるマンションは、川崎市麻生区。正面奥が小田急線。小田急線沿いに戻ります。小田急線沿いの道がしばらくは都県境。左にユニークな建物が。コロナ禍だから、関東に初の直営店。東京町田の洞窟みたいな家がtamakiniimeの第2の拠点に!有限会社玉木新雌2021年6月6日21時10分tamakiniimeTOKYOMACHIDAオープンのご案内播州織の産地・...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamakiniime。大正橋。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。

    「玉川学園」まで緩やかな上り坂。都県境の道になっています。高校生達がすごい勢いで坂を下っていきます。小田急線「玉川学園前駅」に向かっているのでしょう。都県境は、玉川学園内を通り、和光大学方向に進みます。(「今昔マップ」より)かつては丘陵地帯。それが今では。※「玉川学園」は、小田急線をはさんで(丘で越えて)、東西に大きく広がり、正門は「玉川学園前駅」の北口を出たところにある。東口案内所から構内へ。都県境の道は公道のようです。校舎が並ぶ。この建物は、町田市に属しています。右手に、「教育博物館」。この建物は、横浜市青葉区に。創立者が生んだ「全人教育」を実践すること、それが玉川の教育創立者小原國芳が1921年に開催された八大教育主張講演会で「全人教育」を提唱し、100年が経ちました。その間全人教育を教育方針に掲げ...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。

  • 仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。

    墨堤通りの桜もようやく咲き始めました。ヨウコウ(陽光)。センダイヤ(仙台屋)。エドヒガン(江戸彼岸)。オオシマザクラ(大島桜)。帰り道に「向島百花園」に寄ってみました。ここもめっきり春らしい装いに。カンヒザクラ(寒緋桜)。木瓜。ふりそでやなぎ。三椏(みつまた)。水面にてっぺんだけを映すスカイツリー。やっと春めく園内。さんしゅゆ。サンシュユ(山茱萸)ミズキ科ミズキ属の落葉小高木。中国原産で、春先に葉が出る前に黄色い花を咲かせ、秋にグミに似た赤い実をつける。別名でハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミとも呼ばれる。山茱萸(サンシュユ)は漢名(中国植物名)で、この音読みが和名の由来である。日本名の別名ハルコガネバナ(春黄金花)は、早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることからついた呼び名で、日本植物学者の牧野...仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。

    右手にあるお店のところで、都県境は、鋭角で折れていきます。下方の△のところ。右下から来て、左下へ。賑やかな通りをかすめるように、鋭角に折れて行きます。右手にある「都市再生機構奈良北団地」は、横浜市青葉区奈良。曲がったあと、振り返る。(写真で)通りの右側は、町田市成瀬台地区。この先で、右折します。右は横浜市青葉区、左は町田市成瀬台。町田市成瀬台の住宅地。町田市「中央通り」。ここを右折します。団地のところで、小休止。正面にある急坂を上ります。と、広い道に。住居表示。「町田市東玉川学園」の住宅地が広がります。右手は横浜市緑区・保存地区の森。眼下は、横浜市青葉区方面。右下は、「モアクレスト玉川学園」(横浜市青葉区)。横浜市青葉区。かつての尾根道・都県境を進みます。左下に町田市玉川学園の町並みが広がります。丹沢・大...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。

  • 春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。

    3月19日(日)。快晴。一昨日からの寒の戻り、冷たい雨のあと、今日は打って変わって春らしい暖かさ。春の気配に誘われて、隅田川の桜見物に。まだ2分咲き、といった感じですが、それでもけっこうたくさんの人たちが。まだ風が冷たくて、「春爛漫」とまではいきませんが、・・・。枝垂れ桜が満開。日曜も仕事なのか、サラリーマンが桜の下で。歩道沿いには、ユキヤナギ。グランドでは少年野球の大会が開かれ、大勢の少年少女が勢揃い。掛け声を掛け合ってウオーミングアップ。こちらのグランドではサッカーの試合が。二分咲きの桜をバックに。隅田川ではモーターボートが水しぶきを上げて下流に向かっています。墨田区側の堤では「さくらまつり」の準備で大忙し。各町内会のテントが張られ、雪洞が飾られ、飲み物や食べ物準備など、大慌てで準備を進めています。こ...春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。

    左は住宅地、右は都県境になっている緑地帯。この付近(町田市側)の宅地開発は、丘陵地帯の一部を切り崩しての大がかりなものでした。1970年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)2010年代のようす。北西側はすっかり住宅街に。1880年代のようす。都県境はほぼそのまま。フェンス沿いに都県境。緑地(横浜市)。ユニークな建物。「studiogalleryPlannnet」。急な階段。西側方向を望む。久々に見つけた「飛び出し坊や」。遠く丹沢山塊が。一番左が「大山」(のはず)。頑丈なフェンスでガードされている緑地帯。この先、こういう光景をしばしば見受けます。「都県境」標石。来た道を振り返る。切通しの道路を越えて向こう側へ。階段下にいる人の背丈と比べると、けっこうな上り階段ということが分かります。横浜市青葉...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。

    右が住宅地(横浜市)、左が森(町田市)。町田市成瀬5丁目。梅が満開。坂道で振り返る。まもなく左手が開けてきます。町田市街地。広場で保育園児が遊ぶ。起伏があって面白そうに走り回っています。「成瀬尾根の山岳展望図」。左から右へ、箱根連山、丹沢、御坂、南アルプス、大菩薩、奥秩父、奥秩父、奥武蔵まで一望できる、とのこと。西側には雲が多く、大山など丹沢山塊はよく見えましたが、その他は確認できず、残念!尾根道が都県境になっています。都県境を示す標石。右が横浜市、左が町田市。農地が左右に広がっています。横浜市側。町田市側。分かれ道を左に。足もとには、境界を示す標石が順々に埋め込まれています。町田市の標石。市章が刻まれています。これは、横浜市の市章。「風の広場」に到着。横浜市側には梅が満開。「源流の森保存地区横浜市」。源...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。

    恩田川・上流を望む。奥に見えるのは、町田市立総合体育館。桜が満開時にはさぞかし。対岸は、町田市成瀬。高台から長津田駅方面を望む。広い通りに出ます。「横浜市青葉区」。ちょっと戻ると、「吹上の石仏」。この付近に都県境があります。振り返ると、「東京都町田市」。高台を通っている都県境に向かいます。目の前には、けっこうな階段が。振り返る。頂上から南を望む。西を望む。この辺の方々は、いつもこの上り下りを・・・。車でも怖いくらいの坂道。隅田川以東のまったく起伏のない、平坦な土地に住む人間にはもう疲れる!※上り下りする道は、荒川などの川に架かる橋を越えるところしかありません。この道が都県境となります。(右側)横浜ナンバー(左側)多摩ナンバー。振り返り、振り返り、・・・。住宅地のはずれに、「成瀬山吹特別緑地保全地区」。名称...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。

    今回からしばらく。多摩丘陵を上がったり、下ったり、迂回したり・・・。多摩川に出るまでは、けっこう起伏に富んだコースとなりそうです。前回のところから、歩きを開始。都県境は左から右へ横切る。右折すると、この細道が都県境。左が町田市、右が横浜市。突き当たりを左折すると、右手のこんもりとした森の一角に、墓碑が2つ。正面は、日露戦争で戦死した兵士を悼む碑。解説板。「日露戦争の旅順港攻略作戦・白たすき決死隊・中野好治の忠魂碑」。司馬遼太郎の描く日露戦争『坂の上の雲』・旅順要塞第3次総攻撃乃木と伊地知がやった第3次総攻撃ほど戦史上愚劣な作戦計画はない。相変わらず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦の全てを日本人の勇敢さのみに頼った乃木司令部というのは、ただ「突撃せよ」と死を命ずるのみで、計画と判断の中枢であると...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。

    いったん国道246号の東南に進んだ都県境が再び西側に移ります。「横浜みどりの森(墓園)」の西をかすめるように進みます。住宅街を歩くことに。都県境からは西に外れてしまいますが。左の森が都県境。テニスクラブの素敵な建物。さらに、都県境は、「森村学園」の西側を進みます。生徒がたくさん下校中。東急田園都市線「つくし野駅」。右手奥が都県境。この付近で、線路を越えて都県境が来ます。都県境を進むと、JR横浜線に突き当たり、さらに、東急長津田検車区へ。横浜線の踏切を通り、跨線橋で向こう側に。横浜線。正面が東急田園都市線。大きな車両基地。右手、中央付近を都県境(町田市と横浜市)が通っています。長津田駅方向へ。横浜市のマンホール。この付近が都県境?すでに横浜市内に。横浜ナンバーの車。横浜市のマンホール。ベイブリッジがモチーフ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。

    この付近の今昔。2010年代のようす。鋭角に折れる都県境。1880年代のようす。当時から鋭角に折れている。「横浜町田IC」付近の込み入った道を避けて、迂回し、インターの北側に。東名の向こう側のラブホテル街。東名を走っているとき、短い距離で「神奈川県から東京都」、「東京都から神奈川県」と標示されるところです。料金所へ向かう道路に沿って、回り込みます。「横浜町田料金所」。その手前で、都県境の道に復帰。左が町田市、右が横浜市。振り返る。この付近もホテルが建ち並ぶ。横浜市のマンホール。「町田市辻」交差点。ここは、「八王子絹の道」歩きで通過しました。奥から来て、東名入口交差点から南に向かいました。今回は、右折して「国道246号」を進みます。左側に「道祖神」。「渋谷(まで)29㎞長津田(まで)3㎞」。「すずかけ台駅こ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。

    鶴瀬橋。対岸は、神奈川県大和市。一つ下流にある「鶴間橋」から左に折れて「国道246号線」をくぐります。境川下流を望む。横浜市のマンホール。ここは、横浜市瀬谷区。中央に市章。地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしている。「目黒」交差点。左折すると、右手に「五貫目道祖神」。解説板。五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)現所在地より約300㍍西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。現在の道祖神は徳川後期安政三年丙辰八月と記され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行き来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。

  • 向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。

    百花園を出て、隅田公園へ。百花園を出たとたん、「ホーホケキョ」と。園内から聞こえてきました。これぞ、「うぐいすの初音」。一瞬、春を感じました。姿を見せず、啼く鶯。その初音を聞くことができ、何だか気分がいい。「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスが…(「東京新聞2020年11月12日07時19分」より)「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスがその年の春に初めて鳴く声のことである。「初音」が昔から大切にされたのは人々の春を待つ心からだろう。春を待つようにウグイスの初声を待つ▼永井荷風が季節の音について書いていた。夏の夜の下駄(げた)の音。油紙で張った傘に時雨のはらはらと降りかかる響き。荷風にとってそういう懐かしい音は時代とともに消えてしまった。「わたくしは蝉(せみ)と蟋蟀(...向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。

  • 向島百花園。梅が散りはじめ、残念! でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。

    7日。快晴。向島百花園を久々に訪問しましたが、残念!梅は、ほぼ散っていました。松の菰外しの作業が進んでいました。すっきりした松。片付けの作業中。遠くに「スカイツリー」。足もとにはフキノトウが花を咲かせています。小さな「雪割草」が、これは、「おおまつゆきそう」。「ぼけ(木瓜)」。奥に「かんひざくら」。いよいよ春本番。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/83/54e24d3e3d7aa2431313a904872dd997.jpg">向島百花園。梅が散りはじめ、残念!でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。

    「国道16号線」バイパスの「境川道路橋」が見えてきます。「二津屋橋」。右岸の旧地名から。「東急田園都市線」鉄橋。左(上り)が「南町田グランベリーパーク」駅方向、右(下り)が「つきみ野」駅方向。横浜水道「水管橋」。解説板。水管・口径1500㎜3条橋長・56m完成・昭和49年(1974年)3月この水管橋は、道志川から取り入れた水や相模湖にためた水を川井浄水場や西谷浄水場まで運ぶ溜の導水路の一部です。3本のうち1本は道志川の水、2本は相模湖の水を運んでいます。最初に水管橋が造られたのは明治20年(1887年)で、当時は口径22インチ(560㎜)と口径18インチ(460㎜)の2本の管が川を渡っていました。左から右に流れている。※手前の水管(1本)は、神奈川県内広域水道企業団の上水管で、酒匂川系統の飯泉取水堰から伊...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。

    迂回路で見かけた旧流路の土手。その先、左手のおうちの庭先で、色んな種類の梅の花が咲きそろっています。ちょっとお邪魔して、よく見ると、メジロがたくさん(○)。この先を右折、境川沿いの道に戻ります。工事用のフェンスが続く。「町田市立定方寺公園」。庭先で見かけた「ふよう(芙蓉)」。(「枯れ芙蓉」)。(「Wikipedia」より)。枯れたあとの姿も印象的です。※「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。大きな通りに出てきました。対岸(右岸)は、「神奈川県大和市」。左岸は、「東京都町田市」。「境川金森調整池工事のお知らせ東京都建設局」。「鶴間橋」。上流の工事現場を望む。ここからは、左岸沿いの「境川ゆっくりロード」を歩きます。左岸は町田市。カルガモ。この先で、保育...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その2。

    シラサギなどの水鳥の姿。水辺テラス。一連の護岸工事では、こうした施設も整備されています。カルガモ。大きな鯉の群れ。錦鯉も混じっています。旧流路跡。この跡に囲まれた一画が相模原市に。(↑)「神奈川県相模原市南区上鶴間本町」(↑)。右側は、町田市。「上鶴間橋」。対岸は、相模原市南区上鶴間本町。微妙に入り組む都県境。「東京都管理地」。振り返る。右(左岸)が町田市、左(右岸)が相模原市。先に進むと、左手に「境川広場」、「防災市民いこいの広場」と続きます。振り返る。鶴金橋から鶴間橋までの間、この先工事箇所で大きく迂回します。「鶴金橋」。この付近の左岸は、旧流路に沿って相模原市が大きく入りこんでいます。旧鶴金橋があるようです。2010年代のようす。旧流路に囲まれた地域が、相模原市に属しています。旧流路跡。梅が満開に。...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その2。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。

    小田急線で町田駅まで。JR町田駅側に回り込み、「境川歩き」を再開します。2月26日(日)。快晴。駅付近も都県境が複雑に入り組んでいます。駅前のデニーズは、相模原市。ヨドバシカメラは、町田市内。境川。「谷口橋」。この付近は、相模原市内。さて、境川の下流に向かって。「鹿島橋」。対岸は、相模原市。「千寿橋」。ここからは、しばらく境川が都県境となります。「原町田境橋広場」。※「原町田」鎌倉時代頃より鎌倉街道が通っていたが、江戸時代半ば頃までは鎌倉時代に宿の置かれた本町田が中心で、この地域は農地や原野が広がっていた。江戸時代後期頃、八王子から横浜へ生糸を運ぶための絹の道や、東海道・大山街道の脇往還がこの地を通り物資の中継地となったため、次第に生糸取引や宿場として栄えるようになり、製糸・織物・乾物を中心とした商業も盛...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。

  • ソウタ。今と昔と。

    今日も元気なソウタ君。相変わらず箱好き。この間も、大きめの箱だけでなく、窮屈でも・・・。ここも窮屈そう。そんなソウタ。家に来たときは・・・、生まれて一ヶ月余り。手のひらに乗せられたほど。ジジと一緒に寝ているソウタ。埋もれています。ジジと同じくらい。それが今、ジジと比べると、この大きさ。ジジをもてあそぶ。少し垂れ目ぎみで、クリクリした眼は変わらず。アンズと相変わらずケンカしながらも、元気です。ソウタ。今と昔と。

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