ところで、みなさん、知っていました?2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」で、純烈のリーダー・坂井一圭によりプリデュース公演「1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~」が行われていたことを。私は知りませんでした。酒井一圭氏
このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。
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ところで、みなさん、知っていました?2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」で、純烈のリーダー・坂井一圭によりプリデュース公演「1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~」が行われていたことを。私は知りませんでした。酒井一圭氏
八柳鐵郎著 すすきの有影灯より (完) 藤圭子はビールもウイスキーもまったく飲めない。ワインをちびちび飲むくらいである。賑やかに飲み歩くのは苦手なのだ。それを知っているからその場面に誘ったことはない。ショーの控室で話をする程度である。彼女の話は面白く明る
八柳鐵郎著「すすきの有影灯」北海道新聞社刊(昭和62年6月20日発行)より この八柳鉄郎さんの文章は、これまで知られていないのではないだろうか。古本屋のNetで「藤圭子」で検索をかけると、この本が出てくるので、講談社の文庫本を買ったのだが載っていない。あ
たとえば、あの Billie Holiday…。 それから、伝説のブラジルの歌姫、歌の精みたいだったエリス・レジーナ…。 彼女らは、みーんな、人間業以上の凄味で歌うことを許された、ある種スペシャルランクな巫女巫女星人でした。 彼女らをくくる共通頁は、「不幸」と「
さて---では、そんな底辺大衆の夢に支えられた藤圭子というのは、どんな女だったのか? シンガーとしていうなら、これは、もう超一流というよりないですね。 あの異様な説得力は、誰が聴いてもすぐわかる。 僕みたいな三文楽師(イーダちゃんはギタリストでもありま
徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆2013-09-1604:08:37 ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆ https://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/8f32d50d7bbb77a3c3817a0eff5504f2
中国の動画再生プラットホームなので,視聴回数が伸びていないが、貴重な動画なので、紹介します。https://www.bilibili.com/video/BV1Bq4y1Q74i/?from=seopage
84年生まれによる藤圭子考 垣間見た70年代という時代公開日時2013年09月05日 13:59 歌手の藤圭子さんが8月、亡くなった。享年62歳。その死をきっかけに、昭和が持っていた“怪物”のような顔がこちらに振り返った気がした。藤さんの曲が次々とヒットした19
麗人の歌と無法松の一生 1974/8/9 広島音楽祭で藤圭子は「麗人の歌」を歌う 目の前で見ていた古賀政男は不満顔、自分(古賀政男)の歌を「藤圭子」として歌っているから 譜面、ときには歌詞さえ、自分自身の気持ちを押し通してしまう藤圭子 結果、石坂が謝罪を圭子
スターと旅に 詩の国、絵の国・大津
大津にて
滋賀県大津にて
若い世代の藤圭子論 昨年の7月に「若い世代の藤圭子論」をUpしましたが、今般1本追加いたします。 シンガー夫婦で『聞いて下さい私の人生《藤圭子さん》』を聴いてみた♡ (youtube.com) 若い世代の藤圭子論2023年07月03日最近、若い人たちの「藤圭子
白けて吠える遠い目(完)草森紳一 私が、藤圭子を素晴らしいと思うのは、まさに歌いっぷりなのである。たしかに唸り、吠えるような発声である。しかしこの唸り、吠える発声にぞっこん参ってしまうのではない。そんな地点で参ったりすると、怨歌だ、怨念だ、などといわな
白けて吠える遠い目(2)草森紳一 彼女はあまりしゃべらない。いわば無口である。愛憎がない。しゃべっても、素っ気ない。むだ口を叩いたりしない。あれはなにもおとなしい性格だからでも、気取っているからでもない。北海道人通有の言語空間の把握とその習性からそうさせ
藤圭子の時代は、歌謡曲は知識人のものだった、と書いたのはジャズ評論家の平岡正明だが、デビュー後数年のうちに実に数多くの「藤圭子論」が発表されている。これほどまでに論じられた歌手はほかにはいない。 そうした「初期藤圭子論」ともいうべき文章をいくつか紹介し
藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震いラ・ラ・ラプソディー昭和(連載29)日刊ゲンダイ 2024年8月28日発行 沢野ひとし藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震い過去は薄れ
女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その2)完あれでよかった!? わたしの離婚 清ちゃんとの離婚のことにふれてしまいました。あれをふたりそろって発表したのは、昨年の8月12日でした。皆さんからは唐突に思われ、特別の理由もないのにと、さぞバカみたいにみえたことで
週刊プレイボーイ 昭和48年(1973年)6月19日号女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その1) 9か月前、抜き打ち離婚で関係者を驚かせた藤圭子が、その傷の癒える間もなく、両親の離婚というドロドロの渦の中にまきこまれてしまった。自分自身の時もそ
もしも、圭子がウッド・ストックに参加したら それは素晴らしい結果になるだろう もし圭子の歌が、日本人の心を歌いあげた怨歌(ブルース)なら、彼女がウッド・ストックに出演しても満場の拍手をあびるだろう。司会者はこう紹介する。「日本最高のフォーク・シ
⑧ 日本語の快感がある 何はともあれ、当せん作を発表したいと思う。そして、その後、選考過程やら感想やらを書くことにする。圭子のさすらい 静岡市丸山町… よしかわかおり 言葉わすれた くちびるは 草笛ひとつ 吹けるだけ た
⑦ “不幸”の正体きめないで 古い友人や、遠くはなれた知人から、体は大丈夫かという問い合わせが来るのである。 梶山季之さんの突然の死から、あいつはどうだろうかと気にしてくれているものらしい。おれは大丈夫だよ、ピンピンしていると答えてはいるものの、ふと本当に
⑥ 四行詞の快いリズムを 演歌を書く時、それでは四行詞にしましょうかというのは、よく出る話である。 又、実際、この講座に於ても、四行詞にかき直してみたら、と注文を付けたこともある。“阿久悠の実践的作詞講座・藤圭子篇”も今回で七週目、当選作決定まで後一週とい
⑤ 「彼女」とデートするならば 日本人の生活意識調査をしたら、その90%が、中産階級と答えるだろう。もしくは、中流家庭という答え方をするかもしれない。 そして、彼らが定義する中流家庭とはどういうものかというと、エレクトーン、小型国産車、冷凍庫付き冷蔵庫、国
④ 正直に書こう”女心“ 女を描くということをよくいう。あの作家は女が描けるとか、描けないとかいうあれである。「男と女がいた」というこの一フレーズが世界最短の小説であるといわれるくらいであるから、作家にとって、女を描くということは、かなりの比重になるもので
③ こだわるな 怨みや宿命 まちわびた春だというのに妙に沈んだ空気がうかがえる。 ゴールデン・ウィークの人出予想も、大型レジャーに類するものは近来になく低調だという。人員整理をしないということを条件に昇給をすえ置きをのむ大手組合が現れる。 そういえば、先日
② “神話”と“伝説”を利用して ぼくらは、歌うための詞を書こうとしている。印刷するための詞でもなければ、読むための詞でもないということを前提に置きたいと思う。 さて、歌には、聴くための歌と歌うための歌が考えたい。関係者間の言葉でいえば、“聴き歌”“歌い歌
① テーマは“ウソのない心” 藤圭子篇である。 藤圭子の歌う詞について語る前に、日本について考えてみたいと思うのである。 国家を憂えるとか、日本人の根元を考えるとか、そんな壮大な心構えでなくてもいいのである。 最近まるで気にしなくなっていることで、ふと妙に
「さすらい」と「風子 二十四 不幸せ」 この2曲は、阿久悠がスポニチに連載していた「阿久悠の実践的作詞講座」の藤圭子の篇の入選作品で、いずれも遠藤実の作曲でレコード化されている(昭和50年9月発売の藤圭子25枚目のシングル)。「阿久悠の実践的作詞講座」は
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(完)テレビ出演断れば今後に差支えます しかし、いくら契約書にそうあるからといって、歌手の身体までダメにするようなスケジュールを組むプロダクションはどういうつもりなんだろう。「デビューして一、二年のタレ
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(2)睡眠時間は五時間 一生懸命眠ります 殺人的スケジュールに追いまわされているのは、なにも藤圭子一人ではない。このところヒット曲を出して、テレビのベストテン番組に顔を出しているタレントは、みんな同じよ
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(1)風邪に不眠に卒倒と私の日程つらかった藤圭子、倒る!と思ったら三日後には巡業地に青い顔で飛びたった。売れっ子タレントは静養も思うようにならないらしい。生まれてきたのは親のため、スターになったのはプロ
二度と繰り返したくない人生(完) 藤圭子やっと落ち着いて歌える今の目標は親子三人での楽しいサウンド作りだ 「アメリカに呼ばれたような気がしたんです。なにか身につけようと考えたら英語が浮かんできて。それに、歌しか知らない私が日本にいて、ほかの人の歌を聞くの
二度と繰り返したくない人生 藤圭子(3) 薄幸の少女なんてだれが決めたのか生れたときからいままで私は普通の女だと思って生きてきた 中学を卒業するまでテレビなどろくに見たことがない。上京してからも家にはテレビはなかった。デビュー後は、テレビはあったが見る時
二度と繰り返したくない人生(2) 藤圭子やることがないから歌いはじめただけだ 藤圭子。本名、宇多田純子は一九五一年七月五日に岩手県一関で生まれた。両親はともに浪曲師。東北地方、北海道を中心に巡業していた。藤圭子が参加したのは十歳の頃からだった。レパートリ
二度と繰り返したくない人生(1) 藤圭子 ふたたびいい女列伝 山下勝利著(1995年10月20日第一刷発行)より 結婚のいきさつを聞かれ、テレからか、なりゆきです、もののはずみですと答える人がいる。 実情は大恋愛だったり、中であったり、なかには小の名
日本の顔顔顔……99 疋田桂一郎・森本哲郎 朝日新聞社昭和46年11月25日第一刷発行 庶民派 藤圭子 歌手十五、十六、十七と、キミの人生暗かった?「えっ、別に暗くないです。あたしの青春はくらくない……自分なりに……」楽しかった?「……楽しい
森山大道の怨念のレンズが藤圭子をとらえた(昭和46年1月26日発行「週刊プレイボーイ」) 怨念の映像・新シリーズ 森山大道 対 藤圭子 「カラーで7ページです」「もったいないわね」「えっそんなことないよ」 この仕事を始める時の会話である。
◆藤の死の知らせを聞いたとき、前川は… 6年前の8月22日。それはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的な訃報だった。早朝の東京・新宿。藤は居住していたマンションの13階から飛び降り、62年の人生に自ら幕を閉じた。 “藤圭子、自殺”この報道に、都内でコンサートのリ