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2022/05/14

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  • 【コンサル物語】シカゴ郊外エバンストンのノースウェスタン大学

    1911年にミルウォーキーのシュリッツ社でコントローラー(経理部長、経営管理担当など)として働きながら、アーサー・アンダーセンはシカゴ郊外ノースウェスタン大学での講座も担当していました。 16歳で両親を亡くし孤児になったアンダーセン氏は、23歳でシカゴ最年少で会計士試験に合格すると、続けて同年ノースウェスタン大学に入学、大学では1911年(26歳)に助教授、1915年(30歳)に教授にまで登りつめました。 今回はアンダーセン氏の大学時代初期の歴史について、簡単ではありますが紐解いておきたいと思います。アメリカでは大学教授が専門分野を活かしてコンサルティングビジネスを行うことは珍しく

  • 【コンサル物語】孤児から会計士に

    1882年にノルウェーからの移民としてアメリカ中西部の町に移住してきたアンダーセン一家に、3年後男の子が生まれアーサーと名付けられました(※)。後に世界最大のコンサルティング会社となるアーサー・アンダーセン・アンド・カンパニーを設立する人物です。 ※アーサーは8人兄弟の4番目 16歳で両親を亡くし孤児となったアーサーですが、真面目に働きながら夜間の学校に通い一生懸命勉強をしていました。孤児のアーサーを雇ってくれた会社では、経理部長にまで出世していました。経理の仕事に関わっていく中で知った会計士という職業につけば、ずっと良い給料を手にすることができることもあり会計士になりたいと思

  • 【コンサル物語】反逆児、嫌われ者、自信家

    このタイトルが示すのは、ある人物とその人物が設立した組織を評した言葉の一部です。それはアーサー・アンダーセンその人であり、彼がシカゴで設立したアーサー・アンダーセン会計事務所を指しています。コンサルティングの歴史、特にBig4会計事務所(Deloitte・PWC・KPMG・EY)のコンサルティングの歴史を紐解くうえで、外すことはできない人物であり会計事務所です。 アーサー・アンダーセンがコンサルティングの歴史にどう関わっていたか、歴史の細部に入る前にアーサー・アンダーセンとは何者なのか、その全体感に触れておきたいと思います。 アーサー・エドワード・アンダーセン(Arthur

  • 【コンサル物語】会計コンサルの胎動 in シカゴ

    19世紀後半にアメリカ合衆国の鉄道、道路、水路の中継地として大発展を遂げたシカゴでは、産業の発展とともに会計業務の重要性が認識され始めました。(シカゴの所在地である)イリノイ州では1903年に公認会計士制度が定められ、会計の専門家による産業振興のバックアップが進められました。 シカゴでは20世紀前半の1910年代、20年代に会計事務所や会計をルーツとするコンサルティングが大きく発展した歴史があります。例えば、アーサー・アンダーセン会計事務所(後のアクセンチュア)であり、マッキンゼー・アンド・カンパニーです。シカゴの人口が全米第2位になっていた1890年から1910年頃までの世紀を

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