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2022/07/11

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  • 高石友也さん/受験生ブルース

    北海道出身の"日本のフォーク"歌手といえば、中島みゆきに松山千春が有名ですが、その大先輩が雨竜町(ヒマワリで有名)出身の高石友也さん。彼の「受験生ブルース」の大ヒットが1968年ですから、日本のフォークの先駆けの一人でした。彼のスタイルは東京のカレッジ系と異なり、アングラ系とか関西系とか呼ばれ、前者は主にモダン・フォークを、後者は初期のディランとかカーター・ファミリーなど、アメリカのルーツ・ミュージックを日本語に置き換え、歌って来たあたりが違ったような気が。両方が混ざり今の"日本のフォーク"になったと思うのですが、どちらかと言うとカレッジ系の方が主流に近いのかなぁ?日本のフォークに疎い私が言うのもなんですが。受験生ブルースはリアルタイムで聞いていました。当時はコミカル・ソングと思って聞いていたのですが、い...高石友也さん/受験生ブルース

  • 民族共生象徴空間 ウポポイ

    ウポポイが出来てもう4年も経つのですね、アイヌ民族の歴史や生活を広く紹介するのは良い事だけど、過去に和人が行った事の反省には触れずきてる気がして、今まで行った事が無かったのだけど、見もしないで勝手な想像するのは違うか?と。そう思っていた所に、札幌市のサッポロピリカコタンとセットで周遊バスツアーがあると知り、無事キャンセル待ちの抽選にも当ったので先日行って来ました。ウポポイの前身は白老町にあったポロトコタンで、ウポポイに移行のため2018年に休館。これはアイヌ語で"大きな湖にある集落"という意味だそうで、昔からあった白老アイヌの人々の集落を昭和40年代にポロト湖湖畔に移し、資料館や野外博物館を整備したもので、私が行ったのはもう10年も前の事ですが。入るとすぐに見えたコタンコルクルの像。案内には「和人入植の遥...民族共生象徴空間ウポポイ

  • ザ・ドリフターズ/渚のボードウォーク

    ザ・ドリフターズと言えば昔「ラストダンスは私に」の日本語カバー(どうぞ踊ってらして…)がヒットした割に、当時の知名度はイマイチだった気が。その後「いかりや長介とドリフターズ」が人気となり、ザ・ドリフターズの話をする時「じゃない方の…」と前置きが必要でした。正統派J・カントリーだったドリフターズは、何度ものメンバー交代・リーダー交代を経てコミック・バンドに転身し成功をおさめ、私もその頃は大笑いして見ていました。頻繁なメンバー・チェンジは、グループである以上よくある事のようで、1950年代に結成され、一時期クライド・マクファーターを擁し、全米R&B部門1位の「マニー・ハニー」(1963年)のヒットなどで人気のあったザ・ドリフターズも同様に色々あったみたいです。なによりアメリカでは徴兵でメンバーが欠けたりしたよ...ザ・ドリフターズ/渚のボードウォーク

  • ウッドストックから55年目の夏

    夏とロック、北海道で今の時期に開催されるライジング・サンほか、今は日本でも色々なフェスティバルがあるのでしょうが、私が思い出すのは、1969年8月15日から開催された伝説の「ウッドストック・フェスティバル」で、思えばあの頃がポップスやフラワー・ミュージック、ロックン・ロールなどがロックへ変ってゆく転換点だったと思います。大規模コンサートの運営経験が無い若者4人が立上げ、フォークから当時の尖ったロックまで30組以上が出演。40万とも60万とも言われる人が集まったそうですが、広大な土地のため警備の手が届かず、次々とフェンスを破った観客が入ってきて収支は大赤字に。何ともあの時期らしい話ですが、救われるのはアルバムや記録映画がヒットし、その赤字を補ってトータルではプラスに転じたそうで良かった、良かったです。若者た...ウッドストックから55年目の夏

  • ノッてけノッてけ 太陽の彼方に

    サーフィンが日本に持ち込まれたのは戦後、米兵が神奈川などで適地を見つけ遊び始めたのが最初だそうで、60年代になるとそれを真似る日本人も出て来たそうです。まだ中坊だった私がサーフィンを知ったのは歌からでした。それがジ・アストロノウツの「太陽の彼方に」で、シンプルで覚えやすいそのメロディは藤本好一のカバー盤でもヒットし、普段音楽の話をしない同級生達も「ノッてけノッテけ…」と口ずさむ程の人気でした。(後にゴールデン・ハーフの盤でもヒット)この曲は1964年の発売で、私の記憶では、エレキギター・ブームの火付け役となったのがこの曲だったと思います。翌年その人気に合わせアストロノウツと、まだ評判で無かったはず(?)のヴェンチャーズがジョイントで来日、それをきっかけに7月にはヴェンチャーズが単独で再び来日※し、例のテケ...ノッてけノッてけ太陽の彼方に

  • 夏だ!スイムだ!GO-GO’s

    60年代初めのツイストの大ブームの後、レコード会社は二匹目の泥鰌を狙い、毎年"夏のニュー・リズム"を仕掛けました。モンキー、ドドンパ、ブーガルー、スクスクなどを。そして65年にビクターがプッシュしたのが"スイム"というダンス音楽。今年の夏は"スイム”で行こう!と、キャンペーンを張ったうちの1枚が、このゴ―・ゴーズの「チッキン・オブ・ザ・シー」で、泳げない君もおいでよ、一緒に浜辺でダンスを踊ろう、というカナヅチ応援歌(?)でした。GO-GO'sは80年代のガールグループを思い出す方が多いと思いますが、こちらは古き良き60年代のアメリカン・ポップス。日本盤はジャケが独自で、楽器も持たない(当時は楽器を持つだけでカッコ良かった)地味な兄ちゃん3人では絵的に…と差し替えたのでしょうけど。彼らはLPも出ています(右...夏だ!スイムだ!GO-GO’s

  • ザ・タイムス/なぎさの誓い

    北海道にも短い夏が来た!海に行こうよ、白い雲が浮かぶ水平線を見に行こうぜ。そして二人で渚を駆け、想い出たくさん作ろうよ…なんて青春マンガみたいなイタい妄想をするのはBB世代の勘違いオヤジ。第一そんな甘酸っぱい想いなんか無いくせに。AswestrollbytheseaUnderstarstwinklinghighabove~輝く星空の下、渚を二人で手をつないで歩こう(stroll)…これぞ正しい"青春の海"じゃないですか。そしてプロポーズ。愛しているよ君を寄り添って教会の道を歩こう愛し合う二人(Somuchlovehavewetow)と。ザ・タイムス(TheTymes)の「なぎさの誓い」(SONUCHINLOVE)が、全米№1に輝いたのは1963年の今日8月3日。潮騒と海鳥の声、フィンガースナッピングに導か...ザ・タイムス/なぎさの誓い

  • 園まりさん/花はどこへ行った

    キングストン・トリオが歌った最初のフォーク№1ヒット「トム・ドゥリー」は、恋人を殺した罪で絞首刑になった実在の人物を歌った曲だそうです。後追いで曲を知った私は、当時はあまり後味の良くない曲だと思っていましたが、実は恋人を殺したのは彼女の恋敵の女で、トムはその罪をかぶり縛り首になったと言う悲しい話なのだそうで。真犯人を男に置き換えた映画「拳銃に泣くトム・ドーリイ」と言うのがあったそうで、首をうなだれ歩くシーンに流れるこの曲は、見た方には特に印象深いシーンだったそうです。№1ヒットにはならなかったのですが、我が国で一番親しまれている彼らの曲と言えば、多分「花はどこへ行った」でしょう。ピート・シーガーがウクライナの民謡を元に書いたと言われるこの静かな反戦歌は、60年代初頭のベトナム戦争拡大に対する反戦平和のうね...園まりさん/花はどこへ行った

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