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2022/10/30

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  • ベトナム紀行 4 メコンデルタ

    ダナン周辺には、かつてのフランス植民地時代やベトナム戦争の名残である要塞や砲台跡が点在して残っている。ハイヴァン峠(HaiVanPass)にある砲台跡。ハイヴァン峠は、ベトナム中部にあるダナンとフエを結ぶ山岳地帯の峠で、標高500メートル以上の高さに位置している。ベトナムは19世紀末から20世紀半ばまでフランスの植民地であり、フランス軍はこの地域の防衛を強化するために砲台や要塞を建設した。ハイヴァン峠は、北ベトナムと南ベトナムをつなぐ重要な交通路であり、戦略的な防衛地点として利用された。1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争でも、ハイヴァン峠は重要な軍事拠点となり、南ベトナム軍とアメリカ軍によって利用された。峠の砲台やトーチカは、敵の動きを監視し、ダナンの港を防衛するために使用された。写真に見られ...ベトナム紀行4メコンデルタ

  • 自民党総裁選挙 特に決戦投票に民主主義を揺るがす違和感を覚える

    今回の自民党総裁選挙はこれまでになく関心を持った。特に決選投票で逆転したことに違和感を持った。果たしてこれで民意が反映されるのだろうか。「1回目の投票で一位の人が過半数が取れなかった。決選投票では石破さんが高市さんを破った。民主主義の過半数原則に乗っているこのやり方のどこがおかしいのか」そんな反論も聞こえてきそうだ。民主主義の過半数原則は納得だ。多くの国で採用されている。では何が違和感か。一つは党員なるものが意味を持つのかということだ。なぜ全国で105万5839人いる党員が国民に選ばれたわけではないのに民意を代表できるとみなすのか。日本国民の大多数は党員の顔も意見も知らない。その人たちが我々の総理総裁を決める半数を持つ。そんなおかしなことが議院内閣制の名の下に行われている。二つ目には百歩譲って仮に党員が民...自民党総裁選挙特に決戦投票に民主主義を揺るがす違和感を覚える

  • ベトナム紀行 3 フエ皇宮

    蒸し暑いベトナムの午後、寺院の前には一人の旅行者とガイドが立っていた。旅行者は白い帽子を手にし、首に巻かれた黒いストールが軽く風に揺れている。彼の表情には、神妙さが浮かぶ。背後には赤い柱と漢字が描かれた額縁が掲げられ、寺院の穏やかな静寂がそのまま空間に満ちている。大きな青銅の香炉が二人の間にあり、その古めかしい佇まいは、この場所に長い年月を感じさせた。ガイドは白いシャツで、礼儀正しい表情で旅行者に語りかけていた。非常に装飾的で、彩色された彫刻や龍のモチーフが用いられており、これは典型的なベトナム皇室建築の特徴。フエ皇宮の敷地内にはこうした装飾的な門がいくつか存在し、その多くが宮廷儀式や宗教的行事の際に使われた。複数のアーチを持つ門のデザインは、フエ皇宮で頻繁に見られる特徴。木製の階段や梁のデザインも、フエ...ベトナム紀行3フエ皇宮

  • ベトナム紀行 2 カイディン帝陵

    川のほとりに立つレストランから眺めるトゥボン川の風景は、ベトナム中部の穏やかな時間を映し出している。水面は、遠くホイアンの街並みを経て、ゆっくりと南シナ海に注いでいく。風に揺れるバナナの木の葉音や、川辺の竹のざわめきが、静けさの中に自然のリズムをもたらす。ランタンの明かりが吊るされたテラスの上で、濃い緑に包まれた川岸の風景は、一見、のどかで牧歌的だ。しかし、ここにはベトナムの長い歴史の記憶が息づいている。トゥボン川は、かつてチャンパ王国とインドとの交易を支えた重要な水路でもあり、その流れはかつて異国の文化や商人たちを運んできた。水の香りに混じる泥のにおいは、長い歴史の記憶をも引きずっている。遠くに見える漁師のボートは、静かに川の中央に佇んでいる。ボートの周りに広がる蓮の葉が、ベトナムらしい風景を描き出して...ベトナム紀行2カイディン帝陵

  • ベトナム紀行 1 ミーソン遺跡

    ミーソン遺跡は仏教、ヒンドゥ、イスラムの交代が相次ぐ舞台で多くの未だ解明されていない歴史が秘められた場所だ。ポルポトの大虐殺でこのあたりのチャンパは60万人が13万人まで減ったという凄惨な歴史を持っている。これにより多くの遺跡も失われた。5世紀頃からインドネシアとの交流もあり、おそらくバリのヒンドゥとも繋がっているのではないか。解明される日が待たれる。ベトナムのフエからホイアン経由でミーソン遺跡に向かう。ベトナムは仏教国だがこのミーソンはヒンドゥー教シバ派だという。ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にある。(bywiki)ミーソン遺跡(ベ...ベトナム紀行1ミーソン遺跡

  • バルセロナ紀行 6 サグラダファミリア&食べたもの

    受難のファサードジュセップ・マリア・スビラックの彫刻受難のファサード謎の魔方陣。縦横斜めいずれを足しても33になる。何を意図しての魔方陣か。33はキリストの死亡した年齢。ジュセップ・マリア・スビラックの彫刻。(裾で隠れている数字は15)受難のファサードジュセップ・マリア・スビラックの彫刻。ガウディの独特な建築様式が強く表れた構造。窓は、楕円形や円形を多用した幾何学的なデザインが特徴的で円形の窓は、ガウディのデザイン哲学である自然の曲線美を強調し彼の建築に頻繁に登場する。窓のデザインに見られる複数の丸や細長い楕円は、外から差し込む光を拡散させ、建物内部に柔らかい光を届ける。写真に写る石の部分は、細かい彫刻や装飾が少なく、シンプルな石材の質感が際立っている。これは、サグラダ・ファミリア全体の複雑で装飾的な部分...バルセロナ紀行6サグラダファミリア&食べたもの

  • バルセロナ紀行 4 サグラダファミリア

    サグラダファミリサグラダ・ファミリア大聖堂の「降誕のファサード」に立ち、目に飛び込んでくるのは、中央上部に鎮座する「生命の木」だ。この糸杉の木は、永遠の命を象徴し、その枝に止まる白いハトは、神のもとに集う信者たちを表している。アンティ・ガウディはこの象徴を愛し、自らの手で細部にわたるまで監修した。ガウディは31歳の若さでこのプロジェクトの主任建築家に就任し、人生の大半をこの大聖堂に捧げた。73歳のある日建築現場からバルセロナの街へ歩いて帰る途中に路面電車にはねられ人生を終えた。質素な身なりをしていた彼は、事故後すぐには誰からも気づかれることなく、貧しい老人として扱われたという。未だにこの聖堂は完成を目指して建設が続けられている。ガウディにとって、サグラダ・ファミリアは信仰の結晶であり、彼が生涯をかけて表現...バルセロナ紀行4サグラダファミリア

  • バルセロナ紀行 4 グエル公園

    グエル公園2日目のバルセロナ観光は、ガウディの独創的な世界が広がるグエル公園へ向かった。地下鉄を乗り継いで中心部から住宅街へと移動したのだが、手元のガイドブックが混乱の原因に。1冊は徒歩15分、もう1冊は20分かかる駅を推奨しており、どちらが正しいか悩んだ末に、徒歩15分と記されていたVallcarca駅で降りることにした。しかし、この決断は予想外の展開を迎えた。駅を降りた後に待っていたのは、写真のようにかなり急な坂道。途中にエレベーターがあって助かったものの、かなりの運動量で、登り切ると公園の一番上のエリアにたどり着き、そこからはバルセロナの街を一望できる素晴らしい眺めが広がっていた。ただ、ガウディのモニュメントが集まるエリアに行くためには、さらに坂を下らなければならなかった。この経験から言えるのは、グ...バルセロナ紀行4グエル公園

  • バルセロナ紀行 3 カタルーニャ美術館 カタルーニャ音楽堂

    カタルーニャ美術館バルセロナのエスパーニャ広場は、この街の歴史と文化を象徴する重要な場所だ。この写真に写る二本の塔は、「ベネチアの塔」として知られており、1929年に開催されたバルセロナ万国博覧会のために建てられた。モデルとなったのは、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある鐘楼だ。この写真の背後に見えるのが、ムンジュイックの丘の上にそびえる国立宮殿(PalauNacional)でカタルーニャ美術館がある。1934年にこの国立宮殿内に旧カタルーニャ美術館が設立され、1990年にはそれまでのロマネスク、ゴシック、バロックの美術コレクションに加え、19世紀から20世紀の美術作品も統合されたことで、現在のカタルーニャ美術館としてリニューアルされた。バルセロナのエスパーニャ広場に立つこの巨大なモニュメント1929年に...バルセロナ紀行3カタルーニャ美術館カタルーニャ音楽堂

  • バルセロナ紀行 2 カサバトラ

    カサ・バトリョの室内に飾られた、この一風変わった灯りは、まるで海底から浮かび上がってきた奇妙な生物のようだ。複雑に入り組んだ装飾と、渦を巻くような形状は、まさに自然界の神秘を思わせる。だが、驚くべきことに、この灯りはアントニ・ガウディが手掛けたものではないという。ガウディがこの建物全体を設計し、曲線と自然の形態を随所に取り入れたことは周知の事実だ。しかし、この灯りは、彼が直接デザインしたものではなく、後世のデザイナーや職人によって制作されたものだ。それでも、ガウディの意図を受け継いだかのように、このデザインは建物全体と見事に調和している。海底生物を思わせるその独特なフォルムは、まるで海の深淵から光を放つ未知の生物のようだ。ガウディが好んで使った自然のモチーフと共鳴し、まるでこの建物が自然そのものの一部であ...バルセロナ紀行2カサバトラ

  • 田中一村展に行ってきた

    7月10日のコロナ発症とそれに続く酷暑日のせいで家で過ごす時間が多く久しぶりに都心に出かけた。本日9月19日でなんと4ヶ月ぶりの都心詣となった。今日は超久しぶりに気温が少し下がり雨がパラつくなどして都美術館往復は苦にならなかった。あまりの嬉しさに上野構内の讃岐うどん屋で天ぷらをつけて肉うどんナミを食べた。(嬉しいのとうどん食うのどんな関係があるのか、つっこまれると窮するが)都美術館では今日から田中一村展が始まった。このような絵を描く画家だ。こんな絵も描く。千葉から奄美大島に渡り、一人で紬の絵付けをして日銭を稼ぎ、69才で晩飯を作っていて倒れ死んだ。今でいう孤独死だ。死ぬまで無名だったが死後NHKが「日曜絵画」で取り上げて一躍脚光を浴びた。ある事情からこの絵を気に入り奄美大島の名瀬にある田中一村美術館に是非...田中一村展に行ってきた

  • バルセロナ紀行 1 カサバトリョ

    ユーレイルパスを手に、次なる冒険に心を弾ませていた。イタリアからスペイン、バルセロナへの列車の旅を決意した。イタリアの魅力に既に浸り次の章はスペインだ。ボローニャの駅に切符を買いに行くと、予想外の返答が待っていた。予定していた土曜夜の寝台列車はすでに満席で金曜日の出発に変更し、個室寝台を確保したはずだった。長い道のりを思い描きながらほっと一息した。ところが実際にミラノから19時50分発の列車に乗り込むと期待していた個室ではなかった。目に飛び込んできたのは、広々とした一等車のビジネスクラス風の座席が並んだ空間だった。椅子は斜めに倒れるが個室とはほど遠い。思わずため息をつきながら車掌を探し出し、何とかならないかと訴えたが、「今日は満席で変更はできない」とのことで現実を受け入れるしかなかった。列車をよく見渡して...バルセロナ紀行1カサバトリョ

  • マチュピチュ紀行 5 遺跡の温泉に浸かる

    花崗岩の石切場は、観光客の目が集まる有名な遺跡とは異なり、自然と人間の手が静かに交わった場所だ。石を切り出すための無骨な作業の跡が、この場所にはそのまま残っている。無造作に積み上げられたように見える岩の群れだがインカの人々は巨石を切り出し、それを使って壮大な建築物を築き上げた。この石切場が持つ魅力は原初的な力にある。花崗岩がむき出しになっているその様子は、古代のインカの石工たちの存在を感じさせる。彼らはこの地で黙々と作業し、その手で巨大な石を切り出し、完璧な形に整えていた。時間も労力も惜しまずに、一つの石にかける情熱と集中力が、この場所の石たちに刻み込まれている。この石切場には「未完の美」が感じられる。切り出されかけた石がそのまま放置され、自然と一体となって時を経ている。未完成だからこそ、その過程にこそ意...マチュピチュ紀行5遺跡の温泉に浸かる

  • マチュピチュ紀行 4 遺跡のリャマ

    ワイナピチュへの入り口に立つと、青い標識が私を迎えている。その色は鮮やかだが、古びて錆びつき、長い年月が過ぎたことを物語っている。石段の隙間にしっかりと根付いたこの標識は、あまり目立たない場所にありながらも、私を先へと誘うようだ。大勢の観光客がこの標識を目にし、ワイナピチュへの道を歩んでいったのだろう。その足跡が、この場所に刻まれているように感じる。周囲には、インカの石組みがしっかりとした壁を作り上げており、その自然と一体化した佇まいは、何世紀にもわたってこの地に留まってきた。石は少しずつ苔に覆われ、湿った空気の中で生きているようだ。これらの石は、ただそこにあるだけではなく、古代からの歴史を静かに見守ってきた証人であるかのように、力強い存在感を放っている。この小さな入り口には、壮大な冒険への入り口という雰...マチュピチュ紀行4遺跡のリャマ

  • マチュピチュ紀行 3 遺跡の花

    視界10メートル先は、ただ霧に包まれている。濃い霧の中、何も見えない、音も消されたかのように静かだ。私は、その霧の中に立ち、目の前の世界が消えていくのを見つめる。まるで、時間や空間がぼやけて、すべてが一瞬のうちに過去に飲み込まれていくような感覚だ。先が見えないということ。それは、自分の内面と向き合わざるを得ないということでもある。目を凝らしても、前に進んでも、同じ霧の中にいるだけ。今、この場所にいる理由や、ここまで来た道のりが頭の中に浮かんでくる。しかし、この10メートルの霧は、物理的な障害であると同時に、心の中に積もる疑問や迷いを象徴しているかのようだ。背後に見える巨大な岩は、何世紀もの間この霧の中に存在し続け、変わらぬ姿でここに立ち続けている。それに対して、私はただの通り過ぎる存在。霧の向こうに何が待...マチュピチュ紀行3遺跡の花

  • マチュピチュ紀行 2 遺跡に分け入る

    バスが通ってきたウルバンバ川を眼下に見下ろす地点に立つ。山々がうねりながら続く壮大な景観の中に、太古の地層が剥き出しで浮かび上がる。流れる川は遥か下を通り、山々は、険しく切り立つが深い緑がその厳しさを少し和らげている。雲が低くたなびき、遥か遠くにそびえる山頂が一瞬見える。ここまでバスでやってきたのかと険しい道のりを思い返し感慨に耽る。マチュピチュの壮大な遺跡を目の前にした時、まず目に飛び込んでくるのが、この驚くべき段々畑だ。急斜面を見上げると、石組みの技術がいかに精緻であるかが分かる。石の大きさや配置は、単に建築的な美しさだけでなく、崩れにくい構造を実現するための知恵が詰まっている。下層に大きな石を敷き詰め、上層になるにつれて徐々に小さな石を用いる技法は、地震の多いアンデス山脈地域でも、斜面が崩れることな...マチュピチュ紀行2遺跡に分け入る

  • マチュピチュ紀行 1 クスコからアグアス・カリエンテスまで

    2007年3月に訪れたマチュピチュの紀行です。すでに17年が経っているが記憶は鮮明で、つまりそれだけ印象が深かったということでしょう。1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがインカ帝国の「失われた都市」を探すため、ペルーのアンデス山脈の奥地へと踏み込んだ。その彼が目指していたのは、「ビルカバンバ」と呼ばれる都市で、インカ帝国滅亡後も残された抵抗勢力が隠れ住んだとされる謎の場所だった。しかし、ビンガムが見つけたのは、彼の期待をはるかに超える壮大な遺跡であった。それがマチュピチュである。ビンガムがその発見を導いたのは、ペルーの地元住民の言葉と、古い記録に書かれていた「非常に高い山の頂にあり、巧妙な技術で建てられた建物がそびえ立つ」とのヒントであった。彼は草に覆われた段々畑を登り、やがて雲の上に現れた...マチュピチュ紀行1クスコからアグアス・カリエンテスまで

  • イタリア紀行 22 ボローニャぶらり

    サン・ペトロニオ聖堂ボローニャのマッジョーレ広場にそびえ立つサン・ペトロニオ聖堂は、未完成のファサードがその歴史的背景と街の複雑な過去を物語る、特別な存在。1390年にその建設が始まった当初、聖堂はさらに大規模なものとして計画されていたが、様々な困難に直面し、現在の形に落ち着くことになった。聖堂は、5世紀にボローニャの司教を務めた聖ペトロニウスにちなんで名付けられている。彼は街の守護聖人として、ボローニャの人々から深い敬意を集めていた。サン・ペトロニオ聖堂の内部は132メートルの長さ、60メートルの幅、そして45メートルの高さを持ち、約28,000人もの人々を収容することができる。未完のファサードが象徴するように、完成に至らなかった「永遠の途上」の雰囲気が漂っている。私がこの場所を訪れ感じるのは、この「未...イタリア紀行22ボローニャぶらり

  • 大統領選討論をみた

    あれじゃ互いに言いたいことだけ言って議論にまるでなっていない。真摯な討論はまるで期待していない。民主主義もこうしてみると案外脆いものだな。トランプは終始大人の態度をキープすることを続けた。ハリスはそれに対して挑発的な視線とニヤニヤ笑いとでトランプの怒りを誘う作戦に出たようだ。トランプは一切視線を合わさない。これもバイデンの時とは反対で、目をあわしてあのニヤニヤ笑いをみるとカッとなって自制が効かなくなることを恐れたのだろう。経済政策ではハリスは住宅補助を行うといい、トランプは関税引き上げだという。不法移民対策はトランプの圧勝の感ありだ。ハリスの言うところのトランプが法案を潰したとの反論は、いったい3年半も何やってたんだの言葉には虚しいな。中絶問題はハリスにぶが悪い。さて今現在そこにある危機ウクライナ侵略では...大統領選討論をみた

  • イタリア紀行 21 アレーナ・ディ・ヴェローナのアイーダ

    アレーナ・ディ・ヴェローナアレーナ・ディ・ヴェローナでのオペラ観賞は、時空を超えた体験だった。2006年6月ボローニャからヴェローナへの一泊旅行で、ヴェルディの『アイーダ』の公演を観るために訪れた。当時携帯の着メロまで「アイーダ」に設定するほどお気に入りのオペラを、1世紀末に造られた古代ローマ最大の円形劇場で鑑賞する、何とも特別な贅沢であった。思い返せば1989年の夏、ベネツィアからミュンヘンに向かう列車の中で初めてこの劇場の存在を知った。ヴェローナの駅で多くの日本人乗客がスーツケースを持って降り立つ光景を見て、いったい何があるのだろうと疑問に思い、周囲の乗客に尋ねてみた。毎夏、ここヴェローナで行われる野外オペラの祭典がその理由だ隣席の乗客に教えられた。その時から、いつか訪れてみたいという思いが心に宿り、...イタリア紀行21アレーナ・ディ・ヴェローナのアイーダ

  • イタリア紀行 20 サン・マルコ聖堂は旅の一大イベント

    サン・マルコ聖堂サン・マルコ広場に座り、目の前に広がる壮大な風景に圧倒されながら、私はゲーテやマキャベリ、そしてアンデルセンがヴェネツィアをどのように感じ、どのように言葉にしたかを思い浮かべていた。この場所は彼らにとっても、私にとっても歴史が織りなす「生きた記念碑」であり、一つの文化、一つの民族が作り上げた芸術作品だ。ゲーテが『イタリア紀行』で語ったように、この場所は「一君主の作り上げたもの」ではない。ここにあるもの全ては、無数の人々の努力と情熱が積み重なってできたものであり、その一つ一つが時間を超えて私たちに語りかけてくる。特にサン・マルコ大聖堂の壮麗さは、ヴェネツィアの過去の栄光を今に伝え、海洋都市としての強さを象徴している。フィレンツェとヴェネツィアについて塩野七生が記したように、この二つの街は同じ...イタリア紀行20サン・マルコ聖堂は旅の一大イベント

  • 「あの世に行っても楽しいことがある」スティーブ・ジョブズ「誰も死にたくない。しかし、死はおそらく、人生で最大の発明なのです。」

    生きていることは楽しいがあの世に行っても楽しいことがある。紀野一義氏はいつもそう思っていたという。死んだら過去の時間もひょっとしたら未来の時間も無くなるのでいろんな人に出会える。歴史上の有名人や自らの多くの先祖にも出会って楽しい話ができる。一見能天気な話に聞こえ、出鱈目も大概にしろと言いたくなりそうな人もいるだろうがご本人は60を過ぎたお年の頃から何回も何回も講演で本気になってそう話し続けていた。そして91歳の大往生を遂げられた。紀野一義氏は自らの体験で心からそう信じているのでわたしもだんだんそんな感じに思えるようになってきた。誰も逝って帰ってきた人はいないのだから世間でいう証拠はない。あとは本気で信じる心があるかないかだけだ。合理的な説明など誰にもできない。仏教でもキリスト教でも良い、心から信じ切れるの...「あの世に行っても楽しいことがある」スティーブ・ジョブズ「誰も死にたくない。しかし、死はおそらく、人生で最大の発明なのです。」

  • イタリア紀行 19 イタリアンを喰う

    食い物ナポリに根付く「真の味わい」は日本と少し異なる。ナポリでは、ピザ生地が高温の薪窯でわずかに焦げるまで焼かれることが一般的だ。これは、焼けた生地が持つ独特の香りと、風味豊かなトマトソース、オマール貝など新鮮な海産物とのバランスが絶妙であり、ナポリの食文化の核にある「シンプルな食材を最大限に活かす」を反映している。日本でのピザの焼き加減は「焦げは発がん性を持つかもしれない」という現代的だがナポリの人々にとっては、美味さを犠牲にしてまで気にしません。むしろナポリっ子は「完璧に焼けた生地」の焦げ部分を「生命の炎」と捉えている節がある。ピザの生地はその焦げ目がカリカリとしていて、内側は柔らかくモチモチしているのが理想。オマール貝の新鮮さと、トマトの酸味が混ざり合う。ナポリの長い食文化の歴史と情熱の一皿になる。...イタリア紀行19イタリアンを喰う

  • イタリア紀行 18 ベネツィアぶらり街歩き

    ぶらり街歩きヴェネツィアの街角で、ふとした瞬間に立ち止まる。観光名所を巡るのではなく、ただ街を歩く、そんな時間が何よりも贅沢に感じられる。つれあいのショールは、明るい陽射しを浴びて風に揺れ、そのパープルの模様が、街の色と自然に溶け込む。ムラーノガラスの店先に、二人で立ち寄っては、ガラスの中に閉じ込められた色彩や模様に目を奪われる。小さなグラスや瓶の中のどのガラスも、職人たちが一つ一つ丁寧に作り上げたものであり、その細やかな手仕事に感心する。光が透過し、輝くガラスの奥に息遣いも感じられる。ヴェネツィアは、眺めるのも良いが、こうして触れんばかりに近寄り感じ取るものなのかもしれない。歩くたびに新しい発見があり、その一つ一つが街に息づいているのを感じ記憶にしっかりと刻み込まれていく。写真に撮ったのはムラーノガラス...イタリア紀行18ベネツィアぶらり街歩き

  • イッキ見 アンチ・ヒーロー 検挙率99.9%を異常値と感じないことの違和感

    netflixで10エピソードを一気見した。筋はネットでたくさんあるのでそれらを参考にしてください。日本の検挙者有罪率は99.9%だと繰り返される。それをわたしもぼんやりと日本の警察と検察がしっかりしているからだと思い込んでいた。いや疑おうともしていなかった。でも99.9%の検挙率は異常だと思わないといけないのだろう、普通の判断力を持っていれば。きっと相当数の冤罪が含まれているに違いない、そう教えてくれるドラマの秀作でしたね。司法が政治家と検察、警察の権力指向で歪むことはなきにしもあらずだなと正面切って思わせるこのドラマ。冤罪と思われる事件を見る目が変わりました。同時にドラマのような現実はほぼ99.9%期待できないこともわかりました。明墨弁護士など現実にはいそうもないと長い人生ではわかるからで、だからこそ...イッキ見アンチ・ヒーロー検挙率99.9%を異常値と感じないことの違和感

  • イタリア紀行 17 ベネツィアでカサノバ回想録

    ドゥカーレ宮殿この写真は「嘆きの橋(PontedeiSospiri)」でドゥカーレ宮殿(PalazzoDucale)とその向かい(写真では右)にある旧牢獄を結ぶために作られた。この橋は、1600年頃に建築家アントニオ・コンティーノ(AntonioContino)によって設計され、白い石材が使われている。この橋は、ドゥカーレ宮殿の裁判所から新しく建てられた牢獄(PrigioniNuove)へと続く通路として使われ、囚人がこの橋を渡るときに外の景色を最後に見ながらため息をついたことからきている。ヴェネツィアの著名な冒険家であり、カサノバ回想録の作家としても知られるジャコモ・カサノヴァも、嘆きの橋を渡ってはいないもののドカレ宮殿内の牢獄から脱獄したことで世の記憶に残る。彼の大胆な脱獄はヴェネツィアの歴史に刻まれ...イタリア紀行17ベネツィアでカサノバ回想録

  • イタリア紀行 16 ベネツィアのゴンドラを目の当たりにみると黒い棺と言う言葉が

    ベネツィアと言う運河の街に足を踏み入れるたびに、その美しさに心を奪われる。水面に映る古い建物の影、ゴンドラが静かに進む音。そんなベネツィアも、近年は厳しい現実と向き合わざるを得なくなっている。2018年10月29日、サン・マルコ広場が閉鎖されたというニュースを耳にしたとき、私は驚きを隠せなかった。観光客たちは急ごしらえの高床式の歩道を歩き、地元の人たちは懸命に水をくみ出していたという。水位が観測史上4番目に高い1.5メートルに達し、この歴史ある広場が水に沈む光景は、かつてのベネチアを知る者にとって、痛ましい。14世紀から続く驚異的な技術がある。木の杭を無数に打ち込み、その上に石を積み重ねた基盤は、自然の猛威に屈せず、時には地震にも耐え続けてきた。しかし気候変動による地盤沈下や海面上昇という新たな脅威に直面...イタリア紀行16ベネツィアのゴンドラを目の当たりにみると黒い棺と言う言葉が

  • イタリア紀行 15 ベネツィアのクッキーショップ

    大道芸人の独白。夕暮れのベネツィア。私はまた、この街角に立っている。ここに来るのは何度目だろうか。どの街も私にとっては同じだと思っていた。どこへ行っても、私はただの通りすがりの異邦人に過ぎない。私は今日もパントマイムを演じる。この芸は私にとっての言語だ。誰もが理解できるし、誰もが私を理解してくれる。だが本当は、この静かな動きの中に、私の孤独の声を隠しているのだ。私は故郷の家族、友人、かつての自分を思う。それらはすべて、私が手を伸ばしても決して届かない場所に行ってしまった。旅を続ける理由があるのか、私は何を探しているのか、自分でもよくわからない。終わりが近づいてきた。私の演技が終わる頃、少しの疲れが襲ってくるが、それは心地よい疲れだ。私はやっと、自分自身を演じきったような気がする。観客は拍手をするが、その音...イタリア紀行15ベネツィアのクッキーショップ

  • イタリア紀行 15 ベネツィアのクッキーショップ

    大道芸人の独白。夕暮れのベネツィア。私はまた、この街角に立っている。ここに来るのは何度目だろうか。どの街も私にとっては同じだと思っていた。どこへ行っても、私はただの通りすがりの異邦人に過ぎない。私は今日もパントマイムを演じる。この芸は私にとっての言語だ。誰もが理解できるし、誰もが私を理解してくれる。だが本当は、この静かな動きの中に、私の孤独の声を隠しているのだ。私は故郷の家族、友人、かつての自分を思う。それらはすべて、私が手を伸ばしても決して届かない場所に行ってしまった。旅を続ける理由があるのか、私は何を探しているのか、自分でもよくわからない。終わりが近づいてきた。私の演技が終わる頃、少しの疲れが襲ってくるが、それは心地よい疲れだ。私はやっと、自分自身を演じきったような気がする。観客は拍手をするが、その音...イタリア紀行15ベネツィアのクッキーショップ

  • イタリア紀行 14 ナポリで古代ローマの食卓を想う

    ナポリナポリの霧がかった港に船が静かに滑り込む。あの丘の上に広がる街並みが徐々に現れるのを見つめながら、私の胸には幼少期の記憶が甦ってくる。ポッツオーリの狭い路地、海の香り、喧騒と活気に満ちた市場。そう、私はここで育った。ナポリは私の魂、私の原点。どんなに遠くに行っても、心の中にいつもこの街がある。私の名前は世界中に知られるようになったけれど、私の心の中にはいつもナポリの娘がいる。生きるために戦わなければならなかったこの街で、私の強さが鍛えられた。ナポリはただの美しい街ではない。ここには深い愛と激しい怒り、笑いと涙が混在している。まるで私の人生そのもの。ナポリは優しさと危険を併せ持つ街。私たちナポリの女は、笑いながら泣くことができる。私もそうだった。カモッラの影、貧困、そしてその中での生存。けれど、それが...イタリア紀行14ナポリで古代ローマの食卓を想う

  • 日本が返り咲くために、世界のESGのためにIOWN・光電融合と液浸半導体ではないか

    生成AI暗号化通貨、スパコンこれが日本の、あるいは世界の命運を分ける3大キーなのは多くの人が言うところです。この三つに共通する壁は電力であり、地球温暖化であることもおそらく異論のないところでしょう。生成AIのためのデータセンターは原発1機分が必要だとか、真偽の程は別にして地球規模の電力消費であると言います。暗号化通貨もマイニングのための電力消費はレベル的には同じようなもので地球規模の消費がいることになるそうです。スパコンの稼働も地上6階のビルを占有するほどの大きさで、これが世界中で使い出すととんでもないことになりそうです。つまり電力消費が地球の近い未来のシンギュラリティーを阻んでいると言って良いでしょう。この問題を抜本的に変える技術があるのだそうです。一つはNTTのIOWNで光電融合半導体で電子の移動では...日本が返り咲くために、世界のESGのためにIOWN・光電融合と液浸半導体ではないか

  • イタリア紀行 13 パラティーナ礼拝堂の黄金の間に痺れるわたしは俗物か

    パラティーナ礼拝堂(CappellaPalatina)は、パレルモのノルマン王宮内に位置する、12世紀の建築物だ。この礼拝堂は、1130年に建設が始まり、1143年に完成した。シチリア王ルッジェーロ2世(RogerII)の命により建設されたこの礼拝堂は、その美しさと複雑さにおいて、当時の芸術的および宗教的な頂点を象徴している。日本の平安時代と比較してみるとその凄さがわかる。ノルマン、ビザンチン、イスラムの要素が見事に融合し、この建築物は文化的交差点としての役割を果たしている。ノルマン王朝がシチリアを支配していた時期、特にルッジェーロ2世の治世下では、さまざまな文化が共存していた。彼の宮廷には、ノルマン人、ギリシャ人、アラブ人、ラテン人など、多様な民族が集まり、それぞれの文化的背景が礼拝堂の建築に反映された...イタリア紀行13パラティーナ礼拝堂の黄金の間に痺れるわたしは俗物か

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