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2022/05/14

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  • 【コンサル物語(日本編)】Big4コンサルティングの歴史〜PWC〜③

    21世紀に入ってすぐに日本のコンサルティングマーケットからPWCコンサルタントという会社は姿を消しました。同時期にアメリカで発生したエンロンスキャンダルの余波を受け、日本でもPWCのコンサルティング部門はIBMに売却されることになったためです。 (厳密にはPWCの監査法人グループにコンサルティング会社は存在していたようですが、こちらはM&A等がメインでシステムコンサルティングはやっていなかったようです) 私自身の体験になりますが、当時勤務していた事業会社では最初PWC社のコンサルタントを利用していましたが、ある時から同じ人がIBMの名刺に変わったことをよく覚えています。また1

  • 【コンサル物語(日本編)】Big4コンサルティングの歴史〜PWC〜②

    今回は引き続き『PWCジャパンの歴史』を参考に、日本でのコンサルティング会社の歴史の一面を追ってみたいと思います。 1980年代半ばから1990年代初めにかけて、後にBig4と呼ばれるようになるコンサルティング会社が日本でも少しづつ事業を拡大し始めていました。戦後すぐに日本で会計事務所を展開していたプライス・ウォーターハウス社も、1983年の監査法人設立に伴いコンサルティング会社を分離しコンサルティングを順調に成長させていました。 ところが1990年代前半、プライスウォーターハウスコンサルタント社(PWコンサルタント)はバブル景気がはじけるとともに業績悪化に陥りました。 199

  • 【コンサル物語(日本編)】プライスウォーターハウスコンサルタントの歴史①

    アメリカでは、第二次世界大戦後から1980年代までBig8※と呼ばれていた大手会計事務所が存在し、コンサルティング会社としても発展していきました。 ※アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合される Big8各社はアメリカ企業の海外展開等に伴い、会計事務所の海外展開を積極的に進めていき、その過程で日本での事

  • 【コンサル物語】成長を続けるBig4コンサルティング

    西暦2000年前後のアメリカではBig4(Deloitte、PWC、EY、KPMGの各会計事務所)各社は相次いでコンサルティング部門を切り離し、コンサルティングサービスから距離をおきました。2002年に成立したSOX法(上場企業会計改革および投資家保護法)は、会計事務所が経営コンサルティングを行うことを禁止しました。時代の流れは会計事務所に対して時計の針を戻し本業である会計監査への回帰を促しているように思えました。 ところが、SOX法成立から10年、20年後、Big4各社のコンサルティング部門は息を吹き返し、むしろ以前とは比べ物にならない程巨大化しました。 各社のアニュアルレポート

  • 【コンサル物語】(続)エンロン事件とコンサルティング会社

    2002年7月にアメリカで成立したサーベンス・オクスリー法はコンサルティング業界に大きな影響を及ぼすものでした。監査の独立性を守るため利益相反に強い規制を求めるこの法律により、会計事務所が経営コンサルティングを行うことが実質的に禁止されました。エンロン社の会計スキャンダルに絡んで起訴され有罪となったアメリカの名門会計事務所アーサー・アンダーセンが会計監査とコンサルティングサービスをエンロンに提供していたこともこの法律が成立した背景にありました。 会計事務所がコンサルティングサービスを提供することで、どのような問題が起こっていたのでしょう。またその背景にはどのようなことが考えられるので

  • 【コンサル物語】エンロン事件とコンサルティング会社

    エンロンを筆頭に、大手企業の不祥事さらには破綻が相次いだのを受けて、サーベンス=オク スリー法(SOX法、正式名称は上場企業会計改革および投資家保護法)が2002年に成立した。この法律では公開会社会計監視委員会(PCAOB)の設置、監査人の独立性確保、財務ディスクロージャーの拡大、内部統制の義務化、経営者の不正行為に対する罰則強化などが 定められている。 『帳簿の世界史』 2002年7月にアメリカで成立したサーベンス・オクスリー法はコンサルティング業界にも大きな影響を及ぼすものでした。監査の独立性を守るため利益相反に強い規制を求めるこの法律により、会計事務所が経営コンサルティングを行

  • 【コンサル物語】コンサルティング部門の切り離し~20世紀末アメリカ~

    1990年代アメリカの大手会計事務所Big6(ビッグ・シックス)※は、本業の会計監査を凌ぐ売上をコンサルティング等から上げるようになりました。その背景には、システムコンサルティング分野への積極的な進出や様々なコンサルティング専門会社との提携等がありました。 ※Big6(ビッグシックス) 1990年代にアメリカに存在していた大手会計事務所6社。アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・ヤング(EY)、デロイト・アンド・トウシュ(Deloitte)、KPMG、クーパース・アンド・ライブランド、プライス・ウォーターハウスのこと。1997年にクーパース・アンド・ライブランドとプライス・ウ

  • 【コンサル物語】会計事務所からプロフェッショナル・サービス・ファームへ ~1990年代アメリカ~

    1990年代には、アンダーセン・コンサルティングはアーサー・アンダーセンよりはるかに高い収入をあげるようになった。二つの事業体の契約関係から、アンダーセン・コンサルティングは、アーサー・ア ンダーセンの収入を上回る部分の15%を、アーサー・アンダーセンのパートナー達に支払うようになった。1999年までにアンダーセン・コンサルティングのパートナーからアーサー・アンダーセンのパー トナー達へ支払った金額は累計で10億ドルに近かった。 『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』 1995年度のアンダーセン社の収入と内訳 『闘う公認会計士』 1990年代のアンダーセン社(Andersen Wor

  • 【コンサル物語】アクセンチュア誕生の歴史(後編)

    1989年1月、アーサー・アンダーセン会計事務所は社内の組織を会計サービスのアーサー・アンダーセンと、コンサルティングサービスのアンダーセン・コンサルティングに分離しました。そしてその10年後両社は完全に別々の会社となりました。会計はアンダーセン社として、コンサルティングはアクセンチュア社としての道に進んでいきます。 元は一つの会計事務所が分離し、それぞれが新たなコンサルティング会社を発展させていきました。21世紀初頭には、アンダーセンの新しいコンサルティング部門(1990年代に誕生した別のコンサルティング部門)はBig4の中に生き続け、アクセンチュアは単独でコンサルティング業界で生

  • 【コンサル物語】アクセンチュア誕生の歴史(前編)

    1989年1月、アーサー・アンダーセン会計事務所は社内の組織を会計監査・税務サービスを担うアーサー・アンダーセンと、コンサルティングサービスを担うアンダーセン・コンサルティングに分離しました。両組織はその後10年間アンダーセン・ワールドワイドという一つ屋根の下に収まっていましたが、20世紀最後の年に完全に袂を分かちました。会計はアンダーセンとして、コンサルティングはアクセンチュアとしての道に進んでいきます。 アクセンチュアはご存じの通り、21世紀初頭のコンサルティング業界の中心を担っている一社です。会計士の様々な制約から解かれた同社は、分離独立後ますますコンサルティングサービスを拡大

  • 【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(後編)

    1980年代、アメリカの大手会計事務所(通称ビッグエイト)はどこも規模の経済を追い求め、事務所を維持しようとしていました。 すべての大手会計事務所が、新しい市場に参入し、経営資源を結集して利益を得るためには、規模の経済を実現することが競争上有利であることを明確に認識していた。 『ACCOUNTING FOR SUCCESS』 アメリカ国内で有力な会計事務所となるためには、約100個所で事務所を持つことが必要であった。アメリカ企業の多くが主要な100都市でビジネスを展開していることからすれば、トップクラスの会計事務所は同様の体制をとっていなければならないのだ。 『ビッグ・シック

  • 【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(中編)

    1984年にデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ会計事務所(後のDeloitte)との合併案が立ち消えになったプライス・ウォーターハウス会計事務所(後のPWC)は、新たな戦略を模索する中で様々な決断をしていきました。その中には半世紀以上に渡る伝統を変革するものもあったようです。 プライス・ウォーターハウスは19世紀末にニューヨークで会計士業を開始して以来、半世紀以上に渡ってアメリカ会計士業界では名実共にリーダーであり、多くの名声を得ていました。そういった歴史を歩んできたこともあってか、プライス・ウォーターハウスは非常に誇り高い会計事務所でした。 その誇りはときに高慢にも思える態度と

  • 【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s(前編)~プライス・ウォーターハウス~

    1980年代アメリカ。大手会計事務所8社(通称ビッグ・エイト)は、顧客であるアメリカ企業同士の合併・買収の波により大きな影響を受けていました。企業の再編は会計事務所が顧客と収入を失うことに繋がる場合があったからです。 1985年11月にゼネラル・フーズがフィリップ・モリスと合併したとき、プライス・ウォーターハウスはゼネラル・フーズをクーパース・アンド・ライブランドに奪われた。同様に、ゼネラル・エレクトリックがRCAを買収したとき、ピート・マーウィックは新しく合併した会社を監査し、トウシュ・ロスはRCAを失った。このような変化により監査費用は純減となり、合併後の新会社の監査費用が合併

  • 【コンサル物語】さらばビッグ・エイト 1980年代アメリカは大合併時代

    1970年代のアメリカでは、本業の会計監査が頭打ちとなっていく中、大手会計事務所ではコンサルティング等の非監査業務が伸び始め救世主となりつつありました。 1980年代に入るとその傾向に拍車がかかり、会計事務所は監査をする企業から総合プロフェッショナル・ファームへと変化を遂げつつありました。今回から数回にわたり、1980年代アメリカにおける大手会計事務所(通称ビッグ・エイト(Big8)※)の大合併の歴史を、コンサルティングサービスの観点で見ていきたいと思います。 ※1980年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセ

  • 【コンサル物語】コンサルティングに頼る会計事務所(世界最大のシステムコンサルティング会社 アーサー・アンダーセンの場合)

    1970年代アメリカ。Big8(ビッグエイト※)と呼ばれていた大手会計事務所は、本業である会計監査での収入が頭打ちとなる中、好調なコンサルティングサービスを拡大することで苦難を乗り越えようとしていました。 前回のプライス・ウォーターハウス(後のPWC)に続き、今回はアーサー・アンダーセン(2002年消滅。コンサルティング部門は後のアクセンチュア)について、当時のコンサルティングの歴史を見ていきたいと思います。 ※1970年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォー

  • 【コンサル物語】コンサルティングに頼る会計事務所(プライス・ウォーターハウスの場合)

    1970年代、アメリカの大手会計事務所は、企業の不正会計や業績不振に怒る投資家達により、多くの訴訟を起こされるようになりました。 いわゆるBig8(ビッグエイト※)と呼ばれていた会計事務所は、その屋台骨であった会計監査において、事業成長の頭打ち、訴訟、価格競争の三重苦に苦しめられていました。 ※1970年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にD

  • 【コンサル物語】訴訟に脅かされるBig8会計事務所。コンサルティングが助け船に ~1970年代アメリカ~

    (1970年代アメリカ)ある夫婦は、運転中にウォール・ストリート・ジャーナル紙でコロンビア映画会社の記事を読み、ニューヨークのガソリンスタンドでブローカーに注文の電話を入れた。その後、コロンビアの株価が下落したため、彼らはプライス・ウォーターハウス会計事務所(後のPwC)を訴えた。 夫婦によると、財務諸表と意見書が正確であったならば、ウォール・ストリート・ジャーナル紙はコロンビア映画の印象を悪くしていただろうということである。連邦最高裁判所は最終的にこれらの主張を退けたが、プライス・ウォーターハウスはこの訴訟で数十万ドルをかけて自社を弁護した。 『ACCOUNTING FOR SUC

  • 【コンサル物語】エリート会計事務所(プライス・ウォーターハウス)が認めたライバル(アーサー・アンダーセン)1960年代のアメリカコンサルティング業界

    1960年代のBig8(ビッグエイト)会計事務所※のコンサルティング部門について、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)とアーサー・アンダーセン(2002年消滅、コンサルティング部門はアクセンチュアとして存続)の状況はかなり対称的でした。プライス・ウォーターハウスは伝統的な会計事務所であることに誇りを持つ一方、アーサー・アンダーセンは会計事務所とコンサルティング・ファームの両立を実践していました。 ※1960年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のことで、ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス

  • 【コンサル物語】最強のコンサルティング会社を目指して(アーサー・アンダーセンの1960年代)

    1960年にはBig8(ビッグエイト)のなかで売上2位にまで大躍進したアーサー・アンダーセンですが、その勢いは1960年代も止まることはなかったようです。 Big8ランキング(1960年) ※会計事務所(監査+税務+コンサル)での売上順 参考資料:『闘う公認会計士』 アーサー・アンダーセン会計事務所はエンロン事件を経て2002年に消滅していますので、ご存じない方が多いかもしれませんが、コンサルティング部門は1942年に会計事務所内に設立され、1989年の分社化後アクセンチュアとして存続しています。 数字を見ると1960年代の拡大の凄さが分かります。1960年代のアーサー・アンダーセ

  • 【コンサル物語】プライス・ウォーターハウス社のコンサルティング拡大の歴史(1960年代)

    1960年代、Big8(ビッグエイト)会計事務所※のコンサルティング部門の中には、大手経営コンサルティング会社(ブーズ・アレン・ハミルトン、マッキンゼー、クレサップ・マコーミック・ペイジット等)を脅かす会社もありました。 ※1960年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のことで、ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合される 今回は、システ

  • 【コンサル物語】Big8会計事務所のコンサルティング拡大と戦略コンサルティング会社に与えた脅威(1960年代アメリカ)

    1960年代、Big8(ビッグエイト)会計事務所のコンサルティング部門は、1950年代から続くシステムコンサルティングをますます拡大していきました。それは当時のアメリカ経済の好調さに支えられていたようですが、会計事務所やコンサルティング会社から見た1960年代のアメリカ経済はどの様なものだったのでしょう。 1960年代は豊かな時代だった。この時期、アメリカ経済は好調で、国内での事業拡大が進み、海外ではワールドワイドなアカウントサービスが盛んになった。また、会計士が提供できるサービスの幅を広げるために、電子機器の普及が始まり、税制の改正が相次ぎ、税理士業務の拡大が促された。この10年

  • 【コンサル物語】IBMに35年間のコンサルティング禁止令(Big8コンサルティング発展の裏で起こっていたこと)

    1952年に世界初の商用コンピューターとしてアーサー・アンダーセン社によってGE社に導入されたUNIVACはEMCC社(エッカート・モークリー・コンピューター・コーポレーション)(後のユニシス)という会社のものでした。アメリカのコンピューター研究の最前線にいたエッカートとモークリーが所属するEMCC社は、当時商用コンピューター分野のリーダーでした。 今回は、EMCC社に遅れを取りながらもコンピューターの開発・販売に本格的に参入し始めた頃のIBM社について書きたいと思います。 IBMは1960年代以降、アメリカコンピューター産業の覇者となっていきます。IBMが作ったコンピューターを使

  • 【コンサル物語】Big8(ビッグエイト)の勢力図が変わった1950年代

    1960年、フォーチュン誌に掲載された30年ぶりの業界プロフィール(会計事務所編)は業界関係者を驚かせました。 Big8ランキング(1960年) ※会計事務所(監査+税務+コンサル)での売上順 『闘う公認会計士』 前回1932年のランキングからアーサー・アンダーセンが大躍進(最下位→2位)する一方、1890年のアメリカ事務所設立以来、アメリカ国内で圧倒的な地位を築いていたプライス・ウォーターハウスが、ピート・マーウィック・ミッチェルに首位を明け渡し、4位にまで転落していました。 この事実を突きつけられたプライス・ウォーターハウスは、ピート・マーウィック・ミッチェルとアーサー・アンダ

  • 【コンサル物語】1950年代のコンサルティング会社(Big8会計事務所のコンサルティング部門)

    1942年の管理会計部の設立から始まったアーサー・アンダーセン会計事務所の本格的なコンサルティング事業。1946年ペンシルベニア大学でのENIAC(エニアック:現在のコンピュータの原型モデルの一つ)公開には、同社のジョセフ・グリッカウフ氏も居合わせました。 それから6年後、1952年には世界初商用コンピューターUNIVACⅠ(ユニバックⅠ)をケンタッキー州ルイビルの最新鋭GEアプライアンス・パークに導入し、Big8(ビッグエイト)会計事務所のコンサル再進出の先駈けとなりました。 アンダーセン社の大躍進を目の当たりにした他のBig8会計事務所のコンサルティング事業への取組みはどうだっ

  • 【コンサル物語】会計事務所がコンサルティングしたコンピューターUNIVAC(ユニバック)とは

    1952年にアーサー・アンダーセン会計事務所のコンサルティング部門(後のアクセンチュア)がGE社に導入したUNIVAC(ユニバック)とはどのようなコンピューターだったのでしょう。二人の若い技術者を中心に苦労の末に完成したUNIVACの誕生は、コンピューター業界の歴史にとっても重要なことでした。 UNIVACは1946年3月にムーアスクールを去ったモークリーとエッカートが紆余曲折を経て1951年3月に完成させ、国勢調査局に納入した量産型の大規模ビジネス用コンピュータの第1号である。この UNIVACをもってコンピュータ産業が始動し始めたといってよい。モークリー44歳、エッカート32歳

  • 【コンサル物語】世界初の商用コンピューター本格導入 GEとアーサー・アンダーセン ー1950年代アメリカー

    1942年に管理会計部という名称でアーサー・アンダーセン会計事務所に誕生したコンサルティング部門であったり、1946年には当時会計事務所としてNo1の規模を誇っていたプライス・ウォーターハウス会計事務所が、システム部というコンサルティング専門組織を設立するなど、当時Big8(ビッグエイト)と呼ばれていたアメリカの大手会計事務所は1940年代にコンサルティング事業に本腰を入れ始めました。 当時のBig8(ビッグエイト)会計事務所(規模順) プライス・ウォーターハウス (後のPWC) ハスキンズ・アンド・セルズ (後のDeloitte(デロイト)) アーンスト・アンド・アーンスト (後

  • 【コンサル物語】システムコンサルティングを始めた会計士達③~プライス・ウォーターハウス社システム部~

    1946年にペンシルベニア大学で現在のコンピューターの原型モデルであるENIACが初めて公開されました。コンピューターの発展は、会計システムの機械化を支援する会計事務所のコンサルティング事業拡大にも貢献しました。 ENIACの公開前後、当時Big8(ビッグエイト)と呼ばれていたアメリカの大手会計事務所8社は、独立したコンサルティング部門を相次いで設立していきました。今回は、Big8の中でも当時No1を誇っていたプライス・ウォーターハウス(後のPWC)でのコンサルティング部門設立当初の歴史を見ていきたいと思います。 最初に当時のBig8について簡単にご紹介します。以下の1932年ラン

  • 【コンサル物語】システムコンサルティングを始めた会計士達②~コンピューター時代の幕開け~

    1940年代から会計事務所がコンサルティングの主力サービスとしたのは、会計システム等を使ったシステムコンサルティングでした。会計事務所がシステム分野からコンサルティングに再参入した歴史の背景には、当時まさに誕生を迎えようとしていた電子式コンピューターの存在がありました。 IBMのパンチカードシステムの普及が、コンピューターの商業利用拡大の一因になっていたとは考えられますが、パンチカードシステムという機械式から電子式コンピューターへの発展は、拡大のスピードをさらに加速させたことでしょう。 今回は電子式コンピューター誕生の歴史と、それを利用するシステムコンサルティングの世界で時代の寵児

  • 【コンサル物語】システムコンサルティングを始めた会計士達①~1930年代 IBMの発展~

    マッキンゼーやブーズ・アレン・ハミルトン等のコンサルティング専門会社が約400社も誕生した1930年代とは違い、1940年代から会計事務所がコンサルティングの主力サービスとしたのは、会計システム等を使ったシステムコンサルティングでした。 当時の会計事務所の組織図に現れてきたコンサルティング部門は、例えばプライス・ウォーターハウス(後のPWC)のシステム部のように、サービス内容が非常にわかりやすいものもありました。 会計事務所がシステム分野からコンサルティングに再参入していった歴史を紐解いて行きたいと思いますが、まずは会計業務の分野でシステムがどういう状況だったのか見ておきたいと思い

  • 【コンサル物語】コンサルティング部門の組織化 -1940年代-

    1920年代までにほとんどの大手会計事務所がコンサルティングサービスを提供していましたが、それは独立した部門ではないことが多く、会計監査を行っている部門の一サービスとして提供していることが多かったのです。第二次世界大戦中もしくは戦後に、会計事務所各社はコンサルティングサービスを行う独立した部門を組織化し始めました。 例えば、1942年のアーサー・アンダーセン社(後のアクセンチュア)、1946年のプライス・ウォーターハウス社(後のPWC)、1948年のアーンスト・アンド・アーンスト社(後のEY)などです。会計事務所におけるコンサルティング部門分離の歴史について見ていきたいと思いま

  • 【コンサル物語】なぜできた?会計事務所のコンサルティング再参入 1940年代アメリカ

    1940年にはアメリカのコンサルティング会社は400社にもなっていました。マッキンゼーやブーズ・アレン・ハミルトンなどのコンサルティング専門会社が市場を拡大していた時代です。一方、会計事務所各社は本業の会計監査制度を確立しながら、会社規模を拡大していました。 1930年代の連邦法によってコンサルティングサービスを禁じられた会計事務所ですが、1940年代から少しづつ新たな形でコンサルティングを再開していきました。企業への監査制度の確立で本業を拡大し、顔見知りになった顧客からコンサルティングの相談を受けるということもありました。そこからは後に世界最大のコンサルティング会社にまで巨大化す

  • 【コンサル物語】コンサルティングサービスを禁じられた会計事務所 1930年代アメリカ

    世界恐慌をきっかけにアメリカで制定された銀行法(1933年)、連邦証券法(1933年)、証券取引所法(1934年)といった法律は、コンサルティング業界を大きく転換させるきっかけになりました。それまでコンサルティングサービスを提供してきた銀行や会計事務所がコンサルティングサービスの提供を禁止され、代わりにマッキンゼー社を始めとするコンサルティング専門会社が参入し、1930年に100社程度あった経営コンサルティング会社は、1940年には400社にまで増える結果になりました。これが1930年代のアメリカのコンサルティング業界の一面と言うことができます。 歴史的には、後年、会計事務所はコンサ

  • 【コンサル物語】400社に上るコンサルティング会社が誕生した1930年代アメリカ

    世界恐慌をきっかけにアメリカで制定された銀行法(1933年)、連邦証券法(1933年)、証券取引所法(1934年)といった法律は、コンサルティング業界を大きく転換させるきっかけになりました。20世紀初頭から財務調査や会計システムといったコンサルティングサービスを提供してきた銀行や会計事務所は、これらの法律によりコンサルティング・サービスの提供を禁止され、その空席をマッキンゼー社を始めとするコンサルティング専門会社が奪い合うという構図になっていきました。これが1930年代のコンサルティング業界の一面と言うことができます。 一方歴史的には会計事務所が後年再びコンサルティングに参入をする訳

  • 【コンサル物語】世界恐慌とコンサルティング業界の意外な関係

    未曾有の好景気、狂騒の時代。アメリカの歴史上、1920年代はそのように形容されることが多いと思います。そして、その結末は1929年から始まる世界恐慌です。株価の大暴落、数千行に上る銀行の倒産、25%以上の失業率といったことが起きた時代でした。 1933年にアメリカ合衆国第32代大統領に就任した、フランクリン・ローズヴェルト大統領の元、矢継ぎ早に打たれたニューディール政策。政策の一環として施行されたいくつかの法律や規制により、当時のコンサルティング業界は副次的に大きな影響を受けました。そして、コンサルティング会社の勢力図が大きく変わるきっかけにもなりました。今回は、世界恐慌をきっかけに

  • 【コンサル物語】小説『華麗なるギャツビー』(フィツジェラルド)〜20世紀初頭のアメリカを描いた文学作品〜

    20世紀初頭のアメリカではシカゴやニューヨークを中心に、後に巨大コンサルティング会社となる会計事務所や経営エンジニアリング会社が誕生しました。第一次世界大戦とその後の好景気に象徴される時代でした。前2回に続きそのような時代のアメリカやアメリカ人を描いた文学作品を見ていきたいと思います。 今回は1920年代のアメリカを代表する作品『華麗なるギャツビー』を取り上げたいと思います。原作の『The Great Gatsby』は日本でも多くの翻訳版が出ておりますが、今回は大貫三郎氏の翻訳版(角川文庫)をもとに書いています。 狂騒の20年代を文学作品として描いたこの作品の名は、文学の世界に留ま

  • 【コンサル物語】小説『ケインとアベル』(ジェフリー・アーチャー)〜20世紀初頭のアメリカを描いた文学作品〜

    20世紀初頭のアメリカではシカゴやニューヨークを中心に、後に巨大コンサルティング会社となる会計事務所や経営エンジニアリング会社が誕生しました。第一次世界大戦とその後の好景気に象徴される時代でした。前回の『武器よさらば』に続きそのような時代のアメリカやアメリカ人を描いた文学作品を見ていきたいと思います。 今回取り上げる作品は、ジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』です。 作品は20世紀初頭のヨーロッパとアメリカから始まり、特に作品の前半部分では1929年の世界恐慌までのアメリカ現代史に沿ったストーリーが展開されています。作品の概要について文庫本の背表紙からの拝借ではありますが

  • 【コンサル物語】『武器よさらば』(ヘミングウェイ)〜20世紀初頭のアメリカを描いた文学作品〜

    20世紀初頭のアメリカではシカゴやニューヨークを中心に、後に巨大コンサルティング会社となる会計事務所や経営エンジニアリング会社が誕生しました。第一次世界大戦とその後の好景気に象徴される時代でした。今回はそのような時代のアメリカやアメリカ人を描いた文学作品を見ていきたいと思います。 最初にご紹介するのは、ノーベル文学賞作家でもあるアーネスト・ヘミングウェイ(1899〜1961)の『武器よさらば』です。 作品の舞台は第一次世界大戦中(1918年頃)のイタリア、スイスではありますが、主人公フレデリック・ヘンリーは志願してイタリアに従軍した20代のアメリカ人です。ブーズ・アレン・ハミルトン

  • 【コンサル物語】20世紀初頭(1900年〜1920年代)のBig4コンサルティング事情②(ルーツとなる会計事務所の発展)

    1913年に最後発のアーサー・アンダーセンがシカゴに会計事務所を開設したことで、100年後の21世紀にBig4と呼ばれるコンサルティング会社のルーツとなる会計事務所がアメリカに出揃ったことになります。これらの会計事務所は本業の監査業務の増加に加えて、税務顧問、財務調査サービス、原価計算等の会計・財務アドバイザーといったコンサルティング業務の仕事も手広く始めました。当時の企業を取り巻く背景や各社の成長の歴史を見ていきたいと思います。 主にニューヨークやシカゴから事業を始めたBig4のルーツとなる各社は、アメリカの地方都市の会計事務所の買収や業務提携で拡大していきました。 20世紀初頭

  • 【コンサル物語】20世紀初頭(1900年〜1920年代)のBig4コンサルティング事情①

    21世紀現在、グローバルなコンサルティング会社となっているBig4各社ですが、ルーツとなる会計事務所は20世紀初めのアメリカで既に設立されていました。今回はBig4のルーツとなる会計事務所がアメリカのコンサルティングビジネスにどのように関わっていたのか、その歴史を紹介したいと思います。時代は20世紀初頭の1900年〜1920年代です。 2002年のアーサー・アンダーセン消滅後、大手会計事務所をルーツにもつコンサルティング会社はBig4と呼ばれる4社(PWC・Deloitte・KPMG・EY)になりました。一方で20世紀初頭のアメリカではBig4のルーツとなる8つの事務所が既にトップ1

  • 【コンサル物語】1920年代 経営コンサルティングのルーツはシカゴに

    第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは未曾有の好景気に湧きました。 第一次世界大戦後のアメリカは、共和党政権の下で経済的繁栄に向けて企業活動を発展させるさまざまな政策を展開した。企業の利益を第一に優先した政策の影響もあり、1920年代のアメリカは空前の好景気を享受することになった。 1929年中頃まで全体として景気の拡大は続き、1921年〜1929年にかけて国民所得は1.6倍になった。このような好景気を支えたのは自動車や家電製品といった新しい耐久消費財の普及であった。 国民の消費社会が頂点に達した背後では提供する企業側にも大きな変化が見られた。1920年代には企業統合の動き

  • 【コンサル物語】シカゴから生まれた巨大戦略コンサルの話〜マッキンゼー、ブーズ〜

    コンサル物語にとって20世紀前半のシカゴは非常に興味深い都市です。なぜなら当時のシカゴから発祥した会社の中には、アーサー・アンダーセン以外にも20世紀後半以降アメリカのコンサルティング業界で巨人となる会社があるからです。戦略コンサルティング・ファームと呼ばれるようになるマッキンゼー・アンド・カンパニー社やブーズ・アレン・ハミルトン社がその代表です。両社に関する歴史を見ていきたいと思います。 20世紀前半のシカゴで自身の名を冠した事務所を設立した、アーサー・アンダーセン、ジェームズ・オスカー・マッキンゼー、エドウィン・ジョージ・ブーズの3人が生まれたのは、アンダーセンが1885年、ブー

  • 【コンサル物語】第一次世界大戦

    アーサー・アンダーセンがシカゴのウェスト・モンロー・ストリートに会計事務所を開設したおよそ半年後、1914年7月、第一次世界大戦が始まりました。 この戦争は皮肉にもアメリカ社会でプライス・ウォーターハウスやアーサー・アンダーセンといった会計事務所の地位を向上させ、1920年代の発展へと繋がる足掛かりとなりました。今回はその歴史に迫りたいと思います。 アメリカが第一次世界大戦に関わっていく歴史はおよそ次のようなものです。 1914年7月に始まった戦争に対してアメリカは最初中立を保っていた。当時のアメリカには、イギリス系、ドイツ系、フランス系等の移民がいたため、ドイツ・オーストリア

  • 【コンサル物語】行く末は世界最大のコンサルティング会社〜アーサー・アンダーセン会計事務所誕生〜

    1913年12月1日、アーサー・アンダーセンは、自身の名を冠し、60年後の今日、世界中にその名を知られることになる会社を設立した。この会社の成功は、創業者のビジョン、勇気、誠実さ、リーダーシップ、そして創業当初から会社の方針を決定するために設定した高い基準によるところが大きい。 『THE FIRST SIXTY YEARS 1913-1973』(ARTHUR ANDERSEN & CO.) これは1973年に発行されたアーサー・アンダーセン会計事務所の社史の冒頭部分です。 60年後の今日、つまり1970年代前半には世界中で事業を行い、コンサルティング分野では世界最大の会社に

  • 【コンサル物語】シカゴ郊外エバンストンのノースウェスタン大学

    1911年にミルウォーキーのシュリッツ社でコントローラー(経理部長、経営管理担当など)として働きながら、アーサー・アンダーセンはシカゴ郊外ノースウェスタン大学での講座も担当していました。 16歳で両親を亡くし孤児になったアンダーセン氏は、23歳でシカゴ最年少で会計士試験に合格すると、続けて同年ノースウェスタン大学に入学、大学では1911年(26歳)に助教授、1915年(30歳)に教授にまで登りつめました。 今回はアンダーセン氏の大学時代初期の歴史について、簡単ではありますが紐解いておきたいと思います。アメリカでは大学教授が専門分野を活かしてコンサルティングビジネスを行うことは珍しく

  • 【コンサル物語】孤児から会計士に

    1882年にノルウェーからの移民としてアメリカ中西部の町に移住してきたアンダーセン一家に、3年後男の子が生まれアーサーと名付けられました(※)。後に世界最大のコンサルティング会社となるアーサー・アンダーセン・アンド・カンパニーを設立する人物です。 ※アーサーは8人兄弟の4番目 16歳で両親を亡くし孤児となったアーサーですが、真面目に働きながら夜間の学校に通い一生懸命勉強をしていました。孤児のアーサーを雇ってくれた会社では、経理部長にまで出世していました。経理の仕事に関わっていく中で知った会計士という職業につけば、ずっと良い給料を手にすることができることもあり会計士になりたいと思

  • 【コンサル物語】反逆児、嫌われ者、自信家

    このタイトルが示すのは、ある人物とその人物が設立した組織を評した言葉の一部です。それはアーサー・アンダーセンその人であり、彼がシカゴで設立したアーサー・アンダーセン会計事務所を指しています。コンサルティングの歴史、特にBig4会計事務所(Deloitte・PWC・KPMG・EY)のコンサルティングの歴史を紐解くうえで、外すことはできない人物であり会計事務所です。 アーサー・アンダーセンがコンサルティングの歴史にどう関わっていたか、歴史の細部に入る前にアーサー・アンダーセンとは何者なのか、その全体感に触れておきたいと思います。 アーサー・エドワード・アンダーセン(Arthur

  • 【コンサル物語】会計コンサルの胎動 in シカゴ

    19世紀後半にアメリカ合衆国の鉄道、道路、水路の中継地として大発展を遂げたシカゴでは、産業の発展とともに会計業務の重要性が認識され始めました。(シカゴの所在地である)イリノイ州では1903年に公認会計士制度が定められ、会計の専門家による産業振興のバックアップが進められました。 シカゴでは20世紀前半の1910年代、20年代に会計事務所や会計をルーツとするコンサルティングが大きく発展した歴史があります。例えば、アーサー・アンダーセン会計事務所(後のアクセンチュア)であり、マッキンゼー・アンド・カンパニーです。シカゴの人口が全米第2位になっていた1890年から1910年頃までの世紀を

  • 【コンサル物語】19世紀末のシカゴを描いた文学

    1890年代、シカゴの人口は100万人を超え、ニューヨークに次ぐ第二の都市に成長していました。そのスピードは驚異的で、成長が留まる様子はありません。その様子を当時の文学作品から見てみたいと思います。 1890年代のシカゴを舞台にした作品に、アメリカ人作家セオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』があります。1900年に出版された小説です。アメリカ中西部の田舎からシカゴに出てきた18歳のキャリーが、都会の華やかな魅力に取りつかれながら、シカゴ、ニューヨークで舞台女優として成功していくなかで、大都会の光と影を描いた物語。日本語訳は岩波文庫から上下巻で出版され、上巻はシカゴ、下巻はニ

  • 【コンサル物語】シカゴ

    19世紀末から20世紀初頭、アメリカの大手会計事務所は監査業務に加え、財務調査や、会計業務に関わるコンサルティング業務を始めました。コンサル物語でも少し前に触れた通り、当時のアメリカで、コンサルティングはボストンのMIT技術者から始まり、フィラデルフィアのフレデリック・テイラー等も歴史的に有名な話です。では、会計事務所を中心とした財務調査や会計コンサルティングとはどこで行われていたのか。その歴史を紐解いていきたいと思います。 一つの解釈に、それがアメリカ中西部の大都市シカゴを中心に行われていたというものがあります。『The World's Newest Profession』(ク

  • 【コンサル物語】アメリカン・コンサルティング②(19世紀末〜20世紀初頭の会計コンサルティング)

    19世紀末、アメリカ社会は経済活動の多様化を受け、新たな中産階級の登場やホワイトカラー事務職が急増しました。『アメリカの歴史』(有賀夏紀・油井大三郎 編)では次のように説明されています。 都市化が進み、巨大株式会社が誕生し、専門化が進行する19世紀末になると、企業の会計・販売担当の事務職や管理職、技術者、法律家などのインテリ層が中産階級に加わった。 市場経済の浸透は、より多くの所得を求める女性の労働参加を促した。経済活動の多様化に伴って、これまであったブルーカラー的な職種のほかに、店員、タイピスト、帳簿係、事務員、といったホワイトカラー事務職が急増し、それらの多くが女性によって

  • 【コンサル物語】アメリカン・コンサルティング①(19世紀末~20世紀初頭)

    19世紀後半にイギリスからアメリカに渡った会計事務所、会計士達は、好調なアメリカ経済に支えられたこともありアメリカで事業を拡大していきました。手にかける仕事の範囲も広げ、会計システム業務などの新しい分野に進出し、革新的な仕事を受けるところも出てきました。そのような仕事のなかには、後の経営コンサルティングにつながるものもありました。 アメリカのビジネス界で生きていくため、イギリスでの伝統的な会計事務所の流儀をアメリカ流に変えていくことも求められました。ロンドンでは座って待っていても仕事が舞い込んで来ましたが、ニューヨークではそうはいきません。マーケティングやプロモーションを試みて事

  • 【コンサル物語】会計士、海を渡る②(アメリカ進出)

    南北戦争(1861〜1865年)後、アメリカは急速に成長する産業大国として台頭してきました。1870年代や特に1880年代を通じて、イギリスの資本家達は堅調なアメリカ経済に多額の投資を行いました。彼らの経済的利益を守るため、資本家達はイギリス(イングランド、スコットランド)の会計事務所に対して、アメリカへ定期的に訪問することを要求してきました。そこにはどのような背景があったのでしょうか? 19世紀におけるイギリス資本主義の構造変化により、イギリス国内では地方の大土地所有者による金融資産への投資が増え、その投資先としてアメリカ企業が対象になっていたことはご説明した通りです。投資先と

  • 【コンサル物語】会計士、海を渡る①

    19世紀後半、世界の工場の座からイギリスは陥落しました。代わってその座に着いたのはアメリカでした。アメリカの成長は著しく、ヨーロッパを中心に新大陸へ人と資本が流入していました。アメリカの産業の発展を受け、イギリスで成功した会計事務所の中にはアメリカでの事業を拡大していくところが少なからずありました。その歴史に触れる前に当時の時代背景を見ておきたいと思います。 当時のイギリス産業や経済状況について『近代イギリスの歴史』(木畑洋一/秋田茂)では次のように書かれています。 19世紀後半にはイギリス資本主義の構造変化と、世界経済全体の再編が起こった。アメリカ、ドイツなどの急速な工業

  • 【コンサル物語】19世紀Big4の仕事は、破産処理、帳簿管理、監査、少しの経営コンサル

    19世紀半ばに設立された会計事務所には21世紀にBig4として存続しているところもあります。1880年代に840ヶ所も存在していたロンドンの会計事務所の中からBig4として生き残った会計事務所にはどのような特徴があったのでしょう。1849年に事務所を設立したプライス・ウォーターハウスの仕事内容に迫っていきたいと思います。 1850年代~60年代に一気に増えた会計士ですが、彼らの仕事の多くは会計知識を活かした破産処理と帳簿管理でした。時代は株式会社ブームだったので、イギリス国内では沢山の株式会社が設立されましたが、それは破産する会社の激増も伴い、1860年代には1万社を超える会社の

  • 【コンサル物語】Big4の誕生(プライス・ウォーターハウス)と19世紀会計士の年収事情

    1840年代、50年代には今日のBig4ファームに通じる会計事務所がロンドンにいくつか誕生しています。その中からプライス・ウォーターハウス(後のPWC)誕生の歴史を見ていきたいと思います。 1849年12月24日(月)サミュエル・ローウェル・プライスは友人のウィリアム・エドワーズとのパートナーシップ※を解消しロンドンで会計事務所を始めることになりました。これがプライス・ウォーターハウス(PW)会計事務所の誕生と位置づけられています。プライス28歳のときでした。 ※パートナーシップは共同出資で運営される組織形態の一種です。定義調に言うと二人以上の人間が金銭、労務、技術等を出資す

  • 【コンサル物語】会計士誕生の歴史④〜文学作品に見る会計士 『人間の絆』編〜

    シャーロック・ホームズシリーズに登場する会計士をご紹介しましたが、描写があまりに少なすぎて会計士の様子を知るには想像の域を超えません。そこでもう一作品、20世紀前半のイギリスを代表する作家サマセット・モームの自伝的小説『人間の絆』を紹介します。この作品では19世紀末のロンドンの会計事務所の様子が描かれており、当時の会計士の様子を知ることができる貴重な文学作品です。小説からの引用を行いながらご紹介したいと思います。 引用部分は全て行方昭夫氏の翻訳版(岩波文庫)からとさせていただきました。 ちなみにこの作品は会計士が主役の小説ではありません。主人公フィリップの青春時代を描いた作品

  • 【コンサル物語】会計士誕生の歴史③〜文学作品に登場する会計士〜

    19世紀のイギリスで生まれた会計士という職業。産業の発展を支える将来性のある職業ではありましたがまだまだ地位は低く、国のお墨付き(勅許)を得て地位向上を目指そうと当時の会計士達は奮闘していました。前回は歴史書などから会計士の評判をご紹介しましたが、今回は目線をもっと身近にして、当時の文学作品に登場する会計士から世間一般の認識に迫ってみたいと思います。 最初にご紹介するのは、多くの方がご存じの探偵小説の名作『名探偵シャーロック・ホームズ』シリーズです。ホームズシリーズで描かれている時代は19世紀後半のロンドンが中心ですので、まさにコンサル物語の題材にふさわしい文学作品です。 ホ

  • 【コンサル物語】会計士誕生の歴史②〜19世紀会計士の評判〜

    19世紀イギリス産業が置かれた状況から必要に迫られて誕生した会計士という職業。今の日本人からすると会計士は立派な職業の一つであることに異を唱える人は少ないでしょう。しかも最難関の一つと言われる国家試験を突破しないと名乗ることができない職業であり、選ばれた人が就けるものです。ところが19世紀の会計士の扱いは必ずしもそうではなかったようです。 19世紀のイギリスでは会計士に向けられる視線は冷ややかなものでした。当時の会計士を評した言葉をいくつかご紹介すると、「会計士という言葉はいかがわしい職業に携わる人々が良く使う言葉だ」、「会計士は自分の行動に責任をもたない人間」、「会計士と呼ばれ

  • 【コンサル物語】Big4を作った男達①〜19世紀イギリス〜

    今でこそBig4コンサルとしてコンサルティング業界で確固たる地位を築いているBig4各社(Deloitte・PWC・EY・KPMG)ですが、会社としての始まりをたどっていくと19世紀のイギリスにさかのぼることになります。この時代に会計士という職業が誕生し、ロンドン市街に構えたいくつかの個人事務所は、後々数十万人を抱える巨大組織(Big4)へと成長していきます。そこで数回に渡り、19世紀のイギリスで会計士が誕生した背景や当時の会計士の実態を紐解くことでBig4が誕生した歴史に迫りたいと思います。 そもそも19世紀イギリスとはどのような時代だったのでしょうか。イギリス史、会計史に関す

  • 【コンサル物語】アイビーリーグエリートと嫌われ者の自信家

    多くは19世紀(1800年代)半ばに起源をもつBig4の各会計事務所(Deloitte・PWC・EY・KPMG)ですが、コンサル物語は2つの会計事務所のアメリカでの歴史を中心に進めていきます。プライス・ウォーターハウス・クーパース(PWC)とアーサー・アンダーセン(Arthur Andersen)です。なぜこの2社なのか、この2社の歴史を書くことにどのような意味があるのか少し補足しておきます。 1つは、この2社がBig4会計事務所とそのコンサルティング事業におけるキープレーヤーだということです。プライス・ウォーターハウス・クーパースは、19世紀半ばのロンドンで設立されたプライス・

  • 【コンサル物語】Big4会計事務所

    コンサル業界で仕事をしていたり、コンサル業界への就職や転職を考えている方は、Big4会計事務所やBig4コンサルがどういうものか大体想像がつくと思います。でもそういった人は非常に限られた範囲の方々で、多くの人にとっては、Big4?グローバル会計事務所?というのが普通ではないでしょうか。また、なぜ会計事務所が経営コンサルで幅を利かせているのかもよく分からないのではないでしょうか。Big4の歴史を紐解く前にBig4会計事務所について簡単に触れておきたいと思います。 Big4は19世紀半ば頃にロンドンを中心に誕生した歴史をもつグローバル会計事務所です。今では実態は一つの会社ではなく、各

  • 【コンサル物語】コンサルティングの歴史を紐解く視点

    コンサルティング会社や業界の歴史・成り立ちを追って行きたいと思いますが、グローバルで見たときに現在どういう会社が売上ランキング上位にいるのかご存じでしょうか?少し調べましたのでその結果をご紹介したいと思います。(少し調べ始めたところこれが非常に難しいと分かり後悔しましたが、何とか形になりました) 経営やIT分野でコンサルティングサービスを専門にしている純粋なコンサルティング会社は数字が拾いやすいのでしょうが、大手会計事務所のように一つの会社の中で会計、税務、コンサルといった事業を展開していてコンサル分野の明確な線引きが難しい会社(しかも規模が馬鹿でかいので無視できない)もあるので

  • 【コンサル物語】私が歴史物語を書く理由

    ちょうど1年ぐらい前にとても面白い本を読みました。『帳簿の世界史』です。南カリフォルニア大学の歴史学部教授ジェイコブ・ソール氏(HIST Faculty Profile > Department of History > USC Dana and David Dornsife College of Letters, Arts and Sciences)が会計・帳簿の歴史を一般向けに描いたもので、専門書とは全く違う物語の世界がそこに描かれていました。歴史と会計の面白さがいっぱい詰まったその本を毎日夢中になって読んだことを覚えています。 会計・帳簿業務に係わるすべての経

  • 戦略コンサルに与えた脅威 Big4会計事務所のコンサル拡大

    さて、1960年代のアメリカ会計士業界ではプライス・ウォーターハウス(後のPWC)にとってアーサー・アンダーセン(2002年消滅、コンサル部門はアクセンチュアとして存続)の躍進はかつての同僚の成功という誇りから次第に脅威へと変わっていきましたが、Big4(当時はBig8)会計事務所の各社がコンサル部門を成長させ始めていたこの時代、後に戦略コンサルティングファームと呼ばれるようになる経営コンサル専門会社にとっても会計事務所のコンサル拡大は脅威に映っていたようです。 最初に1960年頃のアメリカで経営コンサルティング業界がどのような状況だったのか、概観を簡単にご説明したいと思います。

  • エリート会計事務所(プライス・ウォーターハウス)が認めた圧倒的ライバル(アーサーアンダーセン)1960年代のアメリカコンサル業界

    コンサル物語 コンサルの成り立ち、コンサルの歴史を知りたい人向けにコンサル誕生からの物語を書いてます consul-history.hatenablog.com 前回、前々回に書いたように、1960年代のBig4会計事務所のコンサル部門について、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)とアーサー・アンダーセン(2002年消滅、コンサル部門はアクセンチュアとして存続)の状況はかなり対称的でした。プライス・ウォーターハウスは会計事務所であることにこだわる一方、アンダーセンは会計事務所とコンサルティング・ファームの両立を実践していました。 両者の考え方の違いは会社の

  • Big4会計事務所のコンサル拡大 1960年代 アーサー・アンダーセン

    1960年にはBig4(当時はBig8)のなかで売上2位にまで大躍進したアーサー・アンダーセンですが、その勢いは1960年代も止まることはなかったようです。 ビッグ8ランキング(1960年) ※会計事務所(監査+税務+コンサル)での売上順 参考資料:『闘う公認会計士』 アーサー・アンダーセン会計事務所はエンロン事件を経て2002年に消滅していますのでご存じない方が多いかもしれませんが、アクセンチュアと言えば分かりますね。アクセンチュアは元はアーサー・アンダーセンのコンサル部門(1942年部門設立、1989年分社化)から始まっています。 数字を見ると拡大の凄さが一目瞭然です

  • Big4会計事務所でのコンサル拡大の難しさ 1960年代のPWC

    前回はコンサル物語のここまでのあらすじを振り返りましたが、今回から物語をどんどん進めていきたいと思います。 コンサル物語 コンサルの成り立ち、コンサルの歴史を知りたい人向けにコンサル誕生からの物語を書いてます consul-history.hatenablog.com 1960年代、Big4コンサルは1950年代から続くシステムコンサルティングをますます拡大していきましたが、事務所の売上拡大につながっている一方で、会計事務所がコンサルティングを推進するにつれ様々なことが起こり始めました。 1960年代にはアメリカの大企業上位500社の半分

  • コンサル物語ここまでのあらすじ

    コンサル物語 コンサルの成り立ち、コンサルの歴史を知りたい人向けにコンサル誕生からの物語を書いてます consul-history.hatenablog.com 21世紀にコンサルファームとして巨大化しているBig4(PWC・Deloitte・KPMG・EY)。各社、母体となっている会計事務所の本業である監査業務の規模にコンサル業務が肩を並べているか、すでに監査業務の規模を超えています。 コンサル物語はBig4コンサルが150年以上続く会計事務所の長い歴史の中でどのように発展してきたかを描いた物語です。ルーツや発展の歴史を知ることで、Big4コンサルのことをよ

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