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  • 10年前の今日、面と向かって殺すといわれた

    フェイスブックは何年前の今日、こんなことありましたと知らせが来るが、10年前の今日、面と向かって殺す、といわれた。私は人間の男ばかり作ってきたが、写生嫌いで、男のデッサンなど一度もしたことがない。しかしフォルムとしては、力道山時代から様々な人種の様々な男の裸を観てきた。更にボクシング、相撲等。私の特徴は学ぼうと企んだことがすべからく役に立たず、無意識に蓄積されたものだけが役に立つ。その男達のイメージに陰影、立体感をもたらせたのは、酒場であろう。家に何が居るのかは知らないが、なんとか帰宅を遅らせよう、ともがく男達のブルース。娘を嫁にやる父親のわずかなため息は耳に残るし、かと思えば家に複数台洗濯機がある、という娘がいる父親もいる。しまいには面と向かって殺すといわれる始末である。しかし取材はもう充分。最近はもっ...10年前の今日、面と向かって殺すといわれた

  • 行き当たりばったり

    2000年にHPを立ちあげ、2006年に身辺雑記をこのブログに変えた。初日のブログを見ると、作家シリーズを始めて来年で10年となるので、キリが良いので三島由紀夫で止めようか、なんて書いてある。次の展望がある訳じゃないのに。シャレのつもりか〝スッパリとやめるには三島こそふさわしい“なんて書いている。その後も作家シリーズは続け、20年のふげん社の個展『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』が最後となった。三島でやりたいことをやり尽くし、おかげで2年後同じくふげん社で40周年に寒山拾得となった訳だが、それもふげん社が、拾得が普賢菩薩の化身である、ところから名付けられたということがきっかけだが、こんな偶然、客観的存在がシナリオを書いているとしか思えない。行き当たりばったり、すなわち〝考えるな感じろ“が功を奏したとい...行き当たりばったり

  • 旧HP

    ずっと行き当たりばったりで来たが、その割に何かに導かれるように、一点に向かっている気がする。子供の頃、こんなつらい目に遭うのは子供だからだ、大人になったら好きなことだけやってやる。と誓ったものだが、1つ140円のベランダにぶら下がっている物干を溶接しながらの初個展から、世間の動向、需要など考えず、友人に止められたりしながら22年の『Don’tThink,Feel!寒山拾得展』で40周年も過ぎた。オイルプリントの技法公開のため2000年から立ち上げたHPは消えてしまったが、データは友人が保存してくれている。ネットに上げないと見ることは出来ないらしい。今でさえ、自分がいつ何をやったかなどネットで検索する始末だが、父が何年に亡くなったか覚えていないし、その頃何を考えていたのか。俯瞰で眺めてみたい気もする。当時身...旧HP

  • 白鹿

    蘭渓道隆師の構想は3点が決まっているが、無学祖元師も同じく3点にするなら、円覚寺の山号〝瑞鹿山“の由来である建立時に禅師の説法を聞きに白鹿が現れた。に因んで白鹿に囲まれた禅師にしたい。私が参考にした円覚寺の木像は、笑っている訳ではないが口角が上がっているところが、伝わり聞く禅師の穏やかなイメージと重なり、この表情で、蒙古兵に剣を向けられても微動だにせずの場面を作ったが、白鹿に囲まれても有効だろう。となれば何かというとお世話になる上野動物園である。鹿の角は一年に一度生え変わるそうで、撮影はしばらく待った方が良さそうである。こんなこともネットで検索できることは有り難い。小学生の頃『ジャングルブック』の猛獣が人間の目を恐れるという描写を真に受け、上野動物園のライオンや虎を睨んで回った私だったが、連中にはまったく...白鹿

  • 撮影を前に

    来月には撮影に入りたい。もう2年近くフォトショップに触れていない。しかし外側の世界にレンズを向けず、眉間にあてる念写を旨としているので、まずは被写体を作らなければならない。この極度の面倒くさがりが、と自分でも思うのだが。今回時間がかかったのは、久しぶりに人物像もちゃんと展示するために、360度作っていたこともあるが、それより何よりも、禅宗で高僧を描いた頂相は、師の教えそのものとして伝え継ぐための物であることを思うと、作家の顔を作るのとは訳が違う。さらに、決まって斜め45度を向いた陰影のない日本絵画から立体感を推察するのは困難であった。行きがかり上〝日本人は何で陰影を描かないんだよ“とボヤく訳にもいかず。撮影を前に

  • 一休和尚雨宿り図 2

    昨日書いた『一休和尚雨宿り図』は、橋の下にしたのは雨宿りメンバーを横一列に並べるためである。以前から考えるだけになっていることに、作った人物をビートルズの『サージャントペパーズ』のジャケットのように、作るたび並べることをやってみたい。特に陰影を排除してからは互いの存在が干渉しないのでただ並べるだけで良い。雨宿り図もそうやって次々並べていこうと考えていた。まずは一休の両サイドに夜鷹と乞食を考えた。一休の女色にまつわるイメージを、胸元露わな夜鷹に担当させようと考えたが、次の展示がお寺でという話になり、いったん鞘に納めることに。考えてみると、役目が終わった人物も、首だけは引っこ抜いてある。豊干禅師や慧可禅師、陶淵明、寒山と拾得、鉄拐仙人、蝦蟇仙人など、エキストラとして雨宿りさせるのも一興かもしれない。鉄拐仙人は...一休和尚雨宿り図2

  • 一休和尚雨宿り図

    絵師であり太鼓持ちの英一蝶のユーモアは好物である。先日島流を恩赦で許され、江戸に帰って逗留した江東区の一蝶寺で『雨宿り図』を観たが、このモチーフが好きなのか、代表作に6曲1隻の『雨宿り図屏風』がある。琵琶法師、獅子舞、子供、武士、魚売り、犬、馬までもが、ある屋敷の門前で雨宿りをしている。禅の精神を表しているという『虎溪三笑図』は三教一致といって仏教、道教、儒教の三人の人物が笑っているだけだが、雨宿り図はそれどころではない。私はいずれこれを一休禅師でやりたい。竹竿にシャレコウベか、役立たずの象徴と皮肉った朱鞘の長い竹光を持った一休と横一列に、胸元露わな夜鷹、乞食、物売り、鼻垂れ小僧、犬など並べ、橋の下で雨宿りしている。生涯を庶民の中で生きた一休和尚。横数メートルのプリントでいつか個展をやってみたい。先の予定...一休和尚雨宿り図

  • 定食屋の暖簾

    80年代の終わり頃、写真の素人なのに野島康三作品に一目惚れし、大正時代頃、芸術写真と呼ばれた一連の手法の中で、オイルプリントという技法を、神田の古書街に通い詰め人形制作を放って打ち込んだ。友人等に止められたが止められず。発表したい訳ではなく、ただやってみたいだけだったので、私自身ハラハラして、画像が出るようになり止めた。ところがその後写真を始め、個展をするようになると、だったらあれを、とオイルプリントによる『ビクトリアリズム展』(2000)となった。その後もニジンスキーをモチーフにしたり個展を行なったが時期尚早は否めず。しかし現在はデジタルの反作用で古典技法が花盛りである。私があれだけ夢中になったのは、厳選した作品を最後オイルプリント化して一生を終えるためだ、と思い込んでいた。しかしそうならなかった理由が...定食屋の暖簾

  • 一日

    昨日はつい鍵っ子が野に放たれたなんて意味不明なことを書いたが、被写体から陰影を削除して得られたのは、創作上の自由であり、それによって解放された呪縛は、創作上のことだけではないような気がしている。日本人が初めて描いたという英一蝶の水面の影ではないが、公園の川面に映ったボートの影を描いてからいわれ続けることになった〝子供の絵じゃない”担任の全員参加の交通安全ポスターを〝私の絵だけ出すの忘れた”発言。フェイスブックで再会した娘は私は休み時間も絵ばかり描いていたという。高学年になり、図工の先生に私の版画が国語の教科書に採用されるかもしれないといわれたが、青森の女の子に決まった。落選理由はまた馴染みのセリフを聞くことになった。中、高は美術部にも入らず。独学我流の果てに、写真なら作れない物は撮れば良い。さらに陰影を排...一日

  • 月下達磨図

    『月下達磨図』構図決まる。といっても最初に浮かんだものとほとんど変わらないが、その時は『慧可断臂図』で一度行った方法で岩壁を作るつもりでいたが、入手した水石によることにしたので若干視点が変わった。夜空というと満月を上げたくなる私だが、蘭渓道隆の坐禅図に譲りたくなったが、構図上達磨図の方があっている。満月の中に少林寺?だか多層塔がシルエットになってる。少林寺の巌窟にて面壁九年の修行をした訳だが、シルエットが少林寺だとしたら、少林寺の巌窟というには遠いな、とちょっと気になったが、あくまでイメージ上のことである。なんていえるのも陰影の呪縛がないからこそである。ようやく野に放たれた鍵っ子時代の私という思いがする。慧可断臂図月下達磨図

  • 白隠フォーラム

    江東区白河の臨済宗の冝雲寺(ぎうんじ)は太鼓持ちであり絵師でもある英一蝶が島流しから許され逗留したことから一蝶寺と呼ばれる。本日その一蝶寺で『英一蝶と白隠』に参加して来た。興味深い話を聞くことが出来た。禅と美術はやはり面白い。一蝶の『一休和尚酔臥図』を見て同名の作品を作ったし、いつか背中の火焔を濡れないように傍に置いて滝に打たれる『不動図』も作ってみたい。一方の白隠は臨済宗中興の祖といわれ、地元深川に縁があったが、臨済宗に迫真の頂相が残されているので作れているので、白隠にはないと思われ、手掛ける機会はなかった。芭蕉記念館に収蔵されている芭蕉像を作った時、それは門弟3人が残した肖像画のみを参考に制作したが、全国に数千残されているという芭蕉像は、門弟の作を無視ししていい加減な枯れ木じみた爺イばかりだ、と腹を立...白隠フォーラム

  • 全部そうだけど

    幼い頃から本好きだったが、それは高校までで、工芸学校以後は、作る方が読書より面白くなった。なので作家シリーズは高校までの読書ネタが大半である。8年ほどテレビがなかった時期があるが、テレビは画面に目を向けるので制作に差し障る。読書も同様である。テレビはまだ音を聴いていれば間に合う場合もあるが、読書はそうはいかない。考えてみると、私などほとんど活字から想を得て来た。どんな本も朗読してくれるような装置が欲しい。『蘭渓録』に苦戦しながら。蘭渓道隆の宗時代の山中にて坐禅の図を思い付くのは良いが、となると中国は天童山で、ここへは栄西も道元も修行に訪れたということになる。あくまでイメージ上の作品ということで進めることとする。私の場合、全部そうだけれど。全部そうだけど

  • 月下達磨図

    『月下達磨図』というと月岡芳年の『月百姿破窓月』がある。芳年だけあって普通の達磨とは違う。一説にはペルシャの血が入っていて碧眼だというが、肥満体でもなくペルシャといえばそんな感じがする。達磨大師がインド人だと知らない人が多いのに驚いたのだが、中国人だと思われているようである。そこでいくらかインド人寄りにしてみた。法衣も、袈裟の素だというサリー風にしてみた。『慧可断臂図』で白を着せたので、今回はお馴染みの赤にしてみた。仙人郷的山並みのために入手した水石は、3つうち2つが、木材の化石だと知った。なるほどそういわれてみれば。満月の中に寺院がシルエットになっているのを考えたが、構図によって考えることにする。月下達磨図

  • 多光源の国、日本

    〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私は引き算による思考が苦手である。来日前の宗において、蘭渓道隆が仙人が住まうが如き景観を背に、洞窟の前で面壁坐禅をしている。陰影を排して7年ほどになるが、ハードルの多さにおいてはこの作品が最難関となるに違いないが、陰影があったら一つのハードルも超えること何出来ないに違いない。〝夜の夢こそまこと“な私は、頭の中にイメージが浮かぶたび、それは無理だ諦めろ、まことを写す写真なるぞ。と私の前に立ちはだかって来たのは陰影だったろう。かつての日本人は何故陰影を描かなかったのか。確たる説はないようである。光源が一灯の世界と違い、日本には便所にまで神様がいる〝多光源“の国である。冗談でいっていたが、今に至り、私の説はこれとしたい。多光源の国、日本

  • 探石

    水石を眺めていると、どこかの河原に探石に行きたくなる。そうも行かないので、ユーチューブで探石の様子を観ている。映像では石をひっくり返したりしている手袋だけが映り、何やら専門用語を呟く声も加工している人がいる。これはカミさんに内緒くさい。休みのたびにどこかへ出掛けて行くし。おそらくバレているだろうが、無能の人と違って会社にはちゃんと行っているし、落ちてる物をタダで拾ってくるのだからまぁ良かろう、というところか『月下達磨図』も水石を使うことにした。陰影のない石塚式ピクトリアリズムは、浮世絵同様、主役の背後で月光が輝いていようと岩蔭に隠れていようと、もっとも注力した肝心の人物の表情は、浮世絵同様明るいままである。ことあるごとに迷ったこんなシチュエーションも過去の話である。探石

  • 奇岩怪石

    仙人が住まうが如き風景は『月下達磨図』と、日本に本格的禅が定着していないことを知り、来日した蘭渓道隆師の、来日前に、仙人郷的風景を背に、面壁坐禅する姿の2点をさ予定している。奇岩怪石といえば、頭に浮かぶのは実際の岩石ではなく、曾我蕭白の『寒山拾得図』のまるで結晶の塊のような奇怪な岩肌である。「絵だと思って好き勝手な風に描きゃがる。」と悔しくも楽しい、という曰くいい難い感情を私に抱かせる。山中で戯れる2人は、最初からイメージしながら作るに至ってはいないが、そもそも寒山拾得などというものは、一生作り続けるに値するモチーフである。慌てることはない。山中の寒山拾得を描くのであれば、曽我蕭白個人に向け奇岩怪石を作ってみたい。その場合は石膏で作るべきだろう。奇岩怪石

  • 仙人郷

    前回、個展のタイトルを考えていた時。作品が絵に見えてしまうから、あえて『寒山拾得写真展』としようと思ったが、定年退職した写真好きオヤジが、女房孝行兼ねて中国旅行。寒山寺や山々撮って来ました。寒山拾得は出てこないけど。みたいだな。と止めた。自分の外側にレンズを向ける写真の私のイメージは、何かに仮託、あるいは比喩的に表現するイメージで、それでいてまことを写すなんていう。長らく抗って来たが、私なりの写真の使い方に至った。中国伝来の風景画を観て、仙人が住まうといったって、こんな風景ある訳がない、と行ってみたらそのまんまで驚いた、なんて画僧は少なからずいたに違いないが、それを描くために考えた方法のために、厳選した手のひらに乗るサイズの3個の石塊を入手した。これにより外側にレンズを向けず眉間に当てる念写により〝仙人郷...仙人郷

  • 一日

    『ハーレムの熱い日々』の吉田ルイ子さんが逝去された。ハーピストのシュガー・ブルーを日本に呼ぼうという有志の繋がりでお会いした。これから作家シリーズに転向しようというタイミングだったろう。作家シリーズの第一回や、ピクトリアリズム展にも来ていただいた。そんな時、会場で撮撮影した写真をまめに送っていただいた。アメリカの黒人文化のフォーラムにご一緒したこともあるし、お住まいのスタジオにも何度かお邪魔した。最近思い出すのは私の設計図が書き上がった鍵っ子だった頃のことばかりで、紆余曲折の苦闘時代?のことを思い出すのはこんな時になってしまう。合掌。蘭渓道隆は予定が3カット。ならば円覚寺の開山、無学祖元も3カットにするなら円覚寺の山号、瑞鹿山(ずいろくさん)の元になった、禅師の説法を白鹿が聴きに集まった、という故事から白...一日

  • 臨済宗開祖

    臨済宗の開祖臨済義玄は、寒山拾得展の際に〝怒目憤拳“の表情が面白く作ってしまったが、これは中国のある僧が、注文して描かせた物が日本に伝わったものが元になっている。つまり実像とは違うだろう。後頭部より前頭部が盛り上がってるなど変である。その後、迫真の頂相、あるいは彫刻を元に蘭渓道隆、無学祖元、一休宗純を作ってみると、その中にあっては、違和感がある。そうこうして一作品かなり詳細な頂相を見つけている。もちろん顔はまったくの別人である。共通といえば、髭と後ろ半分に毛髪がある。今となってはこちらの方が、並べた時に違和感がない。これが臨済義玄だ、としかるべき方に確認したら、いずれ作ってみたい。もっとも千年以上前の人物判らないかもしれない。それにしても臨済宗の開祖である。インスタのハッシュタグが100未満というのは合点...臨済宗開祖

  • 石塊

    前回の個展では、会期1月前に、中国の深山風景を、庭園の庭石あるいは手のひらに乗る石を使って制作した。寒山拾得、もはや実景が合わないと感じた上での窮余の一策であった。何トンの岩も手のひらサイズの石も、陰影がないと切ったり貼ったり自在である。陰影の排除は想定していた以上の自由を与えてくれる。先日、ネットで良い石を見つけた。これ一つで、数千メートル級の岩山をこなせるだろう。その際チェックを怠ってはならないのはサイズと重量である。形ばかりに気を取られていると厄介なことになる。それはともかく。こうしていると、つげ義春『無能の人』を思い出さずにいられないが、あの作品を名作たらしめている泣き濡れる女房もピーピーいう子供もいないので、石塊を前に、心穏やかでいられるのは何よりである。石塊

  • 猫科の事

    昨日書いた2018年の『ピクトリアリズムIII』展の段階で『寒山拾得』の構想はすでにあったのを思い出した。寒山と拾得のの師というべき豊干禅師は常に虎に乗っている。その虎を、虎を見たことがなかった日本の絵師の、想像で描いた猫じみた虎を、猫を撮影して作ってみよう、と近所の知り合いのトラ猫を撮影させてもらい、わずかに顔に動物園の虎の模様を貼り付けて作った作品を出品していたのである。寒山拾得への想いなど知るよしもない来廊者の方々は違和感を感じたことだろう。結局マタタビにもじっとしてくれない猫に愛想を尽かし、本番では上野動物園のアムール虎を使ったが、こいつも落ち着きな歩き回ってばかりで、寒山拾得と豊干と虎が寄り添って眠る『四睡図』では四肢をバラバラにして寝転がしてやった。猫科の事

  • 18年かけて消えたトラウマ

    2000年のピクトリアリズム展はオイルプリントによるもので、廃れて久しい絵の具を使った手法だったが、日本では好きか嫌いか以前に正体、出自不明な物に対し目に明かりが灯らない、というトラウマになるような経験をした。その年に技法公開のためにHPを立ち上げた。あれから幾年月、かつての浮世絵のような自由を得るためには陰影が阻害していると排除した。被写体の作風と相まって日本画のようになり、これもまた一種の絵画主義写真、ビクトリアリズムだということで、ちょうど18年後ピクトリアリズムIIIとした(銀座青木画廊)以来この手法に対し一度も質問をされない。陰影を出さないように撮影し、切り抜いて貼り付けているだけなので、質問もしようがないだろう。溜飲が下がるとはこの事である。トラウマもやりようによって消えるらしい。その後、その...18年かけて消えたトラウマ

  • 龍の制作2

    写真作品の拡大を考え、撮影用に作った龍は、全長40センチ足らずの物だが、鱗は貼るか刻むか考えたが拡大に耐える鱗など、無器用な私が作れる気がしないので諦め、石膏で鱗の型を作って貼るか、画像制作の際に、一枚づつ貼って行くことにした。画像の場合は、仮に雲龍図など、別角度で用いる場合は、また1枚づつ貼ることになる。なんてどうやら龍図を作る気になっているらしい。確かにメータークラスの龍の写真作品は、私のモットーである〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ“は実現するだろう。仏法を守護する存在として描き継がれて来た龍だが、いかにも恐ろしげな龍とどこかユーモラスな顔の2派に分かれる。私が小学生だったら恐ろし気にしただろうが、今に至れば間違いなくユーモラスに行きたい。龍の制作2

  • 龍の制作

    激痛に苛まれた神経痛は脂汗かいて形成外科に行き、検査されただけなのに、何かの動きが良かったのか、痛みがなくなり歩いて帰って来た。しかしほとんど天井向いていた3週間弱で右脚がだいぶ弱った。あえて言えば右膝辺りの皮膚感覚が鈍い感じが残っている。外出は、テーブルに味の素が置いてある定食屋か、近所に買い物行く程度にしている。引越し前に一緒にスタジオでギター弾いたりして遊んだトラックドライバーが、貸していたグレコのバイオリンベースを返しに来てくれた。またおりを見て、たまにはかき鳴らしてみたいと話している。制作中の龍は後は鱗を残してほぼ完成。立体の龍となると重々しい物になりがちだが、表情はそんな龍にならないよう可愛い気にしてみた。無学祖元の袖口から顔を出すのだから、龍虎図の龍のような猛々しいのは合わない。仏法を守護す...龍の制作

  • 龍あるいはドラゴンの事

    何度かその気になりながら龍を作るのを止めていた。寒山拾得以来子供時代に戻ったような心持ちになっていたが、怪獣好きだった子供時代を思い出し、そんな不純な動機で作ってはならない、と思い、雲龍図や龍虎図など断念したが、無学祖元が我が姿刻むことあれば龍と鳩を、と言い残したとあれば作らない訳には行かない。なので制作中の龍は何かに転用してやろう、という邪念?を起こさぬよう写る片側だけ作るつもりが、こちら側も良いな、なんて作ってしまい、袖口から顔を出しているだけなので、上半身だけで良い、といいながら中に入る芯は、尻尾の先に合わせている。抗うことの出来ない流れ、というものがあるようである。三島由紀夫の『仮面の告白』の中に、幼い三島が魅せられた、ある絵本の場面が出てくる。それは西洋の王子がドラゴンに噛み砕れ死ぬ場面である。...龍あるいはドラゴンの事

  • 何より肝心なのは文体

    龍の頭、髭と牙以外はほぼ完成。写真写りを優先し、あえて左右非対称歪めて作った。絵画では普通のことである。私のもっとも好きなヌード絵画クラナッハも解剖学的にはメチャクチャである。人形を撮影するようになり、初個展の翌年作家シリーズに転校し早々に、江戸川乱歩がピストル構えてアドバルーンに乗っている『帝都上空』を制作した。これは造形の段階で、極端な遠近感を付けて制作し、それをさらに広角レンズで撮った。田村写真で最初にプリントを見た時のことは忘れられない。異形の被写体ゆえの効果は作った私ししか知らない。江戸川乱歩の作品は整合性云々をいう人もいるが、そんなことより何よりあの文体が肝心である。乱歩チルドレンの私も1カットで私と判る文体を持ちたくて挙句に陰影を排除することに。何より肝心なのは文体

  • 龍頭

    天井画その他描き継がれて来た龍だが、大迫力なのにどこか可愛らしかったり、ユーモラスな表情の龍が多いが、立体でそんな龍は記憶にない。立体の場合は、都合の良い所だけ作れば良い、というわけに行かない。鉄腕アトムのツノや花形満や矢吹丈の前髪のような物である。撮影用の立体であれば、こちらの都合で視点を定められるので気にする必要はない。夜の夢こそまことだ、と江戸川乱歩から学んだ?袖からただ顔を出す龍は半身だけで良いのだが、雲竜図など雲で隠せばこれで充分だ、と良からぬことをつい考えてしまう。龍頭

  • 袖口から龍の件

    工芸学校の時に『龍頭角徳利』なる物を作った。同級生に上げたが、龍の口の注ぎ口から涎のようにダラダラと。使い物にならなかったらしい。そこまで考えていない。小学校の学芸会の八岐大蛇から始まって、龍であれば参考資料など必要はない。頭だけならすぐ出来てしまうだろう。私のことだから無学祖元師をグルリと取り巻いたり、やってしまいそうだが、禅師の袖口から岩場のウツボのように顔を出していれば良く、あくまで禅師を立てなければならない。鱗が面倒なので、いい加減にしておきたい。龍の指の数は中国で5本指は皇帝クラス以外は使えない。日本では3、4本が多いようだが、円覚寺の前田青邨監修の天井画の白龍図は3本なので、それに準じたい。袖口から龍の件

  • 袖口から龍の件

    工芸学校の時に『龍頭角徳利』なる物を作った。同級生に上げたが、龍の口の注ぎ口から涎のようにダラダラと。使い物にならなかったらしい。そこまで考えていない。小学校の学芸会の八岐大蛇から始まって、龍であれば参考資料など必要はない。頭だけならすぐ出来てしまうだろう。私のことだから無学祖元師をグルリと取り巻いたり、やってしまいそうだが、禅師の袖口から岩場のウツボのように顔を出していれば良く、あくまで禅師を立てなければならない。鱗が面倒なので、いい加減にしておきたい。龍の指の数は中国で5本指は皇帝クラス以外は使えない。日本では3、4本が多いようだが、円覚寺の前田青邨監修の天井画の雲龍図は3本なので、それに準じたい。袖口から龍の件

  • 忘備録

    無学祖元は今のところ、寺を襲った蒙古兵に喉元に剣を向けられ微動だにせず退散させた場面と、我が姿刻むことあれば、と遺言に遺したという袖から金の龍、膝上に鳩の図の2点である。蘭渓道隆が3点予定なので、もう一点考えても良い。と書きながら気が付いた。ブログを書くというのは、しばしばこういう効果がある。袖口から金の龍は人形に合わせてすでに作ってあるが、まずは写真作品用に、もっと大きく詳細な龍を作って写真の拡大にそなえるべきだろう。本来まずはそうすべきことを忘れていた。となれば鳩は本物を撮影すべきだろう。人物制作に関しては、私の本分であり、拡大して初めて見えるものがあるが、龍や鳩は別である。私が作った4センチほどの鳩など、実物大にでも拡大したら目も当てられない。ということで撮影用の龍を作ろう。しかし怪獣作って喜ぶつも...忘備録

  • 人は頭に浮かんだ物を作るように出来ている

    確か養老孟司の言葉である。この仕組みのおかげで、とんだことになった訳だが。蘭渓道隆坐禅図をイメージしていると、モチーフとしては巌窟や岩山、滝など、まさに水墨画のモチーフだが、あくまでカラー作品である。水墨画調にモノクロームも良いのではないか、という向きもあるが、私にいわせればモノクロームは被写体に自ら着彩する必要のない人専用のものである。自分で塗っておいてわざわざモノクロに、なんて気は起きない。やってみれば判る。水墨画と浮世絵の、折衷案のようなものが頭に浮かんでいるのだが。三遊亭圓朝で、江戸、明治期の寄席を再現しようと思い、ついでに川瀬巴水などの新版画のニュアンスを出せないか試みたことはある。石塚式ピクトリアリズムのささやかな成果である。『蘭渓道隆坐禅図』。ノートにスケッチしていると、日本の風景とは言い難...人は頭に浮かんだ物を作るように出来ている

  • 棚ぼたのように降るイメージ

    大の里、入門一年にして初優勝。思わずアッと声が出てしまった。野球の大谷、ボクシングの井上に続いて相撲界にも怪物が現れた。大谷同様、大きく速く、肝心の相撲内容が良い。ダントツの大横綱になった所を見てみたい。蘭渓道隆の風景のなかでの坐禅像を描きたい。その場合、参考にした頂相のように45度といわないまでも似たような向きにしたい。それは横に置いているのを見ていて作りたくなった。夕方、何がきっかけでもなく、禅師が坐禅する巌窟の上に伸びる切り立った岩壁が浮かんだ。次にそれを前景として向かい側に斜めに伸びる山の稜線。前景に戻って稜線に対応するように、禅師の座る巌窟の床部分が浮かんだ。夜観る夢は、実は短時間だというが、あのシナリオは誰が書いているのか、と思うが。いつも数秒で浮かぶイメージは自分で描いてる気は全くしない。棚ぼたのように降るイメージ

  • 判ってないじゃ済まされない件

    思えば様々な渡世の人物を作って来た。特に隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパーの表紙など守備範囲を超えた人物を作った。特集場所とそこにちなんだ人物が決まると、2か月の間に著作や伝記を読みながら人形を作り、特集場所を調べ撮影し。そもそも都営地下鉄駅周辺に絵になる場所が少ない。どうやってこの人物をここに立たせれば良いのだ。武士が特集人物になるのも恐れたが『坂本龍馬と大手町を歩く』。トンチでも効かせないと立たせられない。『植村直己と板橋を歩く』街中にただ立たせて絵になる人物ではない。週刊誌の私のなりたいもの特集で、乞食に扮した人である。何匹ものエスキモー犬を戯れつかせた。古今亭志ん生は、お銚子にコップと決まっているのに、交通局から飲酒表現はNGと、湯呑みに変えることになった。志ん生ファンには〝こいつわかって...判ってないじゃ済まされない件

  • 備忘録

    蘭渓道隆師の写真作品としては、1無背景の正面を向いた坐禅像。それは斜め45度を向いた肖像画を参考にしたので、ただ正面を向いているだけで、背景などなくても充分と思える。2国宝の肖像画が元であることを表したくもあり、同じ方向を向いた作品にしたい。背景をお手植えのビャクシンの樹にするつもりだった。手前にバストアップで撮れば坐禅姿が立ち姿のようにそのまま使える。しかし自然の中で坐禅している姿が作りたくなった。3そこで立ち姿を作り、そちらを七百数十年を経て巨樹となったビャクシンの樹を感慨深げに眺める禅師にすることにした。事実の再現ではなく、七百数十経ったからこその1カットである。備忘録

  • 読書しながら制作は出来ない

    引っ越しした時に制作に関係しない本は処分し、以降も制作に関係ない本は買わないよう心がけている。幼い頃から本を読んできて、もう取り入れる方は良い。在る物を吐き出す方に専念すべきだ、と思ったのだが、しかし新たな、未知の人物を制作するのに、ビジュアル情報だけで造形はともかく、写真作品を制作するためには、デッサンするかのような読書が必要になって来る。考えてみると作家シリーズの多くは、二十歳くらいまでの読書がネタ元だったので、改めて文字情報はそれほどは必要なかったが、新たなモチーフを手がける現在は、未知の人物ばかりなのでそうは行かない。しかし子供の頃からながら族の私だったが、さすがに読書しながら制作は出来ない。なかなか思った通りには行かないものである。読書しながら制作は出来ない

  • 本当の立体感

    大相撲、面白くはあるが、休場が多過ぎる。どういう人事なのか相撲教習所の所長になっている芝田山、ガチンコ横綱の大乃国が憂いているが、何しろ師匠が「休場は負けと一緒」といい大関から陥落し、見事返り咲いた真面目な堅物、賭博問題の時に理事長職で苦労した、元大関魁傑である。魁傑の大ファンだった。次が旭富士、今はテレビを着けたら、花道を引き上げる途中で客のパンフだが、落とし物を拾って渡している場面をみて誰だ?と思って以来宇良。以前、北の富士が膝を怪我しなければ相撲が変わるかも、といっていたが、地位と共に相撲が変わった栃錦が頭にあったのではないか?栃錦はともかく、押す力は強くなった。蘭渓道隆の語録、蘭渓録を読む。やはり小学生の頃から伝記を読み続けた経験上、ビジュアル的資料だけでは、人物の本当の立体感は得られない。本当の立体感

  • 夏休みの縁台

    蘭渓道隆禅師の『蘭渓録』届く。現代語訳なので生々しい。小学校に入学して図書室に出会ったのだが、本が好きで床屋でも散髪は終わってるのに、置いてある本を読み出したら帰らず、何度母が迎えに来たか。しまいには持って行っていいよといわれて帰ったり。そして特に夢中になったのは伝記、偉人伝の類いであった。何しろ、そこらに転がっているような大人は登場しない。夏休みともなれば何冊も借りて来て、お隣の家の縁台に、カブトムシの入った虫籠と本を並べて昼間からずっと読んでいた。始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず騒ぎにもなった。伝記の類は、その場を見た人が書いていると思い込んでいたので、私がワシントンのように桜の木を切っても、書いてくれる人がいなければダメじゃんと思っていた。※後に夏休みに本を積んで読んだ、お隣の家の縁...夏休みの縁台

  • 蘭渓録

    ここ何年か人形は参考程度のつもりで展示して来たが、次回の展示には達磨大師、臨済義玄、蘭渓道隆、無学祖元、一休宗純、半僧坊の展示を予定している。チマチマと仕上げをしながら、写真作品について考えるが、なかなか取り掛からない時は、2つのパターンがある。1つは自分を焦らしてより創作の快感を高めよう、という私の悪癖の場合と、何か気になることがある場合であるが、今回は明らかに後者である。造形的には納得しているが、私にはこの人物がこう見える、ということを表すために写真撮影を始めたのだが、一つこれ、というシチュエーションが決まらない。そこで南宋時代の『蘭渓和尚語録』を現代語訳したという『蘭渓録』(禅文化研究所)を注文した。これですべて解決となる予定である。蘭渓録

  • 今日も今日とて

    本当のことなどどうでも良い、という夜の夢こそまことな私だが、いっている割には、本当にこだわってしまうところがある。創作なんだから、といわれるし、その通りなのだが。とっくに亡くなった作家だったり、何百年前の人物だろうが2人だけの世界になってしまって、三島を作っている時など、ベランダの洗濯物を眺めても、その間に三島が挟まって見える始末で、そうなると心情的に気になってしまうのである。もっとも斜め45度の肖像画しか残っていないのを、誰も見たことがないから、と正面向かせて喜んでいるなど、勝手なことをして、といわれればそうなのだが。自分でも何を一人でぶつぶつと日々身を捩りながら、と思うのだが、この有様こそが私らしいと思ってはいる。今日も今日とて

  • 私の設計図

    22年の寒山拾得展以降、禅宗モチーフを制作するうち、師の迫真の肖像画を、卒業証のように弟子に与える頂相、あるいは頂相彫刻が、人形や彫刻などの人像表現の究極と思うに至った。小学生の頃、百科事典ブームがあり、我が家にやって来た辞典は『虚無への供物』の中井英夫が編纂しており、ボディビルの項に、貧弱な三島由紀夫の上半身が使われており、シャンソンの項がやたら詳しいのが小学生の私には奇妙であった。中井に写真のモデルを依頼された三島は〝あんな嬉しいことはなかった”そうだが、鍵っ子の私は小〜中学にかけて一往復は読んだ。別巻の世界の美術のシュルレアリズム絵画を見て、子供なのに間違いなくノスタルジーを感じ、東洋美術では、頂相彫刻の圧倒的リアリズムに飽きることなく眺めた半ズボンの私だったが、ここに至ってみると私の設計図は小3か...私の設計図

  • 気付かなぬフリして窓外を眺る

    ロクな目に遭わなかったのは、何も朝ドラ『虎に翼』時代の女性ばかりではない。こんな目に遭うのは私が子供だからだ、と思った小3の私だったが、大人になったところで渡世によってはやり難いように出来ている。根っこはいずれも一緒てあろう。大映の増村保造監督が中学の頃から好きだが、偉そうな男が次第にボロボロになり、それに反して女がみるみる強くなって終わったり。東大法学部の同級生、三島由紀夫が大映の出演オファーにチンピラヤクザ役なら、と自分と正反対の、好みのタイプになりたがったが、増村はその『からっ風野郎』(60)で散々シゴキまくった。長く続けた作家シリーズの最後に三島を選んだ私だが、男性の筋肉の有位性を疑わない三島を、現代の総合格闘技のジムにお連れし、女性格闘家にキメられながらギブアップ出来ずに泡吹いて目を白黒させてい...気付かなぬフリして窓外を眺る

  • こういうストーリー

    TVでミュージシャンが、ヒット曲について、ただ好きなことやるなら1人でやっていれば良い、といっていた。まさに私はその口であろう。ヒットどころか需要など何も考えないので、そんなことやるべきでない、とかつては友情を持って止めてくれた連中もいたが。先日、大人になったら、好きなことばかりやってやる、と誓った小3の時の話を書いたが、基本何も変わっていない。しかし数百年前の、袖口から金の龍が顔を出し、膝上に2匹の鳩が止まる人物を作りながら、そうしなければ触れることの叶わない世界もあるのではないか?と思うのである。先日、ホームの母にお寺で展示することを伝えたが、本屋の店先で、大人向けの『一休禅師』をねだる私に読んだって判る訳ない、と止めたことを覚えている母に「一休さんも出すよ」というと、可笑しそうに笑った。私には、結局...こういうストーリー

  • 個性的な面相

    無学祖元の膝上の2匹の鳩を作り直す。禅師の膝上に乗っていながら関係ないような顔をしていた鳩を、2匹とも禅師の顔を見上げさせた。長期間の予定、目標は途中挫折の元である。なので先のことは判らないけれど、流れ上、日本に初めて禅をもたらせた栄西は作ることになりそうだし、道元も並べてみたくはある。作る前から心配?していた栄西の円筒形の頭(修行の末に伸びた説有り)思いの外難航した蘭渓道隆、またさらに道元も、見事に個性的な面相である。事を成すから個性的なのか、個性的な人物が事を成すのかは判らないが、幼い頃から人間の内容もさることながら、人のカタチも興味の対象であったから、作家が江戸、明治生まれ以降、個性的な顔が失われて来たのは、歴代文学賞受賞者の面相を見ながら嘆いたものである。そう考えると、数百年前は個性的な顔に溢れて...個性的な面相

  • 一日

    半僧坊用の台座の板にワックスをかける。サイドはゴツゴツした欅をスライスした板である。不動明王の火焔のような炎に囲まれた中で霊力を発する予定。火焔を作りたくなるが、展示用で撮影には使わないので我慢する。写真作品用には帆柱を作らなければならない。雷鳴轟く東シナ海。帆柱のてっぺんにスックと立ち霊力を発する。私の半僧坊は坐骨神経痛を退散させ、血糖値を下げる霊力まで有する。嵐なのだから帆は畳んでいるだろう。滑車とローブを着け、電柱ではないところを示したい。蘭渓道隆の顎を作者も気付かない程度削った。一日

  • 一休和尚オメデタイ私を作った?

    日々を積み重ねながら作っていると、積み重ねているのだから毎日が人生上の最突端。先週より今週、昨日より今日ということになる。モチーフ、手法を変えながら作って来たが、あの頃のあれが一番良かった、という人はいるが、作っている本人からすれば、最突端が一番である。毎年大晦日のブログで昨年まで出来なかった、思いつかなかったことをやったか、と振り返るのを恒例としているが、去年と今年が同じであればただ一つ歳を取っただけ、なんて恐怖でしかない。一昨日ブログで小3の時の担任教師の一言が、独学我流者となる遠因になった、と書いたが、小4で母にねだって読んだ大人向けの『一休禅師』。〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”初めて聞く言葉にいたく感心した小学生だったが、その一休和尚こそが、本日が人生の最突端、というオメデ...一休和尚オメデタイ私を作った?

  • 経行像

    3週間ほぼ動かなかったというのは、筋肉の回復に思いの外かかるようである。鎮痛テープを毎日貼ってたせいか、膝の内側の皮膚感覚がぼんやりしたままである。まぁそうはいっても、痛くて妄想一つ湧かないよりはマシである。ただの散歩は出来ないので、せいぜい買い物に出掛けることにしている。近所だけど。一つの頭部に、複数の身体を作り、別な場面を作ることは良くある。半僧坊は、嵐、また猛火の中、印を結んで霊力を発する半僧坊は、一つで充分だが、蘭渓道隆は、その分、坐禅姿だけというのはあまりに惜しい。同じ坐禅姿でも、無学祖元は1カットは蒙古兵に剣を喉元に向けられているし、もう1カットは、龍や鳩をまとっている。となると蘭渓道隆は立ち姿か。建長寺にも『経行像』が残されている。経行というのは坐禅の合間に静かに歩いて、眠気や脚の状態を整え...経行像

  • 小学3年が燃やす執念の炎

    フェイスブックで再会した小学1年〜3年の同級生OFさんと久しぶりにメールのやり取りをした。彼女は勇気ある正義感の持ち主で、虐められてる子を良くかばっていた。風邪を引くとガーゼに刻んだ長葱を首に巻いて来たが、嫌だったろうが、はずそうとはしなかった。彼女によると私は休み時間でもいつも絵を描いだそうである。担任の中に良くドジョッコフナッコを歌わせる〝ドジョッコ先生”と慕われた、まるで田舎の教師の趣きの先生がいて、何人かの連中と家に遊びに行ったのを覚えている。学年主任だったか、私の絵を〝子供の絵じゃない“と問題視する教師がいたが、全員参加の交通安全ポスターのコンクールに、ドジョッコ先生は私の絵だけ出すのを忘れた、といった。私はこの一言が、独学我流の人生を歩む遠因となった、と本気で考えている。一方産休の代理教員の田...小学3年が燃やす執念の炎

  • 実在した人物

    昔ある名僧が居たとして、斜め45度の肖像画が残され、名僧のイメージとなって延々と後世に写され続ける。その間、立体像も多数作られる。件の肖像画を元に作られただろうが、すでに誰も正面顔を見たことがないから、作り手により様々解釈され、別人が如き像が残される。蘭渓道隆はもとより、おおよそそんなところではないか。来週より始まる『法然と極楽浄土』でもお馴染みの数珠を手にする法然像と、同一人物とは思えない立体像が並ぶだろう。松尾芭蕉を作る時、全国に二千体あろうかという芭蕉像は、俳句的?に老人臭く描かれるのが通例で、門弟等が残した芭蕉像が無視されている。後世の、その恩恵に浴する立場で失礼だと考える。この件に関しては、最後の文人画家だか知らないが、富岡鉄斎であろうと、実在した人物は、自由に描けば良いというものではないだろう...実在した人物

  • 或る成果

    円覚寺開山、無学祖元は、我が姿を刻むことあれば袖から金龍、膝上に蒼い鳩を、と言い遺したそうである。それは来日前に、金の龍と蒼い鳩を伴った神が〝我が国に教えを伝えよ”と繰り返し現れた。来日後、鶴岡八幡宮の鳩を見て、あれは鶴岡八幡の神だったのだ、と悟ったという。円覚寺の禅師像は、背もたれに龍と鳩なので、遺言通り袖から龍、膝上に鳩にしてみた。蘭渓道隆、無学祖元、半僧坊も、仕上げ着彩を残すのみとなった。しかしまだ撮影開始とはならない。私ほどの面倒臭がりが、被写体、背景すべて自分で作れ、という試練を与えられている。その代わり、陰影のない石塚式ピクトリアリズムは、使用機材、制作法に対し、一度も質問をされたことがない。それは、かつて水晶製レンズまで入手し、修験者の技のような古典技法を通過した挙句の成果と考えている。或る成果

  • 真正面

    6センチほどの頭部に数ヶ月かけ、坐骨神経痛で仰向けに寝たまま作り続けたところを見ると、余程作りたかったとしか思えないが、個性的で斜め45度を向いた禅師の肖像を真正面から見るためには、もっとも実像に近いと思える陰影のないフラットな肖像画に陰影を与えて立体化の後、こちらを向いてもらうしかない。それというのも、各地に残された蘭渓道隆像が、それぞれ別人の様相を呈していたからである。噂話だけを元に作られたかのような物もある。そもそも国宝である肖像画と、亡くなった直後に作られたであろう彫刻が、同じ建長寺の収蔵物でも別人に見えた。私にはこの方法しかない。真正面

  • 緻密な計算に基いて

    大覚禅師こと蘭渓道隆師は、着彩を残しおおよそ完成としたい。完成させるのが惜しいような、初めての気分である。線描画から立体像を作るのは、創作の余地があるので楽だが、迫真の描写でありながら、陰影のない頂相を立体化する難しさ。人間の顔についてのデータの記憶量がものをいうことが判った。日本人にとって陰影は説明である、と画家の方がいうのを聞いたが、それから立体を起こし、それをまた陰影を排除した画に変える。こうして書くと、一体私は何ををやっている、と思うが、こうせずにはいられない事情が私にはあるはずなのである。蘭渓道隆を人間大に拡大した時、それが判明するのではないか?ただの酔狂で数ヶ月かけて、こんな面倒なことをする訳はないだろう。ヘソ下三寸に居るもう一人の私は、常にこうして私をどこかに連れて行くが、出来れば早く解明し...緻密な計算に基いて

  • 最大のコツ

    朝目が覚めると、まず大谷のドジャースの放送予定をチェックしやっていたら観るし予約をする。今朝はいきなり9号にさらに10号。幼い頃、私には力道山とゴジラは完璧なフォルムを持っているように見えた。今の子供には、大谷がああ見えているだろう。半憎坊の残っていた背面の仕上げ、また蘭渓道隆師の仕上げ。キリの良いところでアリオに行き、食事と買い物、歩数を稼ぐ。もう1人の円覚寺の開山、無学祖元師は、蘭渓道隆と違って、円覚寺に残された木像を元に制作した。つまり複数の角度の写真を参考にした分、完成は早かった。しかし数百年前とはいえ、他人の作った物をただ写すなら、面白くも可笑しくもないので頼まれてもやらない。イメージがひとたび浮かんでしまい、私が作らなければ観ることが出来ないなら作るしかない。その場合、需要など一切考えないのが...最大のコツ

  • 石ころ

    坐骨神経痛のせいで、約3週間、ほとんど天井見上げて過ごしたが、そういえば、と思い出した。20年ほど前だったか、空、地面、壁、海、樹木など、あらゆる物を撮影しておいて、足腰が立たなくなってもそんなデータを組み合わせれば背景には困らないだろう、と本気で考えデータを溜め込んでいた。この企みは、ハードディスクが壊れて計画は頓挫した。今思い出しても本気でそんなことを考えていたと思うと可笑しいが、陰影のない頭の中のイメージに、この世の物かのように、光と影を与える奇妙さにまだ気がついていなかった。今となっては、中国の深山風景も、手のひらに乗る石ころで作るくらいで丁度良い、という境地に至った。〝明日出来ること今日はせず“石ころ

  • 連休

    10代の頃から連休などはカタギの友人と旅行でも行かない限りは、家で何か作っている。神経痛で苦しむことは幸い避けられた。テレビではオーバーツーリズムとか鎌倉の様子を紹介している。最近のモチーフは『寒山拾得』以来、禅宗的である。特に臨済宗が、場合によっては鼻毛耳毛までそのまま描く迫真の肖像画(頂相)を卒業証書のように師から弟子に残すことを知り、人像表現の究極と思うようになった。モチーフがモチーフだけに、寺が多い鎌倉辺りで、と考えていた。ハタからはどう見えているのかは知らないが、そもそも美術だ芸術だアートだ、などと考えて制作していない。詳細は未定だが、頭に浮かんだイメージを人間大のサイズのプリントで、鎌倉の寺で披露すべく本日も制作している。フランケンシュタイン博士も、ひたすら自分が作った人間が動く所を見たかった...連休

  • 一日

    立像の蘭渓道隆禅師の像は、絵画はあるが立体はあるのかどうか?となると激痛が去った後の、ヘソ下三寸に居るもう1人の私が〝泣いたカラスがもう笑った“とばかりにかま首をもたげ始めるから注意を要する。しかし数ヶ月祈り続けた頭部がすでにあるのだから。イメージを広げなければ面白くない。写真作品としては、一年以上手がけていないので、そろそろそちらを始めるべきだが、美味しい物は最後に、的な。そういえば前回、個展一月前に、中国の深山風景の作り方を思い付いた時、追い詰められた分、ヨダレを垂らさんばかりの快感を味わった。幼い頃にこの物質に取り憑かれたまま今に至っている。午後から近くのアリオに行き、食事したりお茶飲んだり、せいぜい歩き回る。一日

  • 数十年ぶりに転ぶ

    久しぶりにコロナ明けの母のいるホームへ。取り寄せたサバの塩辛を持って行く。まぁ元気ではあった。帰りに敷地内で転ぶ(私が)しばらくボンヤリ歩くのは止めよう。タクシーに乗ると水分補給用レモンフレーバーのペットボトルを2本もらう。いや一つで、と遠慮したのだが。MさんTさん、舞台合間の今拓哉さん4人で飲み会。人と飲むのは久しぶりである。家では相変わらず生のままのスピリッツで短時間で済ませ、近所のテーブルに味の素が置いてある定食屋で、黙って1人で飲むという、本来の状態に戻っている。元々私はこうであり、今はなき木場の河本の数十年が特別であった。毎日好きなことしているので、気分転換などまったくしたくない。思えば幼い頃夢見た、王様に石の塔に幽閉され、算数宿題しないで良いから好きなことだけやっておれ、が実現している。数週間...数十年ぶりに転ぶ

  • 法然

    役3週間、入院患者並に過ごしていたら、歩いてもカクカクして、筋力低下甚だしく、つい傘を杖代わりにしてしまう。人間安静が一番と思って来て、ジョギング提唱者が死んだ時に、そら見ろ、と思ったものだが、さすがに多少懲りた。いやだいぶ懲りた。また何かのきっかけで激痛に襲われるのではないか、という恐れが頭をよぎる。次回の展示に関して、余裕があれば蘭渓道隆師の立像を作ろうか、と考えている。仏像と違って手付かずのモチーフだらけで、つい見たくなってしまう。それとはまったく別に、浄土宗の寺用に、法然を作る予定である。しかし禅宗の頂相のような迫真の肖像というのは残されておらず、ある一つの肖像画を繰り返し写して来た歴史のようで、今の所、私が作るからには、というモチベーションにつながるアイデアは浮かんで来ない、とヘソ下三寸のもう一...法然

  • 危うきに近寄らず

    作っている物が嘘八百のせいで、本物の風景が合わなくなり、ついに中国の深山も、自分で作ることになった。泉鏡花を抱えて滝を撮りに行き、暗くなって雨に降られ、滑って転んで眼鏡をなくしたりしていたのが懐かしい。必要のない物は身につけるべきではない、学べば学ぶほど良いというほど人には時間はない。若い頃、田村写真の田村氏のプリント作業を観て、私には田村氏に何が見えているのかさっぱり判らなかった。これは向いていない。すぐプリントは辞めた。また私が写真的技術、教養を身に付けたなら、いつかそれが私の足を引っ張ることになる。こういう勘はヘソ下三寸のもう一人の私は鋭い。まさか陰影を削除することになるとは思わなかったが、結局写真という文脈ではイメージを頭の中から取り出すのは無理だったということであろう。先日YouTubeで某和尚...危うきに近寄らず

  • 半僧坊効果?

    頂相(師が弟子に与える肖像画)や頂相彫刻はおおよそ曲彔(きょくろく)という椅子に座っている。なので蘭渓道隆と無学祖元二人の禅師は坐禅姿にしてみた。次の展示でメインとしたいので、お二人の写真作品は、出来れば最低長辺1メートル以上、またB0プリントにしたい。顔のサイズを実物大もしくはそれ以上にしてみたいと考えている。私自身が見たい。無学祖元師は元寇(蒙古兵)に剣を向けられ微動だにせず。と、正面座像は袖から金龍、膝上に蒼い鳩。また円覚寺の山号瑞鹿山は、仏殿開堂落慶の折、無学祖元師の法話を聞こうと白鹿が集まったという逸話による。白鹿を配するのも良い。創作日記より闘病記の方が面白ぇ、なんて輩がいるが、あの激痛がなぜか雲散霧消。これは災難避け半僧坊のご利益だ、拝むより作ったほうがご利益がある、なんていっていた。激痛で...半僧坊効果?

  • マムシにタコ足の祈り

    本日も痛みは消えたままである。しかし何をした訳でないのに、油汗をかく激痛が消えたということは、またぶり返す可能性を考えると恐い。確かに数年前も、今回も、朝何気なく起きたら始まった。突然激痛が消えたのは日頃の行いが良いからだ、とはさすがに思わず、そもそも長年の行いに対するバチが当たったと考えるべきであろう。仰向けに寝たまま建長寺の開山様を仕上げたのは気になるけれど、座ることが出来ず、せいぜい手に持てる首を仕上げることしか出来なかった。それに6センチの頭部に数ヶ月かかったのは、マムシにタコ足の如く、しつこく粘ってのことであるから、許してもらえるだろう。独学我流者である私の主なる武器は、始めた当初から、ただただ完成を祈るだけである。もし見た人に何か伝わることがあるとしたら、それしかない。それに何とか納得出来る所...マムシにタコ足の祈り

  • 雲散霧消の痛み

    昨日、整形外科で医師と触れたのは脚の状態を見るために脚を少し伸ばした。それは家でもやっていたことで、しかも2回軽くやっただけである。これは硬いと。坐骨神経痛に苦しんで約三週間。特に2週間は仰向けのまま。普段、私の都合など全く考慮せず、あれやれこれやれと、思いついては、いってくる、ヘソ下三寸にいるもう一人の私も、激痛の前には、すっかり鳴りをひそめていた。大きな声ではいえないが、○患者が処方される痛み止めまで飲んで効果なく、高校の友人の医師に頼んだ薬は今日届いた、激痛で行けなかった月一度のクリニックに特別に受付てもらった。幸い思ったほど結果は悪くなく、痛みに耐えるのはカロリーを使うのか3キロ体重減。原因は寝不足か。形成外科の先生がゴッドハンド、あるいは特別なスペックを持っていないとしたなら、後は災難避けの霊力...雲散霧消の痛み

  • 大山鳴動してネズミ一匹?!

    坐骨神経痛、3週は経ったろうか。安静にしていたら快方に向かうと思っていたが、むしろ悪くなっている。昨晩も痛くて寝られず。当初杖を突いてたどたどしくも買い物に行けたが、今や數歩歩くと激痛が走る。知人が近くまで行くので、タクシー拾って近所の形成外科まで連れて行って来れるという。しかし立つだけで激痛が走り、これは無理だと断りのメールを出そうとしたが、ゴールデンウィーク中、ただ激痛に耐えて天井眺めて過ごすのか、と思うとやはり行こうと。激痛に耐えながら、後ろの座席で横になるしかない、知人に助手席に移動してくれるよう頼んだ。タカシーの中で斜めになってイテテテ、と〝遠藤幸吉“の如し。待合室で油汗を浮かべて痛さに耐えているのは私だけである。まずは脚の調子を。ストレッチなどまるでしないので、当然「大分固いですね。」レントゲ...大山鳴動してネズミ一匹?!

  • 半僧坊の台座

    半僧坊は、写真作品は雷鳴轟く荒天の中、帆柱のてっぺんにすっくと立っている予定だが、展示する立体像の方は火伏せの神ということで、火焔に囲まれた中で刀印を結んでいる所にしたい。不動明王のような火焔を書き割り状に、前後に3つほど置きたい。そうなるとスムースな台では合いそうもないので、けやきだかの自然木をスライスした板を入手した。しかし花台や盆栽の台か何かだったのか、透明な固いウレタンだかエポキシが分厚く塗られており、ほとんどリンゴ飴の如しである。これでは興醒めである。剥離剤が良いのか、アイロンで熱を加えるべきか。いずれにしても、神経痛抱えてゴールデンウィーク中にやるようなことではない。半僧坊の台座

  • 仰向けのままで

    昨日ちょっとだけ無理したら、鈍痛で寝られなかった。医者に行くのはゴールデンウィーク明けを覚悟しなければならない。先日も書いたが、独学我流のくせに、根拠のない身の内から湧き出る声を信じて来た。自分で不思議なくらい無条件で信じられたというのは、お目出度いというしか言いようがないかもしれないが、そのおかげで、何でその状況で笑っていられるのだ、と呆れられてしまうのだが、ほとんど仰向けに寝ていながら、すぐ側に、本日における、人生上の最突端といえる蘭渓道隆像があり、立像も作る可能性があるので、ちゃんと接着していない首に手を伸ばし、取り外しては眺めれば悪い気はしない。まさにお目出度いが、自給自足で作った物を食べて腹一杯と喜んでいるのに近いかもしれない。まぁこんな小さい首に数ヶ月かけたのだから、それなりの効果があって貰わ...仰向けのままで

  • やるまで判らず

    寝ている分には痛み止めも要らないが、立ち上がり歩くと相変わらず激痛が走る。これが怪我をしているような痛みなので嫌になる。中締めとなった深川江戸資料館の『深川の人形作家石塚公昭の世界』は8年前のゴールデンウィークてある。こんなタイトル恥ずかしい、と反対した覚えがある。深川はトレンドだそうだが、いや恥ずかしいのは〝石塚公昭の世界“の方だったのだが。この個展では、先日十数年ぶりにお会いしたデボラ・クロチコさんにいわれた、写真作品というより拡大した方が良い、とわれたのを初めて実現したという意味があった。ただでさえ粘土感丸出しの作品が、アラが目立つだけだと思ったが、会場が広いので、やることになった。実際目にすると、そこまで作った覚えはなく、フランケンシュタイン博士ではないが「It'salive!」不思議であった。僅...やるまで判らず

  • 上を向こうが振り返ろうが

    坐骨神経痛、工芸学校の同級生も結構患ったようである。ロクロなど長年やっていて良い訳はないだろう。いくらか楽になった気がする。蘭渓道隆の首は、仰向けのまま目の前十数センチで仕上げたが、それが功を奏したことにしておく。蘭渓道隆の頂相あるいは頂相彫刻についての研究について読む。七百年の間に様々試みられて来たが、本人に会ったことがなければ私と条件は一緒である。建長寺には経行図という歩く姿を描いた肖像画があるそうだが、ポーズの違う身体だけ作り、首をすげ替え撮影するという何十年もやってきた方法を取るのも良いだろう。6センチほどの首に何ヶ月もかかってしまったが、出来てしまえばこちらの物である。上を向こうが振り返ろうが、うつ向こうが自由自在である。このために数ヶ月かけている。上を向こうが振り返ろうが

  • 真実は人の数だけ

    建長寺の蘭渓道隆の木像は、没後すぐに作られたようだが、垂れ気味の目こそ共通だが、目の大きさ骨格まで違う。制作者は現在国宝である肖像像は観ているはずである。何故こういうことが起きるのか。菅田将暉主演の『ミステリという勿れ』で整君はいう。〝真実は一つではなく、人の数だけある“その他数体ある彫刻は、どこにも共通点が見出せない物もある。私はあくまで生前描かれた肖像画がもっとも真実を伝えている、と判断し制作したが、建長寺のサイトに載っている木像とは違ってしまうわけだが、こればかりは致し方ない。今までやって来たようにやるしかない。それに元にした肖像画はよその寺ではなく建長寺の収蔵品である。もう一人円覚寺の開山無学祖元は、絵画でなく円覚寺の木像を元にした。笑っている訳ではないが、口角が上がって、伝え聞く人がらが伝わって...真実は人の数だけ

  • 大覚禅師の頭部完成

    教わらなくとも初めから知っていることがある。頭で考えることがことごとくハズし続け、根拠はないけれど、湧き出る物に従った方が結果が良い。どうやら人間も草木同様の自然物、肝心な物はあらかじめ備わっているようだ。となると〝考えるな感じろ“ということにもなり、レンズをさらに外に向けずに眉間に向けるようになる。仏は己の内に在る、という禅的モチーフに至ったのは、自然な流れだ、と考えている。そもそも自分そのものが自然物なのだから、そこに寺山修司いうところの〝どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない“これで充分。自然の中で暮らす必要など全くない。狐か鳴いたり、4キロ四方人家がない所に暮らした経験からすると、想像力に関しては、むしろ低空飛行のままであった。坐骨神経痛で仰向けのまま、大覚禅師こと蘭渓道隆師の頭部、ようやく満足...大覚禅師の頭部完成

  • 建長寺開山

    数ヶ月蘭渓道隆師の〝あの感じ“が何故出ないのか、ほんの数ミリ眼球を前に出してようやく。改めて陰影のないフラットな絵画から立体を起こす、というのは、頭にある情報のストックを動員し、推理創作するしかない。高度な技術、表現から宗より携え来日したと思われていたが、今では日本で描かれたとされている。この肖像画も、私が禅宗の頂相、あるいは頂相彫刻が人像表現の究極と思うに至った理由の一つである。本人を前に平面に写したであろう絵師その他関係者、七百年後に、それをまた立体に戻そう、なんて輩が現れるとは考えもしなかったろう。こう言っては何んだが、作家であれば気を悪くするとしてもファンやご遺族であろうが、本格的禅を日本にもたらせた禅師、しかも建長寺の開山となると趣はだいぶ違う。制作中の像をを持って建長寺の門をくぐる2日前、寝て...建長寺開山

  • 今日も今日とて

    坐骨神経痛は痛み止め飲んでも、一時的な物をだとのことで、まずはストレッチだそうで、YouTube観ながら、そろそろと。散歩嫌いで安静にしているのが何より、という訳で、普段ストレッチなどしない。バチが当たったということだろう。次回の展示に対する、今の段階での予定をまとめる。こうしてみると『Don’tThink,Feel!寒山拾得展』は寒山拾得や道教的仙人など、架空の話しが中心で、三島由紀夫から、の大転換であったが、創作の余地が多く楽しかった。中国の深山風景をどうするのか策がないまま。個展一月前。手のひらに乗る石ころで標高数千メートル級風景をこなし、達磨太子の面壁座禅する巌窟も作った。創作の余地が多くなると、実景を写した背景がむしろ違和感を生じる。自分を表現する、という意味においては、外側にレンズを向ける写真...今日も今日とて

  • 『初鴉』海を渡る

    坐骨神経痛真っ只中、田村写真の田村さんの車で代官山のTSUTAYAへ。十数年前、作品を見ていただいたサンディエゴ写真美術館、現名誉館長のデボラ・クロチコさんにお会いする。日本人は出自不明な物に対し目に明かりが灯らないことがずっと身に染みて来た私が、アメリカ人の専門家に〝ユニーク“を連発いただいた嬉しさは未だに忘れられない。今回はその後に始めた手漉き和紙による陰影のない〝石塚式ピクトリアリズム“作品だけをお持ちした。何が嬉しいといって、私が今のモチーフに至った、その変化を評価いただいたことである。人間変われるうちが華、毎日が人生上の最突端のつもりでやって来た。一休禅師が〝門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“と正月の京の街を、竹竿にシャレコウベを掲げ、家々を回った。そこにまとわりつく鴉。タイト...『初鴉』海を渡る

  • 一日

    昨日、田村さんのお父さんの杖を借りたので、買い物に行くが激痛走る。ひどい炎症を起こしているような、脚に切り傷を負い、出血しているかのようである。痛みが多少楽になる姿勢というのが、その都度変わるのが厄介である。医者にも行けず。鎮痛剤を飲んで横になっている分にはなんとか。その代わりとはとても言えないが、蘭渓道隆師、ほぼ完成といいながら数ヶ月。何か納得が出来ないままだった。こんな時必ず原因がある。眼球の位置が想定より前にあることにようやく気づく。陰影がないと、フラットなので、位置が合ってるように見えても、想像力てま穴埋めする必要がある。浮世絵の役者絵美人画は、皆同じように見えていたのが、実は個性を描き分けていることが判るようになると、それを見分け、楽しんだ江戸庶民の文化度に感心した。あれが陰影削除に至る分岐点だ...一日

  • 手漉き和紙プリント

    3種類の痛み止めのおかげで夜も寝られている。痛みの少ない姿勢で制作するが、ズキンと来る痛みを考えると、食事の用意で台所に立つ気になかなかなれない。手漉き和紙のプリントを、田村写真の田村さんに依頼する。改めて陰影のない〝石塚式ピクトリアリズム“を眺めると、独学我流者が、何が根拠なんだか、人間も草木同様自然物、肝心な物はあらかじめ備わっている。と他人の作品見て感心していている場合じゃない、と美術館にも行かなくなり、長い旅路の果て。あるいは、幼い頃夢見た、どこかの王様に石の塔に幽閉され〝算数、宿題やらないで良いから、ここで一生好きなことをやっておれ“そんな人物が、発見されて出て来たら、こんな物を持っていた、という感じがしないでもない。手漉き和紙プリント

  • 密かな裏テーマ

    大覚禅師(蘭渓道隆)法衣の仕上げと頭部の修正。陰影のない絵画の立体化なので、久しぶりに見たらちょっと立体感の解釈に修正を要した。生前に描かれた肖像画を元にした。立体像は何体か残されているが、作られた時代がそれぞれであり、顔がみんな違う。それぞれの作者は肖像画を目にしているだろうとは思うが、私は最初から本人の賛が書かれている、つまり本人のお墨付きとは考え、肖像画の立体化を初めから目的としていた。私が考えたように、もし国宝の肖像画が実像にもっとも近いのであれば、首尾良く立体化が成されたならば、七百数十年振りに、大覚禅師、蘭渓道隆の正面の顔を見ることになるのではないか。長年多くは写真の立体化で試みて来たことには、そんな効果もある。律儀なボクサーのように顎を上げようとしない宮沢賢治を下から撮るこも出来た。密かな裏テーマ

  • スパルタ教育と完全なる結婚

    昨晩は鎮痛剤も効いて、9時前に寝てしまい午前2時過ぎに目が覚めた。まだ歩くとビリビリと激痛が走る。週明けに用事があるので、せめて車に乗れる程度にはしたい。昨年転院した母のホームだが、コロナのせいで、予約制で一階のコーナーのテーブル挟んでの面会だった。母も前のホームを含め2度陽性になったが、いずれも無症状に終わった。それがようやく予約の必要なくなり、居住スペースで要マスクでの面会が可能となった。美味しい酒粕をいただいたので、母が子供の頃好きだったという酒粕を焼いて砂糖をまぶした物を持って行こうと思っていたが、市販の、包装された物以外不可だそうで残念。次の面会では一休宗純の首でも持って行こう。大人向けの『一休禅師』を小4でねだったら、解るわけないから、と反対したことを母は覚えている。母が隠していた石原慎太郎の...スパルタ教育と完全なる結婚

  • 坐骨神経痛2

    昨晩も、数時間寝たところで痛みで目が覚めてしまった。むしろ痛みが増した気がしないでもない。午前中届いた痛み止めを飲む。半僧棒の前後に配する火焔のデザインを考える。英一蝶の、背中の火焔を濡れないように傍に置いて滝に打たれる不動明王図、一蝶のこんなユーモアが好きで作品化してみようと思ったが、思わぬところで火焔を作ることになった。『一休和尚酔臥図』も道端で酔って寝ている一休も作ってみたが、一蝶が、日本で初めて陰影を描いた日本人とされているのを知り、奇縁のようなものを感じた。この2日、ろくに寝ていない。早々に飲んで早めに寝ることにする。水原一平、とんだ大泥棒をテレビで眺めていたことになる。連続殺人を犯しながらクイズ番組に出ていた勝田某なんて消防士もいたけれど。坐骨神経痛2

  • 坐骨神経痛

    坐骨神経痛というものらしい。昨晩はほとんど痛くて寝られなかった。数年前になった時も、朝起きたら痛みが走った。脚の中でビリビリと炎症が起きてるような痛みである。元々腰痛持ちではあったが、椅子に座ると楽だったが、今回は椅子に座ると一番痛く、先日タクシーに乗って後悔した。まあ様々なバチが当たったといわれても仕方がない。仕方ないので寝転がったまま、半僧坊を削ったり、調べ物をする。ある思い付きをしたが、神経痛のおかげだ、という気はさすがにしない。坐骨神経痛

  • 炎と半僧坊

    半僧坊仕上げ手前で乾燥へ。半僧坊の台座に燃え盛る炎の制作方決まる。ここ何年か、人物像が主に被写体となっていたので、展示用として制作するのは、久しぶりの感じである。写る所しか作らない場合は、一カット撮ったら、他に使いようがないので、首だけ引っこ抜いて捨ててしまうことが多い。もったいないという人がいるが実物見せると、冷酷なくらい映らない所は作っていないので呆れられる。達磨大師の構図、満月に少林寺をシルエットに、と考えたが、久しぶりスケッチブックに描いてみると、月を低くすることになり、高い崖の上に達磨大師をというイメージから達磨大師を大きく扱うことに。私の場合は背景も、主役の表情を引き立たせるための物である。右脚が椅子に座ると痛いので、寝転がったまま粘土を。実に辛い。炎と半僧坊

  • 一日

    半僧坊の台座に火焔を配して、燃え盛る炎の中で霊力を発する半僧坊。なかなかカッコ良いのではないか。歌舞伎の仁木弾正調に。何で今時、このような奇妙な物を作っているのだろう?と思っている時に限って、甘美な孤独感に酔う、ヘソ下三寸のもう一人の私である。だがしかし、構想だけで、完成を待っている連中を仕上げるまでは手掛けないことに決めている。そもそも明治時代に、浜松の方広寺で火災があり、本堂など焼けたが、半僧坊は焼けず、以来火伏せの神として全国に知られるようになったそうである。ここ3日ほど、右脚がピリピリと痛くて仕方がない。体勢を変えると楽になったと思うと痛くなり、しょっちゅう変えている始末で眠りも浅い。困ったのは椅子に座るのが一番痛い。原因は判らないが、何年か前の正月にも一度あった。しばらくして自然に治ったが。本日...一日

  • 火伏せの神

    半僧坊の写真作品は、東シナ海の荒海の船上の帆柱の先に立つ、初登場のシーンの設定である。半僧坊の厄難消除のご利益でも、海上安全となった理由だが、もう一つ、代表する霊力、ご利益は火災消除である。そこで立体像としての半僧坊は、燃え盛る炎に囲まれ火伏せの霊力を発しているところにしよう、と台座に不動明王の背中の火焔状の物を配することにした。ヘソ下三寸の私は、こうして思い付いては仕事を増やしてくれる。しかし完成作を想像すると、炎に囲まれている像は知らないし、火伏せの神らしくて良い。と結局従うことになる。ただし、台座まで作るのは、完成直前の状態で待たされている連中を仕上げてからだ、と肝に命じた。火伏せの神

  • 絡子環

    半僧坊は、当初船のへさきに立たせるつもりだったが、帆柱の先に気が変わっている。ただの帆柱よりへさきの方が船らしいとと考えていたはずだが。奥山半僧坊大権現のある浜松は方広寺の月例法話の中で和尚が半僧坊登場の様子をに一言「帆の上に」といわれたのが耳に残っていたのだ。嵐なので帆は下ろしているだろう、と帆柱の先にしたのだった。ただの柱の先では、と思ったが、そこに蝉と呼ばれる滑車を着け、ロープをかける。単なる柱には見えないだろう。それに半僧坊は直立させるが帆柱は斜めにし、嵐の海ということにしたい。蘭渓道隆、無学祖元、半僧坊をの袈裟に付いている絡子環(らくすかん)という輪っかを着け、ようやく法衣らしくなった。絡子環

  • 月下達磨図

    スケッチの必要がある作品が一つあった。達磨大師である。今までの達磨大師がインド人に見えない、というところから始まった。なので衣はインドのサリーやビルマの水島上等兵っぽくした。面壁九年の坐禅修行のある晩という設定である。『月下達磨図』。本来、作りながら、その表情をこう撮ろうと、それを基本に全てが決まるのだが、月と崖、その背景に月を配すのだが、その月に、少林寺の多重塔がシルエットになっている設定にした。そうなると、適当な上空にポッカリ、月百姿破窓月という訳には行かず、低い位置になる。カメラの視点と月の間に達磨大師。どの角度で達磨を撮るか。それが決まらないと、どんな崖を作るか決められない。ヘソ下三寸の私は思い付くだけで、あとは良きに計らえと丸投げである。月岡芳年に『月百姿破窓月』という作品がある。私はインド人風...月下達磨図

  • アイデアスケッチ

    スケッチの類いはまったく描かない。何気なく描いた悪戯描きでイメージが固まってしまい、そうなると何故だか変更が効かなくなるからである。捨ててしまった悪戯描きを超えられず、ゴミ袋を漁ったこともある。それで決まるならそれはそれで良いともいえるが、それがなければ他の可能性があったのではないか、と考えてしまうのである。写真作品の画面は、ぼたもちが落ちてくるように瞬時に決まるが、決まるが、スケッチブックでああだこうだしたいのだが、以上の理由で、何十年も描いていない。しかし今日買い物ついでにノートを1冊入手した。最近、完成直前まで使っておきながら、次の作品を始めてしまうことが続いている。特に今回は、予定になかった半僧坊を突然始めてしまった。これは流石にあんまりである。スケッチして暴走を止められるのではないか?と考えた。...アイデアスケッチ

  • 虎に翼

    朝ドラ『虎に翼』珍しく第一回から観ている。伊藤沙莉を初めて見たのはお菓子だかパンだかのCMで、2人で踊ってる片方は誰だろう?と思っていて、しばらくしたら『ミステリと言う勿れ』が良かった。私も未だに結婚の何処がめでたいのかさっぱり解らないでいる。さらに、出来れば死ぬまでに、女大谷みたいなのが現れ、例えば男子の陸上記録を抜くところを見たいものだ、とずっと思っている。思っていたら、64年の東京オリンピックのマラソンのアベベの記録は同じエチオピアの女子がついに抜いた。また先日、ネットで元キックボクサーの魔裟斗が20キロも軽い女子に腕相撲で負けてびっくりした。半僧坊は、ヘソ下三寸のもう一人の私が、突然予定変更したおかげで、長年続けて来た手順が狂い、詳しくは書かなかったが、長年培った型を踏み外す危険を味わい、2度とす...虎に翼

  • 一日

    半僧坊を乾燥させながら、半僧坊を始めたせいで未完成であった無学祖元と蘭渓道隆の最終仕上げ。久しぶりに見ると不思議な気がする。改めて考えると、目指す物があったわけではなく、行き当たりばったり、目の前にぶら下がったパンに齧り付いて来ただけである。目標、目指す物がない、というのは、そこに届かず、挫折することがない、ということでもある。蘭渓道隆から半僧坊に作り進めてまた一歩進んだ。常にその日が人生上の最突端である。単におめでたい人間という気がしないでもないけれど。一日

  • 起動するヘソ下三寸

    半僧坊は当初、浜松の方広寺の明治時代の刷物をそのまま立体化するつもりでいたが、制作中に気が変わり、嵐の中現れる、伝説の登場時の場面を制作することにした。霊力を発しているところ、ということで、修験者のように印を結ぶことにした。おかげでバランスが変わり、いくらが傾いて来たので、早々にろくろ台から外し、乾かしながら作り進めた。結局、ヘソ下三寸辺りのもう一人の私の命ずるまま、ということになった。それは結果が必ずその方が良いので構わないのだが、杖を持って印を結んでこちらを睨んでいる半僧坊を見ていると、何でこれを作っている?という気分になり、グズな頭が理解するタイムラグを埋めるかのように、当ブログで繰り返し思い出したり検証したり。ヘソ下三寸の私が起動した時、私はいかにも思いついた、という顔をするらしい。起動するヘソ下三寸

  • レンズを自分に向ける

    80年代だったか90年代だかに、女性のセルフヌードが流行ったことがあった。眉間にレンズを当てる念写が理想、と考えていたが、外側にレンズを向ける限り、比喩的表現にしかならないと考えていたので、自分にレンズを向ける女性達には共感を感じていた。それに男性がレンズを外側に向けハンティングするイメージが生理的に少々苦手で、好きな写真家はどうしても女性になる。中でも当時、もっとも好きだったのが、年上のひとシンディ・シャーマンだった。何年か前にサンディエゴ写真美術館のデボラ・クラチコさんに作品を見てもらったとき、何か質問は?聞きたいことはただ一つ。私のようなアプローチをしている人が他に居ますか?だったが、紙に書いてくれたのがシンディ・シャーマンだった。全然違うじゃないか?と思ったが、その後、陰影のない手法により〝念写“...レンズを自分に向ける

  • 流れには乗るが逆らえず

    光と影の芸術といわれる写真の最大の欠点は、無い物は撮れないことである。それがよりによって無い物を作り、さらに光と影を排除している。すっかり写真という土俵を割ってしまった感があるが、ようやく〝念写“のツールとして使い物になるものになった。こんなことならもう少し早く、といいたい所だが、流れというものには逆らえない。作家シリーズ最後となった『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』は、三島が死の数週間前まで撮らせていた『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年だったが、あくまで三島の作品内の死をモチーフにしたとはいえ、それが奇しくも出版の5ヶ月前に個展が出来たことが何よりであり、やり切った、という初めての経験でもあった。それを通過したから、ただ今、半僧坊という権現を作っている訳で、何事も一足飛びに、とは行かないようで...流れには乗るが逆らえず

  • 厄難消除

    昨日に続き晴天なのでベランダで半僧坊を乾燥させていたが、どうもそんな悠長なことでは間に合いそうにない。乾燥機にかける。最近はタウン誌に制作中の新作について書く流れになっている『半僧坊大権現』の原稿は入稿済みだが、最初は方広寺の摺物の立体化で、ただ杖を持っているだけのつもりだったのが、途中で刀印を結んで霊力を発しているところにしよう、と気が変わり、予定が変わってしまった。なので原稿の〝予言“に合わせなくてはならない。一昨年『布袋尊』を作った時、金運アップのご利益もあるかもしれない、なんていっていたが、作ったのが私だと思うと、説得力に欠けたかもしれない。半僧坊は火伏せの神である。写真作品では、嵐の中帆柱のてっぺんで、道ひらきの神として猿田彦的霊力も発する予定である。厄難消除、海上安全、火災消除。厄難消除

  • 見たまんま嫌い

    写真や西洋絵画になく、浮世絵、古典的日本画にある自由を写真に取り入れられないか、と考えたが、それで何をしようとしていたのか。具体的な用途を思い描いていた記憶はない。中締めといえる個展が終わり、しばらく図書館に通っては、浮世絵、日本画を眺め、その自由さを羨ましく眺めていた記憶がある。何をきっかけにそうしていたか思い出せない。一つもしや?と思ったのが、長塚京三が北斎を、宮﨑あおいが娘のお栄をやったドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』その中で北斎が西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」といった。見たまんまが大嫌いな私は、そのセリフがよほど気に入ったか、当ブログで何度も引用した覚えがある。ひょっとしてあの北斎のセリフがきっかけじゃあるまいな?調べたら、図書館通いの一年後のドラマだった。どうでも良いことだが〝何だ...見たまんま嫌い

  • 誰が描いた絵図なのか

    雷鳴轟く嵐の風景は、頭の中ではおおよそ制作方法は考えた。イメージとしては滝沢馬琴辺りの絵草紙のスペクタクルシーンである。雷は小学生の時描いた、キングギドラが吐く光線やメーサー砲のレーザー光線の要領で描く。光と影の芸術から肝心の陰影を排除して、鎌倉時代の嵐の東シナ海で、袈裟をまとった天狗状の人物が、帆柱の先端に立って霊力を発揮している場面を写真作品にしようとしている。陰影が出ないように撮影して切り抜いて貼り付けるだけなので、こんなことなら、と思わなくもないが、ここに至るために、端折って済ませることは一つもなかった。光やレンズの作用の助けが使えない分、被写体の出来が成否を決めることになり、私の原点は人形制作だったことも思い出させてくれている。禅的モチーフに至っていることが、また不思議で、このための手法とさえ思...誰が描いた絵図なのか

  • 誰が描いた絵図なのか

    雷鳴轟く嵐の風景は、頭の中ではおおよそ制作方法は考えた。イメージとしては滝沢馬琴辺りの絵草紙のスペクタクルシーンである。雷は小学生の時描いた、キングギドラが吐く光線やメーサー砲のレーザー光線の要領で描く。光と影の芸術から肝心の陰影を排除して、鎌倉時代の嵐の東シナ海で、袈裟をまとった天狗状の人物が、帆柱の先端に立って霊力を発揮している場面を写真作品にしようとしている。陰影が出ないように撮影して切り抜いて貼り付けるだけなので、こんなことなら、と思わなくもないが、ここに至るために、端折って済ませることは一つもなかった。光やレンズの作用の助けが使えない分、被写体の出来が成否を決めることになり、私の原点は人形制作だったことも思い出させてくれている。禅的モチーフに至っていることが、また不思議で、このための手法とさえ思...誰が描いた絵図なのか

  • 帆柱の先っちょだけ

    雷鳴轟く嵐の場面、実際半僧坊が現れるのはそんな場面だけれども、へさきにしろ帆柱にせよ、その先端に立たせるということは、船体や、荒れた海を描かずして、ということでもある。となれば雷鳴轟く背景と、見えない風を描くために浮世絵師がそうしたように、半僧坊の法衣はより風にあおられ、髪も髭も、より風を受けねばならない。三島由紀夫を戦闘機F104に乗せる必要があった時は、定年迎えてヒマな酔っぱらいが、三島とほぼ同じ160センチくらいだったので、浜松の自衛隊基地まで連れて行き、物差し代わりに室内展示のF104の座席に座らせ撮った。主役の被写体制作に、ほとんどの制作時間を費やし、シャッター切るまで数ヶ月かけているのだから充分だろう。眉間にレンズを当てる念写が理想だが、そんな能力はないのだから仕方がない。今回は帆柱の先っちょ...帆柱の先っちょだけ

  • スペクタクル半僧坊

    無文元選禅師は元王朝が危ないという情報を得て、日本から来ていた他の僧と帰国することにした。そして東シナ海で嵐にあう。観音経を唱えていると半僧坊が現れ、船を導き、無事九州に着いたということになっている。その場面のため、霊力を発する半僧坊を、船のへさきか帆柱の先に立たせようと考えた。当時の帆はムシロだったようだが、嵐の場合は帆を下ろすだろうし、帆柱を倒すこともあったらしい。ただの円柱では船に見えないのではないか?となればへさきか。最近手がけているモチーフは、性質上、昔手がけられていなければ、以後手付かずのモチーフが多い。だからといって、やり過ぎは慎まなければならない。ただ無背景の中に立たせるべきか。と午前中は思っていたが、ヘソ下三寸辺りのもう一人の私が黙っておらず、今この段階で、雷鳴轟く中、帆柱の先にすっくと...スペクタクル半僧坊

  • 二人三脚

    尊富士新入幕で優勝!上半身がごついが、膝から下の感じが輪島を思い出す。親方、伊勢ヶ浜の旭富士ファンであったから余計に嬉しい。半僧坊が登場するエピソードは後醍醐天皇の皇子である無文禅師が元王朝時代の中国に渡る。当時の国教はラマ教だったそうで、大陸で旧来の仏教を伝えるのは禅宗だけだったという。7年の修行を終え、帰国の途上、東シナ海で嵐にあい、禅師が一心に経を唱えていると身の丈3メートルの偉人が現れ船を導き、無事に帰国する。無文禅師は、日本の船で帰国したのか、あるいは元の船だったのか。最近は遣唐使、遣隋使などの船が模型やCGで再現されているようだが、記録が残っているのか、調べて判るのかすら判らない。何故知りたいかというと、半僧坊が、船のへ先か帆柱の先にすっくと立ち、嵐の中、刀印を結び霊力を発している画が浮かんだ...二人三脚

  • 半裸の女体から陰影排除ならず

    陰影のない石塚式ピクトリアリズムは、もう10年近くやっていると思ったら、まだ6年ぐらいらしい。昨日アップしたつげ義春トリビュート展(ビリケン商会)に出品した『ゲンセンカンの女』は、苦闘中の、ポイントとなった作品である。この頃は陰影と共に日本的遠近法まで取り入れる気でいたが、形を加工するしか方法がなく、これでは〝まことを写す“写真である意味がなくなる。と結局断念し、出品作を2度差し替える、という失態を演じた。わずかにタバコ盆辺りに形跡が残る。それより何よりも、自分の作った人物は、せっかく自分で造形した陰影なのに、と葛藤しながらも陰影を排除しながら、行燈の灯りの当たる半裸の女体から陰影を排除することに耐えられず、陰影あるカットで後に作り直した。ようやく腑に落ちたものの、石塚式ピクトリアリズムではなくなり、確か...半裸の女体から陰影排除ならず

  • 強風の中の天狗

    全体像を作っているおかげで、予定と違う方向から撮ることに決めた。立体は作っていると、イメージしていなかったところも、出来上がってくるわけで、自分で作っていながら、始めて目にするイメージが現れる。絵画や、写る所だけしか作っていないと、こういう経験は出来ない。途中から、荒れた海や燃え盛る炎に向けて霊力を発しているので、強風に煽られていることにしようとしたら、重心が変わり傾いて来た。まいったな、と思ったが、昔テレビで制作中の佐藤忠良の、粘土の人体が崩れるように倒れたのを観たことがある。佐藤忠良でさえ倒すのだから、私如きが倒しそう、になっても驚くことはない。強風の中の天狗というと、どうしてもつげ義春『ゲンセンカン主人』を連想してしまう。強風の中の天狗

  • 依存症

    すでに撮影を始めているはずが、権現様を作っている。ギャンブル依存症について報道されている。ドーパミンがそうさせているらしい。2011年、一度目の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』の前、知人に喫茶店でそれだけは止めろと説得された。二つのギャラリーに、何をやっても良いが、それだけは、とかいって断られていたし。しかし説得の言葉も、その時の私には、妙なる音楽に聴こえた。仕組みは似たような物かもしれない。それはともかく。写る所しか作らない場合、それこそ数度もふれないほど作らない。それだけ構図も決まっていて、どう撮ろう、と悩むことはない。制作時間も短い。そのかわり一カットのためだけに作ることになる。久しぶりに展示を意識して全体を作っている。そうすると、今度はこちらからも、あちらからも撮りたくなってしまう。依存症

  • 予言に追いつくよう

    半僧坊も、作ると決めたものの、色々調べたり、ブログに書いたり整理しており、そうこうしていたら次号『タウン誌深川』の原稿『半僧坊大権現』が出来てしまった。しかし昨日、滅多にないことだが、気が変わって首から下を作り直すことにしてしまった。すでに書いてしまった文中の予言?に追いつくよう制作を進める。天を仰ぐように上を向いていた頭の顎を引かせた。何か企んでいるような表情は、半僧坊というより〝怪僧“ラスプーチンの如しだが、その霊力を向ける矛先は、あくまで人々に降りかかる災いである。『古画名作裏話』を入手。昔から人形から人形を、写真から写真を学ぶべきではない、と考えている。予言に追いつくよう

  • やり直す

    半僧坊の胴体、やり直すことにした。写真作品の完成形をイメージして造形する訳だが、本来見せるべきは表情で、いつもと違って、プラス天狗状の高い鼻という要素がある。さらに杖や刀印を結ぶ手、など要素が多い。もう少しポイントをはっきりさせたい。ここのところ、前向いて坐禅している人ばかり作っていたので、久しぶりに勝手が違った。というのは頭で分析したことであり。霊力、神通力を発しているといえば、巨大な赤鯉に乗って飛び出す琴高仙人、吉兆ものの三本脚の蛙を肩にした蝦蟇仙人、己の分身、魂を口から吐き出す鉄拐仙人を作ったが、それらの物を制作して、本来味わうはずの快感を感じない。これはおかしい、と我に帰る。考えてみると、写るところしか作らない場合、ここからしか撮らない、とイメージをはっきり持って作っていた。一カットのためだけに作...やり直す

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