今夏初めて、セミの鳴き声を聞いた。すでに当地は気象庁から梅雨明けが発表されているが、自然(神)はセミにその役目を与えていると頑なに信じている老生は、この日を凝っと待っていた。セミの梅雨明け宣明
毎年夏になると、宿命的な夫婦間トラブルが2つ、必ず発生していた。そのひとつは、夜間のエアコンの温度設定に因るものだった。大の暑がり屋の連れ合いは、設定温度が低めでないと眠れない。対する私は皮下脂肪が少なく、発汗によって体温を下げる体質、設定温度が高めでないと、夜中に寒さを感じて目が覚めてしまう。正反対の体質だから、なかなか双方満足する温度設定は不可能で、どちらかが快適なら相棒は不快のシーソーゲーム。それで、不倶戴天の仇同士のような間柄になってしまう。ところが夫婦共に老いたら、双方自律神経の働きに変化を生じたのか感覚が鈍くなったのか、設定温度を妥協することができるようになってきた。これで、ひとつの諍いの種は、解消に向かっている。ところがもうひとつの紛争の種が、厳然と今も2人の間に居座っている。それは網戸の問...紛争の種
お米と淡水魚の食文化に興味のある老生、「古代近江の歴史探索」にのめり込んで以来、すっかり鮒ずしに馴染んでしまった。現地に行けない時も、鮒ずしを送ってもらっている。酒の肴にこれがあると嬉しい。初めの頃は、その発酵臭と姿形に怖気を震っていた老妻も、近頃は馴れ、鮒ずしのお茶漬けを食べるまでになった。食に保守的な彼女としては、稀有なことである。鮒ずしを注文する際に、魚体が漬けられていた発酵白米も添えて貰うことにしていて、これで吸い物をつくることを覚えた。老妻の評判も悪くない。発酵白米に、薬味のカイワレを散らして熱湯を注ぐと、微かな鮒と米の旨みに塩味・酸味が調和した、独特の風味の汁が出来上がる。老生は弥生時代の近江の人々も、この吸い物を飲んていたのではないかと推測している。味噌も醤油も知らなかった時代、食事には、即...弥生時代の吸い物考
すでにご案内の【3つのエクササイズ】中の【ハイハイ運動】をやっていて、横着者の老生、気がついた。せっかく床に両手・両足を着けているのに、〈ハイハイ〉だけでは何やら物足りない。奮発して〈プランク〉と〈腕立て伏せ〉を〈ハイハイ運動〉の前後に課してみることにした。マット上で行う体操は、日頃面倒臭くて遣りたがらなかったから、一石三鳥のこのエクササイズ、悦に入って励んでいるが、発想が不純なので効果の程は?・・・小学校時代に教師に嫌われた横着癖だけは、衰えていないようだ。横着体操
その国の国民の大多数が、事大主義(長いものに巻かれること)の傾向を帯びていると、自ずと権威を崇拝し権力に盲従する国民性が出来上がる。権威を慕い権力に従順であることで安心を得たいからである。権威主義を育てるのは、権威を具える当の本人でなく、無数の被支配者、民衆であると見てよいのではないか?何ら権威にも権力にも与ることのない、無力な一般民衆の権威への跪拝の念が、石垣のように積み累なり、権威主義を確固たるものに支えるのだと思う。この国の歴史の時代区分に「古墳時代」があるのは、それほど国内に多数の古墳が築造され、その遺跡が多く出現したからである。私たちの先祖は、祖霊信仰ばかりでなく、権威を崇敬すること尋常でなかったことが推察される。上からの強制だけでは、あのような巨大古墳を多数造りつづけることはできなかったと思う...権威主義
私たちは、その短い人生の途上で、膨大な数のゆきずりの人たちとの出会いと別れを体験している。会ったことも別れたことも露ほども意識しなかった接近である。交誼のあった人たちを凌駕する膨大な数の人たちと接近している。その人たちのそれぞれから見れば、私もその人たちのゆきずりの1人である。そもそも社会活動というものは、人と人との出会いを促すものであるから、人が社会に出れば、人との接触は増える。我が身を顧みるに、幼馴染から始まり、隣近所の知り合い・学校連れ・同僚・仕事仲間・取引先など、比較的長期に亘る篤い誼によって生活が成り立っていた。濃く深い誼から薄く浅い誼まで、それは同心円状に繋がっていた。それと全く同じ時期に、無数の人たちとの、限りなく薄く浅い接触またはすれ違いがあった。「行きずりの縁」の人たちである。存在を互い...ゆきずりの人々
頭の善い人は、問題の核心と其の経路を即座に明察できるものだが、問題の解決となるとそんな単純なものではない。問題には、様々な要因が絡んでいて、それらの要因には欲望・願望から主義・思想・信仰、時には偏見や怨念まで絡んでくるから、一筋縄ではいかない。頭の善し悪しが問題解決能力を左右することは真理だろうが、解決には頭脳の明晰さ以外の多様な能力が必要であると思う。例えば押しの強さとか、度胸・勇気というもの、人情の機微に通じていることも、大きな解決の要素になりうる。小泉農林大臣は度胸がよいと思うがどうだろう。小泉大臣の鮮やかな政治判断には、側近の誰かのシナリオがあったと見られている。農相経験者の野村何某が苦言を呈していたが、これまでの農相ができないことに手を付けたのだから、台本を書き演技指導をした頭のよい人が存在した...世襲政治家の演目とシナリオライター
企業にリソースがあるのと同様、人にもリソースがある。若い頃からその人の努力や幸運によって蓄積された、諸々の経済的・社会的・生物的資源である。知識・技能・技術・人脈・親交・趣味・富・身体・健康・知脳・感性・経歴その他多岐にわたるリソースを活用することで、私たちは仕事と生活を維持して来た。人は80歳を超える頃には、若い頃から蓄え培って来た自身のリソースの殆どを失ってしまう。富は最も重要なリソースのひとつに見えるが、富そのものに個性はなく、生命活動に何ら資するものではない。人のリソースは全て消耗財であって耐久性は無いに等しい。新たにリソースを増やすことも出来ない。増やそうとして投資をしても、成果が必ず出るものでもない。人生に於いては、リソースの再生産は出来ないのである。それに気づかないで、今も過去のリソースに依...リソース
梅雨の間は散歩はできないと諦めていた。スマホで雨雲レーダーの画像をきにしながら歩くのは、何とも面白くない。前線・線状降水帯・気圧の谷・低気圧などが目白押しの気象下の外きは諦めた方が好い。傘を携行して外出すると、ほぼ間違いなく置いて来てしまう。今日は朝から、こんな我儘老人でも散歩したくなる好天に恵まれた。梅雨の最中でも、どうかするとこんな日が、1日や2日はある。ひと月ぶりに佐鳴湖畔への道筋を往復した。伐って伐っても再生するクワノキいつもと違うのは、腸腰筋を使って歩くという、普段と違う歩き方の練習を兼ねていた。昨夜YouTubeで知ったばかりである。オッチョコチョイだから、何事もすぐ試す。気が乗っているから歩行は捗り、湖畔の公園にアッという間に着いた。人の触れ合いを期待させる「ふれあい橋」から、川の上・下流を...佐鳴湖への散歩
朝から降っていた小糠雨がいつの間にかあがっていた。梅雨入りした翌日の静かな夕べ。梅雨の間は、薄暮の晴れ間がとても印象深く好きだ。朝から待っていたこの時、老生早速べランダから降りて、成魚と稚魚各ひと鉢のメダカに餌をやった。雨のため丸一日給餌を停止していた。晴れている日なら、朝晩1回の給餌を忘れない。孵化したばかりの針子の餌は、成魚の餌を成長段階に応じて手づくりのミルで最適の大きさに挽いて与えている。今年は鉢の雨覆いを整備したので、降雨時の稚魚・成魚の流失が改善した。産卵床にはもっぱらホテイアオイの根を切り詰めたものを使っている。この草が越冬できることがわかってから、あれこれ試さなくなった。雨あがり
舊い話で恐縮だが、「違いが分かる」というキャッチコピーがネスカフェ・コーヒーのCMで使われ、その後様々な場で流用された。「違いがわかる人が選ぶネスカフェ」つまり品質が高いことを強調するコピーだったかと思う。其の頃からだろうか?「上質」などという耳慣れない言葉が、CMなどで使われるようになったのは。「違い」には「質の違い」もあるが、「好みの違い」というものがある。この「好みの違い」が人間には大切で、いくら質が優れていても好みが合わないものは駄目である。100人百様の好みに叶うモノなどあるはずも無く、さしもの「質の違い」も、「好みの違い」の前には、アッサリ兜を脱がざるを得ない。コーヒーで言うと解り易い。コーヒーの「質の違い」とは、希少品種とか等級、産地に由るものだが、「好みの違い」となると、飲む人の嗜好が前面...質の違いと好みの違い
無知は無理を生み無茶を育てる。無理と無茶は、無知の申し子である。悲劇の根源は無知にあると、考え続けて来た。この場合、知とは社会(人文)と人間(自然)に対する知識である。学校のカリキュラムで教えられるものではない。かつて都内で、戦前から中華飯店のオーナーだった人が、戦後になって「日本人はムリ・ムチャ・ムキ」の「三ム」だと、雑誌記者に語ったことがあった。戦前の軍国主義、戦後のエコノミックアニマルと揶揄された猛烈な経済活動の数々・・・思い当たる節が多い。鋭い指摘だと思って忘れなかった。昔の趣味の登山では、これを金科玉条にしていた。今日の中国は、共産党指導の下に、ムリ・ムチャ・ムキを押し通そうとしているかに見える。インバウンドのごく普通の中国人と遭遇し行動を目撃した人たちの中から、目に余るマナーや道義心の欠落と民...無理・無茶は無知の申し子
年甲斐もなく伊達の薄着で見栄を張る老生、低温と雨の不順な天候を無視して半袖シャツで過ごす日が多かった。その結果とうとう先月、タチの悪い風邪をひいてしまった。毎日の寒暖差が激しく、自律神経に異常を来していたのだろう。風邪らしいと思うのだが、鼻水が絶え間無く溢れ出て喉はムズムズくすぐったい。痛く腫れないから、熱も出ない。そのうち、クシャミ・咳が出始め、2・3日後には痰を見るようになった。発病当初の2日間ぐらいは微熱が出ていたと思う。日頃免疫力の強化に吝かでない老生も、治りの遅さに、自身の自然治癒力の衰えを痛感した。この風邪は消化器系にも害が及ぶらしく、最悪期には食欲まで低下した。重い症状は御免だが、軽くても長引くのは困りもの。寝込んだのは、一昨年のコロナ以来である。インフルエンザにも罹らず上出来と思っていた矢...伊達の薄着
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今夏初めて、セミの鳴き声を聞いた。すでに当地は気象庁から梅雨明けが発表されているが、自然(神)はセミにその役目を与えていると頑なに信じている老生は、この日を凝っと待っていた。セミの梅雨明け宣明
至近の行楽地、伊良湖岬に昨日行って来た。遠出が出来ない両親に、息子夫婦の企画したドライブ行。今回は孫娘も同行した。伊良湖岬で、数年ぶりに老生の大好物の大アサリ(ウチムラサキ)を食べた。30代の頃、フェリーに乗って鳥羽に渡ったとき伊良湖の桟橋で味を覚えて以来、毎年味わって来た味覚。伊良湖岬に来ると必ず食べずには措ない貝だが、近年水揚げが減っていて、浜松市内での価額はサザエ並み、どうかすると大アサリの方が倍以上の時がある。潮流の速いところに生息する貝だから、採貝の人が減っているのかもしれない。ハマユウの花エビズルは葡萄の仲間。実は食べられる。葉や茎に褐色の毛があるので、ノブドウと間違えることはない。恋路が浜のハマゴウの花が咲き始めていた。晩夏なら、実を採ることに熱中するのだが。恋路ヶ浜「潮騒」の舞台となった「...伊良湖岬・日間賀島
ユーラシア大陸の東南部は、大河によって流域の広闊な平野が潤され、温帯性の気候に恵まれ、農耕に勤しむ性温順な人々が舊くから暮らしていた。農耕は狩猟や牧畜・遊牧に較べ生産力が高く、この地域に富と文明をもたらした。最も富んだ実力者は民を政治的に支配し、王朝が次々に興る。この地域の北方の草原には、遊牧や狩猟を生業とする剽悍で好戦的な民族が多数蟠踞していた。大陸の北西から北東にかけて遊牧を営む幾つかの民族は、大挙して屢々南の農耕民族の生活域に侵入し、掠奪と暴行を恣にしていた。南の農耕民の生産物の収奪なしには、北遊牧民は食糧その他の生活資材に不足を来たすのである。草原を生活の基盤とする遊牧民族にとって、北に向かって耕地を拡げ、放牧地の草原を破壊し蚕食する農民は、彼らにとって不倶戴天の敵であった。定常的な遊牧民族の侵略...過去に学ぶ
メダカの産卵床として利用しているホテイアオイの緑が、瑞々しさを増して来た。南アメリカ原産の植物だから、暑くなると頗る元気になる。適当に間引きしていないと、盛夏には鉢を埋め尽くしてしまう。花が綺麗なので、花を見るまで絶やすわけにはいかない。メダカは伸びた根には産卵しないので、根は定期的に短く切り詰める。盛夏ともなるとメダカの食欲は落ち、産卵も減る。今春還ったメダカたちは親魚の4分の1ぐらいの大きさに育ち、親たちに負けず餌をあさるまでになって来た。成魚の鉢と針子(稚魚)の鉢、大小2つの鉢を、餌やりの度に毎朝覗く。暑くなりそうな日と雨の日は、シェードを掛ける。元気に泳ぐメダカとホテイアオイの旺盛な生命力に触れ、1日が始まる。ホテイアオイ
毎年夏になると、宿命的な夫婦間トラブルが2つ、必ず発生していた。そのひとつは、夜間のエアコンの温度設定に因るものだった。大の暑がり屋の連れ合いは、設定温度が低めでないと眠れない。対する私は皮下脂肪が少なく、発汗によって体温を下げる体質、設定温度が高めでないと、夜中に寒さを感じて目が覚めてしまう。正反対の体質だから、なかなか双方満足する温度設定は不可能で、どちらかが快適なら相棒は不快のシーソーゲーム。それで、不倶戴天の仇同士のような間柄になってしまう。ところが夫婦共に老いたら、双方自律神経の働きに変化を生じたのか感覚が鈍くなったのか、設定温度を妥協することができるようになってきた。これで、ひとつの諍いの種は、解消に向かっている。ところがもうひとつの紛争の種が、厳然と今も2人の間に居座っている。それは網戸の問...紛争の種
お米と淡水魚の食文化に興味のある老生、「古代近江の歴史探索」にのめり込んで以来、すっかり鮒ずしに馴染んでしまった。現地に行けない時も、鮒ずしを送ってもらっている。酒の肴にこれがあると嬉しい。初めの頃は、その発酵臭と姿形に怖気を震っていた老妻も、近頃は馴れ、鮒ずしのお茶漬けを食べるまでになった。食に保守的な彼女としては、稀有なことである。鮒ずしを注文する際に、魚体が漬けられていた発酵白米も添えて貰うことにしていて、これで吸い物をつくることを覚えた。老妻の評判も悪くない。発酵白米に、薬味のカイワレを散らして熱湯を注ぐと、微かな鮒と米の旨みに塩味・酸味が調和した、独特の風味の汁が出来上がる。老生は弥生時代の近江の人々も、この吸い物を飲んていたのではないかと推測している。味噌も醤油も知らなかった時代、食事には、即...弥生時代の吸い物考
すでにご案内の【3つのエクササイズ】中の【ハイハイ運動】をやっていて、横着者の老生、気がついた。せっかく床に両手・両足を着けているのに、〈ハイハイ〉だけでは何やら物足りない。奮発して〈プランク〉と〈腕立て伏せ〉を〈ハイハイ運動〉の前後に課してみることにした。マット上で行う体操は、日頃面倒臭くて遣りたがらなかったから、一石三鳥のこのエクササイズ、悦に入って励んでいるが、発想が不純なので効果の程は?・・・小学校時代に教師に嫌われた横着癖だけは、衰えていないようだ。横着体操
その国の国民の大多数が、事大主義(長いものに巻かれること)の傾向を帯びていると、自ずと権威を崇拝し権力に盲従する国民性が出来上がる。権威を慕い権力に従順であることで安心を得たいからである。権威主義を育てるのは、権威を具える当の本人でなく、無数の被支配者、民衆であると見てよいのではないか?何ら権威にも権力にも与ることのない、無力な一般民衆の権威への跪拝の念が、石垣のように積み累なり、権威主義を確固たるものに支えるのだと思う。この国の歴史の時代区分に「古墳時代」があるのは、それほど国内に多数の古墳が築造され、その遺跡が多く出現したからである。私たちの先祖は、祖霊信仰ばかりでなく、権威を崇敬すること尋常でなかったことが推察される。上からの強制だけでは、あのような巨大古墳を多数造りつづけることはできなかったと思う...権威主義
私たちは、その短い人生の途上で、膨大な数のゆきずりの人たちとの出会いと別れを体験している。会ったことも別れたことも露ほども意識しなかった接近である。交誼のあった人たちを凌駕する膨大な数の人たちと接近している。その人たちのそれぞれから見れば、私もその人たちのゆきずりの1人である。そもそも社会活動というものは、人と人との出会いを促すものであるから、人が社会に出れば、人との接触は増える。我が身を顧みるに、幼馴染から始まり、隣近所の知り合い・学校連れ・同僚・仕事仲間・取引先など、比較的長期に亘る篤い誼によって生活が成り立っていた。濃く深い誼から薄く浅い誼まで、それは同心円状に繋がっていた。それと全く同じ時期に、無数の人たちとの、限りなく薄く浅い接触またはすれ違いがあった。「行きずりの縁」の人たちである。存在を互い...ゆきずりの人々
頭の善い人は、問題の核心と其の経路を即座に明察できるものだが、問題の解決となるとそんな単純なものではない。問題には、様々な要因が絡んでいて、それらの要因には欲望・願望から主義・思想・信仰、時には偏見や怨念まで絡んでくるから、一筋縄ではいかない。頭の善し悪しが問題解決能力を左右することは真理だろうが、解決には頭脳の明晰さ以外の多様な能力が必要であると思う。例えば押しの強さとか、度胸・勇気というもの、人情の機微に通じていることも、大きな解決の要素になりうる。小泉農林大臣は度胸がよいと思うがどうだろう。小泉大臣の鮮やかな政治判断には、側近の誰かのシナリオがあったと見られている。農相経験者の野村何某が苦言を呈していたが、これまでの農相ができないことに手を付けたのだから、台本を書き演技指導をした頭のよい人が存在した...世襲政治家の演目とシナリオライター
企業にリソースがあるのと同様、人にもリソースがある。若い頃からその人の努力や幸運によって蓄積された、諸々の経済的・社会的・生物的資源である。知識・技能・技術・人脈・親交・趣味・富・身体・健康・知脳・感性・経歴その他多岐にわたるリソースを活用することで、私たちは仕事と生活を維持して来た。人は80歳を超える頃には、若い頃から蓄え培って来た自身のリソースの殆どを失ってしまう。富は最も重要なリソースのひとつに見えるが、富そのものに個性はなく、生命活動に何ら資するものではない。人のリソースは全て消耗財であって耐久性は無いに等しい。新たにリソースを増やすことも出来ない。増やそうとして投資をしても、成果が必ず出るものでもない。人生に於いては、リソースの再生産は出来ないのである。それに気づかないで、今も過去のリソースに依...リソース
梅雨の間は散歩はできないと諦めていた。スマホで雨雲レーダーの画像をきにしながら歩くのは、何とも面白くない。前線・線状降水帯・気圧の谷・低気圧などが目白押しの気象下の外きは諦めた方が好い。傘を携行して外出すると、ほぼ間違いなく置いて来てしまう。今日は朝から、こんな我儘老人でも散歩したくなる好天に恵まれた。梅雨の最中でも、どうかするとこんな日が、1日や2日はある。ひと月ぶりに佐鳴湖畔への道筋を往復した。伐って伐っても再生するクワノキいつもと違うのは、腸腰筋を使って歩くという、普段と違う歩き方の練習を兼ねていた。昨夜YouTubeで知ったばかりである。オッチョコチョイだから、何事もすぐ試す。気が乗っているから歩行は捗り、湖畔の公園にアッという間に着いた。人の触れ合いを期待させる「ふれあい橋」から、川の上・下流を...佐鳴湖への散歩
朝から降っていた小糠雨がいつの間にかあがっていた。梅雨入りした翌日の静かな夕べ。梅雨の間は、薄暮の晴れ間がとても印象深く好きだ。朝から待っていたこの時、老生早速べランダから降りて、成魚と稚魚各ひと鉢のメダカに餌をやった。雨のため丸一日給餌を停止していた。晴れている日なら、朝晩1回の給餌を忘れない。孵化したばかりの針子の餌は、成魚の餌を成長段階に応じて手づくりのミルで最適の大きさに挽いて与えている。今年は鉢の雨覆いを整備したので、降雨時の稚魚・成魚の流失が改善した。産卵床にはもっぱらホテイアオイの根を切り詰めたものを使っている。この草が越冬できることがわかってから、あれこれ試さなくなった。雨あがり
舊い話で恐縮だが、「違いが分かる」というキャッチコピーがネスカフェ・コーヒーのCMで使われ、その後様々な場で流用された。「違いがわかる人が選ぶネスカフェ」つまり品質が高いことを強調するコピーだったかと思う。其の頃からだろうか?「上質」などという耳慣れない言葉が、CMなどで使われるようになったのは。「違い」には「質の違い」もあるが、「好みの違い」というものがある。この「好みの違い」が人間には大切で、いくら質が優れていても好みが合わないものは駄目である。100人百様の好みに叶うモノなどあるはずも無く、さしもの「質の違い」も、「好みの違い」の前には、アッサリ兜を脱がざるを得ない。コーヒーで言うと解り易い。コーヒーの「質の違い」とは、希少品種とか等級、産地に由るものだが、「好みの違い」となると、飲む人の嗜好が前面...質の違いと好みの違い
無知は無理を生み無茶を育てる。無理と無茶は、無知の申し子である。悲劇の根源は無知にあると、考え続けて来た。この場合、知とは社会(人文)と人間(自然)に対する知識である。学校のカリキュラムで教えられるものではない。かつて都内で、戦前から中華飯店のオーナーだった人が、戦後になって「日本人はムリ・ムチャ・ムキ」の「三ム」だと、雑誌記者に語ったことがあった。戦前の軍国主義、戦後のエコノミックアニマルと揶揄された猛烈な経済活動の数々・・・思い当たる節が多い。鋭い指摘だと思って忘れなかった。昔の趣味の登山では、これを金科玉条にしていた。今日の中国は、共産党指導の下に、ムリ・ムチャ・ムキを押し通そうとしているかに見える。インバウンドのごく普通の中国人と遭遇し行動を目撃した人たちの中から、目に余るマナーや道義心の欠落と民...無理・無茶は無知の申し子
年甲斐もなく伊達の薄着で見栄を張る老生、低温と雨の不順な天候を無視して半袖シャツで過ごす日が多かった。その結果とうとう先月、タチの悪い風邪をひいてしまった。毎日の寒暖差が激しく、自律神経に異常を来していたのだろう。風邪らしいと思うのだが、鼻水が絶え間無く溢れ出て喉はムズムズくすぐったい。痛く腫れないから、熱も出ない。そのうち、クシャミ・咳が出始め、2・3日後には痰を見るようになった。発病当初の2日間ぐらいは微熱が出ていたと思う。日頃免疫力の強化に吝かでない老生も、治りの遅さに、自身の自然治癒力の衰えを痛感した。この風邪は消化器系にも害が及ぶらしく、最悪期には食欲まで低下した。重い症状は御免だが、軽くても長引くのは困りもの。寝込んだのは、一昨年のコロナ以来である。インフルエンザにも罹らず上出来と思っていた矢...伊達の薄着
気象庁は9日「紀伊半島から東海沖の黒潮大蛇行が、5月8日現在見られなくなり、この状態が持続して大蛇行が終息する兆しがある」と発表した。黒潮は、昔から日向灘・豊後水道・土佐湾・紀伊水道・熊野灘・遠州灘・相模灘から鹿島灘へかけて、日本の太平洋側の沿岸を洗い北上するのが普通だった。その黒潮が、熊野灘で沿岸から大きく離れ、遠州灘沖で最も遠い南の海域にまで蛇行すると聞いた時の衝撃は大きかった。東海沿岸に冷水塊というものが出来、それが黒潮の進路を妨げ南に迂回させると知った。大蛇行は、2017年8月以来、紀伊半島から東海沖で大きく離岸して大蛇行の状態となり、2025年4月中旬まで、7年9か月もの長きに亘って続いた。その間、当地遠州灘で上(のぼ)りガツオと称されるカツオの漁獲は、大幅に落ち込んでいた。春から初夏にかけての...黒潮大蛇行の終息
【腸腰筋のメンテナンス】大腰筋だけを鍛えることは難しいが、これと密接な関係にある腸骨筋と共に、腸腰筋(腸骨筋・大腰筋)をトレーニングする方法がいくつかYouTubeで散見された。腸腰筋(腸骨筋・大腰筋)が固くならないよう、長時間歩いたり坐っていた後は、この体操で腸腰筋を弛めておきたいと思う。両足立ちから①片足の太ももを床と平行になるまで軽く揚げ(1・2・3・4)②その脚を後方へ振り出し(2・2・3・4)③反動を利用して膝を折りながら膝を腹部近くまで引きつける(3・2・3・4)④もう一度脚を後方に伸ばし(4・2・3・4)⑤再び膝を腹部に近づけ(5・2・3・4)⑥脚を後ろに伸ばし(6・2・3・4)⑦膝と太ももで反動を吸収しながら(7・2・3・4)⑧床に足を降ろす(8・2・3・4)①から⑧までの動作の中に、弛緩...腸腰筋を調える
加齢に因る筋肉の衰えのパターンを、素人なりに考えてみると、身体の中心の脊柱と大腿骨を繋ぐ長大なインナーマッスル、姿なき大腰筋の存在が、浮かび上がってくる。この筋肉が弱ると、歩いていて膝が十分に揚がらず、躓きやすくなるらしい。転倒の大きな要因かと思う。大腰筋が衰え萎縮すると、それは腰部・腹部・胸部のインナーマッスル群に波及し、アウターマッスル(表層筋)の作動不全に繋がる。大腰筋から痛みが出たときは、痛みの連鎖を免れない。高齢者は大腰筋を鍛えたりストレッチすることが必須だが、実はそれが簡単ではない。大腰筋は、歩く・走る・跳ぶ・跳ねるの運動の初動段階で無意識下で自動的に働く筋肉だが、私たちにはアウターマッスルのように、触れることができないし、存在を認識できない。したがってこの筋肉の動きは実感できない。アウターマ...やっぱり大腰筋が大事
「韜晦」とは、自分の才能・地位などを隠し晦ますこと。また、姿を隠すこと、行くえを晦ますこと。「韜」はかくす。「晦」はくらます。古代以来、中国人の処世術であったらしい。謙虚で奥ゆかしく見えるから、中国文化を導入した日本人もこれに倣う人は尠くなかった。生まれつき自己顕示欲と虚栄心が強く目立ちたがりやの老生、どうもこのタイプとは反りが合わない。自分の才能・地位を知っていながら知らないフリをするのは、一言でいって人が悪いということである。作為的で自己を偽る不明朗な人柄が透けているように思える。「謙遜するのも自慢のうち」ということばがある。自慢したい気持ちを抑えて韜晦していても、どこかでそれは顕れるものだ。パワハラなども、自慢したい気持ちを抑えているから、圧が高まり突然激発してしまうのかもしれない。韜晦という字面そ...韜晦
ストリーミングとは、ファイルをダウンロードしながら、同時に再生をするコンピュータ技術。待ち時間が大幅に減るから、視聴の快適性が向上する。昔からあるテレビ中継も、ストリーミングの一種だった。通常私たちの社会では、事件が発生し終了してから、報道によって一般人は事件の情報に触れ顛末を知る。事件は終了して初めて人々の耳目に触れるものだった。人類数千年の歴史は、そのシークェンスが繰り返されて来た。ストリーミングが常態化した今日の社会は、事件は発生と同時に伝わり、その情報は時事刻々流れる。起こっている事態は逐一端末に届けられ、同時並行していくつかの事件に触れることもできる。私たちは分析も検証のいとまもない情報の流れを慌ただしく見守るだけである。顛末を慥かめた上で事実を考察したり分析したり、念入りに検証を加えることに時...ストリーミング社会
“幼な子の入浴せがむ声のごとブンブブンブと夜も眠れず”日本という国の社会に、歴史的に見て人口の7%もいた有識層、武士(上士・騎乗身分)階層の因循固陋な儒教的価値観が大きく投影されていることは間違いないだろう。彼の階層の統治期間が最も長かったのだからそれは当然であろう。武士(侍)は累代、本領安堵・知行安定を願い、お家大事に主家に仕え、地位・禄高を世襲することで主人に忠節を尽くし、自分と家の子郎党・一族の安泰を図っていた。極めて保守的な価値観を抱く武士が支配した日本の封建社会では、必然的に文武両道に通じることが、男子たるものの必至の目標だった。それは「両道主義」というような慣習を生む。男子の文武両道は、女子の才色兼備の用語に似る。日本の社会の中流の親たちは、我が子女に「文武両道」と「才色兼備」を求めること尋常...文武両道主義
「花博」を終えて一段落の「はままつフラワーパーク」を訪れた。夏季無料期間中だが、この暑さでは来園者の数は少ない。ウォーキング目的だから、花は少なくても苦にならない。暖かい海岸に自生するハマボウが咲いていた。大賀ハスだろうか?まだ咲いていた。モンシロチョウを数多く見た。こちらはツマグロヒョウモン。モンシロチョウよりも警戒心が薄く撮りやすい。食用アザミのアーティチョークを、初めてじっくり観察した。はままつフラワーパーク13
上古の時代、この国には、ヤマト王権に服従しない異端の人々の集団が、生活して居たらしい。彼らに共通するのは、水田稲作農耕を生業としない人々であるところだろうか?その歴史は、先史時代にまで遡るだろう。王権はそれらの人々を、熊襲・隼人・蝦夷・土蜘蛛と呼び、人民の大多数を占める稲作農耕民と区別した。4者のうち前3者は漢語、ひとり土蜘蛛のみが和語であるのは、注目に値する。前3者の名称は一般庶民が呼び習わした呼称でなく、中国の伝統的差別思想に染まったヤマト王権が意識して用いた蔑称である。熊襲・隼人・蝦夷は、狩猟民だったと推定されている。これに対し和語の土蜘蛛は、彼らの存在を知った水田耕作に携わる一般庶民が呼んだものかもしれない。さらのなおそらく王権の官僚は、水田稲作農業を生業としない人々を異種とみなし、嫌悪乃至は侮蔑...「土蜘蛛」考
近頃テレビを見ていて思うのは、ワイドショーの陳腐化が著しいこと。どこの局の番組も、MCの高齢化が進み、出演コメンテーターの顔ぶれに新味が乏しい。その陣容で、当たり障りのない題材を取り上げ、その日その日を恙無く過ごしている感じがする。テレビ業界の徹底した制作コスト削減の波は、ワイドショーのような、元々比較的低コスト(と思われる)番組にまで及んでいるということだろう。このタイプの番組は、もはや時代に合わなく成りつつあるのかもしれない。視聴者に代わってMCが様々な題材に広く興味を示し、それぞれ専門家に解説を求め、コメンテーターの意見を聴き、話題を発展させていく手法の斬新さも、60年も続けば視聴者に飽きられる。インターネットのない時代、1965年に始まったワイドショーは、視聴者に大きな満足感を与えた。しかし今や...ワイドショーの陳腐化
次男家族と信州へ日帰り行をした。遠州が梅雨前線の影響を受けていても、信州まではその影響が及ばないことを、老生は若い頃からの山行で度々体験している。前線というだけあってその幅は案外狭いものだ。孫娘は、全孫中で最年少の小学4年生。その子の兄は中学2年生。この2人の孫と普段会話する機会が少ないので、道中の車内での会話が我々祖父母にはとても嬉しい。次男夫婦もそれを配慮して誘ってくれていると思う。前夜、静岡県内各地には大雨が降ったが、未明に雨は上がっていた。予報を信頼して5:30出発。ここ数年、中信への旅行を累ね、現地の地理に明るくなっている次男夫婦の、今回の目的地は入笠山。浜松からは車で3時間半、国道1号からトンネルの多い中部横断自動車道・中央自動車道とつないで9時に現地に着いた。予想どおり青空が見えていた。老生...信州入笠山
人間何が大切かとあれこれ考えてみたら、先ず自覚が最も大切との結論に至った。自覚無しには、何事も覚束ない。自覚に欠けるということは、船舶や航空機が自位不明の状態で航行や飛行を続けるようなもの、進むべき目標も進路も定められない。人は自覚が足りないと、的外れな行動や言動が出てくる。自分のポジションがわからなくなっているからである。人を育てるということは、その人の自覚を促すことに尽きるように思う。自覚があれば、その人の自発性は正しい方向に向かうだろう。人は他からの強制や誘導によってでなく、自発によって生きるべきであるが、自覚に拠って正しい方向を見定めてもらいたい。自覚したことはいつも念頭に置いておきたい。自覚は書き留めておかないと忘れてしまうものである。その意味で、私は日記をつけている人を尊敬する。私は小学校以来...自覚
人の人生は、大河を泳いで渡るようなものである。大河の流れに逆らうことはできない。水に入った時は対岸の目標地点の景色を目に焼き付けたはずだが、いったん泳ぎ渡り始めると、下流に流され続け、漸く対岸に着いて岸に上がってみると、いまだかつて夢想もしなかった情景を観て絶句する。たじろいでも仕方がない。やり直しは効かない。情況に甘んずるしかないのである。泳ぎ出す前に見た景色は幻だったのか?と我が目を疑う。幻ではない。観たのは実景である。ただ、景色の違うところまで遠く流されてしまったのである。人生は洵に大河を渡るに似ている。めでたく目前の対岸に着くには、常に上流に向かって泳ぎ続けていなければならない。流れに逆らうのだから、気力・体力共に充実していなければ叶わないことだ。誰にでも真似のできることではない。とてもそんなこと...対岸の景色
静岡空港から小型旅客機に乗り、鹿児島空港ヘ降りた。15年も前に開港した県内唯一の空港発便を初めて利用したのだから、飛行機嫌いというか時代遅れも甚だしい。高所と閉所、両方嫌いだから仕様がない。10年前九州に来た時のアクセスは新幹線で、小倉で下り、大分・宮崎を経由して鹿児島に入った。今回は同行した娘夫婦が航空機・宿・レンタカーを全てセットしてくれた2泊3日の5人旅、重い腰を上げ苦手な飛行機に乗ったのには、内緒にしていたが、老生にやむにやまれぬ事情があった。先般、当ブログで負傷と快復の経緯をお知らせした腰の損傷が完治していなかったらしく、その後にしなくてよい肉体労働を小半日やったら、痛みが再発した。霧島と指宿に宿泊すると聴いて、温泉と砂むし温泉併用の湯治効果に期待した老生、一も二もなく率先参加を決めたのだった。...鹿児島行
ネット社会が進化するに従って、人同士の触れ合いの場や人に共感を抱く場と機会が、世の中から急速に減っているのではないかと危惧している。生産性が上がり余暇時間が増え、人々の交流の場が増えているのなら嬉しいが、どうもそう良い方向ばかりではないらしい。共感というものは、人の集まりがあるところで呼び合うものである。仕事を遂行する組織の人員が、省力化やIT化に伴う縮小または分散により、目に見えてその規模を減らしている。特にITの普及は、これまで合理化や効率化が遅れていた事務・販売部門の少数精鋭化と分散化を推し進めた。其処にCovicの世界的蔓延があって、人の分散は地球的規模で進んでいる。それから5年・・・人間は共感によって仕事や生活からの満足を得る。自己満足では済まないのが人間である。共感するためには人が複数居なけれ...共感
世の中には、老人になってみなければわからないことが沢山ある。若い頃には考えが及ばなかったことが多い。知恵が足りなかったのではない。人生体験の不足が、適切な思考を促さなかったのである。人は老人になるに従い、心裡に溜まった感懐を掬い上げることが多くなる。芸術の素養のある人たちは、創作に感懐を籠めることが出来る。書や画、音楽や詩作など、表現をもってそれをする人たちは多い。筆の立つ人は書簡や随筆の形をとることもあるだろう。どんな方法でも、自らの胸の内にある感懐を、人に伝え共感を得ることができたら、欣快この上ないことと思う。心の裡に在るものは、現在の意識の表面に泛かんでいなくても、無意識下に厚く積み重なっているに違いない。それらのひとつひとつが任意に浮かび上がるのを掬い採り、考察を加えることは、時間に余裕がある(と...感懐を掬う
子どもの頃に女性にチヤホヤされた男は、女性のおだてに弱い。女性というものは、そういう男を直感的に判るもので、「豚もおだてりゃ木に登る」という状態にた易く導く。恥ずかしながら老生、幼い頃にチヤホヤを体験したので、洵に女性のおだてに弱い。私が若い頃のデパートでは、ネクタイ売り場の女店員は美人でおだてのエキスパートだった。多くの男性客は女店員の推奨するネクタイを盲目的に買ってしまう。ネクタイ売り場で活躍した女性がママと呼ばれる職業に就けば、お店は繁盛間違いなしだろう。そんなお店があった憶えがある。老人になれば、下心というものが無いから、女性のおだてには乗らないだろうと思うのは素人の浅はかさ。年寄りほど、滅多に褒められないから、おだてに弱くなるものである。ある時、山野草を観に市外の中山間地を訪れた。村おこし活動の...おだて
前日の散歩で弾みがつき、今日は早朝から佐鳴湖まで歩いた。往復約4キロ弱。ウォーキングよりランニングの人の数が多い。働き盛りの人たちに較べ、老人の活動が少なくなっているようだ。年齢は確実に脚に顕れる。山に登って動けなくなり、スマホで救助要請をする60台が多いが、何が愧じかということがわかっていない。安易に救助を警察に要請するのは間違っている。犯罪に遭ったのではない。自ら招いたのである。新川に架かる「であい橋」を渡れば、アシの密生する湖岸に出る。「であい橋」からの新川河口の眺めは、四季を通じて癒される。アシの湖岸は、オオヨシキリの声が賑やかだ。ウグイスと比べると濁声が際立つ小鳥、同情を禁じ得ない。造物主の気まぐれ、というものだろうか?歩程を延ばして
夕刻に妻と散歩に出た。去年鉢植で購入し、地に降ろしておいたスカシユリ?が咲いている。散歩道で、近くに住む次男父娘と出会った。滅多にない偶然に愕いたが、考えてみれば、日頃散歩に出ない自分たちと違い、次男たちは毎晩食事前に散歩しているのだから、たまたま思いつき散歩に出てふたりと出会ったのは、愕くことでも何でもなかった。アジサイがたくさん咲いている場所を教えられ、現場に行ってみた。北向きの山陰に、沢山のアジサイが植えられている。ホタルブクロもこの季節の花。残念ながら、今夏もホタルは見ていない。ひさしぶりに、ユキノシタを見た。子どもの頃、家の裏庭にたくさん咲いていたことを思い出した。橋を渡って帰路についたら、カワウのカップル?が休んでいた。この時期、鳥類は子育てに疲れているだろう。散歩
過般、中学校の同窓会があり、同じ町内で小中学校時代を倶にした級友たちと、数年ぶりに会うことができた。互いの近況を語るうち、私の近江歴史探索行に関心を持ってくれる人が居たので、コロナで中断していた探索行を、6月1日、5年ぶりに再開した。先ずは同行の友人に滋賀県の遺跡分布の概要を知ってもらおうと、滋賀県立安土考古博物館へ直行した。好天だったので、駅から安土山の麓の所在地まで、駅から街並みを抜け、ヒバリの声を楽しみながら、水田地帯の幹線道を歩いた。しかし目的建物は見えているものの、水田の区画方向に沿う道路が目的方向に斜行している為、ヨットのタッキングのようにジグザグに進まねばならず、なかなか博物館に近づけない。かつて別のルートを辿ったときに比べ、倍近い距離を歩くことになってしまった。漸く辿り着いてみたら、残念な...近江の歴史探索行再開
【仕末】端末を納まり良く処理し仕上げること。物事には始めがあり、終わりがある。工作物には、仕事の終末に必ず納まりの良し悪しがある。万事ことの終わりが不手際であっては、納まりが悪いということになり、仕事は不首尾に終わる。当県の前知事の県政は、不首尾に終わったということになるだろう。多年県政に尽力しても、仕末が雑だと、それ以前の治政までもが不出来に映るのは否めない。首尾よく仕上げるということは、万事に目配り気配りが効かなくてはいけない。政治というものは、それができるような傑出した人物にしか向かない仕事である。選挙という制度で選出されたことをもって、政治家に成れたなどと思う軽率な輩は、早晩無能の馬脚を露わすだろう。しかし、それを糾弾しても始まらない。私たちは、民主主義というものが、極めて大きな無駄を伴う制度であ...仕末の良し悪し
海外からの旅行客にインタビューするYouTube動画を視聴していると、いかに社交辞令とはいえ褒め言葉ばかりで、現地人としては面映ゆく、時には身が竦む思いがする。曰く「礼儀正しい」「治安が良い」「親切で温かい」「社会が好ましくオルガナイズされている」「都市にゴミが見当たらず清潔」「公共交通機関が整備され運行が正確」「食べ物が安くて美味しい」「公共のトイレが清潔で無料なのは驚き」等々、私たちには耳障りの好い賛辞ずくめである。視聴者には、欣快この上ないコメントの数々・・・何事も初心のうちは素敵に見えるもので嬉しい評価と思えるが、有頂天になるわけにはいかない。観光客も追々事情に通じて来ると、色が褪せて見えて来るのが普通だから、ある程度リピートしている訪日客にインタビューしてみないと、的確な意見は聴けないだろう。私...隔世の感
先月の始め頃、市内唯一のデパートで、信州、飛騨の旨いもの市が催された。出店業者の中に、信州木曽奈良井宿の団子店があった。団子好きの老生は、街へ出た折に買い求めようと念頭に置いていた。ところがその時わが家は第二次断捨離作戦の真っ最中、慣れない作業に忙殺され、気がついたらその催事は終わっていた。あれほど残念だったことは滅多にない。団子店のHPで確かめると、次の当地での出店は5月22日からとあった。そして待ちに待った昨日、団子購入の目的だけで、催事場のある百貨店に出向き、みたらし・しょうゆ・磯辺の3種各10本、計30本を購入した。一人で食べるわけではなく、6人の家族だから、さしたる量ではない。味は、米粉の質といい、焼き加減、タレといい,申し分ない味だった。老生は団子にはうるさいのである。木曽の奈良井宿(長野県塩...木曽奈良井の団子
風薫る5月、各地神社の流鏑馬神事が催行される季節になった。ユーチューブに映像が多数投稿されている。海外でも流鏑馬の人気は高いそうだ。鎌倉時代には武士の武芸として、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)が騎射三物(きしゃみつもの)と呼ばれ、奨励されていたという。因みに北条時宗は、笠懸の名手であったらしい。これらの神事は、平安時代以前からあったものとは思われない。1274年〜1281年の元寇(文永・弘安の役)では、北条時宗率いる鎌倉幕府軍が、異民族の元軍と初めて干戈を交え、手痛い損害を被った。私は渡海攻撃して来た元軍の本隊に、モンゴル騎兵が馬(馬体が小柄)と共に乗船していて、上陸作戦に参加、九州御家人から成る防衛軍を、彼ら得意の疾走騎射で苦しめたと推測している。時宗が戦後、殊の外わ疾走騎...騎射三物(きしゃみつもの)
水鉢の真蓼(マタデ)が繁って来た。タデ科の一年草。この草は鮎と親密な関係にある。鮎の友釣りは成魚が縄張りをつくる7月が盛期、県内での解禁は6月の川が多い。太公望たちは、竿を撫して解禁日を待っていることだろう。真蓼(別名ヤナギタデ)は、鮎漁の盛期と同じ頃に河原に繁茂し、鮎の塩焼きの調味料、蓼酢の材料となる。タデ科植物の中で、辛味があるのはこの種だけらしい。私たちが路傍でよく見かけるイヌタデ(アカノマンマ)の仲間である。残念ながら、この年齢になるまで、ヤナギタデの自生を見る機会に恵まれなかった。仕方ないので、種苗店で数年前に購入した苗が毎年種を落とし、今では地内の随所に生える。鮎と真蓼との関係は、歴史的に相当古い時代の生活から生まれたもので、有史以前に遡るのでないかと思われる。青銅器時代の遺跡から、真蓼が見つ...マタデ(ヤナギタデ)