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2022/02/06

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  • 【毒親と私】私の毒親体験記「現在」

    上京後、毒親から離れても毎月のように電話をかけてきては付きまとわれ、毒親の呪縛から逃れられない日々が何年にも渡って続いていましたが、テレビや雑誌などでも毒親が特集され始め、毒親という言葉を耳にする機会が増え、そこで初めて自分の親が毒親であるということに気付きました。 それから毒親関連の書籍を読み漁り、毒親に関する知識も増えてきた頃、母親から電話で連絡があり、親戚が東京で結婚式を挙げることになり、そこに出席するように言われましたが、その頃には毒親とは会いたくないと思っていた私は結婚式に出席することも、親に会うことも断りました。 そんなことで納得するはずもない母親は、いつものように怒り

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「上京後」

    上京後、生まれて初めて毒親がいない生活が始まりました。 我が家では主に汚れるという理由で家事全般は何もやらせてもらえなかったので、それまで全くやったことがなかったのですが、一人暮らしで何もかも0から自分でやらなければならないという生活が新鮮であり、かつ今までやったことがないことができるようになることで、少しずつ自信もついてきました。 今思えば、母親が何もやらせなかったのは、私から自信を奪うためだったんじゃないかとも思います。 こうして上京後に0からの生き直しが始まり、毎日、自分の部屋を勝手に掃除しては漁られ、自分の部屋はあってもプライバシーが全くない状態から抜け出し、毒親がいたこ

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「高校卒業後」

    高校卒業後、高校の同級生から車の免許を取りに行こうと誘われ、春休み期間中に一緒に自動車教習所に通うことになりました。 そこで私の担当になった教官が少しでもミスをすれば怒鳴りつけるという、まるでウチの毒親のようなパワハラ教官で毎日、自動車教習所に通うのが苦痛でしょうがありませんでした。 高速道路の教習で一度だけ他の教官だったことがあるのですが、まさに毒親家庭で育ち、他の家の普通の親を見た時の「他の家の親は、こんなことでは怒らないんだ。こんなに優しいんだ。」というのと同じ感覚で「他の教官は、こんなことでは怒らないんだ。こんなに優しいんだ。」というぐらい雲泥の差でした。 それでも、約2

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「高校」

    高校に入ると中学生の時に私をいじめていた連中とは誰とも一緒にならなかったので、いじめられることはありませんでしたが、極度の人間不信から誰とも仲良くはなれず、高校1年生の時には友達が一人もおらず、休み時間は鞄の中や机の中を漁って探し物をしているフリをしたりとか、遠回りをして物凄く時間をかけて水飲み場に水を飲みに行ったりとか、時間を潰すのが大変で、これを3年間やるのは、さすがにキツイと思った私は、高校2年生のクラス替えと同時に意を決して同級生に話しかけ、ようやく友達を作ることができました。 そして、友達との学校からの帰り道に2年ぶりに中学生の時に私をいじめていたグループの一人と駅でバッタ

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「中学校②」

    中学校1年生の2学期から始まったいじめで、それまでいた友達も離れていき、正月になると今まできていた年賀状もパッタリと誰からもこなくなり、母親からは「お前は暗いから友達ができないんだ。」と責められ、夏休みや冬休みのような長期の休みになると友達がいなくて外に遊びに行くこともないので、毎日、家にいると案の定、母親から邪魔者扱いされては「お前は暗いから友達ができないんだ。」と責められ続けていました。 これだけ「お前は暗いから友達ができないんだ。」と責め続ける母親でしたが、実は母親にも友達というものがいたのを見たことがありません。 物心ついた頃から母親が友達と会ったり、遊びに行ったりするのを

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「中学校①」

    中学生になると成長期ということもあり、小学生の頃に比べて見た目も変わってくる時期ですが、この辺りから母親に「すね毛が熊みたいで気持ち悪い。」と言われるようになり、それからというもの、すね毛がコンプレックスとなり、他の人にも、そう思われているのではないかという恐怖から、すね毛を定期的にカミソリで剃ったり、ガムテープをすねに貼って剥がして抜いたりするようになりました。 しかし、すね毛は剃れば剃るほど濃くなっていくので、そのせいで、すね毛が濃くなっていくという悪循環に陥り、コンプレックスは、さらに増すことになってしまうのでした。 また、この頃になると母親から「昔は可愛かったのに、どうして

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「小学校④」

    小学校高学年にもなると母親が言ってることが、明らかに間違っていることに気付くことがあります。 一度、母親に言葉の使い方が間違っていることを注意された時に、自分が間違っていないと思った私は辞書で調べて自分が間違っていないことを確認し、辞書を見せて自分が間違っていないことを主張したのですが、母親は自分の非を認めないばかりか、さらに激高し、倍以上の力で怒られることになってしまいました。 思えば、人生で一度も母親が謝っているのを見たことがありません。 これも毒親あるあるなのかもしれませんが、毒親って自分がどんなに間違っていても絶対に謝りませんよね? ウチの母親も自分がどんなに間違ってい

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「小学校③」

    母親は異常な潔癖症というのか、強迫性障害というのか、そういうところがあり、新築の一軒家に引っ越してからは、それがさらに加速していき、専業主婦だった母親は1日中、掃除と洗濯ばかりしており、家の中を汚せば怒られ、ソファーなどに座ったことでソファーの位置を少しでもずらせば怒られ、食事中に机の位置をずらせば怒られ、食事中にご飯を床の上にこぼせば怒られ「拭け!」と言われて雑巾で床を拭くも、それでは満足せず「どけ!」と言って結局、母親が床を拭き始める始末… そして、少しでも汚れて帰って来たら怒られ、家の中は常にモデルルームのようにキレイで完璧な状態にしていなければならなかったので、常に家の中を汚

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「小学校②」

    夏休み中、学校も始まっていない中、引っ越したばかりで友達もおらず、毎日、子どもが家にいることが邪魔だった母親が勝手に仲間入りさせた子ども達の集団は、私よりも2つ年上の小学校4年生から同い歳の小学校2年生までが混在する集団で、翌日から遊びに誘われるようになると母親がいた時とは、まるで豹変したかのような本性を現します。 2つ年上のリーダー格のMは、とにかく悪い奴で一度、私の家に遊びに来た時には姉の部屋に勝手に入って下着を盗もうとしたり、父親の部屋に勝手に入って警察や消防署にイタズラ電話をしたり、私の部屋にあったオモチャを盗んでいったり、散々な目に遭いました。 他にもチョッパーバイクのよ

  • 【毒親と私】私の毒親体験記「小学校①」

    幼少期の親との関係から対人関係の基本が形成され、気が付けば誰に対しても初めて接する人には特に警戒し、何かしたら、怒られるんじゃないか、責められるんじゃないか、罰を与えられるんじゃないかとビクビクしながら接し、自分に危害が加えられないとわかるまでは決して誰にも心を開かないようになっていました。 なので、極度の人見知りで同じ子ども同士でも、なかなか他の子どもと打ち解けることができず、小学校に入学しても、すぐには友達ができませんでした。 それでも小学校2年生の頃になると、ようやく他の同級生とも打ち解けられるようになり、友達もできるようになりましたが、小学校2年生の夏休みに引っ越すこととな

  • 毒親と私(幼少期②)

    母親は外面が良く、親戚や近所の人などと接している時には絶対に怒ったりせず、そういう姿を一切見せませんが、家の中では、まるで人が変わったかのように気に入らないことがあると、すぐに怒り出し、ヒステリックに怒鳴り散らす悪魔へと変貌します。 母親は基本的に誰のことも、けなしてばかりで家の中では親戚や近所の人の悪口ばかり… それに同調しないと怒られるので、母親の話に合わせなければなりません。 母親はいつも会話の主導権を握り、一方的に自分の話ばかりして子どもの話は全然、聞いてくれず、子どもの気持ちに寄り添うことは一切なく、何でも母親のペースに合わせなければなりませんでした。 何をするにも「

  • 毒親と私(幼少期①)

    私は父、母、姉、私の四人家族の家庭の長男として生まれ、生まれてから一番最初(2~3歳頃)の記憶は母親の怒号でした。 私の家では物心ついた頃から母親の言うことは絶対で、母親の言うことに従わなければ、怒られたり、責められたり、罰を与えられたりするのが当たり前だったので、いつも母親を怒らせないように顔色をうかがってはビクビクと怯えていました。 さらに母親は気まぐれで、同じことをしても昨日までは怒られなかったのに今日になったら突然、怒られたり、母親の気分によって言動や家庭内でのルールがコロコロ変わるので、いつも気が休まることはありませんでした。 母親は気に入らないことがあると、すぐに怒り

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