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  • とどのつまり

    「とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである」。とどのつまり、即ち「物事の果て」とか「結局の処」てなものなのだが、この用語、近年のアニメでは、矢鱈と聴かれた言葉だ。そこでフランスの詩人のジャン・コクトー氏が【歴史】に関し、それは「伝説であり、ウソなのだ」と評している。つまり古い歴史は伝説であり、新しい歴史はウソなのだ。即ち「勝てば官軍負ければ賊軍」だ。だが伝説も思い返せば、その繰り返しだ。世界史にも怪しい空白がある。日本史にも同様の空白がある。そこには政治力があり、その時代の都合がある。これからも記憶違いのような歴史の誤差が整理をされずに残るものもあるのだろうが、直せるものは直したい。「第二次世界大戦」の代償は連合国が作った歴史観である。権力とは愚かなものであ...とどのつまり

  • 本物の涙

    「本物の涙は、悲しい一頁からではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される」。こちらはフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言だが、「何だか解るな」と言うのが正直な感想だ。しかし「時が解決してくれる」とも言え、だからこその一頁である。さて家庭の記録映像による編集作品は「第二部」だが、ラストスパートだ。その為に構想を練ってはいるのだが、幾つかのパターンもあるので、取り敢えず編集をしてから決めよう。見落とした動画も写真も在るので、まづデータ化をしてから再構成だ。そうかと思えば北朝鮮がミサイル発射だ。だがその狙いが解らない。既に何処かに着弾でもしないと周りは動きようがない。建前上では「衛星」としているが、もうどうでもいい状態になっている。正式に目的を表明した方が早いとは思うが、対面上の事もあるのだろうか?や...本物の涙

  • 天使の保護者?

    「我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない」。こちらもフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言。つまりそれが"良心"てな事か?そんな解釈で良いと思う。それが残っていれば、何かあってもフィードバックは出来る。話は変わるが、結局昨夜で完結させたのが、TRIO「KX-7000」なるカセットデッキのカウンターベルトだ。1mm角のゴムベルトでややキツめだ。馴染むまで様子をみよう。太いゴムベルトは最初のうちは良いのだが、何故かズレやすい。更に細く、0.7mm位の物でも良いかも知れない。早くこのblogでボヤかないようにしたい。とにかくひとつずつ順番に仕上げて片つけたいのだ。折角、ヤフオクで修理と整備が済んだカセットデッキを落札したのに部品の寿命で使えなくなった物もある。取り敢えず...天使の保護者?

  • 詩人は賞賛など?

    フランスの詩人、ジャン・コクトー氏は言う。「詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ」と。詩も感覚だ。それは気持ちでもある。だから"信じてもらいたい"と言うのは解る。さて昨日もTRIO「KX-7000」なるカセットデッキに悪戦苦闘をしていた訳だが、キャプスタンベルトは決まりだが、カウンターベルトに苦心していた。そこでこのカセットデッキの癖だが、カウンターベルトは、細くした場合はキツく、太めにした場合は緩めにしないとフラッターが出てしまう。それだけテンションの張りも微妙で、そのゴムベルトの硬度も問題だ。結構、その辺も選ぶカセットデッキだ。取り敢えず、太さは1.5mmで緩めにしたが、何となく安定をしているようなので、そのままにしようと思う。心配なのはピッチだが、馴染んできたのか変な変動はあまりない...詩人は賞賛など?

  • 運を信じる。

    「運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ」。こちらもフランスの戯曲家で詩人のジャン・コクトー氏の名言だ。私見だが「運」はタイミングだと思う。つまりその時の状況が奇跡的に合致した時に起きる。「偶然」といっても良い位だ。だから成功も"時の運"だ。だがあやかりたいのも「運」である。しかしそれに嫉妬しても始まらない。だから「神頼み」なんて言葉も「あるのかな?」と思う。さて今日は休みである。母と共に妹と会う日だったが、予定は小生の次の休みの日にズレた。その妹の処と言えば、旦那の父上が92歳で亡くなり、葬儀も済んだがバタバタしている。初七日も終わったが、その余波で落ち着かない。事情が事情だけに仕方ない。そんな小生は、もう調整が終わった筈のカセットデッキを「また」調整してい...運を信じる。

  • 意識と無意識の融合

    「芸術は、意識と無意識の融合である」。こちらもフランスの戯曲家で詩人のジャン・コクトー氏の名言。確かに芸術家自体が感覚人間だ。なので拗らせて、社会性のない人も居るものだ。早い話が変わり者も多い。なので芸術家のエピソードを取り上げると枚挙に暇がない。小生の場合はサルバトール・ダリが即座に浮かぶ。しかし当人は、敢えてそれを狙っていた処もあり、ある意味、エンターテイナーだった。セルフプロデュースが得意な芸術家には岡本太郎さんも居るが、この人も感覚人間で、何処までがパフォーマンスなのかが解らなかった。漫画家の水木しげるさんも似たような処があった。芸術肌の人は、そう言う処があるのかも知れない。小生の本職は写真の技師だが、だからこそ理解が出来る。確かにそう言うものだ。さてカセットデッキだが、例のTRIO「KX-700...意識と無意識の融合

  • 【神童】等と言う言葉。

    「【神童】等と言う言葉は、家族のつくったものだ」。巷には「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」なんて諺があるが、フランスの詩人、ジャン・コクトー氏も同じ事を考えていたようで、「家族のつくったものだ」と言う。そう言うものだと思う。さて相変わらずカセットデッキだが、最近になって、ビブラートのような細かいフラッターが気になる。何かが擦れているような感じで、気にすれば気になる。しかしながら耳につく、変な回転ムラは(あまり)無い。それがTRIOの「KX-7000」だが、一時は動作不良になった事もあり、手間の掛かったカセットデッキなので愛着もある。じっくりと仕上げたい。通勤前にラックから降ろした。今日はピンチローラー周りの調整だ。外して取り付けを初めからやり直そう。(それこそバラしたり、組み立てたりの繰り返し...【神童】等と言う言葉。

  • 悪魔は悪しか?

    「悪魔は悪しか行なう事が出来ない故に純粋である」。こちらもフランスの作家のジャン・コクトー氏の名言だ。これぞ信念。確かに純粋だ。そう言う事なのだと思う。話は変わるが、何だか近年、各業界の象徴的存在の老舗的な法人や団体がガタガタで、凋落振りも酷く、「本当にどうした事か?」と。池田理代子の漫画に「ベルサイユのばら」と言う作品がある。フランス革命を背景に繰り広げられる愛憎劇だが、それが宝塚歌劇団で舞台化されたのが、1974年だった。所謂「フェルゼン篇」から上演されたが、その演出を歌舞伎の女形上がりの映画スタアだった長谷川一夫氏が演出を担当し、そこも話題になった。前振りが長いが、その初演が「月組」で、題名にあるフェルゼンを演じた役者が資金詐欺で逮捕された。勿論、OBだが、とても特殊な業界で、その容疑者は、「スポン...悪魔は悪しか?

  • 常に時と共に、

    「芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時と共に美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時と共に醜くなる」。これはフランスの戯曲家(で芸術家の)ジャン・コクトー氏の名言だが、ピカソに影響を受けた岡本太郎氏も似たような事を言っていた。コクトー氏が現在の行き過ぎたポリコレをどう思うか、もし生きていたら聞いてみたいものだ。さて俳優の中尾彬さんが亡くなった。その存在感、全てが個性になっている。中尾さんも元は日活俳優だ。映画斜陽期の1964年にデビューした。第5期のニューフェイスとはなっているが、所属は半年前なので、後から編入された。当初は二枚目俳優で、恰幅が良くなってから悪役が多くなった印象がある。しかしながら「本陣殺人事件」(1975ATG)では金田一耕助を演じており、その頃が「転換期だっ...常に時と共に、

  • 富は一つの才能。

    「富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」。こちらもフランスの作家であり、芸術家でもあったジャン・コクトー氏の名言だ。これこそ「貧乏人に金を持たすな!」だが、身の丈に合わない事は、やはり馴染まないものである。「相応」こそが、如何に大事な言葉かが解る。その方がバランスも良く、無理もないだろう。そんなものだと思う。さて昨日は休みだったので、その前日に仕上げたTRIOのカセットデッキのチェックをしていたが、特に問題は無いようだ。それと使うテープにもよるが、細かいフラッターを感じたので、ピンチローラーの端を軽くヤスリ掛けをしてみた。すると擦れていたのか、症状が軽くなったので、帰宅後にもう少しやってみよう。400番位の紙ヤスリが使いやすい。ハブ...富は一つの才能。

  • その歩み

    「私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐ事もなく、死は私に向かって歩いている」。こちらはフランスの詩人で戯曲家のジャン・コクトー氏の名言だが、表現芸術には幅広く関わっており、やらなかったのは作曲位のものではなかったか?器用な人だ。結局、これはコクトー流の「ゆりかごから墓場まで」だろう。気がついたら小生も赤いちゃんちゃんこでも着なければならない年齢だ。さて今日も休みである。昨日にした事は、相変らずのカセットデッキ、TRIOの「KX-7000」のカウンターベルトの交換によるテンションの調整だ。前日に交換した物が、徐々にズレ始めたからだ。そこで夕食を取るまで「嗚呼でもない、こうでもない」とやっていた訳だ。(キャプスタンベルトのマッチングは問題がない。)この手の事はキリがないのだ。なのでこのblogを閲...その歩み

  • 3日目。

    「如何なる革命も、3日目から堕落が始まる」。こちらはフランスの詩人、ジャン・コクトーの名言だが、その前にコクトーとは、如何なる人物だったかをWikipediaで振り返ってみよう。曰く「ジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー(JeanMauriceEugèneClémentCocteauフランス語:[ʒɑ̃moʁisøʒɛnklemɑ̃kɔkto],1889年7月5日-1963年10月11日)は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対...3日目。

  • ピアノにも?

    「あなたに伝えた事をピアノにも伝えます」。こちらもポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言にあったものだが、たぶん恋仲のジョルジュ・サンドに宛てた手紙か何かだろう。つまりショパンは「サンドもピアノも大好き」状態。全てが順風満帆だった時代の言葉だ。そんな時期は(人それぞれではあるが)誰しもあるものだ。話は変わるが、家庭の記録映像による編集作品の作業は、ようやく再開をしてからと言うもの、どんどん進んでいる。それが「第2部」で、「どう終わらせようか?」てな状態。使う写真や動画は、1970年までだ。そこが一区切りで、「第3部」は、8ミリフィルムが中心になると思う。これから画質の点で、再テレシネをするものもある。写真も勿論だ。(こちらも膨大である。)そんな作業が出来るのも、カセットデッキの修...ピアノにも?

  • 音楽の都

    (ポーランド出身のピアニストで作曲家の)フレデリック・ショパンは言った。「ウィーンはハンサムで活気のある街。私を最高に楽しませてくれる」と。ウィーンと言えば"音楽の都"だが、同じ音楽家でもブラームスは「ウィーンは田舎だ」と。つまりショパンにとってはインスピレーションを刺激する街だが、ブラームスには癒される田舎だ。確かにそんな野暮ったさはある。しかしながらそれは時代によりけりだろう。例えばウインナワルツの演奏でも、今時の洗練されたものよりは、1950年代や戦前のレコードで聴ける演奏が、ウィーン情緒が濃くて、のんびりした演奏だが、こちらの方が魅力的だと思う。小生の場合は、古いレコードばかりを聴いているので尚更だが、良いものは良いのだ。旧友にもウインナワルツに填まった者が居るが、やはり古い演奏を選んでいた。これ...音楽の都

  • 僅かな間

    「人は決していつも幸せではない。幸せは大抵ほんの僅かな間だけもたらされる。この貴重な幸せをしっかり堪能しようではないか」。さていつもの(ポーランド出身のピアニストで作曲家の)フレデリック・ショパンは斯く語りきである。"運勢のバイオリズム"とでも言っておこうか?同じような事を思ったりする。ようやくオーディオラックの上にTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」が鎮座した。昨夜にまぐれでゴムベルト(キャプスタンベルトとカウンターベルト)が一致したからだ。その前日に接続した安定回路も効いているようで、急速なピッチの変動はない。ピアノもまづまづだ。なのでそろそろテープの整理も再開、アンプ自体にも余裕があるので、量感がたっぷりした音が楽しめる。勿論高音質だ。しかしながらモーター自体は心許なく、取り敢えずは取り付け...僅かな間

  • それすら?

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「このジョルジュ・サンドはなんという嫌な人間だろう!彼女は本当に女なのだろうか?それすら疑いたいくらいだ」と。こちらは駆け落ちまでした作家のジョルジュ・サンドに対する愚痴である。男女の関係と言うのは、表面的なつきあいをしているうちは、それこそ「夢のよう」だが、一緒に住むようになると、互いの襤褸を見るものだ。精々一週間が華だ。だからショパンとサンドの関係とてこんなものである。話は変わるが、相変わらずの苦労は、TRIOのカセットデッキである。ピッチの変動があるので安定回路を入れてみた。これから経過の観察をしながら策を決めるが、精度はテレコ並なので、人によってはそれでも良いレベルだ。帰宅したら、また交換してみよう。ピアノ...それすら?

  • 最初の医者

    これはポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った事だが、不思議な状況だ。何せこうだ。「最初の医者は、私が死にかけていると言った。2人目の医者は、私の呼吸はもう止まっていると言った。3人目の医者は、もう私が死んでいると言った」と。晩年なのか、相当加減が悪い時に見た幻覚だろうか?感覚として解るものはある。さて昨日は休みだったので、前日に届いたリードスイッチをTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」に、ようやく取り付けた。すると簡単に直ってしまった。そこで「そう言うものだ」と思った。斯くしてオートストップ機能は問題なし、動作も正確で、前より調子が良い位だ。だがやはり難しいのは走行系だ。キャプスタンベルトとカウンターベルトのテンション次第で回転ムラが出るのだ。つまりフライホイールの精度...最初の医者

  • ベッリーニのアリア

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「私が死ぬとき、ベッリーニのアリアを弾いてくれ」と。そのヴィンチェンツォ・ベッリーニだが、ショパンはベッリーニの歌劇「夢遊病の女」が特にお気に入りだった事は調べると割と出てくる。ベッリーニがパリ入りをした時から意気投合をして友人関係でもあったらしい。そこで死の床が近い時期の言葉にもベッリーニの名が示される位なので、余程の事だったのだろう。さて今日は休みだが、今月は休みも少なく、故に時間も貴重だ。今日は、このblogの打ち込みが終わったらTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」のリードスイッチの交換とタイミングの調整をしようと思っている。そこで懸念をしていた回転精度だが、何とかメイン機としても「使っていいかな?」レベルだ。それで(そのカ...ベッリーニのアリア

  • 健康で強い体。

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「健康で強い体があれば毎日喜んで働く」と。ショパンの健康状態について触れると、虚弱体質だの、不健康な印象しかないので、何だか納得する。何事も体は資本なのだ。さて家庭の記録映像による編集作品だが、その手のものはインスピレーションが大事だ。なのでその都度のカットを作り、色々なパターンから選ぶのだが、大変な作業ながら、それも楽しい。更に8ミリフィルムで、高画質が必要ならば、大きめの画面でテレシネをしてみよう。その手の作業は惜しむ事はないのだ。その為には映写機の整備だが、色々とやっていると手が足りなくなる。昨日、リードスイッチが届いた。TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)の電磁ソレノイドの操作に必要なスイッチだが、走行系の調整は、試行錯...健康で強い体。

  • 人間の心と魂。

    いつものポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「バッハは、天文学者で最高に素晴らしい星々を発見した。ベートーベンは宇宙に挑戦した。私はただ人間の心と魂を表現しようとするだけです」と。なるほど、「ショパンの音楽に対するポリシーとは、そうしたものだったのか?」と思わず納得。確かにその楽曲にも影響がある。ショパンならではの宇宙だ。人間の心と魂とは言いながらも、それはどんな楽曲にも聴き取れる。前奏曲でも聴いてみるが良い。人間の心と魂すら超越した世界観がある。話は変わるが、そろそろラストスパートなのが、家庭の記録映像作品の「第二部」だ。昔の写真ばかりだが、アルバムの整理にもなる。予定としては「第五部」で完結させるので、その素材探しが大変なのだ。これぞ家族の歴史だが、編集を...人間の心と魂。

  • ゆっくりのテンポ?

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「毎朝、非常にゆっくりのテンポで練習し、指をしなやかにしなさい」と。これぞピアノが上手くなる極意と言うものか?ショパンはピアニストとしては技巧派としても知られていたが、こちらは新聞記者からの質問に対する答えだろう。ライバルのリストならば、どう答えたか気になる処だ。さて今週の頭に旧友に一年半振りに会ってから、次の予定も組めるようになった。それで動きも変わってきた。映像の方は、家庭の記録映像作品の編集の最中だが、その「第二部」も、ようやく完成の一歩手間だ。そこで悩むのが「どう終わらせるか?」だ。父親の声が残っているので、それを使う予定ではあるが、何となくだが構想はある。幾つかのパターンで作って、それから選ぼう。そろそろリードスイッチが届く頃だ...ゆっくりのテンポ?

  • 嘆き苦しい時。

    「嘆き苦しい時は、私の絶望をピアノ演奏に注ぎ込む!」と言ったのは、他ならぬポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンである。"音楽は、全てを忘れさせてくれる"と言う事か?確かに音楽には、そんな作用がある。この処、割とレコードを聴く機会が増えたが、(修理中のカセットデッキは在るものの)特にお気に入りのレコードを聴くと、そんな気持ちにはなるものだ。小生推しのレコードは、地味で古いものばかりだが、それがなかなか癒される。この前から家庭の記録映像作品の編集を再開したので、そのレコードが良いBGMになるのだ。編集作業も手間が掛かるが、そんな時のレコードは、インスピレーションが沸く。すると楽曲の雰囲気が、自然にその作品に反映するものだ。手掛けているのは「第二部」に辺る作品だが、さっさと仕上げよう。途中...嘆き苦しい時。

  • 絶対なる完璧

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家、フレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「ただ「完璧」と言うだけでは人々は満足しないのです。成功に必要なのは「絶対なる完璧」なのです。だから極端にまで研究し尽くされたものは、更に評価されるのです」と。つまり+αの部分だが、それは言えてると思う。だからこそ注目をされるのであって、当たり前に出来る事は、出来ての前提なので、これ以上のコメントは要らないだろう。昨日一昨日と休みだったが、その2日間でしていた事は、家庭の記録映像作品の編集作業の再開であり、その「第二部」も、それなりに進んだ。先に仕上げた第一部で改訂が必要なカットが在ったからだ。機材も一新した故の作業だ。その「第二部」も、もう少しで完成なのだ。全体の尺としては、45分を予定しているが、残す処、15分...絶対なる完璧

  • 本心を共有?

    さて今日も休みだ。相変わらず(ポーランド出身のピアニストで作曲家)のフレデリック・ショパンは斯く語りきだが、こんな一文がある。曰く「嗚呼、あなたの悲しみと喜びを分かち合う人が誰にもない事、あなたの心が重苦しい時、あなたの本心を共有出来ない事は惨めな事です」。これは誰を対象にした言葉だろうか?ショパンに近い人にはパリ社交界では、大した存在感だった、(男装の麗人としても知られる)作家のジョルジュ・サンドが居るが、この人しか思いつかない。生前のショパンを知る人なんぞ、この時代には居ないので、想像でしかないが、音楽については内向的だったショパンなれば、こんなに思い詰めた気持ちになるのも解らないでもない。それでショパンの純真さを知るのだが、此処が人柄と言うべきか?話は変わるが、趣味の現状だ。旧友にNECのカセットデ...本心を共有?

  • 新しい世界?

    「私は自分の為の新しい世界を創造する」。こちらもポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言だ。この名言もショパンの音楽理念みたいなものだが、別に音楽でなくとも「言えるのかな?」とも思う。さて今日は休みだが、やはりTRIOの「KX-7000」なるカセットデッキはさっさと復帰させたい欲求が高まり、我慢も出来なくなったので、Auto-stop機能の故障の原因たるリードスイッチでも買おうと思う。問題は何処から買うかだが、Amazonは中国製ばかりで不安だ。そこで法人相手ではない、通販をしているパーツ屋から買った方が安全だろう。そのカセットデッキだが、Auto-stop機能が使えないだけなので、取り敢えずは不完全ではあるが使うとしよう。周辺環境は戻りつつある。例の旧友関連の事も片付いた。なので...新しい世界?

  • 一人の人。

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「彼は何千人もの人に聴かせるように弾くが、私はただ一人の人に聴かせる為に弾く」と。彼とは誰だろう?フランツ・リストの事だろうか?リストも技巧派で名を馳せたピアニストだが、同様に作曲家としても知られており、その楽曲もなかなかだ。それで演奏姿勢だが、リストはエンターティナーであり、ショパンは内向的だったと言う事だ。確かにノクターンを聴いているとそう思う。「楽曲は名を語る」てなものか?さて一昨日に父の葬儀以来、一年半振りに会った旧友には、その約束通りにカセットデッキを上げたのだが、その見返りはBlu-rayDiscの映画ソフトで、それは「フラッシュゴードン」「未知との遭遇」だった。共に通常盤は在ったが、Blu-rayとは...一人の人。

  • 最終的な目標。

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言う。「シンプルさは最終的な目標です。とてつもない膨大な量の曲を演奏したのち、その報酬としてシンプルさを手に入れる事が出来る」と。これは演奏者の合理性だが、思わず「そりゃそうだ」だ。つまりリスクの見返りだ。しかしながら報酬も様々だ。だが報われれば、その甲斐もあるだろう。是非そうあって欲しいものだ。さて父の葬儀以来、パタリと会う機会が無くなった旧友とやっと会えた。趣味繋がりなので話の間にレコードやら映像やらである。だから当然長居になる。そこで昨日も興味の上に興味を重ねるような状態になった。話も尽きないがそれも良い。次回はその旧友宅に行く事になっている。ビデオプロジェクターをハイヴィジョン化したそうなので楽しみだ。約束のカセットデッキを渡した。なので...最終的な目標。

  • 小さな要素?

    「常識と言うが、これは非常に小さな要素に違いない。と言うのは、常識がぼくの頭から全ての他の考えを引き出す程、強力なものではないのだから」。こちらはポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言。確かに常識は、人それぞれだ。但し社会常識を越えた常識は、常識と言えるかどうかは疑問だ。さてGWは後半に入ったが、こちらは仕事上、休むのは、その後である。しかし只々残念でならないのは、メイン機で使う筈だったカセットデッキ、Victor「KD-950」が沈没した事。また!繋ぎの機種を探さねばならない。今年も物が壊れやすい年だ。とは言え何等かの意味があるのだろう。色々と「更新をする年なのだろう。占いのサイトで検索すると、電化製品が続いて壊れるのは意味があるらしい?だが古い物を扱うリスク故に仕方がない。ア...小さな要素?

  • 耳が許す音。

    「自分の耳が許す音だけが音楽である」。こちらは技巧派のピアニストで作曲家のショパンの名言。この名言は好きだ。音楽好きな人は、同じ気持ちではなかろうか?お気に入りのレコードを聴いている時は正にそれだろう。改めてショパンとは、如何なる人物かだが、Wikipediaで振り返ると「フレデリック・フランソワ・ショパン(仏: FrédéricFrançoisChopin 、ポーランド語: FryderykFranciszekChopin、生年未詳(1810年3月1日または2月22日、1809年説もあり)- 1849年10月17日)は、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ば...耳が許す音。

  • なんとかなる。

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる」と。落ち込んでいる時は利く言葉だ。これ程までに光が見える言葉もあるまい。さて趣味の方だが、ヤフオクで落としてメイン機として使っていたカセットデッキ(「Victor「KD-950」)の電子パーツの劣化が始まり、到頭交換が必要になった。そのカセットデッキで使っているDCモーターの定格は12vだが、改めてテスターで測ってみたら不安定だった。やはり電解コンデンサの劣化だ。必要な物は、50v330μf、16v470μf×2、25v100μf、25v220μf、6.3μ470μf等だが、音響系の回路の方は、前のオーナーさんが手掛けていたので問題はなかった。来月までに各種のパーツをリストUpし、それからの交換を始めよう。ELMOの8ミリ映写...なんとかなる。

  • 花はみよしの

    「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」。これは臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の句だ。こちらのblogには珍しく、季節感のあるネタだが、下手なコメントは不要だろう。ほのぼのとする句だ。さてGW真っ只中だが、小生の職種は、そんな時は忙しく、連休は明けてからだ。取り敢えず2連休を明けに取った。カセットテープの整理を再開した。まだ20本程だが、毎日の作業でどんどん進んでいる。そんな時にヤフオクで落札し、メイン機として使い始めたVictorのカセットデッキ(「KD-950」)が不調なのが残念だ。テスターで測ると正常なので、恐らくはモーターの寿命だろう。(モーター側の可変抵抗を回していたらピッチが戻った。だが不安定。)外し方を調べてから交換しよう。それとヘッドのアジマス(角度)も、いつの...花はみよしの

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