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  • 釈迦も達磨も?

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「女をば、法の御蔵と云うぞ実に釈迦も達磨もひょいひょいと生む」と。これは真髄と言えるだろう。それに関しては「何を言わんや」である。さて昨日は休みだったので、カセットテープのIndexやらラベルを作っていた。BGMには、ヤフオクで落札したVictorのカセットデッキ(「KD-950」)でテープを掛けた。しかしピッチが落ちたり不安定だった。そろそろモーターが寿命かキャプスタンベルトが緩んでいるだろうか?早速、再点検だ。今朝、試しに掛けてみたが、ピッチは更に落ちていたのでラックから降ろした。場合によってはモーターの交換だ。電気系をチェックしてから考えよう。機械物は、やはり仕方がない面がある。特にそれは製造から40年は過ぎているので、その辺のリスクがある。尚、出品者とは趣...釈迦も達磨も?

  • 在家の他力本願?

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願」だと。これ、何となく解る。まあ頼りたいものには、常に特別意識を持っていると言う事だ。さて今日は休みだったので、朝からカセットテープのindexカードとラベルの打ち込みをしていた。ラベルは、20本程で、indexカードは10本程だが終わった。意外と効率良くは行かなかった。間に思い付いた事もしていたので、その分の時間がロスしたようだ。それと以前は、そんな作業も頻繁にしていたので、それなりのノウハウもあったのだが、今やすっかりと御無沙汰だったので、その要領も忘れたようだ。しかしながら仕方あるまい。一昨年に他界した父の介護が大変になって以来はしていないのだから尚更なのだ。なので、そんな作業を久々にしていると母が反応。「お父さんが...在家の他力本願?

  • この世とあの世の間。

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「自分はこの世とあの世の間で、一休みしているだけなのだから、何があろうと我が道を行く」と。確かに、この世とあの世の間が現世なれば、そう言う事になる。なればその間位は楽しく暮らしたい。その「楽しく」が趣味だが、レコード鑑賞が高じてオーディオに走り、大した装置は無いが、だからこそ工夫に懲り、益々レコードの収集にのめり込んだ。SP盤の収集を始めたのも、そもそもは、元の音が聴きたかったからだ。正確なプロセスを経て再生された、その音は生録特有のゴリゴリした質感で魅了された。テープがマスターになる前のカッティングとは質感が違うのだ。その後は磁気録音を見直し、カセットデッキの修理(整備)をするようになった。こちらのblogで報告するような現状だ。此処、最近は、必要に迫られたので...この世とあの世の間。

  • 自分への執着

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。いわく「私が詩づくりに励むのは自分への執着が強く、自分を偉そうに見せようとする煩悩があるからだ。注意しなければいけない」と。名誉欲とは、そう言うものだ。人は誰しも長けたものに対しての優越感位は持ちたいものだ。後はそれについて、アピールをするかどうかだけだ。斯く言う小生は、元は技術職だが、業界内では「在って然るべきもの」なので自慢にもならず、上には上がある業界なので、下手な事は言えない。職人とは、そう言うもの。地道に磨けば良かろう。現在、している事は、カセットテープのIndexカードとか、ラベル作りだ。カセットデッキや8ミリ映写機等のハードに於いては部品待ちだ。御蔵入りをさせてから原因が解った物もあり、様々だ。そんな趣味だが、ネットを通じ、知り合いが増えた。技術面で...自分への執着

  • 一切の煩悩?

    さて臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は斯く語りきである。曰く「私の怒りや恨みや欲情も、出家する20年前と同じく今でもなくならない。汚れた俗世間から超越し一切の煩悩を断ち切ったはずなのだが、美人を見れば胸が高鳴ってどうしようもない」と。そんなものだ。寧ろ本物の聖人が居たら会いたいものだ。昨日は休みだったが、再開した作業もあり、元のリズムに(今更ながら)「ようやく戻ってきたのかな?」と思う。それがカセットテープの整理で、ラベルやらIndexカード等を作り始めた。今頃そんな事をしているが、こちらではカセットテープは、まだ生きたフォーマットであり、デジタルとは何とか上手く融合をさせている。それが住み分けで、互いの技術の使い道はあるものだ。映像や音響関係の趣味で繋がった旧知の友は、今年は会えるか解らないが、保留にな...一切の煩悩?

  • 危ぶめば道は無し

    「この道を行けばどうなる者か、危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し、踏み出せばその一歩が道となる、迷わず行けよ、行けば解る」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。人生には分岐点があるものだが、そこに気がつくか、気がつかないとでは、その先の人生の歩みなんぞは、当然変わるだろうが、それとて選ばないと前進も後進もない。そんなものだと思う。斯く言う小生は、早いもので干支が一巡する。分岐点は、幾つもあったと思う。現在の日常とて、その分岐点を乗り越えた結果だ。節目なんて言い方の方が解りやすいのかも知れない。さて今日は休みだが、外出をしていたので、更新がこんな時間になった。なので今日、取り上げようとしていた時事等の記事へのコメントは、明日に回そう。取り敢えず、それでも進んでいる作業はあり、家庭の記録映像の編集に...危ぶめば道は無し

  • 世の中は?

    「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ」。この考え方なのだが、漫画家の水木しげるさんも同様な事を言っていた。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。正にその通り。これが世の摂理と言うものだ。さて趣味の方も相変わらずだが、主に修理等なので、掛かるのは部品代だ。コンデンサとかスイッチ類ばかりだが、割と痛みやすいので仕方がない。そこで(現在、御蔵入りをしている)TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)だが、リードスイッチの破損が原因でメイン機として使う事が出来なかった。(後からその原因に気がついた。)それと家庭の記録映像の編集作業は、元になる8ミリフィルムのテレシネ画質に納得がいかず、更にハイクオリティーなものを求めている。(次なる課題は発色。)この手のものはキリがない...世の中は?

  • 有露地より無露地へ

    「有露地より無露地へ帰る一休み。風吹けば吹け、雨降らば降れ」。さてこちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。まあ状況の悪い時には無理して動く事もない。一休み、一休みだ。実際、無理が祟ると碌な事もなかろう。無理は禁物である。昨日は休みだったので、ヤフオクで落札したカセットデッキ、Victor「KD-950」の最終チェックだ。そこで測定をすると、やはりピッチが8分の1音程高く、それで調整をしたのだが、50/60Hz兼用機でも、周波数が違えば、僅かなズレが起きるのだろうか?変換はされてる筈なのに不思議なものだ。先方は、440Hzでピッチの調整をしていたので、小生手持ちのチェックテープの315Hzでも数値はそのままの筈だが、実際に測ってみると、332Hzもあった。そりゃ高く、違和感があるのも当たり前だ。そ...有露地より無露地へ

  • 泣くも笑うも?

    「今日褒めて、明日悪く言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。思わず「まるでマスコミじゃないか?」だ。正に諸行無常の世の中である。話題も移り行く。さて今日は休みなので、この前に落札したカセットデッキ(Victor「KD-950」)をメインの装置で聴きながらチェックをしている。そこで気になったのがピッチで、どうも8分の1音程高い感じがする。現に届いてからピッチの測定はしていないのだ。小生は絶対音感はないが音楽耳なので、相対音感はある筈だ。これとて長年、レコードを聴き込んだが故の能力だが、一応は備わっているようだ。気になるので後で測定してみよう。音自体は大変良い。ラックスマンのソリッドステイトアンプとテクニクスのブックシェルフ型のモニタースピーカーの組み合わせだ...泣くも笑うも?

  • 独死独来

    「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。これぞ誰しも悟る人生の境地である。全くその通りだ。これについては加える言葉はない。政治の事を語ると辛くなるので、あまり語りたくはないので話の枕は趣味から始まる場合が殆どだが、世知辛い世の中故に仕方がない。趣味のある人は救いになる。例のヤフオクで落札したカセットデッキは調子が良い。しかしながらまだ録音のテストはしていないので、今日は帰宅後にしてみようと思う。現在は小さい装置で手軽に聴いているが、そろそろメインの装置で聴いてみよう。またいつものレコードだが、テープの整理もしなければならず、久々にIndexカードやらラベル打ちを再開しよう。そうしなければテープも片付かない。古いテープで傷んだものは、パソコン...独死独来

  • どうじゃこうじゃ?

    「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃどうじゃこうじゃと言うが愚かじゃ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だが、つまり「そんな概念は下らない」と。それでなくとも諸行無常の世である。一喜一憂の度に状況もそれぞれだ。こちらもそんな感じで、日々移り変わる毎日を過ごしている。一昨日、ヤフオクで落札した年代物のVictorのカセットデッキ(「KD-950」)だが、とても調子が良く、出品者が修理や念入りにメンテナンスをした成果の恩恵を受けている。元電気屋さんらしいが、相当な技術もあり、是非、御教授願いたいと思ったので、これを機会に何かと御知恵を拝借出来るような状況にしていくつもりだ。先方の反応も良かった。趣味関連のお付き合いではあるが、人の繋がりは大切なものだ。ではこちらのカセットデッキだが、御蔵入...どうじゃこうじゃ?

  • 後は死ぬを待つばかり。

    「世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり」。いつも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言を取り上げているが、こちらもそうだ。漫画家の水木しげるさんも同じ事を言っていた。これぞ逃れられない世の性である。さて小生、早くも今年で干支が一巡するが、その後に「どんな生涯を終える事になるのか?」と思うと不安でしかない。それは国家の経済体勢に於いても、そもそもは【小泉構造改革】での総理の言葉、(昭和天皇の終戦時の玉音を模した)「耐えがたきを耐え」に騙され、労働者が弱体化してからは、天でお金は廻りっぱなし、あのアベノミクスに於いても、その状況は変わらなかった。労働者よりも、経営者が優遇されるのだから当たり前なのだ。そこを牛耳るのが、政府お気に入りの経済学者である竹中平蔵氏の業が原因だ。だから東証株価指数...後は死ぬを待つばかり。

  • 煩悩の根本?

    いつも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言を取り上げているが、こちらも思う処がある。曰く「むさぼりと怒り・恨みの煩悩の根本は、言ってもしょうがない事を言って嘆く事にある」と。世は無情だが、根っ子の部分は案外、そんなものである。然れど煩悩、然りとて煩悩だ。その煩悩だが、昨日届いたカセットデッキ(「Victor「KD-950」」)は良好で、一度にオーディオラック周りも片付いた感じがする。気持ちの整理もついたのだろう。取り敢えずはメインとして使えるカセットデッキが鎮座した。ヤフオクで出品されていた。その出品者は元電気屋さん。技術を落とさないようにカセットデッキの修理をしているようだ。手職のある人は、引退をしても、(技術の)活かし方があるものだ。(尚、TRIOは御蔵入り。)小生がしている家庭の記録映像の編集も、...煩悩の根本?

  • 一筋の縄

    「災いと言うものは、元々福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎないと信じる」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だが、これぞバイオリズムで、そりゃあ運気の浮き沈みもあろう。そんなものだが、沈んでいる時は辛いものだ。しかしながら小生の運気は、今年は更新の時期にあるようで、昨年は身の回りの物が故障をしたりはしたが、今年は順番に、それが更新をされている。修理で使えるようになった物ばかりだが、頓挫していた事が解決したり、正に更新の歳である。(小生とて還暦で、干支が一巡する。)尚、今年中にはレストアを専門業者に依頼をしたカセットデッキもあり、完成が楽しみである。これぞTEACの名機、「A-450」である。ピアノも難なく再生出来る。何せオープンテープデッキ並の回転精度なのだ。試聴には、先月に亡くなった...一筋の縄

  • 名利求むる人

    「世の中に我れぞ悟ると自慢して名利求むる人の多さよ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純だが、そうは言いながらも名誉欲は誰しもあるものである。度合いは兎も角だ。これとて煩悩だが、若いうちは野心があるので仕方がない(場合もある)。さて今日も休みだが、午前中はパソコン周りの配線を整理してたら大掃除になってしまった。それで午後からblogの打ち込みをしているのだが、幾らかではあるが、部屋は片付き、精神衛生上は良い。この更新が終わったら、結局、オートストップ機能が効かないTRIOのカセットデッキ(「「KX-7000」」)は取り敢えず諦めて、ピッチを調整して使おうと思う。そのうちに修理の方法も突き止めるだろう。そんな能天気な気持ちでやるが良い。(しかしながらその原因は、単純なものだと思われる。)作業用のBGM...名利求むる人

  • 釈迦も達磨も

    「生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。これぞ悟りだと思う。どんなに足掻いても、人の一生は知れている。それに区別はない。小生も父が他界した時に同じ事が浮かんだ。さて今日は休みである。しかしながら用事があり、母の手伝いで出掛けねばならない。なのでいつもの作業は帰宅後である。久々にヤフオクを利用し、またカセットデッキが増えた。だが整理をする為の購入であり、これで部屋もスッキリする。それは、Victor「KD-950」なる機種だが、1975年頃発売で68,000円だった。妙なデザインだが、そこが(如何にも)Victorらしい。性能もまづまづだ。時代からして中級機だが、随所にVictorならではの拘りを感じる。人間工学に合わせた配置もそうだが、一度、...釈迦も達磨も

  • 自分一代

    「自分の人生は、自分一代のものだ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。確かに人生とは自身のものでしかない。だからこそぞんざいには扱えず唯一無二のものだ。小生も残った人生で、一度は華を咲かせたいものだ。話は変わるが、父の一周忌に合わせて昨年に制作した家庭の記録映像を元にした編集作品の改訂を始めた。機材が変わり、画質が向上したからだ。画質は8ミリフィルムのテレシネに於いては格段の差がある。加工しても、妙なノイズが浮かないのが良い。流石にハイヴィジョンは違う。それと頓挫していた「第二部」の制作も再開したが、目下の処、TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)の摩訶不思議な誤動作の原因を突き止めねばならず、やはりそこが引っ掛かる。案外単純なものだとは思うが、その単純が難しい。観察を続けよう。後...自分一代

  • 心中の賊?

    「日々なすべき正しい事は、弓を引いて「心中の賊」を射落とす事。今の世は仏と魔物が混ざり合っている」。こちらは臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。その名言については、無駄なコメントは要るまい。全くその通りだと思う。どんな上手く行っている時にも「魔」は潜み、苦境のドン底にあっても「仏」は潜んでいるものだ。なので油断はならん。さて話は変わるが、昨日から電磁ソレノイドの動作が逆になっているカセットデッキ、TRIO「KX-7000」の原因解明を始めた。まだ解明は出来てはいないが、発想の転換が必要か?その症状は検出スイッチがONなのに電磁ソレノイドが作動せず、再生レバーを押すと停止になる。なので早送りも巻き返しレバーを押しても停止になる。そこで単純に考えれば、回路を逆にすれば良いのだが、その考えも短絡的だ。と言...心中の賊?

  • 悟りなどない。

    「悟りなどないと言う事を悟った」。と言ったのは、臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純(明徳5年1月1日 - 文明13年11月21日(1394年2月1日 - 1481年12月12日))だが、その御尊影は、長渕剛氏に似ており、何かと思う処がある。室町時代の詩人で、説話のモデルとしても知られる。それがテレビアニメの『一休さん』で、成人をしてからの説話も交えていた。その「悟り」だが、なかなかその境地に達する事は難しかろう。悟りは幻だ。何せ煩悩は、108つも在るのだ。除夜の鐘も、全部終えるまでに寝てしまう。だから越えられない。そんなものだと思う。さて小生にとっての煩悩は趣味である。検出スイッチに難があるTRIOのカセットデッキに苦戦をしているが、不具合のきっかけは何となく解るものの、原因はまだ不明だ。それと政治家こそが...悟りなどない。

  • 最低の者のレベル?

    「出来る者ではなく、最低の者のレベルを上げる事こそ教える者の技である」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言。今日で終わりだ。その名言だが、レベルを上げると言うのは、そう言う事なのだ。小生は曾ての本職が技術職だったので、その点は共感出来る。つまり目先のものだけで型を作るのは間違いなのだ。現在は、前職で得た技術なるものは、結局、趣味では役立っているが、それこそ杵柄か?さて、その最たるものが映像だったり、音響だったりするのだが、それが度々取り上げるカセットデッキの修理だ。元々細かい事が好きな小生ではあったが、コロナ禍の自粛期間に暇な事もあり、御蔵入りをしていたTEACのカセットデッキに手をつけたのが、思えば事の始まりだ。それが今に至る。今の処、NECの方は(交換したコンデンサが)安定したようだが、検出スイッチの...最低の者のレベル?

  • 本当の音楽

    「本当の音楽をしていれば、絶対に報われないと言う事はない」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言だ。昨日、久々にレコードを聴いた。そのレコードが、ストラヴィンスキーのオラトリオ「エディプス王」。自作自演盤(1951,独ケルン)なのだが、「これぞ原典」と納得する名演で、演奏者も作曲家の意図を忠実に再現しており、とにかく見事だった。なのでこの小澤征爾さんの名言には思う処もある。「素晴らしい音楽とは、そう言うものだ」と。さて今日も休みである。昨日は、その後、8ミリフィルムのテレシネ作業で追われてしまったが、今日はその補足と編集作業だけなので、その作業用BGMとして、長丁場、思う存分、聴く事が出来る。(作業にアクシデンントも付き物である。ELMOのオプチカル側の再生は、相変わらず不安定である。(その原因は、切り替え...本当の音楽

  • 公約数的なもの?

    「音楽の本質は公約数的なものではなく、非常に個人的なもので成り立っていると思う」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言だが、巨匠の若き日の姿が印象に強い世代の音楽ファンは「まだ亡くなった実感もないのでは?」とも思う。それだけエネルギッシュに活躍されていたので尚更だが、自身の音楽に対する理念と言おうか、その集中力は凄いものだった。巨匠の圧倒的な演奏は、NHK-FMの実況録音の放送で聴き、しばらく音楽が聴けなくなる程のショックを受けた事も多々あり、これぞ「本物の音楽家だ。」と認めざるを得ない巨匠だ。勿論、その全部を賛同はしないが、此処までの日本人の指揮者は、近年は居ない。改めて凄い指揮者だった。1992年、第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本でのストラヴィンスキーのオラトリオ「エディプス王」は、作曲家の最...公約数的なもの?

  • 西欧音楽?

    「日本人がどこまで西欧音楽を理解出来るかと言う壮大な実験をしてきた」。こちらも小澤征爾さんは斯く語りきである。小澤征爾さんの時代でさえそうだった。現在でも格差はある。その根本となるのがリズム感だろう。あるJAZZミュージシャンは言った。「日本人のリズム感は「エンヤートット」だ。」と。それって凄く解る。確かにそうだろう。野暮ったさがあるのだ。その最たる音楽家が、作曲家の伊福部昭さんだったり、弟子の芥川也寸志さんだ、(意外ながら黛敏郎さんも伊福部さんの弟子だ。)特に伊福部さんの場合は、神楽が基調にあるようだ。ちなみに例に上げると、1954年の「ゴジラ」第1作に、それが聴き取れる。大映映画「大魔神」も、その傾向が強い。純音楽作品も然りである。「日本狂詩曲」をよく聴くが、映画音楽意外で伊福部昭さんを聴くなら、こち...西欧音楽?

  • わかんない訳?

    「これまで生きて、悲しみを味わった経験。悲しみは、人から教われないからね。自分でわかんなきゃ、わかんない訳だから」。今日も指揮者の小澤征爾さんは、斯く語りきである。確かにそう言う事は当人でないと経験出来ない訳だし、場合によってはトラウマになるような事まであれば尚更である。これ以上の事はなかろう。さて父の葬儀以来は会ってはいない旧友からメールが来た。それで早速、会う段取りをしようとしたのだが、また予定が合わず、やはりやれやれである。何とか今年中には会いたいが、こちらも「どうなるやら?」である。今回もその旧友の希望だ。先方に用事がある筈だが、その割には合わせようとはせず、何だか不思議だ。それ程の用事ではないのだろう。その旧友とは元々趣味繋がりなので、意外と薄い関係なのかも知れない。そんな事を思ったりする。さて...わかんない訳?

  • ニュアンスの差?

    「言葉よりも音楽の場合はね、本当にニュアンスの差がちょっとで違うから、幅と言うか高さなのか知らないけど、奥深いんですよ。それを指揮者の場合は、意識してやっておかないと、味が出ないっていうかね」。さて今日も指揮者の「小澤征爾さんは、斯く語りき」だ。この名言に対し下手なコメントは不要だろう。そこは音楽が好きな人は、誰しも思う処だ。この前の休みに久々にレコード鑑賞をした。検聴ではなく鑑賞だ。するとまた新たな発見もあるものだ。アナログオーディオは奥深い。そのアナログだが、そろそろ「片つかないかな?」と思っているのがカセットデッキだ。早く片つけたい。それが、TRIOの「KX-7000」と、NECの「AUK-5100」だが、一時期は双方、普通に使えていたが、何分古く、TRIOは何故か検出スイッチの誤動作で、反応が全て...ニュアンスの差?

  • 規則に合った事?

    指揮者の小澤征爾さんは言う。「楽譜に書いてある通り、非常に几帳面にやって、規則に合った事をやって、「はい、これで終わり」の演奏会をされたら、みんなバカバカしくなって、音楽会に来なくなっちゃいますよ」と。曾ての新即物主義はそうだった。それで指揮者のヘルベルト・V・カラヤン氏には、アンチも居たのだが、それも昔話だ。それに対するはカール・ベーム博士(実際に法学博士だった。)だがベーム博士も新即物主義者だった。そんなオチがある。確かに浪漫主義は19世紀を代表する表現方だ。なのは20世紀は、その反動だったと言う訳だ。しかしながら譜面の音を正確に再現するには、それに似合う技巧が必要だ。だからこそ基盤にある音楽性がものを言うのだろう。その点では、小澤征爾さんは新表現主義と言える。実際、譜面の裏の音に対する拘りは素晴らし...規則に合った事?

  • 集中力って言うのは?

    いつも指揮者の小澤征爾さんの名言を取り上げているが、こちらは思わず納得。曰く「集中力って言うのは、天才のものじゃないんだ。訓練だ」と。それは言えてるだろう。特に好きなものは覚える為には、やはり自然と集中をするもので、結局は訓練になっている。だからこそ「好きこそものの上手なれ」なのだ。そう言うものだと思う。さて昨日は、朝から沖縄と台湾では地震があり、特に台湾東部は大地震で、災害も深刻だ。勿論、日本政府は、その対応もするだろうから、これからの政府の動きも気に掛かる。その台湾だが、【中華人民共和国】政府が言う「ひとつの中国」はデタラメだ。共産党政府が台湾省としている台湾は【中華民国】であり、別な国なのだ。更に領有権に関して言えば、1952年のサンフランシスコ講和条約に於いて、日本が朝鮮の独立を承認し、台湾・澎湖...集中力って言うのは?

  • 一人一人の経験?

    「音楽は、非常に「個」の強いものです。一人一人の経験の中から、じわじわっと出てくる」。こちらは指揮者の小澤征爾さんの名言だが、現在のようなグローバル化は、音楽については邪魔なだけだ。つまり無個性化なので、「個」と言おうか「我」がないと、音楽家の個性もなく、そんな演奏を聴いても、印象には残らないだろう。だからそんな音楽家の演奏なんて、金を払って聴く事自体が無駄だろう。だから昨今のレコード業界が振るわないのも「そんな処かな?」と思う。さて今日は休みだ。午後からは母の付き合い(荷物持ち等の手助け)で外出(買い物)するが、エアダスターが切れたので、ついでに買おうと思う。それが今日の日課だ。さて趣味の方も相変わらずだ。昨夜、NECのカセットデッキ、「AUK-5100」のDolbyユニットのコンデンサを交換した。動作...一人一人の経験?

  • と思っては?

    指揮者の小澤征爾さんは言う。「僕が思うこの悲しみは、この人たちとは違うんだ、と思ってはやってはいないんですよ」と。これはどう言うシュチュエーションでの発言かは知れぬが、NHK交響楽団とは初っぱなから色々とあり、当初は頼られたのに結局は追い出されたので「なんじゃこりゃ?」だっただろう。それがキャリアの初めの20代の話なので、これも「あの時の事かな?」てな想像は出来る。まあ悲しい出来事は、誰でも悲しい。さてハイヴィジョン収録に切り替えた8ミリフィルムのテレシネだが、マスタリングをした段階で、まだ可能性があるので、何回かマスターを作っている。色も解像度も良く、「流石にデジタルだな?」と感心するが、だからこそ上を目指すのも良かろう。補整は最低限で済ませたい。後はカセットデッキだが、苦戦をしているTRIOの方は、電...と思っては?

  • 東洋人と西洋人

    指揮者の小澤征爾さんは語る。「僕は「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。だけど、どっかではつながっているんだと思う。世界共通、人間の感情は」と。確かに感情の部分では、そうだろう。但し民度は各国様々だ。しかし民度云々で言うと、"他人様には迷惑を掛けない"と幼少より、家庭で徹底して教育をするのが日本だ。なのでイザと言う時に高潔さが評価されるのだろう。とは言え昨今は、リベラル勢力による、良からぬグローバル化の為に荒れ果てた。それは戦後のGHQ政策に端を発するが、とにかく連合国にとっては、高潔な日本人が邪魔だったと言う訳だ。斯くして「半世紀を掛けて、GHQ政策は達成された」と言っても過言ではなかろう。それ程までに「本当に日本人のする事かいな?」と呆れる事が多々あるのだ。(中には偽装もあるが、)「どうして...東洋人と西洋人

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