南インドのバンガロール在住ライター、坂田マルハン美穂のブログ
[MUMBAI DAY 5-6] 英国統治時代からの物語が詰まったタージマハル・パレスホテル。個人的にも思い入れ深いエリアにて②
タージマハル・パレスホテルの情景に加え、ホテル周辺、コラバ地区の写真も、残しておく。 南ムンバイにはまた、アールデコ建築も多い。写真の映画館(REGALシアター)もその一つだ。 テロのときに銃撃を受けた店のひとつ、1871年創業のレオポルド・カフェ(Leopold Cafe)は、弾痕を残しつつも、今...
[MUMBAI DAY 5-5] 英国統治時代からの物語が詰まったタージマハル・パレスホテル。個人的にも思い入れ深いエリアにて①
「インドの産業の父」と呼ばれるタタ・グループの創始者、ジャムシェトジー・タタ。グジャラート州で、パールシー(ゾロアスター教徒)一族の元に生まれた彼は、1868年、29歳のとき、タタ・グループの前身である綿貿易会社を創業。その後、綿紡績工場を操業し、インド有数の資本家に。以下、日本との関わりも深い同社...
[MUMBAI DAY 5-3] 100年の歴史を誇るミュージアムへ、17年ぶりに
Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya。名前が長すぎるミュージアム。 1905年、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ/後の英国王ジョージ5世)のボンベイ来訪を記念して建立が決定されたミュージアム。当時は「プリンス・オブ・ウェールズ西インド博物館」...
[MUMBAI DAY 5-2] 芸術とファッション、金融ビジネスが混在するカラ・ゴーダ。
フォート地区の南に位置するカラ・ゴーダ (Kala Ghoda)へ足を伸ばせば、それまでのビジネス街の様相に、アートやファッションの香りが加わる。 この界隈には、美術館やアートギャラリー、教育機関などが点在。毎年2月にはカラ・ゴーダ・アート・フェスティバルが開催される。 わたしもムンバイ在住時、訪れ...
[MUMBAI DAY 5-1] 再び南ムンバイへ。フォートを歩き、100年以上前の日本人女性を思う。
5泊6日のムンバイ滞在も、今日で終わり。昼過ぎのフライトで、バンガロールに戻る。最後の2日は、誰に会うこともなく、一人で過ごした。若き日々、一人旅を重ねたころを思い出すなど、それはまた、稀有な時間だった。 どんなに写真を撮影しても、ネット上にアップロードしておかなければ、未来、紐解く機会がほとんどな...
[MUMBAI DAY 4-5] そして、たどりつく、きれいな場所。この「雲泥の差」を、どう受け止める。
帽子を脱いで髪を整え、額に浮かんだ汗を拭き取り、「きれいな場所」へと足を踏み入れる。 煙突そびえる工場跡地。そこに建てられたモールやブティックなど。過去20年足らずの間にも、店舗の構成は栄枯盛衰著しく。常に、なにかが消えていて、常になにかが生まれている。 視察旅行の際には、必ずクライアントをお連れし...
[MUMBAI DAY 4-4] SALAAM BOMBAY/ ムンバイ。この大都市の、氷山の「一滴」03 【スラムの背景】
英国統治時代、この都市は今よりも遥かに、整然と、美しかった。 壮麗な建築物、優雅な街並み……当時の記録動画を見ると、欧州の古都のようにさえ、見える。 1947年8月のある日、インド亜大陸のパンジャブ州とベンガル州は、東西に分断された。そして、東側はヒンドゥー教徒が多数のインドとして、西側はイスラム教...
[MUMBAI DAY 4-3] SALAAM BOMBAY/ ムンバイ。この大都市の、氷山の「一滴」02 【濃度、マキシマム】
ホテルから約2㎞先のショッピングモール。 かつてなく、好天に恵まれている今回の旅。 ゆえに、車を使わず、敢えて歩く。 2㎞程度、大したことないと思われるだろう。 しかし、ムンバイで歩く2㎞は、かなりの労力を要するのだ。 ひたすらの、高濃度。 一瞥の視覚から得られる情報量の多さ。 世界中、どこを探して...
[MUMBAI DAY 4-2] SALAAM BOMBAY/ ムンバイ。この大都市の、氷山の「一滴」01【音と匂いを伝えたい】
きれいに撮ろうとしているわけではない。 この都市の、混沌の断片を、捉えたい。 歩かなければ、目にできない情景。 生きる人々の息吹。 しかし、iPhoneの中の画像はみな、静かに整然と、絵画的だ。 じりじりと、照りつける日差し。 絶え間なく行き交う人々、喧騒。 ゴミの悪臭、花の芳香、屋台の香気。 列車...
[MUMBAI DAY 4-1] 2010年に作った手書きの地図。今でもそれなりに、役立ちます。
今から12年前。食品関係の視察でムンバイを訪れていた日本の食品メーカーの人たちに、インドの食事情について1時間ほど語るという仕事を受けた。視察団全体のコーディネーションは、他の人が請け負っていた。 しかし、そのときの視察団との会話を通し、彼らの旅の行程が(これはありがちなのだが)、あまりにも短く詰め...
[MUMBAI DAY 3] 北ムンバイ。変貌し続ける新しいエリアを視察し、過去19年の変化を偲ぶ。
2日目の南ムンバイとは打って変わり、3日目の昨日は新興エリアの北ムンバイへ。印パ(インド・パキスタン)分離独立した1947年以来、インドは社会主義的政策をとってきた。しかし、1980年代後半に起こったペレストロイカをはじめとする世界情勢の変化の余波を、インドも受けることになる。 1991年。インドの...
[MUMBAI DAY 2-Highlights] 生死、貧富、新旧、静動、悲喜……マキシマムシティでのマキシマムな1日。
早朝の雨天が嘘のように、昼ごろからは晴れ間が広がったムンバイ。視察旅行と自分自身の回想旅行を兼ねての1日は、極めて濃度が高かった。 バンガロールを拠点にインドでビジネスを始めてから、今年でちょうど10年になる柴田氏。彼からの依頼で、彼と、彼のもとで修行をしているHanaさんを案内する。 2003年に...
[MUMBAI DAY 1-2] “A room with a view, please."
I requested so when I checked in. The room with a view of the Arabian Sea in the distance. Fantastic. The sunset over the valley of skyscrapers remind...
[MUMBAI DAY 1-1 ]✈︎3年ぶり。大好きな混沌世界、ムンバイへ!
終の住処は、高原都市バンガロールと決めたけれど、インドで最も心惹かれてやまない都市は、ムンバイ。2008年から2年間、南ムンバイのコラバ地区(カフパレード)を拠点に、バンガロールと行き来する生活を送っていた。 かつては、仕事で、プライヴェートでと、しばしば飛んでいた。決して過ごしやすいわけじゃない。...
🇮🇳楽しみながら濃密インプット。「百聞は一見に如かず」の視察旅行、実践編。
昨日の午後は、バンガロール市街東部、おしゃれな飲食店やブティックが次々に誕生しているインディラナガールで過ごした。栄枯盛衰が著しいこのエリア。ほんの数カ月、いや数週間、訪れないだけでも、変化が目に留まる。 大学卒業前の旅行を兼ねて、当地に滞在していたHanaさん。昨日はバンガロール最終日ということで...
そもそもは、買ったばかりのバーベキュー・グリルをうまく使えるか……という実験を兼ねて、小人数で「バーベキューの予行練習」をするつもりだった。しかし、バーベキューといえば、ファミリーのイヴェント。せっかくだからと、都合の合うご家族を招いてサンデー・バーベキューを楽しむことにした。 実は、旧居にも小さな...
🎨我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?
土曜日の夜、バンガロール市街北部のフォーシーズンズ・ホテルに隣接するFour Seasons Private Residencesの一室を訪問した。友人のNamuが、夫のVivekと共に経営するアートギャラリー、「KYNKYNY」の展示会に招かれていたからだ。招待客は限定25名。光栄にもわたしたち夫...
🌳TAJ WEST END。わたしが、バンガロールで最も好きな場所のひとつ。
ランチのあと、鬱蒼の緑が生い茂る裏庭を散策するのが楽しい。 限られた時間のなかで、しかし優雅なひとときは大切。リゾート内を巡りながら、ガーデン・シティと呼ばれていたバンガロールの背景を語る。 TAJホテルグループと、タタ財閥と、創始者の物語を語る。ペルシャから逃れてきたゾロアスター教徒の経緯を語る。...
🏡インテリア・マガジンの編集をしたくなる。友人が手がけた優美なる邸宅
昨日は、月に一度のYPOフォーラム・ミーティング。わたしにとって8月は、悲喜交々、喜怒哀楽、いろいろな出来事が凝縮して発生した。故に、フォーラムで1カ月を分かち合うひとときは、殊更に大切なことに思える。 ミーティングのあとは、友人Anjumの新居へ。Prestige Groupの物件全般の内装を手掛...
Go Native。そしてRain Tree。わずか2カ所ながらも、インドの新旧、ライフスタイルやファッションをじっくりと、垣間見られる場所。 折しもRain Treeでは、グジャラート州カッチ地方の手刺繍のブランド「Shrujan」の展示会が開かれていた。かつて、Shrujanの店舗がバンガロール...
1985年の夏。米国西海岸での1カ月のホームステイが変えた我が人生。ゆえに。
「将来は、故郷の福岡で、高校の国語教師になる」という目標を掲げて、教職課程のある大学に進学した。 それまでの価値観や未来への展望が、180度、転換した出来事があった。1985年8月。初めての海外旅行で、ロサンゼルス郊外のご家庭に1カ月ホームステイをさせてもらった。プラザ合意の1カ月前。1ドルがまだ2...
🇯🇵日本の酒と日本のお茶。日本の味覚でインドの友人知人をもてなす夜。
2001年の7月、結婚式を挙げるために、当時暮らしていたニューヨークから夫の故郷、ニューデリーを訪れた。初めてのインドで受けたカルチャーショックは多々あったが、最も強く感銘を受けたのは、インドの人々が、いかに「家族や親戚との交流」や「友人知人らとの社交」を大切にしているか、ということだ。 宗教、階層...
(去年の記録を再掲載) 21st anniversary of the terrorist attacks on the United States 20代のころのわたしは、東京で、海外旅行誌の編集者兼ライターをやっていた。海外取材が多かったにも関わらず、英語はうまく話せなかった。30歳のとき、一念...
伝統を守りながら、新しい試みを続ける人々。オリッサのイカット(絣/かすり)世界
火曜日の朝。オリッサ州のイカット(絣/かすり)の伝統を守り、新たな潮流を育むべく活動をしているデザイナー、Gunjanの講演へ。会場は、旧居近くのブティック兼ナーサリーのAmbaraだ。ここは、わたしがバンガロールに移住した当初から時折、足を運び、サリーなどを買い求めてきた場所。Ambaraではまた...
季節外れの大雨で、市内の随所が水没、深刻な被害を受けている人々も少なくないバンガロール。そんな中、昨日は、日本人起業家ネットワークWAOJEのメンバー各位を迎えて、非常に有意義で楽しい1日を過ごした。 今回、WAOJEバンガロール支部のメンバーが、京都支部のメンバー7名の視察旅行をコーディネーション...
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