団塊世代、恐妻家、古代日本史の最大の謎=白村江の戦いに挑む。 古代日本史上 最高の才女 ぬかたのおおきみ(額田王姫)に惚れ抜く。
令和2年1月31日追記3年12月12日額田王姫の真意を読み解きます。やってみなければ!素人の冗談です。(^_^;)壬申の乱と額田王姫(ぬかたのおおきみ)の、関わり、絡みを見極めたくて、謎を探れば探るほど、闇が深まるのです。いやむしろ謎そのものが霞んでくるのです。額田王姫の万葉歌に酔いしれ、興味を抱いてしまった歌を後半で追記していきます。大化の時代〜現代に至るまで、彼女の才能は、日本才女の基準を大きく超えていたと確信しています。(*´∀`*)このブログにお越し頂きまして有難うございました。きっと貴方も、蒲生の森の歌のとんでもない、私の勝手な解釈を読んで下されば、男の方も、女性も、きっと額田王姫の才能の魅力に、私と同じように、惚れ込んでしまわれると確信しています。このブログを、読んでくれている知人からは、「何をダラ...ぬかたのおおきみへ、君が袖振る?
私の母、信子が平成二十九年三月十八日に他界しました。享年九十四歳大正、昭和(戦前、戦中、戦後)、平成の数奇な人生を生き抜き、よくぞ長寿をまっとうしてくれたと思っています。信子の数奇壮絶な人生を、文章にしておかねばと思い、キーボードを叩いています。(記載内容、表現に、お読みになる方の一握りの方にご不快、ご不安な内容があります。予めご容赦お願いします。)その2ー戦争に翻弄された幼い婦人信子が、短い本当に短い青春を楽しんだ、昭和初期の大阪市の下町庶民の街、城東区鶴橋。その下町に在った、YWCA(女子専用)で、国語と、英語を習い、貿易商社に入って、女子社員に成るのが、夢っだたとよく呟いていました。だけど、家計に余裕のない実家は、早く末娘を手放そうと考え、嫁ぎ先を知人などに探してもらい、姫路の知人から縁談をもらったようで...「信子のゆめ」その2ー戦争に翻弄された幼い婦人(作成中)
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