金碗八郎孝吉が急に自決してしまったが、その深い思いを知らない者は、「死ななくても良かったのに。手柄があったのに賞を辞退し、惜しむべき命を失ってしまったのは、裁きの場で玉梓に罵られたことを恥じたのだろう」と酷いことを言うのだった。それはまったくの的外れで、昔の賢人は、男子の無欲は百害を退け、女子は嫉妬がないのであれば百の短所を覆い隠すと言った。道徳や仁義もその通りで、里見義実の徳も孤立することはなく、隣国の武士たちの敬慕することとなった。友好を求め、婚姻の打診をする話も出てくるようになった。その中に上総国椎津の城主、真里谷入道静蓮(まりやのにゅうどうじょうれん)の息女、五十子(いさらご)が賢くもあり、美人であると伝え聞き、縁があって娶ったのである。一女一男が生まれ、娘は1442年嘉吉二年、夏の終わりに生まれ...超意訳:南総里見八犬伝【第八回行者の岩窟で翁が伏姫の人相を観る/瀧田の近くで狸が子犬を育む】