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  • 夏の終わり?

    SF作家の小松左京さんは言う。「夏の終わりは、祭りの終わりだ」と。TUBEの歌でもないが、そんな感じがする。さて例のカセットデッキ(TRIO「KX-7000」)だが、その状態はムラがあり、気になるフラッターも、日によって違う。在ったり無かったりだ。テープを掛ける度に、その頻度が減ってきた。馴染んできたようだ。もう少し様子を見てみよう。それからキャプスタン周りの整備だ。こちらは時間の取れる時だ。板金工具が必要だ。打ち出しをして、直角や平面を出さねばならない。そうする事で精度も上がる。結果、そのカセットデッキの欠陥が無くなる。作業は焦らずのんびりである。そろそろELMOの8ミリ映写機「ST-800」のアンプの整備をしなければならない。動力部のコンデンサは全部替えた。(半固定抵抗も然り)ピッチは万全だ。こちらも...夏の終わり?

  • にはならなかった?

    SF作家の小松左京さんが、曾てこんな事を言っていた。「太平洋戦争がなかったら私はSF作家にはならなかったでしょう」と。確かに太平洋戦争は、日本にとっても旧連合国にとっても節目となり、未だに尾を引くのは旧連合国にとっては誤算だろう。と言うのも、近年になって、旧連合国の政治プロパガンダがバレたからだ。となれば当然「騙された」となり馬鹿馬鹿しくなる。(←今ココ)歴史は虚像なのだ。正に「勝てば官軍負ければ賊軍」だ。歴史は戦勝国が作るのだ。それが自虐史観なのだが、それが過ぎると特亜諸国のようにあり得ない設定ばかりで、「これを信じるのか?」となる。中共や韓国のプロパガンダは盛り過ぎだ。故に「本当にそれなら日本は戦争に勝ってたじゃん?」てな矛盾に行きつく。被害者ヅラも程々だ。さて趣味の方だが、苦戦していたTRIOのカセ...にはならなかった?

  • じゃないのは当然。

    「法は必ずしも「万能」じゃないのは当然で、「万能」にしない事によって、逆に「人権」が大幅に守られている事は知らなきゃならん」と言ったのはSF作家の小松左京さんだが、現状はかなりおかしい事になっている。やはり司法は、その国の国民が取り締まるべきである。当たり前の事だが、法を歪めるのも司法なのだ。此処でその論議をすると長くなるのでまたの機会にするが、今や被害者が浮かばれない判決ばかりが目立つので、ある側に立てば「万能」なのだろう。そんな気がする。さて今日は休みである。朝からしていた事は、サッサとTrioのカセットデッキを片付けたいので、ハム対策をしたモーターに交換をする作業だ。それが「KX-7000」で、対策は上手く行き、電磁ノイズの無い、スッキリとした音だ。トルクも強く、ピッチの変動もない。しかしながら(時...じゃないのは当然。

  • 行動の変形

    SF作家の小松左京さんは言う。「大体、男女間の嘘なんて言うのは、求愛行動の変形みたいなもんで、ある程度はしようがない」と。「思わせ振り」なんて言葉があるが、つまりはそう言う事。嘘も方便だ。女性アイドルの歌の詩にも「♪KISSはいやと言っても反対の意味よ」てなものがあるではないか?話は変わるが、こんな記事があった。「生田斗真、中古レコード巡るトラブルに悩みスタジオメンバーも共感」と。モデルプレスによると「俳優の生田斗真が、23日放送の日本テレビ系バラエティー番組『行列のできる相談所』(毎週日曜よる9時~)に出演。趣味のレコードに関する悩みを相談した」と。どう言う内容かと言うと「レコードを聴くことが趣味の生田は、中古ショップでレコードを購入した際、レコードの傷の確認を求められたが混雑していたこともあり念入りに...行動の変形

  • 手痛い試行錯誤?

    SF作家の小松左京さんは考える。「人間は永遠に手痛い試行錯誤によってしか、物事を知る事が出来ないものなのだろうか?」と。これって色々な事に言えるのではなかろうか?人間の過去の過ちが考えるキッカケを作るのだ。さてこちらの試行錯誤はカセットデッキだ。昨日、ゴムベルトが2種届いたので、早速交換したのは、TRIO「KX-7000」なるカセットデッキのカウンターベルト。色々と長さを替えながら、やや少し細目の1.2ミリの角ベルトで決めた。取り敢えずは安定しているようだ。今朝も試聴したが、一番の問題だったフラッターも目立たない。ピッチの変動も「3Hz」以内だ。間に入れた安定回路が効いているのだろうか?ピッチに関しては日に日に落ち着いてきた。しかしながら以前は、時に「10Hz」以上の狂いが在ったモーターだ。油断は出来ない...手痛い試行錯誤?

  • 人生の深刻?

    SF作家の小松左京さんが、メンタルについて、作家の立場でこう述べている。「人生の深刻が胃をいためると言って、胃弱にならないやつには人生の深刻がわからないから、いい文学が書けないとするのは偏見であって、逆に食うことに関心のない連中には、人生の中のある面に関する洞察が欠落している場合だってある」と。これは作家でなくとも共感が出来る面があると思う。つまり"文学が書けない"を"仕事が出来ない"と差し替えると、割りと解りやすいだろう。神経質な人には解る名言なのかも知れない。さて昨日は頭から政治の話になったので、趣味の話にしよう。父が亡くなってから始めたのが、写真や8ミリフィルムの整理を兼ねて製作をしている「家庭の記録」と題した映像作品の制作だが、その「第一部」は何とか、父の一周忌には間に合わせたものの、その「第二部...人生の深刻?

  • 世界性

    SF作家の小松左京さんは言う。「曾て人々は「地域」あるいは「地域性」を通して世界を眺めていた。しかし大多数の人々が、「世界」または「世界性」を通して、地域を再発見して行く時代が、もう既に始まっている」と。そうなったのはインターネットによるものが多かろう。だがその先駆けはテレビだった。情報は時代と共に移り変わるのだ。だから精査する目も必要だ。情報社会とはそう言うものだ。政治プロパガンダには特に気をつけなければなるまい。その点から言えば、政治関連の支持率程、宛にならないものもあるまい。例えば次期首相で名が挙がる政治家は、ネットとは真逆の順番だ。つまり中国に近い者をテレビでは推し、ネットでは遠い者を推す。然も中国に近い者は南北朝鮮にも近いのだ。政権交代に関するアンケートを朝のテレビで観たが、次期首相候補を含め、...世界性

  • ホモ・サピエンス

    SF作家の小松左京さんは言う。「ホモ・サピエンスってやつは、どうも、本質的に立派になり切れないところがあるんじゃないかね。どこか卑しく、どこか凶悪で……その意味で、人類は“種”として完全じゃない」と。しかしながら哺乳類ではトップの地位にあるのも人類である。だが理性と本能のバランスに悩む。そこに人間の不完全さを見る。だから小松左京さんの言葉も響く。つまり、そう言う事を言っている。とは言え、"煩悩"在っての人間とも言える。昨日、ヤフオクで落札したLo-Dの「D-600」なるカセットデッキが届いた。勿論、整備無しでは使えない。そこで早速調べたのは必要な部品。劣化した物を交換しなければならない。その前にとにかく整備清掃だ。キャプスタンベルトは無かった。カウンターベルトも無い。まだ電源のチェックはしていない。回路の...ホモ・サピエンス

  • 転化して昇華したもの?

    SF作家の小松左京さんは言う。「笑うと言う現象は何だろう。攻撃性が転化して昇華したものかもしれないね。だから他人の失敗を見て、他人を滑稽化して笑うんだ」と。確かにそれは言えている。その上で更に言うならば、笑いとは「突発的な意外性」だろう。つまりその衝撃が、意外な結果ならば笑いに転化する事もあるのだ。もっと上手い表現もあるだろうが、まづは此処までだ。さて昨日一昨日と休みだったので、レンタカーに乗り、上砂川町の町営墓地へ行き、お墓のメンテナンスをしてきた。隙間のコーキングと石のズレの修正だ。一旦、乾かないと出来ない箇所もあるので、そこはまた次回だ。帰宅時には久し振りに回転寿司屋に寄った。それから帰宅後には疲れて寝てしまったが、昨年にやり残した事の大半を終わらせたので安心した。次回はその補充だ。さてヤフオクで落...転化して昇華したもの?

  • 借金に利息を払い込む

    SF作家の小松左京さんは言う。「人間は死から人生を前借りしている。眠る事はこの借金に利息を払い込む事だ。だからよく眠る人間ほど長生きする……」と。昨日は空知郡の上砂川の町営墓地に墓の手入れに行ったが、遠いのと草刈りやら、お墓のメンテナンスに時間が掛かり、昼食も16時を回ってしまった。それでクタクタとなり、帰宅後にはサッサと寝てしまった。てな訳で昨日のブログ更新はなしとなったが仕方ない。そんな状況ではあったが、なかなか連絡の来なかったヤフオクの出品者からは、落札したカセットデッキ、Lo-D「D-600」を発送したとの知らせがあり、ようやく安心をした次第だ。(なんと落札から一週間である。)長期保管品との事だが、その時代のカセットデッキの不備の殆どは、グリスの固着やらの機械トラブルなので、大概は清掃とグリスの補...借金に利息を払い込む

  • 日本と日本人

    SF作家の小松左京さんが、こんな事を言っていた。「この危機は必ず乗り越えられる。この先日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」と。これは、どの時代の危機を言っているかは解らないが、戦争で焼け野原になっても、その11年後の1956年度の『経済白書』の序文に「もはや戦後ではない」なんて書かれるのだから、その言葉も頷ける。日本人の精神は前向きなのだ。しかしながら現在の日本は、バブル崩壊後に入り込んだ外資や外国人の影響で、どんどん狂ってきた。特に韓流が入って来てからの【民主党政権】が樹立すると、さらに雪崩れ込んだ印象がある。「テレビを観よ!」。それだけで解る。媒体が現在の日本を最も表していると言えるだろう。正に"朝から晩まで"だ。おまけに現在の政府は、幾ら表向きには「対中国」でも新中丸出...日本と日本人

  • 若者の絶望

    「若者の絶望はファッションである」。そのキッパリした名言は、SF作家の小松左京さんだ。気持ちは姿に現れるものだ。即ち解りやすい自己主張がファッションに形となって現れる訳だ。確かに解りやすい。さて小生の自己主張は、敢えて言うならば趣味だろう。写真の方は本職になったが、オーディオの方は、それを越えない。何でも仕事にする訳には行かないが、一時期は蓄音機による78回転(SP)盤の鑑賞会を(数年)していた事があった。機会が在ればまたやってみたいとは思うが、現在はJASRACの兼ね合いもあり、著作隣接権の考え方にも変化があるので、以来の感覚で開催をすると、なかなか面倒な事になる。最近は、SP盤を聴く機会はないが、たまにセッティングをして聴いてみると、張のある中音とダイレクトカッティングならではの力強い音には魅了される...若者の絶望

  • 知らない事やおもしろい事、

    こちらも一理ある。今日もSF作家の小松左京さんの名言だ。曰く「年代を超えた人のつながりをもっと強くして、知らない事やおもしろい事、人間にとって大切な事に接するようにしないと、私達の世代は子供の好奇心に追いつけません」と。これは作家ならではだろうが、そうして左京さんはネタを得ていたのだろう。しかし作家でなくとも知識は幅広くあった方が良い。知恵もつく。知識は豊かな方が良いのだ。それは小生の趣味とて同じ事。現在では解らない事はネットでも調べられるが、無い時代は人のつながりで、その趣味を深めたものだ。便利な世の中になったものだ。技術系の趣味は【知識】ありきである。いつも回路図ばかりを眺めているが、それは知識が欲しいからだ。こちらのblogは季節感がなく、地元の行事に触れる事もないので「YOSAKOIソーラン祭り」...知らない事やおもしろい事、

  • 理解と言うもの

    SF作家の小松左京さんは言う。「理解と言うものは、しばしば勇気に与えられる」。確かに理解は勇気になる。自分の味方が居ると思うだけでも勇気が沸くものだ。なのでこの名言。とても的を得ていると思うのだが如何なものだろう?さて話は変わるが、まだAmazonに発注した部品等は届いていない。明日にでも届けば良いのだが、なかなか上手くは行かないものだ。ヤフオクで落札したLo-Dのカセットデッキについては入金を終えたものの、まだ先方からは連絡は来ない。落札をする前に「素性を調べておけば良かったかな?」とは思ったが、注意事項に「あまり早急な対応は出来ない」と断りがあり、「そう言うものか?」と。焦らず待つ事にしよう。今週は上砂川町の墓地で墓のメンテだ。心配なのが熊で、昨年に行った時には「鹿注意」から「熊注意!」に変わっていた...理解と言うもの

  • 完全主義者

    SF作家の小松左京さんは言う。「完全犯罪と言うのは、一種の芸術―それも、完全主義者のみにゆるされる芸術でね」と。つまりそんなに簡単なものではないと言う事。なのでその綻びを拡げていくと、事件の真相に辿り着くだろう。そんなものだと思う。さて昨日一昨日と休みだったが、家の用事だとは言え、その2日間は出掛けていたので疲れてしまった。そこでAmazonに発注したカセットデッキの修理部品でも届けば良かったのだが、たぶん来週だろう。その前に、またヤフオクで落札したカセットデッキがある。どちらが先に届くかだ。今年中には愛知の電気屋(音響関係)に修理を依頼したTEAC「A-450」なる、同社の高級機がまた復帰するのだが、それまでに使ってみたい物はあり、ヤフオクで懲りずに落札してしまった。それはLo-D「D-600」なるカセ...完全主義者

  • 夢見る事。

    「“夢見る事”は、他の動物にない、人間の特権なのかも知れないな?」。こちらもSF作家の小松左京さんの名言だが、その「夢」に関して敢えて言えば、それは睡眠時の「夢」であり、将来の希望でもある。小生としては後者の方が関心がある。そんな小生も今年の誕生日で干支が一巡するので、これこそ人生の節目だろう。厄年に辺るので厄払いをしなければならない。妹もなかなかキツイので、一緒に厄を払った方が良いのかも知れない。さて今日も休みだ。今日も用事があり、落ち着かない。その合間でもしている事はカセットデッキの調整だが、Amazonに発注した部品が届いた時に、単に部品を交換するだけで終わらせたいので、そんな作業をしている。昨日にしたのはキャプスタン周りのグリス交換だ。最初に充填したグリスの粘度が緩かったので、強い物に変えてみた。...夢見る事。

  • 日常性と言うやつ

    「日常性と言うやつは、誠に偉大なるドブ側であって、大抵の事は洗い流してしまう」。こちらもSF作家の小松左京さんの名言だ。確かに日常と言うものは流れであって、どんなに大きな事があっても、次の日は過去になってしまう。時は止まらないのだ。映画「風と共に去りぬ」でもないが「時を浪費するなかれ人生は時にて成ればなり」である。さて今日は休みだが、午前中は用事で出掛ける。まだAmazonに発注した部品は届かない。だからその間に調整なりが出来るものは終わらせておこう。来週はお墓のある上砂川に行って墓の手入れである。それに伴う道具も揃えておこう。「何しておこう」ばかりだが、物事に準備は必要である。そろそろビデオプロジェクターで映画でも観たいものだ。今日も大してネタはない。取り敢えず更新しておこう。また「おこう」である。首相...日常性と言うやつ

  • 過渡期

    「人類は、いつも過渡期にある」。こちらは、小松左京さんの名言だが、そんな処が「SF作家の感覚なのかな?」と思う。確かに抜ければ発展だ。頭打ちをするから、その状況から脱出したいと思うのだ。それは小生の趣味にも言える。作業を終えないと部屋が片つかないのだ。そこで部品待ちのものも在るが、今の処は、TRIOのカセットデッキを常用機にする為にコツコツやっている。DCモーターの電磁ノイズを拾いやすいので、アース処理の必要があるが、回転ムラの方はモーター交換で改善されれば言う事なしだ。アンプは問題ない。その「KX-7000」なる機種だが、1978年製造の製品ながら、機械部分は頑丈だ。昨日、フライホイール等のキャプスタン周りにグリスを塗り直し、試聴をしてみたが、まだ粘度の濃いグリス(黄色いグリス)にでも塗り替えてみよう。...過渡期

  • 折れない柔軟性。

    SF作家の小松左京氏は言う。「とにかく、男は一見強そうに見えているがポキッと折れやすい。男は生理的にたいへん無理して生まれてきているみたいなところがある。それに比べて女は生理的にはうんと安定しているんだ。そのうえ女はなかなか折れない柔軟性を持っている」と。"女は子供は産むと変わる"とは、よく言ったものだが、男はいつまで経っても子供だと言われるように、やはり女性との精神面での成長の差もある。つまりあらゆる面で女性は大人なのだ。そうした事を言っている。女は強い。ちなみに三行半も女性から見た言葉だ。さてそろそろ愛知の業者に修理の依頼をしたカセットデッキ、TEAC「A-450」の経過なりの連絡も来る頃だ。なかなか手強い作業だとは聞いたが、そんな事もあり、こちらもそんな姿勢で構えていた方が良いだろう。気長に待てば良...折れない柔軟性。

  • 行為の根底

    SF作家の小松左京さんの名言に「「学ぶ」という行為の根底には、自分が大きく育って行くことを感ずる「喜び」がある」と言うものがある。それは言えてる。知識は人を豊かにする。そこで小松左京さんをWikipediaで振り返ると「小松左京(こまつさきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日- 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松実(こまつみのる)」。「星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった」。「1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。宇宙開発の振興を目的とした啓発活動にも力を入れ、宇宙作家クラブの提唱者で顧問も務める」と。あの...行為の根底

  • 掴む手と放す手

    「手には、物を掴む手と放す手がある」。こちらもフランスの戯曲家のジャン・コクトー氏の名言。「それで何か出来るか?」と考えるとコクトー氏が言わんとした事が解るだろう。それは緊張と緩和でもある。さていつも通勤前にしている事は、修理やメンテナンス後のカセットデッキ等の経過観察だ。今日もTRIO「KX-7000」なるカセットデッキのチェックだ。と言っても、単にテープを再生しているだけだが、あんなに在ったピッチの変動は昨夜からなし。不思議なものだ。しかしながらカウンターベルトのマッチングはイマイチで、発注したゴムベルトを待つしかない。太さの違う物も、また発注する事にもなるとは思うが、モーターも発注済みなので、それまでにやれる事をやるだけだ。フラッターは、やはり出やすい。そろそろビデオプロジェクターで映画でも観たいの...掴む手と放す手

  • 人がその糸を?

    「運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない」。こちらもフランスの戯曲家のジャン・コクトー氏の名言。これは私見だが、運命と言う物は、人が生まれる前には(寿命も含め)決まっており、イレギュラーな事もあろうが長い目で見れば「想定内なんだろうな?」と思ってしまう。例でもないが、我が一存の平均寿命は大体同じ。だから享年は決まった年齢。それで位牌を見ても、平均が取れる程気味悪く、同じ享年だ。病死もあまり居ないが、その年齢が近づくと「昨年までは元気だったのに?」と思う程に急に弱る。つまりそれが当家の寿命なのだ。なので母の年齢には、時にギクリとするのだが、割と長生きな家系なので、終活もゆっくりと計画が立てられそうである。そこで先祖の供養でもないが、自身の現状から出家をして、「寿命に備えた方が良いのかな?」なんて事を真面...人がその糸を?

  • 詩人は未来を回想する。

    「詩人は未来を回想する」。フランスの詩人、ジャン・コクトー氏ぼ名言だ。私見だが、詩人はインスピレーションだと思う。更に言えば、芸術もインスピレーションだ。そんな事を言うのは、小生の本職が映像関連の仕事だからだが、感覚がとても重要だ。その上で、それに伴う技術が必要だ。そんなように思うのだが如何なものだろう?さて今日も休みだが、例のTRIOのカセットデッキに取り付けているモーターは、急にピッチが上がったり、下がったりで落ち着かない。どうしようもないので新調するが、こんな時に優秀な国産品が無いのは不幸なものだ。だが無い物ねだりもしてられないので、またもやAmazonでのお買い物だ。このblogを打ち込みながらもそのカセットデッキの試聴をしているが、昨日はカウンターベルトとして使う0.7mm角のゴムベルトも頼んだ...詩人は未来を回想する。

  • 度が過ぎない程度

    「大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知る事である」。こちらもフランスの戯曲家であるジャン・コクトー氏の名言だ。つまり何事にも加減があると言う事だ。頃合いとでも言っとこうか?さて今日は休みである。だが午前中は病院に行かねばならず、午後は母の買い物の付き合いだ。プリンターのインクも在庫が無いので買わねばならない。それとTRIOのカセットデッキのカウンターベルトにするゴムの角ベルトだ。取り敢えず太さは、0,7mmにしてみる。その「KX-7000」なる機種だが、結構追い込んでいて、ピアノに関しても、ようやく点数を付けても60点位にはなった。しかしながら、やはり非力なのはモーターだ。トルクが弱いので外的な影響を受けやすく、ピッチも時に不安定になる。ちなみにフライホイールの軸受けはゴムに交換。結...度が過ぎない程度

  • 愚の骨頂

    「ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ」。こちらもフランスの作家(戯曲家)のジャン・コクトー氏の名言。氏はストラビンスキーの作品にも関わっているが、脚本を担当した「エディプス王」や「兵士の物語」のナレーションを聴いていると、コクトー氏ならではのユーモアは感じる。だが品良く、風刺が利いていて、「そんなオチもあるのね?」てな感じ。だからコクトーの言うべき事は解る。「兵士の物語」はストコフスキー指揮のレコードを愛聽しているが、日本語訳の戸川純さんのナレーションも面白い。ちなみにその盤では、悪魔をデーモン小暮さんが演じており、こちらも隠れた名盤だ。斉藤ネコさん率いる演奏者のアンサンブルもとても良い。さて例のTRIOのカセットデッキは、相変わらずの「割れ鍋に綴じ蓋」だ。だがそれなりに保持して...愚の骨頂

  • 時間に遅れた者?

    「未来は誰のものでもない。先駆者と言う者はおらず、時間に遅れた者しか居ないのだ」。こちらもフランスの詩人であるジャン・コクトー氏の名言だ。そうだ未來は自ら築くものだ。だから「ちょっとの努力」が、後から響く事もある。人生とは摩可不思議なものだ。人間、何処に人生の分岐点があるかは解らないが、その時に気づくかどうかだろう。今月は父他界してから丸2年で納骨からは1年だ。田舎の墓地なので熊が心配だが、その時の状況次第だろう。20日には、その掃除も兼ねて、様子を見に行く。墓石の再コーキングも然りだ。今月は忙しいのだ。昨年は、父の一周忌に合わせて作った記録映像作品があったが、その「第2部」は制作中だ。もうすぐで完成だが、コンテも描かずに思いつきで編集をしているので、大変だが面白い。ラストカットを「どうするか?」と思案中...時間に遅れた者?

  • 生き方の基準?

    「生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである」。こちらもフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言。【生き様】と言う言葉がある。小学館のデジタル大辞泉によると、「「死に様(ざま)」からの連想でできた語とされる》その人が生きていく態度・ありさま。生き方」と。【生き様】も人それぞれである。それは「死ぬ時に解るのかな?」と。父の「死に様」は在宅介護だったので目にしているが、その最期に至り、「まだ何か出来た事はなかったかな?」と、時折思う。そうした事は、後から悔やむものだ。小生も、自身の最期を考える歳になっている。さて話は変わるが、例のTRIOのカセットデッキは、フラッターと言うよりは、まだ細かいヴィブラート状態。ピッチの変動も極端に減ったが、カウンターベルトを輪ゴムで代用しているせいか不安定...生き方の基準?

  • と言うよりも?

    「私は今、生きようと努めている。と言うよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている」。これはフランスの詩人であるジャン・コクトー氏が、何かの折りにインタビューでも受けた時にでも言った事だろう。「人は最期にどう思うか?」だが、その為の覚悟は、誰しも(何となく)頭の隅にはあるものだ。その言葉、とても響く。さてまだTRIO「KX-7000」なるカセットデッキに苦戦している。あれから何度かカウンターベルトを既製品と輪ゴムを交互に試したが、結局は輪ゴムの方が相性が良いようだ。こちらも色々な長さで試しているが、それと同じテンションのカウンターベルトを探さねばならない。輪ゴムではテンションが弱い分、耐久性が不安だからだ。取り敢えず太さは、0.7mmと0.5mm辺りを揃えてみて合わせてみよう。サッサと終わ...と言うよりも?

  • 作ってはならぬ。

    「芸術に従って芸術を作ってはならぬ」。こちらもフランスの戯曲家(詩人)のジャン・コクトー氏の名言だ。「本末転倒」と言う言葉がある。広辞苑(第7版)では「根本的な事柄と些細な事柄を取り違える事」とある。補足も引用すると「目的と手段を取り違えたり、優先順位を間違えたりすることや、枝葉末節にこだわり過ぎて本質を置き去りにすることだ」と。即ち「何処に目的があるのか?」だ。それは表現でもある。「何を表現したいのか?」と問うた方が解りやすいだろう。つまりはそう言う事である。例を上げると韓国では「ノーベル賞」を取る為の研究を政府規模でしているそうだが、賞と言うのは結果であり、成果である。なので韓国でしている事は、如何に本末転倒な事かが解るだろう。だからコクトー氏の言う「芸術」とて、説明をする事自体が野暮と言うものだ。こ...作ってはならぬ。

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