chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 禅画のモチーフ

    寒山拾得展で制作した大きいプリントより最新作はさらに大きく、それに合わせて一部、再プリントをしたい。私の作品の90パーセント以上が縦位置で、新作も全て縦なので、並べられるよう再構成している。今のところ候補は『慧可断臂図』『虎溪三笑図』『四睡図』。古来から描かれてきた禅画のモチーフである。陰影のある新作に対して陰影のないフィクション部門といったところか。陰影がないと、それぞれのオブジェが影響し合わないので切り貼りしての再構成が容易である。蝦蟇仙人、鉄拐仙人、琴高仙人も考えないではないが、新作が半僧坊以外は実在した人間なので、それより目立っても。七福神のイメージである布袋尊は、実は実在した禅僧だそうだが、これも好きに造形しているので、ちょっと目立ち過ぎる気がする。禅画のモチーフ

  • 3Nでお願いの件

    結局私の関心事は幼い頃から現在まで終始一貫、頭の中に浮かぶイメージであり、なぜそんな物が浮かぶのか、そんな私とは何か?だろう。小学校の担任が「私の声が聴こえていないかもしれない。」始業のチャイムが鳴っても図書室から出てこなかった前科も考慮されたか。なので母と買い物に行くと、手をつなぎながら小さな声で私の名前を呼んで確かめていた。最大の関心事がそれであるなら、自分の外の世界は二の次、三の次となるのは当然である。その挙げ句が〝外側にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想“ということになり、高僧をモチーフにするに至りどうやら〝己の中に仏はいる“らしい、と。思えば母や様々な大人に心配迷惑をかけた。本人には悪気はないのだが。このブログを誰が見ているかわからない。その問題は子供の頃の話で、すでに解決済み、みたいな顔をす...3Nでお願いの件

  • 何を作らないか

    ぼんやりしていると、どんなイメージが降ってくるか油断がならず、それによっては今後の道筋にも影響が出るからうっかりはできない。建長寺の和尚様にいわれたように、頼まれもしないのに、或いは需要もないのに、または発表する気もないのに。と抑えが効かず数々しでかしてきた。母にしつこく聞かされたが、台風による幼稚園の休園日、隅田川の佃の渡し船をおとなしく描いていたが、煙突だったかに東京都のマークがついていて、同じマークがあったと豪雨の中、止めるのも聞かずマンホールの蓋を見に行った。幼稚園児ならマンホールの蓋を観察しに出かけるくらいの時間はあるけれど、時間は年々貴重になっている。私の場合は何を作らないか、作らないと決めたら必ず守る。これが大事である。何を作らないか

  • プロローグ

    正義が勝つには時間がかかる、といったのは森田健作だったか。正義はともかく、良いことだろうと悪いことだろうと、何かしようと思えば時間がかかる。長い間やっているうち、考えるな感じろで行く方が結果が良いのは、人間も草木同様自然物、肝心な物はあらかじめ備わっているからで、感じたまま行くとその肝心な物が発動する仕掛けになっているのではないか?その肝心な物が〝己の中に仏はいる“の仏なのかは私にはわからないが、ここに至り最大の関心事ではある。鍵っ子時代、中井英夫編纂の百科事典の別巻『日本の美術』の頂相あるいは頂相彫刻を、畳に腹這いになって飽きることなく眺めていた半ズボンの私を思い出すと、あれがシナリオのプロローグではなかったのか?最近かなり本気でそう考えている。プロローグ

  • 法然頭はセーフ?

    手付かずのままだった浄土宗の法然上人の制作を再開しようか考えている。臨済義玄の前頭部が盛り上がった頭や、栄西の円筒形の頭はフィクションなのは明らかで、陰影有りの手法に戻ってからは作る気になれないが、真ん中が凹んでいる法然頭はありえなくもない。そう考えると、卒業証のように弟子に授けられた臨済宗の頂相の写実性は特別で、特に生前描かれた寿像は信用できる。その習慣がいつなくなったのかは知らないが、お陰で江戸中期の臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師は手がけられないでいる。松尾芭蕉の粗製濫造され続けてきた枯れ木じみた老人像を呪ってきたので、私なりの、などといって創作するのはむしろ容易だが、連中と〝同じ穴のムジナ“にはなりたくない。法然頭はセーフ?

  • キャプション

    展示は六月なので時間はあるが、展示用キャプションを書く。こういうことは早めにやっておいた方がよい。この人物はなんで龍が身体に巻き付いているのか、荒天の中、帆柱の上に立っているのか?という方々のために、簡単な説明は必要だろう。2000年に廃れていた写真の古典技法オイルプリントによる1回目のピクトリアリズ展を開いたが、見たことのない手法に、来廊者の目に明かりが灯らない、というトラウマになりかねない経験をした。ほとんどかつての数学や物理の授業中の私のようであった。結局キャプションでは追い付かず、技法公開のためHPを立ち上げた。先日建長寺の鎌倉禅研究会で作品を披露した時、若いお坊様が写真作品の前で皆さんに見えるよう被写体の大覚禅師像を持っていただいたが、数センチの顔が数十倍に拡大され、おそらく何割かの方は理解され...キャプション

  • どこにも行かずここに在る

    6月に4日間の展示が決まった。作家シリーズ最後となった三島由紀夫へのオマージュ展『椿説男の死』(ふげん社)での無観客によるトークで「次は何を?」の質問に、いつかは、と考えていた「寒山拾得」とつい口にしてしまったが、ふげん社が拾得が普賢菩薩の化身であることから付けられたという。そんな縁を逃がさず2年後の『Don’tThink,Feel!寒山拾得展』となった。誰かがシナリオを書いている。そんな気になるのはこんな時である。三島由紀夫で個展をと思ったら、そのビルの先代の社長が事件に使用された『関の孫六』を三島に進呈した人だった、なんてことさえあった。この時はその件で大変だったらしく三島だけは辞めてくれということに終わった。シナリオが良いのか悪いのかアマゾン川の如く蛇行する紆余曲折の有様だが、その原点といえば、幼い...どこにも行かずここに在る

  • 面壁九年

    〝考えるな感じろ“で生きていると、自分の中の自然物に等しく備わっている某かが導いてくれる、と薄々感じてきたが、禅宗の人物をモチーフにしていてほとんど確信となった。そうなると、単なる創作上のモチーフではなく、創作行為がそのまま自分とは何か、を探求することになる。本来そうあるべきだろう。達磨大師は岩壁に向かってまる九年坐禅したという。おかげで手足が腐り取れてダルマの姿になった、というのは日本だけのストーリーらしい。私は粘土に向かって40猶予年。悟ることなど頭の隅にも考えたことはないが、足腰の衰えだけは一人前である。面壁九年

  • 独学我流者 外側にレンズを向けず

    架空の人物制作に転向するはずが、一枚の大覚禅師(蘭渓道隆)の頂相のリアリズムに打たれ気が変わった。我に返る思いで一転実像にこだわり、挙句に陰影さえも戻ってしまった。創作された、実際はあり得ない後頭部から前頭部にかけて盛り上がった臨済像や臼のような円筒形の頭をした栄西は、陰影なしならともかく、もう作ることはないだろう。臨済済義玄は“仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す“といっている。何かを求める時、外に依存するのではなく、自分自身の内面を見ろ。師の教えに依存や執着するな、ということらしい。外側にレンズを向けない独学我流者は納得である。独学我流者外側にレンズを向けず

  • 馬の骨作る時間はない

    前回の寒山拾得展で、寒山拾得が臨済宗に伝わる話ということで〝怒目憤拳“の様子が興味深く、臨済宗の開祖臨済義玄を作ってしまった。当時はいくら調べても実態が判らず。結局、中国のある僧が注文で描かせたものが日本に伝わり、一休の弟子の曽我派の画僧などに模写され描き継がれ大徳寺周辺から広がって行ったものらしい。大徳寺にはまったく別人の穏やかな臨済の肖像画があり、これが実像に近ければ作りたいのだが。間もなく出るタウン誌に書いたばかりだが、昔、未発見だったロバート・ジョンソンの写真が発見された、と音楽雑誌に載った。さっそく作り始めたが、あの音楽を生み出すような“十字路で悪魔と取引した感“が感じられず、酔っ払って編集部に電話をした。「そういうことになってます。」結局納得できず止めたが、後に誤報と判明した。飲んだくれては作...馬の骨作る時間はない

  • 私の役目

    雲水姿の一休宗純は、窓際に置いて自然の塵、ホコリをまとわせた。小四で読んだ『一休禅師』はとにかく汚いイメージだったが、どうやら“オリジナル”があるようで。一休が尊敬していた大燈国師は、師から悟りに達したと認められてなお、さらに二十年乞食の中で修行をする。国宝である大燈国師の頂相は眉をひそめ、写真で言えば横目でレンズどころかあらぬ方向を見ている。横目の一休の肖像画は一休が意図的に真似たのだろう。両者ともに後世に立派な己が姿を、などと考えていない。ここは肝心である。江戸中期の白隠禅師が『乞食大燈像』を残している。禅宗の中興の祖にたいして申し訳ないけれど作風が私の好みではない。令和の時代に乞食大燈像を可視化するのは私の役目だろう。例によって”頼まれもしないのに”。時代は合わないが一休との共演も果たしたい。策はす...私の役目

  • 一日

    今年、同い年の友人に、こんなことをやっているが、最新作が人生上の最突端である。といったら付き合いの長い彼に「ボケた?」といわれてびっくりした。制作に体力を使う訳でもなく、材料費もたいしてかからない。あとは好奇心、集中力が年齢と共に衰える気がしなかったので、経験を重ねて行けばピークを最晩年に持って行ける、と若い頃から想定していた。神奈川に住むその友人は建長寺に来て、梱包など手伝ってくれた。からなず一言いう彼が何もいわないのでのでどうだった?と聞いても作品には触れようとせず身体の心配ばかりするので、自分もいつの間にか頸動脈あたりに介錯を失敗したような手術跡をつけておいて“余計なお世話である”一日

  • 前言撤回のこと

    昔から人間も草木同様自然物、あらかじめ肝心なものは備わっている、と考えて来た。それこそが〝考えるな感じろ“で進んだほうが結果が良い理由だろう、と。そうこうしてある一文が目に止まった。〝禅は仏を外に求めず、自らの中にあると信じた“ここでいう仏とは、自然物に備わっているであろう肝心なものを指しているのではないか?だとすれば、それを追求して来た高僧をモチーフにすることは、結果的に、その肝心なものに多少なりとも関わることになるのではないか?私が長らく〝レンズを外に向けず眉間に当てる念写が理想“と標榜して来たことも無縁とは思えなかった。寒山拾得展で虎に乗った禅師や仙人など手掛け、以後、実在した人物は作らず、架空の人物像で行くつもりが前言撤回し、実在した高僧の像を作ることになったのは、以上の理由による。前言撤回のこと

  • 北条時頼と大覚禅師

    頭に浮かんだイメージを制作するなら、どうせなら数百年間可視化されておらず、私がやらなければ今後も誰もやらないだろう画を作ってみたいが、そんなモチーフはなかなかない。天気も良い。部屋の片付けをしようと思ったとほぼ同時に、袈裟を着た法衣姿の鎌倉幕府第5代執権北条時頼と大覚禅師が対座して見つめ合っている。そこには如何なるものが通いあっているのか。そんなイメージが浮かんだ。こういう場合、構図も出来上がった状態で降って来る。だがしかし、とりあえず予定した作品はおおよそ出来て一息ついたところなので、建長寺の開基北条時頼という大ネタは、いずれかの機会に、ということに。これだからうかつに部屋を片付けよう、などと考えないことである。北条時頼と大覚禅師

  • 腹具合

    建長寺訪問後、腹の具合が悪い。バレエを一度観ただけでニジンスキーで個展を開いてしまった私も、坐禅を一度もしたことないのに建長寺開山を、和尚様がおっしゃったように「頼まれもしないのに。」まるで発表の予定に向けて制作しているような顔をして作り続けて来た。そもそも通常と違い、特定の寺の開山をモチーフにしたのだから建長寺以上に展示するのに相応しい場所などない。さすがの母も、授業が始まってるのに図書室から出て来ず騒ぎを起こすような、ブレーキが効かないところは、大人になれば治ると踏んでいたはずだが、そうはいかなかった。私としては、これは生まれついてのことで、不細工や足が短いことが本人に責任がないのと同様、私には責任がないと考えている。といいながら、プレッシャーに対し腹具合は実に正直である。しかし某事のおかげで、明日あ...腹具合

  • 旅路の果て

    小学校では図工の時間が大好きだったが子供の絵ではない、と私に向かっていう教師がいて、担任も全員参加のコンクールに私の絵だけ出すのを忘れた、という。そんなことがあってその後美術部にも入らず。高校の進路指導では、系列の芸術学部と書いたら「お前デッサンやってるのか?」「えっデッサンの試験あるんですか?」写生など幼い頃から苦手で木炭など触ったこともない。かといって浪人する根性などないので、デッサン描けなくても入れる工事現場のプレハブみたいな工芸学校の陶器科に。浪人したり美術の短大出た経験者もいたが、粘土でリンゴを作る課題で、最初にリンゴ大に粘土を丸めるド素人組の一人であった。それが鎌倉時代の高僧の像を作り、写真やパソコンなど蛇蝎の如く苦手だったことばかりを手段としている。殴られて20年ぶりに目が覚める男のドラマが...旅路の果て

  • ショートカット機能なし

    重圧から解放され、未だ何も手に付かずにいる。2002年に、前年にイベントで一度バレエを観ただけで、ニジンスキー、ディアギレフ、コクトーで個展を開催した。ご丁寧にも廃れた写真の古典技法オイルプリントで。あれを持ってパリのオペラ座を訪れても、これほどの緊張感はなかっただろう。食欲に任せて目の前のパンに齧り付くようにモチーフなど変化させて来た、と頭では思い込んでいるが〝考えるな感じろ‘’の感じる担当の丹田辺りのもう一人の私が実は仕切っているのは判っている。幼い頃から人間にしか興味がない私にとって、これ以上のモチーフはないように思える。創作欲を刺激する祖師の個性的な面相、まつわる伝説。何故早く気が付かなかった、と思わないでもないが、人生にショートカット機能はない。独学我流でひたすらほふく前進してきて身に染みている...ショートカット機能なし

  • 鼠が象の股下をくぐる

    蘭渓道隆像は、国宝である斜め45度向いた唯一の寿像(生前描かれた)だけを元に制作したが、立体にすれば、どこからでも撮れる利点を生かしたい。蘭渓像は絵画、立体像ともに数々残されているが、何百年前に制作された名工の作だろうと、没後に作られたとなれば条件自体は私と一緒である。寿像が真実にもっとも近い、と考えるのが当然とするならば、信仰の対象になって来た開山像に対して失礼を承知でいうならば、どの蘭渓像とも私は意見を異にする。男専門に四十年以上制作してきた渡世上の信念に従ったとはいえ、建長寺のHPにも載る開山様の木像と面相が違う像を持って建長寺の門をくぐるのは、ネズミが象の股下をくぐるが如き心持ちであった。鼠が象の股下をくぐる

  • 用意されたシナリオ

  • 頼まれもしないのに

    昨日の建長寺でのこと。高井和尚様が、私の作品を前に「頼まれもしないのに」とユーモアを交えお話いただいた。実在した人物はもう充分作った。寒山拾得の続編を寺の多い鎌倉あたりのスペースで、と思っただけで、寺での展示など考えてもいなかったが、建長寺を検索していて開山である蘭渓道隆の頂相に感銘を受け、何も決まる前から作り始めてしまい、円覚寺の開山無学祖元まで作ってしまった。私は作りたいと思ったら需要など考えない。感心されるぐらいなら呆れられた方が。と常々思っているが、作りたい、という本気の想いに呆れ、笑顔にでもなってもらえれば何よりだと考えている。長年あれをこれを作れば良かった、と後悔しながら死ぬことを恐れてきたが、高井和尚様の〝頼まれもしないのに“を思い出しながら、どうも私はそんなタマではないな?しなくても良い心...頼まれもしないのに

  • 鎌倉禅研究会(建長寺)

    七百数十年前、建長寺の開山となった自作の蘭渓道隆像を持って鎌倉禅研究会に参加するため門をくぐるプレッシャーに、境内の満開の桜が桜に見えない。演台には参加者に向け蘭渓道隆像が置かれ始まることとなった。高井和尚様のご指導で椅子に座ってではあったが生まれて初めての坐禅を経験。一部は鎌倉国宝館の学芸員による『鎌倉地域の羅漢図』以前ブログに書いたが、男性ばかり作ってきた私が、最後に男の種々相を表現するには羅漢像を作りながら終わるのは良いと考えていた。2部の前に長辺150センチのプリント6カットを解説することに。近所の居酒屋で新聞を読むとしわくちゃになると知られていた私なので、ふげん社から送られてきたプリントは初めて開けて見た。大きすぎてテーブルに乗らないので畳に広げることに。2部『蘭渓和尚とその時代』蘭渓道隆の生ま...鎌倉禅研究会(建長寺)

  • スキに乗じて

    未プリントだが最新作は『蘭渓道隆天童山坐禅図』である。これで次回作さえ浮かばなければ心残りはないことになる?はずである。浮かばないようコントロール出来るものなら楽だろう。多くの場合、小説なり資料なり、ほとんどが文章がきっかけになる。イメージが、ぼた餅のように唐突に落ちてくるのを避けるには、まずは文章を目にしないいことである。制作の調子が上がると部屋が散らかってくる。先日どうにも邪魔だったものを捨て、陽気もよくなってきたので、これを機に部屋を片付ける気になっている。新たなイメージが浮かんでいない、この隙に乗じるしかない。解体現場からいただいてきた、30年以上通った煮込み屋のカウンターも、台所にサーフボードのように立てかけたままになっている。スキに乗じて

  • 安航を祈る

    友人がアメリカに旅行に行くというので、スマホに入れとけ、と送ったのが半憎坊である。おそらく猿田彦が変化したものだろう、道開きの神である。制作者のことさえ気にしなければ海難、火難避け、様々なご利益があるとされる。そういえば、と思い出したのが、三島の戯曲『船の挨拶』。怪しげな船からの銃撃に感謝しながら死ぬ灯台職員の話である。いかにも三島らしい。航行する船に向けて掲げられた国際信号旗、これは〝汝の安全なる航行を祈る“である。三島はなるべく時代の変化に影響受けないよう心がけたが、その後変更された。実際は小雨混じりの曇天の野島崎灯台を撮影した。天気だけでなく配置をだいぶ動かしたし、上で抱き合ってるアベックを抹消した覚えがある。友人は空の旅だったが、こちらも送っておいた。安航を祈る

  • ピストルに撃たれたように

    一度もしたことがないが坐禅は半眼でするもので、つまり目は瞑らない。そのことと関係があるかはわからないが、何かイメージする時は目を開いている時に限られている気がする。目を瞑っているほうが集中しそうだが、あまり思いつくことはないように思う。自分で写真の暗室作業をやっていた頃、真っ暗な中で目を開いているというのが、どうにも落ち着かず、イライラしてきて向いていなかった。寝付きが良く、ピストルに撃たれたように寝る、といわれる。母と同居していた時、話していると突然黙るので、脳溢血でも起こしたか、と何度起こされたか。ピストルに撃たれたように

  • 向き不向き

    陰影がない手法のメリットといえば、構図の自由がある。かつての日本人がやったように、背景に主人公の心情を反映させることも可能である。しかしやってみると、構図の自由があるといいながら、どうしても絵巻物などの長焦点レンズ的になり、それが余計に古典的日本絵画調に見える理由でもある。広角レンズ的な写真的構図が合わない。これに関しては追求するほどの興味はない。そういえば、曽我蕭白はタイムリーパーかのように超広角レンズを知っていたのではないか?というような『石橋図』があるが、線描の水墨画だから可能なのだろうか。水の表現と同様に、陰影のない写真作品ではやれる気がしない。向き不向き

  • 手遅れになる前にアンモニア

    データが完成していて未プリントなのは少林寺の岩窟内の『月下達磨大師図』と長辺2メートルを予定している『蘭渓道隆天道山坐禅図』いずれも“観てきたような嘘をいい“である。先日友人が高野山に行って感激していた。行ったことあるか?と聞くので「ない。」私は寺山修司の“想像力より高く飛べる鳥はいない“を信奉して来た。つまり自然界の最上位にあるのが人間の想像力だ、と。もう一つは江戸川乱歩の“現世(うつしよ)は夢夜の夢こそまこと“である。人間の想像力が最上位か、夜の夢がまことかはともかく、子供が口を開けたまま東の空でも眺めていたら、手遅れになる前にほっぺた張り倒すか、アンモニアでも嗅がせるべきだとは思っている。1997年個展DM手遅れになる前にアンモニア

  • 陰影しかないような坐禅窟

    立体は作ってしまえば、どんな角度からも撮れる。この利点を生かすため残された写真、絵画とは違う角度から撮って来た。大覚禅師こと蘭渓道隆は、生前描かれた唯一の肖像画は、向かって右斜め45度を向いている。敬意を表し、一カットは右を向かせた。仮に左を向いてる正岡子規を右にむかせたら、子規は右を向かないとでもいうのか、顔が違う、という人が必ずいる。そうしたものである。1カットは下から見上げ、1カットは失礼ながらというべきなのか、上から見下ろし撮った。流れからいえば正面が欲しい。陰影を描かない手法では面壁坐禅図を一度完成させた。しかし今となっては、坐禅窟には灯りを持ち込んではならない、という決まりでもなければ、次に制作するとしたら岩窟内、陰影しかないような真正面の坐禅図だろう。陰影しかないような坐禅窟

  • 横目で呪いながら

    月一のクリニック。以前、高校時代の友人と電話で話し、スマホを切ったつもりで診察室での女医先生との会話を聴かれてしまった。「どうしても◯◯に職員室に呼び出されたみたいになっちゃうんだよな。」最恐の◯◯先生に呼び出された時は、恐怖の時間を短くするため、次の授業開始時間の寸前に行く工夫をした。その後コーナンで買い物。疲れたので、軒下に座る枯れ木じみた爺さんの横で休む。「俺もあんたを作ったんだが、資料を読むため深川図書館に行くんで自転車で前を通るたび、俺より若くして死んだのに、こんな爺いにしやがって、って横目で呪いながら通ったもんだぜ?」以来、実像にこだわることに拍車がかかった。横目で呪いながら

  • 検査

    2回目の冠動脈手術を受けて以来の検査。自覚症状もなかったのが、たまたま検査で見つかった。私がのんびりしているので症状が出なかったらしい。その分発見が遅れたということになるけれど。そう考えると、自覚のないままある日心筋梗塞、なんて人はいくらでもいるだろう。これから鎌倉や室町時代の人物に陰影(立体感)を与えることにしよう、という時だったから、これを恐れていたんだよな、と思ったが、身近に何回かカテーテル手術をやった人がいて、手術自体は大したことはない、と聞いていたから、気が急いて、退院したらただじゃすまさねぇ、と集中した。被写体はすでにある。再撮影を終えプリントも済ませた。被写体を作らなくても良い撮影は楽チンである。検査

  • 4月というのに

    昨日のブログを書いていて、行き当たりばったり、好奇心に任せてモチーフを変えて来たつもりで、実は自分とは何だ、ということのために選択して来たのだ、と思った。最初のジャズ、ブルースはそのジャンルの音楽が好きだった、作家シリーズも好きな作家ばかりだったが。一休和尚こそ小学四年で読んだ『一休禅師』のイメージが強く残っていたものの、かつて父が眠るしかも親戚の寺の宗派を聞かれて答えられなかったような私が、何故お坊様を作っているのか?丹田あたりのもう一人の私が、そこに何かがあると判断していたなら納得がいく。連載中のタウン誌の次号の書き出しである。〝映画や小説から全てを学んだ、といういい方があるが、人形作家である私の場合はほとんど作って来た人物に学んだ、といっていいだろう”4月というのに

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Kimiaki ishizukaさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Kimiaki ishizukaさん
ブログタイトル
明日できること今日はせず
フォロー
明日できること今日はせず

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用