5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・
鴨志田地区。西側(白紙の地域)は、町田市。周辺は、今でも緑豊か。この一帯は、横浜市青葉区にあり、中高層住宅や一戸建ての住宅が建ち並んでいます。1970年代のようす。日体大を含め、丘陵地帯の大規模な住宅開発が進められている。2010年代のようす。住宅が建ち並び、大きな街造りになっている。「鴨志田」住宅地区は、上部。おしゃれな飲食店などが。「鴨志田公園」から下っていくと、大きな森と、田畑が。懐かしい田園風景が広がります。「寺家田んぼ」。森の中の小道。「くまの橋」。「むじな池」。この辺一帯は、「寺家ふるさとの森」と名付けられています。「寺家ふるさとの森」。森を出ると、田んぼが見えてきます。寺家ふるさと村東京都町田市と川崎市に隣接し、雑木林の丘に挟まれた「谷戸田」と呼ばれる細長く伸びた水田が幾筋もある「昔ながらの...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・
浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。
隅田川越しのスカイツリー。やはり満開の桜も入れないと、シダレザクラの向こうに。29日は久々の晴れ。気温の上昇に伴って、雲も夏雲のような・・・。墨田区側に比べると、人通りは少ない。足もとには小さな花が満開。桜橋のたもとで。「ワシントン桜」。1912年(明治45年)、東京市(当時)はアメリカ合衆国ワシントンD.Cへ桜を贈りました。これらはポトマック河畔の桜として大切に育てられ、桜の名所として親しまれています。ここに植えてある桜は、桜橋の架橋(1985年ー昭和60年ー)にあわせて、ワシントンの桜(子孫木)の里帰りをじつげんさせたものです。・・・「桜橋」の下を眺めると、いました!都鳥(ゆりかもめ)の群れが。このところ、隅田川ではまったく見かけませんでしたが。一安心しました。鳥が悠々と大空を。「墨堤通り」の桜並木。...浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。
スカイツリーと満開の桜。枝垂れ桜。右は首都高。ソトオリヒメ。ベニユタカ。シダレザクラ。隅田公園にて。満開の桜の下。お昼時なので、親子連れがお弁当を広げています。外国人の姿も見かけます。隅田川の土手のソメイヨシノも満開。満開の桜の下、そぞろ歩き。隅田川を行き来する観光船・大型ボート。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0b/84f25e509b2ab12bae8318e4ca363361.jpg">久々の晴れ間。隅田公園の桜も満開。人出もたくさん。
小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。
かつての尾根道を進みます。この通りは、「こどもの国通り」。道の右側(川崎市側)は眼下に広がります。足もとのマンホールは、町田市。左に折れ、「三輪青葉公園」沿いに。右手では、TBSの「テレビスタジオ(緑山スタジオ)」を建設中。右下が開けてきます。遠くに丹沢山塊が見えます。この付近で、都県境は、左手にある「こどもの国」の敷地内に進みます。「こどもの国」沿いの道。「こどもの国」正門。こどもの国神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町に跨って所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設。戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、195...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。
小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。
対岸へ回ります。アシの茂みにシラサギ。都県境は直線で南へ。この付近の今昔。2010年代のようす。東側は緑地帯。1880年代のようす。鶴見川はほぼ現状のまま。「精進場橋」から上流を望む。※この橋は、右岸、左岸とも町田市三輪町に接しています。右岸にある「鶴見川河川管理境界」標。右(下流)が東京都(町田市)、左(上流)が神奈川県(川崎市)。対岸(左岸)に見える「管理境界」標。振り返ると、右手のブロック塀が境界線のようです。この先、都県境の道はたどれそうもないので、「精進場橋」からの道に迂回します。左手に立派なお屋敷。町田市消防団のところを右折します。この辺が都県境?ちょっと都県境をかすめて進むと、左手に「ジップゴルフアリーナ」。そのまま広い道を直進すると、その先で都県境に合流しますが、ゴルフ場脇の緑地帯を歩きま...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。
小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。
東京地方。散り始めた「ソメイヨシノ」が雨に打たれています。花冷えという感じ。散る桜を愛でる外出も出来ず、・・・。「都県境」を探る旅の続きの報告を。このところの変化の激しい時節。ちょっと季節感がずれてしまっているかもしれません。3月11日(土)。快晴。鶴川駅下車。「鶴見川」の前回地点から、再開。「睦橋」。対岸は、町田市になりますが、すぐ都県境は、鶴見川左岸から北に向かいます。東京都と明示。この道が都県境。右が川崎市、左が町田市。左は、鶴川駅のホーム。都県境は、線路を横切り、向こう側に進むので、回り道をします。○の部分が入り組んだ都県境になります。見て分かるとおり、行政区分がはっきりしていて、川崎市にはまったく関わっていない。↓が線路の向こうの都県境。交差点を右折します。「真光寺川」沿いに。小田急線のガードを...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamaki niime。大正橋。
この付近の都県境は、鶴見川の旧流路沿いになっています。そのため、鶴見川をはさんで、町田市と横浜市が入り組んでいます。下流を望む。小田急線の手前で都県境は左に折れる。「河川管理境界鶴見川」。←横浜川崎治水事務所川崎治水センター→東京都南多摩東部建設事務所ここにも記されているように、神奈川県側は「川崎市麻生区」となります。左にある旧流路沿いの遊歩道へ。右手に見えるマンションは、川崎市麻生区。正面奥が小田急線。小田急線沿いに戻ります。小田急線沿いの道がしばらくは都県境。左にユニークな建物が。コロナ禍だから、関東に初の直営店。東京町田の洞窟みたいな家がtamakiniimeの第2の拠点に!有限会社玉木新雌2021年6月6日21時10分tamakiniimeTOKYOMACHIDAオープンのご案内播州織の産地・...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamakiniime。大正橋。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。
「玉川学園」まで緩やかな上り坂。都県境の道になっています。高校生達がすごい勢いで坂を下っていきます。小田急線「玉川学園前駅」に向かっているのでしょう。都県境は、玉川学園内を通り、和光大学方向に進みます。(「今昔マップ」より)かつては丘陵地帯。それが今では。※「玉川学園」は、小田急線をはさんで(丘で越えて)、東西に大きく広がり、正門は「玉川学園前駅」の北口を出たところにある。東口案内所から構内へ。都県境の道は公道のようです。校舎が並ぶ。この建物は、町田市に属しています。右手に、「教育博物館」。この建物は、横浜市青葉区に。創立者が生んだ「全人教育」を実践すること、それが玉川の教育創立者小原國芳が1921年に開催された八大教育主張講演会で「全人教育」を提唱し、100年が経ちました。その間全人教育を教育方針に掲げ...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。
仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。
墨堤通りの桜もようやく咲き始めました。ヨウコウ(陽光)。センダイヤ(仙台屋)。エドヒガン(江戸彼岸)。オオシマザクラ(大島桜)。帰り道に「向島百花園」に寄ってみました。ここもめっきり春らしい装いに。カンヒザクラ(寒緋桜)。木瓜。ふりそでやなぎ。三椏(みつまた)。水面にてっぺんだけを映すスカイツリー。やっと春めく園内。さんしゅゆ。サンシュユ(山茱萸)ミズキ科ミズキ属の落葉小高木。中国原産で、春先に葉が出る前に黄色い花を咲かせ、秋にグミに似た赤い実をつける。別名でハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミとも呼ばれる。山茱萸(サンシュユ)は漢名(中国植物名)で、この音読みが和名の由来である。日本名の別名ハルコガネバナ(春黄金花)は、早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることからついた呼び名で、日本植物学者の牧野...仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。
右手にあるお店のところで、都県境は、鋭角で折れていきます。下方の△のところ。右下から来て、左下へ。賑やかな通りをかすめるように、鋭角に折れて行きます。右手にある「都市再生機構奈良北団地」は、横浜市青葉区奈良。曲がったあと、振り返る。(写真で)通りの右側は、町田市成瀬台地区。この先で、右折します。右は横浜市青葉区、左は町田市成瀬台。町田市成瀬台の住宅地。町田市「中央通り」。ここを右折します。団地のところで、小休止。正面にある急坂を上ります。と、広い道に。住居表示。「町田市東玉川学園」の住宅地が広がります。右手は横浜市緑区・保存地区の森。眼下は、横浜市青葉区方面。右下は、「モアクレスト玉川学園」(横浜市青葉区)。横浜市青葉区。かつての尾根道・都県境を進みます。左下に町田市玉川学園の町並みが広がります。丹沢・大...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。
春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。
3月19日(日)。快晴。一昨日からの寒の戻り、冷たい雨のあと、今日は打って変わって春らしい暖かさ。春の気配に誘われて、隅田川の桜見物に。まだ2分咲き、といった感じですが、それでもけっこうたくさんの人たちが。まだ風が冷たくて、「春爛漫」とまではいきませんが、・・・。枝垂れ桜が満開。日曜も仕事なのか、サラリーマンが桜の下で。歩道沿いには、ユキヤナギ。グランドでは少年野球の大会が開かれ、大勢の少年少女が勢揃い。掛け声を掛け合ってウオーミングアップ。こちらのグランドではサッカーの試合が。二分咲きの桜をバックに。隅田川ではモーターボートが水しぶきを上げて下流に向かっています。墨田区側の堤では「さくらまつり」の準備で大忙し。各町内会のテントが張られ、雪洞が飾られ、飲み物や食べ物準備など、大慌てで準備を進めています。こ...春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。
左は住宅地、右は都県境になっている緑地帯。この付近(町田市側)の宅地開発は、丘陵地帯の一部を切り崩しての大がかりなものでした。1970年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)2010年代のようす。北西側はすっかり住宅街に。1880年代のようす。都県境はほぼそのまま。フェンス沿いに都県境。緑地(横浜市)。ユニークな建物。「studiogalleryPlannnet」。急な階段。西側方向を望む。久々に見つけた「飛び出し坊や」。遠く丹沢山塊が。一番左が「大山」(のはず)。頑丈なフェンスでガードされている緑地帯。この先、こういう光景をしばしば見受けます。「都県境」標石。来た道を振り返る。切通しの道路を越えて向こう側へ。階段下にいる人の背丈と比べると、けっこうな上り階段ということが分かります。横浜市青葉...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。
右が住宅地(横浜市)、左が森(町田市)。町田市成瀬5丁目。梅が満開。坂道で振り返る。まもなく左手が開けてきます。町田市街地。広場で保育園児が遊ぶ。起伏があって面白そうに走り回っています。「成瀬尾根の山岳展望図」。左から右へ、箱根連山、丹沢、御坂、南アルプス、大菩薩、奥秩父、奥秩父、奥武蔵まで一望できる、とのこと。西側には雲が多く、大山など丹沢山塊はよく見えましたが、その他は確認できず、残念!尾根道が都県境になっています。都県境を示す標石。右が横浜市、左が町田市。農地が左右に広がっています。横浜市側。町田市側。分かれ道を左に。足もとには、境界を示す標石が順々に埋め込まれています。町田市の標石。市章が刻まれています。これは、横浜市の市章。「風の広場」に到着。横浜市側には梅が満開。「源流の森保存地区横浜市」。源...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。
恩田川・上流を望む。奥に見えるのは、町田市立総合体育館。桜が満開時にはさぞかし。対岸は、町田市成瀬。高台から長津田駅方面を望む。広い通りに出ます。「横浜市青葉区」。ちょっと戻ると、「吹上の石仏」。この付近に都県境があります。振り返ると、「東京都町田市」。高台を通っている都県境に向かいます。目の前には、けっこうな階段が。振り返る。頂上から南を望む。西を望む。この辺の方々は、いつもこの上り下りを・・・。車でも怖いくらいの坂道。隅田川以東のまったく起伏のない、平坦な土地に住む人間にはもう疲れる!※上り下りする道は、荒川などの川に架かる橋を越えるところしかありません。この道が都県境となります。(右側)横浜ナンバー(左側)多摩ナンバー。振り返り、振り返り、・・・。住宅地のはずれに、「成瀬山吹特別緑地保全地区」。名称...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。
東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。
今回からしばらく。多摩丘陵を上がったり、下ったり、迂回したり・・・。多摩川に出るまでは、けっこう起伏に富んだコースとなりそうです。前回のところから、歩きを開始。都県境は左から右へ横切る。右折すると、この細道が都県境。左が町田市、右が横浜市。突き当たりを左折すると、右手のこんもりとした森の一角に、墓碑が2つ。正面は、日露戦争で戦死した兵士を悼む碑。解説板。「日露戦争の旅順港攻略作戦・白たすき決死隊・中野好治の忠魂碑」。司馬遼太郎の描く日露戦争『坂の上の雲』・旅順要塞第3次総攻撃乃木と伊地知がやった第3次総攻撃ほど戦史上愚劣な作戦計画はない。相変わらず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦の全てを日本人の勇敢さのみに頼った乃木司令部というのは、ただ「突撃せよ」と死を命ずるのみで、計画と判断の中枢であると...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。
小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。
いったん国道246号の東南に進んだ都県境が再び西側に移ります。「横浜みどりの森(墓園)」の西をかすめるように進みます。住宅街を歩くことに。都県境からは西に外れてしまいますが。左の森が都県境。テニスクラブの素敵な建物。さらに、都県境は、「森村学園」の西側を進みます。生徒がたくさん下校中。東急田園都市線「つくし野駅」。右手奥が都県境。この付近で、線路を越えて都県境が来ます。都県境を進むと、JR横浜線に突き当たり、さらに、東急長津田検車区へ。横浜線の踏切を通り、跨線橋で向こう側に。横浜線。正面が東急田園都市線。大きな車両基地。右手、中央付近を都県境(町田市と横浜市)が通っています。長津田駅方向へ。横浜市のマンホール。この付近が都県境?すでに横浜市内に。横浜ナンバーの車。横浜市のマンホール。ベイブリッジがモチーフ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。
小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。
この付近の今昔。2010年代のようす。鋭角に折れる都県境。1880年代のようす。当時から鋭角に折れている。「横浜町田IC」付近の込み入った道を避けて、迂回し、インターの北側に。東名の向こう側のラブホテル街。東名を走っているとき、短い距離で「神奈川県から東京都」、「東京都から神奈川県」と標示されるところです。料金所へ向かう道路に沿って、回り込みます。「横浜町田料金所」。その手前で、都県境の道に復帰。左が町田市、右が横浜市。振り返る。この付近もホテルが建ち並ぶ。横浜市のマンホール。「町田市辻」交差点。ここは、「八王子絹の道」歩きで通過しました。奥から来て、東名入口交差点から南に向かいました。今回は、右折して「国道246号」を進みます。左側に「道祖神」。「渋谷(まで)29㎞長津田(まで)3㎞」。「すずかけ台駅こ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。
小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。
鶴瀬橋。対岸は、神奈川県大和市。一つ下流にある「鶴間橋」から左に折れて「国道246号線」をくぐります。境川下流を望む。横浜市のマンホール。ここは、横浜市瀬谷区。中央に市章。地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしている。「目黒」交差点。左折すると、右手に「五貫目道祖神」。解説板。五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)現所在地より約300㍍西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。現在の道祖神は徳川後期安政三年丙辰八月と記され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行き来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。
向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。
百花園を出て、隅田公園へ。百花園を出たとたん、「ホーホケキョ」と。園内から聞こえてきました。これぞ、「うぐいすの初音」。一瞬、春を感じました。姿を見せず、啼く鶯。その初音を聞くことができ、何だか気分がいい。「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスが…(「東京新聞2020年11月12日07時19分」より)「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスがその年の春に初めて鳴く声のことである。「初音」が昔から大切にされたのは人々の春を待つ心からだろう。春を待つようにウグイスの初声を待つ▼永井荷風が季節の音について書いていた。夏の夜の下駄(げた)の音。油紙で張った傘に時雨のはらはらと降りかかる響き。荷風にとってそういう懐かしい音は時代とともに消えてしまった。「わたくしは蝉(せみ)と蟋蟀(...向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。
向島百花園。梅が散りはじめ、残念! でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。
7日。快晴。向島百花園を久々に訪問しましたが、残念!梅は、ほぼ散っていました。松の菰外しの作業が進んでいました。すっきりした松。片付けの作業中。遠くに「スカイツリー」。足もとにはフキノトウが花を咲かせています。小さな「雪割草」が、これは、「おおまつゆきそう」。「ぼけ(木瓜)」。奥に「かんひざくら」。いよいよ春本番。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/83/54e24d3e3d7aa2431313a904872dd997.jpg">向島百花園。梅が散りはじめ、残念!でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。
小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。
「国道16号線」バイパスの「境川道路橋」が見えてきます。「二津屋橋」。右岸の旧地名から。「東急田園都市線」鉄橋。左(上り)が「南町田グランベリーパーク」駅方向、右(下り)が「つきみ野」駅方向。横浜水道「水管橋」。解説板。水管・口径1500㎜3条橋長・56m完成・昭和49年(1974年)3月この水管橋は、道志川から取り入れた水や相模湖にためた水を川井浄水場や西谷浄水場まで運ぶ溜の導水路の一部です。3本のうち1本は道志川の水、2本は相模湖の水を運んでいます。最初に水管橋が造られたのは明治20年(1887年)で、当時は口径22インチ(560㎜)と口径18インチ(460㎜)の2本の管が川を渡っていました。左から右に流れている。※手前の水管(1本)は、神奈川県内広域水道企業団の上水管で、酒匂川系統の飯泉取水堰から伊...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。
小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。
迂回路で見かけた旧流路の土手。その先、左手のおうちの庭先で、色んな種類の梅の花が咲きそろっています。ちょっとお邪魔して、よく見ると、メジロがたくさん(○)。この先を右折、境川沿いの道に戻ります。工事用のフェンスが続く。「町田市立定方寺公園」。庭先で見かけた「ふよう(芙蓉)」。(「枯れ芙蓉」)。(「Wikipedia」より)。枯れたあとの姿も印象的です。※「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。大きな通りに出てきました。対岸(右岸)は、「神奈川県大和市」。左岸は、「東京都町田市」。「境川金森調整池工事のお知らせ東京都建設局」。「鶴間橋」。上流の工事現場を望む。ここからは、左岸沿いの「境川ゆっくりロード」を歩きます。左岸は町田市。カルガモ。この先で、保育...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。
シラサギなどの水鳥の姿。水辺テラス。一連の護岸工事では、こうした施設も整備されています。カルガモ。大きな鯉の群れ。錦鯉も混じっています。旧流路跡。この跡に囲まれた一画が相模原市に。(↑)「神奈川県相模原市南区上鶴間本町」(↑)。右側は、町田市。「上鶴間橋」。対岸は、相模原市南区上鶴間本町。微妙に入り組む都県境。「東京都管理地」。振り返る。右(左岸)が町田市、左(右岸)が相模原市。先に進むと、左手に「境川広場」、「防災市民いこいの広場」と続きます。振り返る。鶴金橋から鶴間橋までの間、この先工事箇所で大きく迂回します。「鶴金橋」。この付近の左岸は、旧流路に沿って相模原市が大きく入りこんでいます。旧鶴金橋があるようです。2010年代のようす。旧流路に囲まれた地域が、相模原市に属しています。旧流路跡。梅が満開に。...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その2。
小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。
小田急線で町田駅まで。JR町田駅側に回り込み、「境川歩き」を再開します。2月26日(日)。快晴。駅付近も都県境が複雑に入り組んでいます。駅前のデニーズは、相模原市。ヨドバシカメラは、町田市内。境川。「谷口橋」。この付近は、相模原市内。さて、境川の下流に向かって。「鹿島橋」。対岸は、相模原市。「千寿橋」。ここからは、しばらく境川が都県境となります。「原町田境橋広場」。※「原町田」鎌倉時代頃より鎌倉街道が通っていたが、江戸時代半ば頃までは鎌倉時代に宿の置かれた本町田が中心で、この地域は農地や原野が広がっていた。江戸時代後期頃、八王子から横浜へ生糸を運ぶための絹の道や、東海道・大山街道の脇往還がこの地を通り物資の中継地となったため、次第に生糸取引や宿場として栄えるようになり、製糸・織物・乾物を中心とした商業も盛...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。
今日も元気なソウタ君。相変わらず箱好き。この間も、大きめの箱だけでなく、窮屈でも・・・。ここも窮屈そう。そんなソウタ。家に来たときは・・・、生まれて一ヶ月余り。手のひらに乗せられたほど。ジジと一緒に寝ているソウタ。埋もれています。ジジと同じくらい。それが今、ジジと比べると、この大きさ。ジジをもてあそぶ。少し垂れ目ぎみで、クリクリした眼は変わらず。アンズと相変わらずケンカしながらも、元気です。ソウタ。今と昔と。
「ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?
5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
神保町に出かけたついでに酒屋さんへ。この酒屋さんは全国の地酒を置いてあります。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/48d17bea432009ba28d8ae497f58e483.jpg">「呼友(こゆう)」。x
今度は、左の方の源流をたどっていきます。・・・生息地へ流れ込む生活排水は約千五百世帯分で、日量約千立方メートルだ。その生活排水を県と民間養鱒場から放流する日量約二万立方メートルのきれいな水で希釈しているのが現状なのだ。水質測定結果から、生活排水による汚濁の進行が明らかとなり、稚魚や餌となる甲殻類への影響が懸念されている。このままでは近い将来、絶滅のおそれもある。絶滅させないためには、この区域に最低三kmは生活排水を流入させない対策が急務である。京都府と兵庫県の一部に生息し絶滅したミナミトミヨの二の舞になることは、是が非でも防がなくてはならない。世界で唯一熊谷市にしか生息していない希少種ムサシトミヨを守れるとすれば、それは、流域住民の意志と行政の決断にかかっている。(この項、「埼玉新聞」より)この記事のうち...c
<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d1/46ecbb9c96ed82474989a87876322445.jpg">z
すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。狭間によく鉄道を敷いたものです。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/28/8819281773775eef0c1760fb7dfab12a.jpg">z
10月1日。晴れ。八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」沿線(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ渋川駅寄り)まで歩く予定です。「川原湯温泉駅」に12時ころ到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。思ったよりも汗をかきました。※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着きます。無理して歩く必要はありません。旧線路が眼下に見えます。エレベータで下まで降り、通路を歩くと、一気にダム下に。この橋から...a
高麗川駅に近づきます。住宅と田畑と。緩やかな丘陵地帯。豊かな緑の中に住宅が。畑が広がっています。「高麗川駅」に到着。隣のホームから「八王子行き」。スムーズに乗り換え。当駅の所属線である八高線と、当駅を終点とする川越線の分岐駅となっている。八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。※川越線埼玉県の県庁所在地であるさいたま市か...z
しだいに雨も上がり、青空が広がってきます。住宅が増えてきます。「明覚(みょうかく)駅」。埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠(ばんしょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。ときがわ(都幾川)町にある唯一の鉄道駅で関東の駅百選にも認定されている。※当時の村名が「明覚村」であったことにちなむとする説と、当時「妙覚寺」というお寺があり、それが「明覚」に転訛したという説がある。1988年(昭和63年)11月9日:午前3時頃出火し、駅舎が全焼。1989年(平成元年)9月18日:現駅舎完成。駅舎は旧・都幾川村の木を使用して建築された。1995年に駅舎がグッドデザイン賞受賞。1997年(平成9年):「関東の駅百選」第1回選定駅になる。選定理由は「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの...x
「児玉駅」。埼玉県本庄市児玉町児玉にある。1931年(昭和6年)7月1日:鉄道省八高北線(現・八高線)児玉駅-倉賀野駅間開通時に終着駅として開設。盲目の国学者塙保己一塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時に病気のために失明し、15歳になって江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。保己一は当道座での修業を積み苦労を重ねて立身し、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。保己一は国学者としても著名であり、「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続...z
倉賀野駅を過ぎると、踏切が二う。一つは「日光例幣使街道」、その次に「旧中山道」を過ぎていきます。二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。烏川河川敷。「烏(からす)川」。烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向に流れ、平野部に入ってから碓氷川、鏑川、神流川の西毛の三大河川を合わせて利根川に合流しています。流域面積は470km2、流路延長は61.8kmです。(「国土交通省」HPより)※烏川の名の由来水源の地形が唐臼(中国の臼)に似ており「カラウス川」と呼ばれたとの説、また傷ついた日本武尊を烏が現在の烏川水源に導いて救ったから・・・など、烏川の名の由来には諸説がある。「北藤岡駅」先で、高崎...z
8月22日から8月25日まで、「向島百花園」で「虫ききの会」が行われています。江戸時代から続く伝統行事「虫ききの会」。この期間は、夜の9時まで開園。相変わらず蒸し暑い一日。そんな中、昨日(23日)、夕涼みがてら、行ってきました。荒川・四ツ木橋より。遠くにスカイツリー。向島百花園。園内から放された「スズムシ」の涼しげな音が聞こえてきます。ひとときの安らぎ。風鈴の音が響く。カルガモの姿はありませんが、虫たちの展示。遠くにスカイツリー。しだいに暮れなずむ空の下、さまざまな色彩に変化する「スカイツリー」を紹介。別の場所から。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/2e/52cfa81eec5e648ba585da51406b35ad.png">園内からのス...「虫ききの会」。8月23日・向島百花園。夕涼みがてら。
「「訳者あとがき」より抜粋そもそもナチスは、ヒトラーに取材するフランス人を厳選していた。自国の世論において、かなりの発言力と影響力をもっていた退役軍人たちを利用したのだ。フランスの場合、第二次世界大戦での死者(約二一万人、市民約四〇万人、計約六〇万人)よりも第一次世界大戦の死者(一三六万人)のほうがはるかに多い。悲惨な戦いを経験したフランス人にとって、戦争を二度と繰り返したくないと願うのは自然だろう。それゆえに、ヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めることを危惧する向きすらあった。こうした切なる平和への願いをもとに、フランス人退役軍人とナチスのフランス通が友好関係を築き上げた結果誕生した仏独委員会が、フランス人に対するナチスドイツの窓口になる。ヒトラーにお目通りがかなうのは、ナチス側のもはやいいなりだった仏独...「ヒトラーへのメディア取材記録」
q。「物語は、「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」という主人公エマの言葉に始まり、同じ言葉で終わる。主人公であるエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカのことが大好きで、心から尊敬していたが、祖母の死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知り、摂食障害が日ごとに悪化していくことに・・・。その古い日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。読む権利などないと思いつつ、どうしようもなく惹きつけられて開いてしまった日記には、ナチの武装SS、ヒトラー、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、絶滅収容所、鉄条網、監視塔、ガス室、エヴァ・ヒルシュバウムとその息子シモン・・・。嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろに...「ジャック・デロシュの日記」。「ショアーの歴史」。
何を見つけたのか?それも飽きて、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物?)、うなり声を上げて歩き回る。※ジジ魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫。よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫婦が経営するパン屋の常連の女性の飼い猫で、当初はすました態度を見て「いけ好かない」と発言していた)。エンディングでは、その白...記事がない時のソウタ頼み。その2。
ということで、ソウタ君。「ソウタ」と「あんず」。あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。暑さでぐったり。そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。においをかぐソウタ。ソウタに譲って、あんずは、遠目で。飽きたと見えて、ゴロンと。今度は窓から暑い日差しの外を眺め、それも飽きて、テーブルの下でゴロン。そのまま静かにしているかと思ったら、記事がない時のソウタ頼み。
白岡市のマンホール。抽象的な「家族」を中央に配置。その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。「篠津一号橋」。「星川」。星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。けっこうな回り道。「蓮田白岡環境センター」。右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。上流に橋が見えてきます。橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?ところが、どこを見渡してもいません。親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。園内には、風鈴が涼しそうな音色を響かせています。足下には木漏れ陽。炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。そしてザクロの実が一つ。朝顔展の準備が始まっています。売店には「氷」の旗が。この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。アゲハチョウの姿が(↓)。遠くにスカイツリー。今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになる...7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)
7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。「八幡橋」方向。かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな?と「さくらロードガーデン」。川べりも歩けそうです。左手に解説板があります。「茅野(かやの)の渡し」。現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました渡しは対岸の二軒...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
「東北新幹線」。白岡町(白岡市)の表示が。※「白岡市」白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。交通面では、都心まで40分程度...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
日差しが強くなってきます。木々があるので、歩くのにはちょうどいい。ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。次の橋に近づきます。振り返る。この先には運動公園はなさそう。広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。「新今宮橋」。下流方向。上流方向。大きくて見事なサボテン。水管橋。蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。「今宮橋」・今宮けやき通り。下流方向。上流側から橋を望む。川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。これがけっこう長い。この付近から白岡市入り。対岸に東北新幹線。この付近の今昔。(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。(現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
右手は工業団地。「元荒川水管橋」。※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。上流方向。下流方向。土手沿いの道を進みます。「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。「東岩槻駅」。東武線鉄橋の上流へ出ます。「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。この付近の今昔。(現在)東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。(1970年代)元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。土手沿いの道(左岸)を歩きます。右手は住宅地。上流に「慈恩寺橋」。河川敷に畑が広がっています。(1880年代)河川敷が広がっています。(現在)かつての河川敷が農地となっています。水道橋が左手奥に。畑の正面に「水道橋」。「城北大橋」。下流の水道橋を望む。この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。下流方向。上流に「新曲輪橋」。「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。(「」より)春日部方面。「新曲輪(くるわ)橋」。右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。モニュメントの人形。旧岩槻市のマンホール。蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。「岩槻橋」。岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
公園内の釣り堀。賑わっています。森の中の下道。公園内に。森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。案内図。「グリーンアドベンチャー岩槻文化公園コース」。この木の名は?この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。(1880年代)(現在)駐車場の向こうに元荒川の流れ。川沿いの小道。足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。○のところにとまっている。中川歩きの時に見た「ハグロトンボ」。ハグロトンボ(羽黒蜻蛉カワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ。東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北・本州・四国・九州に分布する。成虫の体長は57-67mm、後翅長35-44mmほどで、トンボとしてはやや大型。雌の方が雄より若干...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
溜井が大きく広がる。桜並木。右手は緑濃き、水田。「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。「夏越の祓」茅の輪がある。先に進みます。まだ「岩槻市」のまま。※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。田んぼが広がります。土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。振り返る。久々な経験。農家の脇に、カボチャ。枝豆。県道に出ます。上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。下流方向。上流方向。橋を渡り、右岸に。振り返る。上水道管。「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。(この項、「」HPより)「永代橋」。モニュメント。この付近の今昔。(現在)中央に堰。川幅が大きく広がっている。(1880年代)現在の堰付近の流れが複雑になっている。上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。1926(大正15)年の建...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
暑いせいか、涼しさを求め、家の中を転々とする猫たち。だから、二人が鉢合わせをすることも。6日には、窓際に。あんずが窓際に乗ると、ソウタは、あんずがいなくなると、その後を目で追うソウタ。という猫たちを横目で見ながら、「向島百花園」へ。7月6日。「小暑」の日の午後。いました!親が。親の後をくっついて泳いだり、歩いたりしていたヒナは?親から離れ、自由気ままに泳いでいます。親はそんなヒナたちを目で追い、守っているようす。そして親子一緒に。前来たときは7羽のヒナ。見ると5羽、残りのヒナは?気になります。もみじあおい。にっこうきすげ。やまゆり。寺島なす。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/87/2ff6d8ff92a04e21bf1b674e796011d...あんずとソウタ。そして、向島百花園のカルガモたち。花も咲き、緑も濃く、夏らしい雰囲気。
「〆切橋」を渡り、右岸を歩きます。こちら側にも農地が。ここにもネムノキの大木。上流に「大砂橋」が見えてきます。「元荒川緑道(上流部)散策案内」。「大砂橋」を振り返る。けっこう緑が深い。路傍に何体かの古仏。元荒川の流れ。農地が続きます。菊の栽培。左手には畑作地が広がる。イチゴ。サツマイモ。咲き始めている菊。川沿いから離れて進みます。右手灌木の右に、元荒川。一面、青々とした田んぼ。「三野宮橋」。上流方向。橋を渡り、左岸へ。「元荒川」沿いの、車の行き来が激しい県道を進みます。「補修境界←さいたま市北部建設事務所→越谷県土整備事務所」。さいたま市に入ります。この辺りも「さいたま市」?さいたま市埼玉県の県央部に位置する市。埼玉県の県庁所在地で、人口は約135.0万人と県内最多。政令指定都市の一つ。また財政力指数は政...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.元荒川橋から下流を望む。川沿いには歩道がないので、県道を進みます。この標識板には、「↑越谷国道4号線→春日部←上野」とあります。左手に「元荒川」。「〆切橋」(人道橋)。越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代(宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年(大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年(昭和12年)竣工のRC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。元荒川はかつて〆切...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
元荒川歩き、2日目。往復とも東武線内の乗り降りです。北越谷駅西口。「元荒川」土手。前回に続き、左岸を歩くことに。森の脇に進みます。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)中央に「宮内庁埼玉鴨場」。現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。我が国では、古くから網や鷹を使っ...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。前方に「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
「溜井(逆川・葛西用水)」。花しょうぶが満開。「元荒川」。「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。越谷市中央市民会館。平和橋・新平和橋。いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。日本橋から3番目の宿場・越谷宿。越谷駅。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸の河原。「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。正面は、「しらこばと橋」。解説板。「葛西用水」の成立享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。「葛西用水」流路図。「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。南方に「越谷レイクタウン」があります。「越谷レイクタウン」の今昔。(現在)大規模な商業施設、住宅地となっている。(1970年代)ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域左岸の大きな建物。「越谷東高校」。舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。早く木陰の下に。ほっと一息。「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。「不動橋」が見えはじめる。「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。木陰が涼しい。水分補給などで小休止。「元荒川緑道(下流部)散策案内」。来た道を振り返る。「不動橋」。※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。「しらこばと橋まで1,050m」。「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。流入口。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
雨降りの午後。向島百花園。アジサイには、雨が似合う。降ったりやんだりのお天気。入園者も少なく、のんびりと散策。ヤマユリ。リンドウ。ハンゲショウ(半夏生)。ネムノキ。カザグルマ。カルガモたちはどうなったか?四阿で雨宿りをしていると、現れました。親鳥とヒナたちがスイスイと水面を。ヒナは、合計7羽。親鳥のあとをついていきます。正面の叢に。雨脚が強くなってきました。親子であちこちウロウロ。天敵の野良猫がうろつかないうちに。ヒナたちが叢の中に。そのうち姿が見えなくなりました。さて、帰ろうかとすると、「オナガ」が。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0f/35390b3509d0b0685431b98cec8dc837.jpg">※オナガ水色の美しい鳥実を...雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・
中川の一つ上流にある「吉川橋」。その先で、元荒川が中川に合流する。左手が「元荒川」、右手が「中川」。付近は、工事中。左手に「中島橋」。越谷市内のマンホール。「越松水消火栓消防士ガーヤちゃん」。越谷特別市民「ガ-ヤちゃん」が消防士にふんしたデザイン。元荒川の最下流に架かる「中島橋」。中川方向を望む。上流に向かって歩き始めます。右岸の「元荒川緑道」を歩きます。「飯島排水機場」からの流れ。その先に「大成スポット公園」。緑道には、休憩ベンチ・簡単な運動器具・トイレなどが整備されています。左手に土手状の盛り土が続いています。この付近の今昔。(1880年代)元荒川沿いの微高地で自然堤防が形成されている。(現在)住宅地や畑地などになっている。土手沿いに水路。対岸のようす。国道4号線・「大成橋」。「水道管橋」その先に、「...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
今回から「元荒川」を「中川」との合流地点から水源まで遡ることにします。ただ流域は暑さが並みではないところ。熱中症に気を付けながら、歩く距離も短めに。5日くらいかけて歩くつもり。また上流は最寄り駅が遠いので、バスを利用する予定。本数があまりなさそうですが。「元荒川」現在、埼玉県熊谷市久下にある熊谷市ムサシトミヨ保護センター内に源を発する。おおむね南東方向に流れ、行田市、鴻巣市、久喜市、桶川市、蓮田市、白岡市を経由する。途中、鴻巣市袋付近で武蔵水路と、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で見沼代用水と立体交差する。白岡市西付近で星川が合流すると川幅を大きく広げ、さいたま市岩槻区を経由し、越谷市中島で中川に合流する。かつての元荒川は1955年(昭和30年)頃までは荒川扇状地の湧水を水源としていたが、高度経済成長期に水源が...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
6月16日(日)。13回忌法要を済ませて、帰宅。息子夫婦から父の日のプレゼント。やはり、ビール。サントリーのセット。箱から出した途端、ソウタがすぐ、底の浅い箱に入っています。よほど箱好きなようです。入りきれないしっぽ。そのうち箱もつぶれて、そして、昨日。この格好は?頭は?しっぽは?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/45/37d01859d03c8e7e1fc05c60f5915302.jpg">ソウタ。家人が出かけると、ジジを咥え、雄たけびをあげながら、家の中を走り回るようです。帰ってくると、必ずジジがそばに。家に来たときはこんな小さかったソウタ。ふだんは、一方のあんずは3歳になっても大きくなく、「可愛いわね」と声を掛けられる存在。家人の姿が...ソウタとあんず。我が家の猫たち。
賑やかな町並みに入ります。漁港らしいお店なども。「鈴木海苔株式会社」。しばらく進み、「国道356号」に合流し、「銚子大橋」に向かう交差点へ。左に「銚子大橋」。利根川最下流の橋。ここが「銚子往還(飯岡灯台~)」との追分になります。総武本線「旭駅」の先で二手に分かれた「銚子往還」。松岸町での追分と併せて二カ所の追分にたどり着きます。右に行くと「銚子駅」。この先は、前回、行きました。しばらく歩いた左手に「飯沼観音」(今回の「佐原銚子街道」のゴール)があります。ここまでで旅の終わりとします。この「あぶら屋」さんも関連がありそうです。銚子駅から成田線で帰途につきます。「下利根漁業協同組合」。利根川一帯も漁業の盛んな土地柄であることがわかります。「下総豊里」駅。この駅で下車して「佐原銚子街道」を歩きました。約12㎞。...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)