Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog海を見つ松の落葉の欄に倚る 虚子 橋を渡りながら海を見ている。その欄干に倚っているのだが足元には松の落葉があった。そしてそれを、子規と共に見ているのだ。前書き「子規と共須磨保養院に在り」とある。
Ryo Daimonji Blog起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希 教室であろう、生徒が先生になす授業前のルーティンと読んだ。その瞬間に初々しい新緑を風が吹き抜けた。若さとはそんな風の一瞬なのかもしれない。この句、歴史的仮名遣いではなく現代語で括っている。そこにこの
Ryo Daimonji Blog蕣は下手のかくさへ哀れ也 芭蕉 蕣(あさがお)は下手な人が描く絵でさへしみじみとした風情があります。嵐雪の絵心への褒美句とある(小学館『芭蕉全句』)。ところで、あさがおは貞享四年(1686)にもあって蕣と書いたのか。植物にも漢字にも歴史があって
Ryo Daimonji Blog夢の如くがゞんぼ来たり膝がしら 岡本松濱 がゞんぼと言う虫の儚さはよく知っているつもりだ。さすわけでも毒があるわけでもなく、なんとなく藪蚊を大きくしたような形状がうっとおしくある。ただ、この句の上五「夢の如く」の比喩が
Ryo Daimonji Blogいなづまを手にとる闇の紙燭哉 芭蕉 蝋燭の灯を手で包みかこうような紙燭を、闇に閃くいなづまを手にかこうイメージに重ねてその瞬間を捉えている。いなづまの閃光はあやしくも美しい。科学的説明もない当時に俳句で捉えることは難しかったことと想像
Ryo Daimonji Blogひしひしと黒門の夏木立かな 虚子 東京の上野寛永寺、目黒不動滝泉寺や、大阪の四天王寺のものが有名な黒門であるそうな。虚子さんは関西人なので四天王寺を指しているのか、全く確信はない。黒門沿いにある夏木立が強く身に迫って感じられることよ。
Ryo Daimonji Blogふとわれの死骸に蛆のたかる見ゆ 野見山朱鳥 妄想の果てなのか、夢にであったか朱鳥は己の死骸に蛆がたかる景を見ている。確かに氏は病弱で長年結核と闘われている。しかしその間に結婚もしホトトギスの巻頭にも達しておられる。享年52歳はいかにも惜
Ryo Daimonji Blogさゞれ蟹足はひのぼる清水哉 芭蕉 上五「さざれ」は小さい、という意味。いわゆるちいさな沢蟹のことでそれが足をはいのぼると読んだ。そのことで下五清水の清涼感も遺憾なく伝わる。季語は「清水」である。「蟹」もまた夏の季語であるので、一句に同
Ryo Daimonji Blog十抱への椎の木もあり夏木立 虚子 さまざまな夏木立が緑を蓄え、猛暑の中にある。そのなかに「十抱への椎の木がある」この「十抱へ」がわからない。椎の木を形容しているのだと思うのだが、具体的に十と数をいう。私は「とおかかえ」と読んでその大き
Ryo Daimonji Blog塵取の手にも夕べの蜘蛛の糸 鈴木花蓑 塵取をもつ手にも蜘蛛の巣がくる。蜘蛛の巣もろいろではあるが、早朝や夕方に風に乗って手に絡みついてくることがある。そういう蜘蛛の糸なのだと思った。「夕べの」に過去詠嘆の感もするが、ここでは只今の夕べ
Ryo Daimonji Blog瓜作る君があれなと夕すゞみ 芭蕉 この句は、西行の「松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなと思ほゆるかな」(『山家集』)を本歌とする。つまり、瓜を作る君がいたらなあ、と詠嘆しながら夕涼みをしている。との意味、(明治書院『新芭蕉俳句大成』)。
Ryo Daimonji Blog大粒の雨になりけりほとゝぎす 虚子 大粒の雨になってしまったなあ、と時の天気を詠嘆して見せる。それはそれでその時の呼吸があっていいのだが、大粒の雨の最中にほととぎすが鳴くものか、私は疑問に思うのだが、むしろそこに虚子さんは軽い驚きを感
Ryo Daimonji Blog鉄階にいる蜘蛛智慧をかゞやかす 赤尾兜子 鉄の階段に住んでいる蜘蛛はそこでも美しく輝く巣を張って生きている。その蜘蛛の巣の輝きがすなわち蜘蛛の智慧と言えるのである。と句意を解して見た。 私にとって問題は、(毎日新聞社版『名句の所以』著
Ryo Daimonji Blog酔て寝むなでしこ咲る石の上 芭蕉 なでしこの咲いているそばの石の上で、ほろ酔いで寝ようではないか。と一応の解釈をしてみるのだが、解説(小学館『芭蕉全句』)に小野小町・僧正遍昭の贈答歌「岩の上に旅寝…」による。とある。その意味合いにこそ真
Ryo Daimonji Blog鶏の築地をくづす日永かな 虚子 この句のポイントは、「築地」小さな山を鶏が崩す、と読んでみたが「つきじ」は海や沼の埋立地、で「ついじ」は土塀のこととあった (ネット)。地名の意味もあるが、俳句の意味、風情としては「土塀」と解するのがまず
Ryo Daimonji Blog阿修羅の鵜女体とききしあはれさよ 渡辺桂子 阿修羅は六道のひとつ。人と地獄、餓鬼、畜生との間にある境地とある。人に縄で縛られ懸命に鮎を取りそれを横取りされる鵜に己と同じ雌と聞きあはれと思うとともに、ある種の共感を俳句にした。
Ryo Daimonji Blogいでや我よきぬのきたりせみごろも 芭蕉 まづ上五「いでや」を理解したい。「いでや」で感動詞で「さあ!」ほどに解した。さあ!我に、良き布が来たぞ、良い服とでも訳すのか、蝉のころも、つまりせみの羽のように涼しいころもだ。と贈られた服を喜
Ryo Daimonji Blog住みなれし宿なれば蚊もおもしろや 虚子 芭蕉一門に内藤丈草という俳人がいて「血を分けし身とは思はず蚊のにくさ」と言うのがあった。確かに蚊は自分の血を吸っておりそこを血を分けた、と言えばなんとも身内の如き、感は出る。しかし虚子さんの句の
Ryo Daimonji Blog人殺ろす我かも知らず飛ぶ蛍 前田普羅 前田普羅は1884年(明治17年)東京生まれ、早稲田大学英文科中退、横浜裁判所勤務とある (ウキペディア)。人を殺すかもしれない、という不安は令和を生きる私たちにとっては普通に抱く不安と言えるのではない
Ryo Daimonji Blog鰹売いかなる人を酔すらん 芭蕉 貞享四年(1687)頃では鰹という魚はさほど高級魚ではなかったらしい。そして、その鰹を売ろうと人を口車に乗せる輩もいたようだ。利のために人を騙す、今も昔も欲に取り憑かれた人間は徒然草あたりに絶好の教材として
Ryo Daimonji Blog人行かぬ舊道せまし茨の花 虚子 田舎の道には新旧があって旧道を少し外して立派な国道や県道があったりする。久しぶりに旧道に入ってみると、雑草や雑木に狭められた懐かしい道が数十年昔のまんまあったりする。特に狭くなったわけではないのだがひど
Ryo Daimonji Blog恋を得て蛍は草に沈みけり 鈴木真砂女 蛍に託して満ち足りた己の恋を草に沈むと表現した。蛍に託すことで人間の愛欲の儚さを自覚するのであり、草に沈むとすることでささやかではあるが、私たちのしとねの美しさを官能的に表現し切った。奇しくも今
Ryo Daimonji Blog五月雨に鳰の浮巣を見に行む 芭蕉 梅雨の雨どきに、田んぼの水加減を見に行ったり川からの取り込み口を見に行ったり気忙しいことである。時にそういう作業の途中増水に足を取られたりの高齢者がいて注意喚起に躍起である。この句は鳰の浮巣を見に行
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Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鳥海に田水張ればやはやさざなみ 小澤實 鳥海という姓の方が色々な分野に活躍されていることをネットで知った。なんとも素敵な姓名で羨ましく思う。が、この句の場合は地名のことと解する。山形県と秋田県を跨ぐ山に鳥海山があるが、秋田県南部に旧町
Ryo Daimonji Blog橘やいつの野中の郭公 松尾芭蕉 こういう俳句は今日的にはどうなのだろうか。つまり、花橘も郭公もいつの野中のことであったことであろうか、と記憶をただ詠嘆して見せている。つまりはっきりしないのである。このはっきりしないところが、句会などで
Ryo Daimonji Blog夕歩き宿の団扇を背にして 高浜虚子 俳人というものはとにかく見なければいけない。上から下へ下から上へ、さらには背ろ、斜めといった具合である。この句は己の背景を気にしている。正確には「腰にして」であろうが背にしたごとくに詠んでいる。
Ryo Daimonji Blog眠るなり囲炉裏に太き薪よこたへ 小澤實 冬の季語囲炉裏は知っているがこの句のように生活に根ざして使ったことはない。囲炉裏のそばに横たわったものか、座って居眠っているのかいずれにしてもこんな安息はなかなか得難い。その囲炉裏の中にふとい薪
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月あめ 松尾芭蕉 上五、日の道とは、地球を中心に描く大円状の太陽の位置のことだそうな。その方向に葵の花が傾いている不思議。五月雨降る初夏のことである。
Ryo Daimonji Blog蚤や蚊やわれ貧にして且つやめり 高浜虚子 明治に入ってホトトギスも順調でこの句にあるほど氏が貧していたとは思えないのだが、実際のところはわからない。どの程度に病んでいたのかも略年譜ではわからないのだが、貧乏の病気ぐらしに蚤や蚊が堪えた
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字 この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫
Ryo Daimonji Blog夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉 小学館『芭蕉全句』の解説によると九か月間もの長旅を終えて草庵に身を休めているが、道中で移された虱もまだそのままだとあるが、九か月の長旅をこの句から読み取ることは難しかろう。また、取り尽くせていない
Ryo Daimonji Blog木曽に入りて十里は來たり栗の花 虚子 木曽は長野県木曽郡の中央部にある町。そこに入って十里は来た、よく来たもんだと感慨をこめている。上五を入りで切らず、て止め上六の破調にしている。たしかにこれで十里は来たとのたっぷり感がでる。さらに来
159 『名句の所以』(著:小澤實)から
Ryo Daimonji Blog山賎のおとがい閉るむぐらかな 芭蕉(やまがつのおとがいとづるむぐらかな) 山賎(やまがつ:きこりのこと)。おとがい:顎、転じて口のこと。むぐら:葎(蔓性雑草)。甲斐(山梨県)の山は深く、葎がおおい繁り道ばかりか木樵の口までも閉ざしているようで、
Ryo Daimonji Blog諏訪近し桑の山畑ところどころ 虚子 明治二十七年6/24『小日本』とある。虚子二十歳の作である。諏訪に近づくとところどころに桑畑が山裾に見られるようになった、とその風土を写生して見せている。下五に「ところどころ」と具体的に景を絞らず流
Ryo Daimonji Blog花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ 村山たか女 たか女は明治三十七年生まれで大正十五年、わずか二十一歳で逝去している。たか女は女学校を退学して母の看護に勤めてきた。しかし、棕櫚が花を咲かせる六月頃、看護の甲斐もなく母は亡くなってしまった
91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)
Ryo Daimonji Blog裏山の紫つゝじ色薄し 虚子 場所は「裏山」、感想は紫つつじの色が薄い、とのみ。このつつじが見えるでなく、そんなツツジもあるやろなあぐらいのインパクト。まあしかし初学であれば写生句はこれぐらいで手練手管な師匠には取ってもらえるかもしれな
Ryo Daimonji Blog夜的の灯草のはるかに置かれけり 上川井梨葉 この夜的は屋台などにある射的屋の灯のことであろうか。ところで、夜的は季語とされた時代があるようだが今私の歳時記では見当たらない。私は名のある歳時記にあるなしで季語の有効性を決めているが、一体本
Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは
Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く
Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に
Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。
Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野
Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ
Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの
Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて
Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や
Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ